講演やセミナー、研修の場で、基本的なことを平易な表現で伝えると
「そんなこと、知ってるよ」
という感想やフィードバックをいただくことがあります。
反対に、ある企業での事例や自分の体験に根ざして話すと、今度は
「それは、あなた・その会社だからできたんでしょう?」
「そんなこと、うちではできませんよ」
といった反応がある場合もあります。
「知っているよ」という場合、では、「やっているか?」「できているか?」というと話は別な気がします。
また、「それはあなた(その会社)だからできたんでしょ?」という場合、本当に、自分にはそれができないか、というとそうでもないような気もします。その事例を参考に自社・自分に当てはめてカスタマイズすればよい、というあるはずです。
他者からの情報を「簡単すぎる、当たり前すぎる」と思うか「難しすぎる、特殊すぎる」と思うかの違いはあれど、どちらの反応も、「自分のこと」として考えてみる、咀嚼してみる、というプロセスを踏んだらまた違う結果になるのでは、と思わなくもありません。
で、今日は、前者「そんなこと知ってるよ、簡単すぎる、当たり前だ」について考えてみたいのです。
「そんなこと知っているよ」
「簡単すぎるよ」
「当たり前だよ」
と思った時、では、
「それを実践しているか?」
「やってみたことはあるのか?」
と考えてみる必要があるのではないか、と。
・・・実は、この正月、「時間管理」に関する資料を読んでいました。
そこにはたとえば、こんなことが書いてあったのです。
●「仕事が飛び込んできたら、その場ですぐにスケジュール帳に書き込め」
●「スケジュール管理は全て同じツールで行え」
・・・
読んだ時、「え?それだけ?その程度のことにこんなにページを割いているの?」と一瞬思ってしまいました。「もっと難しいこと、とか、すぐ効果の出る方法を紹介しないの?」と。
そう思った数秒後、はた、とわが身を反省しました。
『自分が上記をやっているか?と言ったら、そもそもそれすらやってないじゃないか』
と。
あ、そういうことか。
自分だって同じだ。「そんなのわかっているよ」「知っているよ」と、簡単(と思える)な内容を提示されたら、なんとなく否定してしまう。
だけれど、行動しているか、と言ったら、やってないのだ。
「知っている」と「やっている」は全然違うのに、なぜか、すぐ「知っているよ」と思ってしまう。もっと難しいこととか即効性のあることを期待してしまう。
でも、たいがいのことは、「ごくごく当たり前の小さなこと」から構成されていて、「当たり前の小さな、誰もが頭ではわかっていること」を積み重ねることで、仕事の効率を上げたり、他者との関係を改善したりすることができるんですよね。
・・・・・・
「そんなの知っているよ」と思った時、「それをやっているか」を再度自問自答してみる必要があるのだなあ、と思い至ったのでした。
もちろん、自戒を込めて、です。
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ダイエットしてます。Twitterをご覧になっている方は、なんとなくお分かりかと思いますが(笑)、秋口から、私にはありえないほどの会食をこなしていたら、とんでもない状況になりまして。
(通常、私は年間でも5回くらいしか会食することがないのに、年末だけで10回くらいありまして・・当然、太るわけですね)
「摂取カロリーを減らす」
「消費カロリーを増やす」
これ、ごくごく当たり前の2大原則です。
まさに、「知ってるよ」なのです。
が、
「やってるよ」
にはなかなかならない。
でも、そうも言っていられないので、1/2に自宅に戻り次第、「断酒」「通常量の食事」「運動」の3つをきちんとこなしてみたら、すぐに1.5キロくらいは落ちました。たった3日。
まだ減らさないといけませんが、
「知ってるよ」と思うダイエットの王道・原則を
「やってるよ」と胸を張って言えるよう、今日も明日もがんばります。
目標は誕生日までに、あと1.5キロ減です。
2週間しかありませんが、会食予定も入っていませんし、達成できる自信があります!(まあ、見ててください。)
「知っているよ」から「やっているよ」へ。
大事なことだなーとシミジミ思っております。
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