2010年8月30日月曜日

旧ブログ記事:プロレスラー山本小鉄さんの「思いやり」(2010年8月30日掲載)

プロレスラーの山本小鉄さんがご逝去されました。

あまりに突然のことで、第一報を受けたときは、その場で呆然と立ち尽くしました。

実は、私が通っている上智大学社会人講座で小鉄さんとは机を並べています。(私が小鉄さんの左斜め前に座るのが定位置。私から見ると、右を振り返ると小鉄さん)

私は99年から通っていますが、コテツさんは、たしか2008年から参加されていたと思います。今は夏休みで、また10月から四ツ谷の上智大の教室でお会いする予定でした。

また、今週は、クラスメイト同士であるというご縁から、小鉄さんが私の勤務先・グローバルナレッジネットワークに来てくださって、1時間ほどお話をしていただけることにもなっていました。あと4日だーと皆で楽しみにしていた矢先の訃報です。

そういえば、数年前にお出しになった『人生大学プロレス学部』というご本には、クラスメイトが順番にサインをしていただいたことがあります。私の本には、大きく、

                     「思いやり」

と書いてくださいました。

「思いやりは大切だよ」と常におっしゃっていました。

インターネットであれこれNEWSを見ていると、鬼軍曹としての小鉄さん、新日本プロレスを立ち上げた小鉄さん・・・が数多く登場します。

が、私はプロレスファンではなく、その方面には全く詳しくありません。

上智大学の教室でご一緒した小鉄さん、何度も一緒に飲みに言った小鉄さん。そこで聞かせてくださったプロレスの思い出や若手の育成についての含蓄のあるお話。私にとっての小鉄さんは、プロレスラーではなく、一生懸命勉強する、大きなおじ様でした。

65歳を過ぎて大学に通い始めるにいたった心境や学びに対する想いなどもよく聴いていました。

「新入社員研修で講演していただけませんか?心に染みるこのお話を、若者に聞かせてあげたいです」と冗談でお願いしたこともあります。

・・・

こういうクラスメイトとしての小鉄さんのことは、多分、人の目に触れることはないでしょう。

私は、今すごく動揺しているので、うまく文章にまとめられません。

お別れがきちんとできたら、その後、教室で共に学んだ小鉄さんのことを書こうと思います。

大きな身体で、教室の真ん中にちょこんと座り、真剣に受講していた姿を忘れません。多くの「思いやり」を持った、ホントに素敵なおじ様でした。

心からお悔やみ申し上げます。

合掌。


*** 追記(2010年5月29日) ***

その後、山本小鉄さんへの長文の追悼文を発表しました。

日経BPストアから出版した電子書籍『コミュニケーションのびっくり箱』、ボーナスコンテンツ3篇の最後を飾る一文が、「また逢う日まで。」です。

小鉄さんの奥様に「追悼文を発表したいのですが、よろしいでしょうか?」とお尋ねし、「ぜひ」と快諾いただき、掲載したものです。

奥様とは、現在、上智大学の社会人講座でクラスメイト。毎週木曜日の夜、ご一緒しています。

ご夫妻共にステキな方たちです。

★日経BPストアからの行き方。
日経BPストア⇒「書籍・ムック」⇒「ライフスタイル」で見つけられる、そうです。
(検索機能も、ついたようです。)
iPad/iPhoneからのみ。





2010年8月28日土曜日

旧ブログ記事:ストーラーニング(2010年8月28日掲載)

教室には必ず国語辞典を置いています。お客様先で研修を行う場合は、参考図書などと共に国語辞典をお送りし、やはり、教室の、目に付くところに置きます。

ワークの成果物を模造紙に書く、とか、手元の資料に自分の考えをまとめ、書きとめておくという時、ふと字がわからなくなることがあるからです。

すぐ調べられるように、という意図で国語辞典。

もちろん、講師である私(たち)も、研修中、わからない言葉が出てきたら、すぐにその時点で調べます。

グループディスカッションの終わりに差し掛かり、そろそろどのグループも模造紙に書き始めようか、というタイミングでこう声を書けます。

「国語辞典が置いてあるので、わからない字とか言い回しを調べたい場合は活用してくださいね」

すると、どっと笑い声が起こるのです。

「はい、わかりました」ではなく、全員が爆笑するのです。爆笑と言っても、ニュアンスは苦笑い、照れ笑い。

いつでもどこでも、「国語辞典、ありますよ」と言う一声で笑い声が挙がります。まず100%です。

講義中にどんなに笑いを取ろうと努力しても笑いにつながらないようなケースでも「国語辞典を」と言うだけで、どどーっと笑いが起こるのです。

ところが。

笑いが起こるにも関わらず、その後、その辞典を使って字や言葉を調べるか、というと、そこにはつながらないのです。

「○○、ってどういう字だっけ?」
「いいよ、カタカナで書いとけば」
「××、ってどんな字?」
「ケイタイで調べるから、ちょっと待って」

・・・

数歩歩けば国語辞典があるのに、ケイタイで変換するか、「平仮名、カタカナ」で済ませてしまう方が大半です。

日常の仕事は、とにかく、効率よく進めることが大事かも知れません。

でも、教室は、学びの場です。

もちろん、字を学ぶことが主たるテーマではないのですが、効率とか近道だけで「学び進める」のではなく、研修に参加している時くらい、「めったに引かないけど、辞書を使って調べてみるか」と考えてみるのもいいことだと思うのです。

