2009年7月30日木曜日

旧ブログ記事:「ググるの得意ですからっ!」(2009年7月30日掲載)

ある企業の30代ベテラン営業さんから聞いた話。

配属されてきた新入社員にある製品(だかサービスだか)の調査を指示した。

「○○の導入事例を調べてみて。」
「はい、わかりましたっ!任せておいてくださいっ!ボク、ググるの得意ですから。」

ちょっと怪しいなあ・・・と思いつつ、しばらく様子を見ると手になにやら紙を持ってやってきた。

「はい、調べましたっ!」  ”どさっ”と机に置かれたそれは、大量のプリント用紙。
「なに、これ?」
「はい、ググったら、これだけ出てきたので、全部印刷してみましたっ!」
「あのさ、調べるっていうのは、検索して印刷することじゃなくて、自分で情報を整理することをいうんだよ。まとめてきてよ。」
「え、まとめることを調べるっていうんですか。じゃあ、やってみます。」

「あ、その前に、もうひとつついでにやってほしいんだけど。導入事例だけじゃなくて、導入のメリットもあるはずだからそれも調べておいてね。」
「はい、わかりましたっ!」

しばらくすると、とぼとぼと新人クンが戻ってくる。

「導入のメリットはどこにも載ってませんでした・・・。」
「え?そんなはずは・・・。さっき印刷した紙、見せてみ。」

・・・・・・「ほら、ここ、とか、ここに、メリット、書いてあるじゃん(と赤ペンで線を引いてみせる)。」

「あ、そこにあるんですか。見出しにないから、メリットは書いてないと思いました。」
「あのね、文章を読んでいけば、”これがメリットだな””ここもメリットだな”ってわかるっしょ。調べるというのは、そーゆうことをいうのっ!!!わかった?」
「はい、わかりました。これからは、ちゃんと読んでみます。」

【ポイント】

1.調べる=ググるだと思っていた
2.調べる=読み込んで考え、そこから自分なりに整理することとは思っていなかった

なお、この新人クン、この後1ヶ月くらい同じようなやり取りを繰り返したものの、素直であったことが幸いして、最後には、先輩が意図する「調べる」ができるようになったそうである。

恐るべし!新人クン。
頑張れ! 新人クン。

そして、頑張れ! 先輩。Be patient!

2009年7月27日月曜日

旧ブログ記事:「フライパンを買いに行っていいですか?」(2009年7月27日掲載)

ある人から聞いた話。

新入社員が「新人研修」期間中に、「明日、休んでいいですか?」と聞いたそうだ。「どうして?急用?」と尋ねれば、「フライパンを買いに行かないといけないので」と答えたと言う。

先輩は、「フライパンは、今日明日なくたって、週末まで、なんとかご飯くらい食べられるよね。研修を休んでまで行くことじゃないでしょ」と説き聞かせて、「休み」は却下したそうだ。

別の例。同じく新入社員が「明日、休んでいいですか?」と聞いた。やはり、研修期間中。「なんで?」と尋ねると、「免許の更新があるので」と言う。

人事の方は、「免許の更新は1ヶ月も期間があって、土曜日もやっているよね。明日行かないといけない理由があるの?」と尋ねる。「明日、と言うわけじゃないんですけど、行かなきゃ、と思ったので」と答える。

「週末にしなさい」と一喝して、休暇は、却下。

こういう例は枚挙にいとまがない。

で、どう感じるかは、人それぞれだろう。
     

非常識?????  自分でよく考えろ?????

では、以下の例。

新入社員の合宿研修。宿泊先では、全員で大浴場を使う。人事の方が、夜、お風呂を点検に行くと、風呂桶などが散乱。大地震の後のように。

翌日の朝礼で、全員に伝える。

「お風呂は公共の場です。皆で気持ちよく使うもの。だから、椅子も桶もきちんと整理整頓しなさい」と。その晩からお風呂はきれいになったそうだ。

この人事の方は、呆れて私に話してくださったのではない。

「家庭でしつけられて来ないのかなあ、とちょっと驚くが、でも彼らは単に知らないだけ。教わってきていないだけ。だから教えればきちんとできるんです」と。

フライパンを買いに行こうとする新人。免許の書き換えをしようとする新人。

40代50代の人から見れば、「新入社員研修中は、たとえ多少の熱があったとしても這ってでも出て来い!それをフライパンとは何事だ!?」と思う出来事かも知れない。

新入社員は、たしかに、いつも「非常識」だ。(私もかつて相当非常識だったと思う。記憶にないだけで)

オトナの世界の常識を知らないのだから、「非常識」に決まっている。

学生時代は、授業を休みフライパンを買いに行っても誰からも怒られないし、自分もさして困らなかったのだろう。免許の書き換えだってそうだ。

「会社のオキテはこうなのよ」「皆で仕事する、ってことは、こういうことなのよ」ときちんとひとつずつ教えてやればいいんじゃないかと思う。案外、彼らは素直で、吸収もする。

