2010年5月31日月曜日

旧ブログ記事:内田樹さん『先生はえらい』から「学びの主体性」を考える(2010年5月31日掲載)

岡田斗司夫さんがTwitter上でなさっている「公開読書」で扱われた、内田樹さん著『先生はえらい』を読了しました。→ 岡田斗司夫さん、ありがとうございました!

若者(中高生?)をターゲットにした筑摩書房の新書シリーズで、難しい漢字には振り仮名が振られ、行間も大きく取ってある、読みやすい本です。

この中で、一番心に残ったのは、この一文。(P.37より引用)

「人間は自分が学ぶことのできることしか学ぶことができない。学ぶことを欲望するものしか学ぶことができない」

という「学びの主体性」について言及している部分。

「人間は、自ら学ぶことしか学べない」
「学ぼうと思うことしか学ぶことができない」

とは、とてもとても深遠な、そして大切な言葉であるように思います。

よく、

●「魚を与える」のではなく、「魚の釣り方を教えるべし」

という言葉を聴きますが、この「学びの主体性」という観点から考えると、

●「魚の釣り方」以前に、「魚を釣りたい」と思っていなければ意味がない!

ということになります。

ああ、当たり前だけれども。

「私は、魚釣りをしたいわけでも、魚を食べたいわけでもない」と言う人に「魚の釣り方」を教えるのは意味がない。

いや、実際、ぜんぜん興味なくても、無理やり「魚の釣り方」を教わって、「おお、魚釣りって面白いなあ」とか「自分で釣った魚を食べるとおいしいものだ」と開眼する人はいるかも知れない。でも、「無理やり魚釣りに連れて行く」時点で計画が頓挫することもあるでしょう。

一方で、「魚を釣りたい」「自分で釣った魚を食べてみたい」と思う人は、進んで釣りの師匠を見つけるなり、釣りの本を買って読むなりするはず。

内発的に動機づけられていることが「学び」を支えるのですよね。

それから、この「主体性」については、こういう視点でも捉えられます。

「魚の釣り方を学ぶ」場面で、

●ある人は「魚の種類」を学ぶかも知れない
●別の人は「魚釣りの道具の美しさ」に目覚めるかも知れない
●別の人は「船酔いしない方法」を編み出すかも知れない
●ある人は「休日に海に行くことの癒し効果」に気づくかも知れない

・・これが、「人は自分が学ぶことしか学べない」ってことでもあると思います。

私が時々頼まれ講演をする際に、先方が用意したアンケートを後日見せていただくことがあります。

「私が最後にちらっと話したたった一言などが心に残ったのか!」と思うような感想もちらほら。
人は「同じ話」を聞いても、全く異なる部分で刺激を受け、内省を深めているのですね。

「学びの主体性」という観点からすれば、講演でも研修でも本を読むにしても、「私は何を欲しているのか」を明確に意識しておくことが大切だと思います。

よしんば、事前にそういう意識は持てず、「上司に言われたから仕方なく参加した」という状態だとしても(たまにいらっしゃいます)、話を聴きながら、本を読みながら、「私が欲しているものは何か」を考えていくことがその時間その場を自分の糧にするコツなのかも知れません。

2010年5月29日土曜日

旧ブログ記事:「文章添削の本を紹介してください」(2010年5月29日掲載)

このブログは、1日のアクセス数、平均で700~800くらいです。が、たぶん、生身の人間さまが読んでいるのは、多くて1/10、つまり、50~70人くらいじゃないかと思います。いや、もっと少ないかな。

まあ、自分のためのメモ、自社の若手営業のための情報提供といった意図もあるので、それでいいのだ。それが、ブログなのだ。

・・・・・

先日、OJT担当者の研修を行った時(一社向けに)、最後の最後に、こういう質問がありました。

「後輩の文章添削をすることが増えると思いますが、自分自身、文章の添削が苦手です。だから、事前に勉強しておきたいのです。文章の添削の仕方とか文章の書き方といったことを学ぶためのよい本はありますか?」

いい質問だなあ、と感心しました。

後輩を迎え入れる前に先輩がなんらかの勉強(予習)をしておこう、という心意気がいいなあ、と思ったのです。

後輩に「勉強しなさい」という時、先輩自身が「勉強している」姿を見せることほどステキなことはないはず。

「ああ、あの、雲の上の存在に見える先輩だって、色んな勉強をしているんだなあ。」と尊敬の念も抱くことでしょう。

質問してくださった方には帰社して、すぐに私は「これらがお奨めの本です」というリストをメールしました。

リストには、
●ビジネスメールの書き方(NG、OK例があるもの)
●文章の書き方の基本(文法も含む)を記載してあるもの
●ビジネスマナーの本
●「ビジネスマナー」以前に知っておくべき”常識”などが記載されている本
などを6冊を含めました。


2010年5月28日金曜日

旧ブログ記事:「課訓」あります?(2010年5月28日掲載)

昨日、お邪魔したお客様先で、こんな言葉を聞きました。

「●●をする、というのは、うちの課の「カクン」なのよ」

・・・・。

字を伺うと、「課訓」と書くそう。
いいですね、「課訓」。

私が所属するチームでは、
「外出先で仕事を終えたら、ボスにTELを入れる。不在ならメンバに一斉にメールを入れる」
といった「課訓」があります。

先日、他グループの人と顧客先から帰宅する際、「あ、ボスから”おつかれ様メール”が入ってる」とぶつぶつ言ったら、「え、淳子さんのチームって、ボスがそういうメールくれるの?」とびっくりされました。

「うん、ちょっと前に”終わりましたー”とメールした返事。一応、連絡取り合うよ。誰もが」
「すごーい、うちはやってないなー」

と。


「相互に連絡取り合う」のは、我がチームの「課訓」なのですね。

ボスが「お互いの様子、仕事がわからなくなるから、そうしよう」と言い、数年前から励行していることです。

これにより、社外に散っているメンバも、「今日は大阪で仕事が終わったのね」とか、「今から新幹線で名古屋に移動なのね」とか、ちょっとした様子がわかるので(自分のこともわかってもらえるという気持ちも持てて)安心します。

皆さんの所属部署の「課訓」はなんでしょう?

