2010年9月26日日曜日

旧ブログ記事:「お疲れ様」やめましょう隊。(2010年9月26日掲載)

「お疲れ様です」をやめようじゃないか、という運動を推進している方がいらっしゃいます。

以下のブログでも訴えています。もちろん、強要ではなく、「私はやめたい」ということですが。(↓参照↓)
http://bit.ly/c1rFqh
(禁止マークがスゴイです!)

この話がTwitterで流れ、ちょっと盛り上がりました。

昨年(2009年)7/29付け朝イチメールで、私もこの件を書いておりました。以下、一部抜粋です。

*********

7/29(水) コミュニケーションのびっくり箱
●朝から「お疲れ様です!」
〔田中淳子:グローバルナレッジ〕

<略>

ある企業の人事部長にこう質問されたこともあった。

「新人が私とすれ違うたびに"お疲れ様です"って、もう判を押したように言うんですよ。

新人研修で教えているんだろうけど、朝から何度も言われると、本当に疲れてくるような気がするんですよ。何か他の言い方ないですかね」。

私も全く同感。

朝から「お疲れ様です!」と言われると、「別に疲れていないけど」と思ってしまう。

以前の勤務先が外資系だったこともあってか、誰も「お疲れ様です」と言わなかった。

なんと言っていたかというと、誰でも彼でも上司でも部下でも同僚でも、よその部署の知らない人でも、

「こんにちは」である。

<略>


しかし、「お疲れ様です」もいつからどうやって定番になったのだろう?

夕方仕事を終えた時、仕事のひと区切りがついた時、というのならわかるが、出会うたびに「お疲れ様です」とは、不思議だ。

日本人は、そんなに疲れているのか?

私は、天邪鬼なので、今でも「こんにちは」を貫いているのだが、すれ違う側はたいそう戸惑うらしく、一瞬、固まってしまうことが多い。

(C)日経BP社

*****

このコラムが配信された後、友人から「にっぽん人は、”お疲れ様”でいいのっ!」というメールをもらったりして、ちょっとした反響がありました。

今年の新入社員研修でも、
「新入社員に、”お疲れ様です”を挨拶として教えてほしい」
というようなリクエストをお聞きしました。

また、OJT担当者研修では、こんな話も挙がることがあります。

「新入社員のメールの書き方がなっていない。出だしに”お疲れ様です”と書くには”常識”じゃないか。」

ふむ。

各企業の不文律とかルールとか決まりごととか文化があるので、これらのことについて特にどうこう言うつもりはありません。

ただ、私は、朝出会いがしらに「お疲れ様です」といわれたり、メールの冒頭に「お疲れ様です」と書かれることに抵抗があります。だから自分では使いません。

朝なら「おはようございます」、日中なら「こんにちは」。
最後の最後だけ「お疲れ様でしたー」。
あるいは、凄く労いたい仕事を終えた同僚に「お疲れ様!」と声をかける。

