2011年1月31日月曜日

言う前に諦めている。

「上司がわかってくれない」
「上司がムチャ振りをする」
「上司が・・・」

という、どちらかというと、「愚痴」に分類されるセリフをたまに耳にします。

研修に来られる方は、30代を山として20代40代がそれに続く感じの年齢分布ですから、「それなりに仕事はマスターし、動ける範囲も広がっているが、上司がネックと感じ始める」という年頃かも知れませんね。

で、そういう発言を耳にしたとき、

「上司に”こう思う”って言ってみました?」

と尋ねると、

「いえ」
「言っても無駄だし」

という反応が戻ってくることもまた多いのです。

”そりゃ、以前言ってみたけど、玉砕した。それも1回や2回じゃない。もう5回くらい玉砕したから、「言っても無駄」と思った”のかも知れない。

「学習性無力感」という言葉があります。「無力感」を「学習」してしまう、ということです。

5回玉砕したら、「私は無力だ、非力だ」と思い、何か言うのは諦めてしまうというのもうなずけます。

しかし、一方で、
「いえ、言ったことないです」
という人も少なからずいる。

「言うとどうなるんですか?」
「さあ、言ってみたことないからわかりません。でも、言ってもしょうがないし。」

なんて会話になることも。

・・・

だとしたら、まず「言ってみたら」いいんじゃないか、と思うのです。

何か発言して、急に命を奪われるなんてことはないでしょう。せいぜい相手の機嫌が悪くなる程度でしょう?

ダメ元で言ってみたらいいのに。

言ってみてから、次の策を練ってもいいのに、と。

これ、「上司に対して」を例にしていますが、実は、相手が大家さんでもお店の人でも取引先でも同じなんですよね。

いろいろな方とお話しして、よく思うのです。

「おお、言う前に諦めている人がなんと多いことか」と。

傷つくのが嫌とか恥かきたくないとか、ネガティブな反応が来た時、自分でどう乗り越えたらいいか分からない、とか、そういう様々な気持ちが心の中を飛び交うのだろうと想像します。

それはそれでわかるけれども、「言わない」ことは、「ぜーったいに相手に伝わらない」わけです。

「言わない」のは自分なのに、「わかってくれない」相手を責めてもしょーがないんではないか。

とりあえず、「言ってみる」。

そうしないことには、何も始まらないような気がしますのです。

=============

同僚に、「小遣い値上げ闘争」をしている男性がいます。

玉砕しても、方法を変えてトライしています。

今のところ、成功への道ははるか遠いようですが(難攻不落らしい)、それでも「言ってみる」行為は止めてないみたいです。

それは、それで素晴らしい。

2011年1月28日金曜日

1/28(金)USTREAM録画とTwitterとぅぎゃり

1/28(金)USTREAM3回目の配信を終えました。

「OJT」をテーマに過去2回よりも真面目に話しました。

40人くらいの視聴でしたが、TwitteR参戦は過去最大だったようです。ありがとうございます!

【Twitterとぅぎゃりと録画】 (← 横着して、私のツイートから転載)
http://twitter.com/TanakaLaJunko/status/30859259545653248

★事前に何人かの方から「職場から外部ネットワークに出られないので自宅で見ます」というご連絡をいただきました。

ツイートの流れと録画を連動して見ると、臨場感を味わえると思います。

次回また、いつか担当したいと思います。お楽しみにぃ~♪

「言い訳」してたら・・・

「言い訳」って1日、何回しているだろう?

「電車が込んでいたんで、ちょっと遅れました」
「割り込み仕事が入って来たため、こっちの仕事に手を付けられていません」
「急ぎのメールの対応していて、コレができませんでした」
「1人で何もかもしているので限界があります」

・・・

よくやってます、よく言ってます。私。

しかし、ふと、思うのです。

「言い訳」すると、「罪が軽くなるか?」「仕事が早く片付くのか?」など、と。

いや、言い訳というか、「何かが起こった要因」ってのは確かにある。

「割り込み仕事」を優先させたら、「仕掛かり中の仕事」は後手後手になった。
でも、「割り込み仕事」を優先せざるを得なかった、なんてことは、日常的に起こることだし。

「言い訳」すると、自分の心の負担が少し軽くなるという効果はある。

でも、現実は何も変わらない。
ましてや、他人(サービス提供先など)には、「事情はどーでもよろしい」と思うだけだったりもする。

・・・・

こんなことを考えたのは、最近、以下のセリフをよく聴くようになったからです。

「少ない人数で対応しているので、手が回らないこともありますが、ご容赦を」
「少数でやっているので、どうしても行き届かない点もあります」

中小企業より大企業の方のほうが、発する気がするこれらのセリフ。

たしかに、リストラクチャリングの関係で、ホントに「これまで5人でやっていたことを2人で」というケースはあるでしょうし、事実、「手が回らない」こともあるんだろうとは思います。

でも、それを言われたユーザや顧客は、どうしたらいいんだろう?

よく知った相手、よく知った企業であれば、「そりゃ仕方ありませんね」「よくわかりますよ」でしょうが、一ユーザで相手の中のことなどあずかり知らない場合、その言い訳って、むなしい気もするのです。

”So what!?"(だから、どー!?)と。

・・・・

そういえば、昨年4月に新入社員研修をお任せいただいたクライアントでは、新入社員に指導する際のマニュアルに「言い訳禁止!」と記載されていました。

「言い訳するな。言い訳しても何も生み出さない」ということだったと記憶しています。

「言い訳」をゼロにはできないまでも、「言い訳」してたら、「それって意味ある発言か?」と自分の心に問う必要はあるかなあ、と思いました。自戒をこめて。

2011年1月27日木曜日

明日1/28(金)12時~USTREAMライブ「OJT」

既に当社のWeb、メルマガやセミナー、Twitterでも告知しておりますように、明日1/28(金)12時~、USTEAMライブを行います。

今回のテーマは、「新入社員を育てるOJT」です。

仕組み作りから現場での後輩育成のちょっとしたノウハウを紹介する予定です。

★OJTのしくみ、って一般的には?
★新入社員はどんな不安や課題を抱えているか?
★一方、OJTトレーナーは何が懸念か?
★ついついやってしまいがちだけれど・・・。などなど。

録画も公開しますが、ライブで参加できる方は、是非Twitterでも参戦していただければと思います。

【セミナー告知】
http://www.globalknowledge.co.jp/ref/201101/01/

【チャネル】
http://www.ustream.tv/channel/g20k

★ 2011年1月28日(金) 12:00 ~ 12:45

【事前に質問やリクエストは当社ツイッター公式アカウントまで】
http://twitter.com/GK_Japan

【昨年末の番組は録画で公開しています】
http://www.ustream.tv/recorded/11572906

ブティックの人が言う「私も持っているんです」ってなんだろ?