もうひとつ、思い出したいこと。

「誰もが、かつては、新人だったこと。きっと自分も”非常識”だったこと。そして、周囲が我慢づよく指導してくれたこと。」

人は、決して、一人では成長しない。周囲との関係の中で成長していくのだ。

「オレは誰からも育ててもらっていない」と思う人もきっと大勢から有形無形の支援を受けている。

2009年7月26日日曜日

旧ブログ記事:講師がよく見る夢は・・・(2009年7月26日掲載)

講師(インストラクタでもトレーナーでもよい)がよく見る夢といえば、

●教室(お客様先)にどうしても到着できない! (寝坊やら様々な理由で)
●研修が終わらない! (テキストの最後まで行き着けない)
●受講者が怒っている! (なぜか怒っている)

がBest3に入るのではないかと思うのだが、どうだろう?

「到着できない」というのは、同僚も「よく見る」と言うので、たぶん、1位だとは思う。

たとえば、「起きたら、既に午後で、今日は朝9時から研修のはずなのに、自宅にTELすらかかってきていない。なぜ、大騒動になっていないのだろうとフシギに思う」とか

「電車をどう乗り継いでも、目的地(お客様先)に着けない。もう午後4時。あと1時間くらいしかないのに、誰からもケイタイにTELもかかってこない。いったいどうなっているのだろう?」といったもの。

「教室に足を踏み入れると、全員が後ろ向きに座っていて、前を向くようにお願いしても言うことを聞いていただけない」とか

「講義中、お一人が『オレは帰る』と言い出し、何に怒っていらっしゃるのかわからず、おろおろすると、他の方たちも『私も』『オレも』とぞろぞろと教室を出て行ってしまう」なんていうのもある。

「怒っている!」は、さすがに最近見なくなった。

一番多く見たのは、やはり20代の頃である。ということは、今思えば、何か、自信がなかったのだろう。相当勉強もしたし、家に資料を持ち帰って夜中まで読んで、一人でぶつぶつしゃべって「リハ」したりしても、最後の最後で何か確信が持てるまでにはなっていなかったのかも知れない。

怒られたらどうしよう、参加者が不満足のまま終了することになったらどうしよう、と不安を抱えた状態で床に入るので、夢も「怒られた」というものになってしまったのだと思う。

「到着できない」は、ベテランになってもたまに見る。これは、自信とか経験とかそういうことに無関係で、「もし、起きられなかったら」と思ってしまうのが理由のような気がする。

どの職業でも、決まってみる夢があるんだろうなあ。他の職業についている方がよく見る夢というのを色々なパタンで聞いてみたい。

ところで、インストラクタ(講師でもトレーナーでもよい)の「職業病」のひとつに、「人前で話す時、全員とのアイコンタクトを取ってしまう」というのがある。

講義の時は、これが出来ないとダメなのだが、場合によっては、妙に手馴れた印象を与えてしまうことがある。

その最たるものが、結婚披露宴である。

ある先輩は、自分の披露宴の最後に「新郎挨拶」としてマイクを握ったら、全体に満遍なくアイコンタクトを取りつつ、やたらと堂々と挨拶をして、ちょっと初々しさがなかった、と後日、自ら反省の弁を述べていた。(この先輩は、結婚した時25歳くらいだったと思う)

私もスピーチなどを頼まれると、友人の一人として、おどおどと多少か細い声でも出して、下を向いたりして恥ずかしそうに話せばよいものを、端の席まで全体にアイコンタクトを取りつつ、堂々とちゃきちゃき話してしまい(20代の頃の話です)、あとで「しまった」と思ったことが何度かあった。

冒頭の「夢」と同じように、この「全体にアイコンタクトとって、堂々とスピーチ」も同僚たちは必ず経験しているはず。

そして、これまた異職種の「職業病」も聞いてみたい気がする。

2009年7月25日土曜日

旧ブログ記事:双子ちゃんのサバイバル戦略(2009年7月25日掲載)

