2010年1月31日日曜日

旧ブログ記事:言語力の低下って、うーん。(2010年1月31日掲載)

夕べ(1/30土)、NHKで「言語力」に関する番組を放送していた。

日本人の言語力(読む、聞く、話す、書く)が低下しているので、なんとかしなくては、という話。

事例としてこんな例が紹介されていた。

●子供が言いたいことをきちんと伝えられない。

「宿題」
「宿題がどうしたの」
「終わった」
「宿題、終わったのね」

子供は思いついた単語を口にする。親がそれを補って解釈してやる。

文章で話す訓練を受けていないからだ、ケイタイ電話は思いついたままを書けばよいから、文脈とかつながりも関係ないし、ケイタイ世代はきちんと文章で話すのが苦手だ、という解説付き。

しかし、私はこれに「うーん」とうなった。
もう10年以上も前から、いや、15年前だって新入社員は単語でしゃべていた。

「あのぉ、テキスト」
「テキストがどうしました?」
「家においてきて」
「忘れたということですか。それで?」
「ありますか?」
「何が?」
「予備とか」

なんて会話は、新入社員研修をしていると、珍しくもなんともない。ケイタイ世代の特徴ともいえないような気がする。

もしかすると、私(86年入社)だって、単語の羅列だったかも知れない。大人とまともにしゃべったことがない新入社員だったら誰でもそうなるんじゃないだろうか。

以前このブログで書いたけれど、年長者だって単語でしゃべる。

もうひとつは街頭インタビュー。説明できない事例を拾うもの。

「日本のよいところを説明してください」というボードを掲げて、道行く人をつかまえ、答えてもらう。

60歳くらいの男性が、「ええ、難しいなあ。この中から選べ、と選択肢があればいけど、説明は難しいなあ」と腰が引けている。

若い男性は、「これ、これ、これ、って要素を挙げるのはいいけど、文章で説明するのは無理無理」
なんて答えている。(この辺のセリフは正確ではありません。記憶からつむいでいるので)

しかし、ですねぇ。

これも、ちょっと「ん?」と思う。

「日本のよいところ」をすぐ説明できない、って、言語力の問題なのだろうか?

私もすぐには説明できない。

言語力が不足しているから、というよりは、単に「日本のよいところ」を普段真剣に考えたことがないからだと思う。

抽象的過ぎる設問だから、「選択肢なら答えられる」と男性は言ったのではないかと思う。(それに、街中でマイクを向けられ、大きなTVカメラを向けられ、それでも堂々と「説明」できる人は、相当カメラ慣れしている、特殊な人だろう)

・・・と番組に突っ込むのはこの辺にして、

一つだけ、この練習はいいなあ、と思うものがあった。

プロサッカー選手の研修。

ペアになって向かい合う。
「貴方は、●●について賛成ですか?反対ですか?」と質問する。
それに対して、まず、 「賛成です」または「反対です」と即答しなければならない。

さらに、「それはなぜですか?」と問われる。 「なぜならば」で理由を解説しなければならない。

番組では、
「反対です」
「なぜですか?」
「なぜ・・・・えぇーーっ、理由かあ、難しいなあ」
と、うなっている選手が映っていた。

●答えをまず言う。
●次にその理由を述べる。

というのは、すぐ使える訓練方法だ。

これに追加するなら、
●「理由は3つあります」と先に3つと宣言してしまうのはどうだろう?

3つの理由を並べないといけない。

頭脳をフル回転させて、並列できる3つを考える。

そんな風に思考の訓練をすることは有意義だろう。

2010年1月30日土曜日

旧ブログ記事:奈良で写経(2010年1月30日掲載)

先日関西に出張ついでに、奈良に立ち寄り、薬師寺で「写経」をしてきました。




今回で3巻目を納められ、「集印帳」というのを授かりました。(正確には、「薬師寺伽藍復興 写経勧進納経集印帳」)

3巻目を納めた人に渡されるということだったので、「やったー。これで満願成就」と軽くガッツポーズ(心の中で)しながら、集印帳をめくると、こうあります。

「12巻御納経なさり、・・・略・・・貴方様の大願成就されますことを心からお祈り致すものです」

え、12巻?・・・というわけで、3巻がゴールかと思ったら、ゴールはもっと先にあったのでした。
「集印帳」・・写経するごとに印を押してくださる。
スタンプラリーみたいなもの?
・・などと不謹慎なことを言っている場合ではなく。

初めての写経は、この2005年のことでした。

奈良好きの私は、「奈良は庭」と言っていいくらいに通っているので、地図なしでどこへでも行くことができますし、下手すると、堂々と一人で歩いているので、観光客に「唐招提寺にはどう行けばいいですか」と聞かれ、「ここをまっすぐ」みたいな道案内までしてしまうこともあります。

そんな中、いつだったか薬師寺を訪れた際、お坊さんが拝観者に説明をしている中で「納めたお経は薬師寺のお堂に納めておきます。永遠に」といったお話を聞きました。

それがずっと記憶に残っていて、死んだ後もお経(自分が書いた文字)がこの世に残っているのってちょっといいなあ、と思ったのがきっかけです。

さらに、薬師寺に納められた平山郁夫氏の壁画(たしか2000年末に完成)に感動し、何度も通う内に、「写経をするなら薬師寺」と思うようになりました。

般若心経は300文字にも満たないものですが、道場に正座し、すずりで墨をすり、小筆で一文字ずつ書き進めるとゆうに一時間はかかります。現代語訳が脇に置いてあるので、それを時々チェックして、意味を理解しながらなので、そのくらいにはなってしまいます。

しーんとした道場に、今回は20人くらいの老若男女。 ご夫婦だったり、若い女性だったり、色々な方が来てました。

お経を納めてから、平山郁夫氏んの壁画を参拝(→この壁画はご覧になったことがなければ、死ぬまでにぜひ一度拝観してください。圧倒されます。)

あと、ですね。一度失敗したので、拝観のコツを。

写経をする→拝観。

この順番がお奨めです。というのも、写経をすると薬師寺内の拝観券をいただけるからです。(写経2000円に拝観券がついてくる仕組み)

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写経目的で奈良入りをしたその日は、偶然にも「若草山の山焼き」にあたり、かつてみたことのないほどの観光客が奈良市内をぞろぞろと歩いていました。
「奈良ホテル」から見えた若草山の山焼き。


折角なので、ホテルから歩いて行ってみようかなあ、とも思ったのですが、寒いし、遠そうだったので、諦めかけたら、ホテルの方が「旧館2Fからよく見えますよ」と教えてくださって。

宿泊したのは、奈良ホテル。館内の照明をほぼ全て落として、廊下やロビーから山焼きとそれに先立って打ち上げられた600発の花火を見物できるように配慮してました。
奈良で定宿。無理してでも止まる。それほど高くないよ。