2010年5月26日水曜日

旧ブログ記事:共感も、実は難しい(2010年5月26日掲載)

先日、「アクティブ・リスニング」の仕方の内、「相手の発言を繰り返す」+「次を促すオープンな質問をする」のが難しいという例を紹介しました。

今日は、「共感」が難しい、というテーマで、また会話を再現してみます。

「相手の話を共感することは大事」
「共感されれば自分に対して心理的な壁も低くなるし、より本音を話しやすくなる」
「共感は、信頼関係を構築する第一歩」

などと言うのは簡単だけれども、会話で実践するのはとても難しいのです。

【理想の会話】 (M:マネージャ、S:部下)

S:「最近、仕事に対するモチベーションが下がり気味なんです」
M:「ほぉ、そうか。モチベーションが低下しているか・・。そりゃ大変だな。何か原因があるの?」
S:「いろいろなことが重なって、自分は何をしているんだろう?と疑問に思うようになって」
M:「いろいろなことって、たとえば?」
S:「昨日、お客さんに第二次提案を持っていったんです。そしたら、またつき返されて。理由を聞けば、第一次提案の時に”ダメ”って入れた内容が入れてない、とむちゃくちゃなことをおっしゃるんです。”ダメだ、これはいらない”とおっしゃるから、抜かしたのに、理不尽ですよ」
M:「そうかあ、なるほど。そういうことを言われたから腐ってるんだね。他には?」
S:「この件で、隣のチームの山田さんにも相談に乗ってもらっていたんですけど、今度は、山田さんが、”そんなに手伝ってやれないよ”ってキレちゃって、社内の連携までおかしくなって・・」
M:「同僚にまで冷たくされたのか。そりゃ、切ないね」
S:「来週から後輩の面倒を見ろって言われているじゃないですか、僕。だけど、こんな自分でいいんだろうか?と考え始めたら、なんだか自信がなくなって、やる気まで低迷して来たんです」
M:「いくつかのことが重なるとそういう気分になることもあるよねぇ。まあ、落ち着いてひとつひとつ解決していくか。何から整理しよう・・?」
S:「それじゃあ・・・」

【ありがちな会話】

S:「最近、仕事に対するモチベーションが下がり気味なんです」
M:「何?モチベーション?そういう言葉が流行っているのも困りもんだなあ。で、何?」
S:「ええと、いろいろなことが重なって、自分は何をしているんだろう?と疑問に思うようになって」
M:「そりゃ、若いうちはいろいろ悩むわな」
S:「・・・」
M:「ひとつくらい言ってみろ」
S:「昨日、お客さんに第二次提案を持っていったんです。そしたら、またつき返されて。理由を聞けば、第一次提案の時に”ダメ”って入れた内容が入れてない、とむちゃくちゃなことをおっしゃるんです。”ダメだ、これはいらない”とおっしゃるから、抜かしたのに、理不尽ですよ」
M:「客ってのは、理不尽なことを言うもんだ。そういうのを乗り越えてこそ、一流の営業になれるんだし」
S:「まあ、そうですけど・・・」
M:「他にもあるのか?」
S:「この件で、隣のチームの山田さんにも相談に乗ってもらっていたんですけど、今度は、山田さんが、”そんなに手伝ってやれないよ”ってキレちゃって、社内の連携までおかしくなって・・」
M:「山田って、ちょっとエキセントリックなところがあるからな、気にするな」
S:「・・・」
M:「ま、なんだな。来週から後輩も配属されるんだし、せいぜい頑張れ。モチベーションだかなんだか分からないけど、そんなもの、気力で乗り切れ。俺もそうしてきた。苦労が自分を成長させてくれるんだぞ」
S:「・・・はい・・・なんとかします」

かなり脚色していますが、「自分」の視点からは、なんら共感できない話については、2番目のような感じになり勝ちです。
こうなってしまうと、この上司には、「感情」がまつわる話題では相談をしたくなくなるものです。「この人に言ってもしょうがない」と思ってしまうから。

これほど大げさではなくても、先日もこんな例がありました。

「僕、メロンが嫌いなんです」
「ええー、メロンっておいしいじゃない」
「あの、なんともいえない緑くさいのが苦手で」
「おいしいのを食べたことないんじゃないの?」
「何度か試したんですけど、やっぱり、ダメで」
「メロンが嫌いな人って珍しいわね。おいしいのに」
「・・・」

聞き手はメロン好きらしく、全く、共感しないんです。

このとき、

「そうか、メロンが嫌いなのね」とか
「人それぞれ嫌いなものってあるわよね」

と受けてしまえばいいのに、「あれこれ」と提案したり、そのつもりがなくても相手の言い分を「否定」したりしてしまう。

「共感」というのは、「同じ気持ちになってあげよう」ではありません。
「相手の気持ち」を理解して、「理解はしたよ、を伝えてあげよう」です。

どんな話だって、いつも「同じ気持ちになる」ことは難しい。けれど、「あなたの気持ちを理解はしたよ」くらいは出来そうな気がします。(稀に、「どの部分を捉えて理解したらいいか」わからない話もあるとは思いますが)

2010年5月24日月曜日

旧ブログ記事:「知らないことは知らない」と言っていいと思う(2010年5月24日掲載)

OJT担当者研修が花盛りで、全国行脚中(大げさ)。東京・大阪・名古屋行脚中(これはホント)。

こういう質問をよく受けます。

「知らないことを訊かれたら、どう対応すればいいですか?」
「自分も経験したことがない技術をどう教えればいいですか?」
「自分にもわからないをどう指導すればよいですか?」

・・・・

ああ、わかります、わかります。「どうしよう」という気持ちはわかります。

わかりますが、別に、「知らない」「わからない」「やったことない」と言っていいのでは?と思うのです。

その上で、たとえば、

「私も経験ないからわからないんだけど、よければ、自分で調べて、わかったら私にも教えてくれる?」
「◎◎さんがエキスパートのはずだから、一緒に習いにいかない?」
「私も前から勉強しなきゃ、と思っていたけど、いい機会だから、一緒に勉強させてもらおうかなあ」

などと言えばよいのではないかと思うのです。

後輩は、先輩が何かを「知らない」だけで、尊敬の念を失うことはないはずです。
もし、「え?」と思い、尊敬するのをやめるとしたら、こんなセリフを聞かされた時のような気がします。

「あ、それね。知らなくて大丈夫。オレも知らなくて済んだから」
「ああ、うちの部署に関係ない技術だから、勉強しなくていいよ」

・・・・・

以前も書いたように、OJTというのは、先輩も後輩も共に成長していけばよいもののはず。

私が担当している製薬企業の人財開発ご担当者は、「共育」(きょういく)と呼んでいらっしゃいました。
「共に育つ」。

「ああ、わからないこと質問されちゃった。まずいなあー。でも、折角のチャンスだ。今まで先送りしてきたけど、この際だからちゃんと勉強してみよう!」

これで十分ではないかしらん?

