2010年8月28日土曜日

旧ブログ記事:ストーラーニング(2010年8月28日掲載)

教室には必ず国語辞典を置いています。お客様先で研修を行う場合は、参考図書などと共に国語辞典をお送りし、やはり、教室の、目に付くところに置きます。

ワークの成果物を模造紙に書く、とか、手元の資料に自分の考えをまとめ、書きとめておくという時、ふと字がわからなくなることがあるからです。

すぐ調べられるように、という意図で国語辞典。

もちろん、講師である私(たち)も、研修中、わからない言葉が出てきたら、すぐにその時点で調べます。

グループディスカッションの終わりに差し掛かり、そろそろどのグループも模造紙に書き始めようか、というタイミングでこう声を書けます。

「国語辞典が置いてあるので、わからない字とか言い回しを調べたい場合は活用してくださいね」

すると、どっと笑い声が起こるのです。

「はい、わかりました」ではなく、全員が爆笑するのです。爆笑と言っても、ニュアンスは苦笑い、照れ笑い。

いつでもどこでも、「国語辞典、ありますよ」と言う一声で笑い声が挙がります。まず100%です。

講義中にどんなに笑いを取ろうと努力しても笑いにつながらないようなケースでも「国語辞典を」と言うだけで、どどーっと笑いが起こるのです。

ところが。

笑いが起こるにも関わらず、その後、その辞典を使って字や言葉を調べるか、というと、そこにはつながらないのです。

「○○、ってどういう字だっけ?」
「いいよ、カタカナで書いとけば」
「××、ってどんな字?」
「ケイタイで調べるから、ちょっと待って」

・・・

数歩歩けば国語辞典があるのに、ケイタイで変換するか、「平仮名、カタカナ」で済ませてしまう方が大半です。

日常の仕事は、とにかく、効率よく進めることが大事かも知れません。

でも、教室は、学びの場です。

もちろん、字を学ぶことが主たるテーマではないのですが、効率とか近道だけで「学び進める」のではなく、研修に参加している時くらい、「めったに引かないけど、辞書を使って調べてみるか」と考えてみるのもいいことだと思うのです。

スローライフ、という言葉が流行っていますね。スローフードとか。

その言葉を借りるならば、「スローラーニング」。

効率と近道ばかりを追求するのではなく、腰をすえて、ゆっくりゆったりと、辞書を引き、言葉の意味を深く考え、自分が表現したいことを他者と共有してみることも、学びが深まるきっかけになるはず。

(それに、部下や後輩にはこう言っていますよね、きっと。

「わからないことがあったら、まずは自分で調べなさい。マニュアルもあるんだから。すぐググって答えだけ探すのは自分のためにもならないよ」・・・なんて。)

スローラーニング。

我ながらいいネーミングだと思うのだけれど、ダメですか?

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