今年は、平城遷都1300年。

平城京跡には、なにやらイベント会場を造営中でした。

710年平城遷都。日本史で覚えましたよねぇ。
(京都から近鉄特急で35分。本当に近いので、京都に出かける際は、ついでに奈良も。奈良には縁もゆかりもありませんが、奈良好きな私は「そうだ!奈良に行こう!」と宣伝しておきます。)

2010年1月28日木曜日

旧ブログ記事:叱る際の3つの基準(2010年1月28日掲載)

顧客先で「OJT担当者向け」のフォローアップ研修を担当しました。

その際、「現場で新入社員を育成していて困っていること」を挙げていただくと、「叱るタイミングが難しい」「叱るのが苦手」「叱ることに躊躇する」という発言が数多くありました。

●「あれ?」とは思うものの、ついつい何も言わずに見逃してしまう
●後になってから「ああ、注意すべきだったかも」と思う
●「これって、個性の範疇かな?」と躊躇する

など、理由はさまざまなれど、「叱るのは難しい」と言うのです。

それで、 「私が以前、上司に教わったことなので、受け売りですが」と断った上で紹介したのが「叱る際の3つの基準」です。

部下や後輩を叱るべきかどうか迷った時、3つの基準のどれかに当てはまるかどうか考えてみればよい、と。

1.顧客のためにならないなら、叱る
2.自社のためにならないなら、叱る
3.当人のためにならないなら、叱る

この話がとても印象に残ったのか、その日の研修報告には多くの方が「叱る際の3つのポイントが役立った」「3つのポイントに照らし合わせて、叱る勇気も持ちたい」といったコメントを書いてくださいました。

実際、この上司には、上記の基準で数多くお叱りを受けました。そういう実体験もあるので、私も長く忘れずにいるのだと思います。

2010年1月27日水曜日

旧ブログ記事:「テンション高い」からといって「やる気も高い」とは限らない、というお話+鍋の蓋事件(2010年1月27日掲載)

「テンション高いねぇ」 「いつもハイテンションだねぇ」 というのと、「やる気高いねぇ」「いつもやる気満々だねぇ」 というのは、必ずしも同じではない、と以前習ったことがあります。 

「ハイテンションなんだけど、やる気低迷」な人もいれば、 「ローテンションだけど、やる気満々」もいる、と。

当社が協業させていただいているJTBモチベーションズのモチベーション・コンサルタントから教わったのです。

たしかに、「とても物静かだけれど、すごく高い意欲をもって取り組む人」もいれば、「すんごく賑やかでやる気高そうに見えるけど、仕事はいまひとつ」という人もいるなあ、と納得しました。

ただ、上司の立場の人はこれ、ちゃんと気をつけないといけませんね。

「ハイテンション」=「やる気満々」に見えてしまう可能性があるからです。「静かに高いやる気を持つ人」を見逃さないようにすることも必要だなあ、と思ったものでした。

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さて、今日配信の「朝イチメール」の証拠写真を。

4-5年前の出来事です。本当に焦りました。

この写真では、「ぴたりと張り付いた」ことはわからないと思いますが、黒い取っ手を持ち上げると、重いテーブルをぐいっと持ち上げることができました。すごい吸着力。

【朝イチメール:「鍋の蓋事件」の証拠物件(笑)】

3日間びくともしなかった、鍋の蓋。

2010年1月26日火曜日

旧ブログ記事:あ、胃洗浄の!?(2010年1月26日掲載)

関西に出張してました。とあるクライアントで研修。

教室で開始前の準備中、「田中さん、ボクのこと、覚えていますか?以前、大阪の教室で”トレイン・ザ・トレーナー”を受講したものです」と話しかけてくださった男性のお顔を見て、「あーーーーー」と大きな声を上げてしまいました。

「もしや、胃洗浄の!?」と言うと、にこにこして「そうです!」と。

聞けば1999年のことだったそうです。

もう、覚えているも何も、昨日のことのように思い出せます。 大阪のトレーニングセンターがまだ梅田駅近くにあったころの話。

「トレイン・ザ・トレーナー(通称TTT)」という講師養成講座に集まった関西地区の様々な企業の方たち。

4日目に一人10分のプレゼンテーション演習(ビデオ撮影つき)がありますが、この男性(Zさんとしましょう)は、午前中欠席との連絡が。 前夜、緊急入院してしまった、とのこと。

クラス全員で心配しつつ、一人ずつのプレゼンテーションは開始。

このまま欠席なさるのかなあ、と思っていたら、Zさん、午後になって来社され、最後の番でプレゼンをなさいました。

プレゼン資料は、病院のベッドで作ったそうです。

プレゼンテーションの冒頭。表紙ページには大きく「カレーの呪い」とありました。

爆笑を誘った後、すぐに「あ、間違えた」とそのページはクリックして、正しいプレゼンタイトルに替え、本来予定していたマイクロソフト製品か何かをテーマにした技術的な内容のプレゼンをなさいました。

落ち着いてから詳細を聞くと、こんな出来事があったといいます。

前日の昼、仲良くなったクラスの皆さんでこぞってカレー(10倍カレーとか20倍カレーがあるお店)に行きました。Zさんは辛いものが得意ではなかったようですが、誘われてついていってしまいました。

その晩、猛烈な胃腸の痛みに襲われ、救急車で病院へ。病院では胃洗浄を施され、一晩入院。 仕方ないので、ベッドの上でPPTを駆使してプレゼン資料を作ったというわけです。

午後にはなんとしてでも教室に戻り、絶対にプレゼンしようと退院。当社の教室で無事プレゼン実施。一時的なものだったのか、この時は既に明るく元気なご様子でした。いずれにしても、「なんとしてでも教室に戻りたい!」という、その熱意に頭が下がります。

・・・・

そんな思い出のあるZさんと11年ぶりに再会しました。 お元気そうでなにより。当時と全く変わらない笑顔のZさんでした。

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ところで、この11年前のTTTは、他にも思い出深いクラスでした。

10人弱が一人ずつプレゼンをしていく中で必ず「ご自身の感想、振り返り」を仰っていただきます。 

誰もが「前の人よりウケなかった、悔しい」 「自分が1番ウケたわけじゃないのが、ザンネン」 とコメントされるのです。 

「ウケる/ウケない」がプレゼンの評価基準なんだぁ、さすが関西!と思ったものでした。
(もちろん、コメントはそれだけではありませんでしたが。)

なんとも懐かしいことを思い出させてくれる関西の旅。


2010年1月23日土曜日

旧ブログ記事:美味しそうねぇ。(2010年1月23日掲載)