2010年5月23日日曜日

旧ブログ記事:岡田斗司夫さんTwitter上「公開読書」(2010年5月23日掲載)

同僚の横山哲也に教えられ、5/22(土)10:00~の「公開読書」というのになんとなく参加してみました。

これは、岡田斗司夫さん(「いつまでもデブと思うなよ」などで有名、というとわかりやすい?)がTwitterを使って、読者?と共に行う勉強会みたいなものです。

昨日のテーマは、内田樹さんの『先生はえらい』(ちくま新書)でした。

Twitter上での読書会って、どういう風に進むのだろう?と不思議な気持ちで画面を眺めていると、しばらくして、「ああ、そういうことか」と状況が飲みこめて来ました。

岡田さんが本の「はじめに」から「1章では」「2章では」と内田樹氏の述べている主旨を短く(なんせ、Twitterですから、1回に140文字しか書けない)紹介します。

時々、「岡田注」といった岡田さんの考えや解釈も入ります。
途中で、読者からの「質問」や「感想」がタイムリーに挟み込まれます。
ただ見ているだけでもいいし、Twitterでコメントをつぶやいてもいいし。

岡田さんは、入力時間も含めてだと思いますが、数分おきに、本のポイントをTwitterで書いていきます。

2時間ちょっとで1冊を読み解き終わりました。そこから、さらに参加していた人たちの多くのコメントが寄せられ、岡田さんからコメントが返ってきます。

「あとは原著を読んでね」と。私も、すぐオンラインで本を注文してしまいました。

・・・Twitterをしていない方には、ちーっともわからない解説かと思いますが、まあ、以上のように進行します。(10日前にTwitterを始めたばかりの私でもわかるものではありました)

それで、この「読書」会で、自分はどういう感じで参加していたかというと。

●主宰?の岡田さんがどんどんと本の主旨を記載していく
●読んでいる私は、「それってどういうことだろう?」と考え始める
●さらに、「私の仕事で言えば、こういうことと同じだな」と考えが深まる
●それをTwitterでコメントとして書こうとすると、文字制限もあるので、より一層深く考える
●勇気を持ってTwitterでコメントを書く
●他の人のコメントも読んでみる
●そこに岡田さんによる、本の説明がさらに続く
●さらに考える、考える、考える

・・・・・

昨日、思いがけず参加してしまったので(Twitterを見ていたらちょうど10時になり、画面上で「公開読書」が始まっちゃったのです)、事前に今回の課題書籍は読んでいませんでした。

それでも、そこに手短にわかりやすく解説されている文を見て、「ああ、そうだなあ」「こういう考えもあるよなあ」「え?どういう意味?」「ああ、そういう風に解釈できるのか」と思考がぐるぐる展開するんですね。

とてもわくわくする体験でした。

「学び」の世界で、「内省」という言葉が流行っています。(流行っている、という言い方が適切かどうかはおいといて、そういうタイトルの本やら記事も沢山見かけますし)

その「内省」は、勝手に一人でぐるぐる自問自答するもの、あり、ですが、他者を介して行うとより学びが深まると言われています。

今回の公開読書は、まさに「深い内省」をするのに役立つもののひとつだなあ、と思ったのです。

私の仕事は、主に、講師業なので、研修の場に置き換えて考えてみると、

●講師が何かを説明する
●受講者は、「自分はどう思うか」「自分だったらどうするか」をぐるぐる考える
●他の受講者の発言から、さらに皆でそれぞれぐるぐる考える
●受講者が発言する
●講師もぐるぐる考える

皆でぐるぐる考えて、どんどん言葉にして口で説明したり、文字や絵で書いたりして、それをまた自分の中に取り込み、消化していく。そんな風に色々な「相互作用」がうまく働くと、いい「学習機会」だったなあ、ということになるのかなと。

これには、講師も受講者も「自分で考える」という覚悟がないとダメだなー。「答えをください」「だから、結局、私はどうすればいいのですか?」と”正解”を求めることが癖づいていると、「皆でぐるぐる考える」が苦痛になるのかも知れません。

「大人が学ぶ」時は、「自分が学びの主体だ」というスタンスが重要なのだ、と改めて思ったのでした。

昨日の「公開読書」を読むには、こちら

次回の「公開読書」は5/29(土)に行われるそうです。

2010年5月21日金曜日

旧ブログ記事:「訊きたいことを訊く」から「話したいことを聴く」へ(2010年5月21日掲載)

OJT(若手育成)の話が続いたので、たまには、管理職の話を。

管理職研修、というと古臭い感じがし、マネージャ研修というと、言葉のマジックで少しかっこいい感じがします、が、それはさておき。

マネージャの皆さんに、たとえば、コーチング研修等で、「部下の話をよく聴き、掘り下げる質問をしましょう」という”アクティブ・リスニング”の練習をしていただくことがあります。

段階的にレベルを上げて学ぶので、最初は業務内容ではなく、身近な趣味について聴くという設定で行います。

マネージャ役がすべきことは2つだけ。「オープンな質問する」「相手の言葉を復唱する」です。

【理想の会話例】

M(マネージャ役):「Sさんの趣味は何ですか?」
S(部下役):「私の趣味は、ウォーキングです」
M:「趣味は、ウォーキングですね」
S:「はい」
M:「どのくらいの頻度で行いますか?」
S:「平日は難しいので、土日のいずれか1日はウォーキングをしています」
M:「土日の1日を使ってなさるのですね。一度にどのくらい歩きますか?」
S:「3時間くらいかなあ」
M:「3時間も歩くのですね。3時間で何キロくらいになりますか?」
S:「5-6キロといったところかな。1万5000歩は行きますね」
M:「5-6キロで、1万5000歩ですか。それをするきっかけはなんですか?」
S:「健康診断でメタボ予備軍と言われまして、歩けと医師に勧められたことです」
M:「お医者さんに言われたのですね。どんな変化がありましたか?」
S:「体重は変わらないんですけど、腹回りが少ししまってきたような・・・。」

・・・・

わかりますか?マネージャ役は、決して自分の考えをさしはさむことなく、相手の答えを復唱し、次を促す、掘り下げる質問をしているだけです。簡単そうに見えませんか?

ところが、これが、案外難しいのです。

【よくこうなってしまうという例】

M(マネージャ役):「Sさんの趣味は何ですか?」
S(部下役):「私の趣味は、ウォーキングです」
M:「ウォーキング、いいですよねぇ」
S:「ええ」
M:「私もやってますよ。毎日ですか?」
S:「平日は難しいので、土日のいずれか1日はウォーキングをしています」
M:「そうそう、結局、平日は疲れちゃうからできないんですよね。1回にどれくらい?」
S:「3時間くらいかなあ」
M:「3時間というと5-6キロってところかなあ。歩き方にもよるけど」
S:「ですね。1万5000歩は行きますよ」
M:「そうかあ、私は1万歩かなあ、写真撮ったりしちゃうんで。でも、健康にいいですよね」
S:「そうですね」

・・・・・

こうなってしまう。

質問して、答えをもらうと、その答えを聞きながら、自分の考えを整理したり、言いたいことを考え始めたりしてしまう。そして、自分の軸から質問をする。すると、だんだん、「オープン質問」ではなくなり、「私はこう、なんだけど、あなたはどう?」という質問に変化していく。最後は、「あれ、いいよね」とクローズ質問になっている。

趣味を話している側は、「自分のこと」を話したいのに、「あれは、いいですよね」とか「僕も健康のためにやっているんです」と先に言われちゃうので、話のレールが敷かれた気分になる。

・・・・

人は、自分の軸から質問し、会話を展開するのは結構上手にできるのですが、相手の軸から質問し、相手に寄り添って会話を進めるのはとても苦手です。

「訊きたいこと、訊くべきことをまず訊く」というのは、特に、マネージャが仕事上せざるを得ない会話スタイルなので、余計に苦手です。

部下にたくさん話させ、よく理解しようと思ったら、「訊きたいことを訊く」のではなく、「相手が話したいことを聴く」というスイッチの切り替えが必要なのです。

2010年5月19日水曜日

旧ブログ記事:後輩育てが「自分育て」に(2010年5月19日掲載)