気づいたら、冬のセールも終わりかけていて、お店には春物が並んでいますね。

全くセールに参戦することなく、冬の洋服も増えることなく、この季節は終わりそうです。

ブティックの販売員が言うセリフには、「よく考えると不思議」というものが多いと常々思っているのですが、そのひとつに「あ、それ、私も持っているんですよ」ってのがあります。

たとえば、「このセーター、どんな感じかな?」などとひろげて、胸の前に当てて鏡に映したりしていると、店員さんが近づいてきて、

「それ、素敵ですよね。私も持っているんです」と言う。

あるいは、
「試着していいですか?」と断って、靴をはいてみると、脇にたたずむ店員さんは、にこっと、
「それ、私も買ったんです、履きやすいですよ」
などと言う。

初対面の店員さんが「それ、私、持っているんです」と言った時、客の購買意欲に火がつくかどうかは、はなはだアヤシイような気がします。

少なくとも、私はそのセリフでは動かない。

だけれど、どのブティックでもどの靴屋さんでも、どのバッグやさんでもよく耳にする

「私も持っているんです」は、きっとなんらかの効果をもたらす、とされているに違いない。

そこで、

今日初めて出会う店員さんの、「それ、私も持っているんです」が説得効果を持つとしたら、どういう局面だろう、と考えてみました。

●その店員さんが、すんばらしく美しくかっこよく、初対面にも関わらず、「ああ、この人のようになりたいなあ」と一瞬にして思わせるオーラをかもし出している。だから、彼・彼女が持っているもとを自分も持ち、「同一化」したい

●「誰かが持っている」と聴くだけで、「負けてはならぬ」「出遅れてはならぬ」と、購買魂に火がついてしまうタイプである。(つまり、「人が持っているもの」は「自分も持っていたい」と単純に思いやすい)⇒ 「中村うさぎさん」タイプ?

●おしゃれな店員さんが「私も持っているんです」ということは、「自分の選択眼がそうそう常識から外れた、特殊なところにはないなあ。一般的なんだな」と安心する・・・。「人と一緒だとほっとする」という日本人的な気質を逆手に取っている

・・・と考えてみましたが、よくわかりませんね。

他にもよく聴くセリフ。こんなのがあります。

●「今日、入荷したばかりですよ」
●「日本で3点しか入ってないんです」
●「入荷するそばから売れちゃいます」
●「今日、値下げしたばかりです」
●「東京では、ここの店だけです」
●「雑誌に掲載されたんですよ」
●「最後の一点です」
●「人気色なんです」
●「昨日、札幌店から送ってもらった貴重な1点です」

・・・・・

もっとたくさんあるようですが、思い出せないので、この辺で。

2011年1月26日水曜日

誰が猫の首に鈴をつけるのか?

上司にちょっと進言したいことがある。

でも、言うのははばかられる。

それは、

●相手の方が当然ポジションが上だから
●年齢的にも上だから

などといった理由のほかに、

●言っても聴いてくれなさそうだから
●下手すると不機嫌になりそうだから
●さらに下手すると自分に不利益が降りかかりそうだから

という理由もあるやも知れませぬ。

「いやぁ、そんなこと言ってないで、”正しい”と思うことは、上司であろうと社長であろうと、ちゃんと言わねば。それが”リーダーシップ”ってもんでしょう。」と言うのは簡単。

口ではなんとでも言えるけれど、行動に移すのは難しいものです。

それでも、ちゃんと上司などに言える人というのは、

●信念がある
●勇気がある
●何も気にしてない
●捨て身

なのでしょうか?

いや、第一に、

●上司が受け入れてくれる、という自信・確認があれば言える

・・・のでしょうね。

・・・・ってことは、日ごろの関係がやはり「モノを言う」のか?

・・・・どうしてこんなことを思ったかというと、研修やらなにやらで、こういう話、よく出てくるんです。

あ、ちなみに、タイトルの「猫の首に鈴をつける」という言葉自体が通じないケースも最近は増えました。

2011年1月25日火曜日

「新入社員の文章力が低い」時、問題は「文章力」ではなく、「考える」にある・・・

新入社員研修やら、OJTの準備やらで、各社ばたばたしている、ということは、昨日も書きましたが、その中で

「文章力が低いのでなんとかしたい」

も例年通り挙がります。

「日報といえば、”報告書”なのに、事実の羅列や感想文になっている」
「1回読んだだけでは論旨がつかめない文章」
「言いたいことをすぱっと表現できていない」など、人事の方も現場のOJT担当者も頭を悩ませています。

こういう時、すぐ「たくさん文章を書かせたら上達するのでは?」と思って、日報だのレポートだの、あるいは、何かを書く課題を与えることが多いのですが、ただ闇雲に多くの文章を書かせたところで上達することはまずないと思っています。

「文章力が低い」原因のひとつに、

●とりあえず、書き始めてしまう

ことが考えられます。

Wordを開いて、打ち込み始めてしまう。
用紙を取り出し、鉛筆を走らせてしまう。

・・・

本当は、その前に「考える」というステップが必要なのにも関わらず、とにかく、すぐ「書き」始めてしまう。

升目を埋めていく、行を埋めていく・・・。一応、分量は整う。
ろくに読み返しもせず提出する。

その結果、先輩達から「わけわからん」とバッテンをくらってしまう。

●誰が読み手で、その人はどんな人で、
●自分は何を伝えたいのか、何を伝えるべきなのか、
●どういう順番なら伝わるのか、
●どういう表現を使えばよいのか、

を、Wordを開く前に、紙に鉛筆を載せる前に、本当はじっくり考えなければならない。

文章の指導をする場合、やみくもに赤ペン先生をしたからといって、相手の文章がうまくなることはまずないんです。真っ赤にして戻したら、若手は機械的に修正するだけで、文章について頭でよく考え直すというプロセスは踏めませんし。

「考える」。

ここをまず指導したほうがいいと思うんですよね。

で、これ、実は、「文章力」に限った話ではなく、「話し言葉」にも通じることです。

「考えて」から「話す」とすれば、もうちょっと言いたいことがすぱっとわかりやすくなるはず、です。

==================

「考える」ことに慣れていないと、一人で内省しても限界があるかも知れません。

そんな時こそ、先輩達の出番。

質問することによって「考える」サポートをしていくことはできると思います。

「コーチング」スキルは、そんな風に「アラカルト的に」使うのがもっとも現実感があると、私は考えています。(なんでも「GROWモデル」(当社の場合は「5Stepモデル」)というフルコース・コーチングでなくても、身近に使える場面は多々あるわけです。)

2011年1月24日月曜日

ある日突然「新人研修の講師をしてね」と言われたら・・・。

そろそろ「新入社員研修」の季節です。

3月までは、人事部・人材開発部などは「新入社員の受け入れ」準備でお忙しいことでしょう。(最近は、「採用活動」も時期的に並行してしまうので、もう「てんやわんや」という声もよくお聞きいします。)

