2009年5月31日日曜日

旧ブログ記事:現代の「OJT」とは何か(2)(2009年5月31日掲載)

先日は、「OJTの制度化」について説明しました。今日は、その「制度化されたOJT」にどのようなバリエーションがあるかを紹介します。

●OJT期間

「制度化されたOJT」では、専任のOJT担当者がつきます。たいていの場合、新人1人に対して、OJT担当者も1人です。(OJT担当者の呼び方は様々で、メンター、トレーナ、コーチなどがあります。)

この専任担当者が指導する期間は、新卒新入社員の場合は、配属からその翌年の3月末まで、が最も多く、次に2年、3年とあります。

これまで見聞きした中で、最長は3年です。入社してから3年間、OJT担当者がついて指導していくわけです。(担当者自体は、1年ごとに交代する場合もあります。)

最近、OJTは長期化傾向にあるような気がしています。

1年だった企業は2年まで延ばしたり、3年間に延長したり。1年では、「やり残し」感があり、3年で「完全に独り立ちできる」レベルに持っていきたいという思いもあるようです。

●トレーニー:誰が育成される立場か?
どの企業でも共通なのは、新卒新入社員にOJT担当者がつく、ということです。最長3年までOJT期間があるとすれば、2年次社員、3年次社員もトレーニーになります。

さらに、秋採用新卒者、第二新卒者、中途採用者、異動者、職種転換者など、OJTの対象範囲は広がる傾向があります。

人事部・人材開発部門の方は「新卒者」だけに手厚く、中途採用者や異動・職種転換の社員には、きちんと指導をしていないが、同じように「立ち上げ」を支援したほうが、短期で実務能力をつけさせられるのでは?と考え始めているのです。

●OJT担当者:誰がOJT担当者になるか?

各社がOJTの制度化を始めたばかりの頃は、「2年次社員」=つまり、1年先輩がOJT担当者になることが多かったような気がします。

最近は、担当する側の年齢が少しずつ上がってきています。いわゆる中堅、または、ベテランという方たちが新人の指導に当たります。

年齢で言うと20代後半から40代前半くらいまで。これにも色々理由があると思います。

1.2年目社員が1年後輩を教える・・と言う制度には、「共に育って」という意図がありますが、これにより2年目はかなり育つけれど、肝心のトレーニーがあまり育たない、という場合もあるようです。

OJT担当者自身がまだ2年目で「自分もわからないことが多いのに」と戸惑っているからです。

2.中堅・ベテランになると、その辺りの問題はクリアされるので、「仕事もマナーも全てきっちり教えられる」という期待が込められています。

なお、メイン担当を中堅・ベテランが行い、サブとして2-3年目の若手がつく、という体制もあります。年齢が近い人が「ちょっとしたこと(悩み、日常の些細なことなど)」を話すのによかったりするのです。

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「OJTの制度化」は、若手育成のスピードを上げる、教える担当者側も成長する、といった効果は確実に出ているのですが、「制度化」による課題も少々あります。

次(近々)は、その辺りを解説します。

2009年5月30日土曜日

旧ブログ記事:アンケートには色々なことが書いてある(2009年5月30日掲載)

研修後にアンケートをお願いしています。「受講後のフィードバック」を頂戴し、今後の教材開発・改訂や講師スキルの向上、サービス向上などに役立てるためのものです。 マークだけでなく、コメント欄もあります。

そして、そこには、実に様々なことが書かれています。

自分が担当したクラスだけでなく、同僚が担当したクラスのアンケートでも「へぇ」「ほぉ」というコメントをたまに発見します。

20代の頃、5日間のコースを担当したら、そのアンケートに

「3日目の白いスーツが一番似合っていました」

と書いてありました(イラスト入り)。男性受講者でした。

受講者は、講師の頭の先からつま先まで1日中(この場合は、×5日間)見続けるので、服装とかアクセサリーとか、はたまた靴までもよくご覧になっているのです。

「毎日同じネクタイなのですね」と指摘された、おしゃれに無頓着な中年講師もいました。

「講師がイケメンだったので、やる気が高まった」というコメントも見たことがあります。

以前のアンケートに「講習は期待通りでしたか?」という質問項目がありました。マークは、4段階。「確かにそう思う」「そう思う」「そうは思わない」「絶対にそうは思わない」。

ある日、「期待通りでしたか?」に対して、「絶対にそうは思わない」にマークがありました。

「ご不満でも?」と気になり、その下にあるコメントを読むと、こう書かれていました。


期待通りどころか、期待以上だったので」と。


「絶対にそうは思わない」にマークがある場合、それは、「不満」として対応しようとしてしまうのですが、コメントで真意を知ることもあります。

これまた20年ほど前のこと。当時は、DEC(外資系)にいて、クライアントには外国人の受講者もいらっしゃいました。

ある講師(英語が不得意)がどうしても、英語で講義をしなければならず、先方オフィスにて数日の講習を。

アンケートには、

"Instructor's English was improved day by day!"

とのコメントが。


受講者から、「英語が日々上手になっていったよ」と指摘される、って、どうなんでしょうか?

のどかな時代の思い出です。

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アンケートには、できるだけコメントを書いていただけると講師としては嬉しく思います。苦言であっても、です。

マークの意図、意味は、推測しかできませんが、「こういう理由でよかった」「この部分は改善してほしい」と具体的にご指摘いただけると、今後に生かすことができるからです。

2009年5月29日金曜日

旧ブログ記事:コワモテのオジサマ(2009年5月29日掲載)

帰宅途中の地下鉄車内で。ドア付近に窓の方を向いて立つと、50センチほど離れたところには、ドアを背に、車両の中のほうを見て立つ「コワモテ(強面)」のおじ様が。

あたりを睥睨(へいげい)し、誰にともなく、全身で威嚇している、という風情をぷんぷん漂わせている。「あ、目を合わさないようにしよう」とビビるほどであった。

しばらくすると、そのおじ様が、私に向って、なにやら変な顔をし始めた。

コワモテで、変な顔。

ちょっと口を尖らせたり、目を見開いたり。眉間に皺を寄せたり、口をぱっと開けたり。

「わたし、何かまずいことでもしたかしら」と内心どきどきしつつも、そのおじ様の百面相に気づかない振り(視界の端には入るのだが)をして、「次はどの駅かなー」などと表示を見上げてみたりして・・・。

おじ様の百面相はなおも続く。だんだん顔の動きも大きくなる。

「いったい何だ?」「私に文句でもあるのか?」などとますます心臓は高鳴り・・、気もそぞろになっていると、

私の背後から、

「きゃっ」

というBabyの声。

振り返れば、ママに抱かれたBabyが、そのおじ様の百面相に反応して、笑い声を上げていた。

コワモテのおじ様は、私の肩越しに見えた、よそのBabyに向って、パフォーマンスをしていたのだった。

『人は見た目が9割』という本があったが、「人は見かけによらない」とも言えるのである。

2009年5月28日木曜日

旧ブログ記事:「ビミョ~」(2009年5月28日掲載)

