2009年11月29日日曜日

旧ブログ記事:「理想のリーダー」とは?(2009年11月29日掲載)

各社のリーダー研修、あるいは、マネージャ研修に携わることが多くなりました。

その場で挙がる話題の一つに「理想のリーダーとは?」があります。

上司から
「頼りがいがあるリーダーを目指してほしい」
「安心できるリーダーになってね」
「信頼されるリーダーになってほしい」
「存在感のあるリーダーになってくれ」
と期待を伝えられても、

「それはわかった。自分だってそうありたい。でも、いったい何をどうすればそういうリーダーになれるんだろう?」

と考え込んでしまいます。

唯一無二の答えはないから難しい。
他人と話し合っても、自身で悶々と悩んでも、答えはなかなか出てこない。

たとえば、

「ビジョンを示すこと」も「メンバの話をよく聞き、それぞれの思いを知ること」は大切だけれど、それができれば、「理想のリーダーなのか?」」といえばそれだけじゃあない。
「利害関係者との利害調整をしていくこと」も大事だけれど、それだけが「理想のリーダーか?」と言われたら、それだけじゃあ、やはりない。

ただ、ひとつ言えるのは、
「頼りがいのあるリーダーってどんな人だろう?」
「存在感があるリーダーとは?」
「安心できるリーダーになるには?」
を考えることにこそ、たぶん、意味がある。

誰かと話し合ったり、自問自答を繰り返したりしながら、自分なりの「理想のリーダー像」が見えてくるんじゃないかと思ってます。少なくとも、そうやって考えていくと、「自分がどういう人を理想だと思っているか」は整理・分析できますよね。

2009年11月28日土曜日

旧ブログ記事:久々かあさん:小学生があこがれる15F(2009年11月28日掲載)

「久々かあさん」で千葉県の妹宅へ。

15F建てのマンションの15Fに住んでおります。
マンションに到着。エレベータに乗ったらば、先客・小学3年生くらいの男児お二人。

「何階ですか?」と丁寧に訊かれたので、
「15Fです」とお願いしたら、ちゃんと「15」のボタンを押してくれました。

二人ともランドセル姿。

私を無視して始まった会話。

「15階かあ。いいなあ。」
「15階ってどんなに高いんだろう?」
「15階だったら、きっとキゼツしちゃうよ。」
「キゼツはしないだろう。」
「15階、行って見たいなあ。」
「俺、行ったことあるよ。」
「高い?」
「うん、高い。」
「いいなあ、俺さあ、15階に住みたかったなあ。」

・・・・・

かわゆい。

二人は8階と12階で降りていきました。

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甥っ子は、生後6ヶ月(修正月齢では4ヶ月ですが)。

寝返りの猛練習中でした。あくまでも自主トレ。全身がCの字になるほどのけぞっておりました。何度も。

正月には寝返り姿を見られるかなあ。

オトナの「寝返った」はネガティブな言葉ですが、お子ちゃまの「寝返り」は成長の証ですね。

旧ブログ記事:電話の方が「シツレイ」!?(2009年11月28日掲載)

今日はちと面白い話を聴きました。

「以前は、メールを送る際に”メールにてシツレイします”と言ったものだけれど、最近は、逆に電話をかけた時に”電話でシツレイします”という感じになってきているらしい。メールで済むことはメールで。電話だと他人の時間に割り込むわけだし。電話のほうがシツレイだ、という風に捉える人が増えているらしい」

とのこと。(ある記者さんが多くの企業の現場でインタビューした結果、聞こえてきた声だそうです。)

あ、そういえば、私も

電話の数<メールの数

という状態がここ数年続いています。

本当に電話をかけなくなった。かかっても来ないけれど。

本当は顔を見て、アナログの会話をしたほうがいいのだけれど、ついつい、「割り込んでしまうかな。仕事の邪魔になるかな」などと考え、躊躇します。

「電話でスミマセン」
「電話でごめんなさい」

という、つまり、「電話をするのはマナー違反」と捉える時代になってきたのかな。

こういう話を聴くと、色々なことを(わが身を振り返りつつ)考えさせられますね。

2009年11月27日金曜日

旧ブログ:世間は狭く(2009年11月27日掲載)

昨日は大学の日(今季は、火曜・木曜の2科目とってます)だったんですが、木曜日クラスの方の飲み会がありました。

授業後なので20時半~。

自己紹介とか名刺交換をしていたら、
「あの、私、田中さんと以前会ったことありますよ」
と、ある女性から。

ん?

聴けば、フリーライター&編集者で、私は取材をされたことがあったそう。

取材をされたことがあった・・・。という言い方は変なのですが、とある媒体の取材を受けたことがあり(それは覚えている)、その席にいらしていたライターさんだったそう。(たいてい、取材者のお顔も覚えているんですが・・・。どうもスミマセン)

んなことより、ですよ。

どこで誰と再会するかわかりません。

当たり前だけど、当たり前のことではあるけれど、いつでも人間関係はきれいにしておかないといけないなと改めて思いました。

人間関係はきれいに・・・とは、いつでも丁寧に、きちんと応対しておかねば、という意味です。

それにしても、世間は狭い。2-3年前に取材してくださった方と今はクラスメイト。オドロキました。

2009年11月25日水曜日

旧ブログ記事:見知らぬアメリカ人たちが・・・(2009年11月25日掲載)

「コーチング」の研修で、「あなたが勇気づけられた体験を話してください」という演習があります。

そこで聴いたエピソード。

・・・・・

「アメリカで野球の試合を見ていた時のことです。

客席に飛び込んできたファールボールが、近くにいたアメリカ人のおでこに当たり、さらに私の方に飛んできました。

思わずキャッチして、「やった、ラッキー!ボクのもんだ」とポケットに入れてしばらくすると、最初にボールをおでこに受けたアメリカ人が救護室に運ばれていったんです。

しばらくしたらその人はまた客席にちゃんと戻ってはきたのですが、ただ「ラッキー」と思っている自分もよくないな、と気がとがめてきて、その「ボールがあたったアメリカ人」のところに行って、「はい、このボールはあなたのですよ」と渡しました。

そしたら、今度は周囲で何人かが話し合いを始めて、その内数人がスタッフを呼んで、何か言っているんです。 で、スタッフから投球練習に使うボールを1個もらってきてくれて、

「これ、キミの分だ」と渡してくれました。

自分は人がおでこに当てたボールを一瞬でも自分のものだともらおうとして、まあ、返しはしたけど、
それを見ていた、全然関係ない、他人同士のアメリカ人たちがボクのために話し合って、スタッフにかけあってくれて、あらためてボールをもらってきてくれたんです。