私たち講師たちもカリキュラムの最終の詰めやら、それにあわせたテキスト改訂だとか、はたまた、各社様々なご要望に応じた資料作成などに追われる日々です。

そんな中、昨年くらいから、「社員」が「自社新入社員」研修の講師を務めるケースが増えてきました。もちろん、以前からもそういう仕組みで動いているところはあったのですが、「増えたなー」というのが2010年度くらいからだったでしょうか。

会社のこと、製品のこと、仕事のことがよくわかっている先輩社員が、自社の新入社員研修を担当するというのは、よいことではあります。

新入社員も、「自社の先輩」に教われば、配属された後も「新人研修の際、お世話になった先輩だ」という意識をいつまでも持ち続けることができるでしょう。

ただ、「講師は、1日にして成らず」なのです。

「話すのが得意」「技術に長けている」というだけで、「それでは、新入社員研修を担当してね」といわれて戸惑う方はとても多いのが現状です。

それでも、と、講義をしてみれば、新入社員から「ツマラナイ」「眠くなる」などと辛辣な評価を受け、落ち込むことも・・・。

先週、「社内講師速習コース」を初めて開催しました。社内講師を任命された方向けの1日研修です。

参加者は、4月からの新入社員研修に駆り出されることになった「社内講師」の方でした。臨時で2日か3日「ビジネスマナー」や「仕事の進め方(たとえば、PDCAなど)」を教える役目を負っているとのことでした。

「どんな不安がありますか?」とお尋ねすると、こんな話が出ました。

●「ビジネスマナーを教える時は、”あるべき姿”を伝えるけれど、現実にはそうならない部分もある。そこを指摘されたら、どう対応すればよいのだろう?」
⇒ たとえば、「服装」について指導する。しかし、廊下を歩いている先輩には、ちょっと乱れたの人もいる。「あれはいいのか?」と言われたら、どぎまぎしてしまいそうで・・・。

●「答えられない質問を受けたら、どう対応すればよいのだろう?」
⇒ 事前にどれほど勉強しておいても、社会人経験が豊富でも自分には答えようがないことや未経験なことを尋ねられるかも知れない。その時の対処法を知りたい。

●「演習をさせる際、学生時代の経験から、進み具合に大きな開きが出る可能性があると思う。どこの照準を合わせるべきで、そこに合わない受講者にどう対応すればよいのか?」
⇒ 「退屈だ」と思わせてもいけないし、あまりに「落ちこぼれ」させてもいけないとは思うのだが・・・。

●「研修の受講日誌の添削にとても時間がかかってしまうのだが、どこまで面倒みればよいのだろう?」
⇒ 誤字・脱字に始まり、「日本語と思えない」文章をどうチェックすればよいか?

・・・・・

ああ、なるほど。私には、どれもこれも心当たりもあるし、たくさんの経験もしました。

こういった課題を解決していかなければ、自信を持って「社内の先輩講師です!」と胸張って登壇できないのですよね。

当社では、採用された講師の卵がお客様向けの研修でデビューするまでには、約2.5ヶ月掛けています。研修内容の学習だけではなく、インストラクション技術を学び、練習を繰り返し、全員の前でリハーサルを行い、「合格!」となるまでにはそのくらい期間が掛かるのです。

ただ、「一時的に新入社員研修を担当する社内講師」であれば、ほんの少しのコツを覚え、「新入社員研修」を担当する者としての心構えを持っておくだけでもずいぶん気が楽になりますし、自信を持って登壇することもできるでしょう。

これから大変な日々が続くとは思いますが、社内で講師に任命された皆様、是非、準備に余念なく頑張ってください!

それから、もうひとつ大事なこと。

「体力作り」。

毎年1月を過ぎると、「さあー、新入社員研修に向けて、”走り込みの季節”ですよぉ~」と社内向けメルマガで発信している私。

1月2日から、Walk&Jogや自転車など有酸素運動と筋トレを週2以上のペースで行っています。

イチに体力、ニに体力。

新入社員研修を無事乗り越えるには、まずは、「身体」だったりするのです。

2011年1月21日金曜日

昨日で30(16/Hex)歳になりました(笑)

昨日1/20は、誕生日で、1日オフにしました。同じ誕生日の妹宅に行き、甥っ子と遊んできました。

Twitterでは、ツイートやらDM(Direct Message)やらで、あるいは、電子メールで60件ほどの「誕生日おめでとう!」メッセージを頂きました。

たぶん、2011年の誕生日が、人生最大の「オメデトウ」を頂いた日になったと思われます。皆様、本当にありがとうございました。

まずは、私の朝イチメールを読んでくださった読者の皆様。
リアル知り合い、リアルトモダチ。
リアルに顔も知っている受講者や人事担当の方。
Twitter経由でつながった、お会いしたことのない方。

・・・ とにかく、日本全国から。

こういうのがソーシャルネットワークの面白いところかも知れません。

あ、そうそう、最初に「おめでとう」と言ってくださったのは、なんと、「糸井重里さん」です。

1/20の3時頃、Twitterを見ていたら、ほとんどの方が寝静まったと思われる中、一人糸井さんだけがツイートし続けていらしたので、

「糸井さん、今日誕生日なんです」ってなことをつぶやいたら、「オメデトウ」との即レスが。

(証拠↓↓↓・・笑)
http://twitter.com/itoi_shigesato/status/27785693711310848

こりゃ嬉しい!(もちろん、全然、面識もかかわりもありませんよ。)

・・・・・

というわけで、昨日は1日、嬉しい、楽しい時間を過ごしました。

うさぎ年の年女。定年まであと干支ひと回り分だけです。ラストスパートな気分。

がんばります!

【月曜日と水曜日に誕生祝いをしていただき、頂戴したお花!】
http://twitter.com/TanakaLaJunko/status/28076268033413121

2011年1月19日水曜日

「奥様が美容院に行った」ことに気づきますか?

先日、50代の男性がこんなことを話していました。

「同僚の女性がいつもと違うな、と思ったんだけど、女性ってそういうのちゃんと指摘したほうがいいというじゃない。だから、”あ、今日は眼鏡かけてきたんだね”と元気に言ったんだよ。そうしたら、冷ややかな顔して”ずっと眼鏡ですけど”と返ってきて。え?そうだっけ?とあたふたしてたら、隣から小声で”髪型が変わったんですよ”と耳打ちしてくれた人がいたからあわてて、”髪を切ったんだぁ~”と感心してみせた・・・。でも、もうそれ遅いよね」

それを聴いて、他の男性が
「美容院に行ってきたって気づかないとうちの奥さんも機嫌わるいんだけど、ロングがショートになれば気づくけど、2-3センチ切ったなんて、ぜんぜんわかんないんだよね。」
と。

その場にいた唯一の女性である私は、
「えーーーー!?!?!?。私は同僚の男性でも女性でもちょっと髪切ったら気づきますよ。ネクタイの雰囲気がいつもと違うなとか、化粧が変わったな、とか」と反論すると、

「男は細かい変化、わからないんだ」と。

そういえば、ずっと前に読んだ「サザエさん」に、こんな4コマ漫画がありました。

サザエさんが美容院に行き、髪型を変えたのに、マスオさんがちっとも気づかない。サザエさんが気づいてもらいたくてあれこれ言ったり、したりするんだけれど、マスオさんはまるで気づかない。