何回か同じようなことを書いた気がするのですが、今日からブログを読み始める方もいらっしゃるやに知れず、気にしないことにします。

新入社員でも2-3年目の若手でもよいですが、とにかく、先輩がついて指導する仕組みを最近は、「OJT制度」と言います。放っておいても人は育たないので、「1対1」できちんと担当者をアサインして運用します。

期間は、1年だったり3年だったり、企業によってまちまちです。

部門によって「育てる」「育てない」の温度差があるのはよくない、人事や人材開発部門で音頭を取って、ちゃんと仕組みとして回そう!というのが最近の傾向です。

こういう制度を導入する初年度というのは、とにかく嵐になります。台風なみの嵐が到来します。

●「なんで、こんなメンドクサイことをしなきゃいけないんだ。俺は忙しい」
●「私が新人だったころ、こういう制度はなかった。甘いんじゃないか」
●「私は誰からも育ててもらった覚えはない。仕事は盗むもんだ」

などなど。

「OJT担当者研修」(1-2日)で出向いた先で、人事部や人材開発部への文句、陳情を、外部講師であるある私も受ける羽目に。

この制度導入時初年度の「大荒れ」は、多かれ少なかれ、どの企業でもあります。

ある年、200人超の新入社員を採用した企業で、200人超のOJT担当者をアサインし、OJT制度が発足しました。そこでもちょっとお手伝いした私を待っていたのは、上記のような「ネガティブな」コメント。

半年後、「OJTがうまくいっているか」「困っているころは全員で検討」「うまくいっていることは知恵の共有」という主旨の「フォローアップ研修」を行った時。

会場に入ってくる方たちの顔が、・・・・違う。

半年前の200人と同じ受講者なのに、全員、顔つきが、違う!!!

「晴れ晴れとしている」というのが一番的確な表現ではないかと思うほどの、いい表情。

研修が始まってこんな会話がどんどん飛び出てきました。

●「最初は、なんでこんなメンドクサイことをしなきゃいけないんだ、と思ったけど、後輩指導は案外楽しい」
●「自分の知識や技術、あるいは、仕事の仕方を根本から見直すきっかけになった」
●「上司も俺にずいぶん我慢して、お目こぼししてくれたんだなあ、と今ごろ気づいた」
●「こいつのために、頑張ろう!と新人のころのやる気を思い出した」
●「なんだかんだ言って、後輩がかわいい」

・・・

半年前、とても険悪なムードだった方たちが、口々にこうおっしゃる。

そう、人を育てるというのは、その人を育てるだけではなくて、相手を鏡のようにして、「自分育て」になるのですね。

誰かに何かを教える、伝える際、自分の中では、深く「内省」が始まります。
他者を介して行う「内省」は、自分の学びを深めることに大きく寄与します。

だから、今年、初めて「後輩指導」を任命された方も、楽しんでその仕事に従事していただきたいなあ、と思うのです。自分のためにきっとなります。

2010年5月18日火曜日

旧ブログ記事:新入社員が「リーダー」向けクラスに(2010年5月18日掲載)

「他流試合」の意義について先日このブログで解説しましたが、それでふと思い出した話があります。

いつのことだったか、「チームワークとリーダーシップ」という、中堅社員向けの公開講座にある企業の新入社員が4-5人参加されました。

本当に入社したてで、持っていた名刺が、なんと、

「新入社員
  山田 太郎」

というようなものだったほどです。人事部付けの状態ってことですね。

このコースは、「チームの目標設定」だとか「役割分担」だとか「指示の仕方」だとか、はたまた、「動機づけ」だとか「チーム内の円滑なコミュニケーション」だとか「葛藤処理」だとか、あらゆる項目を演習を通じて学ぶのですが、新入社員で、まだ実務についていない方たちは果たしてついてこられるだろうか?と講師としてはシンパイしました。

蓋を開けてみたら、まず、参加した新入社員が「前向き」で「明るく」、「謙虚」で「努力家」だたことが功を奏して、他社から参加されている多くの「ビジネスパーソンの先輩」方の助けを得ながら、なんとか全ての演習をこなしたのです。

もちろん、他社の中堅・ベテラン社員の皆さんも新入社員たちが浮かないように配慮してあげていました。

最後に新入社員の皆さんは、こうおっしゃいました。

「入社してまだ1ヶ月くらいで、こういう研修を会社から受けさせてもらいました。最初はついて行かれるか不安でしたが、皆さんが暖かく助けてくださったのでなんとかついていくことができました」

「実務にまだついていない段階で、分からない部分もあったのでは?」と尋ねると、
「たしかにそれはありますが、それでも、”リーダー”や”上司”が何をどう考えて行動しているのかを知ることが、自分たちがこれから学び成長していくためにとても役立つと思います。
上司や先輩の意図も理解できたので、先に受けることができてラッキーでした」

と。

これは、99.9%は「一社向け集合教育」のスタイルで行われる「新卒・新入社員研修」では体感できないことですねぇ。

新入社員を「中堅向け」の公開コースに派遣された企業の人事担当の方は、思い切ったことをなさるなあと感心しました。

それにしても、

「新入社員
 山田 太郎」

という名刺、インパクトありますね。絶対にわすれませんから。

あとで、この企業の人事の方にうかがったら、「社外の研修を受けるのに、名刺を持っていないとかわいそうかな、と思って作ることにしたのですが、人事部付でもなんだし、肩書きないし、じゃあ、新入社員って印刷してみました」とおっしゃっていました。

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以前読んだ『リフレクティブ・マネージャー』(中原淳・金井壽宏著、光文社新書)に、こういう一節がありました。中原さん執筆部分です。

「働く大人の社外での学習は、その人が所属する会社や組織での支配的なものの見方、会社や組織の「アタリマエ」を疑い、問い直すような学びを引き起こせる可能性がある」(P.285より)

この場合は、研修を指しているわけではなく、社外に出て、いろいろな属性の方とゆるくつながっていくようなことを想定しているようですが、いずれにしても、「社内に留まっていたら、考えが凝り固まるよ」ってことですよね。同感。

2010年5月17日月曜日

旧ブログ記事:リクルートスーツは誰のために必要なのか?(2010年5月17日掲載)

今更ながら、ですが、2年ほど前によく売れていたらそお『就活のバカヤロー』(石渡嶺司、大沢仁共著:光文社新書)を読んでいます。まだ半分ですが。

これを読むと、「就職活動狂想曲」の模様がよく分かります。

学生も翻弄され、
大学も翻弄され、
企業も翻弄される。

負のスパイラル。誰もハッピーじゃないのに、ただ、就職活動の早期化が始まり、大学時代は「就職活動をするために費やす」といったような・・・。

全部読んでから再度、考えをまとめる必要はありますが、その前に「リクルートスーツ」について考察。

14年くらい前、グローバルナレッジネットワークが創立した時のこと。

会社創立初年度なのに、「新卒採用をしよう」ということになり、まだ、オフィスを間借りしていたDECの人事部の協力を得て、新卒採用活動を始めました。グローバルナレッジ自体には人事部が存在しない段階だったので、私が手を上げて、「採用活動」に従事することになりました。