甥っ子が長くNICUにいたため、彼のママ(私の妹)は、NICUでママ友が沢山できたらしい。Babyより先に退院したママが授乳のために毎日通ってくるわけだ。

NICU(新生児ICU)なので、ちっちゃく生まれた赤ちゃんなどがいるのだが、中に双子ちゃんがいたそうだ。

二卵性で女児と男児。その双子ちゃんのママに聞いた話が以下の通り。

・・・・・・

女の子と男の子で、最初からすこし女の子の方が大きかった。

お腹が空くと「おっぱい、おっぱい」といわんばかりに泣くのだけれど、二人同時に泣き、身体が大きい女の子のほうがどうしても音量もでかくなる。

すると、ママも、夜中だったら看護師さんも「大声」のほうを優先的におっぱいを与える。

男の子も負けじと大声を張り上げるのだが、どうしても声の大きさでは負けてしまう。

もちろん、おっぱいは、二人とも飲ませるのだけれど、大声が優先されてしまう、というのは致し方ない。

身体が小さい男の子は、どれだけ声を張り上げても、女の子には叶わない。

そこで、ある日、彼は、泣き方を変えた。

切なそうな、哀れを誘うさめざめとした泣き方になり、表情まで悲しそうな顔をするのだそう。大声競争で叶わないなら、情に訴えるぞ!と作戦を変更したらしい。

悲しそうで切なそうなので、周りが今度は男の子のほうを優先して対応するようになった---。

・・・・・・・

生後数週間の赤ちゃんである。

人間、生まれた時から競争心があるし、サバイバル戦略を持っているんだなあ、と興味深く聞いたのだった。

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ところで、うちの甥っ子は、今実家にいて、ジジババとママ(と仕事がない日のパパ)に養育されているのだけれど、なにぶん、全体的に年齢が高いので、トークが昭和である。

甥っ子は、眠ると、よく耳を手で押さえるポーズをする。すると「鶴田浩二やってるの?」とばあちゃん(わが母)に聞かれている。そんなもん、平成の赤ちゃんなんて、知らんがな。(私も実は、「鶴田浩二」を思い出したのだが)

右手を上げて、左手を下げて、というポーズになってしまうと、「”しぇー”になっているよぉ」と誰彼となく言う。「しぇー」って・・・。と思いつつ、私もそれしか思いつかない。

「昭和テイスト子育て」真っ只中の田中家である。

2009年7月24日金曜日

旧ブログ記事:DNA(2009年7月24日掲載)

5年くらいから毎年お邪魔している企業があって、その時知り合った参加者は既にそれぞれがシニアな層(たとえば、ライン管理職など)になっていらっしゃったりする。

毎年そちらに伺うと、その年の参加者のどなたかが、「田中さん、明日クラスが終わったら、懇親会しようと思うのですが、参加していただけませんか?」と声をかけてくださる。

私は夜、大学に通ったりしているので、都合が合う場合とそうでない場合があるのだが、合えば「はい、ぜひ!」と参加させていただく。

今年もお邪魔したら、若手社員の方から「夜の懇親会」へお誘いを受けた。また、日中(ランチタイム)には中堅層から「ランチに!」と誘われた。

こういうこと、実は珍しい。

講師は、基本、「ひとり飯」である。近所をうろうろしてどこかのお店に入るか、お弁当を買ってきて、教室または控え室を使わせていただくことが多い。なので、誘われると驚き、ちょっと嬉しくなる。

なぜ、毎年、必ず、どなたかが声をかけてくださるのか?

聞けば、「先輩が去年、田中さんを誘ったというのを聞いて、自分もそうした」とか「先輩から、”社外から来る人となかなか交流が出来ないのだから、色々な話を聞いて吸収しておいで”と言われ、誘ったんです」とか、先輩や上司からなんらかの刺激を受けて、「講師を誘う」行為が脈々と引き継がれているようなのだ。

「そういえば、誰がこれを始めたのだろう?」とお食事中にどなたかがおっしゃった。

「ボクは、●●先輩の真似をしているんだ」
「●●先輩は、××先輩の真似をしたんじゃないかと思う。だって、××先輩は、そういうことを熱心に言う方だから」
「じゃあ、××先輩は、誰の影響を受けたのだろう?」
「その上の世代は、年が離れすぎていて、もう分からないなあ・・・」

という会話の後、「こういうのも、DNAのひとつなのかも知れませんね」という結論になった。

人材育成というのは、今目の前にいる後輩を直に指導するだけじゃなくて、将来の後輩、まだ見ぬ後輩へも影響を及ぼす仕事なのだ、と常々思っているのだけれど、たとえば、「社外の空気に触れるために、よそから来た講師と懇親する」ということもこのように引き継がれていく場合があるのだ。

ところで、今年誘ってくださった方は、入社2年目。本当にお若い。彼は宴席に着いたら、真っ先に、
「改めて自己紹介します。私は、学生時代は・・をしていて、その時、バイトで知り合った先輩の影響でIT関係を考え、今の会社に入社し・・・」と、正座しながらお話ししてくださった。

こんなに真面目な自己紹介を受けたのは久しぶりで、その礼儀正しさと丁寧さに、感動し、素晴らしいなぁ、と思ったものだった。

先輩たちの顔を思い浮かべ、「いい後輩を育てていますね」と心の中で呟いた。

*** 追記(2011年5月15日) ***

この記事には、同僚の横山哲也から、コメントがついておりました。許可なく(怒るまい)、こちらに再掲載します。「ミーム」、覚えました。


「横山です。まさにミーム(meme)の伝搬ですね。いいお話です。ミームは文化や習慣を伝搬する情報単位です。詳しくはこちら。





2009年7月21日火曜日

旧ブログ記事:新入社員とオジサマの類似性あるいは相違点(2009年7月21日掲載)

