2009年12月30日水曜日

旧ブログ記事:システム障害対応クリーム!?(2009年12月30日掲載)

「日経SYSTEMS」(2010年1月最新号)の「特集2」で「IT現場の困ったメール」が12種類扱われています。

「現場でこんな困ったメール」があって、「こういう悪影響を及ぼす」こともあるので、「事前にこんな風にするといいよ」と処方箋も載っています。

(たとえば、「詳細は添付メール」(添付ファイルを見落とす)、「単刀直入メール」(「できません」だけ書いてあってカチンときてしまう)、「狼少年メール」(何でも件名に「重要」と書くので、いざ本当に重要な時に用をなさない)などなど)

取材協力をしたので、一冊送っていただきました。約2時間のインタビューに答えて、掲載されたのは100文字くらいですが、それはそれ。こちらも勉強になるので、よいのです。

「誤字脱字メール」として、
「お客様からシステム障害についてのクリームが来ました」
というメールがマネージャからメンバに送られたという例が紹介されています。

本来は、気持ちを引き締めることを意図していたマネージャからのメールなのに「クリームが来た」では緊張感も何もあったもんじゃないよね、ということです。

この例があまりに面白かったので、オフィスで盛り上がってしまいました。当社のシステム管理部門の人とです。

「システム障害対応クリーム、ってドラえもんがポケットから出しそうだよね」
「ああ、そうだねー。”障害対応クリーーーーーーム”って叫んで、サーバとかに塗ると、たちどころにシステム障害が解決する」
「いいなあ、そのクリーム。売れるよ、きっと」
「システム管理部門には常備してある・・・なんて」

と年末に掃除しながら、そんな話題で大笑い。

購読している方には、「日経SYSTEMS」1月号、年末年始にお手元に届くと思います。

私が「日経ITプロフェッショナル」(現在「日経SYSTEMS」に統合)で連載していた時代からお世話になっている中山記者の記事です。ぜひ、ご覧くださいませ。

さて、グローバルナレッジネットワークは、昨日12/28が仕事納めでした。始業日は、2010年1月5日(火)です。

今年も一年ありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願いいたします。

・・・・・・・・・・

このブログは、年末年始も時々UPいたします。

2009年12月27日日曜日

旧ブログ記事:年賀状"宛名"編(2009年12月27日掲載)

女友達あての年賀状の宛名を書いていて、ふと思う。

彼女の夫も、彼女を通じて親しくなったなあ・・。じゃあ、連名で。

はて。

その場合、どう宛名を書くべきか。

昔からのお友達が「山田花子」さんで、その夫が「山田太郎」さんだとする。

「山田花子 様
太郎 様」

としたいところだ。なぜなら、花子さんが最初にお友達になったわけだから。

しかし、私はそれでいいが、受け取った相手はどう思うだろう?

結局悩んで、

「山田太郎 様
花子 様」

としてみた。

でも、なんとなくひっかかる。

というのは、自分が受け取った時にすんごく違和感をおぼえた経験があるからだ。

私とあなたが友達だよね、という人からの年賀状に

「●●次郎 様
淳子 様」

という年賀状を何通もいただいた。(かつて、オットがいたころの話)

なんか、自分が添え物になったような感じがしたのだ。

「●●次郎 様
奥 様」

なんてなったら、もう、個人として、名前なんかないわけだし。

ささいなことだけど、結構、重要なことのようにも思うのだった。

男女の宛名、皆、どうしているんだろう?迷ったら、2通出せばいいのかしらん?

2009年12月26日土曜日

旧ブログ記事:年賀状"お返事"編(2009年12月26日掲載)

今年いただいた年賀状を見ながら、年賀状の添え書きを書くわけです。

そこに質問とか提案があると、ついつい、それに対する返事を書いちゃうわけです。

さっき見つけたのは、
「今度、鍋しましょう!」という添え書きでした。(同僚からの年賀状)

年賀状に、「そうですねー、鍋しましょう」と書いてみました。

だが、しかし、

「2009年1月にいただいた年賀状」の「今度、鍋しましょう!」に「2010年1月」届く年賀状で「そうですね。やりましょー」と返事をするなんて、なんと壮大な「鍋計画」なんでありましょうか?
(第一、書いた本人は覚えちゃいまい。この1年、鍋に誘われなかったしなぁ・・・。ブツブツ。)

・・・・

というようなことをちゃんと小説にしている方がいらっしゃいます。

清水義範さんが何かの短篇で「年賀状だけのやり取り」という関係にある人同士の時差がありすぎるやり取りを書いてました。

さっき本棚を探したら処分しちゃったのか、見つからず、正確にお伝えできませんが・・・。ググってみたら「謹賀新年」というタイトルの短篇のようです。爆笑します。お奨めです。

ところで、ちょっと早いかも知れませんが、善は急げ!で、今日から大掃除を始めました。が、実質は小掃除になりました。

なぜか?

いちいち思い出に浸ってしまうからです。

書類一枚捨てるか判断するのに、一応読んでみる。・・・・思い出に浸る。

自分が書いた色んなメモ。捨てる前に一応読む。・・・・思い出に浸る。

ちーっとも先に進みません。

思い出に浸るな⇒自分。

明日はもうちょっとマジメに取り組みます。

2009年12月25日金曜日

旧ブログ記事:Happy Merry Christmas♪(2009年12月25日掲載)

クリスマスと言えばターキー(七面鳥)。 ターキーと言えば、水の江瀧子さんです。(若い方にはわからない!?)

