2009年6月20日土曜日

旧ブログ記事:奇病のデパート(2009年6月20日掲載)

「奇病のデパート」を自称している私。なんだこれは?と、病院に行くと、重症度は高くないものの、「そんな病気が世の中にあったのか」と驚くことがたまにある。

昨年(2008年)正月休み。下唇の裏側に、ぽつっと白いものができた。

口内炎だと思い、しばらく放置するも、全く改善しないだけでなく、痛くもなければ、しみることもない。見た目は間違いなく「口内炎」である。

1月末、近所の内科医に行く。「口内炎ですね」と薬を処方される。朝晩塗っても、やはり、なんら改善しない。

これはおかしいのではないか。その頃から、そいつ(口の中のぽつっ)は、大きくなったり小さくなったりし始めた。数は1個のまま。ん?内科医では、「これでダメなら口腔外科へ」と言われた。

会社近くの総合病院へ。ひと目見るなり、口腔外科医は、「あ、これ、口内炎じゃないです。のう胞です。たぶん、良性」と言った。

「どうなるんですか」

「手術しかありません」

「へ?何をどう手術?」

「電気メスでここをぽこっと取り除きます」

「入院は?」

「5分程度で終わります。縫いもしないし」

「縫わない?その跡は?」
「しばらくぐちゃぐちゃですが、その内、肉が再生します」

「話す仕事をしているのですが、すぐしゃべれますか」

「大丈夫です。その日からしゃべれるし、ご飯も食べられます。ただし、手術翌日だけ消毒に来てください」

・・・3月21日、1日だけ会社を休み、手術を。

麻酔して、電気メスで「ぽこっと」取れるはずが、中で横に延びていて、手術だけで30分以上かかった。

やっと除去されたそれは、3センチほどの毛虫みたいな形状のものだった。(フツウは5mm程度らしい)ホルマリン漬けにして、病理検査へ。

鏡を見れば、スプラッター映画の主人公みたいに、顔面血だらけ。

医師が想像するより、腫瘍は大きく、手術に時間がかかったので、病院のベッドで1時間半も横になって帰宅。

問題は、次の日からだった。ご飯どころか、しゃべれない。口が動かない。動かしてもいいが、激痛。一言しゃべるだけで、泣ける。とても講義のような大きな声は出せない。口の中はぐちゃぐちゃで、血の味がする。

完全に肉が盛り上がったのは、たしか1ヶ月後くらいだったか。(3/末から再開した講師業中は痛みで泣きそうだったが・・。しゃべるたびに口が裂けそうな気がするほど。なんせ、縫っていないので。)

今でも唇の一部に麻痺としびれが残っていて、1.5ヶ月ごとに通院している。医師は「いつか治る」と言っているが、怪しいものだ。

さて、そんなこんなの話を社内でしていたら、 「あ!もしかすると、うちの息子がそれかも」と言う人があわられた。

何週間か口内炎が治らないので、おかしいね、と言っていたとか。早速、中学生の息子さんを病院に連れていったら、私と同じ「粘液のう胞」だったそうな。(ちなみに、良性腫瘍です)

即手術。彼は本当に「ぽろ」っで済む大きさだったので、事なきを得たという。

病気の話は、ついつい人にしたくなる。「ちょっと聞いて。大変だったのよ」とか。「こういう病気あるの、知ってた?」とか。

聞かされる方にとってはたいていどうでもいい話であろうが、こういう風に体験談が他人を病院へといざなったり、ある特定の病いの可能性を示唆したりすることがある。

・・・・・・・

漏れ聞くこと、誰かと知り合うことが、命を助けることもある。

石川恭三さんが書いた『いのちの分水嶺』(集英社文庫)は、そんなエピソードを10編並べた本である。

今ほどプライバシーが厳しく言われなかった時代。中待合で診察室の会話を漏れ聞いたご婦人が、「うちの主人も、このカーテンの向こうで話されている方と同じかも」と思い、夫を病院に連れてきた。すると、「腹部に動脈瘤」が見つかり、手術で一命を取り留めた、といった話が載っている。

誰かとの会話。たまたまあのパーティに出てしまったために。一本の電話によって・・・。

ちょっとした出来事が命の分かれ目になることがある、と、医師である著者は体験をつづっている。

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追記です。

「粘液のう胞」・・・。主治医によると、「唇を噛んだりするとできる」そうです。「小唾液腺というものが詰まって、のう胞になる」らしい。

再発しやすいとか、変な場所にできると、大掛かりな手術になる、とか、色々あるみたい。

麻痺としびれが改善されないことを訴えると、必ず、「でも、外見に変化がなくてよかったですね」と言われる。変な場所にできたら、唇自体を損傷することもある、とか。

「口内炎」だと侮るなかれ。

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