日経新聞に数行の広告を出したり、DEC人事部のつてを使ったり。
で、2-30人の学生が応募してきてくれたので、SPIも行い、面接もしました。

この面接で思ったこと。

「リクルートスーツは本当に必要なのか?誰のためのリクルートスーツなのか?」

です。

なんせ、たとえば1日5人面接しますね。黒っぽいスーツに、当時は、白い開襟シャツの襟をスーツの外側に出す着方が主流で、全員、その格好で来社されるわけです。

面接は、1時間ごとに5時間連続だったりします。

面接が終わって、夕方、人事部の方などと「2次選考に行くのはどの学生?」という議論をするのですが、映像として思い浮かばないのです。

人間、服装や髪型もその人の印象としてインプットされるものですが、その、ファッションという記号が全員同じ。

こりゃぁーまいった。と思いました。

別にTシャツ、Gパンで来いとは思いませんが、もうちょっと自然なスーツで来てくれたほうが嬉しいと思ったのです。制服のようなリクルートスーツより、人によって多少違ったスーツのほうが嬉しいと思うのです。(覚えやすい、個人を識別しやすい)

服装もセットで人のことを思い出し、それで、「あの男性は、こういうタイプだった」とか「あの女性はこんなことを発言していて、期待できそうだ」などと話し合えるような気がします。

「リクルートスーツ」。あれは、一体、誰の陰謀でしょうか?
そして、誰のためになっているのでしょうか?

私は、25年前の就職活動時。すでにリクルートスーツってのものは出回っていましたが、あまのじゃくな私はモスグリーンのスーツ1着で通しました。

面接の際、どの企業でも、服装のことは何も言われませんでしたが、別に大丈夫だったんじゃないか、と思っています。

============

それにしても、その年、新卒で採用したのは女性5人。今でも3人が在席し、大活躍しています。

日経新聞に1回だけ掲載された、小さな広告(予算もなかったので)を見て、この名もない、ちっちゃな企業に就職しようと思う勇気と決断に感服します。

2010年5月16日日曜日

旧ブログ記事:街の姑さん(2010年5月16日掲載)

脚本家の北川悦吏子さんが「おんぶにだっこ」という子育てエッセイの中で、赤ちゃん連れで出歩くと、「街の姑さん」が色々と声を掛けてくる、といったことを書いている。

かわいい、とか、何ヶ月?とか、そんなことから始まり、巧妙なのは、「その格好じゃ寒いでちゅよねぇ」などと、赤ちゃんの話しかけるふりをして、ママにやんわり注意?をするタイプだというようなことも述べている。それを「街のお姑さん」と彼女は命名しているのだ。

わが妹も似たような経験をする、と言っている。間もなく1歳のBabyを前に抱っこして(抱っこ紐で)、駅を移動、病院に行く、買い物へ・・・と。すると、あちこちで「街の姑さん」に話し掛けられるそうだ。

ただ、「その格好じゃ寒いでちゅよねぇ」というような注意をされることはないらしく、どちらかというと、ほんわかした声をかけられることが多いと言っている。

「何ヶ月?まあ、しっかりしたお顔だこと」
「触っていい?まあ、ぷくぷく。赤ちゃんのことなんて、もう昔過ぎて忘れたわあ」
「かわいいわね。女の子?」(※)
(※ 男児であろうと、女の子?というのは、褒め言葉である。)

などなど。

北川さんもエッセイの中で、面白い現象だと言っているのだが、普通、突然赤の他人が「何歳?」とか「かわいいわね」などと声をかけることはないはずなのに、赤ちゃん連れだと、あちこちで声をかけられちゃうと。

それだけ、赤ちゃんというのは、関心を寄せやすい存在なのかも知れない。

先日は、いかにも会社員という男性が電車の隣の席にいたとかで、「かわいいぃ、ぷくぷくぅ~、触っていいですか?いやあ、癒されるぅ~」と言ってから降りていったそうだ。

お疲れのビジネスパーソンを癒す存在。赤ちゃんは偉大だ。

かくゆう私も、最近はよそのBabyがやたらと気になるようになり、今日もスーパーでせっせと10個以上のカゴを片付け、お手伝いをしているつもりらしい男児を見かけ、脇にいたママに話しかけてしまった。

「何歳ですか?」
「2歳5ヶ月です」
「こんなお手伝いができるんですねぇ」(しみじみ)

私も、「街のお姑さん」である。

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プロフィールに写真を入れてみました。

以前から、写真入れたら、と同僚に言われていたので。

えっと、それから、ブログを更新した時は、Twitterで「さえずる」ようにしてます。

2010年5月15日土曜日

旧ブログ記事:「理由」(2010年5月15日掲載)

Twitterでつぶやいておいたのだけれど、昨日、帰りの地下鉄で、隣に座った女性が文庫本を熟読していて、覗き込んだら、宮部みゆきさんの『理由』だった。2004年だかに出た作品。

驚いたのなんの。私もそれを読んでいたから。私の場合は、GWに帰省していて、持参した本が全部終わり、うろうろ実家内を探索していたら、「処分しようとしている本」の中に発見、母にもらったものだった。

隣の人と、「今、現時点での旬なベストセラー」を読んでいるってのなら別になんとも思わないが、そうじゃなかったグーゼンに驚く。話しかけたくなったけれど、「変な人」と思われるだろうからぐっとこらえた。

そんなわけで「理由」。

「自分がすべきことが終わったら、自分のために残りの勤務時間をどう使おうと自由だ。たとえば、1日分のミッションが終わり、時間が空いたから、資格試験の勉強をするとかさ」
「仕事さえちゃんとしていれば、服装や髪型、アクセサリーも含めた付属品、どんなんだって、別に構わないじゃん」

という、主張があるとする。

「いやあ、それは、ちょっと。組織に所属しているのだから、自分の仕事が終わったら、誰かの手伝いをするとか、せめて、『手伝うことはありますか?』と声をかけるくらいの配慮は欲しいよね。個人事業じゃないんだから」
「服装だって、TPOってのがあって、仕事ができりゃ、何でもいいってこともないでしょ」

という反論をするとする。

すると、

「どうしてダメなんですか?」
「具体的に誰に迷惑がかかっているんですか?」
「誰かを傷つけたり、怒らせたり、損害を与えたりしていますか?」

と、「ダメ」のその「理由」を問われる。

反論された先輩は、

「うぐっ」

とうなって考え込む。

傷つけてはいないか、
怒らせてはいないか、
損害は与えてないか・・・。

ん?