スローライフ、という言葉が流行っていますね。スローフードとか。

その言葉を借りるならば、「スローラーニング」。

効率と近道ばかりを追求するのではなく、腰をすえて、ゆっくりゆったりと、辞書を引き、言葉の意味を深く考え、自分が表現したいことを他者と共有してみることも、学びが深まるきっかけになるはず。

(それに、部下や後輩にはこう言っていますよね、きっと。

「わからないことがあったら、まずは自分で調べなさい。マニュアルもあるんだから。すぐググって答えだけ探すのは自分のためにもならないよ」・・・なんて。)

スローラーニング。

我ながらいいネーミングだと思うのだけれど、ダメですか?

2010年8月26日木曜日

旧ブログ記事:「私はコレでチームに貢献します」(2010年8月26日掲載)

グループワーク中心の研修で、最近、新しいワークを思いつき、何度か実施してみましたが、予想以上に効果的だったのでこのブログで公開します。(ナイショにするほどのことでもありませんし)

グループ内でのメンバの立ち位置というのは、難しいもので、最初に発言すると「目立ちたがりと思われるのではないか、異議を唱えたら、「腰を折るヤツだなあ」とにらまれるのではないか、など、不安が心に渦巻いてしまうものです。

互いが初対面同士という公開コースだけではなく、一社向けの研修でも少なからずそういう気持ちが湧き上がってきてしまいます。

やはり、日本人は、「空気を読む」「周囲をよく見る」というのが得意なので、どうしても、「人は人、私は積極的に発言するもんね」「おかしいと思ったら、すぐ疑問を呈するもんね」とはならないのですね。

そこで。

研修の早い段階でグループメンバ同士で知り合う自己紹介をする際、名前、仕事内容、立場、参加目的などを共有した後、1つワークを追加してみました。

白紙1枚とマーカー1本を手に持ち、「私はコレでチームに貢献します」を1つだけ書いていただくことにしました。

それだけではなく、全員書き終わったら、メンバに対して、
         「私はコレでチームに貢献します」
と宣言していただきます。

このワークをここ1ヶ月ちょっとあちこちの研修で実施してみているのですが、予想以上に効果的なのです。

宣言される内容は、以下のようなものです。

●「私は、最初に発言します」
●「私は、雰囲気を和らげます」
●「私は、まとまらなくなった話をまとめる努力をします」
●「私は、タイムキーパーをします」
●「私は、発言に対して拍手をします」
●「私は、ご用命とあらば、皆さんのお茶を買ってきます」

・・・・

これを最初に宣言しておいていただくと、「宣言したんだし、最初に発言してもいいよね」「宣言したんだから、最初に行動を起こして当然だよね」という気持ちになるようです。

2日以上の研修の場合は、2日目にも「あなたが宣言した貢献項目はなんでしたか?」と思い出していただいてからワークに入ります。

これ、きっと、プロジェクトのキックオフミーティングでも使える方法だと思います。

●「私は、疑問があったら、躊躇せずに尋ねます」
●「私は、宴会部長を務めます」
●「私は、火消しをやります」

などなど。

お試しあれ!

2010年8月25日水曜日

旧ブログ記事:新入社員の「言葉遣い」をただす(2010年8月25日掲載)

新入社員が、「ガチで」とか「まじで、ヤバイ」といった言葉遣いを職場で使うので、注意しているのだが、なかなか直らない、という話を聞いたのは、昨年です。

「ガチ」という表現そのものが、その時点では旬だったようで、今年は、まず「ガチで」という言い方自体をほぼ聞かなくなりました。

とはいえ、「ガチで」のような、その時々の若者言葉、話し言葉を、職場での、それも真面目な会話中に使ってしまう若手社員はたまにいるものです。

頭ごなしに注意しても、「それが職場にそぐわない」と気づいていないか、あるいは、そもそも自分がそういう言葉を遣っていることすら自覚していないこともあります。

こんな例があります。

先輩:「あのさー、まじっすか、って何度も言うけど、感じ悪いから直したほうがいいよ」
後輩:「おれ、そんな言葉遣ってないっす」
先輩:「その”っす”ってのも、一部だけどね」
後輩:「そうっすか」

・・・・・・・・

ちょっと脚色してますが、まあ、こんな会話、ありそうでしょう?

