基本的には、「そうだね」「同意」というものでしたが、そもそもなんでこんなことを思ったか、をブログでは書きますね。
人材育成の仕事に携わっていると、研修で出向いた先の人事ご担当者やあるいは受講される方から「先生」「田中先生」と呼ばれてしまうことがあります。
そういう時、できるだけ早く「田中さんでいいですよ」と言うようにしています。
メールもしかり。
「田中先生、いつもお世話に・・」と来たら、返信の最後の方に、
「ところで、田中先生ではなく、田中さんでお願いします」と書き添えるようにしています。
企業の人材育成のお手伝いをする私たち講師というのは、「先生」ではないのですね。
学校の先生は先生でいいと思いますが、私たちは学びの支援をしているだけであって、「先生」といわれることには大きな違和感があります。
(ま、もちろん、「先生」と呼ばれることに喜びを感じる「講師」もいるかも知れません。実際、「先生と呼ばないでください」とお願いしたら、「いやあ、先生と呼ばないと怒り出す方がいらっしゃるので、トラブルにならないよう、全員「先生」と呼んでいるんです。「先生」で勘弁を」と言われたこともあります(笑))
「先生」と呼ばれることに慣れるのはとてもアブナイと思っているのです。
「先生」と呼ばれることで意識が「先生」になってしまう。どことなしに、偉そうになるかも知れない。だから、「先生」と呼ばれないと違和感を覚えるようになったら、かなり危険な兆候です。
一方、受講者にしても、「先生」と呼んでしまうことで、「先生がいっているから」「先生が答えを教えてくれるだろう」という風に考える構図もあるかも知れません。思考停止になるというか。
「働く大人」の学びの場では、「先生」も「生徒」もいなくて、「学ぶ人」と「学びを支援・促進する」人がいるだけ、だと思うのですねぇ。
だから、やはり、「先生」ではなく、「田中さん」と呼んで欲しいのです。
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もう10年以上前のことですが、とある大きな公共の研修施設にお邪魔し、ある企業の研修を担当しました。
その施設は、あまりに大きいので、「講師控え室」という大部屋が用意されており、いろんな企業から、あるいは、フリーランスの講師が、それぞれいろんな企業向けの研修を担当すべく集まって、休み時間を過ごしていました。
私は、そこで信じられないものを見ました。
ある男性講師(どなたかも存じませんが、50代とお見受けしました)が、お弁当を食べ終わってリラックスしたついでに、脚を机の上に投げ出したのです。他の人がいる場所でです。
別の男性(これまた50歳くらいでしたが)、携帯で大声でしゃべり始めました。社名をばしばし出して。
「この講師控え室で休憩してください」と通された私はいたたまれなくなり、持参のお弁当を食べたらさっさとその部屋をあとにしました。
部屋から出る際、ふと振り返ると、そこには、「どの研修の講師が控え室を使っているか」の一覧があったのです。
脚を投げ出していた方も大声で通話していた方も皆さん、いわゆる「ヒューマンスキル」の講師でした。マネジメントとかマインドを教えるような・・。
あれは本当にビックリしました。
「先生」と呼ばれて、裏でこんな風になってしまうもんかなあ、と思ったり、いや、「先生」と呼ばれなくても、まあそういう方たちだったのかも、ですが、こういう風にはなるまい、と心に誓った光景でした。
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