「後輩に仕事を教えて、最後に”わかった?”って尋ねたら、”ビミョ~”って言われたんですよ。」  

「その時、●●さんは、どう対応なさったのですか?」

「唖然としちゃって、ウっと黙ってしまったんですけど。田中さん、どう思います?」

「どんな感じで言われたのですか?」

「ただ一言、”ビミョ~”って。」

「え?”ビミョーです”じゃなくて、”ビミョ~”って言ったんですか?”です”もつけずに?」

「・・・ええ、”ビミョ~”とだけ。」

「あ、”です”をつけるかどうか、っていう問題じゃないですよね。”ビミョ~”自体が既に失礼ですよね。すみません。私までおかしくなってしまいました。」


・・・・というわけで、新入社員の思いがけぬ反応に、答えの用意もなく、呆然としてしまうことがあります。


30分くらい経って、あるいは、数時間後の帰宅の途上、反芻しているうちに、やり取りのおかしさに気づき、「あ、なぜ、あの時、あれを看過してしまったのだろう。ちゃんと叱ればよかった」などと思うものの後の祭り。

その場で言わないと効果ないですからね。

想定外の出来事に、即反応するためには、どうすればよいのでしょう?動体視力というのがありますが、動体聴力を高めればよいのかしらん?


*** 追記(2011年5月13日) ***

これは、朝イチメールのモチーフにしたので、「朝イチ」読者の方は、「ああ~」と思うかも、ですね。我ながら懐かしい。

2009年5月27日水曜日

旧ブログ記事:「バカっ!」と言われて(2009年5月27日掲載)

今日は、「独白」です。(また5時に目が覚めちゃいまして) 


新入社員の時、理解が悪かったことは、既に書きましたが、新入社員研修で「C言語」を習っていた時のこと。

printfを使い"Hello,world″を画面に出力するプログラムを書くというごく簡単な演習。

プログラムを実行すると、画面に"Hello,world"と確かに表示されました。講師を務めていた先輩。「ほら、できた。表示された。」と嬉しそうに。

一方、私は、「自分が打ち込んだもの(エディタで)、画面に出たって、当たり前じゃないか。”実行した結果”という意味がわからない。」と、思い悩み、「これ、なんですか?」とソボクな質問を。

●エディタで作ったソース・プログラムを画面に単に表示することと

●プログラムを実行した結果が画面に表示されたこと

この2つの違いが全然わかっていない、という、今思えば、自分で自分に突っ込みを入れたいほどの落ちこぼれよう。

先輩は、あまりのことに驚いたのか、突然、

バカっ!」と教室中に聞こえる声で私に言いました。

・・・・

社会人になって、人前で初めて「バカっ!」と言われることの衝撃。

意思に反して、涙がじわーっと。(その後、この先輩には、研修中と配属先とでさらに2回「バカっ!」と言われました。)


・・・なんて話を遠い目をしながら、つい最近、同僚(30代半ば。男性。講師)にしました。

「そういえば、私が新人のころ、”バカっ”と言われたことがあって・・・。それも3回も」と。

同僚は、「それで淳子さんは、大丈夫だったんですか?」と。

「泣けたけど、次の日もフツウに研修受けていたなあ。休んだりはしなかったなあ。メンタル面が強かったんじゃなくて、なんか、”会社というのはそういうものだ”と思っていたからかなあ。」

「そうかぁ。それにしても、凄いなあ・・・・・。」

「でしょ?フツウ、右も左もわからない新人に”バカっ”なんて言わないよねぇ。」

「いや、そうじゃなくて。ボクは、”バカっ”と言いたくなるような新人にまだ出会ったことがない。凄いなあ。」

・・・・・・・・

そこかっ!?

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同期に優秀な女性がいました。彼女は、私に、「そんなに考えないで、”そーゆうもんだ”と思っていけばいいんだよ」と言いました。

私は、なぜ画面に”Hello”と出てくるのか、やはり、わからず、どんなことでも”そーゆうもんだ”とは思えなかったので、どんどん落ちこぼれていくのでありました。

最終的には、新人11人の中で、どん尻の成績を修める(修めるというのか?)わけですが、そのことが、その後どうなるか、については、また後日、つらつらとコクハクいたします。

*** 追記(2011年5月13日) ***

これを読んでいて、あ!と思ったこと。

「ボクはまだ、”バカ”と言いたくなるような新入社員に出会ったことがない」といった同僚が、この5/1付けで私の直属上司になりました。

すんません。元バカですが、何か? 


2009年5月26日火曜日

旧ブログ記事:現代の「OJT」とは何か(1)(2009年5月26日掲載)

OJTとは何か。数回に分けて解説します。

「今、企業でOJTと呼んでいるもの」についてです。

OJTは、On the Job Trainingの頭文字をつなげたもので、「職場における人材育成」を指します。

その昔、おそらく私が社会人になった80年代ごろは、まだ自然に人が育つ環境だったような気もします。周りが何くれとなく世話をしてくれたし、関係ない部署の人が叱ってもくれたし、顧客も企業を超えて教えてくださったこともあったので、「自然なOJT」が機能していたのではないかと思います。

失われた10年を経て、2000年代に入り、企業によっては、「久々に新人がやってくる!」ということもあり、「どうやって育てよう!?!?」と困惑し始めたのです。

教えるノウハウが、しばらくの採用手控えで継承されなかった。それだけでなく、自然に育てる(育つ)という余裕も現場にはなくなった。マネージャは、プレイヤーとなり、とても新人の面倒を見ているヒマがない。

先輩もしかり。

このままの状態でいたら、新卒者を採用したものの、誰も育てないので、新人が育たない、ということになる。 「育つ土壌じゃない」と見極めた新人自身も早々に転職していってしまう。

そ・こ・で、です。

各社が始めたのが「OJTの制度化」です。「制度化」というのがポイント。

人事部や人材開発部などが旗振り役となって、「自然なOJT」から「制度化されたOJT」へと転換を図り始めたのです。私の感覚からいうと、このムードは2003年ごろ始まった感じがします。

制度化にはいくつかポイントがあります。

● 人事部・人材開発部が旗振り役となる
● 新入社員1人に対し、配属先の各部署で1人の先輩社員をアサインする(これをOJT担当者などと言う)
● OJT期間は、新入社員配属後から翌年3月まで(入社丸1年が経過するまで)がもっとも多い
● 育成計画や育成報告書などのツールを作り、新入社員、OJT担当者、所属長、人事部/人材開発部などがコミュニケーションをはかる

「OJTの制度化」によって、

● 誰が育てるのか、が明確になるため、新人が「放置される」ことはなくなる
● 人事部・人材開発部でも育成の成り行きを追っていくことが可能となる

などのメリットがあります。「OJT」が見えるようになってくるのです。


さらに、

●新卒新入社員の立ち上げが早くなるだけでなく、
●「OJT担当者」の成長著しい

という副産物もあります。

「OJTは機能していない」と言われることがありますが、これは、<従来の>という冠をつけたほうがいいように思います。

なんとなく誰もが寄ってたかって育てていた、そういうのどかな時代の職場における人育てはあくまでも<従来の>OJTです。

今は、「誰がいつまでにどうやって育成するか」をきちんと決めて運営する。「制度化されたOJT」とは、こういったものなのです。

次回は、「制度化されたOJT」のバリエーションについて解説します。

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こういう制度が発足すると、初年度は賛否両論が飛び交って、現場が少々混乱することがあります。

特に「心理的抵抗」が大きいようです。

4-50代の方がおっしゃるのは、たいてい「俺たちはこんなに大事に丁寧に育ててもらわなかった」
「今の若手には甘いのではないか」といった言葉です。 (気持ちはわかる)

そのあたりについても、次回以降、解説します。

2009年5月24日日曜日

旧ブログ記事:誰だってやっている言いまつがい。(2009年5月24日掲載)

土日も6時には起きる田中です。365日、いつも変わらず、早起きです。(しかも目覚ましなし、自然に目が覚める。若い頃からなので、年を取ったからではない!) 

