8月お盆のころ、妹と甥っ子が町田の実家に長期滞在していたので、2週にわたって週末は、私もいそいそと町田に通っていました。
2歳。ようやく2語文もたくさんしゃべるようになり、さらには、「助詞」も使う場面が増えました。
たとえば、
「にゅうにゅう」(牛乳)というだけで、「牛乳をくれ」という意味だったのが、
「にゅうにゅう もむ(飲む)」という意思表示ができるようになり、さらに、
「にゅうにゅう は もむ」となって、「他はいらないけど、牛乳なら飲みたい」という選択の結果も伝えられるようになりました。
そして、
「にゅうにゅう ちょーだい」と。欲しいことを明確に伝えるようにも。
この変化、英語を学習しているのと同じですよねー。
”milk”をまずは覚える。
”milk”と言うだけでも、飲みたいんだろうなあ、ということは伝わる。
”I want to drink milk.”で、意志表示。
さらには
”Please pour milk into my cup.”と他者に依頼。(←英語、合ってるかな?笑)
こう変化・上達していく感じは、語学習得では普通のステップなのかな。
ところで、甥っ子は、よく「ママ」「ママ」と言います。これが「お母さん」という意味ではないのですね。
私にも「ママ、ママ」と言います。
妹宅は、父ちゃん、母ちゃんと呼ばせているので、家庭内に「ママ」という言葉は耳にする機会がないのです。が、子供たちの集まる場所では、大勢が「ママ、ママ」と言っている。それは、お母さんを呼ぶ時に使う。「これしてほしい」という時、まず、「ママ」と呼びかける。
それを聞いていて甥っ子は、「Please」とか「Attention, please」とか「Watch!」といった意味で、「ママ、ママ」と言うようになった模様。
だから、「ママ、ママ、ごふぁん、たぶる」(おばちゃん、ちょっと。ボクは、ご飯を食べるので、食べさせてよ)という用法で使われ、私も「ママ、ママ」と呼ばれる次第(笑
その言葉が交わされている状況と文脈から言葉の意味を取る、という現象が面白いなあ。
いつか言わなくなると思うけど、これはこれでかわいい。
田中淳子です。「働く大人の学び」支援業に従事すると共に、執筆活動も行っています。んが、このブログでは、「おば馬鹿」とか「変態ウォーキング」とか「うつわフリーク」などの日常をおもに綴り、たまに、「読んだ本」とか「学びや成長や人生」についてなどにも言及するという、まあ、日記みたいな感じで運営していきます。 タイトル:「ヒューマンスキルの道具箱 ~タナカ La ジュンコ~」を2014年5月5日に現タイトルに変更しました。・・・が、また変更するかも知れません(笑)。
2011年8月27日土曜日
2011年8月22日月曜日
椅子をごろごろして移動してはいけません!
新入社員のフォローアップ研修で(だいたい、1月とか2月に行われます)、「上司や先輩に叱られたことは?」と尋ねると、面白い例が出てきます。
●「椅子でごろごろ移動していたら、怒られました!」
→ 上司に呼ばれて、キャスター付きの椅子に座ったまま、上司のところまで移動したら、「そんな方法で来るな!」と叱られた、というものです。
なんだか、「サラリーマンneo」のワンシーンのようですね(笑)。
●「ひじをついてPCを操作していたら、ぴしっとはたかれ(軽くだけれど)、ひじをついて仕事しているなんて、真剣みが足りない、と注意されました!」
→ こういうちょっとしたことを注意する上司って、素敵です。ふつう、なんとなく見逃してしまうものだと思うからです。
・・・
こういう「叱られた」思い出って、忘れずにストックしておいてほしいなあと思います。
いつか後輩に話してあげることができるから。
「私は、新人の頃、こういうことで叱られたよ」と。
生々しい体験談は、後輩の心に響くものですから。
●「椅子でごろごろ移動していたら、怒られました!」
→ 上司に呼ばれて、キャスター付きの椅子に座ったまま、上司のところまで移動したら、「そんな方法で来るな!」と叱られた、というものです。
なんだか、「サラリーマンneo」のワンシーンのようですね(笑)。
●「ひじをついてPCを操作していたら、ぴしっとはたかれ(軽くだけれど)、ひじをついて仕事しているなんて、真剣みが足りない、と注意されました!」
→ こういうちょっとしたことを注意する上司って、素敵です。ふつう、なんとなく見逃してしまうものだと思うからです。
・・・
こういう「叱られた」思い出って、忘れずにストックしておいてほしいなあと思います。
いつか後輩に話してあげることができるから。
「私は、新人の頃、こういうことで叱られたよ」と。
生々しい体験談は、後輩の心に響くものですから。
2011年8月13日土曜日
朝イチ倶楽部(朝イチメール読者コミュニティ)オフ会(7回目!)でした。
昨日(8/12金)、朝イチ倶楽部のオフ会でした。
昨夜の会は、「朝イカ部第1回会合」という名称。
「朝イチカレー部」略して、「朝イカ部」(なんだ、そりゃ?)