自分は、関係ない他人のためにこんな風に何かをしてあげたことってないなあ、と思いました。

この出来事から、赤の他人はともかく、身近な人にもう少し何かをしてあげるということも必要じゃないかと意識するようになりました。 」

・・・・・・・・

いい話です。

ボールを返した彼も。代わりのボールをもらいに行ってくれた赤の他人のアメリカ人も。
そのことを思い出としてずっと覚えていることも。 それを仕事場で生かそうと思うことも。

そして、ちょっとだけかっこ悪いかも知れない思い出を研修の場で、また他人に話す勇気も。

講師をしていると、こういう、身近な「とてもいい話」「すてきな思い出」を聴くチャンスが多く、それらエピソードから学ぶことも沢山あります。

ところで、この話を聴いたその日から読み始めたのがグーゼンにも以下の本でした。
●エドガー・H・シャイン『人を助けるとはどういうことか』英治出版

シャイン氏の弟子でもある金井壽宏さんが監訳をなさっています。

英語タイトルは、”HELPING - How to Offer,Give,and Receive Help” とあります。

支援するだけでなく、支援をどう受け取るかもテーマなのですね。(まだ読み途中なので、現時点では詳細不明ですが)

2009年11月24日火曜日

旧ブログ記事:パパと息子たちと絵本(2009年11月24日掲載)

飛び乗った地下鉄車両のドア付近、パパと息子2人。息子ちゃんたちは、推定7歳と4歳ってところか?

たぶん、フランス語。もしくは、フランス語に似ている言語。そう、3人は外国の方でありました。

パパは、スーツをお召しで、息子ちゃんたち2人はカジュアルな服装。推測するに、パパが息子ちゃん2人を学校に送りがてら、出勤なのでしょう。

さて、その息子ちゃんたち。

子供なので、じっとしているわけなく、おしゃべりしているし、もじもじ、そわそわしている。

その様子を見ていたパパは、それぞれに「絵本」を渡したのでしたよ。ちっちゃい弟君は、最初の絵本に飽きて、また何かフランス語(だと思う)で、ぐずぐず言い始めたのですが、パパは、リュックから別の絵本を取り出して渡しました。今度は、アニマル・・と書いてある、動物に関する手のひらサイズの絵本。

お兄ちゃんのほうには、図鑑みたいなのを渡していました。

20分ほどずっと近くで様子を見るともなく見ていたのですが、パパのリュックには沢山の「子ども向け」本が入っていて、お兄ちゃんには、「ほれ、これ」、弟ちゃんには「これ、読んでご覧」とばかりに次々出すのです。

お兄ちゃんの図鑑を覗き込みながら、お兄ちゃんがなにやら言っているのをパパがちゃんと受け答えしている。(なんせ、フランス語(だと思う)なので、全然ヒアリングできず。)

いいなあ・・・。いいなあ・・・。

あのですね、ふと思ったのです。

こういう場面で、子供に絵本を次々渡す日本人のパパってそんなにいないんじゃないかな、と。ステレオタイプな想像で申し訳ないんだけれども、日本人の子供は、ゲーム機ピコピコさせてそう。

お父さんもおにいちゃんもケイタイぴっぴっとやっていそう。

このフランス語(だと思う)を話す親子3人(全員男性)は、電車の中で絵本や図鑑を広げ、それについて親子の会話をしていたのでした。

いいなあ・・・。いいなあ・・・。

こういうの、とても好きだなあ・・・・・。 と思った今朝の出来事でした。

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今週は、日中社外に出て研修しているので、ブログの更新は、夜になります。たぶん。

で、今日、受講者さんからとてもすてきな話を聴いたのですが、朝の親子の話を書きたかったので、受講者さんのすてきな話はまた後日。


2009年11月23日月曜日

旧ブログ記事:「深夜食堂」がいい!(2009年11月23日掲載)

「深夜食堂」というTVドラマがなかなかよい。 TBS系で水曜日の真夜中(水曜夜中は”TBS”だけみたい)にやっています。

予約録画してあったのをこの連休にまとめて観てみたのだけれど、出てくる食べ物(ポテトサラダだの卵焼きだのあるいは、この店の看板メニューの豚汁だの)がどれもこれも全て美味しそう。

食べ物の監修に「飯島奈美」さんが入っていたので、なるほど、と思いました。(映画「かもめ食堂」と同じですね)

原作は漫画で、ドラマがよかったので漫画も買ってしまいました。

そしたら、まあ、あなた。
ドラマの登場人物の、漫画の雰囲気とぴったりなキャスティングったら。

「深夜食堂」の店主は小林薫さんがやっているんだけれど、とてもいい味出しているんです、これが。
グルメ番組ではないので、舞台の「深夜食堂」はホントに家庭で食べるようなものを出すんです。

食事に来る人もほんとに庶民、庶民。

それぞれに食べ物にまつわる思い出だったり、ドラマだったりがあって。 (お母さんの得意なポテトサラダ、とか、貧乏な時に食べたバターライス<暖かいご飯にバターをひとかけらのせて、しょうゆをちょこっとかけるだけ>だったり・・・)

TVの方は、最後にその日扱ったメニューの、作り方を伝授してくれます。

食堂のセットもいい味出してます。(TBS公式サイトにメイキングみたいな映像もある)

TBSの公式サイト

※「MOVIE」というメニューを開くと、デモ映像を見ることができます。

※ これまでに登場したメニューは写真入りで・・・。美味しそう。


「深夜食堂」(原作)のサイト

※ レシピ本も出版されたようです。

・・・・・

番組ではオープニングの映像で、豚汁を作る過程が映ります。 これを見て、私も豚汁を10人前ほど作ってしまいました。

番組を見ていると「ああ、これを作って食べてみたい」と思えてくるようなメニュー満載です。

そういえば、ふと・・・。母から習っておきたいレシピも沢山あります。

正月休みに教わってこようかな。

2009年11月22日日曜日

旧ブログ記事:「させていただきます」の嵐(2009年11月22日掲載)

芸能人(でなくてもいいんだけれど)の交際宣言というのは、たいていの場合、

「○○さんとお付き合いさせていただいております」

という表現を使うもんだな、と、日曜日のNEWSバラエティ番組を見ていて改めて思った。

以前から気にはなっていた。

「○○さんとお付き合いさせていただいております」 は、身内だけでつかえばいい表現ではないか?