そういう使い方しかしておりません。

コラムにも書いたように1社目が外資系(DEC)でしたので、社内の挨拶は基本的にすべて「こんにちは」でした。

ですから、今の勤務先に移ってから大勢が「お疲れ様」「お疲れ様です」と言うのを耳にしてとても違和感を覚えた口です。

「そんなに疲れてないよ」などと返事してしまうこともあり、顰蹙を買うこともあります(笑)。

昨日、Twitterでこの件で盛り上がった際、「私の勤務先は、”お疲れ様禁止”です」という声がありました。

なんでも「定時退社が原則で、そもそも”疲れるほど仕事をしてはいけない”、だから、別れ際は”また明日”または”さようなら”と言う」とのこと。

スゴイですね、これ。「疲れるほど仕事をしてはいけない」というのは、明日のためにちゃんと余力を残しておきなさいね、という意味でもあるのでしょう。

朝から晩まで「お疲れ様です」という言葉を交わしていると、多くの「疲れ」という言葉が耳に入ってきます。

人間、自分や周囲の言葉を耳にしていると、だんだんとその言葉の力に影響を受けてしまうこともあるに違いありません。

「疲れた」「疲れる」など、ネガティブな言葉は、少なからず自分に何か負のエネルギーを注入しているような気もします。

僧侶の小池龍之介さんの著『「自分」から自由になる沈黙入門』(幻冬舎)には、こんな一文があります。

「誰かの話を「聞く」のは、その声や言葉が自分の中を通ってゆくことなので、精神の「食事」とも申せます。ツマラナイ話や、他人の悪口を延々と聞かされる状態は、それはもう、不味い料理を食べ続けているようなもの。そうやって悪い栄養を受け取ってしまうと、それをどう処理するかが面倒なことになります。」(P.18~引用)

これ、誰かの話だけじゃなくて、自分自身が口に出した言葉も当てはまることです。なんせ、自分の言葉をもっとも聞いているのはほかならぬ自分なのですから。

・・・というわけで、挨拶だって侮れず、ポジティブな言葉、明るい言葉を遣うというのも重要なんじゃないかと思うのでした。

「お疲れ様」を今より少し減らしてみる。その代わりのボキャブラリーを編み出してみる。

少しずつ「お疲れ様」に代わる語彙のバリエーションを増やしていきたいと考えています。

2010年9月25日土曜日

旧ブログ記事:「性格じゃなくて行動なんだぁ」(2010年9月25日掲載)

オフィスが移転して1週間、まだ新オフィスに一度も足を踏み入れておりません。さらにまだまだ外回りが続くので、新オフィスに行くのは30日くらいかなあ・・。ダンボールが積まれたままらしいので、近隣の皆様、ご迷惑をおかけします(→同僚へ)。

さて、横須賀に出張しておりました。「モチベーションとコミュニケーション」の研修でした。
コミュニケーションの部分を午前中に扱い、午後からモチベーション、という構成でした。

その中で、

「コミュニケーーションなどのヒューマンスキルは、”スキル”であるからして、学習できるものだし、性格を変えようというのではなく、行動を変える。使うスキルやテクニックをちょっと変えてみるだけで随分、周囲との関係や自分の居心地なんかが変わることもある」

といった話をしました。

研修の最後に一人ずつ「決意表明」をしていただいているのを聴いてまわっていたら、お一人がこんなことをおっしゃっていました。

「今日の研修、上司に勧められて参加したんだけど、朝は憂鬱だった。オレ、モチベーション低いと思われているのかなあ?モチベーションを上げるような訓練でも受けるのかなあ、と嫌でしょうがなかった。でも話を聴いてみたら、「性格を変えなくていい、行動や捉え方だ」と言われたし、そう思ったら、自分の職場でもできることがまだあるような気持ちになれた。今まで、周囲や環境がこのままじゃどうしようもないと諦めていたけど、自分ができることをやってみるだけでも違うかも・・。参加してよかった、と今はそう思っている」

・・・・・

たしかに、「モチベーション研修」などというタイトルを提示されたら、
「私は、モチベーションが低く、問題だと上司に思われているのか?」
と疑問に思うでしょうし、
「無理やり、モチベーションを上げる訓練・体操?・ゲーム?などをさせられるのでは?」
と不安にもなることでしょう。

もちろん、そんな内容ではないのですが、参加する方には不安疑問がうずまくはず。

・・・・

物事の捉え方の幅を広げてみたり、スキルでカバーできることを皆で考えてみたり、他社・他者の事例を講師から聞いたり、さらに、深く内省してみたりする中で、何かに気づき、持ち帰っていただくのが研修の場であって、無理やり何かの方向に矯正しよう、なんてことは一切ないのですが。(第一、そういう方法は「成人学習」の考えにかなっていないですから)

それにしても、最後の最後に「自分にも出来ることがある」と思えた、というのは、とても大きな気づきですよね。

「自己効力感」というのは、モチベーションに直接関係ある感覚のひとつだと思うからです。

2010年9月21日火曜日

旧ブログ記事:あなたの「わくわくスイッチ」は何ですか?(2010年9月21日掲載)

