2011年2月20日日曜日

「自分のやりたいことを自分自身で許可する人」(シーリグさんの本から)

最近、激しく運動してますが、ジムで自転車やJobaにまたがる時は手持ち無沙汰なので、そこにおいてある雑誌をぺらぺらめくったり、持参の文庫本を読んだりしてます。一石二鳥!

昨日、Newsweek(日本語)(2.2号)を読んでいたら、ティナ・シーリグさんが来日し、大学で講演した模様のレポートを見つけました。

ティナ・シーリグさんは、昨年大ヒットした
『20歳のとき知っておきたかったこと』を書かれた大学の先生です。

その記事を見て、再度、本の内容を思い出しました。

「人には2種類:自分のやりたいことを誰かに許可されるのを待つ人と、自分自身で許可する人」 (← 一言一句正確な再現ではないかも、です)

この一文は、心にずっしり響きました。

「●●に困っている。だれかやってくれないか?なぜ係が決まっていないのか?」と文句ばかり言う人。

「●●をしたいけど、自分の立場じゃできるわけないし」と動く前から諦めている人。(← 無意識の内に「しないための言い訳」を真っ先に考えてしまっているのだと思う)

・・・・・・

「自分自身で許可する人」は、「係が決まっていないなら、係を決めよう」と提案したり、「係が決まっていないなら、ラッキー、私がやっちゃってもいいかしら?」と動いてみたり、「自分の立場でできるかどうかはわからないけど、(いろんな意味での)力を持っている人と協働すればなんとかなるかも」と考え、動いてみたりするのだと思うのです。

どちらが幸せか。

幸福感は人それぞれなので、「文句」や「愚痴」をこぼしている自分がとても幸せということもあるかも知れませんが、どちらが自分を主人公にして人生を楽しんでいるか。

という問いであれば、「自分自身で許可する人」なのではないかしらん?

人が「変化させたい状況」というのは、たいていの場合、法律など「凄く力の強いもの」に制約されているレベルではなく、半径5メートルくらいの問題のはず。

その半径5メートルのことで困惑しているのであれば、誰かがどうにかしてくれるのを待つのではなく、自分がちょっとでも動いてみたらいいのだと思うのです。

何もせずに諦めているのはもったいない。

それでも黙って諦めているならまだしも、「あれが悪い、あの人が悪い」と文句や批判を言いふらすのはもっと悪い。

ネガティブなメッセージは、それを発する本人の魂を傷つけるだけでなく、耳にした人、目にした人、大勢が、まるでタバコの「副流煙」のように浴びせられてしまうから。

「何かやりたいことがある時、それを自分自身で許可する人」。

力強いメッセージですね。

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