つい先日訃報が届きましたが、ターキーさんは、生前葬をしたことでも有名で。 
で、そのことで思い出したのが、「色紙」です。

退職する人、異動する人に「寄せ書き色紙」(カードでもよい)を贈るってこと、しませんか?
その「寄せ書き」って、すんごくいいことが沢山書いてある。
先日、退職する予定の、とある人に同僚が書いたメッセージ数十人分を読んだのですけれど、「そんなに色々感謝していたなら、在職中に直接言ってあげようよ!」と思わず色紙に突っ込みを入れてしまいました。 
思うに。
「色紙」にあれだけいいことを書いてあげるのであれば、 在職中にその「色紙」をプレゼントしたらどうなるであろう?
その”すんごくいいこと”が沢山書いてある色紙を見たならば、退職を思いとどまる人も、モチベーションが再燃する人もいるんじゃないか。 
・・・・・・・ 
そう、試してみたいと思いつつまだ、勇気がなくて試してみていないのですが、「同僚からの寄せ書き色紙」を年末とか年度末など、何かの区切りい交換しあうってどうでしょう? 
その「色紙」には、絶対に悪いことは書かない。 
その人が頑張っていること、とか、その人に影響を受けたこと、とか、とにかく、いいことを書く。 
そういう言葉を手書きの文字で見た時、 誰だって「ああ、明日からももっと頑張ろう」と思うんじゃないかと思うわけです。 
「おれ(わたし)って、まだまだ行けるかも」と自信を取り戻す人だっているはず。 
生前葬って、ある面、そーゆうことだったんじゃないか、と思ったりして。 弔辞は、本人は聞けないから、生きているうちに、会いたい人に会い、言って欲しい言葉を聞く。生前葬は大げさだけれど、「退職時の色紙」は、「在職中」にもらいたい、プレゼントしたいもんであ、と、クリスマスの今日、ふと思ったのであります。 
今日、顧客先でその話をしてみたら、 「それ、いいなあ・・・。”3年後に異動するとして、その時、どんな色紙をもらいたいか”をそれぞれに想像して、語り合うなんてのもいいなあ」 という反応がありました。 
どなたか、勇気のある方、「在職中の色紙」って、試してみませんか? (私は去年から一度やってみたい、と思っているのですが、なんだか気恥ずかしくて、チーム・メンバに言い出せません。ココに書いたら、皆見ているわけですが。) 
というわけで、とにもかくにも、
       MerrChristmas! 
(多くのおうちにサンタさんがやってきたことでしょう。)

2009年12月24日木曜日

旧ブログ記事:日経BP朝イチメール:サンタクロース(12/16)(2009年12月24日掲載)

一応日経BPさんとの契約で、ブログでは紹介してもよい、ということになっているので、先日の「朝イチメール」を一部添付します。

この日は「感想」が多々寄せられました。お会いしたことがない全国の読者さんのXmasの思い出が綴られていて、執筆者としては、しみじみしてしまいました。ありがとうございました。

「朝イチメール」を見てみたいと言う方、こんな感じのコラムを配信しています。ケイタイのみで読める、という限定メディアです。よろしければご登録を。

★★★
Subject: [nikkeiBP]朝イチメール

12/16(水) コミュニケーションのびっくり箱
●サンタクロース
〔田中淳子:グローバルナレッジ〕

一般に人は何歳までサンタクロースを信じているものだろうか?

おそらく物凄く驚かれると思うのだが、私は13歳、中学2年の冬まで信じていた。

私は父の仕事の関係で2歳から5歳までアメリカに住んでいた。なので、クリスマスの原体験はアメリカにある。白髪のサンタクロースの膝に抱かれて撮った写真も残っている。子供の頃からクリスマスはとても身近なものだった。

帰国してからもクリスマス近くなると、「サンタさんにお手紙を書きなさい」と言われ、「今年1年の自分のことと来年の抱負&欲しいもの」を便箋にしたためた。

この手紙は、父が「投函しておくから」と預かってくれた。クリスマス12/25の朝、枕元には、「欲しい」と書いたものの一部もしくは全部(といっても、昭和40年代の小学生。贅沢なものなど皆無で、色鉛筆とか香り付き消しゴムとか中身はたかが知れている)が置いてあった。

「なぜ"高島屋の包み紙"なんだろう?」という疑問は持ったのだが、「だってサンタさんが自分の国から全ての子供のプレゼントを持ってくるのは大変でしょ? 日本に来たら、日本人になりすまして、デパートで調達するんじゃないかしら」と母に言われ、「なるほど、それもそうだ。ソリに大荷物を乗せて遠く外国からやってくるのは大変だもんな」と納得していた。

小学校高学年になると、さすがに周囲でもサンタクロースを信じている人は激減してきた。

私が「うちには必ず来る」と言い張っていると、「それは親がやっているんだよ」とクラスメイトに言われた。帰宅して、「お母さん、サンタクロースはいない、と皆が言うけど、私は毎年ちゃんと手紙を書いているから、プレゼントももらえるんだよね」と話したりもした。

しばらくすると、母が「これがあるわよ」と新聞記事の切り抜きをくれた。

それはフィンランドのサンタクロースへ手紙を書くと返事がもらえるというものだった。

「いつもここに手紙が届くのよ。だから、このサンタクロースがプレゼントを届けてくれるのよ」と言われたので、記事を学校に持って行き、皆に見せた。

「えー!? ここに手紙出したって、プレゼントは届かないんじゃない?」と疑うクラスメイトもいたのだが、結局はそれぞれが家で手紙を書き、エアメールで出すことになった。

その年のクリスマス。我が家にはちゃんとプレゼントが届いたが、友人の家には、サンタクロースから返事は届いたものの、プレゼントは届かなかった。(もちろん、各家庭で両親からはプレゼントをもらった)

「やっぱり、サンタクロースはいないよ。親がやっているんだよ」と強く言われてしまった。

父にそれを話すと、「同僚のうちにもサンタクロースが現れたらしいよ。息子が『今年こそ、サンタクロースを見る』といってずっと起きていたんだそうだ。

夜中にガタっと音がしたから行って見たけど、もう姿はなく、プレゼントだけが置いてあったんだって。やっぱり、子供に姿を見られないようにしているんだね」と、とても神秘的な話をしてくれたので、またまた私は深く信じるようになった。

・・・・続きは、「朝イチ アーカイブ」にて ・・・

*** 追記(2011年5月22日) ***

「続きは、朝イチアーカイブにて」と書いてありますが、このアーカイブがもう削除されています。これらは、既に電子書籍になっており、日経BPストアからiPad/iPhoneでダウンロードできます。が、とても探しにくいそうです。

電子書籍の「ライフスタイル」というタグ?をタップする、と聴きました。私もやってみたことがないので、それで出てくるかどうか、いまひとつ自信がありません。カテゴリは「ライフスタイル」だそうです。

というわけで、ここに「続き」も掲載するべきなんだろうなあ。ちょっと探してみよう。どこかにあるはず。


2009年12月23日水曜日

旧ブログ記事:久々かあさん:寝返り成功(2009年12月23日掲載)

甥っ子、生後197日目に「寝返り成功」。

それまでは、やたらと「エビ反り」を自慢げにやっていたのですが、とうとう、くるんと腹ばいになれた・・・。というメールが妹から届きました。

こりゃ、おばちゃん、見に行かねば!と訪問して来ました。

ぐるんぐるんと、何度も何度でも寝返りしては、「どーだ」顔をしていました。

「どーだ」という時の、満足そうな顔。(※ 「どーだ」は、東海林さだおさんの発案用語かな。)