高校生の時だったか、クラスメイトと水族館に行ったことがあった。遠足だったのかなあ。なんだろう。

で、仲良しのNちゃんとで並んで水槽を見て回っていると、後ろから「これは鯛。美味しそうねぇ」「こっちはイカよ。美味しそうねぇ」という声が聞こえて来た。

振り返ると小さい坊や(幼稚園児か)を連れたお母さん。 坊やに魚の名前を教えると共に、必ず「美味しそうねぇ」と添えるのだ。

Nちゃんと私は、「水族館で、”美味しそうねぇ”ってのはないよねぇ。情緒ないよねぇ」とくすくす笑った。

つい先日、ラジオを聴いていたら、パーソナリティの女性が「水族館に子供達を連れて行って、生きて泳いでいる魚を見せるのは、”食育”になるからとてもいいことだと思う。うちはやっている」なんて話をしていた。

『ああ、そういう意味もあるのね』と、この30年前のお母さんを思い出した。

そういえば、これは、大学生の時の話だけれど、教育学科にいたので、先輩から「教育関係」のアルバイトが降りてきたことがたまにあった。

印象的だったのが、「幼稚園のお受験塾」のアルバイト。

模擬試験の試験官を担当した。 面接で子供(4-5歳児)に決められた質問をし、答えによって点数をつけていく仕事だ。

「お名前は?」
「◎◎×子です」
「はい。よくできました。では、お魚のお名前を5つ言ってください」
「ええと、サケとぉ、マグロとぉ・・・」

と子供が答える。

たしか、5個正答なら、5点。 4個なら4点、と点をつけて、次の部屋へ送り出す、といったものだったと思う。

何人目かに、全身白いフリフリのお洋服を着せられ、お人形ハウスから飛び出てきたようなお嬢ちゃんが入ってきた。 控え室で見かけたママは、ブランド物で身を固めたゴージャスな雰囲気。

ラブリーお嬢ちゃんに質問する。

「お魚のお名前を5つ言ってください」
「タイとぉ、マグロとぉ・・・」(高級方面が連なる)と言ったのだが、5つ言い終わる前に黙り込んでしまった。

練習してきただろうに、上がっちゃったのかな。

しばらく考え込んでから、顔を上げ、 「あ、あと、白身のオサカナ!」 と元気よく答えた。

「白身のオサカナは、どういう種類かな?」 と一応尋ねてみたが、「白身のオサカナだもん」といった回答だった。

「白身のオサカナ」は、正解なのか不正解なのか、迷った挙句、”?(白身のオサカナ)”とメモして、責任者に書類を回した。採点がどうなったかは記憶していない。

あの時の5歳児はもう30歳くらいになっているだろう。

冒頭の水族館。「美味しそうねぇ」を連発していたお母さん。

今思えば、意義のあるせりふだったのだなあ。 魚は切り身で泳いでいると思っている子供は、25年前よりさらに増えているかも知れない。

あの時、くすくす笑って、ごめんなさい。

2010年1月22日金曜日

旧ブログ記事:目の前のクライアントの先にいる大勢の人(2010年1月22日掲載)

この間、「朝イチ新年会」があった時、平本さんから聞いた話をもうひとつ思い出しました。

平本さんは柔道・石井慧選手のメンタルトレーニングをして、オリンピック金メダルを取るに至ったサポータの1人でもありました。他に、オリンピック選手などアスリートのメンタル面でのサポートも数多く手がけていらっしゃいます。

「オリンピック選手がいい成績を残せるようにその選手をサポートする」こと自体が目的のように思えるのですが(それが悪いという意味ではなく、それをゴールに据えて彼・彼女に集中するんだろうな、と思うわけです)、

平本さん曰く、そうじゃないんだ、と。 

その「そうじゃないんだ」に目からウロコが100枚くらい落ちました。

「石井選手でも◎◎選手でも、彼・彼女がよい成績を残すことは重要だけど、それだけじゃない。そういう選手を現地で、あるいはTVで見ている何万という人がいるでしょ。その何万という人が、彼・彼女の活躍を見て、勇気付けられたり、幸せな気持ちになるでしょ?スポーツ選手が自分の本来の力を出し切ってよい成績を残せたら、選手自身だけでなく、多くの人たちがそれによってプラスの影響を受ける。だから、選手を支援して、その先にいる多くの人までハッピーになることが視野にあるんです」 (というような主旨のことをおっしゃっていました。正確に再現できてはいないと思いますが)

「おぉー」とうなってしまう言葉だなあ。

考えてみたら、どの仕事でも同じことなんですよね。

たとえば。

医師が患者を治す。その患者には家族や友人がいて、1人の患者が病を克服することは、その患者の幸せを取り戻すだけじゃなくて、その患者の周囲の人々にまで幸せをもたらす。

だから、患者1人を助けることは、周囲の何十人と言う人を助けることになる。

たとえば。

美容師がお客さんにステキな髪型を提案し、きれいにしてあげる。そのお客さんがるんるん(表現が古い?)気分で帰宅し、家族と楽しく会話できたら、それは1人の髪型のメンテをしただけじゃなくて、多くの周囲の人々に小さな幸せをもたらしたことにもなる。

私は、今目の前のお客様(たとえば、受講者)のさらにお客様まで意識して仕事をしているだろうか?とふとわが身を振り返るのでした。全くしていないわけではないけれど、いつも意識しているとも言えない。

平本さんのお話から、そんなことを深く反省いたしました。

2010年1月20日水曜日

旧ブログ記事:今日の朝イチメール:「誕生日」コラムの証拠物件(2010年1月20日掲載)

・・・というわけで(どういうわけで?)、誕生日です。

詳細は「朝イチメール」の「今日の朝イチ」誕生日について書きました。
その証拠物件を。 

1つ目:アルバムとはがき
私の生後0日からを記録したアルバム。
上に乗っているのが「妹誕生直前に母から送られてきた葉書」です。

年季入ってます。実家から持ち帰ってみました。上に乗っかっているのがはがきです。拡大すると文面、読めちゃいますが、まあ、大丈夫です。(朝イチメールでは、一部抜粋で載せました。)
上記葉書。当時は7円!