たとえば、山田太郎さんと鈴木花子さんがお付き合いしている。
山田太郎さんが、鈴木花子さんちに挨拶にいく。
花子さんの両親に対して、
「花子さんとお付き合いさせていただいてもよろしいでしょうか」
とか

「花子さんとお付き合いさせていただいています」 なら、まだわかる。

花子さんが太郎さんの両親に対して、「太郎さんとお付き合いさせていただいております」 もわかる。

取材の相手(はたまた、TVのこっち側の視聴者)に対して、「お付き合いさせていただいています」って。 

変なの。

そもそも。

させていただく、とは、「許可を得て・・・」というニュアンスがあると思うのだ。

「山田太郎さんとお付き合いしています」 というほうが数百倍潔いと思うのだけれど。

あ、そういえば、「させていただく」は、色々な方面に進出していて、

こんなのも聞くことがある。

「当社のこの新製品には、”××”という名前をつけさせていただきました。」

え?別に「という名前をつけました」「という名称にいたしました」でいいんでないの?と思う。

こんなのも聞く。

「お客様、このコートにはアンゴラを入れさせていただいたのですよ。」

別に許可してないけどぉ~・・・とへそ曲がりの私は思う。

最初の話に戻るけれど、その内、「入籍させていただきました」と言うんだろうなあ。


「○○いたしました」
「○○しました」
「○○します」
「○○しています」

を強く推奨したい私です。

2009年11月20日金曜日

旧ブログ記事:「店長を呼べ!」って、ホント?(2009年11月20日掲載)

帰りに寄った「夜遅くまでやっている大型スーパーマーケット」にて。

レジを終えて、袋詰めをしていると、遠くのレジから聞こえる

「店長を呼べ。お前、俺はさっきから並んで%#$W4gv"9なんだよ$459aj2#!(途中、聞き取り不能)」と怒鳴っている男性(スーツ姿)の声。

う、コワっ、と思ったら、その声に反応して、今度は、隣で袋詰めしていたおじい様(70代?)が

「うぉーっ」とドでかい声で応戦というか咆哮。2回も。
(たぶん、「やめろ!」という威嚇だと思うのだけれど、これはこれで怖い)

くわばら、くわばら。

折角の金曜日。
折角の三連休前。

ココロがわさわさする場所からは早く逃げよう。

彼は何にイライラしていたんだろう。

アサーションという考え方とスキルを勉強すると、もっとお互い気持ちよく会話できると思うんだけど。

それにしても・・・・。

「店長を呼べ!」

本当に言うんだ。生で初めて聞いた。

こういう場面で思うこと。

言われたアルバイト君(学生風)。「今日はどんな週末の夜を過ごすだろう?怖かっただろうな」
怒鳴っていたビジネスパーソン風男性。「家で美味しいお酒、飲めるのかな?」

平和で穏やかな気持ちですごせる日々こそが一番幸せなのだと思う。

それぞれに、happyな3連休でありますように。

(あ、私は、「久々かあさん」予定です。)

旧ブログ記事:大人数の講演でも演習つきなんですよ(2009年11月20日掲載)

今日はあるクライアントの全社イベントに招かれ、90分の講演をします。

「チーム力を向上するためのコミュニケーション術」といったタイトルです。最大で300人くらいの方が集まるそうです。

普段、研修の仕事をしていますので、クラスの人数というのは、最少で3人くらい、最大で3-40人といったところです。

50人を超えると、研修というよりは、セミナー。100人を超えると、セミナーというよりは、講演、という感じになります。(あくまでも語感・イメージですが)

研修は、聴き手に問いかけたり、聴き手から発言をしてもらったり、質問を受けたりと、双方向に進めますが、「100人も200人もいたら、演習は無理でしょ?」と言われることがあります。

でも考えてみたら、もし自分が聴き手だったとして、90分もじーっと他人の話を聞き続けるのは、苦痛ですよね。「私にも考えがある」「私にもしゃべらせろ」という気持ちにもなるんじゃないかと思うわけです。

なので、60分100人、でも、 90分200人、でも、2時間400人・・でも、必ず、演習を入れるようにしています。

今まで体験した最大の参加者数は400人でしたが、これは、出版社主催の読者イベントでした。そして、この400人が人生初の「大人数」向け講演だったのです。

講演初体験だったこの時はさすがに演習を入れるのに勇気が要りました。

しかし、やってみよう!と思ったので、挑戦。

「今から、隣の方同士で○○について話し合ってみてください」 と壇上から言いました。

一か八かですね。誰も協力してくれなかったら、しーんとなるだけですから。

出版社の方は、「ア、田中さん、本当に演習入れちゃった」とあせったそうです。それまでに「3-400人規模」の講演で、会場中の人に同時に何かをしてもらうというのを見たことがなかったからだそうです。(私も見たことありませんでしたけど)

そこで、会場の四隅に立っていたスタッフは、もし誰も動かなかったら、会場を走り回り、参加者に「よければ、やってみてください」と声を掛けようとスタンバっていたそうです。

一方、壇上の私は、『400人に演習してもらう・・は初挑戦だけれど、”はい、やってみてください”と言ったあと、壇上でずっと黙って待っていたら、きっと皆さんは動き出すだろう』と覚悟を決め、ひたすら黙っていました。

数秒後。

あちこちでペアができ、わさわさ、ざわざわ・・・わーーーと会場中、誰も彼もがペアや3人組で話す光景が見えてきました。

一度これができたら、後は気持ちに余裕が生まれました。会場も和やかムードに。

結局、この時は3回くらいペアワークを入れて、60分の講演を終えたのでした。

後で編集長が、「田中さんさあー、何をするかと思ったよ。あせった。でも皆さん、案外やってくれるんだねー。楽しそうだったね」 とおっしゃっていて、「そーゆうもんです!」と胸を張って答えたものでした。(内心は、バクバクだったんですけど)

というわけで、それ以来、何人であっても演習つきで行うことにしています。

そういえば、最近の講演(どなたのものでも)は、たいてい演習つきですよね。(演習とは「隣同士、話し合ってもらう、とか、何か書いてもらって、それを見せ合うとか、ちょっとしたワークのことを言っています。)

今日も5回くらいは演習を入れます。クイズとか隣同士で情報交換など、です。楽しみ。

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実は、最初の400人イベントは、私以外に2人が講演されました。

出版社の会議室に集まっての事前打ち合わせの時、他のお2人が、「あのぉ、全員で何か演習をしたいのですが、いいですか?」とか「会場を歩き回りたいので、ピンマイクで」なんておっしゃっていたので(私より10歳も20歳も年長の大先輩たちです)、

「あ、それなら、私も何かやらねば」と準備して当日に臨んだのです。

トップバッター。・・あれ?演習しないな。
2人め。・・・・あれ?話して終わっちゃった。

まじっすか?