人間って、生まれてすぐは、やる気なんて満々で、最初は、何でもこうやって挑戦してきたんだなあ。

誰にも「やれ」と言われなくても、挑戦してみたくて、やってみたくて、成功したらしたで、何度でもさらにやってみたくて。

「内発的動機づけ」の原点は、赤ちゃん時代にあるのかも、と思ったのでした。

「できなかったことができた!」「何度もできた!」が嬉しいのか、寝返りして腹ばいになると、にこにこっと満面の笑み。達成感は自然と「笑顔」を引き出すのだなあ、とは、甥っ子を観察して学んだことでした。

2009年12月21日月曜日

旧ブログ記事:「テキストを何度も見返しました」(涙)(2009年12月21日掲載)

あるクライアントの「リーダーシップ研修」が終了しました。8月から断続的に4ヶ月行ってきました。100人。

この研修。一人当たりの参加日数は、2.5日。

2日間連続で研修に参加し、自分のチームで実践したいことを決め、解散。約1ヵ月後に再集合。0.5日で「成果報告」と「今後の課題をさらに検討する」といったスタイルです。

先日、その「成果報告」を聞いている時、参加者の何人かがこんな話をしてくださいました。

「メンバと話をしようと思った時、このテキストを一旦見直して、”話をする時に大事なことが書いてあったな。あ、自分でメモまでしている”なんて振り返りをしてから行動を起しました」

「うん、私もテキストをすぐ手に取れる場所に置いておいて、何かあったら、まず読み直して、それから、行動を起してみました。自分で書き添えたことがまた役立つんだあ」

講師冥利に尽きる。というか、テキスト開発者冥利に尽きる、とはこのことです。(嬉しくて嬉しくて・・・)

心の支えや参考図書としてテキストを手の届くところに置いておいて、行動を起す前、行動した後に見ていた、とおっしゃるのです。

そんな風に長く参照していただけるテキストになってくれてよかった、と嬉しく思いました。 それと同時に、「自分でメモした内容」は、やはり、後々まで役立つのだなあ、とも。

自筆でノートを取ると、後で見返す際に、書いたときの気持ちとか情景などもよみがえり、それが自分の行動を後押ししてくれるんじゃないかと思うのです。

今は、「写真を撮る」とか「ファイルごとコピーしちゃう」とか、情報を手に入れる手段はいろいろありますが、面倒でも手書きでノートを取ることはやはり大切です。

自筆メモ。侮れません。心からおススメしますよ。


2009年12月19日土曜日

旧ブログ記事:コーチング。(2009年12月19日掲載)


左(コーチ):「今年も残り10日ばかりになったけれど、この1年、頑張ったことを教えてくれるかな」

右(クライアント):「ええと、今年も300人くらいの身体を支えてきました」

左:「どんな場面で?」
左:上司、右:部下


右:「会議が多かったですね」

左:「その時気づいたことは何かな?」

右:「椅子って、お尻を乗せるだけじゃなくて、座面に正座する人もいるんですよね」

左:「なるほど、正座する人もいるんだね。他に何か学んだことはある?」

右:「キャスターがついているので、ゆらゆら落ち着かない人もいますね」

左:「そうか、落ち着きのない人にも気づいたんだね」

右:「色々な使い方があるけど、座ればじっくり話し合えるという場面は何度も見ました。だから、役立っていると自信が持てました」

左:「そうか、自分の意義を感じられたんだね。それはよかった」

右:「はい」

左:「さて、2010年のことを話そうか。君のピジョンを教えてくれるかな」

部下、だいぶリラックスしてきた

右:「ピジョンってなんですか?」

左:「ジョンといえば、目指すもの、というか、それを考えるとわくわくするような、将来の姿というか」

右:「それって、ジョンじゃないんですか?」

左:「あ、そうとも言うか・・・な」

右:「そうですよ。ジョンって、うちの子供が赤ちゃんの時、哺乳瓶使ってましたけど」

左:「そ、そうか。じゃ、そ、そのビ、ビジョンを聞かせてもらおうか」

右:「考えるとわくわくする・・・そうですねぇ。ボク、ずーっと緑色だったんで、来年はぜひ、赤くなりたいです」


右の部下、頑張れ!
左:「来年は赤くなって、どうしたいの?」

右:「目立つので、真っ先に座ってもらえるかなあ、と思って。存在感のある椅子になりたいんです」

左:「存在感ね。いいね。それはできそうかな」

右:「張替えさえすれば」

左:「張替えかあ。自分の力でできるかな?」

右:「うーん、今まで自力で張替えをした椅子仲間はいませんが、私がその先駆者になれるよう頑張ります」

左:「いいねえ。応援するよ。じゃ、来年も一緒に頑張って皆を支えていこうね」

右:「はい」


*この写真はとある場所で、ブログUPも含め、許可を得て撮影しました。ありがとうございました。

2009年12月18日金曜日

旧ブログ記事:大学へ行こう!(再び)(2009年12月18日掲載)

研修先で「大学に通っているんです」と言ったら、一瞬、「教えている」のかと勘違いされました。

が、「受講です。それも1999年からすでに10年続けて・・・」と答えると、「10年!?」と驚かれてしまいました。

で、ですね、興味がある方も案外いらっしゃるようなので、いくつかリンクをはっておきます。

「生涯学習センター」とか「エクステンションカレッジ」などと言って、ほぼどの大学でも社会人向けの講座を開講しています。母校の上智大学は平日夜がほとんどですが、大学によっては、平日日中、土日など色々な時間帯に開講しています。通信教育もあるようです。

【上智大学公開学習センター”コミュニティカレッジ”】
*卒業生だと少し安くなります。(他大学でも同じじゃないかな?)

