2009年8月31日月曜日

旧ブログ記事:相手のテリトリに近づく(2009年8月31日掲載)

あるリーダーさんがこんな話をしてくださいました。

「メンバとのコミュニケーションがなかなか取れない。意識はしているんだけど、つい忙しくて。何でも相談してね、どんなことでも気安く話してね、とは言うのだけれども、やっぱり、メンバはそうそうやってきてくれない。これは、こっちから近づいていったほうがいいんじゃないか、と思い、メンバの席まで行って雑談を始めてみた。軽い雑談(たとえば、今日だったら、「昨日、投票行った?」とか「台風、接近しているね」とか)から。雑談だけでもいいから、接点を増やそう、と思ったまでのことだったんだけれど、こちらから相手の席に出向くと、 メンバが、”あ、いいところに来てくれた。ついでに聞きたいことがあるんですけど””そうそう、ついでだから、相談に乗ってもらってもいいですか?” と言うようになった。 」

彼女が気づいたのは、以下のことだそうです。

「自分のテリトリーに近づいてくる人とは、人は気楽に話をするもんだ」
「リーダーとして自席にどんと座っているのではなく、こっちから相手の席にどんどん近づいていくとよいみたい」

部下やメンバにしてみたら、 「わざわざ行くほどのことでもないけど、話ができたらしてみたい」程度の話題が沢山あって、そこへ、運よく!?上司やリーダーが来て、声をかけてくれたら、「今だ!」と
と思って、相談したり、話したりするのでしょう。

部下が相談に来てくれない。メンバのホウレンソウが遅い。 とお嘆きの皆様。

「こちらから、相手のテリトリに入っていく」を試してみるのも面白いかも知れません。

2009年8月30日日曜日

旧ブログ記事:「ベイビーフェイス」を再定義(2009年8月30日掲載)

甥っ子は生後3ヶ月で、やっと4000gを超え、「ぷくぷくの赤ちゃん」(世間でよく見かける赤ちゃん)になってきました。

身近に新生児を見たことがなかったので、知らなかったのですが、生まれたては、ふにゃふにゃで、腕も足も皺だらけなのですね。

2ヶ月早く生まれたので、退院してきた時点でも2500gでしたからきゃしゃで壊れそうで、最初は抱っこするのも怖いくらい。

今は、全ての皺がなくなり、手首は輪ゴムをはめたよう。太ももなどは、体の大きさと比較したら、横綱時代の若乃花(お兄ちゃん)のよう。あごは、二重どころか五重くらいに。

「力士でこういう顔のひといるよね」とママ(妹)に言うと「うーん、誰かは、わからないけど、このまま成長したら、山本山になりそうだ」と。

Baby雑誌をみると、たいていのBabyがお相撲さんみたいにパンパンで、ってことは、「赤ちゃんがお相撲さんに似ている」とも言えるが、裏を返せば、「お相撲さんは、ベイビーフェイス」とも言えるのじゃないか。

なんてことを言っていたら、

ママ(妹)が「生まれたては、ガッツ石松に似ているよ。どの子も。隣のベッドにいたBabyは、訪ねてきたパパに『ガッツ君』と呼ばれていた」「この子も泣くと松尾伴内みたいだし、赤ちゃんのことを書いたエッセイでも”ガッツ石松”とか ”松尾伴内”という表現が出てくる。それはどうなの?」などと言うわけです。

「それも、子供がガッツ石松に似ているともいえるけど、ガッツ石松も松尾伴内もベイビーフェイスと捉えることもできるんじゃない?」 とくだらない理屈を展開してみたものの、 つまらなそうに「ふーん」と返事されました。

わかったような、わからないような。

ベイビーフェイス、というと、かわいらしいものを表わしますが、実際に赤ちゃんを見ていると、力士とかガッツ石松とか松尾伴内の顔にそっくりな場面が多いわけで(全身に力を入れて泣く時、何か身をよじっている時など)、

彼らも、また、ベイビーフェイスと言っても過言ではないのでは、と思うのでありました。

2009年8月29日土曜日

旧ブログ記事:「どうしてそう思ったの?」(2009年8月29日掲載)

「リーダーシップ強化ワークショップ」と名づけた、アクションラーニング形式の研修プログラムがあります。1回研修を受けて、自分で立てた目標を実践しつつ、1ヵ月後に再集合。成果を報告し、共有したり、新しい課題の解決を議論したりする、というものです。

●実務の課題をテーブルに乗せて議論し、
●活動計画を立てて、
●それを実践し、
●成果を持ち、再集合、
という部分が通常の研修と異なります。

成果を持ち帰ってくる、再集合のクラスで伺う話は、とても興味深いものが多いのです。私たち、ファシリテータ側も勉強になることが沢山あります。

あるリーダーさん。

何でも指示命令していたけど、それだけじゃダメだなと思い、メンバの意見や考えを訊いてみよう、と決意した。

メンバが相談や報告にやってくる。 いつもは、「あ、それは、こうして、ああして」と話の途中でも指示していた。

だけれど、必ず、「どうしてそう思ったの?」と聴くようにした。

「どうしてそう思ったの?」などと訊かれることのなかったメンバは、そこで初めて考え、頭の中にあるものを言葉にしようと努力し始める。

答えが出てきたら、さらに「で、どうしてそう思ったの?」と尋ねる。

また、考える・・・。

それを繰り返している内に、メンバが「あ!わかりました。どうやればいいか。思いつきました」 などと、晴れやかな表情で席に戻っていくようになった。

自分は、何も教えていないのに・・。ただ、「どうしてそう思ったの?」と尋ねただけなのに。

そういうことが、1ヶ月の実践期間で何度もあった。
いままで、何でも細かく指示したり、”答え”を与えたりしていたけれど、メンバに考えさせてみたら、 たいていのことは、メンバ自身が答えを持っていて、それを思いつく力もあるんだとわかった。

・・・・
この話をしてくださったリーダーさんは、30代前半。まだ新任リーダーという立場でした。

何かをやってみることも大事だけれど、そこから何を捉え、何を気づくか、それをどう考え、どんな風に次に生かすか。自分のこととして捉えるアンテナの感度は大切なんだなー、と、色々な報告を聴きながら、私もまた多くを学ぶのでした。

