驚いたのなんの。私もそれを読んでいたから。私の場合は、GWに帰省していて、持参した本が全部終わり、うろうろ実家内を探索していたら、「処分しようとしている本」の中に発見、母にもらったものだった。
隣の人と、「今、現時点での旬なベストセラー」を読んでいるってのなら別になんとも思わないが、そうじゃなかったグーゼンに驚く。話しかけたくなったけれど、「変な人」と思われるだろうからぐっとこらえた。
そんなわけで「理由」。
「自分がすべきことが終わったら、自分のために残りの勤務時間をどう使おうと自由だ。たとえば、1日分のミッションが終わり、時間が空いたから、資格試験の勉強をするとかさ」
「仕事さえちゃんとしていれば、服装や髪型、アクセサリーも含めた付属品、どんなんだって、別に構わないじゃん」
という、主張があるとする。
「いやあ、それは、ちょっと。組織に所属しているのだから、自分の仕事が終わったら、誰かの手伝いをするとか、せめて、『手伝うことはありますか?』と声をかけるくらいの配慮は欲しいよね。個人事業じゃないんだから」
「服装だって、TPOってのがあって、仕事ができりゃ、何でもいいってこともないでしょ」
という反論をするとする。
すると、
「どうしてダメなんですか?」
「具体的に誰に迷惑がかかっているんですか?」
「誰かを傷つけたり、怒らせたり、損害を与えたりしていますか?」
と、「ダメ」のその「理由」を問われる。
反論された先輩は、
「うぐっ」
とうなって考え込む。
傷つけてはいないか、
怒らせてはいないか、
損害は与えてないか・・・。
ん?
「それじゃあ、なんで、自分のタスクを終えたら、”手伝うことありますか?”って声をかけるほうが、よし、とされるんだろう?」
「どうして、茶髪はいけないんだろう?自由な服装はダメなんだろう?」
と考え始める。
明確な「理由」を述べたつもりでも、「それって、感覚論ですよね」「主観的な話ですよね」などとさらに反論されると、さらに、
「うぐぐっ」
となる。
・・・・・
「ダメなものは、ダメ」と言い切ってしまえる時代もあったかも知れないが、多様性も認めようという現代。
何かを指導するためには、「理由」が必要なのだけれど、どんな背景を持った人にもグーの音も出ないほどの「理由」を見つけるのは、案外難しい。
とうなって考え込む。
傷つけてはいないか、
怒らせてはいないか、
損害は与えてないか・・・。
ん?
「それじゃあ、なんで、自分のタスクを終えたら、”手伝うことありますか?”って声をかけるほうが、よし、とされるんだろう?」
「どうして、茶髪はいけないんだろう?自由な服装はダメなんだろう?」
と考え始める。
明確な「理由」を述べたつもりでも、「それって、感覚論ですよね」「主観的な話ですよね」などとさらに反論されると、さらに、
「うぐぐっ」
となる。
・・・・・
「ダメなものは、ダメ」と言い切ってしまえる時代もあったかも知れないが、多様性も認めようという現代。
何かを指導するためには、「理由」が必要なのだけれど、どんな背景を持った人にもグーの音も出ないほどの「理由」を見つけるのは、案外難しい。
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