真に受けた私は、沢山の演習を仕込んできちゃったし、配布資料にも入っているんですけどぉ・・・と舞台袖でド緊張モードに突入。

ええーい、やってしまえ!と決断した、というのが、裏話です。

でも、あの時”ダマされて”よかった、と今は思います。挑戦する機会が得られたのですから。

どんな時も人生は「偶然」に左右されます(笑。

2009年11月18日水曜日

旧ブログ記事:取材依頼(2009年11月18日掲載)

ある編集者さんとの思い出です。単発原稿の寄稿者として3-4回お世話になったことがありました。

毎度、原稿には、激しい突っ込みが入り、何度も何度も打ち合わせ、直しを繰り返す・・・。決して妥協しない。

「これは、なぜ、こういう風になるんですか?」
「理由は?」
「こういう考えもあるんじゃないですか?」

ある時は、こちらから編集部にお邪魔して、18時から23時くらいまでずーっと議論したこともあります。夕飯も食べずに。

何度も、「もう、二度と一緒に仕事しない!」と言いました。(と言えるくらいの信頼関係はあるわけですが)

そんな風にキレつつも、完成した記事はとてもよく読まれ、読者評価もそれなりに高かったようで、後日、「ほらね、いい仕事になったでしょ」と言われて、仲直りする。この繰り返し。

寄稿ではなく、取材を受けたこともあり、インタビューでもそのしつこさは変わらず、

「田中さん、さっき、こう回答したけど、今の答えと矛盾ありませんか?」
「こういう言い方をする人もいますが、それとどう違うんですか?」
「それってほんとに現場でよくあることですか?」
など。 (こう書くと、大したことないように思えるでしょうが、なんというか、実に細かいことを全て明確にしようと突っ込まれるのです。)

とにかく、しつこい。厳しい。

でも、記事になると、とてもステキにまとまっていて、「ほらね、いい仕事になったでしょ」とまた仲直り。

・・・

その伝説の厳しい記者(兼 編集者)さんから取材依頼がまた来ました。

ありがたや、ありがたや。

・・・うふふ、いいチャンス。

「活きのいい後輩が取材にお答えしますわ」 というわけで、近々、後輩達が取材対応をすることになりました。 

あのしつこさに喰らいついていくことで、とても鍛えられると思ったので。

こだわりのある人と仕事をするのは、とてもいい勉強になるんです。

ちなみに、私の周囲では、「原稿を厳しくしつこくチェックすること」をこの方の名前を取って「山本(仮名)チェック」と言います。
「あ、このテキストの原稿、山本(仮名)チェックしてもらえます?」
などと使います。

2009年11月17日火曜日

旧ブログ記事:学習性無力感:「無力感」を「学習」する(2009年11月17日掲載)

SI企業に勤める役員の方から聞いた話です。

彼が一部門の本部長をしていた時、ものすごく大きな(数百人規模)プロジェクトの「火消し」を任命され、途中からPM(Project Manager)になったことがありました。

まあいろいろあって、数ヵ月後にプロジェクトは終結させたのですが、その後、コアメンバ十数人だけで反省会をしたそうです。

その中で、こんな話が出たといいます。

「実は・・・私たちは、かなり早い段階から、まずい、やばいと思っていたんだけど」

・・・。

「それをリーダーや上司に何度か進言したものの、言っても何も変化しないことが多く、その内、言うのを止めてしまった」

・・・。

このPMは、「そうか。誰もが問題を認識していたのに、コミュニケーションが阻害されたことでメンバ全員の無力感を増幅させていたのか。だから、こんなに火を噴いても誰も何もしなかったのか」と驚いたのだそうです。

つまり、プロジェクトのマネージャやリーダー、サブチームのリーダー、サブリーダーといった立場の人間だけでなく、一人ひとりのメンバも問題を認識していたし、そのことは早くから意見もしていたのだけれど、誰に何を訴えても何も変化しない(していないように見えた)ため、だんだん言うのは止めて、プロジェクトがおかしくなることは肌で感じつつも、自分から動くのは止めてしまったのだというわけです。

セリグマンという心理学者が「自分ではこの状況をどうすることもできない、ということを”学んで”しまった状態」を「学習性無力感」と名づけました。

自分ではどうすることもできない、何をやっても無駄だと思う体験を何度も繰り返してしまうと、自分は無力なのだということを「学習する」だけでなく、、仮に「自分の力で打開できる、状況を変えられる」という状態になっても何もしなくなってしまうのです。

メンバの動機づけについて悩むマネージャやリーダーは多いことでしょうが、自分のチーム運営が「学習性無力感」をもたらしていないかどうか、時々振り返ってみることも大事なのでしょうね。

2009年11月16日月曜日

旧ブログ記事:言葉を定義する(2009年11月16日掲載)

どの研修コースでも冒頭で「用語」の定義をします。それなしに話を進めると「それは何か?」の認識がずれたまま学習することになるからです。

たとえば、「コミュニケーション・スキル」研修であれば、「コミュニケーションとは?」を定義する。

「プレゼンテーション・スキル」研修であれば、「プレゼンテーションとは?」を定義する、といった具合です。

テキストにちゃんと定義は書いてありますが、たいていの場合、まずは「皆さんは、”コミュニケーション”をどう定義しますか?」という問いかけから入ります。

小グループでディスカッションしていただき、まずは、自分たちの考える「定義」を模造紙に書き出していただくこともあります。

この時に気をつけなければならないことがあります。

それは
「それって本当に定義ですか?」
ということです。

「コミュニケーションとは何か?を定義してください」 というお題を出したとします。

挙がってくる「定義」にはこういったものがあります。

A.言葉やジェスチャーなどを使い、情報や考えや気持ちなどを交換すること
B.会話やメールで、互いの持っている知識を理解しあうこと
C.生きていくために欠かせないもの
D.自分と相手とで理解を深めるために会話すること

・・・

さて、この中でひとつだけ異質なものがあります。

C.生きていくために欠かせないもの(こと、でもよい)

です。

これ、定義ではないんですよね。

A.コミュニケーションとは、「言葉やジェスチャーなどを使い、情報や考えや気持ちなどを交換すること」
B.コミュニケーションとは、「会話やメールで、互いの持っている知識を理解しあうこと」
C.コミュニケーションとは、「生きていくために欠かせないもの」
D.コミュニケーションとは、「自分と相手とで理解を深めるために会話すること」