言っているのに気づかない、悪いとも気づかない、となると「やめなさい」「表現を変えなさい」では対応できないと思うのです。

ではどうするか。

「私、そのまま真似してみることにしました。」というベテランさんに会いました。

後輩:「これ、まじっすか?」
先輩:「まじっすね」
後輩:「ヤバクないっすか?」
先輩:「ヤバいかもしれないっすね」

・・・・

こうやってひたすらリピートしていたら、そのうち、後輩が気づいて、徐々に「若者言葉が減ったとか。

他人に言われ、自分の耳に入ってきた時、初めてその言葉を「客観的」に捉えられたのかも知れません。

これを、  「若者言葉撲滅!オウム返しの術」  とでも名づけましょう。


2010年8月23日月曜日

旧ブログ記事:「はい」と返事していますか?(2010年8月23日掲載)

最近、気づいたのです。自分のことですが。

グループミーティングなど会議で誰かの「それでいいですね?」「こういう風になっているので、よろしく」などと同意や確認を求める発言があった時、メモは取っているものの、あまりわかりやすい反応をしていないことに。

うなずくならまだいいほうで、ただ、メモを取っている場合もたまにある。(だから、聴いてはいるのですが、「わかりました」の反応を言葉で返していない)

これ、話し手からしたら、「聴いてんのか、聴いてないのか、はっきりしろ」と思うのではないか。

たとえば、上司が、
「○○の件、今週はこうこうこうなりますので、よろしくお願いします」
と言ったとします。

それに対して、声を出さず、「うんうん」とうなずくだけ、ってやはり、感じ悪いよなあ。と。

1対1なら、当然、「はい」というわけです。

が、聴き手が私を含め大勢いると、ただうなずくだけになってしまうことが多い。(私だけじゃなくて、他の参加者も同様にうなずくだけ。)

そこで、先々週くらいからちょっと意識して始めたのが、まずは、「はい」と返事をすることです。(いやあ、新入社員研修でも教えていることなのにね、お恥ずかしい)

「はい」と返事をすると、話の区切りもつきやすく、会話にメリハリが生まれますね。

さて、皆さんに質問です。

皆さんが参加される打ち合わせや会議で、誰かが確認を求めた際、「はい」と返事をしていますか?

声に出して、「はい」ですよ。

2010年8月20日金曜日

旧ブログ記事:ミンティアとフリスク (2010年8月20日掲載)

研修の場に「ミンティア」または「フリスク」をお持ちになる方が何パーセントかはいらっしゃいます。

アンケートには「休憩が適度に入り、眠くならなかった」とか
「眠くならない工夫があった」とか、そういう記載もよくみかけます。

講師としては、もちろん、ありがたいコメントです。

しかし、一歩、踏み込んで、このアンケート結果を読むと、受講される方の前提に「研修というのは眠くなるかも知れない」という考えがある、ということがわかります。

「眠くなるかも知れない」と思っていないなら、事後のアンケートに「眠くならなくてよかった」とは書かないと思うからです。

ということは、多くの人にとって「研修は眠くなる」という体験が過去に少なからずある、ということではないでしょうか。

それは、研修を提供する側としては由々しき問題というか、心しておかねばならないことだと改めて思います。

眠くなるのは、大抵講師の責任です。

眠そうだなあ、と感じたら、何かこちらがアクションを起こすことで、眠気を散らすことは出来ます。それをやらないのは講師の怠慢です。自戒とこめて、そう思います。

20代の頃、気づいたら教室の大半の方が「白目」を向いていたことがありました。オトナなので、突っ伏して寝るようなことはしない。顔を上げていようと努力する。でも、まぶたが落ちそうになる。必死にこらえる。その結果、大半が「白目」。

シュールな光景でした。

若くてスキルも足りなくて、対応できず、とりあえず、「休憩」にしました。

・・・

「眠くならなかった」というネガティブなものではなく、「楽しく学べた」「前向きに参加し、気づきが多かった」といった感想をいただけるよう、精進しなければなりません(再度、自戒をこめて)。

===========

アルコール消毒ジェルなどで眠気を取る、とおっしゃる方もおいでです。

いろいろな工夫がありますね。

前にこのブログで書いたように、受講者の皆さんもどんどん歩き回ったり、立ち上がったり、「自律」して学習してただけるとよいと思いますが、まだまだ日本人には、そういう欧米流の受講スタイルは抵抗があるようです。

2010年8月18日水曜日

旧ブログ記事:「成人学習」などなど(2010年8月18日掲載)

「成人学習」について。

1990年米国DEC本社のトレーニングで受けた研修を元に日本で開発した「トレイン・ザ・トレーナー」。

日本語訳→さらにローカライズ(日本の文化に合わせて変更)→開講

という流れで製品化したものですが、英語を日本語に変えるだけでなく、箇所によっては、そのままカタカナ語で表現した記述も残してあります。

第2章「成人学習」・・・。オリジナルでは、”Adult Learning"と記載されています。

今では、「マルコム・ノールズ」(マルカム・ノールズ)と言えば、大体通じるかも知れませんが、20年前ですと、日本でわかる人はいませんでしたし、「成人学習」という表現も耳慣れないものだったようです。

新規コース開発をしてから、営業向けに説明会を開いたり、個別に営業担当者に「こうやって売ってほしい」というお願いに行ったりすると出てくる質問に、「ねぇ、ねぇ、”成人学習”って何を教えるの?」(ニヤニヤ)というものがありました。