早稲田大学エクステンション
*同僚が通年科目として「心理学」をとっていたことがありました。一度代理で受講したことがありますが、キャンパスの広さに驚きました。

学習院大学
*結構変わった講座が多いといつも思います。(興味ある、というか、面白そうな、というか)

日本女子大学
*以前、アサーションの第一人者平木典子さんの講座(単発)に参加したことがあります。さすが女子大。女性の受講者が多かった-。

慶応大学丸の内キャンパス
*夕学五十講というのが面白そう。各方面で活躍している方を講師に招くもの。単発でも受けられるみたい・・・。(行ったことはないのですが。)

 「大学で勉強する、という方法があるんですねぇ」としみじみ言う方がいらっしゃいます。ぜひ、調べてみてください。学位にこだわらず「学びたい」なら、こういう「公開学習系」はお奨めです。


※ここだけの話。声を大にして言いたい!「民間教育会社」は同業者お断りが多く、私達講師業の人間は、学ぶチャンスを得にくいのです(当社は「同業者歓迎」。「トレイン・ザ・トレーナー」なんて1991年から開講してますから)。紺屋の白袴にならないようにするためにも、大学は最適です。

2009年12月16日水曜日

旧ブログ記事:今朝の「朝イチメール」-サンタクロース(補足)(2009年12月16日掲載)

今朝(12/16)の「日経BP朝イチメール」が田中担当分、今年最後の配信でした。

なぜこんなに早いか、というと、

● 12/23(水)天皇誕生日
● 12/30(水)もともと正月休みで配信停止

だからです。

さて、「サンタクロース」というタイトルの今朝のコラム。

校了した後で思い出したことがあったので、ここで補足をば。

「サンタクロースが欲しいものをちゃんとくれるのは、手紙に書いたから」・・・だとしたら、手紙に書かなければ、見当違いのものをくれるのでは?と実験したことがありました。

サンタクロース宛の手紙に「今年頑張ったこと」「来年挑戦しようと思うこと」などを書いただけで、ある年は手紙に封をしてしまいました。

それでも、その年のXmasは、やはり、「日ごろから欲しいなあ」と思っていたものがどんぴしゃもらえたので「サンタさんは、心が読めるのだー」と感動したことがあります。
(どういう仕組みで「どんぴしゃ」になったのか、は、後日真相が判明するのですが、それはまた別の話)

ところで、同僚(2児のパパ)が

「うちの息子は、欲しいものを書いて窓に貼っています」

と言ってました。うん、その方式も正しいと思う。

窓の外に向けて「欲しいもの」を書いておくと、サンタさんはちゃんと見てくれているよ。


旧ブログ記事:「自分がやったほうが早い」に打ち勝つには・・・(2009年12月16日掲載)

「自分でやったほうが早いし、上手にできる」と思って、部下や後輩に仕事を任せず、抱え込んでしまう上司、先輩は案外多いのではないだろうか?

「自分でやったほうが早い」
「自分がやったほうが上手」

は、

「相手に任せると遅くなる可能性がある」
「相手に任せるとうまくできない可能性がある」

だけでなく、

「説明する分だけ、手間が増える」

というのも懸念材料となる。

「自分でやったほうが早い」「上手にできる」の誘惑に打ち勝つにはどうすればいいんだろう?と悩むけれど、「思い切って任せる」がなかなかできない。

何でもかんでも任せるんじゃなくて、選択しながら任せていけばいいんだろうとは思う。

たとえば、
●今日(今週、今月)は、少しだけ時間的余裕がある
●今、自分は精神的にも余裕がある
という条件が揃っていて、

●この仕事は、私じゃなくてもできる人がいるべきである
●この仕事、私がいないとSTOPしちゃうからマズイなあ
と思えて、

●後輩も「挑戦してみたい」と言っている
なんてことから始めてみればいいんじゃないだろうか?

私は、以前、誰だったか(大先輩)に、
「自分しかできない、と思い込むのは、思い上がりだ」
みたいなことを言われたことがあって、
「多くの人ができるようにすることが、年長者や経験者の責任じゃないか」
ってなことをさらに添えられた経験がある。

「中年期以降の発達課題には”世代継承性”というテーマもある」といったことが、先日読んだ『リフレクティブ・マネージャー』にも書いてあって(金井さんの言葉)、より一層、「なるほど」と思うのである。

2009年12月15日火曜日

旧ブログ記事:ヘイ! (2009年12月15日掲載)

「粒度」=「りゅうど」という言葉がありますね。


同僚は、英語か何かだとずっと思っていたそうです。

「Hey!Rude!(ヘイ、リュード!)」みたいな。(って、それ、「ヘイ、ジュード」やろ。)


「りゅうど」って日本語だったんですねぇ、だって。

こういう勘違いってありますよね。

だーだーだーだだだっだー♪

2009年12月13日日曜日

旧ブログ記事:はじめの一歩(2009年12月13日掲載)

先日担当した研修で、受講者からこんなステキ話を聴きました。

彼女の高校・大学時代の話です。

「大学受験を目前にした時、交通事故に会いました。もう、浪人覚悟だなあ、と思ったのですが、いいお医者さんに出会い、その先生が『受験生だよね。手術する方が直りはいいけど、入院は長引くから、手術しない方法で、最大の効果が出て、最短で勉強に戻れる方法で治療しようと思うけど、どうかな?』と提案してくれました。

本来なら何時間も待たないといけない外来でも、私は常に一番に見てくれて、先生がそこまで考えてくれるなら、一旦諦めたけれど、猛勉強しようと思い、頑張りました。

でも結果的には第一志望は落ちてしまって、浪人も考えたけど、第二志望に入学しました。

大学に入ったら、やはり、第一志望が気になって、本腰入れて学生生活が送れないんです。浪人したほうがいいかなあ、と思って悶々としてました。

そんな時、サークルの先輩にそのことを話したら、『私も第一志望じゃないので、しばらく仮面浪人をしていたんだけど、この大学もよく見たら、とてもいいところが沢山あったから、今ではここに入ってよかったと思っているんだよ。あなたも、この大学のよいところにも目を向けてみたらどうかな?』と言われました。

それでだんだんと気持ちが変わっていって、前向きになりました。

さらに、受験の時の交通事故のことを思い出し、ハンディキャップがあると大変なことが多いと実感していたので、その後、ボランティア活動なども始めることになりました。」


彼女は、大切な節目節目で誰かに出会って、言葉を掛けられているんですよね。

その言葉をちゃんと受け止めて、自分で再度考え、次の行動に移っている。そして、すべて最初の働きかけは彼女からなのです。

整形外科で、「先生、私、受験生なんです。なんとか受験したいんです」と訴えたのでしょうし、
大学でも悶々として悩み続けるのではなく、先輩にちらっと気持ちを打ち明けてみたわけです。

自分が小さな一歩を前に出した時、誰かに言葉をかけられて、その言葉によって、さらに先へぐぐっと歩みを進める勇気と力を得られるのかも知れません。

「グリコの遊び」じゃないけれど、状況を変えようと思った時、「はじめのいーっぽ」は、自分が踏み出すべきものなんですね、きっと。

2009年12月12日土曜日

旧ブログ記事:風邪をひくときはひくもんです」と言われて・・・(2009年12月12日掲載)

