2010年10月28日木曜日

旧ブログ記事:自分とは違う誰か。(2010年10月28日掲載)

40代50代の管理職の方に「若手育成の大切さ」に加え、細かいノウハウなどをお伝えするような研修というのがありまして、ま、もちろん、講義だけではなく、ロールプレイしたり、思いのたけをディスカッションしたりという、双方向のものなのですが、そこで出てくる意見として、こんなのがあります。

「どうして、いまの若い人は、ここまで懇切丁寧に構わなくてはならないんだ?」
「ここまでしないと育たないのか」
「俺たちの若い頃は、誰も育ててなんかくれなかった」
「放置されたし、背中を見て、学んだもんだ」
「いろいろな苦労を乗り越えて、いま、ここにいるのに」

・・・

全員が全員ではありませんが、部課長として活躍されている方で40代以上となると、こういう感じのことをおっしゃるケースが少なくありません。

たとえば、

●部下の話を傾聴したり、共感したりしましょうよ
とか
●たまには承認してあげたりして
などと言ったら、

「俺は、承認なんかされなかった」
「褒められたりしなくても、育った」

と抵抗されるのですね。

・・・・・(上記の話は、このブログでも再三述べていることではありますが)

それで、ふと思うのです。

「誰にも承認されなくても、褒められたりしなくても、誰も何も教えてくれなくても、背中を見て自分で成長した」というのは、ある面で正しいかも知れない。

そういう「才」のある方たちだから、人から頭ひとつ飛び出して、マネージャになっているのでしょう。

いわゆる「出世」というものをしている方は、放置しておいても育つのかも知れないし、放置されていると思ったら、案外上手に周囲を巻き込んで、意見を言ったり、意見をもらったりしながら、成長する「力」を持っていたに違いないのです。ある意味で「如才ない」というか。

が、全ての人がそうではないわけで、誰かが構ってやらないと、芽が土の外に出てこないタイプもいるかも知れない。

だから、若い頃から実力があって、それが評価され管理職になった方は、自分と同じレベルで相手を見るのでなく、「自分とは違う」タイプがいることを受容することも必要なんじゃないか、と思うわけ、です。

以前、「若手は全員が”サボテン”ではなく、水をやらないと枯れてしまうような”チューリップ”みたいなタイプもいます。承認したり、声掛けたり、といった”水”が欠かせないんですよ」とお話ししたら、

「田中さん、俺たちは、”サボテン”が欲しいんだけど」と反論されたことがあります。こうおっしゃる、マネージャになった皆さんは、サボテンだったかも知れない。だけれども、みんながサボテンではない。

それに、サボテンだったかも知れないマネージャだって、もし、もっと”水”を与えられていたら、さらに気持ちよく仕事ができていたかも知れない、のではないかしらん?と思ったり。

「私とは違う誰か」。

皆が自分とは同じじゃない、ということはついつい忘れがちだけれど、たまに思い出しておかねばなあ、と思う、この寒い朝であります。

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東京の最高気温は10℃くらいらしい。
Twitterでフォローしている北海道の方は、「積雪!」つぶやいていました。

全国的に寒いのですね。

おーい、「秋」。
私は、君にまだ用があるぞ。

I miss you, Aki!

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