官製はがき、7円です。

2つ目:祖父の日記
私、2歳で渡米する直前に、京都は丹後半島の母方祖父母宅に母と滞在してました。(父は先に渡米)その際、「淳子ちゃんはもういたずらで、緑のクレヨンで廊下に沢山いたずら書きをしていた」と祖父母や隣に住む大叔母などがよく言っていたのですが、その証拠物件が数年前発見されました。
明治生まれの祖父の日記。「田中ヨリ女子生産ノ電報アリ」と。
「生産」は「しょうさん」と読みます。

祖父の日記の何箇所かに緑のクレヨン。私の仕業に違いない。

なんというか、「これが、古くから伝わる○○の刀傷跡です」みたいな感じ。

・・・・・と「思ひ出」物件を披露してから、昨日の出来事を。

夕方、オフィスでグループメンバが揃って私の席にずんずんと近づいてきました。

「淳子さん、明日休みですよね」
「はい、何か?」(何か相談ごと?)
「明日ですよね」
「ええ、明日は休みですが」
「いや、そうじゃなくて」
「なんでしょう?」(なんか、厄介ごと?なぜか思考がネガティブ)
「だから、誕生日」
「ええ、そうですが、それが何か?」(何?何?)
「はい、これ。1日早いけど。」

と差し出されたのが、

3つ目:色紙
以前、このブログで「退職時じゃなくて、在職中に色紙をプレゼントしたら喜ぶだろうに」と書いたのを読んだ後輩が各部署からこっそり集めてくれたメッセージ20個。
同僚から贈られた色紙。
すごーい。感動。 

書式が決まっていたらしく「いつ、どういうことがあって、どう思った」と具体的エピソードが書いてあります。自分も覚えていないようなこと、意外なことも・・。

いやあ、これでまた1年、頑張れます。ありがとう→皆様。

2010年1月19日火曜日

旧ブログ記事:「朝イチ執筆陣」新年会!(2010年1月19日掲載)

夕べ、朝イチメンバでの新年会がありました。 (全員初顔合わせです。)

集まったのは、
● 月曜日ご担当:平本あきおさん
● 水曜日担当 :私、田中
● 金曜日ご担当:神足裕司さん(コータリン)
(火曜のカトラーさんと木曜の仲森さんは事情により急遽欠席)
+ 日経BP社でこの事業に関わる方々。

ものすごく早く会場に着くと、平本さんと平本さんの会社の柘植さんだけがいらしていて、初対面の私と3人で早速盛り上がり、持参した『成功するのに目標はいらない!』にサインをしていただきました。(ちゃっかり)

平本さんの本は何冊か読んでいます。ご本人はお会いしたら、なんというかもうパワフルで前向きでとても元気で、お話ししているだけで、こちらもエネルギーを注入された気持ちになりました。

その内だんだんとメンバが揃い、「朝イチメールの今後の展開」やら「読者の反応」など真面目な議論もしました。

コータリさんが全く現れないので、プロデューサーM氏がコータリさんのケイタイに TELをすると、「これから出る!」と。開始19時だったのに、「これから出る!」が19時半。

20時半ごろ登場したコータリさんは、トレードマークのめがねやお帽子などTVで見たまんまのいでたちで(当たり前か)。

訊けば、「いやあ、何か用事があったから遅刻したわけじゃないんです。ちゃんと新年会は分かっていたんですけど、まずは、夕飯の仕度をと思って料理して、女房子どもに食べさせて、自分もちょっと食べて、気づいたら19時半になってた・・・」と。

えええぇぇぇーーーっ!?

「こちら、月曜日の平本さん、こちらが水曜日の田中さん」と紹介されたら、「俺、何曜日?」と真顔で質問され、私が「コータリさんは、金曜日ですよ!」と答えてしまいました。

フシギなワールドでした。

ところで、平本さんとは仕事の領域が近いこともあって、最近の人材育成事情についてもいろいろなお話ができました。

本を沢山出され、とてもお名前も知られていらっしゃるし、会社の経営もなさっていて、なんだか凄いなあ、と思っていましたが、ご本人曰く、

「ボクは、まだ自分の能力を5%も使っていないと思っています。まだまだやらなければならないことがあるけど、ぜんぜん使命を果たしていないから、自分はまだダメだなあ、と思っているんです」

と。

「何歳の頃、どんなきっかけで今の道へ進むことになったのですか?」 とお尋ねしたところ、「ボクは16歳の時に、”こうありたい”と自分で決意し、その基本の考えは今でも変わっていません」 とのこと。

パワーを感じるのは、そういうところに気持ちの根っこがあるからなのだろうなあ。

凄いなあ、などと感心している場合ではなく、私もしっかりしなくては、と思った一夜でありました。

平本さんにサインしていただいた本。(私はこれでずいぶんと気が楽になったのでお薦めです)

●平本あきおさん著 『成功するのに目標はいらない!』 こう書房

神足さんの本もご紹介。最近読みました。西原理恵子さんの挿絵も「名コンビ!」という感じでよかったです。

●神足裕司さん著 『空気の読み方~「できるヤツ」を思わせる「取材力」講座~』 小学館101新書

著作がある方にお会いする時はできるだけご著書を読んでおくようにしています。なんとなく、そのほうがいいかな、と思って。

2010年1月18日月曜日

旧ブログ記事:『働くみんなのモティベーション論』を読んだ(2010年1月18日掲載)

読んだのはずいぶん前なのですが、ページをぱらぱらめくっていて、以下の文を見つけました。

「若いときは、自分を動かすためのモティベーションを知れば十分だが、やがてひとに働いてもらう立場になると、どうすれば他の人びとに動いてもらえるかという点を踏まえてモティベーションを学ぶ必要がある。」

「他の人びとがインセンティブの制度や管理職のもつ人事権ゆえにではなく、上司の描く絵がわくわくするものなので、喜んでついていくようになっているのなら、そのような人々への影響力はリーダーシップにほかならない。」

「モティベーションとリーダーシップとは、組織行動論において、二人三脚のような不可分のトピックであることに気づく。」

ふむ、なるほど。

時々「自分が何に動かされているか」を自覚していない人もいます。もちろん、内面に何か「これによって私は動いている」があるのでしょうが、言語化したことがないので、人に説明できないようなのです。

そういう状態のまま、人を動かす立場になってしまうと、今度は、メンバを動機づける必要があっても、自分自身の「やる気の素」も整理できていないため、他者のやる気などさらに分からない状態になるのかも知れません。

1人でも後輩ができたら、「他者を動かす」ための知恵や工夫が必須になりますが、その前にまずは、「自身のこと」を落ち着いて考えてみる必要がありますね。

● 金井壽宏 著 『働くみんなのモティベーション論』 NTT出版

2010年1月17日日曜日

旧ブログ記事:『経産省の山田課長補佐、ただいま育休中』を読んだ(2010年1月17日掲載)

『経産省の山田課長補佐、ただいま育休中』(山田正人、文春文庫)を読みました。

経済産業省の山田氏が2004年11月から1年間の育児休業を体験したレポートです。

山田夫妻は同じ経産省に勤務しており、2002年に双子を授かった際に妻が育休を取得。二度目の出産で3人目となる2004年の産後はどうするか?という時、夫である山田氏が育休を取得することにしました。

育休をとるにあたり、周囲から色々なことを言われます。

●うちだったら男性が育休と言った瞬間、完全にアウトでしょうね
●出世は大丈夫か
といった、仕事への影響、周囲との軋轢を話題にする人。

●お前が育休をとるなんて、職場でよっぽど辛い目にでも合ったのか?
と「育児以外の理由を探りたい」と思っている様子のメールをくれた学生時代の友人。

●いいなぁ。リフレッシュになるね
などとのんきなことを言う人。

「男性の育休」は、「とりたい」という人はいても、実現させた人は少ないことの理由を彼は実感します。

Baby誕生から2歳半の双子と0歳児の3人をほとんど親の手などを借りずに世話していきます。(妻はすぐに職場復帰)

