2025年4月30日水曜日

テスト

 テスト投稿。

2023年3月3日金曜日

久しぶり過ぎる投稿。

 最近は、noteをせっせと書いており、こちら、何年ぶりだろう、の投稿です。


使えるかどうかテストを兼ねて。


2019年5月12日日曜日

3年ぶりに更新

Bloggerにログインすらできなくて、色いろあたふたしましたが、こちらも再開しようかなと思い、とりあえず、1回書いて、更新してみます。

うまくできるのだろうか?

2016年7月31日日曜日

【うつわ巡り】黒川登紀子さん「ガラス」個展に行って来た!(2016年7月30日(土))

うつわ馬鹿がどんどん進行し、毎週のようにどこかの個展に出かけるという状態で、もう「誰か止めてー」なのですが、まあ、それはいいや。

洋服とか宝飾品とかバッグとか靴という「アパレル関連」にお金かけるよりはうんとリーズナブルな趣味です。(と自分を納得させる)

さて、黒川登紀子さんのガラス作品の個展に行ってきました。

2016年7月30日(土)、うつわ萬器 北千住店

【こちらはDMハガキです】 ※私の写真が下手なのではなく、最初からこういうかすんだようなお写真です。これがまたよい。



ずーっと前からこの初日をスケジュールに入れて、「7/30は黒川さん」「7/30は黒川さん」とお経を唱えるように楽しみにしていました。

思えば、2014年5月、初めて「フィールドオブクラフト倉敷」に出かけた時にも黒川さんのガラスは観ていたのですよね。見ていたんです。この目で。

沢山のカラフルなガラス作品が並ぶ方だなぁと思っていました。思っていたんです。

しかし、その時は、ガラスにあまり興味がなくて、陶磁器ばかりに目が行っていたので、何度も黒川さんのテントの前を通ったにも関わらず、素通りというか、横目でちらちら見るだけという・・。なんということでしょう。

あの時、ちゃんと自分のセンサーが反応していれば!

その後、何かのきっかけで黒川登紀子さんのガラス作品の美しさに気づき、それで、今年2016年5月、二度目の「フィールドオブクラフト倉敷」では、黒川さんめがけて猪突猛進しましたよ。
前日から倉敷入りしていたので、オープン20分前から、黒川さんのテントに貼り付き、周囲が手に取り始めたので、これ!というのを抱え、他の作品も吟味。

結局、この時は、ピンクとグレーの平皿を2枚購入。ああ、幸せ。ピンクが目当てだったので、嬉しい。とはいえ、手放したバイオレットのグラスと赤いリム皿も持ちかえればよかった、とハゲシク後悔するのでありますが、それはそれ、またリベンジの機会を狙いました。


【フィールドオブクラフト倉敷2016で入手したグレーとピンクの2枚】



そして、話は冒頭に戻ります。

黒川さんの個展が東京である!というわけで、昨日7/30は、いそいそと出かけました。

10時開店とのことで、すごく行列してそうなので、時間をずらして12時ごろ到着。

到着、到着。

がらーん。

がらーーーーーん。

棚を見せるイベントか?というほど、棚が棚だけ。たなたな。

もちろん、まだカップとかボウルとかピッチャーとか大きな蓋物は残っていたのですが、平皿は2枚くらいしかなくて。倉敷リベンジ!と思っていたものは、やはりなかったのでした。

もうこのまま帰ろうかなぁと思いつつ、北千住までやってきて、手ぶらで帰るなんてなるものか!と妙に闘争心が涌いてきてしまい、きっとそうでもなければ手にしなかっただろう「琺瑯風」のガラスカップやピッチャーや赤い縁取りのガラスボウルを購入しました。

持ち帰ってオヤツの時間に使ってみたら、あら可愛い♪

これもまた「怪我の功名」。「残り物には福があったわ」な結果となりました。

わーい。

【個展で手に入れたのは、琺瑯風の白いガラスたち】




夏はやっぱりガラスですねぇ。

昨日は在廊されていた黒川さんが他のお客様と話しているのを耳をダンボにして聴いていたのですが、ガラス作品を作るのは、ひたすら暑い!のだそう。

作っている最中は暑いとしか思わないのだけど、完成して、白いクロスの上にこうかな?こうかな?と並べて、「あ、この色とこの色、いいな」と眺める時に幸せを感じるのだとか。

作り手の思いとか気持ちとか、在廊日は直接伺えて(といっても、耳ダンボで聞いていただけですが)、それはそれでとても楽しい。

昨日(7/30)は個展初日の夜、萬器さんがブログでさらに「がらーーーーーーーーん」とした棚の写真を公開していました。


最近は、個展が初日完売になる作家さんも増えてしまい、ギャラリーも大変みたいですね。

整理券出したり、購入制限をかけたり、色々対応してますが、なかなかに難しい問題です。

と、うつわ歴20年以上の私は思うのであります。



2016年3月23日水曜日

9冊目の本を出版しましたよ♪ 『ITエンジニアとして生き残るための「対人力」の高め方』 日経BP社

このブログは、ほとんど読者がいないとは思うものの、自分用の記録として書いておきます。

日経BP社から、2016年3月18日に、私としては9冊目の本を出しました。紙です。

『ITエンジニアとして生き残るための「対人力」の高め方』



同僚の都川信和との共著です。

半年かけて執筆しました。それなりにいい本になったかなぁと思いつつ、一方で、もっと他に書けた事例もあったのに、といつまでも思ったりもしています。

どうぞよろしくお願いします。

2015年9月12日土曜日

【キャリア・コンサルタント試験①】試験範囲と内容

2015年8月末の土日、産業カウンセラー協会の「キャリア・コンサルタント試験」を受験しました。結果は10月初旬に書面で届くようです。自信あるようなないような、なんとも言えない気分で試験後は過ごしておりますが、いまさら思い悩んでも結果が変わるわけでもないので、次の目標(10月末の、人生二度目のハーフマラソン)に向けて、頭ではなく、今度は身体を鍛えることにエネルギーを集中させていきます。

さて、この試験を受けるにあたり、あまりに情報がなくて、ものすごく困りました。
ネットで検索すると、「試験対策講座」をビジネスとしている方がたくさん出てきますが、お金かけられないという方も多いと思うのですよね。「誰か情報を残しておいてー」と心の中で叫んだものです。

私は、講座に通う、受験費用、書籍代でだいたい20万円かかりましたが(きちんと計算していないのでたぶん、です)、それ以上にまた何かの「対策講座」「対策教材」に手を出すことはできませんでした。試験問題そのものの公開などは禁止されているので、お伝えできませんが、どんな勉強をして試験に臨んだかという情報であれば問題ないので、このブログでレポートしていきたいと思います。


どうも国家で審議されていた「
勤労青少年福祉法等の一部を改正する法律案」が2014年(平成27年)9月に成立したらしく、「キャリアコンサルタント」(中黒なし)が来年平成28年4月から国家資格となるようです。現在民間の複数団体が出している「キャリアコンサルティング」関連資格の合格者(2014年(平成28年)3月末までの合格者)は、何等かの手続きを経て、国家資格保持者になれるという話もあり、この夏から各団体の資格対策講座と試験に参加者が殺到している、という噂です。
といわけで、私が受験したものとは異なる試験ではあるでしょうが、これから受験する方にとって何か役立つ情報を提供できれば、ということと、私も落ちたらまた来年トライしなければならないので、簡単にすべきことが思い出せるように、ということで記録を残していきます。

※このエントリーは、「オルタナティブブログ」とのダブルポストです。「ひねもすゆるり。」のほうが詳しくなります。

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「キャリア・コンサルタント試験」の試験範囲と内容は、「キャリア・コンサルタント」講座のテキストの目次と同じです。

試験範囲と内容に合わせて、テキストが作られているから、そうなっているのだと思いますが。

【試験範囲】

<学科試験>
●キャリア・コンサルティングの社会的意義に対する理解
 1.社会・経済的な動向とキャリア形成支援の必要性の認識
 2.キャリア・コンサルティングの役割の理解
 3.キャリア・コンサルティングを担う者の活動範囲と義務

●キャリア・コンサルティングを行うための基礎知識

●キャリア・コンサルティングの相談実施において必要なスキル

●キャリア・コンサルティングの包括的な推進、効果的実施に係る能力
 1.キャリア形成、キャリア・コンサルティングに関する教育、普及活動
 2.環境への働きかけの認識と実践
 3.ネットワークの認識と実践
 4.自己研鑽・スーパービジョン
 5.キャリア形成支援者としての姿勢

<実技試験>
●キャリア・コンサルティングの相談実施において必要なスキル
 1.カウンセリング・スキル
 2.相談実施過程において必要なスキル

・・・・・・

こういう試験範囲に対して、どのような文献や情報を調べ、どんな学習したか、次回以降、まとめていきます。

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2015年2月12日木曜日

【父の介護日記⑤】怒涛の12月30日

ちょっと間が空いたが、怒涛の12月30日について記録しておきたいと思う。

ここまでの経緯は、以下の通り。
●2014年12月27日父が2Fに上がれなくなった (コレ
●トイレ介助の様子 (コレ

12月30日。
母は相変わらず体調不良で、横になっている。父は、一人で歩けない、不機嫌。トイレ介助必要。

朝9時半ごろだったか、「あれ、トイレの回数が多くないか?」と気づいた。
起きてからもう3回もトイレコール。前日まで明らかに頻度が高い。
30分に1回どころか、その内、20分に1回となった。
(夜中も2-3回起きて介助している)