しばらくして、サザエさんが「芸能ニュース」をしゃべり始めた。すると・・・。

マスオさん、急に、「あ!美容院に行ったんだね!」と言い、サザエさんを怒らせる。

・・・といった内容です。もう30年も40年前に描かれた漫画に、こんな場面があったわけです。

「女性週刊誌を読んだ、ということは、美容院に行ってきたんだな」とマスオさんは、頭で理解したのですね。一方、サザエさんは、「見た目の変化」を映像として捉えてほしかったのにとフンガイ。

ま、これが、男性と女性の違いなのか、個人差なのかは置いといて、冒頭の話。

「変化に気づいた」のはいいことですが、このとき、「眼鏡なんだね」と限定的に聞いたのが彼の失敗の原因だと思うわけです。

もし、この時、
「あれ?今日はなんか雰囲気違うなー」とあいまいに、でも、明るく指摘したら、きっと件の女性は、ごっきげんで、

「あ、わかります?美容院に行ったんですぅ~♪」と自分からカミングアウトしたに違いありません。

こうなればこっちのもんで、「髪型、いいね」といえばよろしい。

変化の要因が何か分からない時は、この方法がお薦めです。

「今日はなんか違うなー。いい感じだなー。」と言ってみる。是非おためしください。

ただし、場合によっては、こういう展開になるリスクがあります。

「あれ?今日な何か雰囲気違うなあ」
「わかります?」
「うん、わかるよ」
「じゃ、クイズ。どこが変わったでしょう?」 <<ここでクイズが出ると恐怖の展開の予感。
「えっと、えっとー、眼鏡」
「眼鏡は、毎日かけてますけどっ!(怒)」

・・・・・・orz。

くれぐれもお気をつけ遊ばせ。

2011年1月18日火曜日

ITpro対談をお読みいただき、感謝します

芦屋広太さんとの対談記事が先週(1/11~1/14)4日連続で公開されました。

多くの方にお読みいただいたようで、先週の週刊ランキングで上位1位から4位を締めることに(わお!)。これがどの程度スゴイことかはわかりませんが、とにかくありがとうございます!

春(3月ごろ)から、今度は、芦屋さんと私が交替で「掛け合いコラム」連載を始める予定ですので、お楽しみに!

4回分の記事のURLはこちらです。再度掲載いたします。

「ヒューマンスキル特別対談 田中淳子×芦屋広太  『行き詰まり感』を打開するコツ」

●TOPのメニューページ:
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20101228/355715/?ST=selfup

●1回目:「外の人と会い、ワクワク感を取り戻す」
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20101228/355726/?ST=selfup

●2回目:資格の取得は組織のため?自分のため?
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20101228/355727/?ST=selfup

●3回目:壁にぶつかるのは「正しい」し「必要」
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20101228/355728/?ST=selfup

●4回目:小さな一歩を踏み出してみよう
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20101228/355715/?ST=selfup

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ITpro編集長の吉田琢也さんは、以前、「日経ITプロフェッショナル」の副編集長をなさっていて、2005年に「コミュニケーション実践塾」(?)というタイトルのDVDを一緒に製作した仲間です。ちょっと感慨深い・・・。

老眼談義。

昨日から「リーダーシップ」研修(公開講座)を担当しています。

めずらしく20代~50代という幅広い受講者層になりました。(通常は2-30代)

休憩時間、ある方が、「老眼」の話をし始めたので、私も「そうそう、45歳過ぎたらてきめんですよね。私は近視なので、めがねはずせば、近いところは見えるのですが」と応じると、「ボクもそう。めがねだから、1日中、かけたり、はずしたり、本当にメンドクサイ」と。

脇で少し若い世代が「え?ボクも近視ですが、老眼にならないと思っていたら、そんなことないんですか?安心してたのに」とおっしゃるので、

「目がよかった同期よりは確かに老眼の自覚は遅かったけれど、遅かれ早かれ来ますよ」にやり、と伝えました。

さらにそこにいた20代の方。

「ぜんぜん、想像が付かない」とぽつり。

そりゃ当然ですよね。わかります。

それで思い出しました。わたしもかつて「老眼」のことも「体力がもたない」などという年長者の発言をちーっとも理解できないばかりか、想像すらできなかったことを。

「このExcelの文字が見えないって、どういうこと?」
「テキストの、こんなにはっきり書いてある活字が見えないって、どんな感じ?」
「そんなに体力が落ちるものなの?」などなど。

若いというのは時に残酷で、「自分ができる」ことを「他人ができない」と、全く理解不能に陥ることがあります。(いや、想像力豊かな若者もいるでしょうが)

今、老眼になってみて、体力も落ち始めてみて、記憶力など「それ、食べるものですか?」というほどのものになってみて、かつて自分が年長者に対して、ずいぶんと非礼なことをしたり、配慮のないことをしていたのかも知れないなあ、と思い至るわけです。

ところで、よくこんな風に言いませんか?

「上司や先輩は、今どきの若者のことをもっと理解してやらねばいけない」
「年長者のころとは時代が違うのだから、今の20代30代のあれこれをもっと受け入れてあげよう」

こんな風に、いつでも「世代間ギャップ」については、「上」が「下」を「理解し、受容しよう」という論調になっている気がします。

しかし、逆もまたありなのではないかと。

「若者は、年長者のことをもっと理解してやらねばならない」
「若い人たちは、若者とは肉体的にも経年変化が訪れている年長者のあれこれをもっと受け入れてあげよう」

・・・。

やたらと、「若者を理解し、受容しよう」という声ばかりが聞こえる気がするのですが、おじさんだって、おばさんだって理解してほしい。

小さな数字と文字の羅列で構成されたExcelを見たくないわけではない。単に、見えないだけだ!

徹夜上等!という年代もあったけれど、もはや無理なのだ。

そんなことしたら、翌日どうなるかわからない。いや、真面目にいえば、命かかってしまうこともある。

・・・・

というわけで、今日、お伝えしたかったことは、

「世代間の理解」というのは、「若者を年長者が理解する」だけではなく、「年長者を若者が理解する」という側面も必要だ、

ということでした。

理解、というか、「そういうこともあるんだなあ」という「想像力をもった受容」とかな。

(なんとなく、「朝イチメール」風になってしまいました。)

2011年1月12日水曜日

旧ブログ記事:田中のプロフィール(Twitter)解説(2011年1月12日掲載)

昨日(1/11)~日経BP社ITproサイト上で芦屋広太さんとの対談記事が掲載されていることから、Twitterのほうにきてくださる方も増えました。ありがとうございます。

