2011年5月3日火曜日

マナーは型よりハートを。

先日、ある企業の新入社員研修を2週間連続で担当しました。

とにかく、皆さん、とても気持ちのよい若者で、元気・マジメ・前向き・誠実な新入社員ばかりでした。

特に、感心したのは、(数日前にもここで書きましたが)誰に言われたわけでもないのに、朝と夕方、自主的に講師控え室をノックし、「おはようございます。今日もよろしくお願いいたします」「これで失礼いたします。ありがとうございました」と挨拶をしてくださることでした。

こういうの珍しい、というよりも、21年、新入社員研修を担当していて初めてのことに思えます。

人事の方に特に何を言われたわけでもないようです。自然発生的に挨拶に来られる。

最初、「今日の日直担当の方かな」と思っていました。が、すぐにそうではないと気づきました。それにしては人数が多い。

「では、全員が挨拶に?」かと思えば、これも違う。それにしては人数が少ない。

「毎回同じ人?」と観察していると、日々、異なる。

つまり。

「今日は、まだ講師の顔を見ていないから控え室に挨拶に行こう」とか
「さきほど、廊下で挨拶したから、控え室には行かなくていいな」などと判断しているようなのです。

挨拶も毎度同じセリフではなく、「明日もよろしくお願いします」だったり「今日もありがとうございました」だったり、もっと異なる言葉だったこともありました。

お辞儀は日々きれいになってはきましたが、マナーの観点からはまだまだ荒削りです。でも、何よりもハートを感じられるので、気持ちいいなぁ、とココロから感じました。

マナーというと、お辞儀の角度とか声の大きさとか完璧な敬語といったことにばかり目が行きがちです。そして、新入社員研修では、そういう「型」を重視しすぎる傾向があります。

たとえば、挨拶して入ってきたのに、ちょっと声が小さいからといって、「はい、やり直し!」と命令してしまう。どのような挨拶のセリフだったかに耳を傾ける前に「声の小ささ」ということだけに着目して、やり直し!と。すると、今度は、声を張るだけの、セリフを読んでいるような挨拶になってしまうこともある。

お辞儀の角度がおかしい、というところにばかり注目し、何度も練習をさせる。そのうち、お辞儀は見た目として美しくなりますが、何度も何度も強化練習をしている内に「ハート」が抜け落ちていく。

角度、声の大きさ・・・。そういうことが第一になってくる。これが、「マナーを型から教えすぎる」結果起こることです。

先日お邪魔した企業では、私達が担当する以前の研修でもちろん、型も指導されていました。私達も型を教えました。

それでも、ハートを感じられたのは、たぶん、人事の方も私達も型について「厳しく」言い過ぎなかったからだと思います。

たしかに、会釈・敬礼・最敬礼の違いも知らずに30歳になってはまずい。
尊敬語と謙譲語も使い分けられずに25歳になってもまずい。

でも、それはあくまでも「型」であって「知識としてもっておくべき教養」の部分です。

大切なのは、「気持ち」があるかどうか。そこを人事部も研修の講師も、そして、配属先の上司も先輩もきちんと伝えていかなければなりません。

そして、後輩達も、「型」だけでなく、そこにこめる「気持ち」は何かを考えて行動する必要がありますね。

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こちらの新入社員研修で感心したこと。もう一つ。

掃除機が置いてありまして、朝、昼休みに、日直がフロア中(教室とラウンジ)に掃除機をかけているのです。もちろん、最初は人事の方から指示されて、ではありますが、それでも見ていると、すごくしっかりと掃除していました。

自分の学習環境を自分で掃除する。

とてもよいことだと思いました。

日直を担当した人の研修日誌には、こんな記述がありました。

「初めて、日直の担当が回ってきて1日日直をしていた。掃除や研修のための準備などをしていて、初めて気づいたことが沢山ある。ラウンジのテーブルが汚れていることとかゴミがたまっていることとか。日直という役割について気づくことが沢山あった。普段からもっと色々なことに目を向けて行動しよう」(← 記憶に頼っての再現なので、原文の通りではありません)

掃除を外部に発注することはできますが、新入社員に任せてみたのは、単にコスト削減のためだけではないと思います。

こうやって任せてみる、担当させてみるのは「気づき」や「学び」を促すためにも意味があるのです。

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