起き抜けにTVをつけたらちょうどNEWSをやってまして、 

アナウンサーが 

「....の確認が感染されました。」 

と言っていました。 


確認感染」・・・。 


それで思い出したのが、この局の朝の情報番組で女性アナウンサーが言っていたこと。 (もう数年前の出来事だけれど) 

「私、頭が偏平足なので、帽子似合わないんです。」 

⇒ それを言うなら、「絶壁」だろう。 

「このイベントは、技術のワクを集めたもので・・・」 

⇒ それを言うなら、技術の粋(すい)だろう。 (ま、枠と粋、似ているが) 

・・・・・・・・

うちの若手営業と社内で打ち合わせをしていた時のこと。 

「今、研修の提案に肉詰めをしているところです。」 

「ふーん、それって、ピーマン?」 

「ピーマンって、なんすか?」 

「肉詰めって言ったから、ピーマンに?」 

「え?あ、え?ああ、え?」 

「肉づけ、じゃないの?」 

「あ、そうか。」 

・・・・ たまに、こういう風にからかうので、後輩には嫌われます。はい。 

そういう私も以前ITの講師をしていた頃、「三角関数」の説明時に、ずーっと「三角関係」と連呼していて、講義終了後に気づいたことがあります。 

「この三角関係の引数には・・・」って、どんな引数が入るのだろうか。 


*** 追記(2011年5月13日) ***


この記事、新型インフルエンザで日本中がパニックだった頃ですね。もう2年経つのですね、あれから。

2009年5月23日土曜日

旧ブログ記事:クイズ:左のヒトのセリフを考えてください。(2009年5月23日掲載)

『ピクトさんの本』(内海 慶一 著、BNN新社、2007)を読んだ。世界中のピクトグラムを集め、分類し、解説したもの。

ピクトグラム、一番身近なのが、非常口のマークで、「今まさに逃げようとしている人」と言えば、「あ、あれね」とわかると思う。この本では、世界中のピクトさんを集め、どれだけひどい目にあっているかを、ピクトさんへの愛情を込めて説明している。

時に挟まり、時に頭上から何かが落ちてきて、時には感電もしている。まっさかさまに転落したり。(オビには、「ああ可哀想な人。自己犠牲にもほどがある。」とある。)

その勢いで、今度は、『街角のオジギビト』(とり・みき 著、筑摩書房、2006)も手に入れた。

オビギビトは、工事現場などで「ご迷惑をおかけします」などという文字とともに頭を下げている、主に男性のイラストのことである。これまた、世界各国から集めたオジギビトを分類、解説している。

(ところで、もう覚えている人も少ないと思うが、漫才師の「春日三球・照代」さん(「地下鉄漫才」で有名)の三球さんは、「工事現場の看板の人はこんな風にオジギするんだ」といって頭を斜めにかしげるポーズをとる、という別ネタも持っていた。元祖「オジギビト」ウォッチャーだったわけだ。)

もとい、

この本によると、オジギビトにも色々な流派があって、劇画タッチだったり、モデルポーズで立っていたり、礼儀正しくオジギしていたり、ヘルメットをかぶっていたり、手に持っていたり・・・。

ピクトさんと違って、オジギビトは、「発生場所」を書く意味がない、とあった。工事が終われば撤去されてしまうので。なるほど。

赤瀬川原平氏などが活動している「路上観察学会」というのがあるが、ピクトさんにしてもオジギビトにしても、その一派で、特定のモノ(ヒトか?)を集中的に観察、収集、研究する、というものだろう。

こういう目のつけ方を知ると、街を歩く時、楽しみがひとつ増える。

さて、私もこんな「オジギビト」を発見した。



上記の著にも見当たらなかったタイプで、「新発見」に嬉しくなって、翌日カメラ持参で再度出かけ直したくらいだ。

この二人、子どもみたいだし、お詫びしている様子ないし、なにやら二人の世界があるような気がする。 左のヒトは内股で、右のヒトは外股で立っているのも妙に気になる。

左のヒトは、右のヒトに何かを言っているように思えるのだが、どんなセリフが適切だろう。考えたのが以下のものだ(同僚にもアイディアをいただいた)。

1.頭痛いの?
2.泣かないで。
3.前髪、揃えたんだぁ。別におかしくないよ。
4.え、前にもつむじがあるの?どれ、見せて。
5.こいつがやりました。
6.君は謝らなくていいよ。
7.なんでやねん(べしっ!)。

皆さんだったら、どんな台詞を入れますか?

暑い1日、ビールでも飲みながらご家族一緒に考えてみてください。

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ブログを始めて50日以上経ちました。研修でお邪魔した先でせっせと宣伝して、少しずつアクセス数が増えてきました。感想をメールで頂戴する機会もまた増えました。ありがとうございます。

最初は、週1程度で、と考えていましたが、色々ネタもあるので、なんとなく頻繁に更新しています。文体も内容も時々変えていますが、土日は仕事から離れたことを書こうかな、と思っています。

まだまだ試行錯誤は続きます。



2009年5月22日金曜日

旧ブログ記事:タメ口(2009年5月22日掲載)

入院中の知り合いを見舞った時、聞いた話。 

「最近、新人とおぼしき看護師配属されたらしく、病室にその人が来るんだけど、初対面で、私よりうんと年下なのに、タメ口なのよ。」

詳しく聞けば、「待ってたのぉ?」とか「この部屋、いい風入ってくるねぇ」とか。

一つひとつは些細な言葉なのだが、動くこともままならぬ(ここ数ヶ月は安静状態で)高ストレス状態の患者にはイラっとさせるものだという。

かれこれ3ヶ月近く入院しているので、確かに親しくなった看護師さんもいる。その人とはタメ口で話すこともある。それは「関係」があるからだ。だけど、この新人は、突然部屋にやってきて、娘のような年齢なのにタメ口を聞く。私はそこまであなたと親しくない、と、フンガイしていた。