本社機能は、本日(9月21日火曜日)から、新宿オークタワーで始動しましたが、研修は、明日22日(水)まで、新宿文化クイントビル(旧ビル)で開催です。

で、この2日間、「マネジメントとリーダーシップ」という、新任管理者あるいは管理職経験をこれから重ねたい方向けの研修を同僚の飯嶋が講師として実施しています。

私は、後ろでオブザーバとして参加。

私がペアを組んだ受講者さんとお話していたら、「わくわくスイッチ」という言葉が飛び出て、印象に残りました。

仕事を楽しむ。やりがいを感じる。
わくわくするスイッチ、は、人によって異なるのではないか?
じゃあ、部下と面談する際に、「あなたの”わくわくスイッチ”はどこ?なに?」と尋ねてみてはどうだろう?・・・ という話になったのでした。

そういう会話をしながら、ふと、私の”わくわくスイッチ”はなんだろう?と自問自答。

色々ありますが、たとえば、

●研修講師として、「楽しかった、色々気づけた、実務で使ってみます!」と声をかけられること
●後日、「試してみたら、うまくいった」とメールなどを頂戴すること
●一社向け研修で、ご指名をいただくこと
●新しい演習方法を考え、試したら、より効果が上がったとき
●自分が書いたもの(連載とか単発記事とか)を「読みましたよぉ」と言われること
●この地味ブログを「読んでますよ」と言われること
●受講者さんから現場の面白い話、興味深い事例を伺うこと
●すごくいい喩え話を思いついたとき

などなど、いくつも思いつきます。

・・・

「わくわくスイッチ」、人によって相当異なると思うのです。

隣近所の方に尋ねてみると面白いと思いますヨ。

=============

さて、明日22日は、新宿文化クイントビルでの本当のラストデーです。

研修が終了次第、大量のPCの片付け作業が待っています。
体力勝負!

がんばります。

2010年9月17日金曜日

旧ブログ記事:「人を育てる」=「自分も育つ」という相互作用(2010年9月17日掲載)

今日がいよいよ引っ越し決戦日。まず、本社機能が今日夕方を持って一旦クローズし、3連休明け21日(火曜日)から、新宿オークタワービルで営業スタート。

研修センターは、1週間ずれて、27日(月)スタートです。

ご来場くださっているお客様(受講者の皆様)には、台車が走り、ダンボールが積んであったりして、ご迷惑をおかけしていることと存じますが、ご理解いただけますよう、お願いいたします。

さて、昨日このブログで「人を育てるのはリレーみたいなもの」と書きましたが、リレーであると同時に、自分自身の成長支援になる、という側面も忘れてはいけません。

OJT支援のお仕事をもう8年ほど行っております。8年前と比べると、「後輩を育てるのは面倒だ」「余分な仕事だ」という方は減りました。減りましたが、今でも、「自分の時間が減る」「負担が増える」といった、ネガティブな側面が先に気になる方もいらっしゃいます。

人の面倒を見る、世話を焼く、のは、相手のために自分の時間を割くことだ、と捉えたらそうなるのも当然です。

たしかに、メンドクサイ。イライラすることもある。(ここは否定しない。)
「私がやったほうが早い」という誘惑にもかられる。

けれど、やはり、人に何かを教える、指導する、というのは、同時に自分の成長を促しているという面が絶対にある。

「この書類は、こういう段取りで書いて、提出するのよ」
「どうしてこういう段取りになっているんですか?」
「そういえば、どうしてだろう?」

・・・・・

「お客様には、こんな風な説明の仕方をしてね」
「はい。でも、こういう方法もありでは?」
「あ、そういえばそうかも・・。検討してみようか」

・・・・・

「先輩は、どんな風に考えて今の仕事をしているんですか?」(ソボクな疑問)
「え?ああ、そういうこと、久しく考えてなかったけど、そういえばそうだねぇ・・・。もともとは・・・」

・・・・・

誰かに何かを教える、誰かを指導する、という時、上記のような会話はあちこちで交わされるはず。
自分と向き合わざるをえないような質問もされる。
なんだろう?と考える。