全部、文章は成り立ちますが、主語を変えてみたら、Cが定義でないことはわかります。

「コミュニケーション」を「ほげらまぴん」に変えてみましょう。

A.ほげらまぴんとは、「言葉やジェスチャーなどを使い、情報や考えや気持ちなどを交換すること」
B.ほげらまぴんとは、「会話やメールで、互いの持っている知識を理解しあうこと」
C.ほげらまぴんとは、「生きていくために欠かせないもの」
D.ほげらまぴんとは、「自分と相手とで理解を深めるために会話すること」

A、B、Dは、「ほげらまぴん」とは「何か」がわかりますが、

Cの場合、「生きていくために欠かせないのはわかった、だけど、じゃあ”ほげらまぴん”って、結局、なんなんだよ!?」と突っ込みたくなります。

「コミュニケーション」という行為を定義する場合、「それが何をどうすることか」という”行為”の説明がなされていないといけないわけです。

「○○について定義してください」と言われた時、主語を「ほげらまぴん」に変えても、それが何かが通じる説明になっているかどうか、 を一度チェックしてみるとよいと思います。

これは、講習を進める講師側、ファシリテーションをするファシリテータ側も意識しておかねばならないことです。

※ ちなみに、「ほげらまぴん」とは、今適当に作った言葉で、何の意味もありません。
※ さらに、「定義」はあくまでも「ここでの定義」でOKです。参加者間での認識合わせを行うものだからです。


2009年11月14日土曜日

旧ブログ記事:「よろしかったでしょうか?」(2009年11月14日掲載)

先日(2009年11月11日配信分)の「朝イチメール」で、「よろしかったでしょうか?」と尋ねられることのフシギを書いたところ、後で何人かから「あれは、私も最初、ビックリした」という声を頂戴しました。

それでですね、他にも奇妙だなぁと思う「ファミコン言葉」をちょこっと書いてみようと思います。

ここ1年くらいの記憶をたどって。

●1つ目。

「743円です」 と言われたので、743円ぴったり(端数まで)を出す。

すると、「743円でよろしかったでしょうか?」 と聞かれまして、これ、ビックリです。

「1000円」を出したなら、まだ「1000円でよろしかったでしょうか?(=小銭を出す気はありますか?)」と意訳できるのだけれど、ぴったり出して、さらに「よろしかったでしょうか?」の意味はなんだろう?

●2つ目。

夜遅くにふらっとコンビニに立ち寄ってしまい、欲しいものもなかったもののなんとなくそのままは出づらく、「ポテトチップ」一袋をカゴに。

レジで「温めますか?」 と聞かれました。

すんごくビックリした出来事です。

どんなことでも自動的に口から出ちゃうのでしょうね。
気持ちはわかる。

=============

「朝イチメール」、原稿を1ヶ月分以上先行して出しています。

先日、プロデューサー氏に褒められました!

「田中さんだけです。1ヶ月分も先行しているのは」と。(契約上は2週間でOKなんです。)


褒められて育つタイプです。

2009年11月13日金曜日

旧ブログ記事:宇宙に持って行きたい”うまい棒”(2009年11月13日掲載)

「宇宙にもっていきたい3つのモノ」続きがありましたー。

演習の一こまだったので、講師役の方は、「全員に考えてもらう」まではやったものの、「全員に聞いてみる」までには至りませんでした。

そこで、研修中毎日、朝イチや昼イチに「3人ずつくらい」に聞いてみよう!というルールが生まれまして・・・。

とある例がとてもステキだったので、ご本人の承諾を得て、掲載します。

「ボクも3つのものを考えてみました。真っ先に家族。でも2つ目以降が見つからないのです。モノに執着心がないものですから。で、それじゃあ娘に聞いてみようと思って、夕べ、娘に聞いてみました。」

この方は5歳の双子ちゃん(Lady)のパパです。

「Aちゃんは、ピアノをやっているんですけど、ピアノを持って行きたいといいました。理由は?と聞くと、お星様の歌をお星様の近くで弾きたいなんていうんです。わが娘ながら、”かわいぃぃ”なんておもっちゃって。 で、Bちゃんに聞いてみると、双子なのに、全然性格がちがうんですけど、”うまい棒”って言うんです。Bちゃんのマイブームがうまい棒なんで・・。なので、ボクが宇宙にもって行きたいものは、「家族」と「ピアノ」と「うまい棒」です」

・・・・・

拍手喝采の朝のアイスブレークとなりました。

その隣で聞いていた男性が「じゃ、ボクも娘に聞いてみようかなぁ。きっと山Pとか言うんだろうなあー」。 お嬢さんは15歳だそうです。
(で、後日判明した「15歳少女のもって行きたいもの」には、山Pは含まれず、その代わり、ケイタイが入っていたそうです。さもありなん、ですね。)

この「宇宙にもって行きたい3つのモノ」。家族との会話にも役立つみたいですよ。

私は、いまだに3つが決められません。

が、第一にやはり、
●家族
かな。
次が
●積読されている全ての本+今買いたいけど我慢している全ての本
3つ目が問題です。

もうしばらく考えてみます。

皆さんの「3つ」は何ですか?よければ、ぜひ教えてください。


2009年11月11日水曜日

旧ブログ記事:宇宙に持って行きたい3つのモノ(2009年11月11日掲載)

あるところで「トレイン・ザ・トレーナー」という講師養成講座を実施しました。

「研修の開始部分だけ体験してみましょう」というテーマで、一人ずつ前に出て、デモンストレーションをしていただきました。

それぞれ工夫を凝らした「開始(オープニング)」を実演してくださいます。

とても面白かったのか、コレ。

「地球が滅亡するとして、宇宙に行かなければならなくなったとします。
宇宙に行く時に3つだけ持って行っていい、と言われたら、何を持って行きますか?
運ぶ際のロケットのサイズだとか、宇宙での衣食住の心配はないものと思ってください。」

全員がポストイットに「自分が持って行きたい3つ」を書きます。

講師役の方が「では、一人ずつ聞いていきますが、まずは、私から。」 と言って紹介したのは、以下の3つでした。

「第一に、家族です。家族は大事なので家族を連れて行きます。
次に、家族で旅行するのに使っている大きな車を持っていきます。
最後は、野球道具です。下の息子が野球をやっていて、僕も野球が好きで、息子にはずっと続けてほしいと思っているので、野球道具一式です。」

他の方は、
「私が持って行きたいのは、ランニングシューズとトレッドミルです」
とか
「剣道の防具と稽古の相手もしてくれる大切な家族です」
などと挙げていきます。

この「アイスブレーク」の方法は、

●自分が何を大切だと思っているかを深く内省するのに役立つ
●他者の大切なものとそのストーリーを聞くことで「そういうものの見方があるのか」と新しい視点を得られる

といった効果もあります。

このデモンストレーション終了後、「今のはオリジナルですか?」とうかがったら、以前参加した何かのイベントでやったものを真似してみました、ということでしたが、面白いワークですね。

皆さんなら何を持っていきますか?