2009年8月28日金曜日

旧ブログ記事:「這(は)えば立て立てば歩めの親心」(2009年8月28日掲載)

とあるOJT担当者研修を担当した時のこと。2003年の初夏でした。

その企業では、この年、人事部が主導し「OJT制度」が発足しました。OJT担当者に任命された大半が、2年次3年次の若手社員。いずれも「後輩の育成(成長サポート)は、ほぼ初めて」という方たちでした。

何かの話からか、「次々チャレンジさせるには」「ハードルはどこまで上げればいいのか」といった議論になりました。

私が、「這えば立て 立てば歩めの 親心、って言いますよね。あれもできたら、これも。これもできたら、次はあれ、と育てる側は、焦ってしまう部分もあると思います。」 とコメントしたら、クラス全体(50人くらい)が、きょとぉ~ん、という雰囲気に。

「あれ?這えば立て・・・って聞いたことないですか?」 と尋ねると、ほぼ全員が首を横に振りました。

そうか、知らないか。聞いたこと、ないか。
ま、それはいいとして。

後輩の成長支援をしていると、ついつい、「這えば立て、立てば歩めの 親心」的なジョブアサインをしたり、叱咤激励をしてしまうことがあります。

ストレッチ目標(=背伸び目標)、という言葉もあるくらいなので、「次はこれ、調整してみよっか」と目標を上げていくのが悪いわけではないでしょうが、行き過ぎると、伸びきったゴム、みたいになるのかも。

今の若手は、私たちが若手だったころと比べ、「すぐ結果を出せ」「早く成長しろ」と無言のプレッシャーが大きいはず。(世の中が「のんびり成長」を許してくれないような状況でもありますし)

でも、誰もが「ハジメちゃん」(*バカボンの弟、赤ちゃんなのに新聞を読む) にはなれない。

這えば立て、立てば歩め・・・ばかりでなく、這えば立て、立てばまた這え、行ったり来たりしているうちにぼちぼち歩んでみてもええんでないの? くらいの気持ちの余裕を持つことができたら、と思うのです。

2009年8月27日木曜日

旧ブログ記事:靴は大丈夫ですか?(2009年8月27日掲載)

左右、全く異なる靴を履いて来た同僚が、私が把握しているだけで、過去3人いる。一人は、厳密に言うと上司だった。(20年くらい前の出来事) 残り2人は、後輩である。(奇しくも、この2人は同期同士。そういう年代なのか?)

この後輩のうち、一人の男性は、ランチタイム後、先輩から「おい、お前の靴、それでいいの?」 と言われ、「ああ、店出る時に、他の人の靴と履き間違えた」と一瞬思ったものの、ランチした店は、座敷ではないことを思い出し、「家からずっと履き間違えてきたのだ」と気づいたのだそう。

午前中、ずーっと左右異なる靴で仕事をしていた訳だ。

3人もそんな人々がいる会社(厳密に言うと、全てDEC時代の出来事である)はどうなのか?大丈夫なのか?

・・・・・

話変わるが、3年ほど前の出来事。

ある企業のOJT担当者研修を担当した。

ランチ前くらいの時間に「新入社員を育成する際の方針」などを話し合うワークをしていただいている最中のこと。

突然、ひとつのグループで、何かすごく盛り上がり始めた。

「どうかしましたか?」 と近づいていって尋ねると、「田中さん、こいつ、左右、全然違う靴を履いてるんですよ」 という声が。

見れば、一人の男性(20代)が、 

●右足・・・黒い革靴
●左足・・・ブルーのカジュアルなスニーカー

と、全く異なる靴でコーディネートされていた。 服装は、しっかりと、ビジネススーツ。

私は、過去3回も身近で似た出来事を経験していたので、 盛り上がる参加者をよそに、 「はい、よくあることですね」 と落ち着いてとコメントすることができた。

件の彼は、ランチタイムに靴を買いに走った。
どんなことでも、体験済みであれば、冷静に、落ち着いて対応できるのだ。

過去の上司、今でも近くに座っている同僚などに感謝である。

2009年8月26日水曜日

旧ブログ記事:奇病列伝(2)(2009年8月26日掲載)

今朝の「朝イチメール」は、「マリオさんのOJT」(日経BPさんとビデオ製作をした時の思い出)がテーマでしたが、(何ヶ月も前に出した原稿なので、掲載されて初めて「お、この週はこれか」と自分でも懐かしく思う)その時の、全く別の体験をば。

2005年。

グローバルナレッジのオフィスを借りた撮影が1月中旬の土曜日朝8時から翌朝6時まで。(一旦帰宅。シャワー浴びて、仮眠)

まだロケが残っていたので、再度日曜11時くらいに再集合して、さらに月曜朝6時まで続く、という、過酷な撮影スケジュール。全部付き合ったので、私も、ほぼ2晩徹夜をしたのでした。

その後も音声の編集などで、2月に半徹夜が1回。

そんなこんながいろいろあって、その後全ての作業が終わりかけたころ。 2005年3月中旬の日曜日。

朝、目覚めると、なにやら、目の前の景色がおかしい。

TVをつけてみる。TVの画面に映る人々がゆがんで見える。

いや、人々だけでなく、TVの四角い枠自体がくねくねゆがんでいる。

ん?

目をつぶり、再度、開ける。

ゆがんで見えるだけでなく、中心に黒い空洞があるようにすら見える。

あれ?どっちの目?

右・・ゆがむ。
左・・・正常。

あ、右目が変なのね。

しかし、変って、何がどうなったのか?

・・・・

脳の病気?