そもそも、トイレには10分ちょいかかる。
20分に1回、トイレコールがあるということは、ほぼ10分起きにトイレ介助をしている状態になる。

もうおせち料理作りは諦めていたのだが、(第一それどころじゃない)
とはいえ、家族6人分の食事の支度、洗濯、掃除・・・もある。
洗濯だって半端な量ではない。

記録を取り始めた。祖母の介護をしていた時、大と小の記録を毎日取っていたのを思い出したからだ。

写真を見ていただければ分かる通り、こんな感じ。
トイレ.jpg

4回目:9:52  (たぶん、この前に3回あったのでは、と思い4回目からカウント)
5回目:10:20
6回目:11:00
7回目:11:18
8回目:11:38
9回目:12:05
10回目:12:30
11回目:13:38
12回目:14:40
13回目:15:20
14回目:15:37
15回目:15:37
16回目:16:03
17回目:16:40
・・・・

もう11時台には、「明らかにオカシイ」と全員が思っていた。

父を車椅子に載せて、バリアアリーな家の中を移動し、トイレへ。
トイレ座らせると、焦点の定まらぬ目をして、目の前にあるウォシュレットのボタンを押しまくる。
せん妄? もしや、せん妄?・・・

様々なボタンをただ押しまくって、お尻も水浸しになって、何も出ていないのに、「もういい」と言うので立ちあがらせ、
私はお尻を拭いて、
ズボン履かせ、また、車椅子に移乗。バリアアリーな家の中を再度移動し、
リビングのソファへまたさらに移乗。

10分もしない内に「トイレ―!」と怒鳴るように呼ばれる。

「お父さん、10分前に行ったばかりだし、さっきも出てなかったよ」
というが、表情の消えた父は、「いいから行かせろ!」と言うばかり。

トイレに座らせれば、すぐにウォシュレットのボタンを押しまくり、一向に「おしっこ」をする気配もない。
そして、すぐにソファへ戻せと、その繰り返し。

なんの嫌がらせだ、これは。

トイレ→ソファ→トイレ→ソファ。

シジフォスの神話を思い出した。きっとこれは罰ゲームだ。
神様に挑戦されているのか、私達は。

家事は何も進まない。
今後のことを考えたいと思ったが、考えることも家族で話し合うこともできない。
ひたすら、トイレ。トイレ。トイレ。


一方で食事。

口の中が痛いといい、固形物を一切摂らない。
プリンはどう?といってもダメ。
水もちょっと口に含んで、「もう要らない」。

これじゃあ脱水状態になるんではないか。

困った。

この時の父の状態は、
●20分毎のトイレ(実質10分間隔)
●食べない、飲まない
●常に怒っている(怒鳴られている私たちは疲弊)
●目の焦点が定まっていない
●両脚膝下が赤紫色に浮腫んでいる
●両脛の怪我は膿んで痛いと訴える
●全身で「ぜーぜー」言っている(喘鳴)
だった。

昼過ぎに、父の主治医でもある友人がメールしてきてくれた。
「淳子さん帰ってきているんなら、ご実家にちょっと立ち寄ろうかな」と。

すかさず、上記の状態を返信。

「わかった、お父さんの様子も診るね」と。

14時くらいだっただろうか。友人の医師が実家に来てくれた。

トイレ、脚の浮腫み、口の痛み・・・。ざっと状況を診て、以下のようなことを言われた。

●喘息が出ている、かな。ぜーぜーしているからね。
●トイレの回数が多いのに何も出ていないんでしょ? 前立腺肥大が起こっているかも。
→「えー、20年くらい前に前立腺肥大の手術したのに、なぜ?」「あれは、中をちょっと削るだけだから、また肥大するんだよ」
「えー、そーなのぉぉぉ!?」「前立腺肥大で、膀胱には尿が貯まっていてしたいけど、出ないんじゃないかな」
●口・・・は専門外だけど、歯科医の領域だなぁ。
→「そうか」「うーん、でも12/30でしょう。もう歯科医、全部しまっているからなぁー。年明け早々に歯科医に行くか、だけど」
●脚の浮腫みは、圧のある靴下はくといいかも。1/2には病院の売店が開くから買いに来て。
●せん妄・・・ちょっとあるかもね。でも、意識障害であって認知障害じゃないから。
●怪我・・・膿んでるから痛いんだろうな、かなり深い傷だしね。

・・・・「ちょっと病院に戻ってくるわ」。

うへ?我が家のために?

前立腺肥大か。圧の靴下かぁ・・・。12月30日。年明けじゃないとダメか、全部。1月2日まで乗り越えられるのか、この状況。
しかし、とにかく、友人は病院に引き返してくれた。

一方で、寝込んでいる母は、近所の友人KさんにTEL。
そのKさんの身内に歯科衛生士がいることを思い出し、年始にその衛生士さんがKさん宅に遊びに来ると聞いていたので、
「正月、可能だったら、うちにちょっと診に来てもらえないだろうか」と相談した。藁にもすがる思いで。
「うん、わかったわ。うちに来たら言ってみるね」との返事。よし、1/2日くらいに一度来ていただけるかも知れない。


だが、30分後、そのKさんからTELが。
「今、近所にいて、最後の訪問歯科が終わったところなので、田中さんちに行ってもいい?って〇〇ちゃんから連絡あったけど」
「え?今から?12/30のこの夕方の時間に?お願いしていいですか?」

「歯科衛生士さんが来てくれるって!」

・・・・

1時間もしない内に、その歯科衛生士さんが来訪してくださった。
歯科医を連れて。

びっくりした。

「年内最後の訪問歯科が終わって、病院に帰ろうかというところだったのでちょうど通り道でした」

ソファに座ったままで父の歯のレントゲンと撮ってくださり(家でレントゲンが撮れるのだ!)、診断。

奥歯が動揺しているので抜歯したほうがいいかな。あとは、歯周病ケアをするだけで少しましになるかも。
抜歯するとしても年明け。
とりあえず、歯周病ケアをすれば、ご飯食べられるかも。
痛み止めも飲んで。
年末は乗り越えられるよう、頑張ってみましょう。

・・・歯科医と歯科衛生士の二人で父を診て下さっている間に、主治医が今度は病院から戻ってきて、
彼は彼で、「歯科医と歯科衛生士がいる」ってことに非常に驚いていた。
主治医は前立腺肥大の薬と弾性包帯を用意してくれた。

16時ごろ、我が家には医師が3人いた。 
歯科医、外科医(主治医)、そして父(一応内科医)。

父も会話はできるので、歯科医と外科医、外科医と父、など、医学用語でやり取りしていた・・。

内容はよく分からないのだが、年末年始を乗り越える算段は付いたようだ。


この時された処置、対応は、以下の通り。

●歯周病ケアと痛み止め
●脚の浮腫みに対して弾性包帯を巻く
●前立腺の薬飲んでみましょう、おしっこ出るようになるはず

・・・ってところ(細かくはもっとあるのだが、おおざっぱに言えば)。

歯科医・歯科衛生士チームに感謝を述べ、送り出し、
主治医(かつ私の友人)を引き留め、一緒に夕飯へ。

「水分摂らないとダメだねぇ。おしっこでなくて、何も食べなくて、まあ、食べないのはいいけど、水分は最低500、できれば700、可能なら1リットルくらい摂れるといいんだけど」

「出ない、飲めない、が続くとどうなるの?」

「腎不全起こす。そうなったらあっという間だ」

「あっという間か・・・」

この時初めて、私は、父が数日以内に死んでしまうという可能性を考えた。これまでの数日も「年内持つのか」「1月は持つのか」と思っていたけれど、「腎不全起こしたらあっという間」という言葉で、どーんと衝撃を受けた。

「もし数日で父が死んでしまうとしたら、それまでに何をすればいいのだ。いや、そういうことではないか。話しておくべきことはあったか。いや、意識もところどころ朦朧としているし。」

ぐるぐる考えていた。

父は、夕食の時間もほとんど何も口にしなかったが、水分だけはちょっと摂った。

この日がピークだった。
結局、数えていただけで、トイレは22回。(記録漏れもあるだろうから、実際にはもっとあったかも知れない。)

父の最悪な日。
家族も疲労困憊な日。

しかし、救世主のように医師が2人も来てくれて、奇跡の1日でもあった。


翌日の大みそか、父のトイレ頻度は、上記の写真の通り、少し減った。

私は、祖母の介護の時、ミキサーでご飯用意していたことを思い出し、
野菜のポタージュを作ってミキサーでがーっとつぶして、父に出してみた。

相変わらず、口の中の痛みはあったが、痛み止めで少しは物を入れられるようになったようで、
とろとろのミキサー食・スープをちょこちょこと飲めるようになった。

水分摂取の記録も並行して取っていたが、12/31はほぼ500㏄くらい。
1/1が700㏄くらいだったかと思う。

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もう1ヵ月半近く経過していて、記憶が不鮮明な部分もあるが、怒涛の12/30は、こうして過ぎていった。