ちゃんと一人の大人として扱ってもらいたい!と。

たまりかねて、とうとう、親しくなったベテランの看護師さんにやんわりと伝えたら、その日の看護師会議?で話題になって、指導が入っちゃったみたい。

どうしよう?仕返しされたら・・・。邪険に扱われたら・・。これが新たな悩みと不安になってしまった。

数日たってその看護師が部屋にやってきたときは、緊張したそうだが、丁寧な言葉遣いに変化しており、さすが、看護師長や先輩は、教育上手なのだな、とほっと胸をなでおろしたと言っていた。

この話を聞き、思い出したのは、数年前、母が入院したときのことである。

手術日前後、私は関西で新人研修真っ只中だったため、すぐには見舞いに行けなかった。

やっと東京に戻り、その日の仕事も終えて病院に駆けつけると、たまたま、夕方の検温か何かの時間だった。

20代の若い看護師が部屋に入ってくるなり、「どうぉ?田中さぁん、ご飯、食べられたぁ?」「あら、ちょっと残しちゃった?あまり食べられない?」「お熱はどうかな? ちょっとあるみたいね。」なんてことを言うので、仰天してしまった。

母に「いつもあの口調なの?気にならない?」と尋ねると、術後の母は、そんなことより大切なこと(自身の身体)があったためか、「別に。気にならないわ。」と言った。

「今は、化粧もしてないし、ふけて見えるかも知れないが、ちゃんと化粧して、洋服着たら、結構しゃきっとしているんだぞ。子ども扱いされる筋合いはない!」と娘の私の方が憤りを感じた。

ナースステーションにクレームを言いにいこうと思ったが、あと数日で退院だったし、ことを荒立ててもと言わずに済ませた。

その時思ったのは、患者自身が気にしなくても、家族が気にする。傷つくこともあるということだ。

コミュニケーションは、当事者同士の問題だけでなく、その周囲にいる人にも何らかの影響を及ぼすことがある。

当人ではなく、周りが見て「ん?」と思う。傷つく。フンガイする。そういうこともあるのだ。(そして、医療とか福祉の現場では、サービスを受ける側に”弱み”(診てもらっているという)があるので、言いたい文句を飲み込むことがあるという面もある。)

*わが身に置き換えて考えてみれば、受講者は、講師に直接苦言は伝えづらい、ということだと思う。

「もっとゆっくり話してほしい」などと言いたいとしても、「スピードについていけないのは自分だけか?」と悩むこともあるかも知れない。(自分が受講者の時、たまに思うことがある。)

どんなことでも、人の振り見て、わが振り・・・なのだ。

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「この話、原稿のネタにしてもいい?」と尋ねたら、「いいよぉ」と。

そして、それに続いて、「社会から隔離された中で、久しぶりに社会とつながっているって感じられた。どう料理するか楽しみ♪。ネタに貢献できてよかった。」とメールが届きました。(病室内はケイタイメールOKなんだそうです。)

こういうことが励みになることもあるのだなあ、と知りました。今度お見舞いに行く時は、印刷したこのページを渡そうと思います。

2009年5月21日木曜日

旧ブログ記事:「わからないのにわかったと言ってしまった」(2009年5月21日掲載)

ある企業の「新入社員フォローアップ研修」でこんな反省の弁を聞きました。

「先輩の威圧感に負けて”わからない”のに”わかった”と言い続けてしまった。もっと素直に”わからない”といえばよかった」

「先輩は威圧的だったのですか?」と尋ねると、「そういうわけでもないのですが、なんとなくそう思ってしまう」とのこと。

たとえば、

1.「わかった?」と尋ねられる時の顔つきから、「わからない」とは言わせないぞ、という気迫?を感じてしまう

2.その時は、確かに「わかった」と思う。が、しばらくすると、わかっていなかったことに気づく。だけれど、同じ先輩に二度聞きに行くのはためらわれる(忙しいのに邪魔しちゃ悪いと思う、自分の理解が悪いのに再び時間を割かせるのは申し訳ないと思うなど)

といったことがあるようです。

かくして、新入社員の「放浪」が始まります。

A先輩に聞く。教えていただく。「わかった?」と聞かれ、「はい、わかりました」と答える。ところが、わからないことにしばらく経ってから気づく。同じ先輩には聞きづらい。

B先輩に同じことを聞く。教えていただく。「わかった?」と聞かれ、こんどこそ、「はい、わかりました」と答える。ところが、わからないことにしばらく経ってから気づく。同じ先輩にはやはり聞きづらい。

C先輩に同じことを聞く。教えていただく。「わかった?」と聞かれ、今度の今度こそは、「はい、わかりました」と答える。しかし、まだわかっていなかったことがあった・・・。どうしよう?(途方にくれる)

・・・・・・・・

しばらくして、先輩たちが気づく。「あいつ、さっきからいろんな人のところに質問に行っているな」と。

「わかった?」と尋ねるだけでなく、「わかった?」の後で、「じゃあ、簡単に説明してみて」と促すのもひとつの方法です。

それから、「2回でも3回でも聴きにきていいよ。最初は誰だってわからないことがあるんだし。」と言っておくのもいい。

ただし、「手ぶら」で来たら、「ノートとペンを持ってきなさい」と毅然と伝えるのもまた必要です。

2009年5月20日水曜日

旧ブログ記事:「もっと早く受けたかった」と言うけれど。(2009年5月20日掲載)

ヒューマン・スキルの研修講師をしています。

受講してくださった方が時々、「もっと早く受けたかった」「20代の頃に受けていれば、今までの色々なことがもっとうまくいったかも知れないのに」などとおっしゃることがあります。

「学んだことが役立つ」ということでしょうから、講師としては、とても嬉しい感想です。

しかし、これ、もしかすると、「もっと早く受けて」いたら、今ほどココロに響かなかったかも知れません。

仕事の経験を踏み、色々な失敗や苦労、あるいは自分なりの試行錯誤をし、対人関係における問題意識を持っているからこそ、

「ああ、そういうことか」
「そうすればよかったんだ」
「あの時失敗したのはこれが原因か」

と思い至るような気がします。

「もっと早く受けておけばよかった」という感想をお聞きしたら、私は、「そう思う、今がまさに、ベストなタイミングだったのかも知れませんよ。」とお伝えします。

学んだことが、びんびんに立っている、その感度の高いアンテナに引っかかったのは、まさに”今”だったからではないか、と思うのです。

2009年5月17日日曜日

旧ブログ記事:「拙著さん」(2009年5月17日掲載)

もう時効なので紹介しちゃいましょう。 

ずいぶん前、ある都市の団体に招かれ、1時間くらいの講演をしたことがあります。定例会議の一枠を割いていただいて「経営者やマネジャのコミュニケーション」についてお話しました。

東京から新幹線で数時間という、離れた土地だったので、事前の打ち合わせは全てメール。事務局の男性とのやり取りで進みました。

講演の1週間ほど前、「よろしければ、会場に拙著を置かせていただけますか?皆さんにご覧いただければと思いまして。こちらから事前にお送りしますので。」と問い合わせをすると、先方からこんな返事が。

