2010年6月30日水曜日

旧ブログ記事:サッカーW杯:「批判してくれた人にもありがとう」(2010年6月30日掲載)

先週くらいまでは、「ねぇねぇ、TVでよくサッカーをやっているんだけど、なんで?」という質問をしていた私も、さすがに連日、これだけ報道されれば、多少の関心を持つようになりました。

普段12時前に就寝するのに、昨夜(6/29)は、TVのチャンネルを合わせ、Twitterでの皆さんの「つぶやき」というより、「おたけび」もたまにチェックしつつ、仕事をしておりました。
(相手チームが「うめずかずお」のような靴下をはいている、など、関係ない部分にどうも目が行きがちではありましたが)

延長戦に入る段階で1時だったので、「もう明日に差し支える」と思い、休みました。が、朝結果を確認し、「ああ、PKまで行ったのかぁ」とザンネンな気持ちにもなりました。

朝は、選手たちのインタビューをあちこちで放映していましたのを見て、印象的だったのが本田選手の「応援してくれた人、ありがとう。批判してくれた人も、ありがとう」でした。

こういう回答をする人は珍しいなあ、はじめて聞くせりふかも、と思ったのです。

「批判してくれた人もありがとう。批判があったからこそ、頑張れた」というようなことをそれに続いて言っていたように思います。(記憶があいまいですが)

仕事をしていると、皆が皆自分の賛同者になってくれるわけでもないし、ツマラナイことで批判されたり、どうでもいい些細なことを、直接ではなく、間接的にブチブチ言ってくる人もいるでしょう。

また、完全な勘違いのまま評論されて、こちらにはそれに反論する場も余地もない、というケースもあるに違いありません。まあ、世の中、理不尽なことも多いですから。

自分の支援者もいれば、批判してくる人もいる。

たいていは、「支援者」に感謝はするけれど、「批判者」については、反感を覚えるか、せいぜいできるとしたら、無視することです。そのほうが精神衛生上はいいから。

本田選手は、それを「批判してくれた人もありがとう」と言ったのでした。

とてもとても深い言葉のように感じます。

もし、職場で、プロジェクトで、あるいは、何か、新規にやろうと手がけ始めたところで、外野から批判されたら、その時、くじけるのではなく、無視するのでもなく、「そうか、そういう批判もあるんだな。でも、それを見返すくらいの成果を挙げてみようじゃないか!」と思えたら、批判すら自分のパワーになるんじゃないでしょうか。

心が痛むし、気分はへこむし、できれば、批判には目を向けたくない、耳も貸したくない、けれど、「なにくそ!」と思って頑張る力に変換していくことができれば、最後の最後で、「批判してくれた人もありがとう」と言えるのです、きっと。

マザーテレサは、「愛の反対は無関心」と言ったとか。

批判してくれる人は、まだ自分に関心を持っている。・・だから、批判に耐える強い心と、それでも負けずに「自分が信じる道」を突き進む熱い思いを持っていたいと思います。

何かにくじけそうになった時、本田選手の「批判してくれた人にもありがとう」を思い出したら、勇気百倍。そんなことを思った朝でした。

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