新入社員は「まとまった文章で話さない」こともあり、だからといって、こちらが行間を推測してしまうのもよくない。

たとえば、「あのぉ、テキストが・・・」と心細い様子で言ってきたら、たいていは、「自宅に置いてきてしまったから、貸してほしい」という意味だったりするのだが、「忘れたんですか?貸し出しましょうか?」などと言ってしまっては、彼らが余計に「まとまった文章」で話せなくなる。

だから、こんな風に展開する。(以下、少々大げさに)

「あのぉ、テキスト・・・」
「テキストがどうしました?」
「家に忘れてきました」
「それで?」
「だから、今日はないんです」
「それはわかりますが、で?」
「予備、ないんですか?」
「ありますよ」
「借りられないんですか」
「借りたいのですか?」
「はい」
「じゃあ、最初から、”忘れたので、借りたい”と、自分の意図をきちんと”文章”で伝えてください」
(実際には、ここまで時間はかけないけれど)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「新入社員って文章で話さないことが多いですよね」「単語をぶつぶつとつなげることがありますよね」というのは、私が研修の場で感じるだけでなく、実務現場の方からよく聞く話でもある。

「若手がまとまった文章で話すにはどうしたらいいのだろう?」は、OJTでの課題のひとつだったりして。

ところで、先週、出張で滞在したホテルの朝食バイキング会場でのこと。

食事していると、あとから50代後半と思しきオジサマ群(全員、ビジネススーツ着用。観光客ではない)が会場に入って来た。

このホテルは、和洋バイキングで、パンだけは、「注文すると温めたものを厨房から運んでくれる」システムだった。(だから、料理が並ぶテーブル上にパンは置いてない)

オジサマの一人が、会場にいる給仕のお姉さんにこう言う。

「パンはっ?。パンっ」
「お持ちします。バターロールとクロワッサンがございますが」
「バターロールっ」
「バターロールを、いくつお持ちしましょうか?」
「ふたつっ」
「はい、ふたつですね。かしこまりました。」

オジサマも文章では話さないのであった。単語だけなのであった。

若者(新入社員)とオジサマの大きな違いは、「オジサマはイバっている」ということなのであった。しかも、語尾は、全部「っ」(小さい”っ”)なのであった。

2009年7月19日日曜日

はじめて逢った君へ(2009年7月19日掲載)

5月末に生まれた甥っ子がやっと退院(少々早めに生まれたので、長くNICUにいました)。新米ママが帰省している実家に、Babyも「しゃばの生活」に慣れるまで住むことに。

 おばちゃん(わたし)も実家に駆けつけ、Babyと初対面を果たしました。

今までは、新米ママから送られてくる写真を見て、結構大きいのかな、と妄想を膨らませていましたが、会ってみたら、まだまだちっこい、ちっこい。

45センチ、2500g。

・・・・・・・・・・・・・・

ずーっと病院のざわめきの中にいて、やっとおうちに帰って来た君は、すやすや眠っていたね。

Babyの寝顔は、どうしてこんなにも平和なのだろう、としみじみ眺めてしまう。(その後目が覚めたら、「おぎゃー、ふぎゃー」の大騒動だったのだけれど、両じいちゃん・ばあちゃん、おばちゃん全員で上から覗きこみ、「うわぁー、顔が松尾伴内になっている」「すごく大声だー」とニコニコ・・・。)

2009年生まれの君は、もしかすると、22世紀を見るかも知れず、これから無限の可能性があるんだねー。

皆みんな、君と逢える日をずーっと待っていたよ。

生まれてきてくれて、本当にありがとう。

はじめて見た空はどんなでしたか?

はじめて乗った車はどんなでしたか?

病院以外のベッドではじめて眠った夜はどんな夢を見ましたか?

はじめて聞く、庭に来ていた小鳥のさえずりはどんな風に耳に届きましたか?

これからいっぱいの「はじめて」を経験して、大きくなってね。

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「おばちゃんと指きり」
こんなにちっちゃな手。


「ミニカーとボク」
普通サイズのミニカーなのに。足は7センチだった。


*45年くらい前、アメリカ在住中に父が買ってくれたミニカー達。アメ車の歴史を物語る。 手前の白い車はよく見ると(クリックすると拡大します)、ICE CREAMと書いてあり、アイスクリームを売るおじさんが中に乗っているのです(おじさんは、見えにくいけれど、真ん中に立っています)足(7センチ)のちっちゃさがわかるかな、と並べて見ました。見ようによっては、「ガリバー旅行記」(でもないか)。


*** 2011年5月15日追記 ***

まもなく2歳。この記事を読むと、初めて逢った日の、なんともいえない感動を思い出してしまう、相変わらずの伯母バカです。

2009年7月17日金曜日

旧ブログ記事:札幌に行ってきました!(2009年7月17日掲載)

