2011年4月4日月曜日

言葉でハグする。

震災以来、東京はどうも元気がありません。計画停電だとか自粛ムードだとか、あるいは、様々な目に見えない不安だとか、そういうものに覆われてなのだろうと思います。

不安は増幅するので、不安だ、不安だ、不安だ、と思っていると、「あれも不安」「これも不安」と雪だるま式に膨らんでいきます。

人間には、想像力があるので、「もし・・・こうなったら」「仮に・・・・であった場合」と、先読みしすぎて、さらに不安だらけになっていくのです。

私もそうです。不安、不安、不安。

一人で考えると、「負のスパイラル」に陥っていくし、たいていろくな思考に終着しないので、無駄だな、と思いつつも、やはり、考えてしまう。

で、ですね。そんな時、とてもロジカルに問題を解く人がいるのですね。

「そういうのは、物事の捉え方を是正すればよいのだ」
「考えても解決しないことは、考えるだけ無駄ではないか」
「起こってもいないことを、ああなったらどうしよう?こうなったらどうしよう?と思い悩むヒマがあれば、今できることを粛々と進めるしかないでしょう」

と。

いやあ、おっしゃる通りです。
おっしゃる通り過ぎて、反論できません。

そうだ、起こっていないことをあれこれ悩んだって事態がどう変わるわけでもない。
そんなヒマがあったら、何かしろ、と。ぐうの音も出ない「お説ごもっとも」だし、論理的にはそうなんだろうと思います。

でも。

そんなこと、言われなくてもわかっている。

・・・・・

そんな時。

「不安だ」
「不安だよね」

「悲しいよ」
「悲しいよね」

と言葉で受け止めてくれる人。

あるいは、

文字通り、抱きしめてくれる人がいたりするんですね、一方で。

「不安だよね」「悲しいよね」と言うだけで、何も事態は変化しませんが、受け止めてくれただけで、だいぶ気持ちが楽になるのです。

論理的に正しいだけでは、人は前に進めないことがある。
気持ちを受け止め、共感してほしいこともある。

こんな時期ならなおさらです。

抱きしめること。
言葉だけでも、相手を抱きしめられる言葉を使うこと。

そういう人が周囲にいてくれたら、人は強くなれる気がします。

0 件のコメント:

コメントを投稿