翌月曜日、眼科へ。

診断は、 「中心性漿液性脈絡網膜症(ちゅうしんせいしょうえきせいみゃくらくもうまくしょう)」 (長っ!)、略して、「中心性網膜症」。

網膜に穴が開いて水が漏れた状態になっている・・・とか、そんな話だったような。

治療法は、「漢方を飲む」だけ(レーザーで手術する手もあったのですが、焼き切ったところに暗点が残るからお薦めしない、と医師に言われました)。

3月発症。7月に穴がふさがるまで、全治4ヶ月。
過度のストレス(精神的ストレスではなく、肉体的なストレス)による場合が多いとのこと。 撮影による2日連続の徹夜が原因と思われます。 (なんせ、人生で徹夜したことがほとんどなかったので、身体が慣れていない)

景色が全部ゆがんでいる世界というのは、なんともいえないものでした。

人の顔は、水中で見ているようですし(誰もがピカソの登場人物みたいに見える)、横断歩道とかエスカレーターとか、全部ぐにゅっと曲がって見えるし、その上、真ん中は、黒く見えなくなっているし、(目をつぶっても、この●だけは、ずっと見えるし)

右目と左目で見える色も異なるので、今自分が見ている色がわからないし、暗澹たる気持ちになった・・・数ヶ月でした。(しかも、外からは、何の異変もないので、誰にも理解されず、同情もされず。「景色が全てゆがんで見えます」と訴えても、「全然わからない」と同僚には言われる始末。)

自然治癒狙いに近い治療方針だったので、時間かかりましたが、これが5月くらいから自分でもわかるくらいに、「開いた穴がふさがっていく」=黒い点が小さくなっていくのを実感。

現時点で完治。ただし、再発の可能性がある、というので、半年に1回くらい眼底検査を受けています。

徹夜仕事をあなどるなかれ。

なお、この病気は、どの情報を見ても、「30代~50代の働き盛りの”男性”がなりやすい」(いいのか?わたし・・・) そうです。

奇病列伝、その2でした。

2009年8月25日火曜日

旧ブログ記事:いろいろな人が書いてます(2009年8月25日掲載)

日経BPモバイル ケイタイ朝イチメールが始まって1ヶ月ちょっと経ちました。

たまに感想をいただくことがあります。読まれているのかな?よく分からないけれど。

さて、どんな人が書いているのか、を一覧にしてみました。別に日経BPさんに頼まれたわけじゃないんだけれど。なんとなく、興味があって。

それぞれにブログか何かをお持ちなのでした。そして、 それぞれにカラーがあって、面白い!です。


●月曜日:平本あきおさん  【ピークパフォーマンス通信】

●火曜日:カトラーさん  【Katolerのマーケティング言論】

●水曜日:田中淳子(わたし) 【ヒューマン・スキルの道具箱】

●木曜日:仲森智博さん  【思索の副作用】

●金曜日:いせなゆかさん  【東京見聞録@キコク目線!online!】

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初回に「呼称は最年少を基準に」などと書いたためか、母がわたしを「おばちゃん」と呼ぶようになりました。私は、あなたの娘であって、おばちゃん、じゃないんだけれど。(田中家は、今、全て生後3ヶ月のBaby中心に回っております。)

先週の「質問への答え方」で”浮気”の話を書いたら、同僚の横山哲也(このブログによくコメントしてくれる)が「それで、本当に浮気がばれた人、知ってるよ」と言ってました。 あるんだー。

2009年8月24日月曜日

旧ブログ記事:IT業界を選んだ訳(2009年8月24日掲載)

4-5年前に出会った、あるIT企業の「SE」の卵さん。男性。

「なぜ、IT業界を選んだか」を満面の笑顔で教えてくださった。

「コンピュータって、世の中のあらゆるところに関わっているじゃないですか。日常生活でも仕事でも、意識しない場所にまで・・。ってことは、コンピュータに関わるということは、世の中の仕組みとか動きに自分が関わるということかなあと思って。そういう凄い仕事って、いいなあ、と思ったので、迷わず、IT業界を選びました。そういう仕事に就くための勉強だと思うと、新人研修も毎日楽しくて!」

4-5年前と言えば、既に「3K」だの「なんとかK」だのと、自虐的に言われ始めていた時期で、IT業界の不人気?なんてNEWSもちらほら・・。人事の方は、採用に苦慮している、とよくこぼされていた時期でもある。

目を輝かせて、「世の中全てに関わる仕事だから」と言った彼は、その後も大活躍だと風の便りで聞いた。

新入社員の時から、「自分の仕事」と「世の中の関わり」とを考えているなんて凄い。そういう風に意識が高いと、仕事の見え方もずいぶんと変わってくるのだろうなあ。

「物事の捉え方」がモチベーションにも大きく影響するのだ、ということを彼は教えてくれた気がする。

旧ブログ記事:「仕事より大切なもの」(2009年8月24日)

「腐ったみかん」つながりで、全く別の時、全く異なる人に言われた言葉を思い出してしまいました。

それは、「仕事より大切なものはあるの?」 という問いかけです。

何年前だったか、もう、忘れましたが、直属上司(→今は在籍していない)に、突然、真顔で言われました。

びっくりしたの、何の。

「あたしと、仕事とどっちが大事なのぉ!?!?キィーっ」 とコイビトに詰め寄られる男子、という図柄を頭に思い浮かべましたよ。(凄くステレオタイプな想像だけれど)

その時の答えは、『仕事より大切なものはあるに決まっているでしょう。仕事より大切なもの、あなたにはないのでしょうか?』でしたが、(心で思っただけで、口には出さず)その後、「ワークライフバランス」という言葉も流行り始め、「そりゃそーだよね」と納得したものです。

まあ、「仕事より大切か」「仕事より大切じゃないか」という比べ方ではなく、「ワーク」「ライフ」のバランスを取ればいい、ということなんだろうと思うのだけれど。

「仕事は大切だ」だけど、他にも大切なものは沢山あるぞ、たとえば・・・と、今なら答えるかなあ・・・。

2009年8月22日土曜日

旧ブログ記事:腐ったミカン(2009年8月22日掲載)

