2009年6月30日火曜日

旧ブログ記事:新連載始まります!日経BP朝イチメール(水曜日担当します)(2009年6月30日掲載)

新連載のお知らせです。以前から、ちらっと書いていましたが、正式に告知サイトがオープンしました。

★★★ 日経BP 朝イチメール ★★★

携帯メールにだけ配信するエッセイ(連載)です。新しいサービス形態なのです。5人の執筆者がいます。曜日ごとに担当が決まっています。

私は水曜日担当。(配信開始は7月15日(水)。登録は今すぐ可能です。)

「コミュニケーションのびっくり箱 ~Junko-in-the-box~」というタイトルにしました。

このブログが先にスタートしていたので、なんとなく、似たようなタイトルに。

携帯メールでの(携帯メールonly)配信です。受信してしまえば、「圏外」だろうと読めます。サンプル文も載っています。よろしければご登録くださいませ。(無料です)

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このお話は、「日経コンピュータ」の前編集長Kさんからの紹介で結実しました。

「携帯メールを使った新サービスを考えているプロデューサーがいるんだけど、田中さんを紹介してもよい?」と。ちょうど、雑誌連載が終わるところだったので、「おお!」と思い、まずはプロデューサー氏にお会いし、その場の会話はとてもとても盛り上がり・・・。これが1月の話です。

*人の縁って大事だなあ、とこういう時、しみじみ思います。

いざGOとなったのは春。紙媒体しか体験がなく、Web連載もしたことがなく、「うーん」「いきなり、携帯って大丈夫か?」と0.5秒くらい考えましたが、何事も挑戦、挑戦と、「やらせてください!」「ぜひ!」と準備スタート。

ところが、以前も書いた通り、堅物雑誌連載(「勉強講座」的色が濃い)しか体験していない私の文章が、物凄く固いらしく、いちいち細かく解説しちゃうので、朝の気軽なエッセイにはイマイチというダメ出しがありました。

試行錯誤、紆余曲折、艱難辛苦などを経て、とりあえず、

●「ですます」調はやめよう→「である」調のほうが、私はリズムが取りやすいようです
●「具体的な、お勉強風の解説」はしない→それでも、コミュニケーションにまつわる「へぇ」「ほぉ」「なるほど」「そうそう」が入っているものにする

など、方針が決まってきました。

試行錯誤、紆余曲折、艱難辛苦はこれからも続きますが、これまでの連載と異なる、気軽な読みもの(エッセイ)に挑戦中ですので、ご覧いただければ幸いです。

*** 追記(2011年5月15日) ***

2009年7月に開始された「日経BP朝イチメール」の連載アナウンスは、この日(2009年6月30日)に行ったのですね。専用Webページもできたりして、ああ、そうか。懐かしい。(しかし、連載開始2週間前のアナウンスって、今思うと、かなり遅いですね(笑))

残念ながら、このサービスは2010年7月に終了し、復活することはない模様です。



2009年6月27日土曜日

旧ブログ記事:大臣制の導入!?(2009年6月27日掲載)

新入社員研修のカリキュラムで、チーム単位で種々の演習(活動)を行い、最終日に成果を出すタイプのものがある。チームをひとつの企業組織と見立てて最終日まで同じメンバで協働作業を進めるのである。

最初は「コミュニケーション」もなかなか成立せず作業がはかどらない。

本人たちは、「ちゃんと会話したよね」と思っているのだが、「しゃべりたいことをしゃべるだけ」という状態であったりもする。

時間管理もなかなかうまくいかないため、締め切りが過ぎて成果物が出せないこともある。

これらは、すべきことがわからないために起こっている事象なので、大した問題ではない。そこから何を学び、今後どう改善するか自分たちで考え、次の行動に反映すればよいだけの話だ。

毎回作業後に振り返りの時間を設けて、今後の改善策や対応は必ず自分たちで考え、決めてもらう。

あるチームでは、「『大臣制』を導入しよう」という話になった。講師はこういう時、どうなるか見守ることにする。

彼らはどういう大臣を決めたか。

「進行大臣」「模造紙大臣」「机片付け大臣」「励まし大臣」「時間管理大臣」「プレゼン大臣」・・・。8人のメンバ全員が「○○大臣」となった。

最終日、その「大臣制チーム」がダントツの成果を出した。スタート時点で必ずしもチームワークが良かったわけではないのに。

彼らは最後の最後の振り返り発表の際、こう総括していた。

「私たちは、それぞれが勝手な動きをして、うまく連携が取れていないことに途中で気づきました。また、誰かがやるだろう、と放置される部分があることも反省しました。そこで「大臣制」を導入し、それぞれに責任者を決めました。全員が、「自分のすべきこと」を理解し、かつ、協力しあって成果を出すことができました。」

