2011年1月18日火曜日

老眼談義。

昨日から「リーダーシップ」研修(公開講座)を担当しています。

めずらしく20代~50代という幅広い受講者層になりました。(通常は2-30代)

休憩時間、ある方が、「老眼」の話をし始めたので、私も「そうそう、45歳過ぎたらてきめんですよね。私は近視なので、めがねはずせば、近いところは見えるのですが」と応じると、「ボクもそう。めがねだから、1日中、かけたり、はずしたり、本当にメンドクサイ」と。

脇で少し若い世代が「え?ボクも近視ですが、老眼にならないと思っていたら、そんなことないんですか?安心してたのに」とおっしゃるので、

「目がよかった同期よりは確かに老眼の自覚は遅かったけれど、遅かれ早かれ来ますよ」にやり、と伝えました。

さらにそこにいた20代の方。

「ぜんぜん、想像が付かない」とぽつり。

そりゃ当然ですよね。わかります。

それで思い出しました。わたしもかつて「老眼」のことも「体力がもたない」などという年長者の発言をちーっとも理解できないばかりか、想像すらできなかったことを。

「このExcelの文字が見えないって、どういうこと?」
「テキストの、こんなにはっきり書いてある活字が見えないって、どんな感じ?」
「そんなに体力が落ちるものなの?」などなど。

若いというのは時に残酷で、「自分ができる」ことを「他人ができない」と、全く理解不能に陥ることがあります。(いや、想像力豊かな若者もいるでしょうが)

今、老眼になってみて、体力も落ち始めてみて、記憶力など「それ、食べるものですか?」というほどのものになってみて、かつて自分が年長者に対して、ずいぶんと非礼なことをしたり、配慮のないことをしていたのかも知れないなあ、と思い至るわけです。

ところで、よくこんな風に言いませんか?

「上司や先輩は、今どきの若者のことをもっと理解してやらねばいけない」
「年長者のころとは時代が違うのだから、今の20代30代のあれこれをもっと受け入れてあげよう」

こんな風に、いつでも「世代間ギャップ」については、「上」が「下」を「理解し、受容しよう」という論調になっている気がします。

しかし、逆もまたありなのではないかと。

「若者は、年長者のことをもっと理解してやらねばならない」
「若い人たちは、若者とは肉体的にも経年変化が訪れている年長者のあれこれをもっと受け入れてあげよう」

・・・。

やたらと、「若者を理解し、受容しよう」という声ばかりが聞こえる気がするのですが、おじさんだって、おばさんだって理解してほしい。

小さな数字と文字の羅列で構成されたExcelを見たくないわけではない。単に、見えないだけだ!

徹夜上等!という年代もあったけれど、もはや無理なのだ。

そんなことしたら、翌日どうなるかわからない。いや、真面目にいえば、命かかってしまうこともある。

・・・・

というわけで、今日、お伝えしたかったことは、

「世代間の理解」というのは、「若者を年長者が理解する」だけではなく、「年長者を若者が理解する」という側面も必要だ、

ということでした。

理解、というか、「そういうこともあるんだなあ」という「想像力をもった受容」とかな。

(なんとなく、「朝イチメール」風になってしまいました。)

0 件のコメント:

コメントを投稿