新人の頃、とてもマジメだった私。入社1年目は、「取っていいよ」と言われた夏休みすら2日間しか取らず、とにかく、出勤し続けた。

冬に入り、軽く風邪を引いたものの、熱があるわけでもなく、ただ鼻水、咳、喉の痛み、といった症状だったため、それでも出勤し続けていた。

ただ、はたから見ると、明らかに「風邪を引いている人間」であったので、風邪を引いた3日目くらいに、グループリーダーから「今日は帰っていいよ」と言われてしまった。

ところが、何度も言うが、当時、超!がつくほどのマジメだった私は、「いえ、このくらい、大丈夫です。仕事に差し障りないですし」と帰宅を拒否した。

今なら、「え?帰っていいですか?それなら、これで」と、ほいほい帰宅してしまうだろうが、とにかく、「休むことは罪悪」と思っていた新人だったのである。

「帰宅していいよ」という言葉をかたくなに拒絶していたら、とうとう、リーダーがこう言った。

「あのさ、田中さんの体調を心配しているんじゃなくて、そんな風に派手に風邪引いていると、周りにうつったりするかも知れないでしょ。ほら、よく、”腐ったみかん”は排除しろ、と言うじゃない。だからさ、帰って」

・・・・・

ああ、「金八先生」以来だ。「腐ったみかん」っていう言葉を聴くのは。

ナマで「腐ったみかん」を口にする人に、はじめて出会った。

『そうか、私は、今、腐ったみかんなのだ。自分が大丈夫と言い張っている場合じゃないのだ。ここは職場だから、周りにうつさない、ということもお仕事のウチなのだ。』 と悟り、素直に帰宅した。

会社というのは、自分の都合だけで生きていてはいけないのだな、自分がガンバレばいい、という論理だけで進むものじゃないのだな、と、新人の私は、学んだのであった。

2009年8月21日金曜日

旧ブログ記事:参加者同士の交流(2009年8月21日掲載)

ヒューマン・スキルの研修では、ディスカッションやグループワークなどがある関係で、参加者同士、かなり親しくなることがあります。

すると、自然に「今後も連絡を取り合いましょう」とか、「クラス会(同窓会)をしましょう」とか、そんな風に縁が続くケースもあるようです。(参加者同士のクラス会です。)

そんなこんなで、皆さん同士自主的に「まずは、名刺交換を」となることもあるのですが、

その際、「あ!名刺忘れた!」「普段、名刺交換しないので、持ち歩く習慣がなくて・・」とおっしゃる方も案外多いのです。

公開コースの場合、いろいろな企業のいろいろな立場の方と知り合えるチャンスでもあります。積極的に名刺交換を、とは申しませんが、名刺はお持ちになったほうがよいようです。

長くても5日間の研修で、一生の友に出会えることは少ないと思いますが、他社の方との、利害を超えた交流の機会は、めったに得られないものです。

「折角知り合えたのに・・・」と後悔しないよう、ぜひ。

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夕べ(2009/8/20木)22時からのTBSラジオ「アクセス」という番組に、プロレスラーの山本小鉄さんがゲスト出演されていたので、自宅でずーっと聴いていました。(ストリーミング配信をしていたので、PCで他の作業をしながら、聴きました。)

番組の途中からは、リスナーからのTEL相談に答える、というコーナーになったのですが、人間関係で悩んでいるという声に、小鉄さんが真摯に回答。

その中で必ず、「○○さん、それを丁寧に言ってますか?偉そうに言ってはダメですよ。年上でも年下でも、相手に丁寧に言うことが大切です」とおっしゃっていて、ああ、なるほどな、と思ったのでした。

実は、小鉄さんとはちょっとした知り合いで、親子ほど年の離れた私にもいつも必ず「ですます」でお話ししてくださいます。

「田中さんは、今、忙しいんですか?」とか「田中さんの仕事は、出張は多いんですか?」のように。

「忙しいの?」「出張は多いの?」でもいいと思うのに、です。

昨日のラジオでの回答を聴いていて、 「誰とでも丁寧に話す」というのは、小鉄さんの信念だったのだな、と改めて納得しました。

そういえば、以前、ここで紹介したご本にサインをいただいた時も、「思いやり」と大きく書いてくださいましたっけ。

2009年8月14日金曜日

旧ブログ記事:お盆は脱力系で。(2009年8月14日掲載)

お盆ですし、金曜日ですし、電車もオフィスも空いていますし、デパートもガラガラですし、なんだか暑いですし、今日もまた、「脱力系」の話題で参ります。

【ケース1】 とある新入社員
ある企業の方からお聞きした話。ある日、トラブル対応で職場中の上司、先輩が大童(おおわらわ)になっていた。何をしたらいいかわからず、ぼーっと自席に座ったままの新入社員に気づいた隣のグループの先輩が声をかける。

「おい、先輩たちが忙しそうにしているんだから、キミも応援に行って来い!」
「え、応援ですか?はい、わかりましたっ!」

・・・・・・

ほんの数分で自席に戻ってきた新人クン。

「あれ?もう片付いたのか?」
「はい、先輩たちの席に行って”頑張ってくださーい”と言ってきました」
「その応援じゃないだろー」

作り話とお思いでしょうが、実話なんだそうです。 人事の方が現場を回ってヒアリングした時に出てきた話とか。

おぬし、なかなかやるのぉ。落語やね。

ケース2】 鍵が・・・

同僚が、血相を変えて受付に走ってきたそうだ。

「●●部屋のドアの鍵、貸してください」
「え?●●部屋ですか?」
「そうなんです。鍵が掛かっていて、開かないんです」
「ええー、●●部屋の鍵って受付では見たことないです。総務部にはあるかなあ」
「困るんです、これからこの部屋でコースするんですから」
「まあ、どうしましょう?」

・・・・

「ん?ちょっと待ってください。●●部屋ですよね」
「そうです。鍵がかかっていて、開かないんです」
「一緒に行って、見てみましょうか」
「ええ、見てくださいよ」
・・・とことこ・・・

・・・・・・とことこ・・・

・・・・数十メートル歩く・・・とことこ・・・・

ガラガラっ。
「ほら、開きましたよ」
「げげーっ!引き戸だったんだぁ・・・。押しても開かないから、鍵掛かっているとばかり思った」

・・・ってあなた、このオフィスが出来た時から、あの扉はずーっと引き戸でしたよ。引き戸は押しても開きませんって。

【ケース3】 読み方

デジカメデータを実家のPCで印刷しようとデータを持っていった。 私が作業をしようとすると、父が脇で、あれやこれやと指示しようと見張っている。

私がこれかな?と「写真編集ソフト」と思しきアイコンを適当に操作したら、印刷に失敗。

我慢しきれず、父はこう言った。

「淳子、ズーム・ボンバーズを使えばいいんだよ!」
「ん?ズーム・ボンバーズ?なにそれ?」
「そこにあるだろ、ズーム・ボンバーズ」とアイコンを指差す父。
・・・・・