堂々と育休を取ったはずが、保育園でも、子供の検診でも「今日、ママは?」などと聞かれ、「私が育休をとって、この手で育てているんだ!」とフンガイしたり、誰(大人)とも話さない日々が続くと、妻が帰宅してから延々と子供のことをとめどもなく話してみたり、さらには一時、育児ノイローゼのようになったり。

最初は試行錯誤、失敗もしますが、だんだんと子育てのコツがわかってきて、やることもスムースに。 Babyの泣き方の違いを判別できるようになり、日中仕事をしている妻がその区別をつけられないことに、ひそかに優越感を覚えることもあります。

パパ友(ママ友か?)ができ、最初は居心地の悪かった保育園でも居場所ができてきます。

途中、双子ちゃんの病気やBabyの病気も体験して、少しずつしっかりした育児パパになっていく様子は頼もしい。

子育てがこんなに楽しいものだったとは?と気づいた1年後職場復帰を少し延長しようかとすら思うのですが、ある日同僚から、「お前、絶対に辞めるなよ」と釘を刺されます。

「お前の耳には入ってこないかも知れないけど、”男が育休なんて反則技だ”などと言うやつもいる。そういう声からお前を守ってくれている上司や職場の人間がいることを忘れちゃだめだぞ。だから辞めるな」と言われるのです。

苦労の末、結局、Babyの保育園も見つかり、双子ちゃんとは別の園になってしまったため、復帰後はパパとママとで手分けして送迎することになります。

その後、山田氏は、育休の”影響”もなく、数年後には、管理職にもなりますし、子供達もすくすく育っています。また、官庁では何人もの「男性の育休取得者」が登場するなど、環境はずいぶんと変化したことがあとがきに記載されています。

この本を読んで思ったことは、「母親が育児をする」というのは、母乳の問題が絡むから、というだけであって、実はどちらが行っても同じことに悩み、同じことに楽しみを見つけるし、子供にとっては、両親のどちらが育児に深く関わったとしても、あまり関係なさそうだ、ということ。

一方で、社会から見た場合、やはり男性の育休はなぜ?と思われることが多いでしょうし、女性の育休であっても「休み」=「休暇」に見えてしまう部分があるのかも知れません。休業であって休暇ではないでしょうに。(私も同僚に、上記のようなのんきな発言を過去にしたことがあるかも知れません。なんせ、体験していないことは、理解するのって難しいですから。 )

読みやすい文章で、楽しげに子育てに取り組み、合間合間には職場との関係、夫婦での様々な話し合い(たとえば、育児パパが待っているのに、妻が飲み会に参加することについてのクレームみたいなこと)も登場し、多くのことを考えさせられます。子供がどんどん成長し、色々なことができるようになっていく様も面白い。

ワークライフバランスという言葉をよく聞くようになりました。そういう時代に文庫化されたこの本。おススメです。

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10年ほど前のこと。

3人の子どもを共働きで育てている同僚(男性)がいました。

月水金:彼
火木土:妻

といったように完全に家事分担をしている、という話を何かの席でしてくれました。

「へぇ、すごいねぇ。うまくやっているんだねぇ。」と楽しくその話を聞いていたところ、60代の男性上司が、突然、「男が家事なんかさせられているなんて、だらしないっ!」と発言し、その場が凍ったことがあります。

上司の次に年長だった私は、その場で上司を一応たしなめたものの、家庭での男女協働が彼には全く理解不能だったようです。

世代間の価値観の問題は、難しいものです。

2010年1月16日土曜日

旧ブログ:山本小鉄さんに学ぶ「個人事業主であるという心構え」(2010年1月16日掲載)

先日、プロレスラーの山本小鉄さんと会食の機会がありました。

新日本プロレスを立ち上げた際、アントニオ猪木氏が経営、コテツさんは後進指導など複数の役割を担っていたとのことでした。

その話の中で、こんなことをおっしゃっていたのが印象的でした。

「レスラーだけでなく、相撲でも野球選手でもサッカープレイヤーでも”個人事業主”なんですよ。そういう覚悟で臨まないといけない。確かに、競技ごとにチームプレイか個人プレイかの別はあるけれど、プロ選手一人ひとりをとってみれば、全員が”個人事業主”なんです。 

これは、何を言っているかというと、つまり、自分の身体を自分で管理し、能力を自分の努力で上げていかなければならないということです。そうやって身体能力を上げる、その身体を使って成績を残す。そうすれば、次の仕事を与えられる。その積み重ねなんです。

自己管理をすることはとても大切なんです。でも、それって、スポーツ選手だけじゃないでしょ?

会社に勤める人だって同じなんじゃないですか?しょっちゅう、風邪引いたから休みます。とか、これしかできません。なんて言ってたら任せられないですよね。誰だって、仕事をする上では”個人事業主”の心意気を持っているべきだと私は思います。」

うーん、本当にそうですね。(そして、耳が痛い)

「部下(コテツさんの場合は主に選手)をどう育てたのですか?」も教えていただきました。

「色々な場所から色々な背景を持った選手が集まってきて、それらの上に立って指導するのは難しい。私の長年の経験では、個々人の性質を知ることが大事だと思っています。

プロレスの世界なので、ちょっとやり方は厳しいかも知れませんが、たとえば、コイツは殴っても大丈夫か、とか、言葉なのか、とか。長州力は、叩いて育てました。でも、藤波辰爾は褒めて褒めて褒めまくると伸びるタイプだったので叩いてはいません。そうやって、一人ひとりを見極めるようにしましたね。」

あと、もうひとつ。

「対人関係をよくする⇒会社がよくなる⇒結局自分にも跳ね返ってくる、ので、相手を思いやる気持ちは大切なんです」と。

楽しい食事会でした。

*** 追記(2011年5月22日) ***

この食事会は、大学授業後、教授を交えたもの。2008年からずっとクラスメイトだったから。

山本小鉄さんは、本当にステキな紳士でした。電子書籍「コミュニケーションのびっくり箱」に「追悼文」を掲載していただいたのだけれど、奥様がとても喜んでくださって、思い切って書いて、ホントによかった。

小鉄さん、皆、元気にやってますよぉ~!