まあ、もちろん、冗談交じりではありますが、「成人学習」という響きに何か特別な想像をしてしまう人が多かったように思います。

さらに、後半の章には、「AV」という表現が出てきます。これまた今では、Audio Visualの略だと、誰もがたぶん、知っている、わかるはずですが、「AV????」とにやにやされることもまた多々あったものです。

アメリカで受講してきた時、「この研修はスゴイ!日本語化せねば!」と決意し、日本に持ち帰ったのですが、日本語化していよいよ日本企業に売り込みに行くぞ、という段階では、こういった耳慣れない言葉に戸惑う営業が多く、しかも、妙に「ニヤニヤ」されてしまうので、根本からの説明にずいぶん時間を費やしました。

それにしても。

20年前のUSのコンテンツにすでにノールズが載っていたというのは、やはり、画期的な気がしなくもありません。日本の教育学の教科書でまだ見かけなかったのではないかと思います。(記憶はだいぶ薄れているので、自信ありませんが)

あれから20年。

いまは、「成人学習」「Adult Learining」という言葉を聴いてにやつく人は皆無になりました。

隔世の感がありますが、「成人」の「学び」という領域、考え方がある、と広く理解されたことは、人材教育の分野で大きな進歩だと思います。

2010年8月16日月曜日

旧ブログ記事:表彰制度そのものよりも・・・(2010年8月16日掲載)

どの企業にも大なり小なりあるのではとないかと思われる「表彰制度」。

当社にもあります。
四半期単位のものだったり、年間表彰だったり。

社員全員が集まる「全体会議」の最後のアジェンダが「表彰」です。

で、推薦理由と共に、本人にその賞が渡され、受賞者本人は皆の前で、何か一言挨拶する、というのが恒例です。

さて、ここまでは儀式的要素も大きいのでいいとして、ここから先が問題です。

全体会議が終わって、会議室からそれぞれオフィスの自席に戻る。

その時、表彰された同僚にいろんな人間が歩み寄り、「よかったね」「おめでとう」などと喜びの声を掛けたり、「さっきの表彰理由になっていた●●プロジェクトって具体的にどういうものだったの?」と他部門の人間が興味を示したりすることが実は、もっと重要なのではないか?と先日、とあるマネージャに言われました。

ああ、そうだよなぁー。

全体会議での本人コメントは、あくまでも儀礼的な内容にしかならず、双方向にもならない。

けれど、オフィスで、「おめでとう!」といわれれば、「いやあ、ありがとうございます」と双方向になるし、「どんなプロジェクトだったの?スゴイね」といわれれば、「かくかくしかじか」とやり取りができ、互いに理解も深まります。

人を元気づけたり、勇気づけたり、やる気を刺激したりするのは(全部「気」がつきますね)、案外、そういうちょっとした言葉のやり取りだったりするんじゃないか、と。

表彰状よりも嬉しいことがそういう言葉のやり取りにあるんじゃないか、と、言われたのでした。

で、もし、それを部下たちが気づかないならば、上司が「直接声をかけてあげてね」と促すことも大切だよね、ということになったのです。

そういえば、ある時の受賞者がこんなことを言っていました。

「こんなにたくさんの人に声を掛けてもらえるとは思わなかった。普段会話したことがない人からも。メールもたくさんもらって、とても嬉しかった」

表彰する側はついつい表彰の中身(たとえば、金額とか物品の種類とかあるいは表彰状に書く文言だとか)に気を取られますが、受ける人間にしたら、人の温かい言葉の方が、より一層気持ちに響く、ということもあるんじゃないかと思ったものでした。(表彰が役立たない、といっているのではなく、その上さらに、という話です、もちろん。)

2010年8月13日金曜日

旧ブログ記事:本を媒介にしたコミュニケーション(2010年8月13日掲載)

ロシア語同時通訳で有名だった米原万里さん(晩年はTVのコメンテーターやエッセイストとして活躍)のエッセイを読んでいます。通訳業を介して会得したコミュニケーションの極意だとか、世界の有名人のいろいろなこぼれ話だとか、ご自身が大好きな猫や犬の話やら、それはもう多岐に渡るエッセイをものにしている方で、早世されたことが悔やまれます。

さて、そのエッセイにこういう話が出てきます。

子供の頃、プラハのロシア学校に通っていて、そこでは、とにかく沢山の本を読んだ。日本語にも飢えていたし、ロシア語も勉強しないといけないので、ロシア語の本も沢山読んだ。

学校の図書館で本を借り、読み終わって返却しにいくと、司書の方が、かならず、
「この方の要旨を言いなさい」
と言う。

だから、必死で読むし、必死で主旨を理解するし、要約するために表現も工夫した。

文学の中身だけではなく、語学力も向上した、と。

学校の図書館の司書って、どういう立場の人なんだろう?と私自身は小学校時代に疑問でしたが、このように子供に「返却する前に要約しなさい」なんて言うのは、スゴイ教育ですね。いい刺激になるし、生きた学習になると思うのです。