そして、

「そういえば、もともとは・・」と原点回帰したり、
「あ、勘違いしていた」と自分の覚えていたことをリライトしたり、
「考えてみれば、私がここでこの仕事をしているのは・・」とモチベーションを再燃させたりすることにつながる。

相手に指導しているつもりでも、自分の内面に問いかけるきっかけが得られ、内省が深まるのが、「人育て」の場面だと思うのです。

さて、10月からは新トレーニングセンターでの仕事です。

私個人的には、10月から再び各社のOJT担当者研修(フォローアップがメインです)が始まります。
全国行脚の季節がやってまいりました。

いい秋になりそうです。

====== お知らせ ======

いつも訪問してくださって、ありがとうございます。

このブログに毎日何人の方が訪問してくださっているのか、残念ながらよくわかりません。たぶん、4-50人くらいかなあと思っています。(希望的観測)

引っ越しに伴い、更新が大幅に遅れる可能性があります。

私、出張が続く予定で、21日にオープンする新オフィスに出社するのが、なんと9/30(木)なのです。

とにかく、今後もどうぞよろしくお願いいたします。

★ 新しい オフィスで迎える 秋の風 ★

2010年9月16日木曜日

旧ブログ記事:「人を育てること」は、永遠に続くリレーみたいなもの(2010年9月16日掲載)

先日、JAXAのISS(国際宇宙ステーション)開発プロジェクトと羽田国際空港D新滑走路建設プロジェクトの2つの「大きなプロジェクト」について話を聴いて以来、つらつらと「人を育てる」とは何か、について改めて考えておりました。

PMシンポジウム2010の事務局担当F氏にお礼を兼ねて、上記2つの話の感想を送ったところ、お返事の中にこういうフレーズがありました。

「大掛かりで長期のプロジェクトにおいて人をつないでいく大事さ」

人をつないでいく・・・・。

ああ、そうだー、と、急にひらめいたのが、「リレーの図」です。

人を育てるというのは、未来永劫、永遠と続くリレーのようなもの。

先人から受け取ったバトンを大切に落とさないように、かといってゆっくりではなく、全力疾走して運んでいく。

だんだんとスピードに乗ってきて絶好調に。

そのうち、少しずつ身体が動かなくなり、もうダメだーと精根尽き果てそうな状態で、次の走者へバトンを渡す。このとき思うことは、「私の役目は終わった。後はキミに任せた!ガンバレ」じゃないか。

次の走者も同じことをまた次に走者に対して行う。

こうやって、過去から未来へバトンが受け渡されていく。

羽田D滑走路は、100年後の品質まで視野に入れて建設されたそうです。
今、この建設に携わった人は、長くても(若くても)あと30年かそこらしか、このD滑走路の行く末に携わることはできないでしょう。
残りの70年は、次世代が見るしかないわけです。その次世代の中には、今高校生もいれば、小学生もいる。まだこの世に誕生していない人もいる。

この世に誕生していない人がD滑走路の面倒を見る頃には、建設に携わった人は既にこの世にいないかも知れない。

でも、D滑走路はそこにある。

ISSも同じです。

1985年からISS計画に関わったかなりの人が既にリタイヤされたと言います。でも、まだまだISS計画は進行中です。

こういうことを考えるに、私たちができる最大のこととは、後世に「人を残すこと」だけじゃないかと思うわけです。

モノ作りは人育てによって未来につながっていく。

   ・・・「人を育てること」は、永遠に続くリレーのようなもの。

そう思うと、壮大なプロジェクトの中に私たち1人ひとりがいるんだなあ、と思えてきます。


2010年9月14日火曜日

旧ブログ記事:PMシンポジウム2010報告(3):「人育て」印象に残ったキーフレーズは?(2010年9月14日掲載)