「田中さんの拙著を会場に展示する件、了解いたしました。」

・・・・・・「拙著」「拙著」・・・。うん、確かに「拙著」かも知れない・・・。ぐすん。

当日初めてお目にかかった「拙著さん」、40歳くらいの真面目そうな紳士でした。

こういう場合、指摘するわけにもいかず、難しい。

「拙著さん」に、「あのぉ~、”拙著”というのは謙遜の表現であって、他人はそういう表現を一般にはしないものですよ」などと言うのもどうかと。

それは、謙遜表現を使った本人が、他人に「これは謙遜です」と表明するようなもので、少なくとも当事者は指摘できない。(第一、本当に”拙著”だと思っていた可能性もあるわけで)

かくして、この手の間違いや勘違いは、たいてい放置されてしまう。

以前、研修の参加者からお聞きした例ですが、「御社と弊社を逆に使う人がいた」のだそうです。


「御社が弊社に提案したいのは・・・」

「弊社は御社の提案をどのようにお考えになりますか?」

などと。

「ウソでしょう?」とその場にいた多くの人が突っ込んだのですが、「いやいや、本当です。だって、その商談にボク、同席していたんで。話の中身、全然頭に入らなかったんです。言葉が気になっちゃって・・・」とおっしゃってました。

もし自分がそういう「勘違い」「誤解」「間違い」をしていたら、遠慮なく指摘してほしいとは思うものの、やはり、誰も言ってくれないだろうなあ。

2009年5月16日土曜日

旧ブログ記事:わからない・・・(2009年5月16日掲載)

通勤電車内でアナウンス。

「車内が暑くなってきましたので、冷房を入れました。ご理解とご協力をお願いいたします。」

「ご理解」はまだわかる。「ご協力」・・・。何を協力すればいいのだろう? わからない。

・・・・・・・・・・・

病院で、「お大事にどうぞぉ~」と言われる。

なぜ、「どうぞお大事に」ではなく、「お大事にどうぞぉ~」なのか?

「どうぞ」なんのか? わからない。

・・・・・・・・・・・

出版社主催のセミナーに参加。入口で「350mlペットボトルのミネラルウォーター」を1本ずつ手渡される。

座席に着くと司会者がアナウンス。

「会場内の飲食は禁止となっております。ご了承くださいませ。」

頂戴した水、どうすればいいのか? わからない。

・・・・・・・・・・


ファミレスの入口で。


「おタバコはお吸いになりますか?」
「吸いません。」

なんとなく、謝っている気分になってしまう。スミマセンが正しいけど。

スイマセンも謝っている気分。いきなり初対面の店員さんに謝る羽目に。わからない。

・・・・・・・・・・・

講義をしている最中、同時に二つの表現が思い浮かぶ。

「この場面では、こういう表現をするとよいのですが」と「この場面では、こういう表現をするとよいのですけれども」。

口について出たのは、

「この場面では、こういう表現をするとよいのです」。

「が」+「けれども」÷2 = 「ですげ」。

何が「ですげ」なのか。わが事ながらわからない。

その上、言った後におかしくなって、笑いが止まらなくなり、講義を中断して、気が済むまで笑わせていただいた。受講者はきょとんとしていた。

「ですげ」・・・・。どこの言葉だ? わからない。


2009年5月14日木曜日

旧ブログ記事:「選ばなかった方の先に道はない」(2009年5月14日掲載)

「淳子さん、選ばなかったほうの先に、道はないんだよ。」

心から尊敬していた先輩に言われた言葉です。

「あの時、あれをしておけば」といった後悔の念を口にした時、ただじっと話を聞いてくれていたその先輩が、最後に一言ぼそっとつぶやきました。

・・・・・

「あの時、ああしていれば(ああしなければ)」

「あの日、あれを選んでいれば(あれを選ばなければ)」

「あの会社に転職していれば(転職しなければ)」

「あの人と付き合っていれば(付き合わなければ)」(たとえば、恋愛のこと)

そんな風に思うことがあるかも知れません。

が、

「選ばなかったほうに、続く道はない」

と考えたら(「選んでいない」のだから、その先に続く道は「存在しない」という意味です)、「後悔なんかしている場合じゃない。自分が選んだ道を邁進するだけ」「潔く前を向くしかないのだ」と思えるようになりました。

この一言を言われてからおそよ20年。

私は、「選んだほうにしか道はなかったのだ」と常に自分に言い聞かせ、後悔するくらいなら、「今とこれから」を考えよう!と生きてきた気がします。

もちろん、「反省しない」というのとは別のことだけれど。

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新しいカテゴリ「言葉のチカラ」を作りました。

「言葉のチカラ」とは、かつて「日経ITプロフェッショナル」(作り手の思いがぎゅっと詰まった名雑誌だったと、いまでも思う)の私の連載ページに「囲み」で入れていたコーナーの名前です。

「囲み」とは、記事の端のほうに四角く囲んだ、「本論と無関係ではないけど、ちょっと脱線」とか「本論に関係ある事例」などを記載した部分を指します。

言った本人は忘れていても、多くの人の「言葉」に支えられてきたので、その大切な言葉たちをここで時々紹介していきます。

2009年5月13日水曜日

旧ブログ記事:名刺交換シミュレーション(2009年5月13日掲載)

ずーっと前、新宿駅から当社に出勤する途上(地下道)で見かけた光景です。(新宿から当社のビル付近まで、地下道があります。)


「いいか、これをこう出して、”○○の××です”と名乗って、渡すだろ。で、”△△様ですね”と復唱して、頂く。こういう風に・・・。ちょっとやってご覧。」

「はい。こうやって、こうやって、ですよね。」

「大丈夫だね。じゃ、行こうか。」

「はい。」

朝、多くのビジネス・パーソンが行き交う地下道。通路の端の方で、向かい合って、一心不乱に名刺交換の練習をしている二人。

教えている男性は、先輩だと思いますが、教わっている女性と年も近く、もしかすると、1年先輩といった程度だったようにも見受けられました。

おそらく、初めての顧客訪問同行だったのでしょう。

オフィスで練習してきたものの、直前に不安になって、再度やり直していたのかも知れません。


「おお、おお、OJTだなあ。OJTやっとるなぁ。」とほほえましく思いつつ、会社への道を急いだ私でした。

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新人の頃、「名刺交換」って嬉しくなかったですか?「大人になったなあ」「社会人になったなあ」という実感を持てるものでした。

といっても、最近は、学生時代から起業していたり、NPOで何か仕事していたりして、名刺は複数種類持ってました、という人も増えてきているんですが・・・。

2009年5月11日月曜日

旧ブログ記事:「よく電話がかかってくる人リスト」(2009年5月11日掲載)

新入社員が配属になる直前に、「よく電話がかかってくる人」リストを作成している、という例を聞いたことがあります。その部署にかかってくるTOP10くらいを一覧にするそうです。

