2011年10月16日日曜日

若いころの方が怖いもの知らずだったかも

今の方が、よほど使える能力が増えているはずだし、人脈も他者に対する影響力も持っているはずなのに、最近、たまに「躊躇」することがある。いろんなことに。

考えてみれば、私は入社2年目の時、当時、先輩が行っていた「後輩のためのプレゼン指導」を「私がやりたい、私にやらせてくれ」とお願いし、「うん、いいよ」と言われたので、独自にプレゼン教育用の教材を作っては、1年後輩である「新人」の育成を勝手?に行ったりしていた。

その範囲を徐々に拡大し、中途採用者(時には年長者)にも、「インストラクタの養成」プログラムを企画し、提案し、実施していた。

新卒内定者向けに「入社しても不安がなく職場になじめるように」と、「内定者を集めるイベント」を2月ごろに開催する、なんてこともしていた。

そんなこんなでアメリカ出張をしてみろ、と言われ、その時のミッションは、単に「アメリカ本社でやっているインストラクションスキルのプログラムを受けてきたら。」というやわやわなものだったのだが、行って見たら目からうろこが1000枚くらい落ちたので、現地にいる間に「これ、日本語化しよう」と決意した。

アメリカのプロダクトマネージャを見つけ出し、車で乗り付け、単身で交渉。「日本語化し、日本のユーザに提供したいのだが、何か条件はあるか?」と言うと、あまりにちびっこの年若いニッポンの女性に気圧されたのか、190㎝くらいあるであろうアメリカ人が、笑顔で私を見下ろし、「条件は特にないが、日本でもこのプログラムがウケるものかどうかだけレポートくれ。Gook luck!」とか言われて、帰国した。

それで、翌年までに翻訳し、提供。そのプログラムは当社の「トレイン・ザ・トレーナー」という製品にになっており、21年も続くロングセラーである。

これらは、全て20代の頃のことなのだ。

あの時は怖いもの知らずだったのか。
あるいは、「やむにやまれぬ衝動」があったのか。

今思うと、我乍ら、すげー、と思わなくもない。(ごめんなさい、これ、自慢話をしているわけではないです)

24歳とか27歳とか、そんな時に、それなりに、何かを自分で作り出す努力をしていたのだった。

翻って今はどうか。

もっともっと実力もついているはずだ。人脈も。なんせ、社内の大半が(社長ですら)年下である。

それなのに、何かをしようとすると、躊躇する自分がいる。

その躊躇は、若いころとはちと種類が異なる。

「もっとも年長の私がこんなこと言うと、若い人はプレッシャーに感じるだろうか?」
「ベテランの私がこういうことをしようとすると、若い人は、”淳子さんが言うんだから”と、心から賛成するわけではなくても、言うことを聞かざるを得なくなるのではないか?」

と、そんな理由で、「しよう」「したい」と思うことに、しばし足がすくむことがある。

当然、これは、若いころにはなかったことだ。

20代の私は、「どうせ、ぺーぺーで、若くて、何も力ないんだから、やりたいこと、やってみたいことをどんどん言って、手を挙げてみたらいいじゃないか」と純粋に思えていた。(もちろん、全てが実現したわけではなく、「何いってんの?ま、話は聞いておくけど」で玉砕したこともたびたびあるけれど)

今はもっといろんなことを実現しやすい立場、環境にあるはずなのに、年長者に、ではなく、年若い人たちに対する遠慮が生じるようになった。

これはいったいなんだろう?

勢いだけでは、ひとは動かないことも知ってしまったし、
人はそれぞれ異なる価値観や考え方をしていることもわかってしまったから、だろうか。

もちろん、今でも、「やりたい」「やったほうがよい」と思うことは、勢いでばばーっと動いて実現させてしまう、ということはある。

あるけれど、20代の頃の「怖いもの知らず」の動き方ではない。

50歳近くなってきたのだから、いつまでも「怖いもの知らず」の無鉄砲な動き方でいいわけではないだろうが、妙に分別くさい自分が、たまに臆病者に思えることもある。

あと1年ちょっとで50代突入である。
最後の10年をどう過ごすのか。

そろそろ考えておかねばならない。

私が最近、ITメディアのブログの方で「How can I do it?」とか「好奇心」とやたらと書いているのは、誰かに対するメッセージでもあるのだけれど、一番言い聞かせたい相手は、実は自分なのだ。

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