●田中のTwitter: http://twitter.com/TanakaLaJunko

それで、田中のプロフィール欄に書いてあることを一応、説明しおくことにいたします。

以下が、現時点でのプロフィールです。

「都立国高→上智教育→DEC→グローバルナレッジネットワーク/大人の学び支援/産業カウンセラー/エッセイ書き/伯母バカ/ダメな大人/日経BP朝イチメール電子書籍『コミュニケーションのびっくり箱』販売中!
紙の本『はじめての後輩指導』『速効!SEのためのコミュニケーション実践塾』合言葉「PPP(c)」ITproも見てね。」

【解説(たぶん、ほとんどの方はどうでもいい情報ですが)】

基本的には、「私が何者か」「何に関係しているか」「どういう属性か」がわかるように制限文字一杯いっぱいに書いてあります。

■真面目なプロフィール部分■

●都立国立高校は、「くにたち」高校と読みます。私は81年卒で、80年に都立高校初の甲子園出場を果たした学年です。国高(くにこう)は、昨年創立70周年だったとかで、TVCMまでして大々的に同窓会「大人の国高祭」を開催しました。

●上智大学文学部教育学科86年卒です。15年ほど前、上智大学の就職指導課の方に、「当校出身女性で10年以上働いているのは素晴らしい」と言われたことがあり(今とは違いますね)、以来、後輩女性の励み?になれば、といつでも大学名は記載することにしています。

●DEC(Digital Equipment Corporation)、デックと読みます。1986年に入社し、1996年4月まで在席しました。教育事業部門に所属し、VMS、OpenVMSのトレーニングを担当していました。並行して1990年の米国出張を機に、1991年からヒューマンスキル分野も手がけております。

●グローバルナレッジネットワーク:現在の勤務先。1996年4月、DECから「転籍」した創業メンバの一人です。DECの教育部門が売却されてできたのがグローバルナレッジなので、「転職」ではなく、「転籍」なのです。

●「大人の学び支援」とは:名刺上の肩書きは「人材教育コンサルタント」です。が、「コンサルタント」とTwitterに書くと、非常に怪しげに見えるとある時思いまして(笑)、「働く大人の支援」に変更しました。平たく言えば、メインの仕事は、研修の講師ですが、その前後のヒアリングやコンサル的なことも多少しております。

●産業カウンセラー:平成15年度の試験に合格し、「産業カウンセラー」の資格は一応持っております。昨年、資格更新研修も受講したので、また寿命が延びました。

●「エッセイ書き」・・・これは、昨年12月27日に発行した『コミュニケーションのびっくり箱 ~Junko-in-the-box~』(日経BPストアから電子書籍として)が「エッセイ」であることから、「エッセイ書き」と名乗っております。「エッセイスト」とするほどの自信もなく・・・。)

■この辺からプライベートなプロフィール■

●伯母バカ・・・2009年初夏に誕生した甥っ子(現在1歳)の「伯母バカ」全開で生きています。ツイートも時々「今日の甥っ子」「最近の甥っ子」というタイトルのものがあります。

●「ダメな大人」・・・これがもっとも誤解を招く肩書き?なのですが、Twitterで知り合ったくまぶ~さんに「ダメな大人」と書いておいたら、とお薦めされ、格付け担当のサカタさんに許可を得て記載しています。「ダメな大人新宿支部」と書いてもよい、とも言われたのですが、字数の関係で現在は「ダメな大人」なだけです。「ダメな大人の会」というのがあるそうです。どなたがメンバで、どのような活動をしている会なのかはよくわかっておりません(笑)


■以下が執筆活動関係■

●日経BP朝イチメール電子書籍化『コミュニケーションのびっくり箱 ~Junko-in-the-box~

2009年7月~2010年7月まで、日経BP社の「携帯だけに配信する電子メール連載」を担当しておりました。そのメール連載を”朝イチメール"と言います。読者の集まりを「朝イチ倶楽部」と田中が勝手に名づけており、Twitterのフォロワーさんに80人くらいが登録されています。(実読者数は7000人を超えているので、1%ちょいの方がTwitterでもつながっている、ということですね。

「朝イチメール」は1年間で47コラムを配信。この度、これに新作3篇を追加し、合計50篇のエッセイ集として出版されました。iPad/iPhone対応の電子書籍です。

●紙の本:これまでに3冊の紙の本を出しております。

以下、日経BP社より。

★『速効!SEのためのコミュニケーション実践塾』 (2004年発行。おかげさまで7刷です)
★『速効!SEのための部下と後輩を育てる20のテクニック』(2005年発行。ザンネンながら初版絶版です。どこかの出版社で、復刊したいともくろんでおりますが、手を挙げて下さる方、いらっしゃいませんか?)

以下、日本経団連出版より。

★『はじめての後輩指導 -知っておきたい育て方30のルール』(2006年発行。おかげさまで3刷です)

■最後がなぜか「合言葉」■

●合言葉 「PPP(c)」

「朝イチメール」もしくは電子書籍になった「びっくり箱」の中で「パンツがぱつぱつである」という、日常にある、どーでもいいことを書いた回がありまして、そのから派生して生まれた言葉です。読者の間で「PPP(c)」が流行っております。用法は、「正月太りで、今日は、「PPP(c)」」などと。ぱつぱつパンツの省略系です。遠慮なくお使いください。(使う場面があれば)

プロフィール欄の説明は以上です。

なお、田中がこれまでに連載してきた雑誌名を以下に列挙しておきます。「あ、あれを書いていた人ね!」と思い出してくださるかたもいらっしゃるかも知れませんので。

●『日経ITプロフェッショナル』 (2002年6月創刊号~2006年3月最終号まで)
●『日経SYSTEMS』(2005年4月創刊号~9月号まで)
●『日経コンピュータ』(2007年1月~2007年12月まで、2008年6月~2009年3月まで)
●『日経BP朝一メール』(2009年7月創刊~2010年7月最終回まで)
●『心とからだのオアシス』(中央労働災害防止協会、季刊誌、2010年4月~)
●(予定)『日経BP社ITproにて”3-40代を応援するコラム”連載」(2011年3月くらい~)

・・・以上、私のTwitterプロフィールに書いてあることは、一体なんなのか?について解説いたしました。

なお、参考までに、私が書いているものを「ゆるゆる⇒かっちり」の順に並べるとこうなります。

Twitter ⇒ 朝イチメール/『コミュニケーションのびっくり箱』⇒ このブログ ⇒ 雑誌/Web連載や書籍
要するにTwitterがもっともゆるゆるなのです。スミマセン(先に謝っておきます。)

2011年1月11日火曜日

旧ブログ記事:きっかけはTwitter:日経BP社ITproサイト:芦屋広太さんとの対談記事(2011年1月11日掲載)

あまり大きな声でお知らせしたくないので、小さな声でお伝えします(笑)。

本日2011年1月11日(火)~14日(金)4日連続。日経BP社ITproサイトにかの芦屋広太さんと私の対談記事が4回に分けて掲載されます。(1回目は既にUPされています)