私はもう2日も考えているのに、3つが思いつきません。うーん、こまった。

2009年11月8日日曜日

シンデレラ?

あるお客様の大阪オフィスで研修を担当した時のことです。(東京会場・大阪会場で合計9クラス同じ内容で実施しました。

東京から人材育成担当の方も事務局として大阪にいらっしゃっていました。

講義が始まって30分もしない内に、悲劇が起こりました。

教卓の真下にあった、ケーブルなどを埋めるための穴に私のパンプスのかかと部分がすぽっとはまり、しゃべりながら足を抜いたら、ヒール部分がはがれてしまったのです。(カーペット敷きだったので穴が見えなかった)

このパンプスは、かかとと靴底全体が一体型という珍しい作りだったため、靴の裏面半分(土踏まず近辺)まで全体がはがれていました。(かかとだけがぽろっと取れるよりもタチが悪い)

歩こうにも歩けない。ぐらぐらして歩けない。昼休みまではまだ2時間以上ある。

うーん、こまった。とりあえず、何もなかったフリして講義を続け、演習に突入。

そこで、ゆるりゆるりと歩き、後ろに座っていらした担当者の方(男性お二人)に

「あのぉ~、アロンアルファみたいなもの、ないでしょうか?」
「どうしたんですか?」
「実は、これが・・・」と右足をひょいっと持ち上げて見せました。

「ありゃー、これ、どうなっちゃっているんですか?」
「私にもよくわかりませんが、そこの穴にはまって、靴底が半分以上はがれました。接着剤でむりやりつけちゃえばなんとかなるかと」

・・・

「とりあえず、靴のままだと危険なので、脱いではいかがですか?」

と提案され、

「はだしで研修してもよいでしょうか?」と間抜けな問いをし、両足とも靴を脱いで(スーツ着て、です)、はだしで研修を続けました。

この段階では、参加者15人くらいにも事情を話して。

その内、どなたかがスリッパ(自宅にあるような)を持ってきてくださって、一人、オフィスでぺたぺたと。

ランチタイム。

「靴屋さんに行って修理してもらおう」と思っていたのですが、昼休み中に解決しないと研修に影響するという理由で、担当者の男性二人が「僕達が行ってきます!」と私のパンプスを抱え、オフィスを出て行かれました。

普段東京勤務の担当者さんにとっても土地勘のない場所なわけです。 大阪オフィスの方に「あの地下街なら靴の修理があるんとちゃうか」とアドバイスされ、行ってくださいました。

昼前に戻ってこられ、一緒にお弁当を食べながら伺った話によると、

「中の釘が曲がっているので、応急措置しかできないけど、できることはやってみる。乾くまで時間がかかるので15時ごろまた取りに来て」 と言われたそうです。

研修は17時半まで。

私はスリッパで研修を続け、担当者さんは、16時ごろ再び私のパンプスを取りに地下街まで走ってくださいました。

研修終了後、応急措置だけされたパンプスをはいて、そっと梅田まで歩き、その足で大丸に入って「なんでもいいから靴を」と買って、新幹線で帰途に着きました。

それにしても。

靴の修理やさん。

「スーツ姿の男性二人が、パンプス一足を持って修理に来た様子」 をどう解釈したのでしょう?

お局様に命じられた・・・と思われたのかしら。

あの時の担当者のお二方、この場を借りて、再びお礼申し上げます。 助けてくださって、ありがとうございました。

人生、「何が起こるか」予測不能です。

2009年11月7日土曜日

旧ブログ記事:「食間」とは?(2009年11月7日掲載)

以前「奇病列伝」で紹介した「中心性網膜症」を患った時のこと。

レーザーで手術?する道は選ばなかったので、投薬治療でした。「これ!」という即効性のある薬がなかったようで、漢方薬と何かの2種類くらいを処方されました。

眼科医との会話。

「田中さん、たいていの薬は食後だけど、この薬は食間ですからね」

”食間”といえば、食事と食事の間、とは思ったもののの、念のため、確認をしてみました。

「食間ということは、食後2時間後とか、食事の前1時間は空けるとか、そんな感じでしょうか?」
「えっ!?何言ってるの?食間と言えば、食事の最中に決まっているでしょう。ご飯食べながら、この薬、飲んでください」

・・・・えっ!? ホント?

医師がそう言うのだから、私の「食間」の解釈が間違っているのだろう、と思ったものの、疑問も残ったので後日友人の医師にメールで尋ねてみました。

「眼科医に食間は”食事の最中”と言われたんだけど、食事と食事の間のことじゃないのかしらん?それとも、眼科領域の食間と通常の食間とは違うんだろか?」と。
「いやあ、淳子さんの思う食間で合っているよ。その医師は勘違いしたまま今に至っているのかもね」

医師の指導に背き、食事と食事の合間(2時間くらい空けて)に薬を服用し、無事、4ヵ月後に完治しました。

それにしても、プロの言うことに間違いが含まれるはずはない、と思うので、「自分が間違っている?」と不安になります。

今でも「食間とは食事の最中!」と指導しているのかしら?あの医師は。

2009年11月6日金曜日

旧ブログ記事:ビジネス・パートナーとの立ち話(2009年11月6日掲載)

ITプロジェクトなどでは、同じフロアにプロパー(正社員)のメンバとビジネスパートナー(協力会社、略してBP)のメンバが混在して座っているケースがあります。

プロジェクトを円滑に進めるためには、メンバ間の人間関係も重要だ、と誰もが頭ではわかっているのですが、こと仕事に関しては、情報のルートが決まっているので、なかなか会話するきっかけも見つからないケースもあるようです。

たとえば、あるメンバが、BPメンバに仕事の件で話すには、自社のリーダーに伝え、BP側のリーダー経由でBPメンバにオーダーが行くように、といったルールがあれば、メンバレベルでは直接会話をするチャンスがめったにない、ということになります。

とはいえ、やはり、働いているのは人間。

どうやってBPメンバも巻き込んで、一体感を出せばよいかを考えたリーダーが「仕事の話でなければ、誰と話そうといいじゃないか」と思いつき、オフィス内でたまたま出くわしたBPメンバと立ち話をしたそうです。