ところで、昨年研修でお邪魔した企業で耳にした例です。

社長トップダウンで、「読書が奨励」されており、新入社員とOJT担当者とでも同じ本を読み、対話する時間を設けるようにしている。

何か一冊本を決め、OJT担当者も新入社員も読む。
週に1回、面談する際に、その本についても会話を交わす、というのです。

「この章を読んでどう思った?」とOJT担当者が新入社員に質問することもあれば、「このエピソードと似たような体験をしたことがボクはあるんだけど」とOJT担当者の経験を新入社員に語ることも出来る。

こういう「本」を媒介にしたコミュニケーションは、どこでもすぐ試せそうないい方法ですね。

本は、新入社員に選ばせるのも手です。普段読書と縁がない人であればなおさら。本屋さんに行って、いろいろ手にとって、「これ」と決める過程は、案外わくわくするのではないかとも思います。

2010年8月9日月曜日

旧ブログ記事:やる気は伝染する(2010年8月9日掲載)

やる気は、「気」なので、伝染するものです。

やる気が高い人と一緒にいると、なんとなく自分もやる気が高まってくるし、
やる気が低い人と共に過ごすと、なんとなく自分もやる気が低くなってくる。

よくも悪くも影響してしまう。

やる気が低い人は、それでも、「自分は満足しているからいいんだ」と思うかも知れませんが、他人への影響も考える必要があるのですね。

自分のやる「気」が周囲に漂っていくことに意識を向ける必要がある。

「気」がつくものとして、他にも伝染するであろうものは、「元気」「勇気」「根気」・・・などがあります。

こういうものも、よくも悪くも伝染するような気がします。

2010年8月6日金曜日

旧ブログ記事:「よく電話がかかってくる人リスト」の効果(2010年8月6日掲載)

OJT担当者ワークショップの参加者から、いろいろなメールを頂戴することが増え、研修内容がどのように現場にフィードバックされているのかを教えていただけるので大変ありがたいなあ、と思っております。

先日、ある企業のOJT担当者向けワークショップで、以下の事例を披露したら、早速取り入れてみた!という報告をいただきました。効果があったそうです。

●ある企業で長年続いている習慣。新入社員が配属される直前に先輩達が集まって、「この部署によく電話がかかってくる方のリスト」を作成する

●そのリストには、
「ABC社D課長 → X課長 (QQQプロジェクトの件)
EFG社H主任 → Z課長 (RRRサービスの件)」などと記載されています。

●新入社員が配属されたら、すぐにこのリストを渡す

これは何を狙ったものか?

●電話を取っても相手の名前も名指し人の名前もなかなか聞き取れないものだが、リストがあることで「あ、この人だ」と落ち着いて対応でき、聞き間違いも減る
●電話を下さったお客様にも何度も聞き直したり、聞き違えて取り次いだりという失礼なことをしなくて済む

・・・

電話を取るのが怖い、だから、なかなか取らない、という新入社員が多いようですが、このリストがあることで、不安が払拭できるそうです。

冒頭の話に戻ります。

研修でこの話を聞き、オフィスに戻って早速「よくかかってくる人リスト」を作成、新入社員に渡したところ、それまでなかなか電話を取らなかった新入社員がその日からちゃんと取るようになったそうです。

効果てきめんでした!とのこと。

「よく電話がかかってくるリスト」というアイディアも素晴らしいと思いますが、その話を研修で聞いて、早速実践してみたという先輩のあり方も素敵です。

何かを変えようと思ったら、行動を変えてみるしかないですから。

====================

「よく電話がかかってくるリスト」の話は、このブログでも一度紹介していますが、1年以上前だと思うので、新たに書きました。

いい事例は普遍的です。

2010年8月5日木曜日

旧ブログ記事:事例完成!「中外製薬」様若手育成の取り組み(OJT)(2010年8月5日掲載)

2007年度から田中がお手伝いさせていただいている中外製薬様のOJT制度+研修の「事例」を作成いたしました。

Webでは、以下をクリックしてみてください。

【中外製薬様 若手育成に関わる事例】
http://bit.ly/9NMG8u

紙モノもあります。担当営業や講師にお声掛けいただければお渡しいたします。

中外製薬様の新入社員から3年目までの指導に当たるOJTコーチ研修を請け負っております。この件は、「AERA2008年5月19日号」でも取り上げられました。

製薬業界の事情などから人材育成についてまで熱い思いと中外製薬様の施策を語ってくださいました。

4年間お手伝いしていて私がもっとも強く感じていることは、人財開発に携わる部署の方たちのぶれない信念の大切さです。「この制度は絶対に必要で、いいものだ。だからきちんと推進していくぞ!」という思いと共に、社内に制度が浸透していったものと思います。

人を動かすのは、「やりたい!」「こうしたい!」という強い気持ちなのだなあ、と実感することが出来ました。

旧ブログ記事:板書→ノート取る(2010年8月5日掲載)