PMシンポジウム2010の報告もこれが最後です。

私の講演では、必ず、最後に「今日の話を聴いて、隣の方と話して、印象の残ったキーワードやキーフレーズは何ですか?」と問いかけることにしています。

配布資料にも「印象に残った言葉」を書いていただき、その理由を隣同士で話す時間も設けます。
こうすることで、学びが深化・浸透すると思うからです。

講演って、黙って聴いているのは苦痛です。真剣に聴けば聴くほど、苦痛になるものだと私は思います。真剣に聴けば、頭の中で思考がぐるぐると巡ります。すると、その考えたことは誰かに表明(言語化して外に取り出す)しないと、すっきりできないからです。

田中が伝えたことに賛成なら、「賛成。私も以前、かくかくしかじかの体験をしたことがある」と表明したいし、反対なら、「いや、反対。私は、こういう理由で逆の立場を取っている」と言いたい。

すっきりするだけではなく、そうやって口に出して語ることで、「自分の考えがより明確」になり、腹落ち感も増す、というものです。

大体、人間忙しいので、講演から会社や自宅に戻り、そこからさらに反芻する余裕がない場合が多いと思います。誰かを聴き手に据えて、「今日、こういう講演を聴いたんだけど、あたしゃ、こう思う」と、自分の内省につき合ってもらうのは、相手の時間まで取ってしまうことになるので、なかなかそういう機会を設けることができないものです。

セミナーや講演の中で一旦、口に出してしまえば、その段階で、気づきや学びを整理できる。だから、講演では、必ず「しゃべっていただく」時間を設けています。

さて、前置きが長くなりました。

9/10(金)田中のセッション「仕事を通じて人を育てる!」において、皆さんがメモに書きとめた「印象に残ったキーフレーズ」は、会場内をぐるぐる歩きまわり、覗き込んだところ、こんなものが多くを占めていました。

●餌付け!(お菓子を介してコミュニケーションすることです)
●アナログ回帰!(なんでもメールなど電子コミュニケーションに頼らず、直接会話する、メールではなく、口頭で相談する、ワープロじゃなくて手書きで何かを書くなど)
●仕事以外の会話(仕事以外の会話が関係構築に役立ち、そこから仕事の話もしやすくなる)

・・・・・・

お伝えした内容の何かから選ばれてはいるのですが、上記の3つが特に多かったことが私には「へぇ」でした。(これらのキーワードは、前半で話したこと、中盤で話したこと、最後に話したこと。あちこちから選ばれてもいました。)

後輩を育てる、後進を指導する、という時、難しい理論とかテクニックを使うものいいでしょうが、案外、基本的なことが手がけやすいし、効果も出やすいものだ、というのは、私が多くの企業のOJT支援をしながら得た実感でもあります。

講演では、メールアドレスを全参加者の方に公開していますので、お一人からでも、「こんな成果がありましたよ!」という報告メールが届くのを楽しみにしています。(実際は、そうそう講演者にメールを下さることはないのですが・・・。遠慮なく、メールくださいませ♪)

2010年9月13日月曜日

旧ブログ記事:PMシンポジウム2010報告(2):「人を育てることの意義」(2010年9月13日掲載)

先週9/10(金)、10時~2.5時間のセミナーをPMシンポジウム2010で担当いたしました。これで連続4年お声掛け頂いております。ありがたいことです。

今年のテーマは、「仕事を通じて若手を育てる」でした。

「プロジェクトマネージャやプロジェクトリーダーは、仕事の中でどうやって若手を育成していけばよいか」、様々な企業での取り組み事例などを取り入れながら、具体的なノウハウとしてお話ししました。

ノウハウをお伝えする前に、「若者を取り囲む環境がずいぶん変化していることに気をつけましょうね」という話もしたところ、ワークの最中に「環境変化のことを失念していた。若手が育ちづらいというより、ITなどの環境が変化して、自分にとっての当たり前が相手には違うのだ、ということだったのだ」と話している方もお見受けしました。(たとえば、「家の電話を取り次ぐ経験をしている新入社員が減ってきているので、企業での電話取り次ぎも当然、基本から教えないとダメなのだ」など)