2010年1月15日金曜日

旧ブログ記事:偶然の再会(2010年1月15日掲載)

教室が「偶然の再会」の場になることも多々あります。

本日、こんな出来事がありました。

公開コースで複数社から受講されているクラスで、 「ああ、大学時代の同級生が!」と10数年ぶりの再会を喜んでいるお2人。

男性と女性で、学科が同じだったとか。卒業以来の再会が、当社のクラスルームで。 一緒にランチに出かけていらっしゃいました。

私もそういう経験をすることが多く、昨年は、こんなことがありました。

1.公開講座で。事前の名簿に「見たことのあるお名前」とは思っていたものの、半信半疑。教室に入ってぐるーっと20人ほどの参加者を見渡すと・・・。「あ!」いらっしゃいました。24年ほど前、私が新入社員だった時、同じ事業部の営業部員として活躍していらした大先輩が。「あのぉ、DECの時、新入社員でお世話になった田中ですが、覚えていらっしゃいますか?」「ああ」と。懐かしい。

2.とある企業へ1社研修の事前打ち合わせに。「研修実施の際に名簿をお渡ししますが、その前に1人だけ紹介しておきます」と担当者さんに言われ、打ち合わせの場に登場したのは、「20年前の上司!」。研修当日、元・直属上司に対してプレゼンテーションのFeedbackをすることほど緊張することはないものです。しかも、その上司の下で私はヒューマンスキル研修を立ち上げたので、恩人の1人でもありまして・・・。

世間は狭い。

それにしても、1.も2.も私がまだ「ひよっこ」だった時にお世話になった上司や先輩なので、気恥ずかしいというか、気まずいというか。「びえぇ~ん」と泣いていたことなど覚えていたら困るなあ、とひやひやドキドキしました。

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全く別パターンで、こんな経験もあります。

朝、自宅を出て歩いていると、路上で「おはようございますっ!」と男性に声を掛けられました。

「こんなところで知り合いはいないぞ」と思っていたら、前週の受講者でした。

聴けば、隣のマンションにお住まいだったのでした。

これはこれで焦ります。スーパーで出会ったりして?すっぴんで歩いているのを見られていたかも?などぐるぐると考えてしまいました。

2010年1月14日木曜日

旧ブログ記事:「不遇の時こそ勉強のチャンスだよ」(2010年1月14日掲載)

忘れもしない2004年夏の出来事です。

職場でちょっとした不遇に見舞われました。しばらく腐った気分でいたのですが、まあ、仕事は仕事。しょうがない。すべきことだけは粛々と・・・。しかし、やはり不遇だ・・・・。

不遇によって、時間的余裕が生まれ、「何をしようかなあ」なんて考えている時にある大先輩が話しかけてくださいました。

「淳子さんは、今、何をやっているの?」
「講師業だけです。それ以外はできなくなりました。役割が違うというので」
「ふーん、で、今、時間がある訳?」
「そう、今までは色んなことをやってきたのに、今はいつになく、時間に余裕があるんですよねぇ・・・。手足もがれた気分です。参っちゃう」
「あのね、淳子さん、”不遇の時こそ勉強のチャンス”なんだよ。時間があるなら、やりたいことをやってみたら?上司と無関係なところで」
「あ、そーですよねぇ。何か、やってみます」

というわけで、社外に目を向け始めたのが2004年の秋のこと。

それがどういう結果につながったかは、また別の話。

*** 追記(2011年5月22日) ***

この時、最初にしたのが、本の著者に会いに行く!でした。

大塚雅樹さん(当時、JTBモチベーションズ社長)に人づてで紹介していただき、プライベートで会いに行きました。その後、数年を経て、JTBモチベーションズさんと勤務先とでのアライアンスを組み、そして、とうとう、菊入みゆきさんとのコラボUSTREAMまで実現できました。

不遇がUSTREAMへ。

風が吹けば、桶屋が儲かる、みたいな話(笑)。


2010年1月13日水曜日

旧ブログ:社会人入試で大学生になった女性社長(2010年1月13日掲載)

昨日は、火曜日に通っている方の大学の授業、後期最終日でした。授業後、木曜クラス(火曜と教授は同じなので)の方と合同で懇親会があり、総勢13人でわいわいがやがや。

いろいろな年齢、職業、性別(性別は2種類だけれど)。

普段知り合う機会のない方たちとの会話はとても面白く、刺激的でした。

そんな中。

お1人の女性が「4月から大学生になります」と告白。 彼女はお子さん3人を育て上げ、社員300人ほどの企業を経営する社長です。

”大学生になる!”のだそうです。受験して。

「どうしてまた、社会人講座などではなく、正式に学生に?」とお尋ねしたら、 「お墓に入る時後悔すること何かなあ、と考えたら、大学に行くことだ、と思って、決心しました」と。

「社員の方はご存知なんですか?」
「ううん、ナイショ♪ 二部だからばれないと思います」なんておっしゃって。

凄いなあ。会社経営だけでも大変でしょうに、さらに大学生になる、とは。

大学は、「学びたい」人のためにあるんだよなあ、と今更ながら、再確認。

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宴もたけなわ。いろんな話が飛び出して、先週、お二人目のお孫さんが生まれた!という男性もいれば、 来週、入籍なんです!という女性もいました。

本当に「老若男女」(といったらいけないか?)なのです。

来週、入籍なんです!の彼女が、「新婚旅行はまだ先で、行き先は未定」と発言したら、クラスメイトで旅行会社勤務の男性が「うちで旅行組みませんか?」と猛烈にアピールしていたりして、本当に楽しい時間でした。

*** 追記(2011年5月22日) ***

上記、「お二人目のお孫さんが生まれた!」のは、山本子鉄さんです。すごく喜んでいらしたことを今でもよく覚えています。


2010年1月12日火曜日

旧ブログ記事:「他社事例を聞きたい」と言うけれど。(2010年1月12日掲載)

たとえば、OJT担当者研修とか、コーチングスキル研修などを担当していると、よくリクエストされるのが「他社事例を聞きたい」です。

私も今年で人材育成の講師業歴が丸24年(4月から25年目)になるので、それなりの事例ストックは頭の引き出しに入っています。

「このスキルなら、あの話」
「この知識なら、あの事例」
といくらでも出てきますので、リクエストに応じることはさほど難しくありません。

また、「他社事例」を沢山紹介すると、受講後のアンケートのコメントには、

「他社事例が沢山聞けてよかった」
「IT業界外の例も多く紹介してくれてよかった」

と書かれることも増えます。(つまり、講師評価が高くなる)

しかし、ちょっとだけひっかかるのは、皆さん、この事例をお聞きになって、その後、それをどう活用なさっているんでしょうか?です。

事例は、自社・自部門・自グループに応用してこそ意味があると思うのです。

「いい話を聴いた」
「楽しかった」
「笑えた」

で終わってしまってはいけない。

場合によっては、「この事例を自社・自部門に応用するとどうなるか?」を議論していただくこともありますが、たいてい、その途端に盛り上がらなくなります。

「事例はいいけど、うちとはちょっと違うしねぇ」
「上司が協力してくれないと」
「部下の資質にもよるし」

・・・

「事例を聞きたい」は、「聞いて気分がよい話」をすればよい、というのとは違って、それぞれの方が職場で生かしてなんぼ。

そこをどうつなげるか、もし、つながらないなら話しても無駄なのでは、と、そこが講師としてのジレンマにもなります。

講演なんかは「事例だらけ」でもいいと思うのですが、研修は、「事例が多けりゃいいのかなぁ」・・・と悩むところです。

もちろん、たまに「あの事例を自社に戻って、こう応用してみました!」という成果報告のメールを頂戴すると、意味があったんだなあ、と嬉しくなりますが、こういう話をお聞きするのは稀なんです。