「それじゃあ、なんで、自分のタスクを終えたら、”手伝うことありますか?”って声をかけるほうが、よし、とされるんだろう?」
「どうして、茶髪はいけないんだろう?自由な服装はダメなんだろう?」

と考え始める。

明確な「理由」を述べたつもりでも、「それって、感覚論ですよね」「主観的な話ですよね」などとさらに反論されると、さらに、

「うぐぐっ」

となる。

・・・・・

「ダメなものは、ダメ」と言い切ってしまえる時代もあったかも知れないが、多様性も認めようという現代。

何かを指導するためには、「理由」が必要なのだけれど、どんな背景を持った人にもグーの音も出ないほどの「理由」を見つけるのは、案外難しい。

2010年5月14日金曜日

旧ブログ記事:反応はわかりやすいほうがいいと思う(2010年5月14日掲載)

今年の新入社員は、就職難の時代を反映してか、どこでも「とても前向きで、元気で、やる気が高い!」という声を聞く。

一方で、時々、「覇気がない・・ように見える」「反応が薄い」「話を聴いているか、いないのか」「わかっているんだか、わかっていないんだか」といった、苦言を耳にすることもなきにしもあらず。

ここで言っている「反応」とは、もちろん、話者、発信者側がこの目で確認できるもの。たとえば、「うなずく」とか「表情を変化させる」とか。

反応が薄いなあーと思っても、その日、文章で書いてもらう、たとえば、「受講日誌」「受講報告書」の類では、「へぇ、そんなに深い考察をしながら聞いていたのか」と驚く場合もあって、要は、「見た目」で反応がわかりづらいってことではないかと思うのである。(いや、日誌でも「ん?ちゃんと聴いていたのか?」と思うものに出会わないわけではないのだけれども。)

それで、ですね。

以前、このブログでも書いたのだが、「反応する」ことを最初に教えています!という話を聴いたことがある。

人事部の新入社員研修のご担当者として、新入社員研修の冒頭で、「うなずく」「返事する」など「反応する」ことを教え、練習させ、徹底させたそう。

そうしたら、その年の新入社員研修は、とてもやりやすかったという。

「例年だと、わかったかわからないかが見た目で判断できないので、不安になって、同じ説明を繰り返してしまうこともあったのだが、今年は、通じているかどうかが掴みやすくなった」といったお話をなさっていた。

そういえば、で思い出すのは、パフォーマンス学の第一人者というか、日本に持ち込まれた、日本大学教授の佐藤綾子さんの講演で(2002年ごろだったような)、以下のようなお話を伺った。

「最近の新入社員は、全体的に”非言語能力(※)欠損症”というような症状が増えています。つまり、反応が薄くて、非言語だけでは、状態が掴みづらいんです」

※ 非言語能力:ノンバーバル(Non-verbal)、相槌、うなずき、アイコンタクト、態度、表情、ジェスチャーなど

少子化などの影響で、子供のころから、自分が進んで反応をしなくても、周囲がやいのやいのと口出し、手出ししてくれるから、だんだん「反応力」が低下しちゃうんじゃないか、といったお話だったような記憶がある。

たしかに、たとえば、子供の数が3人いて、その3人で親の関心や歓心を集めねばならないと思ったら、笑ったり、反応したりする必要が生じて、自然に、非言語能力も磨かれるだろうが、一人っ子も多くなってくると、子供が反応する前に親が様々に察知してしまう、という面もあるのかも知れない。(さらにそういえば、2008年に担当した新入社員研修は、1クラスに19人いて大半が”一人っ子”だと言っていたっけ)

まあ、少子化だけの影響ではないだろうけれど。

もし、そういうことであるならば、誰が悪いという話をしてもしょーがないので、上司や先輩達が

「反応薄くて困るよねぇ」と嘆くのではなく、「反応すると他者は安心するよ」と教えてやることが大事なんじゃないかな、と思うのだ。

実際、今年、ある企業で、「はい」と返事させる!ということを徹底させている場面に遭遇した(2社)。

「こういう段取りで進めますが、よろしいですか?」
「はい」
「何か、わからないことはありますか?」
「大丈夫です!」

などと互いに声を掛け合うことで、講師の私も進めやすかったけれど、新入社員も作業が進めやすかったように感じた。

配属されて、反応が不十分だと思ったら、「わかりやすく反応する」ことは大事!相手・自分双方のために必須!、と、配属先の先輩もしつこく伝えるとよい、と思う。

2010年5月13日木曜日

旧ブログ記事:他流試合の意義(2010年5月13日掲載)

当社が提供する「研修形態」は大きく分けて2つ。

1.一社向けコース
2.公開コース

それぞれに「一長一短」があります。

●一社向けコース

【強い点】
・その企業ならではの話ができる
・参加者同士が込み入った話もでき、共感しやすい

【弱い点】
・閉じた世界で共感してしまうケースがある
・社内で実施の場合、「参加者」が出たり入ったりする

●公開コース

【強い点】
・様々な背景の方と話すことで、世界が広がる
・常識だと思っていたことが覆され、「目からうろこ」体験ができる
・自分のことを客観視できる(「同年代でこんなことまでしている人がいるのか」と衝撃を受けたり・・・)
・仕事の邪魔をあまりされない

【弱い点】
・ある特定の事象、プロジェクトなどに特化した話はできない
・背景まで細かく話さないと共感されないケースもある

本当にどちらも「強い点」「弱い点」はあり、いちがいに「これがよい」とはいえません。が、もし、どちらでもよい、のであれば、「公開コース」はお薦めです。

なぜか、と言えば、
「外に出て、初めて、自分のことが分かる」
「外に出て、初めて、自社のことが分かる」
ことも多いからです。

JTBモチベーションズの前社長である大塚雅樹さんも「社外志向」という言葉をよくお使いになっていました。

人事部の方の中には、「他流試合をさせたい」から、公開コースを好んで採用するとおっしゃる方も。
「社外」の人と関わらなければ分からないこと、気づけないことがたくさんあります。

それから、実は、ヒューマンスキルに限って言えば、「クラス会」が生まれやすいのも特徴です。

「新宿に集まって、久々にクラス会やろう!」というメールが飛び交うのは、公開コースならでは、です。利害関係にとらわれない人脈が広がるのですね。

ただし、絶対に一社向け研修で開催したほうがよいと思うものがあります。「OJT担当者がOJTの計画を立案していく」ようなワークショップ型研修は、公開コースでもできなくないですが、一社向けのほうがより効果が高いと考えています。その企業の人事制度や何かの仕組みと連動するからです。

ところで、これは宣伝ですが。

グローバルナレッジのヒューマンスキルクラス(公開コース、新宿や大阪会場のもの)は、1時間程度であれば無料で見学できます。(見学してみないことには、本採用するかどうか決められないという方もいらっしゃるので)  担当営業などにご相談ください。

旧ブログ記事:先輩が言ってはいけないセリフ(OJT)(2010年5月13日掲載)

さあて、5月も中旬。各職場で新入社員の受け入れが始まる時期です。田中も「OJT担当者向け研修」や「その上司向けセミナー」というった一社向け研修がずーっと続く予定です。

昨年もこの時期は、「新入社員」と「OJT」のことを連続して書いていたので、今年も。

で、ですね。

先輩がぜーったいに言ってはいけないセリフに

「私は反面教師だから」
「僕を反面教師と思ってもらえればいいから」

ってのがあります。

そんなことを言われた後輩(特に、新入社員)は、いったいどーすりゃいいんでょう?