東池袋でインドカレーを食し、池袋で呑み会という仕儀です。またまた四日市や岡崎からも参加(泊りがけで)。マニアックですなぁ・・・(笑
さて、ご存じない方のために説明します。
2009年7月~2010年7月の1年間限定で、日経BP社が配信した「無料メールサービス」の名前が「朝イチメール」。月~金、5人の筆者がそれぞれのテーマでコラム(2000文字程度)を連載したのです。
私は、「コミュニケーションのびっくり箱」というタイトルで、「コミュニケーション」に関するあれやこれやを真面目に、あるいは、お笑いに含んで書いておりました。全47回。
その読者の方と、2010年5月からTwitterでつながり、ひょんなことから、オフでリアルに逢うことになり、それでオフ会は昨日でもう7回目。
以下が、これまでの履歴です。
1.2010年10月16日(土) 下町大人の遠足 (谷根千)
2.2010年12月3日(金) 下町大人の遠足+忘年会 (向島、曳舟)
3.2011年3月10日(金) 名古屋支部会(1回目)
4.2011年5月5日(木) イチゴ部(1回目)+呑み会 *朝イチゴルフ部
5.2011年6月3日(金) 大阪支部会(1回目)
6.2011年8月1日(月) 大阪支部会(2回目)
7.2011年8月12日(金) 朝イカ部(カレー部)(1回目)
いやあ、スゴイですねぇ。なんでしょう?これ。
いつも同じメンバーではなく、(常連さんもいますが)毎回、新しい方がちょこちょこ入ってこられるのですが、何の違和感もない。
旧知の仲。昔からの友達。そんな感じ。
初対面なのに、「旧交を温めている」という雰囲気。
皆様各界で活躍されているのでしょうが、誰も仕事の話しない、勤務先の話もしない。愚痴らない、文句言わない、ネガティブなこと言わない。
ただただ、楽しい。
いいなー。こういう緩やかなつながり。
昨日、「たぶん、お互いにお葬式には行くよねぇ」と私が言ったならば、「え、そこまで飛びますか?」と突っ込みが入りました。
これからも仲良くしてくださいませ~。
それにしてもです。
日経BPさんでは、かれこれ10年、あれやこれやの媒体で連載を担当していますが、読者の方たちとリアルに出会い、連載終了後もずーっと仲良くお友達づきあいする、っていうのは初めてのこと。
これには、2つ要因があると思います。
1つには、朝イチメールというメディアの特異性。(個人の携帯メルアドに私のコラムが届くので、友達からのメール、という感じだったはず。Mプロデューサーの狙いもそこにあった)
2つには、TwitterやFacebookというソーシャルなメディアの存在。これがあったからさっとつながった。
読者は総数で7500を超えていたと思いますが、今、リアルにお会いできているのが2-30人かな?
また次も大阪、名古屋、あるいは、岡山、北海道で「支部会」や「スピンオフ会」を開催しましょう。
仕事をする元気と勇気をいただきました!
=============
ところで、上記、7回分の日程は、すべて記憶しているもので、手帳やカレンダーを見たわけではありません。こういう日付と曜日をことごとく覚えているところが、私の特技ですが、何に役立つわけでもないのがザンネンなところです(笑
ところで、朝イチメールが電子書籍になっていることを知らなかったという声があったので、再度宣伝をば。
★日経BPストア(電子書籍ストア)から2010年12月27日に発売されました。iPhone、iPad、iPodをお持ちの方は、ダウンロードできます。朝イチで配信した47編+新規描き下ろし3編を加え、全50編のエッセイ集です。
日経BPストア→ライフスタイル→「コミュニケーションのびっくり箱」でたどり着ける・・・(はず)。
http://netstore.nikkeibp.co.jp/FYI/100915/106606/?ST=ipad
昨夜の会は、「朝イカ部第1回会合」という名称。
「朝イチカレー部」略して、「朝イカ部」(なんだ、そりゃ?)