対談は、12月初旬、当社のオフィスで行いました。写真のクレジットにいちいち「グロバールナレッジにて撮影」と書いてあるのはそのためです。

芦屋さんとは、ひょんなことからTwitterでつながり、11月には初対面の儀式を執り行いました。その場で「対談したいんだけど、どなたかー」とTwitterで呼びかけたら、日経BP社の田中淳(あつし)さんが手を挙げてくださった、という、なんというか、とんとん拍子の「対談実現」でした。

田中淳(あつし)さんは、芦屋さんの現在の担当編集者で、私が「日経コンピュータ」の連載をし始めたときの担当編集者でもあったので、それぞれに一緒に仕事をした仲ではあったわけです。(おまけに、田中淳さんは、田中淳子(私)の、国高時代の1年先輩でもあり、なんといっても名前においては私が淳さんを「包含」している関係にあるので、仲良しだったりします。「ボクの名前は、淳子さんに包含されているから」が決まり文句です。)

URLは、以下の通りです。ITproに感想を書いていただいてもよいですが、Twitterで頂いたほうが早く反応はできます。

【ヒューマンスキル特別対談 田中淳子×芦屋広太 「行き詰まり感」を打開するコツ(目次ページ)】
http://bit.ly/fdFgpn

【1回目(1/11公開)外の人と会いワクワク感を取り戻す(芦屋さんパート)】
http://bit.ly/dNlXYE

【2回目(1/12公開)資格取得は組織のため?自分のため?】
http://bit.ly/fgGHHN

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これをきっかけに、3月ごろから、芦屋広太さんと「掛け合い連載」をする予定です。

日経BP朝イチメールが7月に終了して以来、半年ぶりの連載再開です。

日経BP社さんには、2002年の「日経ITプロフェッショナル」連載から足掛け10年もお世話になることになりました。

ひとつひとつの連載が人と人のつながりから、断続的に継続していくという、縁の妙を感じます。感謝です。もちろん、一番感謝すべきなのは、読者の皆様です。

お読みくださってありがとうございます。(このブログも)

2011年1月10日月曜日

旧ブログ記事:「会社飲み」について一考(2011年1月10日掲載)

先日、ある方から「若い世代が上司と呑みに行かない」「上司の誘いを断る傾向がある」「会社の宴会の参加率が低い」けど「どうしたものか?」という相談というか、質問を受けました。

「参加したくなければしなくてもいいのでは?」とふと思ったので(After5ですし)、Twitterで意見を求めてみたら、色々な反応が。

● 若い人が参加したくない、としたら、そうさせている上司や職場の雰囲気に原因はないか、と考えてみる
● 説教される、自慢される、など、何かいやなことを体験して、出たくないのでは?
● 出たほうが人間関係を構築するのに役立つこともあるので、出たらいいのに。いつも、ではなくてもいいけれど。
● 出ないと、いづらくなる。出なければならない、という強制参加の風土があるのは、困る

・・・・

正確に再現していませんが、多岐にわたる意見が。(ありがとうございました)

私は、何か問題が起こったとき、「じゃ、呑みに行こう!」という、いわゆる”ノミュにケーションで解決”ってのは、好きではありません。

呑みに行く前に、Before5で解決すべきことも、飲んだだけでわかりあえる、なんてないと思うからです。

ただ、After5で呑みの席でないと、なかなか話せない、オフィスで話すようなことじゃないことってのはあるだろうし、そこで少しプライベートな話とか腹を割って語り合ったことがきっかけで、翌日から仕事がしやすくなる(頼みやすい、頼まれやすい、あるいは、単に、理解し合える)ということはあるでしょう。

まあ、なんでも程度問題ですよねぇ。

毎晩同じメンツで呑み歩くのも、何のため?と思いますし。

ところで、私は、この10年か15年か、勤務先の集団呑みにほとんど参加していません。いくつかの理由というかきっかけがあったのですが、その一つに、送別会がありました。

送別会で大勢で盛り上がって、でも、ちゃんと送別していないなぁ、と思ったことがあったのです。(DEC時代ですね)以来、「ちゃんとしっかりお話して、お別れしたい」と思う同僚とは「さし呑み」をすることにしました。

送別会だけではなく、「しっかり話をしたい」場合は、基本的には「さし呑み」です。男女問わず。少し人数が増えても4人まで(1つのテーブルで話せる範囲)。

それ以上になると、単に盛り上がっておしまい。翌朝、喧騒だけが耳に残り「あれはなんだったんだろう?」と思うことも多かったから。

ま、こういうわがまま(?)が許されるのも、ベテランだから、ですね。20代30代の前半くらいまでは、ちゃんと参加していました。

ところで、「そうだな」と思う意見もありました。

● 会社呑み、上司呑みに参加することは、「宴席」「会食」のしきたりだのルールだのを学ぶ機会になるだろう。顧客など社外の方との会食も全て参加しないわけには行かないのだから、その時間をどう過ごすか、とか、周囲にどう気を配るかなどを学ぶためにも、若い内は参加したほうがよい。

あるところで、「今日は無礼講で!」と上司が言ったら、新入社員が本当に”無礼講”になってしまい、部長がぷんぷん怒った、という話を耳にしたことがあります。

「大人の呑み方」を学ぶ、ということは大事ではありますね。

さて、皆さんの意見をまとめると、会社呑みは、以下のように進めるとよさそうです。

●強制はしない(参加自体も酒も)
●仕事の話はしない
●愚痴、不満、悪口を言わない
●楽しく盛り上がる
●終電には間に合う時間に解散する
●上司は、少しだけ大目に支払う

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明日(1/11)から~14日、ITProサイト上で、かの芦屋広太さんとの対談が4日連続で掲載されます。

春から、掛け合い連載を開始する予定です。そのための前哨戦のようなもの。

2011年1月8日土曜日

旧ブログ記事:中年には中年の存在価値(2011年1月8日掲載)

今月誕生日が来ると、定年まであと干支一回りだけ、という、まあ、そういう年齢になりました。

ヒューマンスキルの仕事を始めたのが27歳くらいだったので、「早く30代になりたい!」と思っていました。だから、30代になるのはとても嬉しく、40になった時も「あ、いいなあ」と思っていましたが、あと2年で50歳・・・。これには、さすがに自分で驚いています。

子供のころ、「50歳って凄く大人!」と思っていましたが、近づいてくると、「たいしたことはない」と実感。だれもがそう思っているに違いないと信じてますが、はたして、皆さんはいかがですか?(年相応に生きているという自信、あるのだろうか?他の方は・・・)

徹夜は若いころからほぼした事はありませんが、今では「絶対に」できないこととなりました。
記憶力なんて、「記憶力って、えっと、それ、食べるものですか?」というくらいのレベルです。人の名前がまず本当に覚えられない。(さすがに、まだ自分の名前は分かってますが)