「じゃあ、誰を見て、成長すればよいの?」
「ほんでは、誰を見習えばいいのさ?」

と戸惑うばかりです。

私にも経験があります。もう20年も前の話です。

前職で私は新卒で入社する後輩達に「プレゼン」や「教え方」などを伝授するような社内研修を自主的に作って、開催していました。それまでは、特に体系だった教育がなかったというのもあって。

私が入社した当初、時々「プレゼンを教える」先輩がいらしたのですが、その方の後を継いだ形です。
折角担当するなら「ちゃんとやりたい」と思い、外部に勉強に行ったりして、単に「プレゼン」だけではなく、「教えるスキル、教育学的な内容」を含んだテキストを作り始めました。それで「私が担当する」と宣言し、上司にも許可を得て、完全に引き継いでしまったのでした。

数年後。

この方は、私にこう言いました。

「田中さん、プレゼンとかコミュニケーションって教えるの、簡単でしょ?僕は、たまにしかやらなかったけど、ずっと簡単だと思っていたよ。だって、いろいろ説明した後に、こう言えばいいんだから。   『要するに、私の真似をしなければいいんです。私がしていることが反面教師ですから』ってね」

この一言は、とても衝撃的でした。そんな気持ちで後輩指導をしていたのか、と。

冗談だったかも知れません。でも、忘れられない一言でした。

以来、肝に銘じていることがあります。

プレゼンでもコミュニケーションでもコーチングでも、あらゆるヒューマンスキルの研修に従事するようになった今でも、絶対に言わないセリフ。

「私を反面教師だと思ってくださいね」

・・・・・

後輩ができたら、先輩になったら、「私を手本にしてください」と言う自信はなくても「手本にしてもらえるよう努力しているから」というくらいの気概は持ちたいものです。

そうでなければ、後輩がかわいそうです。

2010年5月12日水曜日

旧ブログ記事:新入社員を迎える側がすべき10のこと(2010年5月12日掲載)

早いところだと5/1に配属なんて企業もあるかと思います。(IT業界は、一般的に研修が長いので、たいてい、まだ「研修中」のはず。一方、他業種であれば、GW前にとっくに配属されていることでしょう)

で、新入社員が配属される前に、受け入れ側がすべき10のこと、というリストを考えてみました。

1.「席」を用意する
⇒ 「ここに座る」という席を用意する。これ、当たり前のようでいて忘れやすい。物理的な「場所」は確保してあっても、荷物置きになっていたり、雑巾で拭いてきれいにしておらず、ほこりうっすらだったり。

2.名刺やメールアカウントなど、その人にまつわるものを手配しておく
⇒電話番号を振ってもらうとかメールアカウントを申請しておくとか。当人にさせる「ネットワークの設定」などは残しておいてもよいですが、最低限は事前に申請、手配を。

3.「新入社員が●月●日に配属されます」をチーム全体に知らせる
⇒ 「来週から新入社員が来ます」を全員に知らせておく。これも忘れやすい。ついでに、「なので、挨拶に返事してくださいね」とか「声掛けてやってくださいね」など、お願いごとも添える。

4.配属初日から3日分程度のスケジュールは作っておく
⇒何時に誰が何をする、というスケジュール表のようなものを作成しておく。いろいろな人で分担するのがおススメ。

5.配属初日、担当者は早めに出社
⇒担当者とは、アテンドする人です。OJTトレーナーかも知れないし、所属長かも知れないし。フレックスタイム制を敷いている企業やなんとなく朝の出社がぐずぐずなチームは要注意。新入社員が朝扉を開けて入ってきて第一声「おはようございます!」と言ったら、しーん、ってのはナシです

6.まずは、直属上司と顔合わせ。OJT担当者とも顔合わせ
⇒簡単な自己紹介はこの段階でしちゃうとよい。

7.1週間程度の予定を説明する
⇒ 「今日から1週間(3日間でもよいが)、こんなスケジュールで行きます。空き時間は、あんなこと、こんなことをしましょう。わからないことがあれば・・・」などと、大体のスケジュール間を伝える

8.オフィス内を案内する
⇒オフィス内を軽く案内します。どこに何がある。という物理的情報と、人の紹介。オフィスのレイアウト図を持たせて、案内するとよい。全員を紹介されても覚えられないのですが、覚えることが目的ではなく、案内された先輩側が「新顔がやってきた!」と認識することに意味があります。

9.ランチタイムのことを考える
⇒1日目くらいは「お昼、一緒に行こう!」と誘う。ランチに言っていいかどうか、など分からないで戸惑うもの。

10.定時になったら、「帰っていいよ」と教える
⇒先輩がいると「帰っていいのかどうか」が分からない。「今日は帰っていいよ」と声を掛けてあげるとよいです。

ざーっとまあ、こんなところでしょうか?

他にも

●歓迎会の予定を決める
●電話の取り方、コピーの仕方など、基本の機器使用方法を教える

など、いろいろありますが、まずはこれ。

こんな失敗談も耳にしたことがあります

●「新入社員が配属される日に間違って代休を取ってしまい、誰も迎える(アテンドする)人がいなかった。まずかった」
●「誰かがランチに誘うだろう、と思っていたら、誰も声を掛けていなかった。かわいそうなことをした」

・・・・

やはり、なんといっても、”Welcome aboard”なムードは大事ですね!


2010年5月11日火曜日

旧ブログ記事:働くビジョンって最初から必要か?(2010年5月11日掲載)

「なんとなく社会人」になった私は、「働くビジョン」なんて持っていなかった。

「仕事しなきゃならんなあ」
「仕事ってどこでするんだろう」
「会社ってどんな場所だろう」

と想像するも、よくわからず、3社ほど受けて、全部受かったので、外資系がよさそうだと思い、DECに入社した。

25歳で結婚、
28歳で第一子、
そのうち辞めるだろう・・・、くらいの気持ちだった。

今年25年目。

予定が狂ったわけでも何でもなく、「たまたまそうなった」だけ、である。

だから、新入社員に、偉そうに「働くビジョンを持ったほうがよい」などとは、言えないし、言いたくないなあ。

20年以上仕事を続けている諸先輩方は、最初から「働くビジョン」ってあったんだろうか?
(「そりゃ、あなた、バブル前の就職楽勝な時代の学生だったからそんな気楽なことを言うんじゃないの?」という突っ込みもあるやも知れませぬ)

他の方はどうだったのか、聞いてみたい気がする。

2010年5月10日月曜日

旧ブログ記事:Twitterを始めてみました(2010年5月10日掲載)

Twitterを始めてみました。

http://twitter.com/TanakaLaJunko

使い方がじぇんじぇん分かりませんので、いつまで続くか分かりません。
時代に取り残されています。

いいのか?これで?