父は現在、比較的元気にしている。せん妄状態もあの日だけで、頭しっかり。
歩けないのは変わらないが、普通食を摂れている。



【父の介護日記④】トイレ。

怒涛の12月30日について書く前に、「トイレ」について。

12/27には室内車椅子が導入されており、その車椅子が大きくて小回りが利かなかったため、29日には、小型のものに交換してもらっていました。
私が実家に到着した時点で、ちょうど小型車椅子が搬入されたところ。

父は自力で歩くことが全くできなくなっていたので、トイレが一番の重労働となりました。

【トイレ介助のプロセス】 *基本的に日中、父はリビングルームのソファに座って過ごしています。

1.「トイレに連れていってー」と父が訴える
2.「はいー」と2人(誰でもいい)が父のところに行く
3.1人が「車椅子」を父のすぐ脇に寄せ、ストッパーをかける
4.2人で父を立たせ、1人が動かない右足を手で動かしながら、車椅子の前まで移動させる(父は介護用棒につかまっている)
5.2人がかりで父を車椅子に座らせる
6.1人が足乗せに右足と左足を手で乗せる
7.ストッパーを外して、車椅子を動かす
8.リビング→廊下→トイレまで1人が車椅子の前で段差を持ち上げる、一人は後ろから押している
9.前にいる1人がトイレの中に入り、車椅子をトイレぎりぎりまでひっぱり(一人は後ろから押している)
10.前にいる1人が、父の両足を順番に足乗せから降ろす(足乗せは、左右に跳ね上げる)
11.前にいる(トイレ内にいる)1人がトイレの外に出る
12.車椅子を後ろから押していた1人と外に出た1人の合計2人で父を抱きかかえて立たせる(父はトイレ内に設置したバーに両手でつかまり踏ん張る)
13.1人が車椅子を後ろにひく(邪魔にならない場所へ)、別の一人が父のズボンやらパンツやらをひざ下まで降ろし、父を座らせる
14.2人とも呼吸を整える
15.トイレが終わると、父を持ち上げて立たせ、目の前のバーに捕まらせる(その間、一人がトイレットペーパーでお尻を拭く。小であっても)
16.1人が立っている父を脇からさらに支え、1人がその間にパンツやズボンを持ち上げる
17.パンツ担当の1人が車椅子をまたトイレの近くまで持ってくる
18.2人がかりで父を車椅子に座らせる
19.1人が車椅子の前に回り、前から引っ張ってリビングへの段差を乗り越える
20.ソファの脇まで車椅子を近づける
21.前にいる1人が父の両足を足乗せから降ろす
22.後ろと前の2人で「せーの」で父を立たせる(父は介護バーに捕まって踏ん張る)
23.1人が車椅子を下げ、1人がしゃがみこみ、父の両足を少しずつ動かす
24.父がソファーの前まで移動できたら、2人がかりで座らせる
25.父と介助者2人の合計3人が呼吸を整える


1~25までで最短10分。その後、トイレの掃除も軽くするので、全部で13分くらいかかる計算。

これを1日何度も繰り返します。
読んでいても全然映像が思い浮かばないと思いますが、まあ、たくさんのステップと力が要るのが、トイレ介助でした。

ちなみに父は70㎏欠けるくらいあります。
しかも、右下肢完全麻痺で、足の位置すら動かせません。

【父の介護日記③】年内最後の訪問看護師とケアマネージャの来訪(12/29)

実家に到着したのは12月29日(月)午後2時ごろだったかなあと思います。いやもっと早かったかな。

すでに妹一家(甥っ子5歳を含む)が前夜からいて、妹からは、以下のような連絡を受けていました。

「お母さん、相当疲れている」
「お父さん、自分のことを、心不全だと言っている」
「明日29日、私は病院に行くつもりなんだけど、一緒にお父さんも連れていこうか?」

・・・ 父は内科医なので、自分で、自分の状態を"心不全"と「診断」していたようです。

実家に着いてまずびっくりしたのが、父より母でした。

数日前から風邪気味だとは聞いていましたが、ソファーに横になっており、表情が死んでいる! 目がとろーんとして、反応も鈍く、だるすぎるだるくてたまらないという感じ。

母に「大丈夫?」と聴くと、「気力が湧かない」と、これまで聴いたことのないセリフを。そういう弱音を吐く人ではないので、表情共に、びっくりしました。

父はといえば、いつも通りソファに腰かけ、TVを見ているものの、呼吸が苦しそう。喘鳴が聞こえています。

むむ、これは。。

「3時に訪問看護師さんとケアマネさんとフランスベッドの方の3人が来るの。訪問看護師さんがお父さんを入浴もさせてくれるので、お風呂洗って、お湯ためて、風呂場を温めて・・・」と母はそういいまだ倒れています。

到着したばかりで、なんだかわからない私は、自分が着替えたり、なんだりしているうちに、義弟がお風呂掃除を始め、「ああ、ごめん、私がしなきゃいけないのに」といい、ばたばた、と。

15時、ケアマネさんと訪問看護師さん、フランスベッド介護用品担当の営業さん?到着。まずは、すでにレンタルで数日前に導入されていた室内車椅子の交換。
大きすぎて家の中で動きづらかったこともあり、小回りの利くサイズに交換したとのこと。

「お、これだと、お父さんをなんとか風呂場まで連れていけるわ」などと皆言っている。
看護師さんが血圧測ったり問診したりしてから、入浴へ。

ソファに座っている父は支えることで立ち上がれ、そこから車椅子に移乗。車椅子でトイレへ。2人がかりでトイレへ座らせ(介助)、そこからさらにまた二人がかりで車椅子に移乗、2人がかりで風呂場へ。
風呂場では、100㎏の力で寄りかかっても大丈夫という、入浴介助用の椅子(フランスベッド製)があり(これもレンタル)、・・・あとは看護師さんにお任せ。

・・・風呂から上がり、また車椅子でソファへ。

再度看護師さんが父を診てくださいました。

ちょっと前から父が「口が痛くてあまり食べられない」と言っていたので、看護師さんに伝えますと、看護師さんも口腔内を見て、「うーん、なんでしょうねぇ」とわからない様子(そりゃそうです。歯科が専門なわけではないですから)

その日は、ケアマネさんと私は初対面の挨拶をし、フランスベッドの担当者には、すでに導入していた介護電動ベッド、室内車椅子、部屋のそこかしこに設置してある天井と床でさえる巨大つっぱり棒(これにつかまって立つわけですね)などのほかに、「立ち上がりを楽にする介護ソファ」もどうかな?などと話して別れました。
(この間、理系の義弟は、「どういう導線にすれば室内で父をより楽に移動させられるか」をひたすら検討していました。PCをここの移す? 介護ソファをここに入れて、もとからある3人掛けソファは脇によけて。・・・などと)

1月29日(月)、この日で年内の公的な方との打ち合わせは全て終わりで、年明けは、1/5(月)の平日から、ケアマネさんもその他皆さんともまた連絡が取れることになりますね、なんて話をして、「今年もありがとうございました」の挨拶をしてお別れ。

この時、フランスベッドの担当者さん(若い男性)は、「ボク、年末年始、基本的には家でごろごろしているだけなので、何かお困りのことがあれば電話してくださいね」とおっしゃって、なんといい人なんだ、と感激したのを覚えています。

お風呂終わるともう夕食の支度。

母は相変わらずどよんと寝込んでいるので、妹と私とで夕食の支度。その晩は、前夜作ってあったおでんに、新しい種を追加投入して、2晩目のおでん。

父は、ソファーから動けないので、リビングの父のところまで、比較的柔らかいおでん種を小分けにしたものを持っていきましたが、「口が痛い。食べたくない」といって水分をちょっと摂ったのみで、「もういらない」と険しい顔をして食事を拒絶します。

父は食事くらいしか楽しみがない、というほど、「朝昼晩」のご飯を「まだか」「まだか」と言っているタイプだったので、以前から「お父さんが食べなくなったら危ないね」と家族では話題にしていたわけですが、その父が「食べられないから要らない」と言い出しました。

あ、こりゃ大変なことが起こるかな?と、漠然と予感し始めたのがこの29日でした。
口が痛いのは何故なのか? 喘鳴はどこに原因が? トイレに連れていくだけでも重労働だ、これ、もっと楽にならないか?
(父およそ70g、母、たぶん、45㎏くらい。一人では限界が・・・)

そして、怒涛の12月30日(火)がやってきます。

この日、家族全員が"死にそう"になるのでした。(父だけでなく、介護している家族みんなも・・・)

【交換された小回りの利く車椅子】
車椅子.jpg

【父の介護日記-番外編-】介護はそこここに溢れていた!