この発表は、もちろん、「プレゼン大臣」が中心となって行った。

大臣制を敷いたものの、その人だけがその役割を果たすのではなく、「○○大臣」がイニシアティブを持って活動する、周りを巻き込む、というスタイルで動いていた。

チームのあらゆる活動に対して、誰がそれをすべきかが明確になったことで、動きやすくなったということだ。

「大臣制の導入」。新入社員の発想には驚く。年長者がそこから気づかされることも多い。

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これ、「大臣」というところがミソだと思ってます。

「係」ではなく、「大臣」。互いに「模造紙大臣!」などと呼び合っていました。

そうすることで、それだけで、なんとなく、意気に感じるんじゃないか、と現場で見ていて、そう思いました。

2009年6月24日水曜日

旧ブログ記事:18回目の誕生日(2009年6月24日掲載)

1990年7月、DECアメリカ本社の研修を受けにいきました。「Instructor Skills 1」という5日間コース。

深く感銘を受けて、日本語化しよう!と思い立ち、

向こうでは、アメリカ人のプロダクトマネージャを探し出し、つたない英語で日本語化の許可を得てから帰国(向こう見ずな27歳)。

日本に戻って、社内で話を通し、約1年後、やっと「トレイン・ザ・トレーナー」(通称:TTT)というコースとして実施することができました。(もちろん、一人でできたわけではなく、英語のコースを日本に輸入、日本語化+日本化を図り、製品化するためには、大勢の援助を受けました。)

これが私のヒューマン・スキルへの道「はじめの一歩」。グローバルナレッジにとっても「はじめの一歩」です。(ご存じの方はご存じの通り、DEC教育部が母体となってできたグローバルナレッジは、ほとんどのカリキュラムをDECから移管して、古くなっていないものは今でも実施しています。)

TTTは、初回から満員の10名様が来場されました。年齢は20代から50代までと幅広く、物凄く盛り上がり、とても思い出深いものとなりました。「イケる!」と確信したのもその時です。(この時受講者の皆さんと交換した名刺は今も全部持っています。)

「トレイン・ザ・トレーナー」の初回実施日。1991年6月24日です。

今日は、18回目の誕生日。毎年、この日は大切に、祝うことにしています。
(この日がなければ、今の私はなかったので、初心に戻るためにも大事な記念日なのです。)

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「トレイン・ザ・トレーナー」をアメリカで受けた時の衝撃はコラムにも書いています。

★ わくわくヒューマンスキル 第1回「フィードバックの思い出

アメリカでの受講風景は、今も色あせず、鮮明にまぶたに浮かびます。

2009年6月21日日曜日

旧ブログ記事:患者は「自分の症状」を訴え、医師は「病気の症状」を考える(2009年6月21日掲載)

「医療情報技師」という資格保有者のための勉強会に参加してきました。医師、看護師、臨床検査技師、企業のSE、CE、医療機器を扱う企業の方など大勢いらしてました。

この資格保有者は、医学・医療、情報処理技術(IT)、医療情報に関する知識(倫理、電子カルテなどの記録の電子化、など)を持ち、医療業界と情報処理業界とを結びつけるというミッションをお持ちだそうです。(対象となる知識領域が多岐に渡るので、資格取得は大変なのではないか、と推測します。)

今日の勉強会では、医療現場のコミュニケーションについて考えたのですが、中でもランチタイムに、ある大学の先生が仰っていた言葉が印象に残りました。(以下は、会話の主旨です)

「患者にとっては、自分の症状が全てだけど、医師は、数多くいる患者の一人だと思ってしまうんですよね。

だから、”こんなに大変なんです”と訴えても、”よくありますよ””その病気はそういう症状なんですよ”というような返事をしちゃう人もいる。

患者は、他の大勢なんて関係なく、自分が直面している症状・状態こそが全てなのに。

コミュニケーションがかみ合わないって、そういう場面でもありうるんですよね」

・・・・・

考えさせられました。

どの職種でもそうですね。

自分の専門分野については、同じような事象を何度も何度も経験している。だから、その分野の非専門家が、「これ、大丈夫?」「気になるけど」などと心配し、質問してきても、「あ、よくあることだから心配しなくていい」などと軽く返事をしてしまう。

経験則があるからこその対応だし、たいていの場合、”大したことない、心配しなくていい”が「正しい答え」なのだろうけれど、それは、単なる事実についてだけ目を向けた対応方法であって。

「これ、大丈夫?」「気になるけど」と心配している人は、「大丈夫」という答えだけではなく、「こういう理由で大丈夫」「こうなっているから気にしなくていい」と、そこまで知りたいわけで。