旧ブログ記事:先輩は挨拶しているか?(2010年5月10日掲載)

新入社員研修で、しつこく、しつこく、しつこく、しつこく、しつこく学ばせられ、「徹底」されることに、挨拶(あいさつ)があります。

●「おはようございます!」
●「お疲れ様です!(でした!)」
●「失礼いたします!」
●「お先に失礼いたします!」

など、要所要所で元気良く!大声で!溌剌と!と。

それはそれで素晴らしいことですし、大切なことです。

が、しかし、職場に配属されますね。

朝、一番で新入社員が「おはようございます!」と入室すると、そこにいる先輩達の反応とは、たいてい以下のようなものではないでしょうか。

パタン1) 「おはようございます」と小声でぼそぼそ返事する
パタン2) 無反応(自分に言われたと認識しないため)

これで「あれ?」と疑問に思わない新入社員はいないでしょう。

がっかりする、か、あきらめる、か、または、その色に染まっていく。ああモッタイナイ。

挨拶って「新入社員」だけのものではないですよね。
基本の基本ですよね。

だからこそ。

「先輩は挨拶していますか?」と問うてみたいのです。

「先輩たちは挨拶しないじゃないですか?」と新入社員が疑問を呈したらどうしますか?

これに対して、

「悪いものの真似をするな」
「よいものを真似しろ」

と返事するのは、ちょっとだけ「逃げ口上」のニオイがします。

2010年5月9日日曜日

旧ブログ記事:GWかあさん:人はいつから指示待ちになるのか?(2010年5月9日掲載)

今日までGW休暇で、実家におりました。(母に代わり、”主婦業”に専念。炊事・洗濯・掃除などにいそしんできました。おかげで料理の腕が上がること、上がること。NHKの「きょうの料理」5月号テキストも大変役立ちました。)

そりゃそうと、甥っ子も来ていた(間もなく1歳)ので、子育て支援もしていたのですが、はいはい+つかまり立ちをするようになった彼は、なんとなく「自我」が芽生えてきたらしく、

●したいことを自分で見つけてどんどん挑戦する
●して!と言われたってしない

という状態に。(いや、これ自体は、以前からそうですが)

それではた、と思ったのは、

「人は、いつから指示待ちになるのか?」

です。

赤ちゃん(子供)は、基本的に「したいことだけ」を「進んでする」ところがあります。失敗しても、何度でもチャレンジし、とうとう上手にできるようになっていきます。諦めないのもすごいと思う。

一方で、まだ人のお願い・指示は聞いちゃいないので、「そっちは行ってはダメ」といってもずんずんはいはいしていくし、「これ、片付けて」ト言ってもまだ通じない。

与えたおもちゃには無関心で、「ラップの芯」とか「ビニール袋」「ただの紐」みたいなものを自分で見つけてきては、おもちゃにしている。真剣に遊んでいます。

そういう子供が、いつか「言われたことしかしないんだからもぉ~」と上司・先輩に叱られる後輩になる(こともある)わけで、どの時点で境目が来るのでしょうか。

好奇心旺盛で、積極性の塊のような赤ちゃんを見ていると、人は何によって、あるいは、どの段階で、「モチベーション」を低下させたり、「できるだけ手を抜こう」と思うようになったりしていくんだろうか、と考えてしまいました。

じゃあ、なんでも好奇心旺盛で積極性の塊ならいいのか、といえば、まあ、あんなに自由奔放にあちこち勝手な動きをしている新入社員ってのも、いたら困るわけ、ですが。

================

明日から平常モードに戻ります。

「朝イチメール」GW明け第一弾は、明日(2010年5月10日)配信です。


2010年5月2日日曜日

旧ブログ記事:ケイタイのマナー(2010年5月2日掲載)

先日、「大人のためのケイタイ・マナー」という主旨で取材を受けました。「日経おとなのOFF」。(掲載されたらお知らせします)

その際、編集者さんから

「レストランでの写真撮影(byケイタイ)って、どこまでOKなんでしょうか?」
「会議中や打ち合わせ中のケイタイ通話ってどこまでOKなんでしょうか?」

といった質問を受けました。

その会話をしながら、「どこまで」以前に大切なのは、「事前に断り、許可を得る」ことじゃないかと思ったのです。

「このお料理の写真を撮ってもよいですか?」
「今日は大切で緊急なTELがある予定なので、ケイタイで通話するかも知れませんが、よろしいでしょうか?」

といったことを断り、相手に許可を得ているかどうか、がもっと大切な気がします。「困ります」「ダメです」と言われたらすぐ諦める、やめる、それでいいのでは?と思ったりしました。(クロスがかかったレストランなどNGという場合も多いと思う)

結構、断りなし・・・というのが相手に違和感を与え、困惑させているかも、と。ケイタイだけじゃなくて、たとえば、「タバコ吸ってもいいですか?」などもそうでしょうし、「メモを取ってもいいですか?」「録音してもいいですか?」など、ちょっと断ったら済むのに、という場面は多々ありますよねぇ。

2010年5月1日土曜日

旧ブログ記事:見知らぬ人と盛り上がる(2010年5月1日掲載)

ネット通販を比較的よく使います。先日、あるお店のサイトに「問い合わせ」をしたところ、すぐにお返事をいただきました。その返事の中に逆に私に対する質問があったのでさらに返信しようとしたら、なぜか、「日本語」が出てこなくなりました。(ローマ字変換が出来ないのではなく、全くかな文字が打ち込めなくなったのです)

ローマ字で書く、英語で書く、などの選択肢を考えたのですが、まあ、時が経てば解決するだろう、と数日放置。

昨日、久々に挑戦してみたら、く「日本語」で書ける状態になったので、「お店からの質問への回答(こちらの要望)」を返信しました。「日本語が出なくなってしまったので、すぐに返信できず、遅くなりました」とちらっと書き添えて。

すると、お店からのお返事に

「日本語って出なくなることありますよねぇ・・・(顔文字)。どうやって直そうか、と調べようにも、日本語が入力できないから、調べられない、という・・・(顔文字)。とにかく直ってよかったですね(顔文字)」

といった文章が混ざっていました。

なんだか楽しい気分になりました。

見知らぬ人(たぶん、北海道の方)が、「日本語入力が出来ない」という話で一瞬盛り上がれたことに、くすっと。

インターネットというのは、こういうのがちょっと面白いですね。知らない誰かと、瞬時につながる。もちろん、怖いこともあるでしょうが、こういう「会話」はほほえましく、安心もできます。

ネットの通販の場合、お店の人と「対面」で言葉を交わさないので、こういうちょっとしたメールのやり取りで、印象が左右されます。「面白い」「好感を持てる」と感じられれば、そのサイトでまた購入しようと思うものです。

「ネット上」でしか店舗を持たないというケースもよく見かけるようになりました。皆さん、「インターネットコミュニケーション」「メールコミュニケーション」の勉強(研究かな?)もなさっているのでしょうね。