お父さん、それ、「ズーム・ブラウザ(Zoom Browser)」と読むと思うよ。写真編集ソフトであった。 ボンバーズ、ボンバーズ・・・・・。

ま、ボンバーズでもいいじゃないか。

2009年8月12日水曜日

旧ブログ記事:「○○星人」って・・・・絶句・・・【追記あり】(2009年8月12日掲載)

もう10年以上も前のことになるけれど、研修で出向いた先で体験した忘れられない出来事がある。

ある企業で2泊3日のコミュニケーション研修を東京と大阪の2箇所で複数回実施していた。(対象者は入社10年目くらい。)中堅からベテランへと移行しようという時期に、今一度「顧客とのコミュニケーションを見直してほしい」というのが会社側の意図であった。

この合宿研修、最初の頃は、担当者が必ず終日在席してくださったのだが、回を重ねていくうちに朝夕だけ、などとなっていた。

そして、ある回、とうとう朝からどなたもいらっしゃらない、という事態になった。

どうも、メインの事務局が東京にあって、大阪支社の同じ部署の方に「当日の立ち上げは見届けてください」と連絡があったそうなのだが、代行を依頼された大阪の担当者さんが都合により来場されなかったのだ。(会場は、宿泊もできる研修専用の郊外の施設で、先方側が手配していた)

朝フロントで受け取ったメモには「お手数ですが、田中さんのほうで開始しておいてください」とあった。「勝手知ったる・・」という意味で任せてくださったのだろう。

さて、こういう日に限って、「あ゛ーーーーーー」と思うような出来事が起こるものである。

12-3人くらいの参加者(全員男性)が関西圏から集まってきていた。研修の開始時は、椅子だけで円陣になり、アイスブレーキングをした後、軽く自己紹介をしていただこうとしたその時・・。

最初の男性が、むすっとした顔で自分の名前をおっしゃった。それに続いて、口から出てきた言葉は以下のようなものである。

「あのぉ、オレ達、こんな研修受けたくないんですけど」・・・ん?
「さっき、ロビーで全員で話し合ってたんですけど、こんなの受けたくないんですよ」・・・んん?
「意味ないし。大体、オレ達、10年もこの仕事やってきて、それなりに現場で頑張っているわけだし、今更、コミュニケーションなんてやってられないですよ。」・・・んんん?
「なるほど、皆様で話し合って、そういう風な話になっているのですね」(とりあえず、まずは、傾聴)
「入社した時だとか2年目、3年目って、散々こういうの受けさせられて、嫌な思いを沢山したんです。だから、30も過ぎているし、もういいです。同じ研修ですよね。」
「なるほど。沢山受けられたのですね。・・ええと、同じ研修・・・たぶん、当社が担当したのではないと思うのですが、詳細をお聞きしてもよろしいですか?」

聴けばこういうお話だった。

若手だったころ、コミュニケーション研修を沢山受けさせられた。その研修は、サービスエンジニアである彼らの接客や説明の仕方などを練習を繰り返して学ぶスタイルだった。

講師が顧客役をやって、ひとり一人が講師の前で挨拶したり、プレゼンをしたりする。 どうしても、しどろもどろになったり、「えー」「えー」と無駄な言葉を連発したりしてしまう。

すると、講師が、「あなたは、『えーえー星人ですね。えーえー星人で決定です』と断定し、『えーえー星人の○○さん、はい、やり直し』など言うのだそうだ。

さらに、「はい、ダメ!もう一回」「全然ダメですね。えーえー星人なだけじゃなくて、もごもご星人ですね」などとどんどんあだ名をつけられる。

若い時だったので、まだ我慢はできたが、あれをまたやられるかと思うと、堪えられない。 だから、もうこの研修は受けたくない。

・・・。

聴いていて、切なくなった。

「○○星人」と命名したり、「ダメです、はい、やり直し」などと強く命令したりするスタイルを私たちはとっていない。当然、これは、どこかよその研修会社が提供したプログラムである。

彼らは10年近く経っても、その時受けた傷が癒えていないのだ。 研修を受けて、心が傷つくなんてことがあってはならない。

講師だけでなく、参加者も大人である。大人として対等ではないか。 なぜ、偉そうに上から目線で「○○星人」などと名づけたりするのだろう? 講師はそんなに偉いのか?(いや、断じて、偉くなんかない!)

この話を聴いて、私は以下の説明をした。

1.お聞きした研修を提供した企業と、当社(グローバルナレッジ)は別モノであること。私たちは、「成人学習の原理原則」(オトナの学び)を基本にして研修を進めること
2.演習もフィードバックもあるし、参加者同士でのフィードバックだけでなく、講師からもフィードバックはするが、それは、「よい点を指摘」することと「こんな風にするとよりよくなると思われる」と提案するスタイルであること。何よりもご本人の気づきを重視していること
3.それでも抵抗のある演習があれば、スキップしてもよいこと(見ているだけでも勉強にはなるので)

そして、最後に提案を2つ。

1.とりあえず、午前中、ここで「違う企業の違うスタイルの研修である」ことを体験していただけないか?
2.それでもどうしてもいやだ、抵抗がある、と言う場合は、私の一存で帰ってよい、とは言えないので、それぞれの方が上司に連絡を取り、退出するかどうか判断していただきたい。

・・・

ここまでで30分以上を費やした。まだ、1人目の自己紹介の途中であった。

一人がポツリとおっしゃる。 
「じゃあ、とりあえず、午前中はここにいます」 
「ありがとうございます。では、自己紹介を続けましょう・・」

最終的には、全員が3日目の最後まで参加してくださった。 表情も和らぎ、最後には、「ありがとう!色々学ぶところがあった、気づきがあった」と言って笑顔でお帰りになった。

