2010年5月23日日曜日

旧ブログ記事:岡田斗司夫さんTwitter上「公開読書」(2010年5月23日掲載)

同僚の横山哲也に教えられ、5/22(土)10:00~の「公開読書」というのになんとなく参加してみました。

これは、岡田斗司夫さん(「いつまでもデブと思うなよ」などで有名、というとわかりやすい?)がTwitterを使って、読者?と共に行う勉強会みたいなものです。

昨日のテーマは、内田樹さんの『先生はえらい』(ちくま新書)でした。

Twitter上での読書会って、どういう風に進むのだろう?と不思議な気持ちで画面を眺めていると、しばらくして、「ああ、そういうことか」と状況が飲みこめて来ました。

岡田さんが本の「はじめに」から「1章では」「2章では」と内田樹氏の述べている主旨を短く(なんせ、Twitterですから、1回に140文字しか書けない)紹介します。

時々、「岡田注」といった岡田さんの考えや解釈も入ります。
途中で、読者からの「質問」や「感想」がタイムリーに挟み込まれます。
ただ見ているだけでもいいし、Twitterでコメントをつぶやいてもいいし。

岡田さんは、入力時間も含めてだと思いますが、数分おきに、本のポイントをTwitterで書いていきます。

2時間ちょっとで1冊を読み解き終わりました。そこから、さらに参加していた人たちの多くのコメントが寄せられ、岡田さんからコメントが返ってきます。

「あとは原著を読んでね」と。私も、すぐオンラインで本を注文してしまいました。

・・・Twitterをしていない方には、ちーっともわからない解説かと思いますが、まあ、以上のように進行します。(10日前にTwitterを始めたばかりの私でもわかるものではありました)

それで、この「読書」会で、自分はどういう感じで参加していたかというと。

●主宰?の岡田さんがどんどんと本の主旨を記載していく
●読んでいる私は、「それってどういうことだろう?」と考え始める
●さらに、「私の仕事で言えば、こういうことと同じだな」と考えが深まる
●それをTwitterでコメントとして書こうとすると、文字制限もあるので、より一層深く考える
●勇気を持ってTwitterでコメントを書く
●他の人のコメントも読んでみる
●そこに岡田さんによる、本の説明がさらに続く
●さらに考える、考える、考える

・・・・・

昨日、思いがけず参加してしまったので(Twitterを見ていたらちょうど10時になり、画面上で「公開読書」が始まっちゃったのです)、事前に今回の課題書籍は読んでいませんでした。

それでも、そこに手短にわかりやすく解説されている文を見て、「ああ、そうだなあ」「こういう考えもあるよなあ」「え?どういう意味?」「ああ、そういう風に解釈できるのか」と思考がぐるぐる展開するんですね。

とてもわくわくする体験でした。

「学び」の世界で、「内省」という言葉が流行っています。(流行っている、という言い方が適切かどうかはおいといて、そういうタイトルの本やら記事も沢山見かけますし)

その「内省」は、勝手に一人でぐるぐる自問自答するもの、あり、ですが、他者を介して行うとより学びが深まると言われています。

今回の公開読書は、まさに「深い内省」をするのに役立つもののひとつだなあ、と思ったのです。

私の仕事は、主に、講師業なので、研修の場に置き換えて考えてみると、

●講師が何かを説明する
●受講者は、「自分はどう思うか」「自分だったらどうするか」をぐるぐる考える
●他の受講者の発言から、さらに皆でそれぞれぐるぐる考える
●受講者が発言する
●講師もぐるぐる考える

皆でぐるぐる考えて、どんどん言葉にして口で説明したり、文字や絵で書いたりして、それをまた自分の中に取り込み、消化していく。そんな風に色々な「相互作用」がうまく働くと、いい「学習機会」だったなあ、ということになるのかなと。

これには、講師も受講者も「自分で考える」という覚悟がないとダメだなー。「答えをください」「だから、結局、私はどうすればいいのですか?」と”正解”を求めることが癖づいていると、「皆でぐるぐる考える」が苦痛になるのかも知れません。

「大人が学ぶ」時は、「自分が学びの主体だ」というスタンスが重要なのだ、と改めて思ったのでした。

昨日の「公開読書」を読むには、こちら

次回の「公開読書」は5/29(土)に行われるそうです。

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