似たような場面を考えてみました。(以下、実話)

システムの使用現場で。

●ユーザ:「画面にこういうメッセージがたまに表示されるんですが、何ですか?」
●SE:「あ、これ、気にする必要のないメッセージです。」

スポーツクラブにて。

●私:「身体の計測をしてもらったんですが、この数値とグラフから何を読み取ればいいですか?」
●スタッフ:「あ、この”栄養”というグラフは、そういう風に表示されるだけで、気にしなくていいです。」

相手の言葉(聞こえているもの)だけでなく、そのココロの内(聞こえていないもの)までを忖度(そんたく)して会話する。頭では分かっても、行動を伴わせるのは難しいものがあります。

2009年6月20日土曜日

旧ブログ記事:奇病のデパート(2009年6月20日掲載)

「奇病のデパート」を自称している私。なんだこれは?と、病院に行くと、重症度は高くないものの、「そんな病気が世の中にあったのか」と驚くことがたまにある。

昨年(2008年)正月休み。下唇の裏側に、ぽつっと白いものができた。

口内炎だと思い、しばらく放置するも、全く改善しないだけでなく、痛くもなければ、しみることもない。見た目は間違いなく「口内炎」である。

1月末、近所の内科医に行く。「口内炎ですね」と薬を処方される。朝晩塗っても、やはり、なんら改善しない。

これはおかしいのではないか。その頃から、そいつ(口の中のぽつっ)は、大きくなったり小さくなったりし始めた。数は1個のまま。ん?内科医では、「これでダメなら口腔外科へ」と言われた。

会社近くの総合病院へ。ひと目見るなり、口腔外科医は、「あ、これ、口内炎じゃないです。のう胞です。たぶん、良性」と言った。

「どうなるんですか」

「手術しかありません」

「へ?何をどう手術?」

「電気メスでここをぽこっと取り除きます」

「入院は?」

「5分程度で終わります。縫いもしないし」

「縫わない?その跡は?」
「しばらくぐちゃぐちゃですが、その内、肉が再生します」

「話す仕事をしているのですが、すぐしゃべれますか」

「大丈夫です。その日からしゃべれるし、ご飯も食べられます。ただし、手術翌日だけ消毒に来てください」

・・・3月21日、1日だけ会社を休み、手術を。

麻酔して、電気メスで「ぽこっと」取れるはずが、中で横に延びていて、手術だけで30分以上かかった。

やっと除去されたそれは、3センチほどの毛虫みたいな形状のものだった。(フツウは5mm程度らしい)ホルマリン漬けにして、病理検査へ。

鏡を見れば、スプラッター映画の主人公みたいに、顔面血だらけ。

医師が想像するより、腫瘍は大きく、手術に時間がかかったので、病院のベッドで1時間半も横になって帰宅。

問題は、次の日からだった。ご飯どころか、しゃべれない。口が動かない。動かしてもいいが、激痛。一言しゃべるだけで、泣ける。とても講義のような大きな声は出せない。口の中はぐちゃぐちゃで、血の味がする。

完全に肉が盛り上がったのは、たしか1ヶ月後くらいだったか。(3/末から再開した講師業中は痛みで泣きそうだったが・・。しゃべるたびに口が裂けそうな気がするほど。なんせ、縫っていないので。)

今でも唇の一部に麻痺としびれが残っていて、1.5ヶ月ごとに通院している。医師は「いつか治る」と言っているが、怪しいものだ。

さて、そんなこんなの話を社内でしていたら、 「あ!もしかすると、うちの息子がそれかも」と言う人があわられた。

何週間か口内炎が治らないので、おかしいね、と言っていたとか。早速、中学生の息子さんを病院に連れていったら、私と同じ「粘液のう胞」だったそうな。(ちなみに、良性腫瘍です)

即手術。彼は本当に「ぽろ」っで済む大きさだったので、事なきを得たという。

病気の話は、ついつい人にしたくなる。「ちょっと聞いて。大変だったのよ」とか。「こういう病気あるの、知ってた?」とか。

聞かされる方にとってはたいていどうでもいい話であろうが、こういう風に体験談が他人を病院へといざなったり、ある特定の病いの可能性を示唆したりすることがある。

・・・・・・・

漏れ聞くこと、誰かと知り合うことが、命を助けることもある。

石川恭三さんが書いた『いのちの分水嶺』(集英社文庫)は、そんなエピソードを10編並べた本である。

今ほどプライバシーが厳しく言われなかった時代。中待合で診察室の会話を漏れ聞いたご婦人が、「うちの主人も、このカーテンの向こうで話されている方と同じかも」と思い、夫を病院に連れてきた。すると、「腹部に動脈瘤」が見つかり、手術で一命を取り留めた、といった話が載っている。