・・・・・・・・

企業の研修というのは、「オトナの学びの場」のひとつだ。(「星人」の話も昨日書いた「神聖化」と根っこが同じかも知れない。)

私自身がまず、そのことに対して、ぶれない態度をもちたいと思う。

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【追記 ~ 2009年8月12日15時30分 ~】

「よく落ち着いて対応できましたね」と感想を頂戴しました。が、このとき、内心、「逃げたい」とも思いましたし、本当に心臓が口から飛び出そうなほど、ドキドキしました。

男性全員が怒った顔をしていて、しかも、椅子にまっすぐ座らず、横向きにかけていらっしゃったのです。その威圧感といったらそりゃ凄いもので。

泣きそうなほどのバクバク・ドキドキでしたが、いかんせん、相談すべき担当者不在。なんとかせねば。こうなったら、「話聞くしかないな」と腹をくくったわけです。

最後までドキドキしてました。だから、10年以上経った今も忘れられないのです。

2009年8月11日火曜日

旧ブログ記事:研修は神聖なものか?(2009年8月11日掲載)

10年ちょっと前に(今は在席していない)上司(50代)から、「研修というのは、神聖なもの。教室で水を飲むなんて、我慢すればいい。だって、1時間に1回は休憩も取るんでしょ。」と言われたことがある。

その時は私もまだ30代前半の若造(私が、です)だったので、「そういうもんかな。20歳以上年上の人が言うのだから、そういうもんかな。」と、簡単に納得してしまったのだが、よく考えたら、この話、今は違和感がある。

なんだか「思い込んだら試練の道をぉ♪」の世界を彷彿とさせる。

「教室を神聖視する」あるいは、「研修を神聖なものと扱う」もしかすると、「講師を偉い人と考える」などということ、全てが、「自由な学習」「自律した学習」を阻害している気がする。

私はこれまでに3回渡米し、合計5クラス(14日間)を受講したことがある。いずれも主に米国人と一緒の受講である。

これらに参加して感じたことは、いくつかある。

第一に
★ アメリカの研修は、”自由”だ!  
受講者の服装が自由である。講師もなんだか自由である。受講者は、ラウンジにあるコーヒーやドーナツなどを手に手に入ってきて、それを机に直接(アメリカ人なので)置いたりして、かじりながら参加している。

休憩時間でなくても、講義中でも、コーヒーを取りに一旦外に出たり、ととにもかくにも、とても自由なのだ。

発言も自由である。「質問は?」と促さなくても気になったことはどんどん質問する。 質問だけではなく、他の参加者の発言に、「私はこう思う」とすかさず意見を述べる。

第二に
★受講者が自己管理をきちんとしている(自己管理できる環境にしてある)
あるいは、講義中眠くなったのか、突然立ち上がり、視界の邪魔にならないよう、端の席の机に寄りかかって聴いたりしている。動き回っている人もいる。 講師は全く気にしていない。他の受講者も。全てのクラスで「居眠りしていた」受講者はゼロである。「眠くならないわけ」はないのだが、「立ち上がる」「歩き回る」と自己管理をしているのだ。

さて、冒頭の話。

「研修は神聖なものである」という定義から生まれるものは何か。

歩き回るのはNG。おとなしく座っていないのはNG。自由な発言もNG。ということにはならないだろうか。

「研修は、学びの場である」「学びの場は、自由にのびのびと自律的に活用していただけるのが最も望ましい」と私は思っている。

アメリカをまねて、
●音楽を流してみている
●キャンディーを用意している
「形」からだけれど、「神聖」なものじゃない、「神聖」な場所じゃない、 を伝えたい。

その代わり、参加者にも「遠慮せず発言する」「気後れせず挑戦する」など、「自分の成長のために」
場と時間と講師を活用していただきたい、と思う。

2009年8月10日月曜日

旧ブログ記事:「年上の部下」を持ったら・・・(2009年8月10日掲載)

「年上の部下」がいるんですが、どう接したらいいですか?という質問を受けることが多くなりました。

立場・役割としての上司・部下というのと、年齢としての年上・年下というのは、一旦分けて考えるのも手ではないかと思っています。

マネージャになると、急に偉そうな口の聞き方をする人がたまにいます。年上の部下に対しても、呼び捨てにしたり、「クンづけ」したり。あるいは、タメ口以上のラフな言葉遣いをしたり。

そういう人に、部下はついていかないんじゃあないでしょうか。

端で聞いていても、「なぜ、あんな大先輩を呼び捨てしているんだ」と、当人だけでなく、他の部下までがその上司に対して不信感を募らせることもあります。

立場として、言うべきことはきちんと伝える。それは、必要。

だけれど、その時、相手を「さん」づけし、丁寧な言葉(ですます調)で話すことは大切だと思うのです。

「長幼の序」って、やはり、必要なんじゃないでしょうか?

以前、「日経コンピュータ」の増刊号(今年2月発行だったようです)に寄稿した記事に、「マネージャは、地位ではなく、役割である。」と書いたら、賛同してくださる声がありました。

「マネージャ」は、「偉い人」なんじゃなくて、「マネージメントをするという役割を担っている人」だと思うのです。

2009年8月9日日曜日

旧ブログ記事:「朝イチメール」を送っているのは?(2009年8月9日掲載)

隣の席に座っている同僚が「朝イチメール」をとってくれている。

彼は、入社したばかりなので、奥方に職場について理解してもらうべく、「うちのグループの田中さんという人が、こういうのを書く仕事もしているんだ」と携帯に着信した私のコラムを見せたそうだ。

すると、彼女は、「え、こんなに朝早くからアナタのためにメールを送ってくださるなんて、凄い方ね」
と感心してくださったらしい。

彼は、「メール配信サービス」について説明したものの、理解が得られなかった(携帯ユーザでなければ、意味がわからないのは無理もない)。

さて、2週目、「ほら、今日も届いたよ」と見せると、「毎週忘れず朝7時にメールを送ってくださるなんて、なんて立派な方でしょう。アナタも見習いなさい」 というようなハッパを掛けられてしまったという。

