2012年8月29日水曜日

女性のロールモデルについて

ロールモデル。 誰にでもいるのかな。最近、よく考える。

私が新卒で入社したDECでは、女性も先輩もたくさんいたけれど、20代でケッコンあるいは出産によって退職してしまったり、転職や独立で職場を離れたりしてしまい、気づけば、私より年長の人も私より入社年が古い人もいなくなってしまった。

20代後半の時点で同性で、同じ職種の「先輩」が誰もいなくなってしまったのだ。

それから20年。ずーっと上には誰もいない。前には誰もいない。追いかける背中がない。

疑問に思わずにここまで来たけれど、ふと、「なんかこれ、結構、大変だったな」と思うようになった。

つい最近、30代の女性のキャリアの相談ごとに乗ったからだ。

「ずーっと働いていたいけれど、どういう風に実力つけ、必要な人とされていけばいいのか、迷う。すでに40代50代になっている女性の”先輩”たちはどうやってここまで来たのか訊いてみたい。相談に乗ってほしい」

そんな話だった。

もちろん、相談には乗るし、話も聴いた。そして、「相変わらず、女性というのは、悩める存在だなあ。選択肢が多ければ多くて悩み、少なくても悩む。いや、女性は、ライフイベントごとに選択や決断を迫られるケースが多すぎるのは不変なのだなあ」とも思った。

んで、その相談をきっかけに、つい考えてしまったのだ。

「私は誰の背中を見てきたのだろう」と。

誰の背中も見てこなかった。というよりも、見るべき背中がなかった。

もちろん、男性の先輩はたくさんいたし、今でもいるけれど、女性で、少し前を行く存在も、ずいぶん前を行く存在も、見上げてしまうような存在も間近にはずっといなかった。 その点、男性はいいなあ。どの年代の男性でもたいてい揃っているではないか。70代も60代も50代もいっぱいいる。ロール「モデル」かどうかはわからないけれど、反面教師も含めて、自分より先行く人がたくさんいる。

今40代以上の女性には、各年代の女性の先輩が職場にいることのほうがうんと珍しいだろう。だから、私に限ったことではなく、均等法施行世代以上の女性は、たいがい「見るべき背中を持たない=持てなかった」だろうと思う。

「思えば遠くに来たもんだ」

・・・

今でも女性は大変である。ケッコンはあまりキャリアに影響しなくなってきたようだけれど、出産や育児、そして介護。男性に無関係とは言わないけれど、女性のほうが大きく影響を受ける。そのたびに「どうしよう?」と岐路に立たされる。

それでも、それでも、それでも、ね。

今の女性は相談相手とかよくもわるくも見られる背中がたくさんあって羨ましいなあ、と思う。

「こうなりたい」も「こうはなりたくない」もたくさんあるから。

60歳定年だとすれば、私はあと10年。これからもずっと見るべき背中はないまま、走り抜けていくのだろう。

・・・と、こちらのブログもたまには書かねば、と思い、こんなことを考察してみました。