この梅雨の最中(といっても昨日で東京も明けたようですが)、札幌出張でした。いやあ、涼しいのなんの。札幌の方にとっても例年より気温が低いということでした。最高で20-1度くらいだったと思います。(もちろん、朝晩は1X度台)

「この気候を東京にそのまま持って帰りたい!」と叫びたくなるほどです。

「東京の夏(の夜)は暑いのですか?」と訊かれたので、「そうですねー、空中浮遊したまま寝たいくらいですね」と答えると、「それはどういう意味ですか?」と。

「身体がつくと、自分の熱で布団が温まり、寝苦しくて仕方ないので、ベッドから15センチくらい浮いていたい、と思うのです」と解説しました。

「その暑さがイメージできない」とおっしゃってましたが、そりゃそうですね。


ところで、15日(水)、「朝イチメール」配信、田中分がスタートしました。

ホテルでちゃんと着信しまして、自分が書いた文章をしみじみ読みました。

「何度も味見した自作の料理」みたいなもので、面白いんだか面白くないんだか、すでにわからなくなっているのですが、まずは、スタートです。

少しずつよくなりますので(連載というのは、だんだんスタイルが決まってくるので)、ながーい目で、そして、諦めずに(ん?)今しばらくお付き合いくださいませ。

・・・・とここまで読んだ同僚がきっとフシギに思うだろうこと。

「田中、ケイタイ持ってないはず。」「なぜだ?」


・・・・実は、配信開始にあわせて買ったんですね。先週。「ケイタイメール」の仕事を始めるのに、その「場」を自分が持っていないのもなんだな、と。

今までも不要だったので、色んな機能はこれからも不要に違いないと思ったのですが、量販店(ビ●クカメラ)のお兄さんが薦める1円ケイタイに見向きもせず、最新機種、超薄型、きっと絶対に使え(わ)ないだろう多機能ケイタイを。(見た目がカッコよかったので)

ここに書いたら、バレますね。


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「味の三平」という超有名ラーメン店があります。先方が「ランチにぜひ」と連れて行ってくださって、感動しました。

というのは、おそらく1990年頃、やはり仕事で札幌に行った時、一人で並んで入った記憶があるのです。

「パルコの隣のビルの上の方にありますよね」と言ったら、「よく覚えてますねー」と感心されました。

若い頃の記憶は、いつまでも色あせないのですね。(最近は全然ダメですけど)カウンターの雰囲気をまるで映像のように覚えていた自分に驚きました。

おいしくいただきました!


*** 追記 (2011年5月15日) ***



私は、何事にもオクテで、携帯を持ったのが2009年7月12日だ、という・・・。
遅いですねぇ。朝イチのおかげで携帯ユーザになりました。



2009年7月14日火曜日

旧ブログ記事:OJTの世話役を置く(2009年7月14日掲載)

OJT制度というのは、1年次から3年次くらいまでの若手社員に専任育成担当者をつけることが多いと以前説明したが、最近、この制度を補完するために、OJT担当者でもなく、上司(管理職)でもなく、中間で、なにくれとなく相談役となるような存在を置く仕組みができてきた。数社で耳にしている。

新入社員から見ると、こんな感じ。

新入社員←→OJT担当者←→上司

このラインには入らないが、若手社員からも、OJT担当者からも何かあれば相談に乗れる存在、立場。

世話役・相談役には、たいていは、メンターとか、OJTリーダーといったかっこいい名前がついている。直接の利害関係がないので、いい感じで潤滑油になれる。

企業によっては、この相談役を、「前年に1年間OJT担当をした人」という要件にしているところもある。

これは、いい制度だと思う。

「新人育成に関わっていたとき」は、がむしゃらで、「本当にあれでよかったのか」と後悔することもあるだろう。が、たいてい、1年で任期が終わると、それを振り返る余裕も暇もないまま、また自分の本来の場所に戻っていく。

1年残留する、しかも、さほど重責ではない立場、となれば、現・OJT担当者にも落ち着いてアドバイスもできるだろう。

また残留した当人にとっても、「去年自分がやったことはよかたのか」を追体験し、学びや気づきの整理が可能になると思うのだ。

そういう意味で、 1年残留は、居残った当人に一番有効な仕組みなのかも知れない。

ところで、冒頭のような仕組みを採用された企業で、「私たち(世話役)はどんな風に振舞えばよいか。介入しすぎてもいけないし、かといって、冷たいのもなんだし。」と質問が挙がった。

ひとしきり解説した最後に、「そうですねぇ、明子ねえちゃんみたいな感じがいいのでは?」 と言うと、会場がし~んと。

ん?伝わらない?

「巨人の星の、明子姉ちゃんですけど。飛雄馬のお姉さんの・・・」

?????