オルタナブログとダブル投稿です。

****
年末から父の在宅介護に追われ、一時は父の死ぬかも、という状況になったのですが、家族も「死ぬ―」と思うほどの状態がありました。
心身共に疲れ果て・・・という・・。

後日詳しく書きますがそれはまるで「シジフォスの岩のお話」を体現しているような。
これは何の罰ですか?と思うほどの日があったのです。

さて、そんなこんなをFacebookだけで公開していましたら、もちろん、状況が状況なだけに「いいね!」を押す方は少ないものの、相当数の方が私の介護状況を見守ってくださっていたようです。

コメントがいつもより多数寄せられました。
コメントではなくメッセージで頂戴するケースもありました。(今でもあります)

メッセージの場合は、本当に個人的な状況を詳しく説明してくださり、「うちも同じ」「一緒に頑張ろう」「書いてくれて、自分も調べ方がわかった」など添えてあります。

それでわかったことは、介護は日常に溢れかえっているという事実です。

誰も口にはしないけれど、40歳も過ぎたら、男女問わず、実の両親、義理の両親、そして、祖父母と大勢の高齢者を抱え、その中で、一人は被介護者がいるという方が本当に多いのです。

現在進行形の方も、数年前まで4年見てましたとか、在宅で5年とか、ホームに最近入居してもらい後ろめたい気持ちも残っているとか、あるわあるわ。

巻き込まれている世代は、40代以上なので、働き盛りというか、重要なポストについている方も多く、また、晩婚化も手伝って、子育てと介護が同時多発で起こっているケースも。

ああ、なんてこった。

私がFacebookで饒舌に自身の身に降りかかる介護のことを書いていたら、それに誘われるように、大勢の方が、「私もそうだ!」「私の話も聞いて!」と反応してきたってことは、誰もが「誰かに聴いてほしい!」ということにほかならず。

それだけ、介護者は孤独で追い詰められているのではないかとも思った次第。

だいたい、子育ての苦労は、子どもがかわいい!ということで救いがあるけれど、
高齢者の介護は、汚い話も混ざってきて、救いになる部分が少ないと思うわけです。

私も父のうんこを拭く・・という日々を送りましたが、あかちゃんのうんちと大人のうんこはなんか次元の違うものがありますよね。

そうなると、「話しても仕方ない」「他人の目に触れさせても」「そんなこと聞かされても困るよね」と遠慮して、一人で胸にしまって悲しみや苦しみを耐えてしまうのではないだろうか・・・。

いや、もちろん、一番情けないと思っているのは、被介護者当人ではあります。
父も「こんな風になってしまった」と最悪の体調になった頃は言っていました。(頭しっかりしているものですからちゃんと認識できている)

でも、家族もやるせない。

そして、肉体的にも精神的にも、まじキツイ!

日本は、本当に高齢化社会なのですねぇ。

介護うつにならないためにも、独り言でもいいから、話すことでじゃんじゃん発散したほうがいいと思うのです。

・・・・・いやはや、大変。

我が家はまた別の意味で、大変なモードに突入しました。昨夜。

2015年1月13日火曜日

【父の介護日記②】突然父が2Fに上がれなくなった(2014/12/25)

父の介護日記②。(オルタナブログとのダブルポストです)

まずは、年末年始の出来事を記録していきましょう。(その後、「年末年始」後のさらなるドタバタ、「日本の介護事情」などを書いていきまする)

何度も書きますけれど、12月22日(月)~24日(水)まで、両親や妹一家と6人でクルーズ旅行をし、船上から熱海の花火を楽しんだりしました。

この時の父は、車椅子で移動するものの、食欲は旺盛で、私が食べきれないほどのフルコースディナーをぺろりと平らげておりました。(朝ごはんも昼食も同様)

船室ではソファーに座り、車椅子に乗り移る(=移乗と言います)には、一人以上の介助が必要。トイレに行くにはできれば2人の力があるといいという感じでした。すでに右下肢は麻痺しているため、足を動かしてやらねば、右足は置いたままの状態で向きも変えられない状態ではありました。

つかまったとしても、一人で1分も立っていられないので、入浴はできませんでした。(シャワーすら浴びることができない)
とはいえ、まあ、足が不自由な老人というくらいの様子だったのです。船内イベントもほぼ全部見学し、楽しそうにしていましたし。

・・・この時点で、私や妹は、「むむむ? 秋以来、2-3か月ぶりに会ったけど、この状態で、母と2人で大丈夫なのか?」と心配はしていましたが、なんせ食事は全部食べるし、トイレさえ介助すれば、次のトイレまで2-3時間くらいは一人で放置しておいても大丈夫だったのです。

これが嵐の前の静けさだったとは、後で知ることになります。

下船が12/24(水)、横浜大桟橋のタクシー乗り場まで、船のスタッフにも手伝ってもらい車椅子で移動。タクシーに乗り込むところまで2人くらいで介助(右足が動かないため)。 
タクシーを降りてから、母一人で家まで上げることができるのか心配でしたが、「大丈夫」と母も言うので、見送りました。

私も妹も帰途につき、落ち着いたころ実家にTEL(だったかメールだったか)をしたところ、「お父さんは無事、自宅に上がり、2Fの寝室に行って寝た」というので、一安心でした。(この「2Fの寝室に行って」という部分も後から聞くと大変なことになっていたのですが、この時点では知る由もなく)

翌日25日、26日と母に何度かメールしたものの、日ごろなら数時間以内に返信があるのに、なぜかちっとも返信がないため、なんとなく心配になり、TELしました。TELも最初は通じず、だんだんと胸騒ぎがしてきて、携帯や自宅に1時間おきくらいにかけているうちに、やっと母が出ました。たしか、26日のこと。

「忙しくてメールする暇、なかったのよぉー」

「何があったの?」

「お父さんが、2Fに上がれなくなって、この2晩は、1Fのソファーで寝たのよ。寝心地悪いでしょう?だから、ケアマネージャさんにお願いして、急きょ介護ベッドが入ることになって、ばったばたしてて」

「うへ」

・・・そんなことに。 24日下船→帰宅後、2Fの寝室に行ったのに、その翌日からもう2Fには行けなくなったというのです。

1Fには和室があり、そこに介護ベッドを入れることになり、年末なのに2日で対応してくださったらしく、27日にはベッドが入ったといいます。
(もともと、母は1Fの和室で布団で休み、父は2Fの寝室のベッドで休んでいました。もう20年くらい前からかな)

25日、26日とソファで寝た父。 (ちなみに160㎝くらい、70㎏くらい。重たい)
27日から介護ベッドで。
介護ベッド導入の晩から、父は母の蒲団の脇にあるベッドで寝ることになったわけですが、父が夜中「1時間に1回」の頻度で「今何時?」「もう朝?」などと声をかけるため、母が眠れなくなってしまったらしいのです。(これも後で聴いた話です)

28日、妹一家が実家に帰省します。到着すぐに私に妹からメールが。ひとこと。「おかあさん、相当疲れている」


・・・何が起こっているんだ?実家で。

私もすぐ行ったほうがよさそうな状況でしたが、1月5日に締切がある原稿が3本くらいあって、年始に書こうと思っていたのでしたが「もしかすると年始は自宅に戻れないかもしれない」と思い、急きょ、原稿を書くことにしました。急げ、急げ。ネタ考えろ。(← この判断は正しかった!)

火事場のばか力とは本当のことで、4本の原稿をそれぞれの担当編集者に送ったのが、29日午前中。午後から実家に向かったのでした。

12月29日(水曜日)14時ごろ実家に到着。

実家で目にした父と、そして母の様子に愕然としました。

・・・続く。

2015年1月8日木曜日

【父の介護日記①】年末年始と父の介護でてんてこ舞いになりまして。

===「介護日記」については、オルタナブログとダブル投稿です。どちらかをやめてしまうかもしれないので、とりあえずダブルでスタートします===

みなさま、あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

年末に家族(両親、妹家族、私の3世代6人)で、熱海の花火Xmasクルーズ(12月22日-24日)の2泊3日を楽しんでそれぞれ自宅に帰宅。その2日後から父が急激に衰え、28日には完全介護の状態に陥り、30日には一時食事もとれず、尿も出ず、このままだったら「腎不全」で死ぬぞ、な状況に陥り、その上、要介護ではない健康な母も体調を崩し、妹一家(甥っ子5歳も含む)と私の4人で介護と家事、その他、事務的な手続きに追われ、・・・といっても、年末年始で病院は閉まっている、公的機関(たとえばケアマネージャさん)に連絡取れない・・・、というピンチに見舞われてしまいました。 (実際には、船内でもトイレの介助は必要で、2人がかりでトイレに運び、立って用を足したら車椅子に戻す、ということはしていたのですが、帰宅してからは立って用を足す、もできなくなり・・・)

で、結論から言うと、父は今でも生きており、しかも、元気になり(下肢麻痺があり、自力歩行はできませんので、介護状態であるには変わりませんが、頭もしっかり、ふつうに座っているとただの老人にしか見えないし、7日から固形物も摂れるようになり)、母もだいぶ体調が戻り、私も1/7(水)から職場復帰・・・と、なんとか、平常の7割くらいまでの状況には戻りました。