東池袋でインドカレーを食し、池袋で呑み会という仕儀です。またまた四日市や岡崎からも参加(泊りがけで)。マニアックですなぁ・・・(笑
さて、ご存じない方のために説明します。
2009年7月~2010年7月の1年間限定で、日経BP社が配信した「無料メールサービス」の名前が「朝イチメール」。月~金、5人の筆者がそれぞれのテーマでコラム(2000文字程度)を連載したのです。
私は、「コミュニケーションのびっくり箱」というタイトルで、「コミュニケーション」に関するあれやこれやを真面目に、あるいは、お笑いに含んで書いておりました。全47回。
その読者の方と、2010年5月からTwitterでつながり、ひょんなことから、オフでリアルに逢うことになり、それでオフ会は昨日でもう7回目。
以下が、これまでの履歴です。
1.2010年10月16日(土) 下町大人の遠足 (谷根千)
2.2010年12月3日(金) 下町大人の遠足+忘年会 (向島、曳舟)
3.2011年3月10日(金) 名古屋支部会(1回目)
4.2011年5月5日(木) イチゴ部(1回目)+呑み会 *朝イチゴルフ部
5.2011年6月3日(金) 大阪支部会(1回目)
6.2011年8月1日(月) 大阪支部会(2回目)
7.2011年8月12日(金) 朝イカ部(カレー部)(1回目)
いやあ、スゴイですねぇ。なんでしょう?これ。
いつも同じメンバーではなく、(常連さんもいますが)毎回、新しい方がちょこちょこ入ってこられるのですが、何の違和感もない。
旧知の仲。昔からの友達。そんな感じ。
初対面なのに、「旧交を温めている」という雰囲気。
皆様各界で活躍されているのでしょうが、誰も仕事の話しない、勤務先の話もしない。愚痴らない、文句言わない、ネガティブなこと言わない。
ただただ、楽しい。
いいなー。こういう緩やかなつながり。
昨日、「たぶん、お互いにお葬式には行くよねぇ」と私が言ったならば、「え、そこまで飛びますか?」と突っ込みが入りました。
これからも仲良くしてくださいませ~。
それにしてもです。
日経BPさんでは、かれこれ10年、あれやこれやの媒体で連載を担当していますが、読者の方たちとリアルに出会い、連載終了後もずーっと仲良くお友達づきあいする、っていうのは初めてのこと。
これには、2つ要因があると思います。
1つには、朝イチメールというメディアの特異性。(個人の携帯メルアドに私のコラムが届くので、友達からのメール、という感じだったはず。Mプロデューサーの狙いもそこにあった)
2つには、TwitterやFacebookというソーシャルなメディアの存在。これがあったからさっとつながった。
読者は総数で7500を超えていたと思いますが、今、リアルにお会いできているのが2-30人かな?
また次も大阪、名古屋、あるいは、岡山、北海道で「支部会」や「スピンオフ会」を開催しましょう。
仕事をする元気と勇気をいただきました!