なので、もし、効果があった、活用した、応用した、というお話があれば、遠慮なくどしどしメールなど、お寄せくださいませ。


2010年1月10日日曜日

旧ブログ記事:メガメートル(2010年1月10日掲載)

隣でブログをやっている横山哲也にお願いしたら「メガメートル」のことを書いてくれました。(※2011年5月22日注:今、横山も「ヨコヤマ企画」という新規ブログを作成しておりますが、この記事が移動させるかは現時点で不明です^^)

なので、お願いした責任で、私もメガメートルについて。

最近、老眼が進行し、近視めがねを掛けたままだと、目の前がよく見えません。食べているご飯の粒がぐちゃっと、あるいは、ぼんやりとなり、「ご飯の粒が立っていよう」が、「つやが出ていよう」が知ったこっちゃない状態です。なんといいましょうか。「一人闇鍋」になってしまいます。

元々近視だったので、普段はめがねまたはコンタクト着用ですが、こうなってくると、めがねのほうが楽なんですね。つけたりはずしたりできるから。コンタクトのままでは近くが全然見えない。自分の爪も切れない(ぼんやりしすぎて)。

10年くらい前に大先輩や上司達が「老眼で見えない」とか「この資料、文字が小さすぎる」と仰っていたことの意味がちーっともわからず(想像もつかず)、大変シツレイなことをしました。反省。

いやあ、でもこれ、体験しないとわからないです。説明ができない。想像もできない。だけど、たぶん、たいていの人がそのうち体験するので、悲観することもないかと思っております。

現時点での視力は、0.1メガメートルくらいかなあ。(と、無理やり結びつけてみました。⇒横山さん)

華麗なる加齢。

こーゆうオヤジギャグを思いつくところも、老人力が増した現われかと思われます。

*横山のブログを読んでいただければわかりますが、飛べない方もいらっしゃるかも知れませんので、答えを。(メガメートル=目が見ぇとる)

2010年1月8日金曜日

旧ブログ記事:朝イチメール。コータリさんの連載も始まりました!(2010年1月8日)

今日(1/8金曜日)からコータリさん(神足裕司)さんの朝イチ配信が始まりました。

さすがプロだなあー。文章のテンポとか言い回しがぜんぜん違う。

記事はケイタイのみからご覧になれます。「今日の朝イチ」または「朝イチメールアーカイブ」よりどうぞ(※2011年5月22日注:現在停止されています)

まあ、同じ土俵に上げていただいただけでも光栄で、胸を借りるつもりで頑張ります。私も。水曜日。

ところで、今日テーマのひとつになっていた「坂の上の雲」について、ぜんぜん関係ないことを思い出してしまった。

正月に実家に帰っていた時に聞いた話。

母曰く、「お父さんったら、”坂の上の雲”を”雲の上の空”なんて言っているのよ。間違えて」と。

確かに、坂の上には雲があり、雲の上には空がある。まあよい。

父は12月に78歳になったのだが、別にその年齢になったからいい間違えるというのではなく、40代でも50代でもよく言い間違えていた。

ティラミスというデザートがはやりだしたころ(20年くらい前?)には、「ニアミスってのが流行っているんだって?」と発言し、当時、大学でグライダー部に所属していた妹に「不吉なことを言わないでよ」と怒られていたし、

つい最近は、その妹の子ども(7ヶ月Baby)のことで、「おい、○○子、ちゃんとシートベルトは買ったのか?」と意味不明な質問をしていた。

「え?シートベルトを買ったのかって何?」と問い返すと、なぜか逆切れし、「シートベルトだよっ!」と怒鳴っていた。(昭和一桁はすぐ怒る)

何が言いたかったか、というと、「チャイルドシートは買ったのか?」であった。

家族は、「本当に言いたいことは何か」を推測し、正しく把握する能力が必要とされる。

結構疲れるのであった。

2010年1月7日木曜日

旧ブログ記事:願い事の前に「感謝」を(2010年1月7日掲載)

年末だったかに新聞のコラムを読んでいたら、「初詣の仕方」が書いてあり、「たしかにそうだなあ」と思ったことがあります。

二礼ニ拍手一礼。そして、「願いごと」と続けてしまいませんか?

たとえば、パンパンとした後で、「今年の試験、合格しますように」なんて祈ってしまう。

でもこれ、神様に対してちょっと礼を失していると。

まずは、「安寧に過ごせていること、つつがなく暮らせたこと」に対する感謝を述べ、それに続いて「願いごと」と言う方がよい、と言うのです。

パンパン。

   昨年はなかなかよい年でした。ありがとうございます。
  (つきましては)本年も健康で充実した一年になりますように。

って感じがよい、そうです。

これは、部下などに対するフィードバックと同じですよね。

「○○さん、次はこの仕事やってね」というより前に「さっき片付けてくれたこと、ありがとう。助かったよ」と言い、「じゃ、次はこれをやってね」と言う方が、指示された側も気分よく取り組める。

フィードバックの原則は、初詣にも通じるものがあるわけですね。

パンパン。の後に、「ありがとう」を。

神様だって、注文ばかり付けられるよりも、感謝も伝えてもらえた方が気分よくお仕事できるもんだ、と思います。

2010年1月6日水曜日

旧ブログ記事:チームの昭和の香りを!?(2010年1月6日掲載)

リーダー候補者層に「リーダーシップ実践」のためのワークショップを担当した時のこと。

自分の抱えるチームの課題をどう解決するか、それぞれがテーマを出し、話し合う時間にこんな発言が飛び出しました。

「チームにいかに”昭和の香り”を取り戻すかが重要という結論になりました」

・・・

「昭和の香り」とは何ですか?と問うと、 「全員で飲みに行くとか、結束力を高めるためのイベントとか・・・。ま、主に、飲み会ですね」 とのこと。

驚くのは、その場にいた方たちが20代後半から30代半ばだったことです。
仮に35歳だとしたら、1週間しかなかった昭和64年の時点で中学生?

就職していないではないですか。なのになぜ?

・・・

そういえば、別の企業で。

「田中さん、新人の育成をしているんですけど、何か問題が生じると、ボクはつい”じゃあ、まず、飲みに行くか”って言っちゃうんです。それって田中さんはどう思いますか?」

この方も30代半ばというところだったでしょうか。

何かあったら飲みにいく。

別に悪いことじゃないとは思います。一緒に食事する、オフィスではない場所で話をする、そういうことでリラックスしたトークができることもあるかも知れません。

しかし、です。

真っ先に挙げる選択肢が「飲みニュケーション」というのはどうなんだろう?