年末年始の10日間ほどで、日本の介護を取り巻く環境やらサポート体制やら、老人介護の現状やら、在宅介護の問題点やら、物理的なことだけじゃなくて、心理的な側面や経済的側面などについても調べ、考え、それなりに詳しくなりまして、おいおいブログなどでレポートしていこうと思います。

実は、年末年始の介護に追われていたさなか、Facebookでのみ、その都度あれこれ書いて公表していたのですが、友人の多くが同年代であることから、多くの方に「うちも同じ」「うちもそろそろ」「そういうことを今のうちに勉強しておきたい!」と息をひそめて凝視してくださっているコメントをいただき、老親の介護問題には関心が高いことをあらためて知りました。

私、というか、田中家は、12年前までの8年間、祖母の介護を在宅でした経験があり、私も妹もそれなりに介護知識と介護経験があったことが、この年末年始の窮地を乗り越えるのに役立ちました。

知っていると知らないとでは大違い。
やったことがあるとやったことがないとでも大違い。

そして、ネットに情報があるとないとでも大違い。

父の介護で経験したことは、誰かの役に立つかもしれないと思い、時間を見て、ちょこちょこと書いていきます。

・・・というわけで、今年は正月があったようななかったような、いや、なかったのだけれど、
とにかく、新しい1年、またどうぞよろしくお願いいたします。

よく「何はともあれ身体が資本」などと申しますが、自分の健康だけでなく、家族の健康も、自分の仕事に影響するのだなあ、としみじみ思いました。

個々にはお礼を申し上げておりますが、年末年始助けてくださった医師、友人、ご近所の方、公的支援の担当者などなど、本当に多くの方のサポートに感謝します。

介護業界、凄いわー、皆プロだわー。

2014年11月21日金曜日

熊本大学公開講座「インストラクショナルデザイン」に参加した④ これからは、「学ぶ意欲のある人」にだけ「学ぶチャンス」が与えられるようになっていく?

自分メモとして、オルタナブログと同じエントリーです。



熊大の「ID」講座は、先日の日曜日、11月16日に東京工大の芝浦のキャンパスで開催されたのですが、実は、後編(実践編)が控えています。2015年1月25日に同じ会場で開催されます。

で、ですね。 この後編に参加するための事前課題があるのですが、昨日、どどーんと届きました。まずは、メールでファイルが添付されてきて、それに対する「これをやってね」指示。

作成した成果物は、サイボウズLiveにアップしてね。皆でお互いに見えるようになっているから、業種、業界、職種関係なく、ほかの方の成果物も見ておいてね、とのことでした。

そして、1月の「ID」後編は、こうやって参加者が事前に提出した課題を使ってのワークショップになる模様です。

こうやって、全国の参加者が、ネット上で課題を共有できるのですねー。すごい時代ですねー。

と感心しながら、ふと思ったのです。

「これ、学習意欲が高い人でないと成立しないな」

と。

私は、とても今熱心にIDの勉強をしているので、もちろん、事前課題はわくわくしながら取り組もうと思っていますけれど、これが会社からお仕着せの研修だったりすると、そうそうやらない人もいるんだろうなぁーと思ったり。

そういえば、このID講座の後、鈴木克明先生を囲んでの懇親会がありまして(居酒屋で)、20人以上が参加したのではないかと思うのですが、お隣に座っていた製薬会社の人財育成担当の方からこんな話を聴きました。

「うちは社長の方針で、階層別研修や必須研修をぜーんぶやめてしまいました。開催したところで、受け身で参加する人が多いし、大して学ばないし、こんなことにお金使うこともない、と。その代り、学ぶ意欲のある人、伸びしろのある人に投資しよう、ということになりまして」
「なるほど。たとえば、3年次研修で20人集めて1-2日トレーニングするのに100万かかる。けれど、それで熱心に学び、仕事に役立てる人は数えるほどしかいない。事前課題もやってこないし、研修中も抜けたりして、ちゃんと聞いていないとか・・・。同じ100万なら、”これを学びたい!これを仕事に活かしたい!”と自らやりたいことを言い、”投資してくれー”と訴えてくる2人に50万ずつ投資したほうがうんといいって、そういう感じですかね?」

「そう!そう! まさにそう! 社長がそう言ってますし、ボクもそう思うんです!」

・・・・。

実際、こういうことをおっしゃる経営者は増えているような気がします。人財育成は必要だが、予算も限られている。以前は「福利厚生」的要素があったかもしれないけれど、今はどちらかというと「投資」として考える。「投資」と考えるならば、「投資」したことが「回収」されなければならない。だから、価値ある「投資」先に「投資」したい・・・。

これからは、誰にでも一律に学ぶ機会が与えられるのではなく、「学ぶ意欲」のある人にはチャンスが与えられ、「学ぼう」としない人には、チャンス自体も巡ってこなくなり・・・。という風になるかもしれませんね。

そういう意味でも、動機づけモデルARCSは、学習提供者が教材開発や研修実施に役立てるだけではなく、学習者自身が自分の学習意欲を高める、駆り立てるために適用する、という考えは、深く納得なのでした。

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熊本大学公開講座「インストラクショナルデザイン」に参加した③ ARCSモデル(学習者の動機づけモデル)

オルタナブログと同じエントリーです。



2014年11月16日(日)に参加した熊本大学公開講座「インストラクショナルデザイン」の受講レポート第三弾。

今回は、学習者の動機づけモデル「ARCS」について。

ARCSは、ジョン・ケラー氏によってモデル化されたもの。

Attention(注意喚起)
Relevance(関連性)
Confidence(自信)
Satisfaction(満足)

の頭文字を取って「ARCS」(アークス、と読みます)。

Attention:何だろう?何をやるんだろう?面白そうだなぁ!と学習者の注意を引く
→ たとえば、研修タイトルに「おや?」と思わせるようなキャッチーなキーワードを入れる、とか、エピソードなどを交えて進める、とか。

Relevance:やりがいがありそうだなぁ。これが仕事にこんな風に生かされるのだろうなぁと関連性を感じさせる
→ 何のためにこの学習があるのか、どう実務に結びつくのかを実感させたり、自分のペースで自分のやりたいように学習できるようにしたり。

Confidence:やればできそうだなぁ。できる!できるぜー!と思わせる
→ 「出口」を明確にした上で、「おお、できた!」という成功体験を積み重ねられるようにしたり。
Satisfaction:やってよかったなぁ。努力が実を結んだ、次も学ぼう!と思わせる
→ やったことが無駄にならなかった、達成感を味わえたり、褒められたり。


この4つのキーワードに当てはめて、「学習者の動機付け」をするといいよ、という考え方です。

ケラー氏は、このモデルを作るにあたって、数多くの動機づけ理論を調べたそうです。そして、ARCSに分類してみた。その後、今度は、実務家などの「ノウハウ」をまた調べてみて、やはり、実務家が言う「動機づけの仕方」もARCSで収まる。うん、じゃあこれで「ARCSモデル」ってことでいいよね、となったとのこと。

ただし、まだまだ進化中なので、ケラーさんが書いた本にも「現時点でまとめているものを本にするね」ってなことが書いてあります。(以下の書籍リンク参照)

私はこの「ARCSモデル」を長らく、「研修提供者側」「教材開発者側」が使うモデルだと思っていました。

しかし、この講習で、鈴木克明先生は、「学習者側にも”ARCS”の視点で学習を考えてもらうといい」とおっしゃいました。

つまり、学習者自身が「どうすれば”面白そうだ”と思えるか」「どうやれば”やりがい”を感じたり、”自信”が得られたりするのか」「どうやって”満足”すればいいか」を考え、工夫してみたらいいのだ、と言うのです。

この「学習者視点」でのARCSモデルの適用について、これまで一度も考えたことがなかったので、うぉぉぉ! 目から鱗100枚!と心の中で叫びました。

鈴木先生は、この講習の中で、何度もこうおっしゃっていました。

「人に教えるって、何が目的なのか。それは、”自分で学ぶ人”を育てることでしょう? 教えて、その結果、受け身の人を作ってはダメなんです。 教育の目指すこととは、”自分で学ぶ人”を育てること。」

だから、ARCSだって、学習者視点で活用すればよい、ということなのですね。

言われてみれば当たり前なのだけれど、教える側、教材や研修を提供する側の視点で「自分たちが何をするか」ばかり考えていました。

学習者が自ら学習でき、主体的に学び続けられるようにするための”ARCS"。

この考えを得ただけでも、参加してよかった、と思ったのでした。

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ケラーさんの本。ちょっと難しいですが、面白いです。

熊本大学公開講座「インストラクショナルデザイン」に参加した② 出口と入口。

自分メモとして、オルタナブログと同じエントリーです。



熊本大学公開講座「インストラクショナルデザイン」の報告第2弾です。

IDは、教育活動の”効果”と”効率”と”魅力”を高めるためのシステム的アプローチである、ということはエントリー①で書きました。

で、大事なこと、というか、コアになることは、まず「教育活動(たとえば研修)の”出口”と”入口”」をきちんと明確にする、ということです。

入口 → 教育プロセス(というか成長プロセス) →  出口

と流れで見た場合、学習者は、「現時点でどういう人か」「どういう人を対象とした学習なのか」を明確にするのが”入口”のお話。

「何がわかっていて、何がわかっていないのか」
「何ができて、何ができないのか」

ここをはっきりさせて、「こういう人がこの教育活動(メンドクサイので今後は簡単に”研修”と書きます。研修が教育活動のすべてではないのですが)の対象者」なのか、研修提供者側も学習者側もわかるようにしておくこと。 これが”入口”での定義です。