このセミナーの最後にこういうメッセージを伝えました。

「自分が頑張った”証”は、人育てでしか残せない」

・・・

3-4年前からこのキーフレーズをいろいろな場で使っているのですが、この講演の前日、PMシンポジウム2010初日に基調講演でお聞きした「羽田国際空港D滑走路建設プロジェクト」もJAXA長谷川執行役の「ISS(国際宇宙ステーションプロジェクト」の話も共通する点があるなあ、と思いました。

まず、羽田空港D滑走路については、要求された仕様に「100年後までを見越す」といった内容が含まれていたそうで、15社JVのリーダーを務めた鹿島建設さんによれば、「100年後に70センチ程度の沈下を予想して建設」なさったのだそうです。

今回のプロジェクトに関わる、誰もがもう生きていない100年後のことまで考えての建設とは、想像もできない世界です。

JAXAの長谷川さんによれば、1985年にISSのプロジェクトを発足してから25年経ち、当初一緒に関わった方の多くが既にリタイヤなさっているとのこと。

この2つの例を見てもわかるように、D滑走路もISSも今もこれからも先に続くものですが、それを維持したり、発展させたりするのは、ほかならぬ「人」で、それも、開発当初に関わった人ではなく、その後を継ぐ人なのです。どんな人を育てたかで、自分が作った滑走路や宇宙ステーションが長く多くの方の役に立つかどうかも変わってきてしまうわけですよね。

明治時代の政治家である後藤新平氏は、「金を残すは下、仕事を残すは中、人を残すは上」という言葉を残されたそうです。

この言葉も「人を育てる」ことが一番大事だと語っています。

後輩を育てるのがメンドクサイ、手間だ、という声を聞くこともあります。でも、大抵、年長者は後輩よりは先にリタイヤするはずです。後まで続く何かを残したいと思ったら、まずは、人を育てることなんだと思うのです。

2010年9月10日金曜日

旧ブログ記事:(2010年9月10日掲載)

PMシンポジウム2010に参加してきました。(2010年9月9日(木)-10日(金))1400人の参加者を迎えての大イベントです。

初日は基調講演2本+1時間単位のショートセミナーが数トラック。
2日目は午前、午後それぞれ2.5時間のセミナーやワークショップ。

初日の基調講演2では、鹿島建設の方が「羽田国際空港D滑走路建設プロジェクト」について紹介しました。

15社のJVでその統括を鹿島建設がなさったそうです。15社ですよ。工区を分けて、分担したそうですが、1工区が550億円(と言われても、イメージが湧きませんが)

D滑走路は羽田の4本目の滑走路。2500メートル。これを41ヶ月で完成させた、というスゴイスケジュールだったようです。

場所が今までの滑走路から飛び出た形になるので、東京湾と多摩川とにまたがることになります。このことが工法に影響し、ハイブリッド方式を採用。東京湾側が埋め立て、多摩川側が桟橋方式で作っています。2500メートルの2/3が埋め立て、1/3が桟橋です。これをちゃんとつなぐわけです。

しかも、海ですから沈下の予想も立てて、その分の吸収も計算して・・・。100年後の沈下を70-80センチと予想して手当てをしているのですって。

100年後!!!

建設業界の方には当然の話なのでしょうが、もう、規模が大きくて驚きました。

ところで、この「D滑走路建設」に関して、プロジェクトで面倒見よ、と言われたことに以下の項目が含まれていたそうです。

●東京湾の船舶の安全航行
実は、東京湾は名だたる「混雑湾」で、物凄い数の船が行き来しているのです。滑走路建設で船舶に影響しないよう、安全管理もプロジェクト側で行いなさい、というオーダーだったそうです。

●多摩川側を桟橋方式にしたのは、多摩川の流れを止めないためです。生態系などにも影響するから。

これ以外にも、羽田空港近辺は、航空機の運行の関係で、高さ制限が厳しいそうですが、工事用の重機類がことごとくひっかかる。どうしよう?というので、夜間(夜中も含む)はひとつの滑走路を使わないという対応をしてもらうことにした、という話もありました。