先日、友人が書いた本を読み、「なるほど、単純だけど、そうなんだなあ」と思ったことがあったので、早速実践してみています。

それは、

「ノートを取れ、取れ、といってもなかなか取らないけど、板書したら、自然と身体が反応して、ノートを取ってしまう。だから、ノートを取ってもらいたければ、板書せよ」

ということでした。

本は、『プレゼン力が授業を変える!』(大島武さん 著、メヂカルフレンド社)。

大島さんは、かつて「上手に授業を進める先生に贈られる」賞である、”ベストプロフェッサー賞”というのを受賞したことがあります。私も以前、パフォーマンス学会の全国大会で大島さんの授業に参加した時に、分かりやすく丁寧な教え方・進め方をなさるなあ、と感心した経験があります。

そんな大島さんの経験なので、こりゃやってみよう、と。

先週から研修を担当すると必ず板書を多用するようにしています。最近は、つい発問の回答を口頭で「こういうことですね」と言い換え・繰り返すだけで済ますことも多かったのですが、そうすると、ノートを取る人が少ない。

でも板書したら、てきめんです。まず全員がノートを取る。大島さんが言うとおり、自動的にノートに取る。

うわー、単純なことだけど、これだったのね。と体感してしまいました。

さらに。

配布した資料以外でPPTを使い投影したものは、どんなに小さなものでも「配布してくれればよかった」と後でアンケートにコメントを頂戴したりします。書き写せるくらいの少量の追加PPTであってもです。(その場で作成したPPTでも「くれればいいのに」となりやすい)

が、板書をすれば、それがどんなに沢山書いても、「配布してくれればいいのに」とは絶対にならない。

人の感覚が板書とPPTとで何がどう異なるのかわからないのですが、「電子的なもの」=ほしい、「アナログなもの」=自分で書き留める・・・となるのは興味深いものがあります。

後輩がノート取らないなあ、と思ったら、書いて示してみる。お試しあれ。


2010年8月4日水曜日

旧ブログ記事:「自分の新人時代を思い出しました」(2010年8月4日掲載)

OJT担当者向けワークショップ、三都物語進行中(まだまだ)。

今日は久々に新宿オフィスに出社し、残務というより、蓄務(溜まった仕事)をお片づけ中。

そんな中、先日受講してくださった方から、メールが届き、とても素敵な内容だったのでご紹介します。もちろん、ご本人の許可を得ています。(主旨をかいつまんで編集)

「今年初めてOJTトレーナーとして1年目社員の指導にあたることになりました。これまで自分が蓄積してきたシステムエンジニアとしてのいろいろなものを後進に伝えたいと思っていた矢先だったので、とてもいいチャンスだと思います。」

「今回の研修で新入社員との接し方や指導方法を学びつつ、自分の新人時代を振り返ることができました。」← この方は社会人歴15年くらいだそうです。

「文系出身でSEになった自分が始めて担当したシステムは、DECのVAX/VMSを使うものでした。VMSやDECnet、DECrdbなどの分厚いマニュアルを何度も見ながら、その時の自分に持てる精一杯の力を注いでそのシステムの面倒を見ました。」

「新人時代のノートを取り出してみたら、”ここはVAX/VMSオペレーションを参照”などと書いてありました。」

「新入社員にもノートを取ることの大切さを伝えました」

・・・

そして、これらに加え、

「かつて長年面倒をみたDECのマシンをWindowsに置き換える作業を終え、電源を抜いて、VAXを廃棄場所に移動させる時、お世話になった先輩に永遠のお別れをするような気持ちになり、大きなVAXやモニターをなでなでしました。」
「仕事に対してこんな気持ちを今年の新入社員に持ってもらえるよう、これからOJTのトレーナーとしてしっかり後輩を育てていきたいと思います。」

とありました。

・・・・

DEC出身で、VAX/VMSで人生初のOSを知り、そのVMSを10年間も研修講師として教えていた私は、もう「VAXをなでなでしました」のあたりでウルウルしてしまいました。

それと当時に、こんな風に新人時代の思い出を持ち、15年経っても必死だった新人時代のノートを保管していて、それを見返してみながら、後輩にその時の思いを伝えてあげられるなんて、なんと素敵なことだろう、とも思いました。

新入社員の指導を任されると「通常業務に加え、面倒なことがひとつ増えた」とネガティブに捉える方も中にはいらっしゃいますし、確かに大変さがひとつ増えるという側面は否めません。

でも、この方のように、「自分の新人時代を思い出し、その時の思いを再燃させた」り、「ノートを持ち出して、このノートが仕事に役立ったこと経験から、後輩にもノートを取ることの大切さを語った」りできることは、後輩のためだけでなく、自身の内省にも深く関わってくることでしょう。

私も文系出身で、泣きながら新人研修を受けた口です。でも、その時、ちーっとも分からずに書いていたノートが半年もしない内に全部理解できるようになった時のことは今でも鮮明に覚えています。

