2010年11月25日木曜日

旧ブログ記事:「着ぐるみ」をたくさん持つってのもいいと思う(2010年11月25日掲載)

もう20年近く同じことをあちこちで書き、しゃべり、しているので、「あ、その話はもう聴いたよ」と言う方もいらっしゃるかも知れませんが、今日のテーマは「着ぐるみ」です。

仕事していると、なんだかもうとてつもなくツライ思いとか理不尽な体験とかココロが折れそうになる出来事とか、あれやこれやと押し寄せてくると思います。

それに対する「鈍感力」を身につける、というのもひとつの手ですが、あまりに鈍感すぎて、反省すべき部分もスルーするってのもよくない。

そこで、取り出しましたのは、「着ぐるみ」。

たとえば、私の場合、教室の中では「講師」という「着ぐるみ」を着る。

仮に、受講者に厳しいことを言われても、それは「着ぐるみを着た講師」としての私が引き受ける。
反省すべきは反省し、対応すべきは対応し、でも、それ以上でもそれ以下でもない。
オフィスに戻ったら、「講師の着ぐるみ」を脱ぐ。
そうしたら、少し気分が楽になれる。

この仕事を始めて25年。もう何万人もの受講者と出会いました。楽しいこともツライことも切ないことも嬉しいことも、たくさんありました。これからもまだまだあることでしょう。

多くの後輩が数年でこの現場を立ち去る場面も見てきました。

立ち去る理由は様々でしたが、うまく「着ぐるみ」を着られなかった後輩も多々いました。

教室でとても厳しいことを言われる。たとえば、「あなたの言っていることは間違っている!」などと大声で指摘されることもある。あるいは、「現場のこと、ぜんぜんわかっていませんね、今日の講師は」とアンケートに書かれることもある。

それを全身全霊で受け止めて、それも、生の、素の自分として受け止めて、金曜の夜になっても、土曜になっても、日曜になっても忘れられない。

反省することは必要だけれど、いつまでも悲しさや、場合によっては恐怖の気持ちが消えない。それだけではなく、自信を失っていく。

こんな私が、こんなボクが講師なんてしていていいのか、と思ってしまう。
反省が前向きに活用されるのであればいいのだけれど、ただただ疲弊していく。

そして、ある日、「向いていないみたいなので、やはり・・」とか「切ないので、ここでは・・」といってこの場を去る。

ああ、彼、彼女が「着ぐるみ」の術を知っていたら、とこちらもとても切ない思いを味わうのです。

講師としての「着ぐるみ」だけではありません。

「上司としての着ぐるみ」「先輩としての着ぐるみ」「学生としての着ぐるみ」・・・その場その場でいろいろな着ぐるみがあるはず。

それをその時々で使い分けていくことができたら、もっと楽に生きていけるような気がします。

・・・こんな話を以前、講習で漏らしたところ、

「え?じゃあ、田中さんのこの2日間は、全部演技だったんですか?」と真顔で問われたことがありますが、「演技」というのとは違うのです。

演技ではなく、「着ぐるみ」。「役割」と身にまとうような。

楽しいことは全身全霊で受け止めてもいいけれど、ツライことは全身全霊で受け止めるのではなくて、その時の「着ぐるみ」に吸収させてしまう。

・・・それが長く仕事を続けるコツかも知れません。

新入社員も入社して8ヶ月。まだまだツライことが多いと思いますが、「新入社員の着ぐるみ」「SEの着ぐるみ」とその時々で使い分け、上手に乗り越えていって欲しいなぁ、と思います。

仕事って、嫌なこととかツライこととか、もう、やってらんない!と思うことも多々あるかも知れないけれど、「禍福はあざなえる縄のごとし」とも言うように、案外、楽しいこと、はっぴーなこともまたたくさんあるもんですよ。

===========

誰も信じてくれませんが、極端な人見知りです。というか、かなり内向的です。ついでに言えば、「引きこもり体質」です。(土日誰にも会わなくて、ぜんぜん平気!)

じゃあ、どうして講師をしているのか?といわれると、それはちゃんと出来ます。「講師」という着ぐるみを着たらスイッチが入るからです。

仕事上での会食もぜんぜん問題なくできます。

が、ことプライベートで食事とか対面・・というようなケースは、本当にダメです。緊張してしまい、自分の振る舞い方がすぐに見出せない。

だいたいが挙動不審になります。そういう場面での「着ぐるみ」をまた考える必要があるかも知れません(笑)。

0 件のコメント:

コメントを投稿