たとえば、料理教室で「市販のルーを使った初級者用カレーライスの作り方」を学ぼうというとき、「包丁も使ったことがない」「ジャガイモと人参の違いも判らない」という人が来てしまうと困るかもしれない。

一方で、市販のルーでは飽き足らず、自分でスパイスを混ぜ合わせて凝りに凝ったカレーをすでに作っている人がこの教室に来ても、「ううぅ、こんなこと、とっくに知っている」と思うでしょう。

だから、「市販のルーを使った初級者用カレーライスの作り方」教室では、

「何を知っているか」
”野菜の種類を区別できる”
”包丁を握ったことがあり、野菜などを切ることができる”
「何を知らないか」
”カレーライスは作ったことがない”
”市販ルーでカレーライスを作ったことがない”

という風に学習者の前提を定義することができます。

この”入口”を教室の募集要項に書いておけば、「来るべき人」が来なかったり、「来なくていい人」が来てしまったりということは避けられるはず。(完全に、とは言いませんが)

だいたい、自分でスパイスを混ぜちゃう人が来た場合、料理教室の数時間はとても無駄になってしまうので、その上級者は、もっと上級のクラスで学ぶか、それとも違うことに時間を使ったほうがよい。

(企業の研修でも同じことが言えます)



次は、”出口”です。

この研修を参加し終わった時点で、「どうなっているのか」を明確にするのが”出口”です。

研修をすればすべての問題が解決する、なんてことはありません。
研修で目指すことは「ここです」という線をきちんと明確にします。

「カレー教室」で言えば、
”市販ルーを使って60分以内に一人でカレーライスを作れるようになる”
というのが”出口”ですよー、と定義するわけです。

この初級者用カレー教室では、あくまでも”市販ルー”を使うことができるようになるまでを目指すので、”スパイスを自分で調合する”といったことはできるようになりません。

”入口”と”出口”は、研修の責任範囲というか、取り扱う範囲を明確にすること、なのですね。

研修を提供する側にとっても、「ここからここまでがこの”研修”のカバー範囲、責任範囲です」とスコープを明確にできるというメリットがありますが、学習者にとっても、”入口””出口”の考え方はとても重要になってきます。

受講の前提を「不足」という意味で満たしていない人が参加したら苦しむわけですし、
受講の前提を「過剰」という意味で満たしていない人にとっては時間の無駄になるわけですし。

”出口”を明確に示してくれれば、今の自分の実力と”出口”とのギャップが学習者自身にも理解でき、「もうちょっと勉強しよう」とか「この部分を強化しよう」などと、自分が学ぶべきこと、練習すべきことも自覚できるようになるはずです。



ID(Instructional Design:インストラクショナルデザイン)で、とても大事なキーワード”入口”と”出口”。

研修を企画したり、設計・開発したりする際、この2つをきちんと定義することから始めるのがとても重要です。


もちろん、このIDは「理論」「理屈」ですので、現実はそうもいかないことが多々あります。

「階層研修で、うちの会社の伝統的なイベントでもあるので、前提は異なる社員が一同に会すことになっているんだよね」

とか

「日程的、予算的に、”基礎””応用”という順番で受けられないので、前提条件を満たしていなのは承知の上で、”基礎”をすっとばして”応用”に参加せざるをなかった」

とか。

今回の「ID」の公開講座でも、鈴木克明先生がこんな感じのことをおっしゃっていました。

「IDは理屈です。研修には、”受講者の特徴や与えられた研修環境やリソース”といった制約ももちろんあり、そういう制約がある中で、どうデザインするか、ということを考えるのですよ」

「デザインがないといきあたりばったりになりますが、デザインがあれば、デザインした中から、あれこれ工夫ができる」といったこともおっしゃっていました。

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【「インストラクショナルデザイン」といえば、ガニェさん。この本は、ガニェさんのもとで学んだ鈴木先生が翻訳に携わり、恩返しできた!と思われたとか。 で、すごく難しいです。私も関連個所を必要な時に拾い読みする感じ・・・。でも、ID全体をまとめた本といえばこれが代表的1冊かな。】

熊本大学公開講座「インストラクショナルデザイン」に参加した① 「ID」とは何か。

自分用のメモとして、オルタナブログと同じ内容とこちらにコピペしておきます。


人材育成に携わる人間にとっては憧れの鈴木克明先生自らが教えてくださるという・・。定員40人しかないという・・・。前編後編で8700円!という・・・。このチャンスをゲットせずして、どうする、私。

鼻息荒く、インターネットから申し込み、登録できました!

昨日2014年11月16日(日)、東京工業大学キャンパスイノベーションセンター(田町)で朝から晩まで勉強しました。ナマ・鈴木先生にもお目にかかれ、ミーハーな私はコーフンしました。

それにしても、凄い熱気。

日曜にお勉強しようという時点で「学習のモチベーション」は高いに決まっていて、その証拠に前から席が埋まっていくのです。私も前から2列目に陣取りました。

申し込みが多数で少しは断ったそうですが、それでも60人くらいが集まっていました。

内訳は、

●医療従事者 16% (医師、看護師、薬剤師など)
●大学教員など大学関係者 50% (全国から大学の先生が集まっていましたねぇ)
●企業 27%
●日本語教員 7%

となっていました。(医療従事者のID熱は以前から高く、熊本大学大学院でも医療従事者がとても多いと聞いていますし、私も以前、とある総合病院の看護師さん向けに”ID”を軸とした研修を提供したことがありますが、臨床の現場にいる看護師のみなさんの熱心なことには驚かされたことがあります)

午前中は、鈴木克明先生による「ID」基礎知識に関する講義、
午後は、鈴木先生のお弟子さんたちによる「事例」を使ったワークショップ。

盛り上がりました。 Q&Aも次々質問が出て、その質問を聴いているだけでも勉強になりました。

今回から断続的にこのブログでこの「ID」の勉強会について報告していきたいと思います。(「ブログを書くまでが研修です!」と言いますね)


まずは、「ID」とは何か。

Instructional Designの略で、教育の「効果」と「効率」と「魅力」を高めるためのシステム的アプローチ、です。

では、この3つのキーワードが意味するところは何か。

●「効果」・・・ 学び手の「実力がついた」!ことを指します。 働く大人であれば、仕事の能力が向上するなどが「効果」ですね。

●「効率」・・・ 「効果」を上げるためには何時間でも何円でも掛けますよ、などと悠長なことは言っていられないので、できるだけ、「効率よく」実力がつく(=効果が上がる)ことが望ましいわけです。 だから、集合研修だけではなく、eLearninngを使うのか、あるいは自学自習のためのもっと異なるアプローチを使うのか、なども検討しなければなりません。

●「魅力」・・・ 実力はついたけど、ああ、二度と勉強したくないわーと思うようでは、能力向上がそれ以上見込めないので、「もっと勉強したい」「継続学習したい」と思える内容や方法であることも必要です。 「ほぉ、そうだったんだー!」と気づいたり、「成長できたなぁ」と実感できたり、と楽しく学べることも目指して教材を作ったり、研修を進めたりすることも重要なのですね。


IDには、代表的なモデルとして、「ADDIEモデル」というものがあります。

Analyse→Design→Develop→Implement→Evaluate。

分析→設計→開発→実施→評価。

システム開発でも建築でもおよそ「ものづくり」では共通の考え方ですよね。

このADDIEモデルのような、IDプロセスには根底に様々な理論があります。

学習理論、コミュニケーション学、情報学、メディア技術などなどITプロセスを下支えするものが多々あって、その上でIDプロセスが成り立っているのです。


そして、IDで大事なのは、「出口」「入口」(この二つはしつこいくらいに言われます)、「構造」「方略」「環境」の5つ。この5つの視点があることで、よい教育になっていく、のだそうです。

このあたりは、また別の日に書きたいと思います。


事前にIDに関連する書籍は読んでいたので、ついていけましたが、いくら「基礎講座」とはいえ、全く予備知識ない状態だと結構きつかったかなぁというのが感想です。それにしても、1日で「たくさんの目からうろこ」が落ち、休日返上で参加してよかった、としみじみ思います。



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【鈴木克明先生が最初に出された本がこれだと思います。ご本人曰く「ID」的工夫はこの1冊にすべて盛り込んだ!とのこと。自主学習教材を開発するというストーリーを軸に「ID」をわかりやすく解説していて、初心者がとっかかりとして読むには最適です。】

2014年7月6日日曜日

念願叶って、金成潤子さんの個展に行ってきた!(2014年7月2日)