その話を、この「朝イチメール」の大元締めである日経BP社のプロデューサーM氏にしたところ、以下の返事が。

「いや、あれは、Mという人間が毎朝忘れずにせっせと送っているんです、とお伝えください(笑)」と。

実は、田中でもなく、M氏でもなく、平日は毎朝7時にコビトさんがメールを配信しています。

田中のコラムは、水曜日配信です。

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ここのところ、毎週末、実家にて「週末かあさん=別名:おばちゃんお助け隊」をしています。

これから沐浴サポートです。夕べは、夜の寝かしつけ(抱っこで)に初成功し、達成感を味わいました。

どんなことでも、続けていると「熟達」してくるのが我ながら面白い。

2009年8月8日土曜日

旧ブログ記事:カモン・ベイビー!(2009年8月8日掲載)

ベビー服を買いに行った。甥っ子を男前にしよう、という目論見である。

新生児(50センチ)の洋服というのは、ことのほか少ない。

まあ、肌着を着て、くねくねしているか、すやすやしているか、おぎゃーおぎゃーと言っているだけなので、おしゃれの必要もないわけだ。

売っている新生児服は少ないだけでなく、基本が「パステルカラー」。 もうちょっとかっちょいい服、ないかなー。

デパートの上の方の階に行けば、たいてい、子供・ベビー用品フロアがある。

あるブランドで夏物セールをしていた。そこには「5-60センチ」を半額で売っていたのだ。

こりゃ珍しい、と手に取ると、店員さんが近づいてきた。

「新生児で男の子なんですけど、カッコいい服、ないかなーと思って」
「そうですか。もう退院なさってきたんですか」
「ええ、2週間くらい前に。で、男前にしようと思って」
「うふふ、いいですね。こちらは、前開きで、脱ぎ着させやすいですよ。」 

薦められたのは、「Tシャツにつなぎズボンを履いているように見える」仕立てのモード系の服であった。

「おお、これ、いいですね。グレイだし」
「色違いがあります。同じデザインで紺」
「うーん、紺は、おっぱい吐いたりして、汚れ目立つし・・・。どうかな?」
「紺は、人気あるんですよぉ」
「そうですか、確かに、かっこよさ倍増ですけどね」
「ええ、それに紺なら、冠婚葬祭にも大丈夫ですし」
「・・・ん?・・・・カンコンソウサイ・・・?」

ええと、月齢0ヶ月なので、そりゃないと思います。
甥っ子は、5末に生まれたのだが、本来の予定日からすれば、月齢0ヶ月。 生まれたばかりの赤ちゃんである。 「紺なら冠婚葬祭にもOK」って、まあ、ないと思います。

よしんば、そういう機会があったとしても、どんな格好で参列しても許されることでしょう。

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子供・ベビーのフロアを歩き始めたら、まず、ミ●ハウスのロゴが目に入った。そのまま歩みを進めて、上記の買い物へ。

グレイのつなぎ風のカッコいい服。おお、おしゃれ!と思ったので、店員さんに「さすが、ミ●ハウスですね」と言ったら、「こちら、コ●サなんです」と冷静に訂正された。 よく見たら、つながって配置されていたコ●サ・デ・●ードに私は立っていた。

余計なことを言うんじゃなかった。申し訳ない。

コ●サもミ●ハウスもどちらも全部かわいいと思います。はい。

2009年8月6日木曜日

旧ブログ記事:医師の視覚資料は・・・(2009年8月6日掲載)

トレイン・ザ・トレーナー」という、大好きな研修コースがあります。社内向け講師、社外向け講師を養成するための4日間コースです。

私が最初にアメリカから持って帰ってきたものです。このコースには、たとえば、「マイクロソフト認定トレーナーになるために」とか「現場からかり出された新人研修時期専用の臨時講師なので」とか色々な立場、背景の方がいらっしゃいます。民間企業にお勤めの方です。たいていは。

10年くらい前だったか、明らかに雰囲気の異なる男性と女性が席に座っていらっしゃいました。具体的にどこがどう、とは言えないのですが、IT系でもなければ、民間企業にお勤めという雰囲気でもない。

聴けば、男性はお医者さん、女性は看護師さんでした。NPO活動で色々な国に出向いては、医療指導をして回る仕事をしているとのこと。たとえば、三角巾の作り方と使い方、とか、衛生指導、とか。あるいは、包帯の巻き方、とか。

それをキャラバン隊を組んで、町から町へ移動しつつ、地元の方に教えていく活動をなさっているんだそうです。

この研修は3日目に「視聴覚教材の作り方使い方」という章があります。今でしたら、パワーポイントも含めていますが、当時はOHPとか配布資料とかスライドとか8mmとかまあ、様々な視聴覚資料について、見やすい資料の作り方と受講者に役立つ使い方を扱いました。
冒頭で、「皆さんは、どのような視聴覚資料を使いますか?」とお尋ねします。

お医者さんと看護師さん、なんと答えたと思いますか?

しばらく考えてみてください・・・。5秒くらい。











先日、そういうクイズをある場で出したら、こんな答えが返ってきました。

「黒板ですか?」
「板きれ」
「あ、だったら地面?」

・・・全部、ブーです。

この時のお2人が使っているとおっしゃったのは、なんと 「」でした。

大きな白い布に油性ペンで、「三角巾の使い方」「衛生・・」などを図解入りで記載し、それを、木の枝と枝とに結びつけ、青空教室で指導するんだそうです。

「色々試したんですが、紙は破れるし、水に弱い。洗えない。板は重い。持ち運びにくい。布なら、丸めようがたたもうが、リュックに入れてどこへでも持っていけますし、川で洗うこともできる。枝とかどこかに止めちゃえばいいし。で、今は、布に落ち着いているんです。」

「必要は発明の母」と言いますが、この話、とーっても感動してしまいました。

ちなみに、なぜ、新宿で研修を受けられたのか、というと、「一時帰国休暇」があったので、日本に戻ってきたが、時間がもったいないので、その間、勉強しようと思って、インターネットで「講師養成」講座を調べた。グローバルナレッジという会社は知らなかったが、内容が要望と合っていたので、申し込みました。とのこと。