たとえば、

● A会社B部C課長 → 山本課長:Kプロジェクトの件
● X会社Y部Zリーダー → 鈴木さん:新規製品Fについて

といった具合です。

それを、配属された新入社員に「はい、これがこの部署で”よく電話がかかってくる人”リスト。よろしくね。」と渡すんだそうです。

これは、新入社員に大変好評で、「あのリストがあったので、戸惑わなくて済んだ」「あれはよいから、来年は自分が作って、後輩に渡そう」などという声が多数。

このリスト、元々は、「電話を取る新入社員が焦らず対応ができるように」という意図のもと作られたようですが、他にも以下の副産物があると思われます。

● かけてくる社外の方に失礼な対応をしなくて済む
● よくかかってくる人を把握しておくと、新入社員が名前の聞き間違いなどで失敗するのを減らせる
● よくかかってくる人を把握することは、その部署の仕事の雰囲気を学ぶことにつながる

そして、

● 毎年春になったら、このリストを更新することで、社員が、「ああ、こことの取引は最近なくなったのだな」「この会社と新しく縁ができたのか」「あ、○○さんが担当じゃなくなったんだ」などと自部署について再確認できる

つまり、先輩社員にも役立つリスト、というわけです。


「よく電話がかかってくる人リスト」。


色々なアイディアがあるものですね。

2009年5月9日土曜日

旧ブログ記事:山本小鉄さん著『山本小鉄の人生大学プロレス学部』を読む!(2008年5月9日掲載)

プロレスラー/山本小鉄さんの新著『山本小鉄の人生大学プロレス学部』(実業之日本社)を読みました。

力道山の最後の弟子のお一人で、指導者になってからは、後輩たちから「鬼軍曹」と呼ばれ、怖れられた方でもあります。

後輩たちが体調不良を訴えようものなら、「頭が痛かったらブリッジをしろ。腹が痛かったら腹筋を。脚が痛かったらヒンズースクワット。バカヤロ、やれ」と言ってしまうような人です。

藤原喜明氏(小鉄さんの弟子で付き人でもあった)などは、その厳しさに「いつか殺してやる」と包丁で刺す練習(木にぶすぶすと)をしていたほど、だとか。

私はプロレスについて全く詳しくありませんが、本は大変面白いものでした。

小鉄さんは、小学生の頃から働き始め、その頃TVで見た力道山に憧れを持ちます。

「力道山のようになりたい!」。

以下のフレーズは、私の心に響きました。


『あれこれと悩んでいてもことは解決しません。まず決めてしまう。そして一心不乱に努力する。疑念などはさむ余地もなく目標に向う。そうすれば夢が現実のものになるのです。』(P.21から引用)

『逃げたり、あきらめたりしないでやれるところまでやってみる。そうすればできない悔しさがわきあがってくる。その悔しさがさらなる努力につながり、自分を一歩先に進めてくれるのです。』(P.27から引用)

『自分の環境は自分にしか変えられないのだ』(P.31より引用)

小鉄さんはさらにたまたま見たボディービルダーの写真で、「これだ!」とひらめき、自分を鍛え、ボディビルダーのような身体を作って、プロレスラーになるんだ、と決心したとあります。

一生懸命に身体を鍛え、身体が変わってくることで、力道山へと近づけると思い込むようになったと。

最終的に、力道山(小鉄さんは、「力道山先生」とお呼びになっています)の弟子になるのですが、デビュー戦のくだりを興味深く読みました。

1963年のデビュー戦。入門して半年に満たない時。突然「試合だ」と告げられたそうです。プロレスラーの身体ができていたことでの抜擢だったのでは、と著書にはあります。

以下、少し引用します。(同著 P.43より)

『こういうチャンスが巡ってきたときに「ちょっと待ってください。急に言われても・・・・・」などと言ってはいけません。機会損失になってしまいます。不意のことでも、頼まれるのにはそれなりの理由があるもの。「はい」といって取り組むことでチャンスがつかめるのです。』

同僚の横山哲也ともよく話すのですが、

「チャンスの神様は、前髪しかない」。「自分に何か仕事の話が来た時は、やってみることが大事だよねぇ。」と。

小鉄さんがおっしゃるように「頼まれるなりの理由がある」はず。

さて、本に戻りますが、プロレスラーを育てる時に言葉遣いも大切、と敬語の勉強もさせたそうです。

リングを降りたら一社会人として、きちんとしろ。言葉遣いだけでなく、他者への思いやりも大切。誰とでも丁寧に接することも。

行間から小鉄さんの「熱い想い」と「思いやり」がにじみ出ています。 奥様やお嬢様への強く深い愛情も感じられる本です。 (お嬢様が生まれてから「今日で何日目」と日数で言えるんですって!)

最後・・・に。

『簡単なことでいい。耐えて達成できるものを見つけてください。そして地道に努力すること。そうすればいずれチャンピオンベルトを手にすることができるはずです。』(P.202より引用)

元気の出る本でした。私も頑張ろうっと!

*** 追記(2011年5月13日) ***

この前年2008年から小鉄さんとはクラスメイトでした。このブログ記事を書いている時点では、クラスメイトだと公開していないので、「知らない人の本」を読んだ風ですが、実際にはすでに1年、お友達だったのです。本に書かれている通りの行動をなさる方でした。

とてもステキな紳士でした。山本小鉄さん。


2009年5月7日木曜日

旧ブログ記事:はっぴー/はっぴー(2009年5月7日掲載)

とあるセミナーの事務局の方との打ち合わせで。

「マネージャさんというのは、あれもやれ、これもやれで、つらい状況に置かれている方が増えているように思うんですよね。プレイング・マネージャなどと横文字で呼ばれているけれど、それほど優雅なものでもなくて。それなのに、”マネージャとしての教育”を受け、さらに部下に対しても”あれも、これも”やるように言われると参ってしまう。なので、”こんなちょっとしたことでもいいんですよ。簡単なことをちょこっとやってみたらどうでしょう?”といった提案というかアドバイス的な話をしたり、記事を書いたりするのが、私は好きなんです。たとえば、ほんの少し表現の工夫をすることで、部下もハッピー、上司もハッピー、皆、ハッピーみたいな感じなんですけど・・・。」

と私が担当する講演枠の内容について話していましたら、担当者さんがこんな風におっしゃいました。

「ああ、そうそう、ボクもそう思うんです。ハッピー/ハッピーですよねぇ。 よく、Win/Win(ウィン/ウィン)って言うじゃないですか。でも、Winってことは、勝つってことでしょう?勝つとか負けるとかじゃなくて、ハッピー/ハッピーがいいですよねぇ。」

・・・・・・・・・・・・

「はっぴー/はっぴー」

気に入りました。

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GW中に「サラ・ブライトマン」のコンサートDVDにはまった!と書きましたが、今度新連載をするメディアのプロデューサーさんにそのことをメールしたら、「ボクは、桑田佳祐の『昭和83年度 ひとり紅白歌合戦』DVDに感動しました!」とお返事いただきました。


私も早速、注文。2枚組みDVDで、桑田さんが1人で昭和(一部、平成のものも)の歌を歌いまくっています。懐かしいし、面白いし、楽しいし、桑田さん、歌、うまい!

ジュディ・オングの『魅せられて』では、爆笑しました。

それにしても、ほぼ全曲歌える自分。古っ!