誰かとの会話。たまたまあのパーティに出てしまったために。一本の電話によって・・・。

ちょっとした出来事が命の分かれ目になることがある、と、医師である著者は体験をつづっている。

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追記です。

「粘液のう胞」・・・。主治医によると、「唇を噛んだりするとできる」そうです。「小唾液腺というものが詰まって、のう胞になる」らしい。

再発しやすいとか、変な場所にできると、大掛かりな手術になる、とか、色々あるみたい。

麻痺としびれが改善されないことを訴えると、必ず、「でも、外見に変化がなくてよかったですね」と言われる。変な場所にできたら、唇自体を損傷することもある、とか。

「口内炎」だと侮るなかれ。

2009年6月18日木曜日

旧ブログ記事:そんなに楽しいなら・・・(2009年6月18日掲載)

OJT担当者研修を4月からずーっと行っています。

「OJTの担当者になって嬉しいか?不安か?」といったことをお聞きすると、だいたい半々な感じです。(嬉しく、且つ、不安。という方もいらっしゃいます。)

私は、といえば、2年目に入ったら、当然のごとく1年目(新入社員)のブラザー・シスターになる決まり(不文律)があったので、今でいう「OJT担当」になりました。

とにかく、嬉しかった。「新人じゃなくなった。先輩になった。後輩ができた。何かしら教えることができる」と。わくわくの気分でした。

当時勤務していた日本DEC教育部では、”新人仕事”として”バックアップ”ってのがありました。

教育部のシステムバックアップを月曜日朝から午前中かけて行う、というもの。

20年以上前のことですから、大きなディスクパックをセットして(なんというのでしょうか、丸いお盆を何枚も重ねたようなディスクです)、コンソール端末からコマンドを入力し、ディスク丸ごとバックアップするのです。

その作業を新入社員に引き継ぐことになりました。

後輩に「バックアップ方法を説明する」のは私の仕事だったのですが、説明の終わりに「楽しいから、頑張ってね」と言ってしまいました。

すると、新入社員の一人が

「そんなに楽しいなら、田中さんが今年も引き続き行えばいいじゃないですか」

と言ったのです。

・・・・・・・・

「新入社員がなんてことを!」とフンガイしたわけではなく、「ああ、そうか、言い方間違えた」と思ったものでした。

バックアップ作業は、別に楽しいものではないのに、引継ぎの説明中、つまらなそうに聞いている後輩についついおもねるように

「楽しいから頑張って」と言ってしまったのですが、本来なら、「こういう目的で行っている大切な仕事なのだ。つまらなくても、やらねばならぬのだ」と説明すべきだったと、今なら分かります。

後輩の顔色を見ちゃうことってありますよね。

「あ、フキゲンそうだ」とか「面白くなさそうだ」とか。

そういう時、それでも軸をぶらさずにいるというのは、勇気のいることだと思います。

が、それもまた、人生修行のひとつなのでしょう。

2009年6月16日火曜日

旧ブログ記事:子育てと新入社員OJTの関係(2009年6月16日掲載)

3週間ほど前に甥っ子が生まれました。わが両親にとっての初孫なので、大騒動です。私も既に「おばバカ」状態に。

ま、それはそれとして、友人が「妹さんにプレゼントしたい。私もこれで勇気付けられたので」と推薦してくれた本。折角購入したので、まずは、私が読もうと先週ホテルのベッドに寝転がって読みました。

子育て本なのですが、幼稚園の園長先生がママ・パパに贈る本なのですが、ちょっと言葉を変えたら、OJTに通じるものがある、と感心してしまいました。

以下、引用。

★岩田 紀生 著『勇気がわいてくる子育て70の言葉 ベテラン園長からの応援メッセージ集』 サンマーク出版

●『幼児期の自立とは、「自分で考え、自分で行動する」態度を身をつけることです。』

●『まずは自分から主体性をもって行動する態度をはぐくんであげましょう。自分でものごとを決めるというのは、勇気のいることです。』

●『自分で決める力は、自分で決める体験をたくさんすることで身についていきます。同時に、自分で決めたことが周囲に認められることが大切です。』

●『せっかくの決断を否定してはいけないのです。・・繰り返していくと、しだいに自分で考えることをやめ、些細なことでも指示がないと行動できないようになってしまいます。』

この「幼児期」とは、3-4歳と書いてあるのですが、「幼児期の」を「新入社員の」と置き換えても充分成立する文章。

どの企業でも、新入社員に対して、「自分で考えて、自分で行動する人に育って欲しい」と言います。

3-4歳の頃から期待されていることだったのですね。ふむ。

それから、「否定しつづけると、些細なことでも指示を待つようになる」という部分もなるほどぉ~です。

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妹にプレゼントしたら、早速彼女も読み始め、「まだ最初の部分だけだけど、涙出るぅ~。勇気出るぅ~」と言ってました。

頑張れ、新米ママ(パパも)。

Babyは、君たち両親を選んでこの世に生まれて来たんだよ。

2009年6月14日日曜日

旧ブログ記事:価値ある存在(2009年6月14日掲載)

"Thank you for showing me that I do count."