「昭和の香り」に多少囲まれた経験がある私(昭和61年入社)は、別に今さら戻ってもらわなくていいなあ、と言うのが正直なところです。(「今年の新人は酌しに来ない」と後からえらい人に怒られたり、「女性はここ」と座る場所を指定されたり、「社員旅行を欠席する理由」を綿々と書かされたり、とまあ、色々ありましたよ。遠い目。)

オフィスでの会話が減った。
チームの結束力が弱くなった。
お互いの考えていることや人となりがわかりづらくなった。

それをカバーするのが居酒屋なんだろか?
社員旅行なんだろか?

・・・んなこたあないだろう。

オフィスでできること。 Before5にできること。 まだまだ沢山あると思う。 タバコ部屋でもなくて、オフィスのど真ん中できちんとできることは沢山あると思う。

それができてから、夜、仕事<外>の話をするために居酒屋に繰り出すってのでどうでしょう? 飲まなくてもホンネトークはできるでしょうし、オフィスの問題は酒抜きでマジメに議論すればよろしい。

要は工夫次第だと思います。あとは、ほんの少しの勇気。

2010年1月5日火曜日

旧ブログ記事:人間ドックでオジサマに学ぶ。(2010年1月5日掲載)

私、35歳くらいから身長が再び伸び始め、今日とうとう160.0cmという、憧れ?の160cm台に乗せました。成長期が終わって以来35歳くらいまで158センチだったので、2cmも伸びた、あるいは、緩んだようです。すばらしい。

それ以外に、エコーでは、「肝臓に穴が開いていて空気(だったか、水だったか)が入ってます」と言われ、ぎょぎょっとしたのですが、「加齢によるものなので、気にしなくていいです」と。

「お節に飽きたらカレーもね」というCMが昔ありましたが、「お節が終わったら加齢だね」ってところです。

それにしても、その穴は塞がなくていいんでしょうか?

今日は、さすがに空いていまして、受診者もまばら。

すんごくステキなロマンスグレイのオジサマがお一人いらっしゃいました。重役風。

名前を呼ばれますよね。すると、「はい」と大きなよく通る声で返事し、「次は、胃のレントゲンです。ご案内します」などと言われると、「わかりました。ありがとう」と必ず返事とお礼を言うのです。

大半の受診者が無言で進行していく人間ドック。私も「はい」「お願いします」くらいは言いましたが、ロマンスグレイなオジサマは、必ず「ありがとう」と。

なんかいい感じでした。こういうのは、見習いたい。

こういうオジサマは、「白いヒゲ」など作らないような気がします。

ところで、もうひとつ自分の「強み」を思い出しました。

採血の際、左右の腕を見比べて、「こっちの方が出てますね」と血管が目立つ腕を差し出し、針が刺さるところから採血終了まで凝視する、というものです。

隣の女性が余所見をしているのを見て、おお、っと自分の強みに気づきました。

何でも見ておく主義です。

旧ブログ記事:バリウム(2010年1月5日掲載)

今日が仕事始めなのに、1日人間ドックです。はぁ~。

なぜゆえにこんなことになったかと言うと、例年10月から11月に受診する人間ドック。申し込みが多少遅くなったら年内は全部予約一杯でNG、年明け1日目ならOKよん、というお返事だったため。

しかし、こういう日に人間ドック、色んな意味でマズイ。

1つ:仕事始めですなあ。ほんと。
2つ:正月休み明けですなあ。まじで。

1つ目より2つ目の理由のほうが大きい。

体重計は、通常検査着分1キロを引いているようだけれど、正月特例で2キロ分を引いてくれないだろうか。

ところで、当社は35歳以上が人間ドック対象です。(他社ではどうなのか存じませんが)

職場でよくある会話。

「●●さん、えー、今年から人間ドック?そうかあ、もうそういう年になったのねぇ」
「××さんって、人間ドック組だったんだ。知らなかった」
「私なんて、もういつから人間ドックだったか、思い出せないわ」
「ボク、とうとう人間ドック・デビューしちゃいましたよ」

・・・・・

「人間ドック」が、何か人生の大きな節目になっているようです。

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「バリウム」の飲み方が上手です。白いヒゲを作らずに飲み切れます。

履歴書の「特技」欄に書くほどのことでもないけれど。

X線検査後、口をすすぐ場所で鏡を見た時、「白いヒゲ」がないと達成感を感じます。

隣に並んで立った重役風のオジサマ(赤の他人)に白いヒゲができていると、ココロの中で小さくガッツポーズをします。

人間ドックもちょっとした工夫で楽しむことができます。

2010年1月4日月曜日

旧ブログ記事:「やめる」より「始める」(2010年1月4日掲載)

今朝配信の朝イチメールで、平本あきおさんが年始にふさわしく「自分が変えたいこと」を成し遂げるための3つのヒントを書いていらっしゃいました。(3つ目のヒントに「なるほどぉ」と膝を打ちました。詳細はケイタイから「今日の朝イチ」または「アーカイブ」をご覧くださいませ。)

それでふと思い出したことを。

以前、ストレスマネジメントのトレーニングに参加した時、講師がこんな話をしてくださいました。

「何かをやめよう!と思うのは、とてもストレスになる。だから、何かを始めよう!と考えてみるとよい」と。

たとえば、

「夜遅くご飯を腹いっぱい食べたり、大酒飲んだりするのをやめよう。身体にもよくないし、やめなければ・・・」

と思いがちだけれど、それはそれで楽しみだったりしている人にとっては、「やめたいけど、やめられない」から続いてしまっているのだし、

だったら、

「夜遅い食事やお酒をやめよう」と思うのではなく、「朝ごはんはいつも美味しく食べよう!」と考える方法がある、というわけです。

「朝ごはんを、空腹の状態で落ち着いて美味しく食べたい!食べよう!」というのは、「朝ごはんをしっかり食べる」ことを始める、とも言えます。

「夜の暴飲暴食を止める」のではなく、「美味しい朝食を始める」。

そう考えると、自ずと「夜の暴飲暴食は多少控えよう」と行動が変わってくるでしょ?と言うのです。

面白い考え方だなあ、と思ったものでした。

さて、今年は「何を始め」ましょうか?私は、まだ考えている最中です。(遅い?)

2010年1月1日金曜日

旧ブログ記事:あけましておめでとうございます!(2010年1月1日掲載)

東京地方は、晴天に恵まれた元日でした。

半年通っていた「日本酒講座」でいただいた「屠蘇酒」。屠蘇散が入っているお酒です。
(不思議な香りがします。でも、美味しい)


日本酒講座の教室で撮った写真。

神社には、獅子舞が出てました。
(あちこちで、小さなお子様たちは号泣!)

今年もよい年にしましょう。

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「紅白」のスーザン・ボイルさんは、よかった・・・。