2011年1月31日月曜日

言う前に諦めている。

「上司がわかってくれない」
「上司がムチャ振りをする」
「上司が・・・」

という、どちらかというと、「愚痴」に分類されるセリフをたまに耳にします。

研修に来られる方は、30代を山として20代40代がそれに続く感じの年齢分布ですから、「それなりに仕事はマスターし、動ける範囲も広がっているが、上司がネックと感じ始める」という年頃かも知れませんね。

で、そういう発言を耳にしたとき、

「上司に”こう思う”って言ってみました?」

と尋ねると、

「いえ」
「言っても無駄だし」

という反応が戻ってくることもまた多いのです。

”そりゃ、以前言ってみたけど、玉砕した。それも1回や2回じゃない。もう5回くらい玉砕したから、「言っても無駄」と思った”のかも知れない。

「学習性無力感」という言葉があります。「無力感」を「学習」してしまう、ということです。

5回玉砕したら、「私は無力だ、非力だ」と思い、何か言うのは諦めてしまうというのもうなずけます。

しかし、一方で、
「いえ、言ったことないです」
という人も少なからずいる。

「言うとどうなるんですか?」
「さあ、言ってみたことないからわかりません。でも、言ってもしょうがないし。」

なんて会話になることも。

・・・

だとしたら、まず「言ってみたら」いいんじゃないか、と思うのです。

何か発言して、急に命を奪われるなんてことはないでしょう。せいぜい相手の機嫌が悪くなる程度でしょう?

ダメ元で言ってみたらいいのに。

言ってみてから、次の策を練ってもいいのに、と。

これ、「上司に対して」を例にしていますが、実は、相手が大家さんでもお店の人でも取引先でも同じなんですよね。

いろいろな方とお話しして、よく思うのです。

「おお、言う前に諦めている人がなんと多いことか」と。

傷つくのが嫌とか恥かきたくないとか、ネガティブな反応が来た時、自分でどう乗り越えたらいいか分からない、とか、そういう様々な気持ちが心の中を飛び交うのだろうと想像します。

それはそれでわかるけれども、「言わない」ことは、「ぜーったいに相手に伝わらない」わけです。

「言わない」のは自分なのに、「わかってくれない」相手を責めてもしょーがないんではないか。

とりあえず、「言ってみる」。

そうしないことには、何も始まらないような気がしますのです。

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同僚に、「小遣い値上げ闘争」をしている男性がいます。

玉砕しても、方法を変えてトライしています。

今のところ、成功への道ははるか遠いようですが(難攻不落らしい)、それでも「言ってみる」行為は止めてないみたいです。

それは、それで素晴らしい。

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