私がちゃんと価値ある人間だということを教えてくれてありがとう!というような意味。

鈴木義幸さん著『コーチングのプロが教える「ほめる技術」』(日本実業出版社)に出てきた言葉。鈴木さんがずっと前にアメリカでカウンセラーとして活動していた時のエピソード。

刑務所で女性の囚人を対象としてカウンセリングをしていた。幼児虐待を繰り返されて育ったその女性は、結局自分も幼児虐待を行い、収監されていた。

鈴木さんは、彼女の話をいつもじっと聴いていた。

このカウンセリングの最後に上記の言葉が入った手紙をもらった・・・という話。

「生まれて初めて、私は生きている価値があることを知った。それを教えてくれたあなたに感謝!」ということだろう。

countの前にdoがついているところに、彼女の強い感動が表れているような。

人間、誰しも「認めてほしい」という気持ちを大なり小なり持っていると思う。

”I count”を実感させてくれる人に出会えたり、実感できる経験を多く持てたりすれば、それだけ人生は豊かになるのかな。

2009年6月13日土曜日

旧ブログ記事:きたみりゅうじさんの『新卒はツラいよ!』を読んだ!(2009年6月13日掲載)

きたみ りゅうじさんの『新卒はツラいよ!』(幻冬舎文庫)を読みました。漫画+エッセイです。
ご本人があとがきで、この本を「一番の代表作」と言い切っているほどの力作です。

ご自身の大学時代の就職活動から入社4年目までを描いています。

バブル崩壊後の就職氷河期に苦労して就職活動をし、最終的に入社したソフトウェア会社はとんでもないところで。

入社1年目からひどい目に会い続けるのですが、それでも、少しずつ成長していく姿は、ちょっと涙出そうになります。

登場する社長や常務は、ありえないほどの悪人(?)で、仕事量はハンパでなく、よく身体壊さなかったなと思うほどだし、理不尽なことだらけの毎日。

読んでいると、「こんな会社、そこまで頑張らず、辞めちゃえばいいのに」と感情移入してしまうのですが、それでも、自分のため、待っているお客様のために、必死に仕事をこなすのです。

漫画の部分は、その場の雰囲気とかその時の状況、気持ちが紙面からひしひしと伝わるほどのタッチで描かれ、合間に入る2ページのエッセイは、その当時のことを振り返り、マジメに思いを語っています。

以下の部分は、なるほど、そうだよね、と共感できたところです。(『』内は引用。・・・は”中略”した部分です。)) 

『会社がどーだこーだではなく、目の前の仕事ときっちり向かい合えたかどうか。そこにどっぷり浸ってみた経験を持つか否か。それは同時に成長期との境目も示す、今後につなぐ上で欠かせない大事な経験だと思う』

『「できるかどうか自信がありません」・・・考えてみれば、そもそもみんなそうなんですよね。その気もちを飲み込むかどうかが違うだけで、結局みんな、自分の中にあるそんな気持ちを自覚しながら、素人である部分をなんとか取り繕いながら、四苦八苦して仕事をこなしている』

『「楽しい仕事ってどんなかな」という話をしていた時、・・・「やっぱ、人なんだよな」・・・「結局は一緒に仕事するメンツ次第なんだよ」というのは、実感として「そうだよなぁ」と思うのです。・・・魅力的な職場は魅力的な人たちによって作られる。今でもそう思います。』

文庫版あとがきには、さらにこんな一文も。

「ある大学ではキャリアを考える教科書としてこの本を採用してくれているところもでてきたりしました。」

なるほど、です。仕事について考える時期に読んでみるのもいいかも知れません。

・・・・・・

私は、この本にあるほどのひどい目に合ったことはないですが、読みながら「若い頃がむしゃらに取り組んだいくつかのこと」を思い出しました。

あの時踏ん張った、あの時代頑張ったことは、今の土台になっているかなあ、と。

※そうそう、最後のほうにちらっと登場する、きたみさんの奥様がとてもいい。おおらかというか、なんというか。泰然自若な感じ。

2009年6月11日木曜日

旧ブログ記事:見守る勇気(2009年6月11日掲載)