滑走路ひとつ作るのに、色んなことが絡まっているんだなあ、と思いますし、15社ジョイントってどういう状況でプロジェクトを管理していくのだろう?と想像を絶するものがあります。

会場で久々にお会いした岡島幸男さんとも「550億円も550万円も違いがわかりませんよね。15社JVなんて、イメージもわかないし。規模がスゴイ!」と感心しまくりました。

=============

久々にお会いした岡島さんとの2ショットを添付。

(2011年5月30日現在、写真が見つからず・・・。発見次第、アップします)

↑↑証拠写真↑↑(岡島さんの許可を得ています)


★岡島さんのブログ
http://d.hatena.ne.jp/HappymanOkajima/


★岡島さんのご著書

●『ソフトウェア開発を成功させるチームビルディング』ソフトバンククリエイティブ
http://amzn.to/bKAHmt


●『プロジェクトを成功させる現場リーダーの技術』ソフトバンククリエイティブ
http://amzn.to/aZcg90

★岡島さんのTwitter
http://twitter.com/okajima_yukio



*岡島さんと私は2日目(9/10本日)の午前セッションを担当しました。詳細は、また明日以降にブログで紹介します。(一足先にTwitterでぶつぶつ紹介しています)

http://twitter.com/TanakaLaJunko


2010年9月8日水曜日

旧ブログ記事:上司の悶々(2010年9月8日掲載)

「部下」という立場の2-30代の方たちとお話しすると、たいてい「上司とのコミュニケーションが少ない」「最低限仕事の話をするだけで、それ以外の会話は交わしたことがない」「もっと話しかけてほしい」という声が多数聞こえてきます。

私も、「部下」の立場なので、よくわかります。

「ああ、気づいたら、この上司から3年ほど声をかけられていない」と思ったことも過去にはありました。(昔の話ですヨ。)

「自分から声掛けてくれてもいいのに」
「日常会話だってしてくれてもいいのに」と。

じゃあ、こちらから声をかけるか、というと、わざわざ上司のところまで行って話すようなことでもないし、と部下は躊躇するわけです。

一方、上司はどう思っているのか?

もちろん、部下と話す必要性を感じていない、部下と話すのが苦手という上司もいるに違いありませんが、上司は上司で案外悩んでいるんだなあ、と思う声を先日聞きました。

「部下とコミュニケーションをとったほうがいいとは思うけど、仕事に直結しない、日常会話のようなことで部下の大事な時間を費やしてしまうことに抵抗がある。」
「自分と会話するために時間を取らせて悪いような気がしてしまう」
「結果的に、部下との会話が激減してしまう」

・・・。

なるほど。そういう捉え方もあるんですね。

人間関係の構築が大事、部下とコミュニケーションをとることが重要、と、管理職研修などでは言われるし、確かに自分も若手だったころに部下の立場からはそう思っていたけれど、いざ、自分が部下を抱えることになると、「会話のために自分の時間を費やすこと」ではなく、「会話のために部下の時間を費やさせること」に抵抗を覚えてしまう、なんとなく躊躇してしまう、というのもわからなくもありません。

それぞれがいろいろ考えた結果、なんとなくうまくいかない関係というのが仕事においては多々あるような気がします。

こういう場合、どうすればよいのか。

上司は上司で、「会話してもいいのかなあ」と部下に率直に聞いてみればいいようにも思うし、部下も部下同士で愚痴るよりも、上司に「こういう会話もしたい」と意思表示してみるのも必要かも知れません。

人間が考えていることなんて、表明しなければ伝わらないのだから、いちかばちか(そんなに大げさなことでもないけれど)言ってみることから風穴は開くのかなあ、などと思ったりもするのでした。

2010年9月6日月曜日

旧ブログ記事:「本」は捨てられない(2010年9月6日掲載)

9月27日(月)から、新しい教室に移転・営業開始します。

現在、オフィスは「不要なものを整理して処分しましょう」月間を迎えています。

勉強用に買った本、どこからか流れついた本、もらった本など、たくさんの本が個人だけではなく、共有書架にも置いてあります。

引っ越しに際して棚卸しし、「最近誰も読んでいないもの」は処分しよう、と言うことになりました。

処分する、と決めたのはよいのですが、本、捨てられないんですね。心情的に。
ゴミ箱にぽいっと捨てられない。

他の書類は、心置きなく捨てられるけれど、どんなに古い本でも何年も読んでいなくても捨てづらい。

そこで、「お茶やお菓子」が置いてある場所に不要な本を積み上げてみました。30冊はあったでしょうか?(いや、もっとかも?)