自分の体験から、自分の言葉で後輩に伝えるものを沢山持っている人は、頼りになる先輩です。

後輩育成を楽しみながら進めていかれることと思います。

=======================

メールくださった方へ:

「VAXをなでなでした」という感動のお話をありがとうございました。DEC出身者にとっては感涙のエピソードです、きっと。

後輩指導の成果をまた、いつかお知らせくださいませ。楽しみにしております。

(ご存知ない方も既に多くなりましたが、当社グローバルナレッジはDECの教育部門が分離独立して1996年に創業した会社です。創業当初のメンバは全員DECからの移籍組。私もその一人です。)

旧ブログ記事:「自分の新人時代を思い出しました」(2010年8月4日掲載)

OJT担当者向けワークショップ、三都物語進行中(まだまだ)。

今日は久々に新宿オフィスに出社し、残務というより、蓄務(溜まった仕事)をお片づけ中。

そんな中、先日受講してくださった方から、メールが届き、とても素敵な内容だったのでご紹介します。もちろん、ご本人の許可を得ています。(主旨をかいつまんで編集)

「今年初めてOJTトレーナーとして1年目社員の指導にあたることになりました。これまで自分が蓄積してきたシステムエンジニアとしてのいろいろなものを後進に伝えたいと思っていた矢先だったので、とてもいいチャンスだと思います。」

「今回の研修で新入社員との接し方や指導方法を学びつつ、自分の新人時代を振り返ることができました。」← この方は社会人歴15年くらいだそうです。

「文系出身でSEになった自分が始めて担当したシステムは、DECのVAX/VMSを使うものでした。VMSやDECnet、DECrdbなどの分厚いマニュアルを何度も見ながら、その時の自分に持てる精一杯の力を注いでそのシステムの面倒を見ました。」

「新人時代のノートを取り出してみたら、”ここはVAX/VMSオペレーションを参照”などと書いてありました。」

「新入社員にもノートを取ることの大切さを伝えました」

・・・

そして、これらに加え、

「かつて長年面倒をみたDECのマシンをWindowsに置き換える作業を終え、電源を抜いて、VAXを廃棄場所に移動させる時、お世話になった先輩に永遠のお別れをするような気持ちになり、大きなVAXやモニターをなでなでしました。」
「仕事に対してこんな気持ちを今年の新入社員に持ってもらえるよう、これからOJTのトレーナーとしてしっかり後輩を育てていきたいと思います。」

とありました。

・・・・

DEC出身で、VAX/VMSで人生初のOSを知り、そのVMSを10年間も研修講師として教えていた私は、もう「VAXをなでなでしました」のあたりでウルウルしてしまいました。

それと当時に、こんな風に新人時代の思い出を持ち、15年経っても必死だった新人時代のノートを保管していて、それを見返してみながら、後輩にその時の思いを伝えてあげられるなんて、なんと素敵なことだろう、とも思いました。

新入社員の指導を任されると「通常業務に加え、面倒なことがひとつ増えた」とネガティブに捉える方も中にはいらっしゃいますし、確かに大変さがひとつ増えるという側面は否めません。

でも、この方のように、「自分の新人時代を思い出し、その時の思いを再燃させた」り、「ノートを持ち出して、このノートが仕事に役立ったこと経験から、後輩にもノートを取ることの大切さを語った」りできることは、後輩のためだけでなく、自身の内省にも深く関わってくることでしょう。

私も文系出身で、泣きながら新人研修を受けた口です。でも、その時、ちーっとも分からずに書いていたノートが半年もしない内に全部理解できるようになった時のことは今でも鮮明に覚えています。

自分の体験から、自分の言葉で後輩に伝えるものを沢山持っている人は、頼りになる先輩です。

後輩育成を楽しみながら進めていかれることと思います。

=======================

メールくださった方へ:

「VAXをなでなでした」という感動のお話をありがとうございました。DEC出身者にとっては感涙のエピソードです、きっと。

後輩指導の成果をまた、いつかお知らせくださいませ。楽しみにしております。

(ご存知ない方も既に多くなりましたが、当社グローバルナレッジはDECの教育部門が分離独立して1996年に創業した会社です。創業当初のメンバは全員DECからの移籍組。私もその一人です。)

2010年8月3日火曜日

旧ブログ記事:「泣かれたらどうする?」(2010年8月3日掲載)

OJT担当者向けのワークショップで三都物語中です。(三都:東京・名古屋・大阪)

このワークショップでは、色々な悩みや課題やちょっとした質問・疑問を耳にすることも多いのですが、昨日は「泣かれちゃったことがある」という話題が出ました。

新入社員に限らず若手を指導していると、時に相手が泣き出してしまうことがあります。女性の専売特許だと思うかも知れませんが、そんなことはなく、男性でもつつーっと涙を流すことはもちろんあります。

そういう時、どう対処すべきか。

それぞれの方に考えがあると思うので、唯一の正解はありませんが、私は経験上、こう考えています。

「ほっとけ」

泣いていることは本人が1番自覚しています。(当たり前ですが)
泣いちゃいけないことも本人がもっとも自覚しています。
自覚していたって、何かどうにもこうにも涙が出てきてしまうことはあるものです。

先輩など他者に対して言い返せない悔しさ、かも知れない。
言われたのにできない自分へのふがいなさかも知れない。
なんだかわからない世の中の理不尽に対してかも知れない。

理由はいろいろあるでしょうが、とにかく、言葉にできない何かが心身に溜まって、それが堰を切ってしまった時に、涙腺も決壊するという事態に至ることは多くの方が経験しているのではないでしょうか?(でもないのかな?)