*** 追記(2011年5月13日) ***

この(↑)プロデューサーこそが、M氏です。(わかる人にはわかる(笑))

2009年5月4日月曜日

旧ブログ記事:続報!「日経BP 朝イチメール」登録方法など(2009年7月4日掲載)

7月13日週から始まる「日経BP 朝イチメール」に関する続報です。

【日経BP 朝イチメールとは】

●「ケイタイメール」だけを利用した「コラム」です。
●月曜から金曜まで5人の執筆者が異なるテーマでメールを送ります。(それぞれのサンプルメール文がサイトには掲載されています。)
●月曜だけ、水曜だけ、といった登録も可能です。
●登録も配信(受信)も無料です。

田中は、水曜日「コミュニケーションのびっくり箱」を担当します。(7月15日配信開始)

【登録方法】

●PCからの登録は、以下のサイトから。
●ケイタイからの登録は、以下のサイトから。

→  一番上に「プレ登録開始」のアナウンスがあるので、そこから入ればよい、とのこと。

なお、現時点で、Docomo、Au、SoftBankが登録可能です。近々、WILLCOM、iPhone、スマートフォンも対応可能に向けて、準備中だそうです。

一度配信された記事はずっとアーカイブされる予定ですが、アーカイブされた記事もケイタイからのアクセスのみ、となります。(※ この辺りの詳細は、サイトの最後のほうに記載されています。)

よろしくお願いします!

・・・・・・・・・・

「ケイタイ」でないと読めない連載、って、ちょっと「秘密倶楽部」みたいですね。朝読んでいただくメールなので、暗い話、滅入る話はやめて、

「へぇ」「ほぉ」と言いつつ、可能なら、ちょっと笑ってしまうようなものを盛り込めたら、と思います。

「田中さん、通勤電車の中で噴出しちゃったよ。もぉ!」と文句言われるのが、夢です。(毎回笑えるわけぢゃなく、たまに笑える・・かも。・・・・と、ハードルを下げておこう・・・・。)

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エッセイ!?・・・どこから手をつけてよいか皆目見当がつかず、しばしボーゼンとしたのですが、考えていてもしょーがない、と手当たり次第に「エッセイ集」を読んでます。(勉強のために)今まで読んだことがない作家やエッセイストのものも。老若男女問わず。

改めて、プロは凄いと思います。

ほんの些細な出来事でも、こんなに楽しく長文に料理しちゃうなんて、と、ため息ついてます。

そんなこんなで大量に読んだエッセイの紹介もこのブログでおいおいしていきます。

「こんなに面白い人がいたのね」という、発掘した書き手もいたりして、それはそれでわくわくしてしまいます。一読者として。

2009年5月3日日曜日

旧ブログ記事:初めて叱られた思い出(2009年5月3日掲載)

たまには自分のことを。 

文学部教育学科出身で、コンピュータの「コ」の字もわからず、(一度も触ったこともなく)、DECというコンピュータ・メーカーに入社してしまいました。 

当時珍しかった「職種別採用制度」をとっていた企業だったことで、採用されれば、確実に「教育の仕事」ができるとわかっていたことと、学生時代のゼミの教授が「これからはコンピュータ業界じゃない?」と仰ったことがきっかけとなり、DECを受けたのです。 

当時DECの教育部というのは、「IT技術研修」だけを生業としていたので、私も、VMSというOS(Operating System)のインストラクタになるため修行をしました。 

「文系でも、コンピュータ未経験でも大丈夫」と言われてはいたものの、IT技術研修の初日からちんぷんかんぷん。ソフトウェアだけではなく、ハードウェアの研修まであって、「電気信号がどうしたこうした」といった研修も受けました。 

ソフトウェアですでに落ちこぼれているので、ハードウェアなんて推して知るべし。 

企業の研修というのは、学生時代の勉強と違って、とにかく次々と新しい科目を学ぶ。テストもある。レポートもある。 

ハードウェアの研修が始まって何日目だったかのことです。講師は、1年先輩のHさん。 

その日も朝から全く全く全く講義がわからず、「何がわからないか言え」と言われても、それがわかるなら苦労はしない、というほど、どん底の落ちこぼれ状態で、その内、なんだか少しずつ腹が立ってきたのです。 

理解できない自分にも、次々こなさねばならない新人研修にも、あるいは、「文系でも大丈夫だ」と言ったじゃないか、と人事の方にも(八つ当たりですね)。 

意識していたか無意識だったかは忘れましたが、相当「ふてくされた」態度をとっていたようです。 

その日の研修が終わって、講師のHさんに呼ばれました。 

「田中さん、ちょっと来て。」 

そして、こう言われました。 

「研修がわからないことは構わない。学生時代にやっていた人と差がついてしまうのも仕方ない。だけど、その態度は何なんだ。わからないならわからない、どうしてほしい、ときちんと正しい方法で意思表示をすればいいじゃないか。ふてくされた態度なんて、大人のすることじゃない。成績が悪いことじゃなくて、田中さんのその態度が気に入らない。」 

入社して1ヶ月経つか経たないかの時です。 

衝撃的というか、「ああ、そうだなあ」と心の奥までこの言葉は響きました。 

「態度で表わしたって、誰も助けてくれるわけないよなあ」と深く反省しました。


それにしても、上手な叱り方ですよねぇ。 

考えてみたら、この先輩、私と同じ年なんです。(私は一浪して社会人になったので、2年目の先輩とはたいてい年が一緒。) 

23歳でこんな上手なお説教ができるなんて、今思い出しても感動します。このHさんに、私は、今でも頭が上がりません。 

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私のインストラクタデビューは、9月4日。はっきり覚えています。(入社5ヶ月後、ですね。)「FORTRAN入門」というプログラミング言語の5日間コースでした。(時代を感じさせます。) 

その頃、新人研修のノート内容が、どれもこれもはっきり理解できるようになっていました。(書いている時は、まるでわからなかったのに。) 

学習には「時間薬」というのもあると思うのです。だから、ノートだけはきちんと取っておいてよかった。 

新入社員研修で、「研修についていけない」と言った相談を受けると、「ノートだけは取っておくといい」と勧めるようにしています。いつか、役立つ時が来るから、と。

(ただし、私の場合、ここまで落ちこぼれてしまったのは、相当センスが悪かったからだと思われます。この時から4年後、私はヒューマン・スキルに新天地を求めて始動します。それは、また、別の話。)

2009年5月2日土曜日

旧ブログ記事:ボワーッとなってシュワシュワ(2009年5月2日掲載)