・・・・・伝わらないのだった。

「Gメン歩き」に続いて、またやってしまった。

昭和は、遠くなりました。平成21年ですからねー。遠くもなりますわね。

2009年7月13日月曜日

旧ブログ記事:日経BP朝イチメール(裏話)(2009年7月13日掲載)

2009年7月13日週から始まった「日経BP 朝イチメール」の裏話です。

といっても、私自身に関わることを。

”コミュニケーションのびっくり箱”というタイトルは、すんなり決まったものではありません。

「どういうタイトルにしましょうか?」とプロデューサー氏から問いかけがあり、こちらからいくつかアイディアを出したのです。

最初は、”楽しく仕事をするためのハッピー・コミュニケーション術”なんてのを5個くらい出しました。

先方からは、「まあ、いいんだけど、”術”とつくと、お勉強講座みたいだし、”ハッピー・コミュニケーション!”とするほうがケイタイメールらしく適度な軽さがあっていいかも」とお返事が。

なるほど。

さらに、「ただ「楽しく仕事をするためのハッピーコミュニケーション!」だとケイタイの画面に表示されるものとしては長すぎるかも。」とも。

「あ、そうか、ケイタイか。あらゆる方が読者になるとしても、ケイタイユーザといえば、一番人口が多いのは、2-30代?ってことは、もっと軽くしたほうがいいかしらん?」と妄想し始め、

じゃあ、”ハッピーコミュニケーション”を縮めて、”ハピコミ”とか”ハピ★コミ”とかしちゃいます?とメールすると、すんごーく冷静なお返事が。

「田中さんは、年齢的にも上なのだから、そんな無理して”ハピコミ”だとか★とか使わなくていいです。普通に。」びしっと。

調子乗りすぎましたか・・・。反省。

その辺りから、どんどん妄想と暴走がひどくなり、もうどうしていいかわからない状態に。

「コラムの中には、”あるある””そうそう”を盛り込みたい、ということだから、あ、じゃあ、”ある!いる!コミュニケーション”・・・”あるいるコミ”はどうですか?」

「それじゃあ、なんだかわかりません」

そんなやり取りを繰り返している内に、このブログが「ヒューマンスキルの道具箱」だから、「箱」シリーズで行きましょうか、と。

そこで出たのが、”コミュニケーションのたまて箱”。

これで一旦決まりかかったんですが、何か他にも箱があったような・・・。

あったような・・・・。

救急箱。裁縫箱。りんご箱。ん?なんだ・・・?

あ、”びっくり箱があった”と思いつき、プロデューサー氏にメール。

「あ、いいですね!ボクももっといい”箱”があった気がしてたんです。これで行きましょう!」

ここまでに3-4日かかりました。

さらに、「びっくり箱」といえば、英語でJack-in-the-boxって言うようなぁ・・・と、

再び妄想モードに入った私は、「Jack」「Jack」とスペルを見ているうちに、「Junko」とかなり似ている(無理やり感もあるが)と思い至ったのです。

「サブタイトルに、Junko-in-the-boxって入れていいですか?」とお伺いと立てると、OKに。

こうやって、”コミュニケーションのびっくり箱 ~Junko-in-the-box~”にタイトル決定とあいなりました。

義弟に知らせると、「"タナカ La ジュンコ"に続く、ダジャレシリーズですね」と言われてしまいました。

ダジャレのつもりはないのだけれども。

というわけで、「呼ばれて飛び出てじゃじゃじゃじゃぁ~ん」となるような(これまた古っ!)コラム配信ができれば、と思っております。

13日(月)中に登録すれば、15日の初回(田中の担当は水曜日なので)から配信可能とのことです。

2009年7月12日日曜日

旧ブログ記事:読解力と言語活動の強化・・・なんだそうです(2009年7月12日掲載)

都議選があり、投票所になっている近所の小学校に行きました。

お、校庭は今でも砂埃が舞っているんだなーと、懐かしく思いました。ありんこ、歩いているし。池には金魚が泳いでいたし。

正門近くに「●●通信」(たぶん、親御さん向けのもの)が貼ってあったので読んでみると、社会科の先生が一文を寄せていました。

「社会科(歴史、地理、公民の三教科)に共通して必要とされるのが「読解力」と「言語活動」である。」といったことが書いてありました。

●資料などから社会の情勢などを読み取る力・・・読解力
●自分が理解したことをきちんと文章などで伝える力・・・言語活動

なのだそうです。

読解力も言語活動も「国語」だけの領域ではないとも。

たしかに、「何を言っているのかきちんと読み取る」とか「言いたいことを相手に伝わるよう表現する」というのは、教科(科目)を超えて、普遍的なことではありますよねぇ。

もちろん、教科の本来の中身をないがしろにしてはいけないけれど、知識を学ぶにも、知識を活用するにも、そういうコミュニケーション力は大切なのだ、とおっしゃっていると解釈しました。

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上記とは全くつながりない本の紹介。

3-40代の女性に特に読んでみてほしい、と思う作品。

★ 奥田 英朗 著 『ガール』(講談社文庫)←文庫になりました!