身体は、同窓生と比べても結構鍛えている方だとは思うので、どこかが具体的に衰えているわけではないけれど、それでも「経年変化」は沢山ある。

で、今日は、別に「衰えた」とか「無理が利かない」という話をしたいわけではなく、ですね。

これからの12年ってのは、「経験がある人間としての価値」をより一層打ち出していくべきかと考えているのです。

「え、そんなの当然じゃん」と先輩諸氏からは指摘されそうですが、年女としての1年の始め、「中年ならではの生きてきた長さ分の特徴を売りにすんべ」と思った次第です。

今年は、お客様先に出向く仕事が増やします。(研修講師としてではなく、ヒアリングや提案など顧客と直にお話する時間をこれまで以上に持つことにします。)

仮にも「人材育成の現場に25年」います。ヒューマンスキルを手がけるようになってからでも20年です。

その蓄積、現場の声、多くの方と接し、多くの企業を見てきた中で体験し、体感したことは、企業を超えて、職種を超えて普遍的な要素も多々あるはず。

先日もある場所で、「あ、なるほど。それはお困りですよねぇ。でも、たったひとつ●●をするだけでも、相当状況は改善するはずです、経験上」と申し上げたら、「え?そんなことだけでも?それは思いつかなかった」と言われたことがありました。

そんなわけで、この年末年始、つらつら考えていたことは・・・。

お客様とお話する時、「Yes」というだけではなく、「そういう考えもあるけれど、こういう考えもありますよ」と、もっと堂々と言っていく1年にしていこう、ということです。否定する、のではなく、「提案」です。

これまでももちろん、していたことですが、そこをちと強く意識して行動する1年に、と。

そこが、体力や記憶力ではない部分で勝負することができること。

中年は中年なりの存在意義を考え、行動していきますよっ!

働く多くの人たちがよりハッピーな1年になりますように。

私も、「はっぴーな1年だった」とこの年末に思えるよう、そのために自分ができることを精一杯やっていきます。

2011年1月7日金曜日

旧ブログ記事:「添削」をしてはいけない(2011年1月7日掲載)

「新入社員や若手の文章力を何とかしたい」
「日報や週報を見ていると、間違った漢字ならまだしも、存在しない漢字(もどき)がたくさん書いてある」
「字だけではない。表現もなんだかおかしい」
「とにかく、日本人として、ちゃんとした日本語を書かせたい」

・・・・といった話をよく聞きます。

そのことを人事部や配属先の上司・先輩がどう対応しているか、というと、

●一生懸命、赤ペン先生をしてあげている・・・というケースが非常に多いのですね。

「この字とこの字が間違っている」と二重線を引き、正しい漢字を書き添えてやる。
「この言い回しはこうしたほうがよい」と赤で上から書き直してしまう。

さあ、こういう「真っ赤っか」な添削済みの文章を戻された部下・後輩はどうするでしょう?

「ここを直せばいいのね」と、機械的に手を動かし、文章を置き換えてしまう。文字を修正してしまう。
この時、脳みそは、ほとんど使っていない。ただ、作業として直すだけ。

・・・・

これを繰り返すとこうなります。

●添削してあげる上司や先輩の日本語力、文章力は向上する
●添削された部下や後輩の日本語力、文章力は向上しない

だから、「添削」をしてはいけないのです。

急いでいる時、締め切り間近な時は仕方ありませんが、そうではなく、部下や後輩を育てたい、彼ら・彼女らの日本語力や文章力を向上させたい、と願うのであれば、心を鬼にして、ぐっとこらえて、我慢して、直してはいけない。

単に
●「○付いたところ、字が違うと思うので、調べて直してね」
●「線を引いた箇所は、論理的ではないので、文脈を見直してね」
と言って返します。

あるいは、
●「・・・と書いてあるけれど、その理由は?」
●「その論拠は?」
などと突っ込んでいきます。

それに答えようとしたら、部下や後輩は自分で調べたり、再度考え直したりしなくてはなりません。

多くの方は、ここを間違ってしまう。たぶん、「赤ペン先生」をしてしまうのですね。だから、疲れるし、大変だ、と思ってしまうわけです。

直すのではなく、直させたい箇所を指摘する。そうしたら、徐々に日本語も文章もよくなってきます。

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ついでに言えば、「国語辞典」を持ってこさせましょう。

自席に、自分のバッグに「辞典」が入っていたら、調べることも習慣づきます。
若手を育てるというのは、ちょっとした工夫でできることが多いものです。
上司や先輩が頑張るのではなく、部下や後輩に頑張らせることです。

国語辞典の効用については、「わくわくヒューマンスキル」でも書いています。以下もあわせてご覧ください。

●第35回:「国語辞典」を使っていますか?
http://blog.globalknowledge.co.jp/wakuwaku/ojt/35.html

2011年1月6日木曜日

旧ブログ記事:年賀状をいただいた!(2011年1月6日掲載)

勤務先は、昨日1/5が仕事始めでしたが、私は、昨日1日人間ドックだったため、本日1/6が始業です。

もうすっかり、オフィスは「あけましておめでとう」の気分ではなくなっているところにぽこっと出社したので、朝から普通に仕事しております。

会社宛の年賀状も今朝確認しました。

一枚だけ、「はて?この方はどなただろう?」と思うものが混じっておりました。

中部地方の男性からです。家族のお写真と共に。
なにやら私に対する「感謝の言葉」が手書きで添えられており、

「心当たりがないなあ・・・」

と思って、葉書の端に目をやると、そこには、あるTwitterアカウント名が書いてありました。

「うわっ! @●●●さんだーーーー」

と声を上げそうになりました。(思いとどまりましたが)

私が昨年7月まで1年間続けていた日経BP朝イチメールの読者で、ツイッターでフォローし合っているある男性からのものでした。

読者とのイベントは10月と12月の2回開催したのですが、この方とはまだお会いできていません。でもやり取りはしょっちゅうしています。

たしか、「ぱつぱつパンツ」を「PPP」と省略してくださったのも、彼だったと記憶しています。(違っていたら、ゴメンナサイ)

とても感激しました。

何がって、「お礼をいいたくて年賀状を書いてみた」といった文言があったことにです。

そして、私の拙文、そんな風にお会いしたことのない方たちの心に残ったとそれを伝えてくださるために、会社の住所を調べて、「田中淳子宛」で送ってきてくださった、という行動力に。

感謝したいのは、本当は私のほうです。どこにいらっしゃかわからない読者に向けて1年間文章を書き続けてきましたが、Twitterのおかげで、読者とリアルに交流ができるようになりました。

懲りずに1年間読み続けてくださって、本当にありがとうございます。
(明日にでもお返事書きますので、少々お待ちくださいませ。)

こいつぁ春から縁起がいいやね。

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実は、自宅住所を交換した女性がお一人いらして、その方からの年賀状には、
「田中 La 淳子 様」
と書いてありました。お茶目です。
(私のTwitter名が@TanakaLaJunkoだからですね)

本当にいろいろな方に支えられて生きていますね。

お逢いしたことがある方、まだお逢いしていない方、大勢の方に励まされて生きています。

心から感謝です。


今年もよい1年になりますように♪

====追記(2011年7月2日)=====

その後、件の男性とはリアルにお目にかかりました!