=============
ところで、上記、7回分の日程は、すべて記憶しているもので、手帳やカレンダーを見たわけではありません。こういう日付と曜日をことごとく覚えているところが、私の特技ですが、何に役立つわけでもないのがザンネンなところです(笑
ところで、朝イチメールが電子書籍になっていることを知らなかったという声があったので、再度宣伝をば。
★日経BPストア(電子書籍ストア)から2010年12月27日に発売されました。iPhone、iPad、iPodをお持ちの方は、ダウンロードできます。朝イチで配信した47編+新規描き下ろし3編を加え、全50編のエッセイ集です。
日経BPストア→ライフスタイル→「コミュニケーションのびっくり箱」でたどり着ける・・・(はず)。
<表紙、かわいいでしょう?> |
http://netstore.nikkeibp.co.jp/FYI/100915/106606/?ST=ipad
2011年8月12日金曜日
何が「わからない」か「わからない」から困っているんだ
よく、先輩が「わからないことがあったら、何でも質問してね」と言います。しばらくすると、「わからないことがあっても、なぜか質問に来ないのよね」とも言います。
後輩に言わせれば、「何が『わからない』か、がわからない」のですね。だから「わからないことが合ったら、質問してね、と言われても、わからないことがわからないから、質問にすら行けない」のです。
「わからないこと」が何か、を明確にできるたら、かなりわかっていることになります。
だって、「わかっていること」と「わかっていないこと」の境界線が見えているわけですから。
一般に、初心者というのは、その事柄に関する「全体感」を持っていません。「全体がどうなっていて、どこがどういう構造になっているのか」がわかっているのは、熟達者です。
初心者が自分で「ここがわからない」と言えるようになるまでにはハードルがとても高いのですが、熟達者がサポートすると、「どこがわからない」かを切り分けていくことならできるはずです。
あれもこれも「わかっていない」人に「わからない箇所を特定してから相談に来い」というのは少々酷だと思うのです。
私が新人の時、まさに「何もかもわからない。わかるということがどういうものだったかすらもはやわからない」という状態に陥っていたので、「わからなければ、聴きにくればいいじゃないか!」と叱られても、「それができるくらいならこんなに困りません!」と逆ギレしそうだったことを覚えています。(いや、実際、逆ギレしたことがあったかも知れません。なんせ、手のかかる新人だったので)
そんなわけで、冒頭の声のかけ方「わからないことがあったら、何でも聞いてね」というのは、もしかすると、こう言い換えればよいのかも知れません。
「どこがわからないかもわからなくても、とにかく、何かがわからなそうだと思うならば、すぐ相談に来てね。一緒に”どこがわかってないか”を特定してから、対処法を考えましょう」と。
誰だってみんな、初心者で、右も左もわからなかった時代があるはずなのに、熟達してしまうと、その時の息苦しさとか冷や汗をかく感じをすぐ忘れてしまう。
だから、「わからないことがあったら」と言われた時の切なさももう思い出せないのかも知れません。
時々、「初心者」だった自分をしっかりと思い出してみてほしいなーと思います。そうすれば、新人にやさしくなれるから。たぶん、きっと。
後輩に言わせれば、「何が『わからない』か、がわからない」のですね。だから「わからないことが合ったら、質問してね、と言われても、わからないことがわからないから、質問にすら行けない」のです。
「わからないこと」が何か、を明確にできるたら、かなりわかっていることになります。
だって、「わかっていること」と「わかっていないこと」の境界線が見えているわけですから。
一般に、初心者というのは、その事柄に関する「全体感」を持っていません。「全体がどうなっていて、どこがどういう構造になっているのか」がわかっているのは、熟達者です。
初心者が自分で「ここがわからない」と言えるようになるまでにはハードルがとても高いのですが、熟達者がサポートすると、「どこがわからない」かを切り分けていくことならできるはずです。
あれもこれも「わかっていない」人に「わからない箇所を特定してから相談に来い」というのは少々酷だと思うのです。
私が新人の時、まさに「何もかもわからない。わかるということがどういうものだったかすらもはやわからない」という状態に陥っていたので、「わからなければ、聴きにくればいいじゃないか!」と叱られても、「それができるくらいならこんなに困りません!」と逆ギレしそうだったことを覚えています。(いや、実際、逆ギレしたことがあったかも知れません。なんせ、手のかかる新人だったので)