ばりばり働く女性、シングルマザーで頑張る女性、年下男性部下を持って戸惑う女性、マンションを買おうと頑張る女性・・。様々な女性が主人公の短編集です。

途中、色んな苦労とか困難があっても、終わり方がさわやかで、「頑張ろう」という気持ちになれます。読後感がよいのです。

一箇所、胸をつれた文章があって、それは、

「女は生きにくいと思った。どんな道を選んでも、ちがう道があったのではと思えてくる。」(表題にもなっている「ガール」より))

と言う部分。

クラス会に出て、専業主婦の元クラスメイトと久々の再会。どちらも互いにうらやましい、と思い合っていたことがわかった帰り道の、主人公(シングルのワーキング”ガール”)の独白。

「うーむ」とうなってしまいました。

2009年7月10日金曜日

旧ブログ記事:大学に行こう(のその後)(2009年7月10日掲載)

4月から通っていた大学の春期講座(公開講座)が終了。教授を交えて打ち上げがありました。

大学には週1回、10年通っていますが(99年秋期から)、今期は火曜日と木曜日、と週2コマをとっていたので、1日おきに通学することになり、なかなか大変でした。

仕事のやりくりなど、同僚に協力していただいたことも多々あります。(たとえば、「夕方以降の会議は火曜、木曜以外にしてほしい」など。)感謝します。

火曜日では、「モチベーション」、
木曜日は、「1929の大恐慌へと至る歴史と大暴落当日の出来事」を学びました。


「モチベーション」の最終回で、先生は、こう締めくくりました。 

「色々な研究結果から結論をひとつ出すとすれば、仕事が自分にとって有意義であること、が大切なのだ----。ここまでが大学の授業の範囲で、ここから先は、皆さん実務家がそれぞれの場でどう生かすかを考えていってください。」

・・・・・・・

「仕事が自分にとって有意義であることこそが大事」という締めくくりを聞き、クラスメイトが、「今の自分のことを言われた気がする。これで授業は終わるけど、これからそのことを自分なりに考えてみたいと思った」と、駅までの帰り道にぽそっと。クラスメイトは20代から70代。60歳で引退してから大学で学び始めたという方も。

「これまでの社会人人生の知識や経験を一度整理してみたいから」と学ぶシニアな方もいらっしゃれば、先のクラスメイトのように「自分の今抱える閉塞感を学ぶことで打破できないか」と考えて来ている人もいます。

私は、色々学びたいから、という理由もありますが、何よりも、「仕事以外の人間関係」「自分の半径数メートル以外の物の見方、考え方、捉え方」を得られる場として貴重だなあと思っています。

公開講座ですから、毎回、1から申し込んで座席を確保するのですが、私のように、同じ教授に10年師事しているメンバが多いので、先生は、授業の終わりに、 「来期は、●●がテーマですから。では、また秋に」とおっしゃいました。

「リピーターが前提」のご挨拶に、一同笑ってしまいました。

もちろん、そういうリピーターに加え、毎回、新しい参加者もいて、今期も新たな仲間もできました。また秋に逢いましょう。 →クラスメイトの皆様。

===============

先日研修でお邪魔した企業で、入社2-4年目の若手の方に「終了後、飲みに行きませんか」と誘われました。
普段個人的には接点のない23歳~25歳くらいの若者との会食は、とてもとても楽しいものでした。

途中で、「大学に通っているんです」という話をしたら、「詳しく聞かせてください!」と。で、説明。後日お一人からメールをいただき、「何か勉強したいと思っていたのですが、ハードルが高く、 リーズナブルに、マジメに勉強できる場が大学にある知り、調べてみようと思いました」といったことが書いてありました。

学生の時、なんでもっとマジメに学ばなかっただろう、と後悔することって誰でもあると思いますが、社会人になったからこそ、学びたいことが明確になる面もあります。

私が通学していることが20代の方になんらかの情報提供になったのなら、それはとても嬉しいことです。

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2009年7月7日火曜日

旧ブログ記事:新入社員の決意(2009年7月7日掲載)

ある企業を訪問した際、ついでに新入社員研修の会場をちらっと見せていただいた。

壁には模造紙が貼ってあり、手書きのモットーみたいなものが書いてあった。(全員で話し合って決めた、とのこと)「積極的に発言・行動する」といったなものが多く書かれていた。

最後の一行。

    「横に広がらない」

とあり、明らかに異質。

たまたまそこに新入社員の方がお一人いらしたので、「これは何ですか」と尋ねると、「駅からここまで横に広がっていると指摘を受けたので、社会人ととして振舞う、といった意味なんです」と教えてくださった。

新入社員は、駅で待ち合わせて集団で当校、ならぬ、出社をすることが多く、すると、必然的に横並びで歩いてしまうことになるのだろう。

「そうですか。なるほど。それでこの決意表明をしたのですね。」と言ったあと、『Gメンみたいになっちゃうんですね。』と言おうとして、はたと気づき思いとどまった。

Gメンは、Gメン75だったよな。ってことは、1975年。

今年の新入社員は、85-7年生まれといったところじゃないだろうか。

知らないな、そんなこと。ああ、言わなくてよかった。

それにしても、横に並んで歩くことを「Gメン歩き」などと言えば通じる世代があったような気がするのだが、今は、何と表するのだろう?

