「私がやったほうがきれいにできる」と考え、任せられない。
「どうしたいの?」と最初はコーチングを意識して会話しているんだけど、徐々に「僕ならこうする」とアイディアを口にし、最後は、「というやりかたで、僕がやる」となってしまう。
・・・・・というような話をよく聞きます。
「私がやった方が早い」症候群。
部下、後輩に任せるのは、勇気がいるだけでなく、忍耐力も要りますね。
「私がやれば、10分でできる」と思うことを「1時間掛けてさせてみる」とか、「私がやれば、ミスなしでできる」ことを「ミスを何度も直しつつさせてみる」とか。「いらいら」っと来ることを我慢する。
納期まで時間がない時は、仕方ない。「私がやっちゃうわ」でもいいでしょう。(だって、お客様を待たせるわけにもいきませんし)
でも、相手を「育てよう」と思っているのに、最後は、「私がやるわ」では、話がちと違ってきます。
どうすれば、「私がやった方が早い」症候群を克服できるのでしょう?
難しい問題です。
ふと思ったのですが、自分が何かとてつもなく難しいことに挑戦してみる、というのはどうでしょう?
やったことないし、知らない知識や技術をたくさん使わないといけないし、もう、とてもじゃないけど、「私がやったほうが早い」などといって、後輩に任せるのに躊躇している場合じゃあない。今までの仕事を誰かに任せないと、この「とてつもなく難しいこと」に挑戦する余力が生まれない。
そういう環境・状況に自らを追いやるというのは?
「ああ、もうこれは、あなたに任せる。困ったらサポートするけど、自分で考えてやってみて」と任せなければ、自分が一歩も先に進めないような状況に自分の身を置いてしまう、というのは、どうでしょうか?
「自分が挑戦すべき新しいことをまずは見つける」
「それに挑戦しようと腹を決める」
「すると、おのずと仕事を手放さざるを得ない」
・・・
というのは、ちょっと難しいのでしょうか。やろうと思えば、できる職場や職種、立場もあるような気がします。
それにしても、忘れてはならないのは、「自分に誰かが何かを任せてくれた」から、今の自分があるということ。そうでなければ、新入社員の時となんら変化していないかも知れません。
誰かが、しかも、多くの人が、「私がやったほうが早い」と思わず、ぐっとこらえて、若造であった私(たち)に何かを任せてくれたんですよね、過去。
「自分がやった方が早い」と思ってしまう仕事を、「あなたがやったほうがもっと早い」仕事に変換していくのが先輩の役目かなぁ、と思うのです。
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