そんなわけで、冒頭の声のかけ方「わからないことがあったら、何でも聞いてね」というのは、もしかすると、こう言い換えればよいのかも知れません。
「どこがわからないかもわからなくても、とにかく、何かがわからなそうだと思うならば、すぐ相談に来てね。一緒に”どこがわかってないか”を特定してから、対処法を考えましょう」と。
誰だってみんな、初心者で、右も左もわからなかった時代があるはずなのに、熟達してしまうと、その時の息苦しさとか冷や汗をかく感じをすぐ忘れてしまう。
だから、「わからないことがあったら」と言われた時の切なさももう思い出せないのかも知れません。
時々、「初心者」だった自分をしっかりと思い出してみてほしいなーと思います。そうすれば、新人にやさしくなれるから。たぶん、きっと。
2011年8月11日木曜日
新入社員:「させてみたら、できるもんだ」
4月から続いていた「OJTトレーナー」向けの研修が一段落しました。今年も多くのOJTトレーナーの方に出会いました。
「自分でいいんだろうか?後輩の指導なんてできるんだろうか?」と不安を抱えている先輩もいれば、この機会を最大限に生かして、自分も一緒に成長しちゃうぞ!」と明るくおっしゃる先輩もいる。
「自分がちゃんと育ててもらった記憶がないから、何をどうすればいいか、五里霧中な気持ち」と頭の中が「?」だらけになっている方も。
いずれにしても、やってみたら、案外楽しい、取り組んでいたら、案外達成感を覚えるのが「後輩指導」だと思います。
さて、そういうOJTトレーナーの方たちと話していて、こんな話が出ました。
「配属後2日で、お客様と会うチャンスがあったので、新入社員にも挨拶をさせてみた。特に事前に練習なんてしなかったけれど、案外、しっかりときれいに”名刺交換”ができていた」
「配属初日からじゃんじゃん電話を取らせている。今のところ、さしたる失敗もなく、言葉づかいもまあまあちゃんとしている」
・・・・この報告のあと、
「新人だってさー、させてみたら、案外ちゃんとできるもんだと思う」という言葉が続きました。
そうそう、そうだと思うのです。
「新入社員には、まだ早いかな?」
「新入社員だから、まだ無理かな?」
と先輩たちが、何かを任せるのに躊躇してしまう気持ちもわからなくはないのですが、「新入社員」といったって、もう20数年の人生を歩んできた、れっきとした大人です。
だから、「させてみたら、案外、ちゃんとやる」んです。
かえって任せる側の勇気の方がて問われるのかも知れません。
あれもこれも、させてみたらいいと思います。びっくりするほど短期間で成長するはずですから。
「自分でいいんだろうか?後輩の指導なんてできるんだろうか?」と不安を抱えている先輩もいれば、この機会を最大限に生かして、自分も一緒に成長しちゃうぞ!」と明るくおっしゃる先輩もいる。
「自分がちゃんと育ててもらった記憶がないから、何をどうすればいいか、五里霧中な気持ち」と頭の中が「?」だらけになっている方も。
いずれにしても、やってみたら、案外楽しい、取り組んでいたら、案外達成感を覚えるのが「後輩指導」だと思います。
さて、そういうOJTトレーナーの方たちと話していて、こんな話が出ました。
「配属後2日で、お客様と会うチャンスがあったので、新入社員にも挨拶をさせてみた。特に事前に練習なんてしなかったけれど、案外、しっかりときれいに”名刺交換”ができていた」
「配属初日からじゃんじゃん電話を取らせている。今のところ、さしたる失敗もなく、言葉づかいもまあまあちゃんとしている」
・・・・この報告のあと、
「新人だってさー、させてみたら、案外ちゃんとできるもんだと思う」という言葉が続きました。
そうそう、そうだと思うのです。
「新入社員には、まだ早いかな?」
「新入社員だから、まだ無理かな?」
と先輩たちが、何かを任せるのに躊躇してしまう気持ちもわからなくはないのですが、「新入社員」といったって、もう20数年の人生を歩んできた、れっきとした大人です。
だから、「させてみたら、案外、ちゃんとやる」んです。
かえって任せる側の勇気の方がて問われるのかも知れません。
あれもこれも、させてみたらいいと思います。びっくりするほど短期間で成長するはずですから。
2011年8月9日火曜日
偶然に驚いた。国立高校の甲子園 '80(昭和55年)
夏の甲子園ニュースを見ながら、ふと、「母校・国高の甲子園の想い出」を投稿したのでしたが、同窓生が、YouTubeのURLを知らせてくれて、何気なく見たならば、なんとなんと8月8日が「箕島」との試合の日だったのでした。