朝イチクラブ名古屋支部会の会合で。

2011年1月5日水曜日

旧ブログ記事:そんなこと「知っているよ」から「やっているよ」へ(2011年1月5日掲載)

講演やセミナー、研修の場で、基本的なことを平易な表現で伝えると

「そんなこと、知ってるよ」

という感想やフィードバックをいただくことがあります。


反対に、ある企業での事例や自分の体験に根ざして話すと、今度は

「それは、あなた・その会社だからできたんでしょう?」
「そんなこと、うちではできませんよ」

といった反応がある場合もあります。


「知っているよ」という場合、では、「やっているか?」「できているか?」というと話は別な気がします。


また、「それはあなた(その会社)だからできたんでしょ?」という場合、本当に、自分にはそれができないか、というとそうでもないような気もします。その事例を参考に自社・自分に当てはめてカスタマイズすればよい、というあるはずです。


他者からの情報を「簡単すぎる、当たり前すぎる」と思うか「難しすぎる、特殊すぎる」と思うかの違いはあれど、どちらの反応も、「自分のこと」として考えてみる、咀嚼してみる、というプロセスを踏んだらまた違う結果になるのでは、と思わなくもありません。


で、今日は、前者「そんなこと知ってるよ、簡単すぎる、当たり前だ」について考えてみたいのです。


「そんなこと知っているよ」
「簡単すぎるよ」
「当たり前だよ」

と思った時、では、

「それを実践しているか?」
「やってみたことはあるのか?」

と考えてみる必要があるのではないか、と。


・・・実は、この正月、「時間管理」に関する資料を読んでいました。

そこにはたとえば、こんなことが書いてあったのです。

●「仕事が飛び込んできたら、その場ですぐにスケジュール帳に書き込め」

●「スケジュール管理は全て同じツールで行え」


・・・

読んだ時、「え?それだけ?その程度のことにこんなにページを割いているの?」と一瞬思ってしまいました。「もっと難しいこと、とか、すぐ効果の出る方法を紹介しないの?」と。


そう思った数秒後、はた、とわが身を反省しました。


『自分が上記をやっているか?と言ったら、そもそもそれすらやってないじゃないか』

と。


あ、そういうことか。


自分だって同じだ。「そんなのわかっているよ」「知っているよ」と、簡単(と思える)な内容を提示されたら、なんとなく否定してしまう。

だけれど、行動しているか、と言ったら、やってないのだ。


「知っている」と「やっている」は全然違うのに、なぜか、すぐ「知っているよ」と思ってしまう。もっと難しいこととか即効性のあることを期待してしまう。


でも、たいがいのことは、「ごくごく当たり前の小さなこと」から構成されていて、「当たり前の小さな、誰もが頭ではわかっていること」を積み重ねることで、仕事の効率を上げたり、他者との関係を改善したりすることができるんですよね。


・・・・・・



「そんなの知っているよ」と思った時、「それをやっているか」を再度自問自答してみる必要があるのだなあ、と思い至ったのでした。


もちろん、自戒を込めて、です。


=========


ダイエットしてます。Twitterをご覧になっている方は、なんとなくお分かりかと思いますが(笑)、秋口から、私にはありえないほどの会食をこなしていたら、とんでもない状況になりまして。

(通常、私は年間でも5回くらいしか会食することがないのに、年末だけで10回くらいありまして・・当然、太るわけですね)


「摂取カロリーを減らす」
「消費カロリーを増やす」


これ、ごくごく当たり前の2大原則です。


まさに、「知ってるよ」なのです。

が、

「やってるよ」

にはなかなかならない。

でも、そうも言っていられないので、1/2に自宅に戻り次第、「断酒」「通常量の食事」「運動」の3つをきちんとこなしてみたら、すぐに1.5キロくらいは落ちました。たった3日。

まだ減らさないといけませんが、

「知ってるよ」と思うダイエットの王道・原則を

「やってるよ」と胸を張って言えるよう、今日も明日もがんばります。


目標は誕生日までに、あと1.5キロ減です。

2週間しかありませんが、会食予定も入っていませんし、達成できる自信があります!(まあ、見ててください。)



「知っているよ」から「やっているよ」へ。


大事なことだなーとシミジミ思っております。

2011年1月1日土曜日

旧ブログ記事:2011年、明けましておめでとうございます!(2011年1月1日掲載)

2011年1月1日。

明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

東京以外は大荒れの空模様だそうですが、東京は、窓際に座っていると焦げそうなくらいの冬の日差しです。猫でなくても、丸くなってお昼寝したくなるような・・・。

30日から実家(東京都町田市)に来ていますが、入れ替わりで甥っ子たちは、父ちゃん側の実家に移動したため、この正月は、両親と私という静かなものとなりました。

おせち料理も簡単にしか作らず、ま、形だけ口に入ればいいかなーといったところです。

私はこの3月末で、「人材育成に携わって丸25年」になります。勤続25年でもあります。社会人生活25年でもあります。

要するに、「会社員になって、人材育成の仕事について、ずーっとそれを続けて25年」ってことです。(夫婦だったら、銀婚式ものですね。)

年女ですし、60歳定年だとすれば、干支があと一回りするまでのたった12年。案外短いようにも思います。しゃんとして生きていかなければ。

中年特有のいろんな体調変化、身体変化もなんとなく感じるようになっていますし、まずは、体力、身体作りかな。

健全な精神は健全な身体に・・・だと思うので。

勤務先では、新年度に備えて、新しい研修を開発したり、既存のテキストの改訂も計画していたりしますので、新入社員研修が始まる4月までは、全速力で走ることになりそうです。

また、1月から、日経BP社ITProサイト上で、「芦屋広太さんとの対談記事」が掲載されます。それをきっかけとして、3月くらいから、芦屋さんと掛け合い連載も企画されています。

「朝イチメール」で、かなり軽いエッセイを1年書いてきたので、「まじめ・硬い路線」にうまく戻れるか、一抹の不安がありますが、早く勘を取り戻し、皆様のお役に立つ文章をお届けしたいと思います。

なにはともあれ、今年もよい年になりますように。

お正月に何か本でも読みたいなーと思ったら、是非、私の新作エッセイ『コミュニケーションのびっくり箱』をよろしくお願いします。

iPad/iPhone/iPod touchでダウンロード可能です。450円。

山本小鉄さんへの追悼文を追加収録しました。小鉄さんの温かい人柄が伝わってきた、というメッセージをTwitter上で沢山頂戴しました。

ご家族に承諾は得たものの、公表するのに多少の躊躇がありましたが、プロデューサーM氏(日経BP社朝イチメール担当者)が、「淳子さん、これは多くの方に読んでいただきたい文章だ」と太鼓判を押してくださったので、思い切って掲載していただきました。

天国の小鉄さんも、たぶん、喜んでくださっていることと思います。

多くの皆様のお目に留まりますように。
『コミュニケーションのびっくり箱』(田中淳子著:日経BPストア)
ダウンロードはこちら ⇒ http://bit.ly/gXkfcT