他愛もない話です。たとえば「松井がMVPを取りましたね」みたいな。

3-4分会話して、自席に戻ると、そこにいた自社の若手メンバが話しかけてきたといいます。

「今、BPの○○さんと立ち話してましたよねぇ。何を話していたんですか?」と。
「え?普通の雑談。松井のこととか」なんて答えると、「あー、そーゆう話をしてもいいんだあ」と目からウロコ的な反応が返ってきたそうです。

つ・ま・り。

誰もが互いに存在は気になっているんです。

どんな人なのかな、とか、話しかけてみたいな、とか。仕事上の情報ルートは決まっていても、ちょっとした雑談なら誰でもできるはず。

このリーダーは、雑談する姿を見たメンバから質問されたことで、「案外、皆興味しんしんなんだと知り、それが面白かった」と言っていました。

メンバ間がよく知り合うことは、チームの目標達成にも役立つことです。

組織の壁なんか関係なく、まずは、互いにちょっとした会話ができるようになるといいですね。

旧ブログ記事:お弁当男子(2009年11月6日掲載)

「草食系」だとか「植物系」だとか、いろんな言葉を聞くけれど、特に今年よく入って来たのが「お弁当男子」。

男子、という言い方がいいかどうかは置いといて。

たとえば、新入社員研修時。
お弁当を持参する割合は圧倒的に男性が多い。

親御さんに作ってもらっている人ももちろんいるけれど、一人暮らしで(しかも4月から人生初の一人暮らし体験中であっても)自分で作ってくる。

これが案外?、彩り美しく、栄養バランスも考えた”ちゃんとした”お弁当。

新入社員に技術職、事務職が混ざっていると、たいていの場合、事務職が一足先に配属されてしまう。

すると、配属された男性新入社員がお弁当を携えて、まだ研修を受講中の技術職男性がいる教室にやってきて一緒にハンカチ拡げて、机囲んでお弁当を食べる。

男性の中には、研修の事務局をなさっている人事・研修担当者(たとえば女性)の先輩がコンビニで買ってきたようなモノを食べているのを見かねて、

「それじゃあ栄養が偏りますよ。それに、自分で作ったら300円もしませんから節約にもなります」 と言い、翌日、「○○さんのためにサンドイッチ作ってきました」 と持ってきてくれたりもするらしい。

そのサンドイッチの切り口がとても芸術的に美しいのだそうだ。

一方で、女性新入社員はどうか?

「さー、ランチに行こう!」と数人で豪快に外食しに出かけていく。 「外に出て、ストレス解消しなきゃ」とか「外の空気も吸わなきゃ」などと言って。

数年前までと全く逆の光景が教室で、オフィスで見られるようになってきた。

こういう話は、1社の出来事ではなく、いくつも聞いた。 なので、巷で喧伝されるよう、お弁当男子、水筒男子は増えてきているのだろう。

ちょっと前までは、教室でお弁当を囲んでいるのはほぼ女性だった。

男性は社員食堂だったり外食だったり、お弁当は作ってくるものではなく、コンビニなどで買ってくるものだった。

みごとに逆転している。

こういう話を聞くと、「うん、いいなあ」と思ってしまう。

「女性もすなるお弁当作りと言ふものを男性もしてみんとてするなり」

というべきか

「男性もすなる外食と言ふものを女性もしてみんとてするなり」

といえばいいのか。

男だ女だなんて、こういう生活面では変わらなくなるのではないだろうか。

中高生の頃、「女子は”料理と編み物”、男子は”本棚作りやラジオ製作”」みたいにクラスを分けられていたことにいまだにうらみがある私は、こういう風潮にうふふと思ってしまう。

私も本棚作ってみたかった。

弁当男子、頑張っておくれ!

2009年11月4日水曜日

旧ブログ記事:チャンスは自分で作る(2009年11月4日掲載)

先日紹介した「偶発性理論」の事例、続きです。

もう10年くらい前の話。ある企業で新入社員向けのフォローアップ研修を担当しました。 2月だったと思います。

入社して数ヶ月は同期と一緒に新入社員研修で勉強。配属後は、それぞれに異なる仕事をして、半年ぶりくらいに同期と再会です。

新社会人としてまだ11ヶ月程度のこの時期ではあっても、「やる気」も「仕事ぶり」も「成長ぶり」もずいぶん差がついている感じがしました。

やはり、「成長しているなあ」と思う方というのは「自分で考え、自分で主体的に行動している」人なのですね。

主体的に行動・・とは、「どういう状況であっても、自分がその場面での主人公になるために、どうしたらいいかを考えて動く」と言えるかも知れません。

ある男性がこういう話をしてくれました。

「ボクは学生時代、マスターまで進み、”○○技術”というすごく特殊で地味な研究をしていて、その技術や知識をさらに学び、その分野で活躍したいと思って、この会社を選びました。

配属先は希望通りで”○○技術”を使う部署だったし、そういうプロジェクトが沢山あるところだったのでやったと思いました。

ところが、来る日も来る日も会議の議事録を書かされるばかりで、これじゃあまるで事務職と同じだ、とくさった気分になって来たんです。秋ごろの話。

しばらくやる気も低迷していたんですけど、よく考えてみたら、今自分に与えられた仕事は「議事録をきちんと作ることだ」と思い直して、とにかくこれを一生懸命取り組もうと考えました。

手直しの指示などされないような、完璧な議事録を作ることを考えたんです。

それで年明けて先月のこと。上司に呼ばれました。

”XXXプロジェクトのメンバにこの春から入らないか”。

晴天の霹靂というか、すごくびっくりしました。その”XXXプロジェクト”というのは、ボクが学生時代にやっていた”○○技術”を使うだけじゃなくて、うちの部署ですごく重要な、花形なプロジェクトで、新人がメンバに抜擢されるなんてことはないはずだからです。

”どうして私を?”と上司に尋ねると、”ここ数ヶ月のキミの仕事ぶりを見ていた。議事録なんて単純作業だと思って手を抜く人もいる。希望の仕事と違ってやる気なくして、ずっとふてくされちゃうのもいる。だけど、キミは、議事録ひとつでも決して手を抜かず、新人とは思えないできばえのものを出してきた。このXXXプロジェクトは、細かいことも緻密にやり続ける能力が必要だ。だから、キミの仕事ぶりを買って、僕が推薦したんだ。”と言われました。