まずは、この映像をご覧ください。

あ、その前に、”Squirrel”は、「リス」のことだ、ということだけアタマに置いて。そうすれば、字幕は、多分読み切れます(結構速いのです)。

Try to do

最初にこの映像を見た時、私は、学生がリスたちに近づき、子リスをひょいっと持ち上げ、塀の上に乗せてやるんじゃないか、と想像したのでした。

ところが、学生らしき人は、自分のデイバッグを置くだけじゃないですか。その後、別の人がさらに土嚢?を置くだけじゃないですか。

そうそう、これなんだよな、と深く反省。

部下とか後輩が何かに四苦八苦している時、脇からひょいっと手を出して、助けてやってしまう。

たとえば、「プログラムのバグがうまく取れない」と言われると、キーボードを奪い、「カシャカシャカシャ・・・。ほら、直った。どう?」などと、バグ取りをしてしまう。

「文章がうまくまとまらない」と相談されれば、「どれどれ?・・・うーん、ここをこうするといいかも」と上書きをしてしまう。

リスを両手で持ち上げ、塀の上に乗せてやるようなことをしてしまう。

ここに登場する人々は、「上りやすいように、バッグを置いてやったよ。ほれほれ。あとは自分で考えな。見ててやるからさ」と、自力で問題解決することそのものに手出しせず、問題解決が少し楽になるような援助・支援だけをしている。

抜き足差しで近づき、何も言わずにバッグをそっと置く。

そこから彼らがどうするか、さらに見守る。

彼らは考える。

時間はかかるけれど、いつか成し遂げる。

成し遂げたら、皆で拍手してあげる。

「おおー、頑張ったねー」

「やれば、できるじゃないか」

「その調子!」と。

そうはいうものの、ただ見守るというのは、実はとても難しい。

2009年6月10日水曜日

旧ブログ記事:土地土地で…(2009年6月10日掲載)

大阪に出張していました。 各社、新入社員がそろそろ研修を終えて、職場への本配属を控えているので、OJT担当者さん向けのワークショップをあちらこちらで。ここ数週間はずっと旅芸人状態です。

仕事のことはさておいて、大阪でふと気づいたことがあります。

待ち合わせ場所について、大阪の営業担当が「そのビルは、東の方にあります」と電話で言うわけです。「東ってどっち?」

「東」「西」・・・。

東京であまり意識しない。というより、日常会話でと東西南北を話題にすること、関東圏の人はほとんどない、と思う。

たとえば、新宿駅の東などと言うよりは、アルタの方とか、高野フルーツの方とか言いそう。

それで思い出したのですが、ちょっと前に神戸にも出張しました。

神戸は、「海側ですか」「山側ですよ」という言い方をしますね。「その建物なら山側ですね」とか。

さらに、京都で気づいたことは、「●●へ行くにはどうしたらいいですか?」と誰に聞いても、「あ、それなら、25番のバスに乗るといい」「120番でも行く」と、バスとその番号を言われること。頭に全部のバス路線が入っているかのように。


これ、都内にいる人間が、「それなら、銀座線に乗って赤坂見附で丸の内線に乗り換えるといいですよ」と、地下鉄路線がアタマに入っているのと似た構図かしらん?

出張しながら、それぞれのコミュニケーション法に興味津々なのでした。

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帰りの新幹線で、ビートたけし 著 『達人に訊け!』(新潮文庫、2009)を読みました。

以下の方たちとの対談集です。ビートたけしの博識ぶりと話題展開のうまさもさることながら、対談相手のキャリアがとても面白い。苦労や努力、裏話など、わくわくしながら読み終えました。

●宇宙の達人:毛利 衛
●日本語の達人:北原 保雄
●字幕の達人:戸田 奈津子
●競馬の達人:岡部 幸夫

など全部で10人。

あとがきで、ビートたけしがこう書いています。

『今の時代、何をやっていいのか分からない人や、自分の仕事のおもしろさにきづかないで終わってしまう人が沢山いるのに、この人たちは、自分が本当に好きなことを見つけて、なおかつその楽しさを発見できた。・・・中略・・・本当にやりたいことをやるためには、目の前の長いハシゴを上らないといけないね。運のない人は、その努力を惜しむんだ。・・・中略・・・「達人」に会うのは、勉強になるし、いいなあって思う。』

2009年6月7日日曜日

旧ブログ記事:世の中がヘンだ!(2009年6月7日掲載)

「最近どうも世の中がヘンだ。・・・中略・・・日増しにヘンになってきている。」 

で始まる、東海林さだおさんのエッセイ。

たとえば、何が変か。

●「新聞や雑誌の活字」
日増しに小さくなるばかりか、印刷も年々悪くなる。
インクの色も薄く、ずれたりもしている。文字の大きさは、おととしと比べて半分くらいになってしまった。不景気のせいかも知れない。