もちろん、自費での参加です。
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公開講座の良さは、このように、「多様性」のある参加者と一緒に学べることだと思います。
IT系講師の方が、こういう医療の教育場面を聞く、医療従事者がIT系講師の方の話を聞く。直接は関係なくても、何かを考えるきっかけが得られたり、自分のものの見方を広げたりすることには役立つはずです。

2009年8月5日水曜日

旧ブログ記事:Learning bar@東大(2009/7/31)参加しました!(2009年8月5日掲載)

Learning bar@東大に行ってきました。(2009年7月31日(金) 東大の福武ホール)

テーマは、「脱「研修屋」宣言!?:内製化時代、みんなで「人材育成の仕事」を考える分析、企画、交渉、そして教育評価まで」

詳細は、ふたたび、主催者中原淳さんのブログを参照させていただくとして・・・。

今回のLearningbarには事前課題がありまして、申し込み時に「人材育成とは○○みたいなものである。なぜなら××だから」を記載することになっていました。当日もそれを名札に書いて胸につける。

左隣の方は、都市銀行にお勤めの方でしたが、「焚き火のようである。人を暖かい気持ちにさせるから」とおっしゃっていました。

右隣の方は、「摩周湖のようである。深く澄み切った気持ちで携わる仕事だから」と。この方は、とある製造業の人事部マネージャさんでした。

私は、「漢方薬みたいなものである」と書きました。それぞれに必要な処方を行い(対象者それぞれにあったカリキュラムやコンテンツを考え提供し)、即効性はないが、じわじわと効く可能性がある一方で、全く効かない人も時にいる。本人が効能を信じる(成長しようという)気持ちが強い時ほど、薬効(育成効果)も高い----。そんな意味です。

ところで、摩周湖のMGRさんがディスカッションタイムに話してくださったことが印象に残りました。

そのメーカーさんは、何年か前に大規模なリストラ(というか、人員削減)を行ったそうです。業績が下降したため、社員の1割くらいを削減。

その時、長年培った技術やノウハウ、伝承されるべき大量の「暗黙知」「形式知」も外部に流出してしまった。

その時、本当にひどいことをしてしまった、と傷つき、反省した経営者たちは、二度とリストラ(人員削減と言う意味の)はしない。この会社は、人とその人が持っている知識や技術が全てなのだ、と悟った。

だから、「人が大事。だから、しっかりと人を育てていこう!」と決意した。

それまでは、研修というと、「出ても出なくてもいいもの」だったし、生産現場にいる方など、「けっ!研修なんて、出ていられるか」と見向きもしない状態でもあったのだが、「リストラはしない。その代わり、人はきちんと育てる。だから、研修をはじめとして育成に関わるイベントは、”任意”ではない、”必須”である」という方針を打ち出した・・・といったお話でした。
★会社も雇用を守るから、
★従業員もきちんとスキルアップ、自身の向上に努めよ
★双方で「コミットしましょう」

ということだと思います。

「摩周湖」と書かれた意味がちょっとわかったような。

「双方がコミットする」ことは、どんな関係においても大切だなあ、と思う今日この頃。

2009年8月3日月曜日

旧ブログ記事:家族に怪しまれました。(2009年8月3日掲載)

2日以上ある研修であれば、宿題を出すようにしています。簡単な宿題です。

「今日学んだスキルを、今から明日この会場に来るまでの間、どなたかを相手に試してみてください」。

道具も要らない。ただ、意思さえあれば、できる。

最近、「コーチング」の研修で、初日に傾聴や共感などを学んだ後、その宿題を出しました。 2日目の朝、「試してみた方?」と手を挙げていただくと、なんと全員が反応してくださいました。

男性。

「家に直帰し、妻を相手に”傾聴”を試してみました。普段は、妻が台所で、ボクがリビングにいて新聞読みながらの会話が多いのですが、”ここに座って”と促し、向き合って話を聴きました」
「いかがでしたか?」
「不審がられました。”なんか気持ち悪い”と言われてしまいました」」
「それで?」
「仕方ないので、研修を受けていて、その宿題なんだ、と説明しました。そうしたら、普段通りでいいわよ、と言われました」

女性。

「私も夫に試しました。普段は、私が一方的にずーっとずーっとしゃべりまくるのですが、昨日は、”仕事の話をして”と促し、聴くモードに入りました。」
「会話は弾みましたか?」
「いいえ、同じように怪しまれました。”何?”と言われました」
「どうしたのですか?」
「事情を説明しました」
「なんとおっしゃってました?」
「ふーん、”その内容をもっと教えて”と言われたので、研修の説明をしました」
「それで?」
「”もっと聞かせて”と言われたのですが、彼、営業なんで、興味あったみたいなんだけど、もったいないので、ちょっとしか話しませんでした」
「なるほど(笑)」

・・・・

研修で外部に出かけると、普段できない「早く帰宅する」が可能になる人が多いのですね。 で、自然と、家族相手にスキルを試すことになる。

試してみると、普段と異なる様子に連れ合いが不審に思う。だけれども、やってみて、その結果をきちんと翌日紹介してくださる。

そういう姿勢は、とても素敵だと思います。

研修は、あくまでもきっかけです。2日とか3日の研修で、人生ががらっと変わることなんてないと思ってます。変わったら、なにやらアブナイですし。

ただ、その”きっかけ”を生かすかどうかで、研修効果はずいぶん変わってくるのだと思います。 

やってみなければ何も変わらない。やってみたって、変わらないかも知れないけれど、やらないよりは、やってみる。

成功とか失敗ではなく、トライすることが大切なんだと思うのです。

宿題を「やってみました!」という声を聴くと、とても嬉しい気持ちになります。

ちなみに、「連れ合い」相手に試すと、たいてい、いぶかしがられる、という結果になりますが、これが、「お子さん」相手だと反応はがらっと変わります。

多くの「子どもに試してみました」事例を総合すると、子どもの場合、「嬉しそうにいつもより沢山話す」とか「普段話さないことまで話してくれる」という反応になるようです。

オトナのほうが、変に知恵が回ってしまうのですね。