うつわの旅、今年一番のイベント。それは、金成潤子さんの個展です。

昨年、Instagramで金成潤子さんという作家さんを知り、うわー、いいなぁ、いいなぁ、と思って、都内を探し回ったもののほとんど出回っておらず、「クラトコ」(クラフト・常滑)という常滑のクラフトフェアに金成さんが出展されるというので、2013年11月(だったと思う)の土曜日、朝から常滑まで行ったのでした。

だが、しかし。

想像以上に人気ぶりで、私が到着した11時時点で、ほとんど何も残っておらず、来場していた方が言うには「9時ごろから列が出来ていたらしい」とのこと。

何と言うことだ! このために東京から常滑(名古屋からさらに先です)まで行ったというのに。ううぅぅぅ。

これは、いつかリベンジせねばっ!と思っていたら、同じくInstagram上でのお友達が金成さんの器を扱うギャラリーを教えてくれました。問い合わせたら、通販はしない、とのこと。ただし、2014年6月ごろ個展をするとおっしゃいます。「DMください! 東京から行きますから!」とお願いしました。

そして、待ちに待ったDM来ました!
個展が2014年7月2日(水)~7月6日(日)、あ、今日までですね。



【DMがオシャレで♪】


土日まで待っていたらきっとめぼしいものはないだろう。7月2日(水)、平日だ、ダメだ・・。またしても、ダメなのか・・・。

諦めかけたある日、「ぽこーん」と7月2日(水)の仕事がなくなったのです。空いている・・。休暇取っちゃおう。

かくして、7月2日(水)個展初日がやって参りました。

なんせ、昨年からの想いが積もった個展です。

11時オープンだというので、早めの10時半ごろ到着すれば列が出来ていても大丈夫かな?と軽く考えていたところ、上記のInstgram友達から「私は午後からしか行けないのだけれど、友人が1時間前には並ぶと言ってましたよぉ~」と情報が。

昨年の常滑のことを思い出し、今回休暇まで取って1日空けて、全精力を注ごうというのに、のんびりしている場合じゃない。こーなったら2時間でも並ぶ覚悟だ。予定より早く出かけよう、と6時40分に家を出て、7時40分の新幹線に乗りました!

ビジネスパーソンだらけの新幹線に一人ラフな格好をした私。

会場には9:40到着。

ギャラリーの前へ。

・・・・?ん?ん? 誰もいない。列がない。もしや一番乗り?さすがにオープン100分前だと誰もいない?

・・・・ギャラリー玄関前に佇んでいると、お店の中から準備中のスタッフさんが出てきて、「金成さんの個展ですか?11時からなのですが」「はい、存じてます」「で、整理券が・・」「せ、整理券?」「はい、これをお持ちください。で10時半にお店には入れますが、販売開始は11時です」「わかりました。では、10時半までは時間つぶしてきます」「ところで、これは、何番ですか? 9ですかっ? 6ですかっ?(だんだん鼻息が荒くなっている)」「6ですよ」


【9じゃないですよねっ!6ですよねっ!と鼻息荒く尋ねてしまった整理券(笑)】


6番をゲットして、目の前のドトールで待機。ふぅ。

10時半前、再びギャラリーへ。


整理券を手にした方が10人ほど。たぶん、1番から10番くらいの方でしょう。

・・10時40分ごろ、「写真タイム」が始まりました。

「販売は11時からだけど、写真は撮っていいですよぉ~」と。みんなでぞろぞろ展示会場へ。

写真撮りまくる。撮りまくる。



【撮影しながら、「どれにしようかな?」と虎視眈々】


でも、写真撮りながら、「どれにしようかな?」と全員が虎視眈々と目星をつけている。触れないので、値段は想像しながら、頭の中で計算し、お財布との相談もする。

『あれを1枚、これを1個・・。これで1万円くらいかな、大丈夫だな』と私はずっと計算していたけれど、他の方も同じだったにちがいない。

そうこうするうちに待っている人が増えすぎて、ギャラリーの入り口付近がいっぱいに。

そこで予定より早く、おそらく10時50分ごろには「整理券番号1-10」の人だけ先に買い物を始められるようになりました。

殺気立った雰囲気ではなく、取り合うことももちろんないのだけれども、写真撮りながら目星つけていたメンバ10人は、次々に手に持って行きます。

驚いたのは、一人が約10ピース平均で買うことです。(まあ、並ぶくらいなので、気合の入った10人がそこにはいたわけですから当たり前か)

金成さんは、全部で500ピースほどを持ってきて並べているとおっしゃっていましたが、一人10P買ったら、50人で終わってしまうではないか・・・と他人ごとながら心配になる勢いでした。

私は、だいたいこういうものを買いたい、とイメージしていたものがあったので、全部で7Pを抱きかかえて、すぐレジへ。普段はかなり吟味するのですが、今回は決断早かった。

レジに持って行った時点で11時2分。


【持ち帰った7つの作品。嬉しすぎる♪】


うぉー、勝利したぞ! 昨年からの念願も叶った。嬉しぃ♪

金成さんともお話しできました。「クラトコからのリベンジです。東京から来ましたっ!」と熱く語ってしまいました。


・・・・・。

というわけで、もう1か所ギャラリーに足を運び、早めの新幹線で、帰京。

戦い済んで日が暮れて。

ああ、達成感。


翌日朝ご飯ですぐ使ったのは言うまでもありません。


【名古屋日帰りの翌朝。名古屋と言えば?赤福。】

ところで、テンションアゲアゲで帰宅して、ふと気づいたのは、スクエア型がなかったな、ということ。今回は四角のうつわ、出ていませんでした。

新たな目標ができた。次は、スクエアなのだっ。

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「金成潤子 陶展」
2014年7月2日(水)~7月6日(金)
ティザーヌ インフュージョン
http://tisaneinfusion.blog58.fc2.com/
※ 最終日の様子を見たら、がらがら~な感じ。500Pのほとんどが売れてしまった!?



金成潤子さんのブログ
http://blog.goo.ne.jp/tenten-june

2014年6月29日日曜日

うつわ三昧♪: 『伊藤嘉輝 ガラスのうつわ展』に行ってきた!

もう10年以上前からうつわは好きだったのだけれど、この5年くらいの「うつわフリークぶり」は尋常ではなく、さらに、この1年の「うつわ馬鹿」ぶりは、ヘンタイの領域に達している。

しかし、こういう「うつわ好き」は、うつわ業界(って何だ?)では、もっともっとツワモノがいて、うつわ屋さんで「うつわ好き」が知り合って、呑みに行ったりすると(←すでにこれだけでもヘンタイ)、もう私なんて赤ちゃんみたいなレベルのうつわ好きが世の中にはいらっしゃることを思い知らされる。

うつわ仲間の女性は、「私が死んだとき、着物なんかどうなってもいいの。でも、あのうつわ達が変なことになったりしたら成仏できないわ~」と今から心配している。分かる気がする。

▼▼▼

さて、そんなわけで、5月中旬から毎週のようにあちらのギャラリー、こちらの個展、あそこのクラフトウェア、と脚を運んでいるわけなのだけれど、昨日6月28日(土)は、うつわPARTYさんで、伊藤嘉輝さん(星耕硝子)の個展初日へ。

昨年も同時期にPARTYさんで伊藤さんの個展。透明なガラス以外に緑やブルーのガラスのうつわは涼しげなこと。

初日で伊藤さんも在廊(廊でいいのかしら?)日だったので、いそいそ出かけてきた。

夏はガラスですねぇ。ほんと、キラキラ輝いて、見ているだけで涼しくなる。体感温度が3℃は下がる感じ。


 
【ジャグもいろいろ】



新作の「ぶどう色」もあった。おお、美しい。


【デキャンタとかワイングラスとかコンポートとか】


いいなぁー、いいなぁー。

うつわを買う時は、気に入った感じがしたものをテーブルに並べ、吟味する。長考に入る。

同じ形でもなんとなくそれぞれが違う。

眺めたり、持ったり、動かしてみたり、太陽光にすかしてみたり。

小一時間、ためつすがめつして、元に戻したり、またテーブル(吟味用の)に持って来たりして。

この時間が楽しい。

お財布との相談もしなければならないし。

それから、自宅にあるものを思い出したり・・・。

ふと、気づいたのだけれども、伊藤さんのガラス作品、すでに10個以上持っているらしい。

たとえば、このグリーンのうつわも伊藤さん。(買った時はそうとは思っていなかったのだけれど)