●「自分の心の中が読み取られているような気がしてならない」
自分がしゃべろうとしている話を、周囲は既に知っている。人心判読機というようなののが売られているのではないか。

●「人の名前が、出てこない」
「アイウエオ方式」を使っても当てはまる人が見つからない。1日に何度も「アイウエオ方式」を使ってしまうことすらある。

●「本屋で面白そうな本を見つけて買って帰ると本棚に全く同じ本が並んでいる」
誰が買ったのか?自分しかいないのに。

・・・ 

『ショージ君の養生訓』 (文春文庫) の中に収められている一篇『五十八歳の告白』である。


私は 五十八歳よりひと回り若いけれど、それでも、上記の「世の中はヘン」を日々体感している。

まず、電車の中で文庫が読みづらい。読めなくもないが、全ての活字が滲んで見える。

大学の授業を受ける時。 教授の板書を追い、ホワイトボードをじっと見た後に、ノートに目を落とすと、ぼやーっとする。

ノートをじっと見た後に、ホワイトボードを見ると、今度は、白い板に何か黒っぽいものが書いてあるようにしか見えない。

焦点スピードが全く追いつかないのだ。

人の名前については、先日、同年代の友人はこう言っていた。

「昔は、アイウエオで順番に思い出していけば、”む”、あ、”村田さんだ”と思い出せたのに、わ・・・まで行っても出てこなくて、無理だとわかっているけど、一応”ん”までいって、やっぱりわからず、その人の名前は”アイウエオ”で始まらないんじゃないかとすら思う」


ある本は、読めば読むほど、「デジャビュ」感が漂うのだが、「雑誌連載の時に読んだのかな」などとのほほんとしていた。

後日、本を整理しようと、本箱の棚卸をして、同じものを3冊発見した時の衝撃といったら。

そういえば、同僚は、「家の中がどんどん暗くなる」と嘆いていた。電気をつけてもつけても、家中の明かりをつけても、まだ暗いと。

赤瀬川原平さんは、「老人力」と名づけている各種症状。(参考:赤瀬川原平 著 『老人力 全一冊』ちくま文庫)

老化した、などと悲嘆に暮れるのではなく、「老人力がついた!」と前向きに捉えるべし!と解く。

”老人”はまだ抵抗があるが、立派な「中年力」がつきつつある私である。

2009年6月6日土曜日

旧ブログ記事:父の引退。(2009年6月6日掲載)

今日は実家近くの料理屋さんに家族全員集まっての会食でした。

父が77歳にして、とうとう現役を引退しました。内科医(勤務医)として、40年以上医療の現場にいました。その「お疲れ様」会を催したのです。 

「60歳定年だとあと10数年だなあー」とたまに思う私ですが、父と同じ77歳までにはまだ30年以上あり、これまで仕事した年数よりもうんと長く、そう考えると77歳までフルタイムで仕事をしていた、というのは凄いことだと改めて思います。

父は30代の頃、アメリカのウィスコンシン大学に、ある医療技術を指導しに行ったこともありました。45年ほど前、日本のその技術は、アメリカの医師の卵に指導をするほどの物だったらしいのです。

母と1歳の私もついて行って、冬はマイナス30度にもなる、かの地に3年間を過ごしました。(なので、当時は、私も英語がぺらぺらだったんです。帰国時が5歳なので、大したぺらぺらじゃありませんが。)

帰国後は横浜の総合病院に勤務していました。私が子どもの頃のことです。夜中に病院から電話がかかってくると、着替えてタクシーで病院に駆けつけることもありました。

自分が担当している患者さんの急変という、特別な場合だったのだろうとは思いますが、何時であっても前夜に何があっても、電話ひとつでぱっと目覚めて仕度して出かける姿をよく覚えています。

家では、TVの前でごろごろしている父が、ひとたび白衣を着ると別人のように厳しい表情になり、病院で見かける姿は、家族なのに近寄りがたい威厳がありました。

プライベートと仕事の顔があれほど違うというのは、スイッチの切り替えがとても上手だったのかも知れません。

これからは、ゆっくりのんびり、身体を大事に過ごしてほしいと思います。

2009年6月5日金曜日

旧ブログ記事:「FAXが送れません!」(2009年6月5日掲載)

FAXを社会人になって初めて見た私。(なんせ、23年前) 

先輩の指示でどこぞへFAX送信するも、何度やっても戻ってくる。

「あのぉ~、さっきから何度送っても、戻ってきちゃうんです。」

「・・・・!?「田中さん、FAXって、紙が送られるわけじゃ、ないんだけど。わかってる?」

「え?あ、そうですね。そう言われてみれば・・・。紙が何度も戻ってくるので、送れないと思ってしまいました。」

電線伝って紙が送られるわけじゃあない。

が、FAX送信ボタンを押すと、紙がすぐ戻ってくるので、何度も再送信。先方には、大量の「同一文書」が届いたことであろう。

いまさらながら、申し訳ありませんでした。

犯人は私です。

2009年6月4日木曜日

旧ブログ記事:Be with you.(2009年6月4日掲載)

日経コンピュータ」の連載を3月に終えてから、しばらくのんびりしていましたが、7月から新連載を始めることになりました(ってことを既になんとなく書きましたが)。

これが、紙でもなければ、Webでもない、という代物で、思っていた以上に難しい!