ブログを投稿したのも8月8日。
まあ、甲子園最中だからどんぴしゃでも違和感ないかも知れませんが、やはり、「なぜ8月8日に書こうと思ったのだろう?」と、書いてる本人(=私です)はびっくり。
フシギなことが続くなぁ・・・(しみじみ)。
ブログを投稿したのも8月8日。
まあ、甲子園最中だからどんぴしゃでも違和感ないかも知れませんが、やはり、「なぜ8月8日に書こうと思ったのだろう?」と、書いてる本人(=私です)はびっくり。
フシギなことが続くなぁ・・・(しみじみ)。
2011年8月8日月曜日
31年前の甲子園:国立高校
1980年8月。ちょうど高校3年生の時、母校・都立国立(とりつ・くにたち)高校が甲子園に行った。
西東京の予選を勝ち進んでいるらしいことは、夏休み中の私の耳にも入ってきた。とはいえ、TwitterもFacebookも、いや、ケイタイもポケベルも、それこそ、電子メールもない時代。
そうそう連絡も入ってこず、野球部だの高校野球そのものだのに関心のある一部の同級生が盛り上がっていることを、教室内でたまに聞く、という感じであった。
準々決勝あたりから何か変な感じになった。
だいたい、西東京での準々決勝である。強豪ひしめくなかでなんで国高が勝ち残ったのだろう?なぜ?なぜ? 国高も強かったのだろうが、なぜか相手チームのミスが頻発したりして、神様が味方している、としか思えないほどだった。
勝ち残り始めてから、がぜん、大勢が興味を持ち始め、球場に足を運び始めた。
準決勝。かなりのNEWSになった。
決勝。 あれ? なんかおかしいんじゃないか?
地元も盛り上がってきた。
そして、なぜか、失礼ながら、なぜか、決勝でも勝ってしまった。
その決勝戦の日、私は祖父の葬儀があって京都の丹後半島の小さな町にいた。TVのNEWSか何かで「国高が甲子園に行く!」と知った。
その当時、母の次兄が阪急ブレーブスの球団社長をしていた。
葬儀の合間に伯父が「阪急ブレーブスとして祝電を打ってあげよう」と言ってくれ、国立高校に祝電を打ってくれた。とはいえ、もう全国からの祝電があったはずなので、伯父のそれが何だったのかはついぞわからず仕舞いだったと思うのだが。
それからの国立市と国立高校はすごかった。
寄付が集まりすぎて5000万だか1億だか、とにかくとてつもない費用が集まったらしい。
報道もすごかった。スポーツ新聞はもとより、一般紙でも「国高の連載」コーナーができた。都立の星と言われた。まさに「国高フィーバー」である。
甲子園に行く前日。国立から2ケタのバスが出発した。私も乗り込んだ。
アルプススタンドで応援した。TVで見るのと違って、何が行われているかちっともわからない。今ならワンセグで同時に見ることもできるのだろうが、遠くで何かが行われている感じ。
それでも、国高側のスタンドの異様な熱気に相手の箕島のピッチャーは、気圧されたらしい。
ずーっと点が入らず、5対0(だったかな)で負けた。
私たちの夏は終わった。
その年、大学受験だった。
私は無事、浪人し、野球部の何人かは現役で東大に行った。(なんだよ!笑)
高校1年の時、スキー合宿で「国立」というゼッケンをつけていたら、地元の大学生に「コクリツだってさあ。変なの」とからかわれた。
3年の時、甲子園に行ったことで、「国立」を「コクリツ」と呼ばれることはなくなった。
そして、大人になってからも「あ、国高出身なんですねぇ~」と、私が頑張ったわけでもないのだが、関心されることも増えた。
国立の街中が、国高の同窓生全員が、全国が盛り上がった、そんな夏からもう31年。
懐かしい。
勉強もせず、あれほど熱くなれたイベントは、もうない。
西東京の予選を勝ち進んでいるらしいことは、夏休み中の私の耳にも入ってきた。とはいえ、TwitterもFacebookも、いや、ケイタイもポケベルも、それこそ、電子メールもない時代。
そうそう連絡も入ってこず、野球部だの高校野球そのものだのに関心のある一部の同級生が盛り上がっていることを、教室内でたまに聞く、という感じであった。
準々決勝あたりから何か変な感じになった。
だいたい、西東京での準々決勝である。強豪ひしめくなかでなんで国高が勝ち残ったのだろう?なぜ?なぜ? 国高も強かったのだろうが、なぜか相手チームのミスが頻発したりして、神様が味方している、としか思えないほどだった。
勝ち残り始めてから、がぜん、大勢が興味を持ち始め、球場に足を運び始めた。
準決勝。かなりのNEWSになった。
決勝。 あれ? なんかおかしいんじゃないか?