【一昨年買ったような・・・大根おろし雪だるま(笑)】

長く長くうつわと対話して、ブルーの小皿と小さなピッチャーとカップを買った。

ブルーの小皿は、光に透かした時、とても美しかったけれど、使うとなると個性的で難しいなぁと思っていた。ま、窓辺に飾っておくのでもいいかな、と。

しかし、しかーし、たまたま生春巻きの残りがあったので、載せてみると、もちろん、大きさとして合っていないのだけれど、ブルーが美しく、映える! わお♪


【6寸(18cm)があったらいいなぁ、きっと素敵♪】

・・・というわけで、うつわ馬鹿街道まっしぐら。


※ 『伊藤嘉輝 ガラスのうつわ展』
うつわPARTY → コチラ
〒153-0041 東京都目黒区駒場2-9-2TEL・FAX:03-3467-6830

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【家しごと】

先日、梅酒を漬けたのに続いて、今日(6月29日)は、「ブルーベリー酒」を漬けてみました。

20年くらい前に一度作って、とても美しい紫色のお酒ができたので、再挑戦。

どうなるかなぁ・・・。


【熊本さんブルーベリー200gくらいを使って。氷砂糖が多すぎたかも知れない。
なんせ目分量。最後の最後が適当になる性分です】

========オマケ========

3冊目(たぶん)の電子書籍が発行されました。

詳しくは、もう一つのブログに書きました。連載していたものの中でもPVの高かったものを中心に「傑作選」みたいな感じです。(傑作かどうか置いといて・・・)


『田中淳子の人間関係に効く”サプリ”』
http://blogs.itmedia.co.jp/tanakalajunko/2014/06/30-2a86.html


【たくさんのストアで買えます。300円くらいみたいです。】



よろしくお願いします。





2014年6月1日日曜日

「にわのわ」(千葉県佐倉市のクラフトフェア)に行ってきた!(2014年5月31日土曜日)

昨年2013年11月に「クラトコ」(クラフト常滑)というクラフトフェアに初参戦して以来、クラフトフェアづいている私です。

クラフトフェアとは、陶芸、木工、皮革、ガラス、織物、布などの作品と作家さんがずらーっと並んで展示即売するイベントです。

うつわフリークな私は、多くの「うつわ」仲間からの「一度行ってごらんよぉー、楽しいよぉー」という推薦に背中押され、クラトコでデビュー。 お、面白いじゃないか。なんだか楽しいぞ。開眼し、今年は、5月に倉敷の「フィールドオブクラフト倉敷」。そして、昨日5月31日は「にわのわ」へと足を運びました。もはや、ヘンタイの領域に突入です。


【JR佐倉駅前から無料送迎バス。DIC川村記念美術館まで。バス停で300円のチケットを購入しました】


「にわのわ」は、2年くらい前からネット上で話題になっていたので気になっていたのですが、なんせ佐倉市。どこだ? そんな遠くまで行かれないわーと躊躇していました。

しかし、倉敷まで行く、常滑まで日帰りで行く、という暴挙を重ね、「千葉県、隣県じゃないか」と決然と覚悟を決め、行って来たのであります。


【クラフトフェアというとこういう手作り三角旗が飾られているイメージ。
倉敷もそうだった。これを観た瞬間のテンションがこの日のMAXテンション。ここからダダ下がりです。】



ところが。

あの猛暑です。今年初めての真夏日だったとかなんとかいう30℃超えの昨日。イベントはもちろん屋外、もちろん、炎天下。

相当の重装備で行きましたが、それでも不足。

(私の重装備:木綿の上下、涼しくUV対策のアームカバー(昔の”ジュリー♪”みたいなヤツ。たとえば古い)、ツバの深い麦わら帽子、サングラス・・)← 日傘も持っていくべきだった! アイスノンみたいなものも必要だった。

練馬区の自宅を8時前に出発。東京と脱出するのに1時間はかかり、さらに千葉に入ってからも1時間はかかり、JR佐倉駅からさらに30分はかかり・・・合計2時間40分、10時40分ごろ会場到着。

まだこの時点では、「長旅お疲れ様でした、私♪ さー、見るぞー」とやる気満々。

広ーい会場に到着。

まずは一周しよう。 70人くらいの作家さんのテントが並びます。

1/5くらい回ったところで、暑さにテンションが徐々に下がってくることを自覚し始めます。

あれ? 楽しい気持ちがどこへ? 苦痛な、この修業に臨んでいるような必死な様子は何だ? おかしいぞ。

好きなうつわを見に来たはずなのに、「うつわ、たくさんあるわー、なんか視点が定まらないけど。それより、かき氷かビールを」と頭の中では、冷たいものを求める思考だけがぐるぐる廻り、だんだんとぼーっと歩くようになってきました。

ああ、帰りたい。

会場到着30分で既に「帰宅」のルートを考え始める始末。

2時間40分かかったんだぞーと叱咤するもう一人の自分の声。

それにしても、めまいが、意識がもうろうとする。
陽射しも強いものだから、目が見えなくなってきて、漆のコーナーでは、「朱色」なんだか「黒」なんだかもわからない。

【木工は目に優しい。愛知のフナハシ トモハルさんという作家さんだそう。
左下の椅子を買いました♪唯一の買い物】



夏だから、ガラスのうつわも欲しいなあ、と思って来たのに、ガラスがきらきら光っていて、さらにテンションが下がり。

私としたことが。私としたことが・・・。

それにしても、もう無理っ!


そうそう、知り合いに逢って帰らねば。

そこで、まずは、作家の加藤かずみさんのブースを探し当て、かずみさんとひとしきり会話。

かずみさんも暑さで大変そうでしたが、激励してきました。(お互い頑張ろう、と。)

もうひとり、会場に来ているらしいうつわ仲間の「うつわ男子」。彼にも逢っておかねば。

彼にもどうにか逢えて、「暑い、暑い」と連発し、ここでも「お互い頑張ろう」と激励して別れ。

帰る気満々だったものの、生ビールを販売しているのを見つけ、日陰で大きなカップで呑み干したら少しチャージされて、再度1周。


【千葉の地ビールだそう。800円もした! ビールよりかき氷の販売ワゴンに行列が。】


3周くらいして、「もういいや」と帰ることにしました。

折角なのでDIC川村美術館も観て、再び2時間30分を掛けて帰宅。

暑かった、暑かった、暑かった。

思い出がすべて「暑かった、暑かった、暑かった」。

死ぬかと思った。

本日6月1日はにわのわ2日目。さらに気温が上がるとの報も。

作家さんも来場者も体調に気を付けてくださいませ。

いやあ、大変だった。


【庭園に特設ポストが。かわいい♪ 
いつもの私なら、ここから甥っ子に手紙書いたりするのだけれど、炎天下で思考停止になり、無理でした。】

それにしても、です。

クラフトフェア。楽しい。




【上記、フナハシさんの椅子というか台。
右は大きさ比較のためのカルテル「プリンスアハ」】

2014年5月28日水曜日

甥っ子5歳の誕生日を迎えました♪ 


甥っ子、5月26日に5歳の誕生日を迎えました。おば馬鹿歴も5年です。


男児に多いと思われる「鉄」ですが、珍しく「車掌さん希望」です。

電車ごっこ(って、今でも輪っかにした紐を電車に見立てて、縦一列に走る遊び方、残っているんですね)をする際も、「運転士さん」は人気なので、全員交代制だけれど、車掌さん希望はニッチなので、甥っ子が定ポジションをキープする模様です。




路線図ラブ♡なので、ずっと路線図を見続けていて、「お乗換え」の研究にも余念なく、だから、スマホの乗り換え案内を立ち上げるよりも、甥っ子に、「池袋から自由が丘に行くにはどうしたらいい?」などとたずねればたちどころに回答してくれるという便利さ。

ただし、ただ~~し、「最短距離のご案内」が出来ない、という弱点があります。「甥っ子乗り換え案内」は。

できるだけ多くの乗り換えがあって、できるだけたくさんの種類の電車に乗れる、ことを最優先にする設定らしく、「えー、そんなに遠回りするのー!?」と驚愕のルートを推薦してくれます。

しかし、好きなものがあるっていいですね。

甥っ子の誕生会は、誕生日前日5月25日(日)に私の家で行いました。

たしか、3歳の誕生会から連続3年目です。

義弟のご両親、我が母、甥っ子一家、私と総勢7人で昼からパーティ。

賑やかな食事会となりました。

(私は、甥っ子に会えるのも喜びですが、コレクションしている器(うつわ)たちをたくさん披露できる喜びもあり・・・)

誕生会のメインイベントは、甥っ子自身によるケーキのデコレーション。

私が焼いたスポンジケーキに生クリームを塗るところまでやって、渡します。

バナナ、いちご、ブルーベリー、キウィを一人で楽しそうに載せていきました。








昨年4歳の誕生日では、バナナを縦にどんどん積み上げてしまい、まんべんなく飾るというのがなかなか難しかったようですが、今年はキレイにまんべんなくデコレーションしていました。

成長するのですよねぇ、子どもはあっという間に。

5歳の抱負を尋ねました。

「かっこいい5歳になりたいです!」

「どういう風にかっこよくなりたいのか?」をさらに突っ込んで訊いてみると、

「年少さんのお世話をするようなかっこいい5歳」ということ。

お兄ちゃんマインドがむらむらとめきめきと芽生えているわけですね。頼もしい。

楽しく幸せな5歳ライフをずんずんと歩んで行ってください。

おばちゃんも負けないように頑張るわ。




★★★


5か月のころの写真。たぶん、後頭部が禿げていた時代のBaby甥っ子。

今と全く顔が違う。 つぶらなつやつやした瞳に驚きます。













<おばちゃんからのプレゼント>