しかも、「日経ITプロフェッショナル」「日経SYSTEMS」と最初からマジメ路線なのに、シメの「日経コンピュータ」では、マジメ路線+マネジメント世代対象・・・・とまで進んでいたため、とにかく文体が「硬い」「固い」「カタイ」(らしい)。

今度始める連載は、「軽いエッセイ」「さらっと読めるけど役立つもの」などというリクエストがあり、これまでの「マジメ」で「固く」て「勉強しましょう」講座とずいぶんノリが違う。

・・・。GW明けに原稿出しました。「いいけど、イマイチ」的な評価が・・・。プロデューサー氏から。

いや、そんなキツイ言い方ではもちろんなく、ただ、ニュアンスとして、「イマイチ」と。

色々試行錯誤の末、再三原稿を出せども出せども、なんだか変なことに。(私の中で「負のスパイラル」が起こる。直せば直すほど変なことになるという・・・。)

最後には、「今の私にはこれ以上の質は出せません」と泣きが入り・・・。

すると、プロデューサー氏から、

「新しいメディアなので、こちらもわからないことが多々あります。が、お互い頑張りましょう!」

といったメールを頂戴しました。


「田中さん、頑張ってください」ではなく、「お互い頑張りましょう」

つ・ま・り・・・・

「一緒に頑張りましょう」ということです。

既にお忘れかと思いますが、サラ・ブライトマン、GW以来今でも1日1回はCDを聞くという「ハマり」ようは続いております。

で、その歌のひとつに"I will be with you."というフレーズが出てきます。

歌自体は、別れをテーマにしている(みたいな)のですが、この"I wil be with you."はココロに染みます。「一緒にいるからね」ってことですよねぇ。

話戻って、

後輩を育成している時、部下を育てている時、ついつい「頑張ってね」と言ってしまうけれど、「一緒に頑張ろう」と私は言ったことがあっただろうか。

いつでも、「あなたの問題です」とても言わんばかりに、「頑張ってね」と。
「共に頑張ろう」
「一緒に頑張ろう」

with youの感じ。

あるいは、

toghterな感じ(ルー大柴ではなく)、って口にしていない気がします。

頑張るのは、確かに、当事者自身だ。が、「一緒に頑張りましょう」と言われることで楽になる”ココロ”もあるはず。

これが自然に口にできると、カッコいい・・・かな。

2009年6月2日火曜日

旧ブログ記事:新入社員研修のカリキュラムを見ておく(2009年6月2日掲載)

5月から6月は、「OJT担当者研修」で全国を行脚しています。

その場でよく出る話に、

「配属後のOJTを担当するのは覚悟したが、それ以前の”新人研修”ではそもそも何をどこまで教えているのか?」

という疑問があります。

そうそう、それです。

そこで、提案。OJT担当者に任命された皆さんには、以下をお奨めします。

1.新入社員研修のカリキュラムをざっと見ておきましょう
(人事や研修担当者に聞けばわかります。イントラに掲載されていることもあります)

2.新入社員が配属されたら、「新人研修のテキスト、全部見せて」と当人に言いましょう

→ 何をどの程度学んでいるかわかります。新入社員自身がどの程度理解しているかも、そのテキストを使って把握できます。さらに、「ビジネスマナー」などのテキストを見ておけば、OJT担当者自身がざっと「マナーは、こうだった」と見直しておくこともできるのです

ついでに・・・。

自社のホームページをご覧になったことはありますか?

たいてい「採用ページ」があります。

新卒採用ページには、ほぼ間違いなく「当社が期待する人材」が書いてあります。新入社員はここを見て入社してきます。OJT担当者も見ておきましょう。

それだけで、OJTのハードルがずいぶん低くなると思います。

人間、「わからないこと」が多いと「不安」になります。先手必勝です。

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先日の「オジギビト」。

左のヒトの新しいセリフを思いつきました。

「え、ネクタイしてきちゃったの?今日からクールビズなのに・・・。」

・・・というわけで、グローバルナレッジも今週から「夏季軽装」になりました。