地元も盛り上がってきた。
そして、なぜか、失礼ながら、なぜか、決勝でも勝ってしまった。
その決勝戦の日、私は祖父の葬儀があって京都の丹後半島の小さな町にいた。TVのNEWSか何かで「国高が甲子園に行く!」と知った。
その当時、母の次兄が阪急ブレーブスの球団社長をしていた。
葬儀の合間に伯父が「阪急ブレーブスとして祝電を打ってあげよう」と言ってくれ、国立高校に祝電を打ってくれた。とはいえ、もう全国からの祝電があったはずなので、伯父のそれが何だったのかはついぞわからず仕舞いだったと思うのだが。
それからの国立市と国立高校はすごかった。
寄付が集まりすぎて5000万だか1億だか、とにかくとてつもない費用が集まったらしい。
報道もすごかった。スポーツ新聞はもとより、一般紙でも「国高の連載」コーナーができた。都立の星と言われた。まさに「国高フィーバー」である。
甲子園に行く前日。国立から2ケタのバスが出発した。私も乗り込んだ。
アルプススタンドで応援した。TVで見るのと違って、何が行われているかちっともわからない。今ならワンセグで同時に見ることもできるのだろうが、遠くで何かが行われている感じ。
それでも、国高側のスタンドの異様な熱気に相手の箕島のピッチャーは、気圧されたらしい。
ずーっと点が入らず、5対0(だったかな)で負けた。
私たちの夏は終わった。
その年、大学受験だった。
私は無事、浪人し、野球部の何人かは現役で東大に行った。(なんだよ!笑)
高校1年の時、スキー合宿で「国立」というゼッケンをつけていたら、地元の大学生に「コクリツだってさあ。変なの」とからかわれた。
3年の時、甲子園に行ったことで、「国立」を「コクリツ」と呼ばれることはなくなった。
そして、大人になってからも「あ、国高出身なんですねぇ~」と、私が頑張ったわけでもないのだが、関心されることも増えた。
国立の街中が、国高の同窓生全員が、全国が盛り上がった、そんな夏からもう31年。
懐かしい。
勉強もせず、あれほど熱くなれたイベントは、もうない。
2011年8月5日金曜日
「電話」を受けるのも大事だけど、かけさせたいよね。
OJTトレーナーの研修で全国行脚中の田中です。
現場での育成の工夫、OJTトレーナーの想い、考えをあちこちで具体的に聞くことができ、面白いなあ、と思っています。(人事部の方も、こういう場に顔を出し、現場の生の声をお聞きになったらなあ、と思いますが、すべての研修に立ち会うわけにもいかないのが実際のところでしょう。)
さて、電話といえば、新人が配属されて最初にしなさいと言われる仕事の一つです。
「電話を取る」方ですね。
電話を取ることで、敬語やマナー、取引関係、製品情報などを学べるから、まずは電話を取りなさい、と。
それはどの企業でも同じように言われ、行われていることだと思います。
それに加え、
「実は、電話をかけさせたいんですよねぇ」という声を聴きました。
「自分が新人のころ、電話をかけることになって、かけるまでに半日悩んでしまったから。後輩にも早く電話をかける体験をさせたいんです」と。
なるほど。確かに!