だから、「ほっとけ」なのです。

「仕事場で泣くな!」「泣いたらダメだ!」と叱ったって、当人は「そんなことわかっているけど、一度出始めたら止まらないんだよぉ、涙」と思っているでしょうし、

「大丈夫?」「少し休んでくる?」などとあまりに気を使いすぎるのは、たとえば、その直前に叱責していたとしたら、その内容そのものがどこかへ飛んでいってしまいます。

いつまでも泣いているわけはないのですから、先輩は動揺せず、「ああ、泣いているなぁ・・・」と冷静に捉えればよい。その上で、「落ち着いたら話そうか」とでも言って、一旦、彼・彼女をリリースしてやったらいいと思うのです。

20年ほど前のこと。2年目の先輩が1年目(つまり新入社員)にちょっと厳しく指導したら(今思い返しても言い過ぎではなく、パワハラでもなく、フツウに指導していただけの場面でした)、その新入社員がはらはらと涙を流して、トイレに駆け込んでいったことがありました。

それを聞きつけた課長が、その当事者である2年目の先輩に
「彼女は泣いていて、気分が悪そうだから、午後は帰宅させたほうがいいのではないか」
とおたおたしながら言うのです。

私は、この時、OJTの全体取りまとめをしていたので、一緒に聞いていて、一言こういいました。

「泣いたくらいで帰宅させる必要なんてありません。そのうち戻ってくるので、放っておいて大丈夫です。」

帰宅などさせたら、泣いていいことになるし、指導した2年目の先輩だって心がいたみます。

そんなことで甘やかすことはありません。
時間が経てば落ち着くのだから、ただ、放っておけばよいと思っています。

2010年8月1日日曜日

旧ブログ記事:モノの見方・考え方(2010年8月1日掲載)

昨年から、マンションの理事を担当しています。理事会が3ヶ月に1回程度で開かれ、多くの意見交換をしています。なんせ、理事長がとても熱心な上に、リーダーシップをばりばり発揮するタイプなので、次々と懸案事項が解決していきます。

先日の理事会の最後に、理事長が
「ほかに何か気になることはありますか?」
とおっしゃったので、入居以来2年ちょっとずっと気になっていたことを思いきって言ってみました。

「リサイクル用の空き缶とペットボトルの捨て方」についてです。

私が住んでいる区では、区のリサイクルとして、「空き缶」「空き瓶」「ペットボトル」用の専用のカゴが配布されていて、マンションの場合は、マンションゴミ捨て場にそのカゴを設置、住人が次々捨てる仕組みにしています。あとは、回収日に清掃担当者がマンションの外に出してくださるという方法です。

このゴミ捨て場の専用カゴに捨ててある缶とペットボトルには、「きちんと潰してあるもの」「そのままの状態で入れてありもの」の2種類があります。

このように暑い季節ですと、ビールの空き缶が多く、潰さない人がいると、カゴからあふれんばかりになってしまっています。

一人ひとりが潰して出せばカゴの収容効率が上がるのだから、住人に「空き缶とペットボトルは潰して出してください」と通知したほうがいいのでは?と私は発言しました。

すると、理事長が、こうおっしゃったのです。

「ああ、あれですよねぇ。確かにそのまま出してあるとかさばるんだけど、中をきちんと洗わずに小さく潰されていると返ってリサイクルしづらいとかあとがメンドクサイという話もあるんですよね。洗わないで出すなら、つぶさないでそのまま出してくれたほうがいい、という説もあります。」

それを聞いて、ああなるほど、そういう考え方もあるなあと納得してしまいました。

「缶を潰して出すべきである」「そのほうがかさばらずに、カゴに沢山捨てられるじゃないか」と2年間も小さくフンガイしていた私は、全く別の考え方、見方を示されて、ちょっとビックリしました。

それと同時に、これは、仕事でも同じようなことが多々あるだろうなあと思いました。

「どうしてこうしないのか?」「こうすればいいのに」とある人が憤慨していることだって、その担当者から見たら、「こういう理由でしていない」「こういう事情により、こうなっている」と理屈がちゃんとあって、でもそれを知らない人間は、いつも文句を言ってしまう。

自分のものの見方は正しいとか自分は正しく判断している、とついつい思い勝ちだけれど、他のものの見方もある、ということをこうやって対話することで知ることが出来るのですね。

エコとかリサイクルの観点からどれが「正解」なのかは知りませんが、とくかく、物事は「多面的に見ないといけないな」と学んだ出来事でした。