すると、なくなるわ、なくなるわ。かなりの勢いでなくなるんです。多少古くても。少し汚れていても。
同僚たちがお茶を汲みに来て、ついでに持ち帰るらしい。

「買うほどじゃないけど、くれるなら読んでみようかなー、とりあえずキープ!」という感じなのでしょう。

●本は捨てづらいが処分はしたい
●買うほどでもないけど、くれるなら読んでみたい

互いの利害が一致して、なんとなくWin-Winな感じがしています。

「お茶コーナー」は、他の人も本を置くようになり、しばらくするとほぼなくなる・・・という状態が続いています。

本は地球を巡る。

==================

私が捨てづらい、捨てるのに抵抗を感じるアイテムは、以下の3つです。

●本
●洋服(古いけど、着られるもの。敗れたり、染みがついたりしていたら別ですが、まだ着られるけど、きっと着ないだろう・・が一番捨てづらい)
●食器類(欠けてもいないのに・・・と思い、捨てられない)

これらは、全て、いろいろな手段でRe-useする道を探っています。

人によって「捨てづらい、捨てるのに抵抗あるモノ」は違うのでしょうね。

2010年9月3日金曜日

旧ブログ記事:意思は表明しなければ伝わらない(2010年9月3日掲載)

「ネゴシエーション・スキル基礎」を公開講座で実施中です。

講義しながら、ふと思ったことがあります。

人間、交渉したいと思うことがあっても、最初の意思表示自体を躊躇することがあるかも、と。

たとえば、入院患者が、「毎日回診に来る医師が異なるので、誰にどう相談したらいいかわからない。今後の治療方針もいまいち理解できない」と思っている。見舞いに来た家族にもそれを伝える。患者も家族も、

「困るわねぇ、わからないのよ、どうなっているのか」などと話す。

じゃあ、医師や看護師、あるいは病院の誰かにその「不安」や「担当医とちゃんと話したい」と意思表示したか、というと、「してない」ということがある。

たとえば、部下が、「オレ、こういう仕事に取り組みたいんだけど、任せてもらえないだろうなあ。うちの部門のミッションでもないし」とぶつぶつ言っている。「上司にその気持ちは伝えたの?」と尋ねると、

「いや、どうせ言っても無駄だし、ミッションじゃないと言われるのがオチだし」と言う前からあきらめている。

たとえば、ある買い物をして、不具合があるような気がする。明確に不具合じゃないんだけれど、「変かも?」という程度に疑念がある。

「これさあ、買ったばかりなんだけど、不調なのよね。気のせいかも知れないけど」
「買った店に言ってみた?」
「いやあ、”そういう仕様です"なんて言われるかも知れないし・・・」

と周囲には愚痴をこぼすものの、結局、アクションを起こさない。

・・・

例を挙げればキリがありませんが、まあ、とにかく、「意思表示」自体を躊躇することが多いのではないか、と思ったわけです。

「ネゴシエーション」(交渉)というと、「難しい!」と思う方が多いのですが、それは、「相手の言い分を聴いて整理して、互いに享受できる利益が大きくなるための創造的に話し合う」のが難しく、だから、その部分を研修でも扱います。けれど、そのもっと手前の部分で、

「交渉したい時、交渉すべき時、”私はこう思う””私はこうしたい”を意思表示する」ことも大事なんですよね。

それは、スキルというよりも、「気持ち」の問題で、自分でその「躊躇」を乗り越える努力をするしかないのだよなあ、と思うのです。

勇気を持って、まずは、意思表示。