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七夕ですね。

先日、デパ地下を歩いていたら、本物の笹が飾ってあり、買い物客が思い思いに短冊をつるしていました。

ふと見ると、そこに1枚、こういう短冊が。

「○○(←超有名洋菓子店名)の売上が上がりますように♪」

ええと、ここは、デパ地下で、買い物客を楽しませるための笹なんじゃあないのでしょうか。

売り場の人が、それも、こんな生々しい短冊って・・・。(そのフロアには、確かに○○というお店がある。)

それともお客さんのいたずらとかギャグだったのかな?

2009年7月4日土曜日

旧ブログ記事:「上司に受けてもらいたい!」(2009年7月3日掲載)

コミュニケーションの研修後、よくこんな感想をいただきます。
「役立った。しかし、まずは上司に受けてもらいたい。」

それで、たとえば、「上司が受講する」とどうなるか。
「役立った。しかし、できれば、部下に受けさせたい。」

この後、さらに部下層向けの研修を実施したりすると、今度は、
「役立った。だけど、これを本当に上司も受けたのか?」

という感想も届くことになります。

こういうコメントは、技術系の研修ではまず見られないものです。
「データベースについて学んだ」後、「やはり、まず上司に受けてもらいたい」とはならない。

コミュニケーションは、相手があることなので、どうしても、「自分はいいが、相手が変わってくれないと」と思ってしまうのでしょう。ただ、「上司に受けさせたい」「上司に受けてもらいたい」と考えてしまった段階で、半分以上は相手の問題と考えているような気がしなくもありません。

相手を変えるのは至難の業です。

コミュニケーションを、相手ではなくて、自分の問題として捉え、まずは自分がスキルを使ってみよう、と試みてから先のことは考えてもいいと思うのです。

そういえば、「仮に私がここで学んだことを使ったとしても、上司が今までのままだったら、結局何も変わらないですよね。そういう場合はどうすればいいのです?」という質問もよく受けます。

ここでも、なんとなく、「相手が変わらないかぎり、私が変わっても無駄」と思ってしまうようなところがあるんだな、とわかるのですが、自分がまず試してみて、そこから何か変化をもたらす努力をしてから(上司だって、こちらの出方を変えたら、多少は何か反応が変わるかも知れないじゃないですか)、

上司(やら、相手やら)のことを考えても遅くはないんじゃないか、と思ったりもします。

2009年7月1日水曜日

旧ブログ記事:創業記念日なのです。(2009年7月1日掲載)

”「この味が いいね」と君が言ったから 7月6日は サラダ記念日”という俵万智さんの短歌がありますが、今日7月1日は、グローバルナレッジの創業記念日です(つながり感があまりない出だしです)。

1996年7月1日にグローバルナレッジ、創業いたしました。

ご存じの方もご存じない方も。1996年GW前に、DEC教育部の一部のメンバが、新しくできた会社・グローバルナレッジに移籍しました。

そのまま、荻窪のDECビルに間借りした状態で創業準備へと入り、7月1日に創業。DECのビルから出たのがその年の10月。体育の日辺りだったと記憶しています。

創業時は約40名。

プロフィールをご覧になった方から、「田中さんは、転職したんですか」と訊かれることがあります。

Yesとも言えるし、Noでもあるのは、以上のような経緯からです。

・・・・・

転職活動はしてない、が、勤務先は変わった。出向などではなく、完全に別会社に移籍はした。転職したような、してないような。

なので、たいていは、「移籍しました」と表現します。

記憶があいまいですが、移籍前のDECは3000人くらいの規模だったような覚えがあります。それがいきなり40人。徐々に増えても100人を超えるまでにはしばらくかかりました。

・・・・・・
創業当時、先輩がしみじみと語った言葉は、今でもよぉ~く覚えています。

「人事も経理も営業も全ての部署の人と直接顔見て、話ができて、全員と知り合いだってこと、すげぇなあ。いいなぁ。便利だなぁ・・・。」

そう。思えば、DEC時代、というか、3000人規模の企業にいた時代。人事の方に会ったのは、採用された時と移籍直前の事務手続きの時だけでした。経理の人には会った記憶がありません。IS部門の方もメールかTELでちょっとやり取りすることがあったくらい。

社長。たまに見かけました、が直接話したことはありませんでした。

社員が4-50人とか、現在のように1XX人とか、そういう規模だと、全員が直接会話できるんですよね(社長とも)。

Good luck!