体調を崩して、お客様にも同僚にも迷惑をかけてしまったのですが、そのことで思い出したことがありました。

時々、「日ごろの不摂生がたたっているんじゃないの」とか、「疲れを溜め込んでいるからじゃないの」とか、あるいは、下手すると、「気合が足りないからではないか」なんて非科学的なことまで言う人がいますよね。(今回言われた、という意味ではなく、たまに耳にする、という話)

先日も、ある企業で、「うちのグループは上長の命令で”新型インフルエンザになってはいけない”ということになっています。気合と根性で絶対に寄せ付けるなと言われているんです。だから絶対になっちゃいけないんです。」と、半分真顔で話してくださったSEがいました。

でですね、ある時(数年前のこと)、友人の医師に
「自分でも気をつけているつもりでも、風邪引いたり、何かに感染したりすることあるよねぇ。」 と言ったら、
彼曰く。
「風邪は、ひくときひくもんだから、気をつけていたって、何したってかかる時はかかる。そういうもんだ。」

そっかー。 そうだよなぁ・・・・。

そりゃ、うがいだの手洗いだのしていたって、完全無菌な状態で生活できるわけでもなく、大勢と出会い、大勢と話し、仕事だけじゃなくて、日常生活もしなきゃならない。

気をつけていたって、ひくときはひくもんです、と医師に言われると、すーっと気持ちが楽になりますね。

この友人は、高校時代のクラスメイトで、今や田中家揃ってお世話になっているんだけれど、30年来の友人にこういういいお医者さんがいて、はっぴー&らっきーだなあ、としみじみ思います。

2009年12月11日金曜日

新型インフルエンザの検査(2009年12月11日掲載)

最初にお断り] インフルエンザ検査結果は「陰性」でした。

インフルエンザの検査を初めて経験しましたが、驚きました。

1.綿棒の長ーいのを鼻腔奥まで「うぐっ」となるまで入れる⇒何かを採取
2.サランラップに鼻をかむ

この両者で検査するようです。

それはいいんです。いいんですけど、説明って順番が重要だなあ、と改めて思いました。

検査を受けた医院での手順は、こうです。

看護師さん(以下N):「インフルエンザの検査ですね?」
私:「はい」(と言いつつ、腕をまくる。なぜなら、採血用の台みたいなのが目の前にあったから)
N:「あ、腕じゃなくて、鼻で検査するんです」
私:「あ、そうなんですか」
N:「だから、マスクはずしてください」⇒念のため着用していった
私:「はい」
N:サランラップをぴっと破き、渡しつつ、「これ、両手で持ってください」
私:「はい、こうですか」
N:「そうです。じゃ、ちょっと痛いですけど、我慢してぇ~(と綿棒を突っ込まれる)」
私:途中まで我慢できたが、最後のほうで、「うぐっ」とうなる(この両手のサランラップななんのため?疑問・・・)
N:綿棒を抜きつつ、「はい、では、これで(とラップを指す)、鼻をかんでください」
私:「(これ?ラップに?)あ、はい・・・。あ、ラップが丸まってしまいました・・・」
N:「ちゃんとやってください、はい、もう一回」
私:「できました」

なんか全体的に説明が後手後手なんですね。ミステリーツアーのように。だから、こっちは、「次はなに?」と不安でしょうがない。

やはり、どんなことでも「ホール・パート・ホール(全体・部分・全体)」、 100歩譲って、「ホール・パート(全体・部分)」で話してほしい。

理想的な検査方法。

N:「インフルエンザの検査は、2段階で行います。まず、この長ーい綿棒で鼻腔の粘液?を取ります。これは少し痛いくらいまでやります。我慢してください。綿棒を抜いたら、次にサランラップに鼻を考えいただきます。では、前もってサランラップを手に持って待機してください。最初の綿棒検査から行きますね。ずぼっ」
私:「うぐっ」
N:「はい、次は鼻をかみます」
私:「ちーん」
N:「はい、これで終わりです」

・・・・・。

こういう仕儀になるかと思われるのですが、ダメですか?

プレゼンテーションでは、最初にアジェンダ(議題・目次)を伝えようと言いますわね。インフルエンザも最初にアジェンダがあったほうが、患者は安心できると多います。


最初に段取りを行っておいてくれたら、不安は少なく、途中で焦ってラップが丸まってしまうこともなく、もっとスムースに検査ができたのではと思うわけです。

ちなみに、同僚も同じ検査を受けた時、「本当に家庭で使うサランラップなんですよねぇ。あれで鼻をかめ、と言われた時、少しだけ屈辱的な気持ちになった・・・」 と言っていました。


ラップは、鼻をかむものではありませんから(フツウは)。 駅で、ポケットラップなんて、配ってませんから(絶対に)。

2009年12月6日日曜日

旧ブログ記事:Learning bar(12/4)参加報告“変えられるものと変えられないもの”

Learning bar @Todai(12/4)の報告です。

私の印象に残ったことを紹介します。

【メインスピーカー:三井物産 渡辺雅也さん】
2004年~行っている組織変革の事例紹介でした。

「よい仕事」とは何かを創業者のメッセージに立ち返り、全社員6000人(海外拠点も含む)で考えるワークショップを開き、だんだんと理念浸透をさせていった、というものです。

どこかで聴いたことがある話だなあ、とずーっと思っていたのですが、帰宅してから思い出しました。

ファミリーマートです。「ファミマらしさ」を全社員で追究し、浸透させていくワークショップを行って組織変革を行ったというもの。

「こんなことやってどういう意味があるんだ」「いいなあ、こういうワークショップをするだけで給料がもらえるんだから」というような抵抗も多々あった中で成し遂げた、というのは、すごいことだと思います

自分だったら途中でくじけてしまうような気がします。


【神戸大学 金井壽宏さん】

金井さんは、三井物産渡辺さんの話を受けて、「個人と組織」にとっての「変革」について解説してくださいました。

●企業理念の浸透というと、課題(P)直結なので、Pの影響力が大きいと思うかも知れないが、実際には、圧倒的に思いやり・配慮(M)が強く関係している。(PとMは、「PM理論」のそれです)
●主語が「企業」とか「組織」だという場合、その議論はすべてアヤシイと思ったほうがよい。「組織が変わる」「組織が元気だ」・・・。主語が「わたし」でない限り、何も変わらない。
●「変わらなければならない」時、普段、”よし”とされることがネックになることがある。たとえば、個人にとっての「慣れ」、集団にとっての「団結の強さ」、組織にとっての「強い文化」。これらは一見よいことのように思われるが、変革をする際に、邪魔になることもある。