電話を受けるのも緊張するし、大変だけれど、これはあくまでも「受け」の姿勢でできること。
これが、こちらから「かける」となれば、どういう風に話を切り出し、簡潔に要件を伝えるか、ものすごく考えなければならない。
しかも、かけた相手が予想外に不在だったりしたら、伝言を残すなり、かけ直すなりの「始末」もつけないといけない。
「受ける」よりよほど根性のいる仕事なわけですね。
そうか、そうか。私も目からうろこでした。
ついつい、「新人には電話を取らせる」という方にばかり目が向きましたが、「電話をかけさせる」も実地訓練が必要。
どんな用事でもいいから、「メールで済ますな」「電話をかけてごらん」というのは、いい実務体験になると思います。
現場での育成の工夫、OJTトレーナーの想い、考えをあちこちで具体的に聞くことができ、面白いなあ、と思っています。(人事部の方も、こういう場に顔を出し、現場の生の声をお聞きになったらなあ、と思いますが、すべての研修に立ち会うわけにもいかないのが実際のところでしょう。)
さて、電話といえば、新人が配属されて最初にしなさいと言われる仕事の一つです。
「電話を取る」方ですね。
電話を取ることで、敬語やマナー、取引関係、製品情報などを学べるから、まずは電話を取りなさい、と。
それはどの企業でも同じように言われ、行われていることだと思います。
それに加え、
「実は、電話をかけさせたいんですよねぇ」という声を聴きました。
「自分が新人のころ、電話をかけることになって、かけるまでに半日悩んでしまったから。後輩にも早く電話をかける体験をさせたいんです」と。
なるほど。確かに!
電話を受けるのも緊張するし、大変だけれど、これはあくまでも「受け」の姿勢でできること。
これが、こちらから「かける」となれば、どういう風に話を切り出し、簡潔に要件を伝えるか、ものすごく考えなければならない。
しかも、かけた相手が予想外に不在だったりしたら、伝言を残すなり、かけ直すなりの「始末」もつけないといけない。
「受ける」よりよほど根性のいる仕事なわけですね。
そうか、そうか。私も目からうろこでした。
ついつい、「新人には電話を取らせる」という方にばかり目が向きましたが、「電話をかけさせる」も実地訓練が必要。
どんな用事でもいいから、「メールで済ますな」「電話をかけてごらん」というのは、いい実務体験になると思います。
2011年8月3日水曜日
ITpro連載、更新されました! 「ヒューマンスキル往復書簡」(8/2)
大阪に行ってきました。びっくりしたのは、セミしぐれ!
東京では、「セミの声を聴かないねぇ」とあちこちで聞きましたし、現に、我が家の近辺でも少しのミンミンゼミが鳴くだけで。
大阪は、もう朝から、「ジージージー」の大合唱。うるさいのなんの。オフィス街も、です。
東京と大阪では違うのねぇ、とびっくりしました。
一方で、6月に行った時はなかったことも。「節電」です。大阪市内もほの暗く、空調も抑え目でした。とうとう大阪も。関西電力のTVCMも節電を訴えるものが流れていましたし。
・・・・という前置きはさておき、
ITproでの芦屋広太さんとの連載が更新されました。
2週間ごとの連載の予定だったのですが、諸般の事情により、1カ月ちょいの間隔をあけての連載になっています。その分、ながーく続くようです。こうなったら年内ずっと続けようじゃないか! >編集者さま。
是非、ご覧くださいませ。
この「手紙のやり取り」というスタイル、案外楽しいです。何か振られて、それについて考える、というプロセス。制約がある分だけ、頭を使う感じ。
さて、次は芦屋さんがどう展開してくださるかしらん? どどーんと話題を変えていただけると、楽しいかも、です(笑)。
【連載URLはコチラ】
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20110722/362737/?ST=selfup
東京では、「セミの声を聴かないねぇ」とあちこちで聞きましたし、現に、我が家の近辺でも少しのミンミンゼミが鳴くだけで。
大阪は、もう朝から、「ジージージー」の大合唱。うるさいのなんの。オフィス街も、です。
東京と大阪では違うのねぇ、とびっくりしました。
一方で、6月に行った時はなかったことも。「節電」です。大阪市内もほの暗く、空調も抑え目でした。とうとう大阪も。関西電力のTVCMも節電を訴えるものが流れていましたし。
・・・・という前置きはさておき、
ITproでの芦屋広太さんとの連載が更新されました。
2週間ごとの連載の予定だったのですが、諸般の事情により、1カ月ちょいの間隔をあけての連載になっています。その分、ながーく続くようです。こうなったら年内ずっと続けようじゃないか! >編集者さま。
是非、ご覧くださいませ。
この「手紙のやり取り」というスタイル、案外楽しいです。何か振られて、それについて考える、というプロセス。制約がある分だけ、頭を使う感じ。
さて、次は芦屋さんがどう展開してくださるかしらん? どどーんと話題を変えていただけると、楽しいかも、です(笑)。
【連載URLはコチラ】
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20110722/362737/?ST=selfup
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