どんなことでも見ている人がいるんだなあと怖くなったし、自分で気持ちや考え方を立て直して、ちゃんとやってきてよかった、と思いました。」

・・・・・・

配属先とか上司とか与えられた仕事とか、自分で選べない要素は多々ありますが、与えられた状況にどう対峙するか、は自分で決められるし、自分で選べるのですよね。

この新入社員さんには、すごく大切なことを教えてもらった気がしました。

彼は今30代半ばだと思うのですが、元気に活躍しているかな。

2009年11月3日火曜日

旧ブログ記事:ヘルシオ・コーチング?(2009年11月3日掲載)

「文化の日」なので、何か文化的なことをしようと思い、洋菓子<文化>に思いを馳せ、「レモンピール(レモンの皮)の砂糖煮が入ったケーキ」 と「ピーカンナッツとウォールナッツのクッキー」を作りました。

趣味なんです。作るのが。

しかし、自分ではほとんど食べません。(ちょっと味見したら満足) 魚釣りは好きだけど、魚はあまり食べない人、みたいですね。なので、明日会社に持って行きます。

うちの「餌付け(エヅケ)ーションセンター」に置かれる予定です。

ところで、これらを焼くのに使ったオーブンは「ヘルシオ」というものです。昨年7月に購入したのですが、従来使っていた単純なものと違って使い方が最初難しかったのです(私には)。

そんな時、自社の「コーチング実践」という公開コースをお客様に混ざって受講しました。

ペアでコーチングしあう演習で、パートナーとなってくださった福岡のYさんに「ヘルシオの使い方をマスターするにはどうしたらいいか」というテーマでコーチングしていただきました。

この演習では彼女の「承認スキル」にとても励まされました。

「どんな料理を作りたいですか?」

「オーブンで焼く料理を。ホームパーティをするので」

「ホームパーティで焼き料理。作りましょう、作りましょう」
「そのパーティ、いつやりますか?」
「10月には」
「パーティに先立って何ができそうですか?」
「メニューを先に作って来る人に告知しちゃうんです、いつも」
「メニューですか、ではそれをまず書きましょう、書きましょう。そのほか、ヘルシオ攻略に対しての田中さんの強みは何ですか?」
「取説を読むのは苦じゃないです」
「おお、それはいいですね。では、取説は読みましょう。読みましょう」

・・・こんな具合に会話は進み、難しく思えたヘルシオも使いこなす自信がわきました。

研修の中でのコーチング体験でしたが、この後、無事、10月のホームパーティにあわせて、ヘルシオをマスターしたのでした。

Yさんのコーチングは、とてもhelpfulでした!

我が家のヘルシオを見ると、いつもYさんのコーチングを思い出します。

2009年11月2日月曜日

旧ブログ:社長のドキドキ(2009年11月2日掲載)

講演を依頼されることがあります。

1日がかりのセミナーでの講演の場合、2-3人の登壇者がいて、講演者同士は控え室で歓談したり、講演会場でも「関係者席」なんかに座って、普段なかなかお話しできないような方と言葉を交わせたりするので、ちょっと得した気分になります。

数年前のこと。

ある企業の社長Sさんと共にセミナー講師になったことがありました。社長Sさんのお話の次に私が登壇という順番でした。

Sさんとは以前より面識があったので普段ほどは緊張せず、休み時間などに言葉を交わしていました。

150人くらいの会場で、だんだん緊張してきた私にSさんは、落ち着きはらっていらっしゃる。
さすが社長、慣れているのだろうなあ・・・と思い、ちょっとお尋ねしてみました。

「ああ、私、だんだん緊張してきてしまいました。心臓が口から出そうです。Sさんは大丈夫ですか?」

「いやあ、ボクはまあ慣れているんで、大丈夫ですよ。全然緊張しません」

「そうですか、それはうらやましい・・・」

「あ、でも、この間は緊張したなあ。すごくドキドキしたことがある」

「え?それは何の時ですか?」

「この間ね、入社式があったんですよ。そこで社長だから講話するでしょ。壇に上がったら、かーっと緊張してね」

「入社式で、ですか?それはそれは。今年の新入社員の方、何人ぐらいですか」

「24人です」

「今日の会場より少ないですけど、24人でドキドキだったのですね」

「だってねぇ、田中さん。皆、きらきらした目をして私を見るんですよ。真剣に。あの新人のまなざしを見た瞬間に『ああ、この若者達をちゃんと食わしていかないといけないんだな』とその責任の重さに震えました」

「・・・・いいお話ですねぇ。私だけがここで聞くのはもったいないようなお話です」

・・・・・

講師控え室やら講演関係者席では、時々、こういうとてもステキなお話をうかがうことができます。


2009年11月1日日曜日

旧ブログ記事:傷心かあさん:お嬢様に・・・?(2009年11月1日掲載)

数週間前のこと。妹に頼まれて、甥っ子の内祝の手配をしました。

紅茶・日本茶セット。「赤ちゃんが生まれました」という缶のラベルには甥っ子の名前と誕生日も入れてくれて。本来ならお手紙もつけたほうが礼儀にかなうとは思うのですが、赤ん坊の写真を1枚、裏に簡単なメッセージをつけて箱の1番上に入れていただくことにしました。

最近あらたにお祝いを頂戴したというので、今日、再び同じものを手配しに買い物へ。

前回の店員さんをご指名して説明。

「ママが赤ん坊から手を離せないので、また私が代理で来ました。前回、写真を入れたのが評判よかったようです。こちらで丁寧にビニール袋に入れて同梱してくださったようで、ホントにありがとうございました。」

なんてお礼を言いながら、伝票を書きました。

店員さんも2回目の来店客である私に「では、おのしなどは、前回と全部同じで”○○クン”のお名前をお入れすればよろしいですね。」と話も早く、あっという間に、そして、とても気分よく買い物を済ませられました。 店の出口まで見送りにきてくれた店員さん。私の背中に向って、こう言いました。

「ありがとうございました。お嬢様にもよろしくお伝えください。」

・・・ん? お嬢様にもよろしくお伝えください・・・?

・・・・反芻・・・・反芻・・・落ち着け、私・・・。

なんですと!? お嬢様ですと!?。





!!


!!!  

そうか、私は「出産したばかりの娘の代わりに内祝を贈りに来たおばあちゃん」と思われたのか。

なるほど。

・・・・・。

数歩歩いてからそのことに気づいた瞬間、道ばたでよろけてしまいました。

しかし、確かにおばあちゃんでもおかしくはない。
入院中、妹の隣のベッドには、「18歳のママ」がいて、お見舞いに来ていた「おばあちゃん」は38歳でした。 妹が、「私より若いおばあちゃんだ」と驚いていたくらいですから。

・・・

それにしても。

今頃、「おばあちゃまとしては若い方だったわね」なんてスタッフルームで言われているのかしらん?

傷心の日曜日。