さらに、「ラインホルト・ニーバーの祈り」を紹介されました。

「変えられるものを変える勇気と
変えられないものを受け入れる心の静けさと
両者を見分ける叡智を与えたまえ」

個人の「変えられないもの」がシャイン氏による「キャリア・アンカー」ですね、と。

【Q&A】

●「変えていいものと変えなくていいものの見分け方は?」

金井さんは、こう答えます。
全部変えるのです。ただし、「そこを変えたら、その組織や集団らしさがなくなる」というもの以外は全部変えたほうがよい。とはいえ、「そこを変えたら、その組織らしさがなくなるもの」といった時点でそこにまた言い訳が発生する可能性がある。だから、とにかく、「全部を変える」つもりでやればよい。「ここを変えたら”らしさ”がなくなる、と思うことでも、小さく変えてみて試してみる」価値はある。

たしかに、「これは変えちゃだめだ」という例外を沢山設けているうちに結局、どこも手をつけられなかった・・・という結果になるような気がします。

言い訳が入り込む余地を与えないようにするためにも、とにかく「全てを変えるのです」とは、ずしりと心に響きました。

●「企業理念の共有とか組織変革の遂行におけるミドル(マネージャ)の役割は?」
トップは、抽象的なメッセージを出す。それをミドルが具体化していく役目を負っている。 こういう変革とか理念浸透みたいな場面で、トップが心からコミットしているかどうかはとても大きいだからといって、トップダウンだけがそのやり方じゃない。たとえば、ミドルが中心になって変わっていく活動をし、それをトップがあとからオーソライズするという例も多々ある。 名君系のトップか、アドミ系のトップかで、ミドルは自分達の動きを考えればよい。

これは、つまり、社員が「トップが何も決めてくれないから」と文句を言うのでもなく、トップも「社員が考えればいいんだ」と突き放すのでもなく、それぞれが自分ができることを考え、動く、という意味だと思ったと同時に、傍観者・評論家ばかりでは組織変革や企業理念の浸透など絶対にできないんだろうな、と自戒を込めて心に刻みました。

【中原さんのラップアップ(まとめ)】
「導管モデル」を引き合いに出し、企業は、理念をあの手この手(例:カードを持たせる、額に入れて掲げる、唱和させる?)で社員に「注入」しようとするが、これはどれだけやっても「導管モデル」に支配されている状態である。 日本人は14000時間の被教育体験からこの「導管モデル」を自らの教育感として培ってしまった面がある。

組織変革とか理念浸透みたいなものを「注入」するのは、トップダウンによる「導管モデル」イメージ。

「対話」というと、ボトムアップのイメージ。 でも、対話だけに依存するのもよくない。トップが決める、トップが関与することも大事。 そこに「第三の道」があるのではないか。


●トップは、あいまいな言葉であっても基盤づくりをする。(三井物産の例では「よい仕事」)
●ボトムアップで、対話や学習によって腹落ちさせていく。(三井物産の例では、全社員によるワークショップで「よい仕事」を一人ひとりが定義していく)

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今年最後のLearningbar@東大。 200人くらいの参加者。

いつも以上に熱気むんむんで、「皆で話し合いましょう」の時間は、隣の方の声も聞こえないほどに。

そうそう、お隣が山形大学の酒井さんという研究者で、近くの5人で話し合いをした際、とても上手にファシリテーションしてくださいました。2月に中原さんとご一緒にイベントをなさるそうです。

「越境の学習」について、とおっしゃっていました。(「『リフレクティブ・マネージャー』でも社外の学びについて触れられていましたよね。それです。」だそうです。)

2009年12月4日金曜日

旧ブログ記事:Learning bar@東大に行ってきた!中原淳氏&金井壽宏氏&三井物産渡辺氏(2009年12月4日掲載)

今年最後のLearning bar@東大(2009年12月4日)に行ってきました。来場者、約200人。

中原さんの進行の元、三井物産の渡辺さんによる「企業理念」の浸透プロジェクトの報告、そして、金井壽宏さんの解説。基本的には、金井さんの師匠であるシャイン氏の理論に拠る解説をしてくださいました。

金井さんの講演は、昨年、市ヶ谷の私学会館で行われた産業カウンセラー協会の勉強会以来2度目。なんだかとても面白く、学びと気づきが多いものでした。

いくつか、整理して報告したいことがあります。後日、こちらにUPします。

とりあえず、よい週末を!

旧ブログ記事:『リフレクティブ・マネージャー』を読んだ(3/3)(2009年12月4日掲載)

3回に分かれてしまいましたが、最後です。

5章:企業「外」人材育成

社内だけでなく、社外でも学ぶことの意義を説いている章です。

中原さんは、組織外での学習について、以下のように述べています。

P.303より引用
「職場や家庭以外のさまざまな場へと自らの意志で「越境」することによって、「日常としての修羅場」から一時的にアンプラグド<田中注:つながっていない状態、オフの状態>し、新しいものを見聞きし、刺激を受け、知的に興奮し、その都度熟考できれば、よりよく生きることができるのではないだろうか」 (こういった学習を「越境することによる学習」というそうです。)

P.305より引用
「組織の中で奮闘しつつ、時に組織を「越境」しつつ、自らを「取り戻し」、新しい物事を「再創造」する大人に、私はなりたい。」

一方、金井さんは、紐帯(ちゅうたい)の話を使って、こう解説します。

(マーク・グラノヴェッダーは、家族などより、たまに会う程度の知り合いといった弱いつながりの方が役立つ情報を提供してくれるといったことを「弱い紐帯(ちゅうたい)」と名づけているそうです。)

P.297より引用
「強いネットワークの輪の中にいる人たち同士は、住んでいる世界もほぼ同じだから、それぞれが持っている情報や発想が似通っている場合が多い。それに対し、「弱い紐帯」で結ばれた人たち同士は、よりレパートリーの広い情報や意外な発想を持ち合うことができる。」

このことからも、社外で学ぶことの意味や意義を再考できるんじゃないか、ただし、社外でばかり学んでいるのもまたダメで、ちゃんと社内での学びとブレンドされていないとね、と付け加えています。

私の仕事上の経験で言えば、 1社向け研修は、それぞれ密度の濃い、社外秘も含めた議論ができて、それはそれで有意義ですが、公開コース(当社ですと、新宿、大阪のトレーニングセンターで開催)の場合、多種多様の企業、職種の方が集まるので、たとえば、「自分にとって当たり前なことが、全く通じない」体験をしたり、あるいは、「同年代なのに、私より数倍レベルの高い仕事をしている人がいるんだ」と刺激を受けたりして、とても有意義な空間になっている様子をよく見ています。