数年前、自宅近所にスポーツクラブがオープンすると聞きつけ、いち早く会員登録。

オープン前にプログラム、施設やマシンの説明を受けられる内覧会にも参加しました。その時の出来事です。

「どんなことでも質問してください」バッヂをつけたスタッフがあちこちに立っていました。

その中の一人、とてもニコニコしている若者(男性)に声をかけ、質問しました。

「プールサイドに”マッサージプール”と”ワールプール”がありますが、

さっき見に行ったら、どちらも同じに見えました。どこがどう違うんですか?」

彼は、嬉しそうに教えてくれます。

「あ、マッサージプールは、ボワーッとなって、ワールプールはワーッとなってブクブクってなるんです。」

「ん?ボーワッとなるのがマッサージ?ワールプールはワーっと?」

「ワールプールもボーワッともなります。ブクブクってボワーッと。」

「で、ワールプールもボワーッと・・・。ええと分からなくなったんですが、そもそも2つは同じものなんですか?違うものですか?」

「同じようなものですが、とにかくボワーっとなってブクブクってなって、シュワシュワっとなるんです。気持ちいいですよぉ~。」

「あ、シュワシュワも・・。ああ・・・そうですか。ありがとうございました。」

「ほかに何かありますか?僕、ヤマモト(仮名)と言います。何でも説明しますからどんどん聞いてくださいね。」(満面の笑み)

・・・・・・・・・・・・

ヤマモト君、キミにはたぶんもう質問しないと思う。


※ でも、ちょっと楽しい会話だったけど。


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GWなので、仕事を離れてお気楽な話題にしてみました。

GWと言えば、29日(水)に届いたDVDにはまり、1日3回繰り返し見ています。したがって、もう10回は見たことになります。

サラ・ブライトマンの『シンフォニー ~ライブ・イン・ウィーン~』というもの。

ウィーンのシュテファン大寺院の中で行ったコンサートの模様です。(2008年1月16日と書いてあります)

映像の美しさ、歌と全体構成が素晴らしく、1回目は雷に打たれたように全身硬直して観てしまいました。気づいたら、手を思いっきり握り締めていて、手のひらに爪の跡がくっきり。

パイプオルガンの演奏での「オペラ座の怪人」なんぞ、震えが来ました。

また、ゲストで登場する、イタリアのテノール歌手・アレッサンドロ・サフィナという、ロマンスグレイのおじ様の素敵なこと(風貌も声も)。

このシュテファン大寺院は、ゴシック建築の、とても美しく、そして大きな建築物ですが、映像を見ている内に、生で見たことを思い出しました。

25年前の大学生時代、女性4人でバックパッカー旅行。ヨーロッパ半周(42日間:超貧乏旅行)をし、ウィーンでは、この聖堂が見える広場でアイスクリームを食べたことを覚えています。

モザイク模様の鋭角な屋根も印象的でした。

2009年5月1日金曜日

旧ブログ記事:「口頭」会話の勝る?(2009年5月1日掲載)

先日久々にタクシーに乗ったら、いきなりどこかからか音声メッセージが流れてきました。 

「シートベルトを締めてください。シートベルトを締めてください。」(何度も何度も繰り返す)

さらに、座った目の前に大きな貼り紙が。そこにも、「シートベルトを締めてください」と。

慌ててシートベルトをしつつ、運転手さんに「後部座席も締めることになったんでしたよね。それにしても、音声と貼り紙。すごく派手ですねぇ。」と話しかけると、「いやあ、お客さんのような素直な人ばっかりだったらいいんですけどね。」とぼそっと言うのです。

続けて語ってくれたこととは、およそ以下のような内容でした。

「シートベルトをお願いします、と言うと、時々”指図するな”などと文句を言われることもあり、それ以上は強く言えないので、黙って見過ごすことになってしまうんです。

この間もそういうことがあって、その人はお酒も入っていたので、全く言うことを聞いてくれず、とはいえ、高速に乗ることになり、再度お願いしたら、”命令する気か”ってキレられて。仕方ないんで、そのまま運転してると、運悪く、検問にひっかかっちゃったんです。

おまわりさんに”締めてくれるよう、お願いはした”と言ったけど、そんなことで許してもらえるわけじゃないんで、結局、違反ってことになって。

それで、お客さんにも”申し訳ないけど、ここで降りてもらえないか”と言ったら、それはそれで困るからやっとシートベルトしてくれたんですよ。

そういうことがあって、結局、音声が流れるように&貼り紙という二つの防衛策を講じたというわけ。

お客さんも私に言われるよりも、音声に言われて、貼り紙もあると、案外言うことを聞いてくれるんで。こっちも楽だし。」

うーむ。考えさせられる話です。生の声で言われると反発し、音声テープや貼り紙なら言うことを聞く。逆じゃないのか?


ところ変わって、スーパーで。

「レジ袋要りません」というカードをカゴに入れると、ポイントカードにさらに数ポイント追加してくれる、というお店です。

普段は、そのカードを使うのですが、空いていると、すーっとカートを乗り付け(?)、口頭で「レジ袋は要りません」とレジの人にお願いします。

ところが、「はい」と返事をしてくれても数秒後には忘れられ、レジ袋を用意しようとしているんですね。で、「要りませんよ」と再度言うと、”あ、思い出した”という感じで、「ありがとうございます。」と返ってくる。

確かに、混雑している時は、「レジ袋入りません」カードが便利で、そのカードをレジのところにマグネットで止めておけば、レジ係の方も忘れることはないわけだけれども、空(す)いているのに、わざわざ「カード」を入れるのも、変だし、失礼な感じもするなあ、と思い、「袋は要りません」と口頭でお願いすると、相手に伝えたことを忘れられちゃうというのは、フシギ。(ここのところ、2回続けてそういうことがありました。)

私は職業柄、「コミュニケーション」についてよく考えるのですが、録音された音声、貼り紙、カードといった「無機質」なものに人間が反応し、言うことをきちんと聞く一方で、直接、口頭で伝えたら、逆切れされたり、うまく伝わらなかったり。

ナンダカ、ムズカシイ。

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「GW中に2-3回は更新します」と言っておきつつ、毎日のように更新しているのには、ちと訳があります。時間があれば、PCに向っているんです。で、ついついブログも更新する、という・・・。


実は、近々、とあるメディアで連載を開始することになりました。その準備のために「原稿」を書き溜めております。というのは、初体験の「週刊」連載だからです。


2002年6月創刊号からお世話になった「日経ITプロフェッショナル」とその後の「日経SYSTEMS」は共に月刊。2007年1月~つい最近2009年3月18日号までお世話になった「日経コンピュータ」では隔週刊連載の経験をしました。


”週刊”は、未知の世界で、始まるとどの程度忙しいのか想像すらできないので、GWに書き溜めを・・・としこしこやっています。

私にとっては新しいメディアであるため、書く内容とその文体に四苦八苦。編集者さんとメールで打ち合わせしながら、準備しています。

(「日経コンピュータ」の連載が終了した時、「7年も続けたし、これで(執筆活動は休止し)しばらく充電する!」と周囲に宣言をしていたのですが、予想外のところから連載話をいただき、「あー、それ、やりたい!挑戦させてください!」と二つ返事をしたため、充電期間、わずか2ヶ月とあいなりました。)

新・連載についての詳細は、後日お知らせいたします。

***** 2011年5月13日(追記) *****

この日、「朝イチ」の予告をしているのですね。連載スタートが2009年7月だったので、2ヶ月前から準備していたのだあ、と感慨深いものがあります。