力道山の最後の弟子のお一人で、指導者になってからは、後輩たちから「鬼軍曹」と呼ばれ、怖れられた方でもあります。
後輩たちが体調不良を訴えようものなら、「頭が痛かったらブリッジをしろ。腹が痛かったら腹筋を。脚が痛かったらヒンズースクワット。バカヤロ、やれ」と言ってしまうような人です。
藤原喜明氏(小鉄さんの弟子で付き人でもあった)などは、その厳しさに「いつか殺してやる」と包丁で刺す練習(木にぶすぶすと)をしていたほど、だとか。
私はプロレスについて全く詳しくありませんが、本は大変面白いものでした。
小鉄さんは、小学生の頃から働き始め、その頃TVで見た力道山に憧れを持ちます。
「力道山のようになりたい!」。
以下のフレーズは、私の心に響きました。
『あれこれと悩んでいてもことは解決しません。まず決めてしまう。そして一心不乱に努力する。疑念などはさむ余地もなく目標に向う。そうすれば夢が現実のものになるのです。』(P.21から引用)
『逃げたり、あきらめたりしないでやれるところまでやってみる。そうすればできない悔しさがわきあがってくる。その悔しさがさらなる努力につながり、自分を一歩先に進めてくれるのです。』(P.27から引用)
『自分の環境は自分にしか変えられないのだ』(P.31より引用)
小鉄さんはさらにたまたま見たボディービルダーの写真で、「これだ!」とひらめき、自分を鍛え、ボディビルダーのような身体を作って、プロレスラーになるんだ、と決心したとあります。
一生懸命に身体を鍛え、身体が変わってくることで、力道山へと近づけると思い込むようになったと。
最終的に、力道山(小鉄さんは、「力道山先生」とお呼びになっています)の弟子になるのですが、デビュー戦のくだりを興味深く読みました。
1963年のデビュー戦。入門して半年に満たない時。突然「試合だ」と告げられたそうです。プロレスラーの身体ができていたことでの抜擢だったのでは、と著書にはあります。
以下、少し引用します。(同著 P.43より)
『こういうチャンスが巡ってきたときに「ちょっと待ってください。急に言われても・・・・・」などと言ってはいけません。機会損失になってしまいます。不意のことでも、頼まれるのにはそれなりの理由があるもの。「はい」といって取り組むことでチャンスがつかめるのです。』
同僚の横山哲也ともよく話すのですが、
「チャンスの神様は、前髪しかない」。「自分に何か仕事の話が来た時は、やってみることが大事だよねぇ。」と。
小鉄さんがおっしゃるように「頼まれるなりの理由がある」はず。
さて、本に戻りますが、プロレスラーを育てる時に言葉遣いも大切、と敬語の勉強もさせたそうです。
リングを降りたら一社会人として、きちんとしろ。言葉遣いだけでなく、他者への思いやりも大切。誰とでも丁寧に接することも。
行間から小鉄さんの「熱い想い」と「思いやり」がにじみ出ています。 奥様やお嬢様への強く深い愛情も感じられる本です。 (お嬢様が生まれてから「今日で何日目」と日数で言えるんですって!)
最後・・・に。
『簡単なことでいい。耐えて達成できるものを見つけてください。そして地道に努力すること。そうすればいずれチャンピオンベルトを手にすることができるはずです。』(P.202より引用)
元気の出る本でした。私も頑張ろうっと!
*** 追記(2011年5月13日) ***
この前年2008年から小鉄さんとはクラスメイトでした。このブログ記事を書いている時点では、クラスメイトだと公開していないので、「知らない人の本」を読んだ風ですが、実際にはすでに1年、お友達だったのです。本に書かれている通りの行動をなさる方でした。
とてもステキな紳士でした。山本小鉄さん。
いい話ですねー。
返信削除コメント、ありがとうございます。
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