公開コースなんてのは、まさに「社外での学び」のチャンスだな、と思います。

プライベートな経験では、この10年、ずっと大学に通い続け、組織行動論などを勉強していますが、そこで知り合うクラスメイトは、まず、自分の仕事環境で出会うことのない方たちばかりです。

学問のマジメなお勉強というだけでなく、そういう場で「自らのあり方」を自問自答するのにも、大学といった学びの場は役立つものだと実感しています。

なお、この本は、お2人別々のあとがきがあり、本編とは違う読み応えがあります。

中原さんのあとがきは、「あとがきという名のリフレクション」と題して、ご自分のキャリアについて書いていらっしゃいます。

金井さんのあとがきは、「やや長めでおせっかいなあとがき」とあり、中年期以降の発達課題などについても再度触れています。

このお2人のちょうど間の年齢の私には、どちらのおっしゃることも過ぎ去った過去とこれからの未来の両方の観点から「うん、わかる」「想像できる」と共感するところ大でした。

この本で引用されていたいくつかの学説や理論、研究については、別途、それぞれの本で読んで学習したいと思っています。

★追記(2011年5月21日)
「弱い紐帯」・・・。もしかすると、Twitterでのつながりというのは、まさに「弱い紐帯」かも知れない。全てではなくても、少しだけリアルに知っている、知り合えた方たちというのは。


さて、長々と3回にわかって書いてきたのは、訳がありまして。 今宵12/4(金)、今年最後のLearningbar@東大、があります。

中原さんと金井さん両氏が登壇、というステキなイベントです。

後日、改めてレポートします。

旧ブログ記事:『リフレクティブ・マネージャー』を読んだ(2/3)(2009年12月4日掲載)

というわけで、3章から続けます。

3章:働く大人の学び -導管から対話へ
中原さんの前著『ダイアローグ 対話する組織』の中でも触れられている「導管メタファ」について改めて述べています。

学習は、有識者も知識や知恵を、講義などで注入すれば成り立つ的なとらわれ方が長くなされてきたけれど、今は、「学習者が互いに影響しあって学習を促進する”協調学習”」という考えが注目されている。

「導管メタファ」による学習形態といえば、「講義中心の一斉教授方式」がまさにこれに当たりますが、やはり、講師が「伝えたつもりのこと」≠学習者が「理解し、できるようになったこと」になるので、限界があります。これは、技術研修でも同じです。

中原さんも金井さんも共通して述べているのは、以下のようなことです。

マネージャーが部下の育成をすべて担わなければならないのか?たしかにマネージャには部下の育成の責任はある。しかし、それは、一身に背負って教え、育てるということではないはずだ。部下が育つような環境を作っていくことこそがマネージャの役割なんじゃないか、と。

では、職場を学びの場にするにはどうすればよいか?

そこで登場するのが、「正統的周辺参加」です。

以下、また引用。(P.183)
「新人(学習者)にとっての学習は、しごとの中の日常的行為に埋め込まれたものであり、「学習-仕事」という対立概念<田中注:「学習するのか」「お仕事するのか」を異なるものとして扱うこと>は存在しない。 (略) 学習者が意識しているのは、知識やスキルの習得などシステマティックに細分化された目的ではなく、トータルな意味での実践活動における行為の熟練だ。」

P.184
「新人は、ある組織の中で、組織にとって価値があるとされる事柄を周辺的に担いながら、ときに試行錯誤を繰り返し、さまざまな人々の助けを借りつつ、一人前になっていく。」

これで思い出したとあるベンチャー企業の社長の一言。

「田中さん、人はさあ、”アイツは俺が育てた”という記憶は持っていて、それを偉そうに言うことがあるけど、 ”俺はあの人に育てられた”という記憶、というより、自覚自体をさほど持っていないもんなんだよね」

ダイアローグしかり、正統的周辺参加しかり、人は、「1人で勝手に成長するわけ」ではないのですね。

4章:企業は「学び」をどう支えるのか

この章は、主に、企業における人材育成について語られていて、私のように人材育成を生業にしている人間には耳の痛い話がてんこ盛りです。

たとえば、
●人事部は「教育ベンダー」に丸投げ研修をしていませんか?
などと言う、企画段階の課題から、

●きれいに終わる研修がよいのか?
というデリバリ段階での問題まで。

特に、「きれいに終わる研修」の是非について、中原さんは、「世の中、正解なんてないのだ。研修を受けたらかえってもやもやする。だからそれにより内省が始めればよいのだ。」みたいなことをおっしゃってますが、これ、現場の講師としては、悩むところです。(理屈としては100%うなずくのですが)

「講師ははっきりとヒントを与えてくれなかった」 「研修に出ても私の問題は解決しなかった」 と怒ってお帰りになったりすると、本当に苦しい。(文字通り、心臓がバクバクします。)

「唯一無二の正解」など存在しないと言っても、ある程度の指針を示すなり、何か「すっきり感」を与えるなりしないと、 ”顧客満足度”という観点では、否と見なされることもあります。

だとすれば・・・・。

もともとの設計段階で「もやもや」するのがこの研修の意図です。 といった話し合いがきちんとされていることが重要なのかな、と改めて思いました。


※ ああ、まだ終わらない。後編に続く

旧ブログ記事:『リフレクティブ・マネージャー』を読んだ(1/3)(2009年12月4日掲載)

本題に入る前に、今朝手に取った「R25」の最終ページのコラムがとてもよかったので、お知らせ。帰り道、どこかにまだ残っているかも。

石田衣良さんの文章。「だから、どうした!」というタイトルで、景気悪いからどうした!不景気だ、と不機嫌になったり、誰かのせいにしたりせず、まずは、この1年のご褒美を自分に贈り、あとはこの国の再建のためにみんなもっと元気に働こう!というものでした。
(うまく要約できていないんだけれど、決して、自己責任論とかそんなことを言っているのではなく、とても前向きで元気が出るコラムでした。)

さて、本題。

中原淳・金井壽宏両氏共著『リフレクティブ・マネージャー』(光文社新書)を読みました。

中原さん・金井さんお2人の本はほぼ読んでいるので、共著となれば、ワクワク感倍増。

全部で5章立て、往復書簡風に書かれているものです。あとがきで中原さんも触れていますが、金井さんの知識量がハンパじゃない。

いや、学者さんなので当然なのかも知れないですが、何かの現象や事例が登場すると、「●●という学者は、××という理論をこういう風に展開している」と、理論的な背景も添えるのですが、まあ、その種類というか、カバレッジの広さが目が点になりそうなほど凄いのです。

