たいていは、新入社員や2年・3年次の育成・指導に当たるOJT担当者の、たとえば、育てるノウハウ、教えるコツといったことを演習を交えながら学ぶワークショップ型の研修スタイルです。
この研修の中で、ほんの少しではあるものの「コーチング」についても紹介し、簡単な体験もしていただきます。
「目標の明確化」「現状把握」「課題の定義」「活動計画案」「意思の確認」という5つのステップに沿った質問をあらかじめ書いておいた「コーチング体験シート」を配布し、それに沿って相手をコーチングしていくものです。
本来、どんな質問をするかも自分で考えたほうがよいのですし、考えておいてもその場その場で流動的に変化させていくことも重要ですが、いかんせんそれがメインの研修ではないので、こういう「ショートカットした」方法をとっています。
ま、それはさておき。
この演習をすると、よくこういうことが起こります。
【OJT担当者と新入社員であるトレーニーとの会話例】
OJT担当者:「この職場で、どんなことに挑戦してみたいの?」
トレーニー: 「具体的な仕事のイメージはまだ持てていないのですが、1年後には”後輩の育成を任せる”と言われるような存在になっていたいです」
OJT担当者:「あ、じゃ、今の俺みたいな立場になりたいわけね」
トレーニー: 「はい、できれば」
OJT担当者:「それじゃあ、仕事も勉強も頑張んないとね。」
トレーニー: 「はい、頑張ります」
OJT担当者:「で、今はどんなことを勉強しているの?」
トレーニー: 「今週は、学習に当てていい、と課長からお許しを得たので、新入社員研修のテキストを見ながら復習をしています」
OJT担当者:「復習しているのか。復習は重要だね。折角、時間を与えられたんだから、それを無駄にせず、効率よく勉強しないとね。でも、テキストだけじゃなくて、実際にプログラミングしてみたり、いろいろ実践的に復習したほうがいいと思うよ。俺も最初はテキストを読み返すというスタイルでやっていたけど、だいたい記憶に残らなかったからさあ。プログラミングするっていうのはどう?やってる?」
トレーニー: 「あ、そこまで考えていませんでした。でも、確かにそうですね。プログラミングもしてみます」
OJT担当者:「他にも、そうだなあ・・・。そうそう、勉強会をしているグループがあるので、それに参加してみたら?俺が紹介してやってもいいし」
トレーニー:「じゃ、お願いします」
OJT担当者:「わかった。じゃ、がんばれよ!新人!」
トレーニー: 「はい、ありがとうございます」
・・・・・・・・・
OJT担当者は、コーチングをしているつもりなのだけれど、よくよく聴いてみると、トレーニーに考えさせる時間よりも、コーチングをしているOJT担当者側が考え、自分の答えを与えている時間の方が長いのです。
でも、頭では、「コーチングは質問を中心としたコミュニケーション。相手に問いかけないと」という考えはあるので、「こういうやり方があると思うけど、どう?」「●●をやってみたら?」と巧妙に最後は「?(疑問符)」で終わる会話をする。だから、自分は「ちゃんとコーチングをやっている」という気になってしまう。
かたや、トレーニーは、コーチングもティーチングも区別して先輩と話しているわけではないので、「あぁ、先輩はそういう方法ととったのか。じゃあ、そうやってみようかなあ」「先輩が教えてくださったのだから、そういうもんかなぁ」と何となく聴いてしまう。
本当に実行に移すかどうかは別としても、「こうしてみては?」と言われれば、とりあえずは、「はい、ありがとうございます。やってみます」と反応する。
こんな風に先輩が、後輩の代わりに答えを考え、与えてしまうことを繰り返しているうちに、「答えは与えられるものだ」「先輩が教えてくれる方法をやってみなければ」と刷り込まれていくんじゃないか、と最近思うようになりました。
自分が、後輩の「思考するチャンス」を奪っているにも関わらず、先輩は、しばらくすると「今年の新入社員って自分で考えないんだよねぇ」「指示を待ってばかりいるんだよねぇ」と嘆くようになってくることもあります。
トレーニーが「考えない」「言われたこと以上をしない」と思った時、「そうさせているのは自分ではないか」と一度、胸に手を当ててよく考えてみる必要があります。
いや、そんなことはないよ、私は、ちゃんと考えさせている!とおっしゃる方もいることでしょう。
が、こういう質問もよく受けるのです。
「コーチングで考えさせるのはわかりました。でも、相手が明らかに間違った答えを言ったとき、それをただしてはいけないんですか?」
中には、「ゼロか一か」というくらいに明確な答えが存在するものもあるでしょうが、全てにおいて「明らかに間違った」と言い切れるかどうか、まず疑問です。
本当にOJT担当者自身の考えが正しいのか、自分のやり方が唯一の答えなのか、ということもやはり考えてみるべきじゃないかと思います。
未熟(に見える)な後輩には、先輩として手を差し伸べたくなる。教えたくなる。
でも、ちょっと待って。「その一言が相手を指示待ちにしていないだろうか?」をたまに立ち止まって考えてみる必要はあるのです。
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