凡人として、これだけの本や文献(中には英語のものも)を読むのは到底無理なので、「いろいろな学説や研究」をコンパクトに教えてくださってありがとう!と感謝の念を禁じえません。

ま、そんなことはさておき、章立てごとにフリーフィングを。

1章:「上司拒否。」と言う前に
マネージャになりたくないという人が増えている。20年くらい前までの会社員には「マネージャー」が上がりみたいな、目雑べきポジションみたいなところがあったけれど、今のマネージャー予備軍は必ずしもそうは思っていない。

中でも、以下のあたりは「ああ、なるほど」と思いました。

P.36から引用。
「かつて課長は部下に対して指示・命令を下す存在だった。組織への適応もモティベーションの喚起も、課長ではなく部下本人の責任だった。ところが、今のマネージャーには、部下に組織に適応してもらうこと、、部下を「その気」にさせることが求められ、カウンセラーとしての役割が重要性を増している。」

このことを、中原さんは、「・・・上司の役割の重要性を承知しつつ、私は上司の立場に思わず同情してしまう」とも書いています。

でも、「世代継承性」という、中年期以降のキャリアの新しい課題もあるよね、とは金井さん。

マネージャーとして、後進を育てていくことが、自分自身の学びや成長にも寄与するんじゃないか、と。

中原さんは、「30代のボクにはまだピンと来ない」ってなことを書いていらっしゃって、このあたりが、「30代と50代」の違いで、面白いなあ、と思いました。

★追記(2011年5月21日)
「世代継承性」を意識し始めるのって、何歳ぐらいだろう? 45以上という感じがするのだけれど、職種によるのかな? 男女でも違うかも知れないし。 「定年」が見え始めた時、体力に対する自信に影が差した時、世代継承性、ということを考えるような気もします。

2章:内省するマネージャー -持論をもつ・持論を棄てる
専門家には、内省(リフレクション)が非常に重要だというドナルド・ショーンの研究(内省的実践家)、アージリスの「二重ループ学習」についても述べています。

内省はなかなか1人でできないので、内省に他者が介在することが重要とも。(この他者を介しての内省の場になるのが、「対話」(ダイアローグ)。

これらを総合するに、

●人は内省することで、自らの行動をよりよいものにできる(内製的実践家)
●内省には他者の協力が必要(ダイアローグの重要性)
●内省していく中で、自分の学びや成長を振り返るだけでなく、その方法までをも振り返り見直していくとよい(二重ループ学習)

ということかと思います。

金井さんはいろんな本で「マネージャやリーダーは”持論を”もて、そのためにも理論を活用してほしい」と書いていらっしゃるのですが、この本にも以下のように述べてます。

P.133から引用。
「リフレクティブ・マネージャーをめざす人たちに言いたいのは、研究者の理論なんか関係ないと背を向けて自己流に留まるのではなく、経験からの内省によって自らつくり出した持論を、研究者によって検証された抽象度の高い理論とうまく突き合わせ、自分なりの裏づけを取ってほしいということだ。理論と両立するような持論こそパワフルなのであり、(略)」

ただし、「持論」に凝り固まって、時代に合わない、現状に合わない持論に執着するのはダメなので、何度もそれは見直し、時に棄論する、持論を組み立て直すことも必要だとあります。

深く納得。

★追記(2011年5月21日)
この「持論を作ろう!」については、とても共感するのだけれど、初めから持論ありき、で、それを「強固」に守り、変えようとしない、となると話は別だなあ。色々な人の考え、自分自身の試行錯誤、あるいは、アカデミックななんやかやを融合した後に持論は作りたいもの。では、「持論」を作るべき歳ってあるのだろうか? 役割次第なのかな? 30歳でも社長はいるわけだし。このあたりに興味ある。

※ 続きは別エントリーにいたします。

*** 追記(2011年5月21日) ***

今、芦屋広太さんとITproサイトで行っている「往復書簡」連載は、この本の手法が頭にあってものものでした。編集者と「こういう感じにしたい」と伝える時、この『リフレクティブ・マネージャー』が頭にありました。


2009年12月3日木曜日

旧ブログ記事:「彼・彼女の今日1日を思い出せますか?」(2009年12月3日掲載)

7月や8月に配属された新卒新入社員のOJTも佳境に入ってきている頃だと思います。

12月-1月は、OJT担当者のフォロー研修が続きます。「現場の人育ての成果報告」や「課題の議論」をする集まりです。

さて、それでふと思い出した話を。

OJT担当者になった方たちで「後輩指導において、自分自身が気をつけたいこと」を考え、リストアップをした時のこと。

これをセルフチェック風に作成しましょう、と提案し、「○○していますか?」という自問形式で表現していただきました。

通常、たとえば後輩とのコミュニケーションに関しては、

「まめに声を掛けていますか?」
「困っていることがないか気に掛けていますか?」
「仕事以外の会話も交わしていますか?」

といった表現になることが多いのですが、

ある方が、

「今日1日の彼・彼女のことが思い出せますか?」

と書いていたのに、感心しました。

そうだ、まめに声を掛ける、とか、困っていないか気に掛けるとか、こまごま挙げたらいくらでも自問できるけれど、夕方仕事を終えたそのタイミングで、「今日1日の彼・彼女を思い出せるか?」と自問し、それに対して、ちゃんと「Yes」と答えられたら、 後輩の育成という課題にきちんと取り組んでいることを確認できるんだな、と思ったのです。


旧ブログ記事:「あの子この子」をやめませんか?というお話(2009年12月3日掲載)

どうしても気になる!ので、ここに書いておきます。

研修の中でもできるだけやんわりと指摘してはいるのですが、なかなか浸透させられず、残念に思っています。

後輩を「あの子」「この子」などと「子」と呼ぶことです。

大人同士なのだから、「女性」「男性」「後輩」「部下」などと呼びたい。

自分が、「あの子さあ」と言われたら、やはり、イヤだと思うのです。
(いや、私は既にアラフィーなので、さすがに身近では呼ばれませんが、
そうは言っても、60代70代の先輩方には、「田中さんって子がいてね」などと言われたら、やはり、うぐっ!とお饅頭が喉につかえたサザエさんのようにむせると思います。)

研修内の会話では、たとえば、こんな風に使われます。

「私は、配属された新入社員の世話役になったのですが、今年の子は、去年の子と違ってちょっとおとなしい子が多く・・・」

「私のところにいる後輩は2人で、1人は男で、もう1人は女の子です」(これなどは、「男」と「女の子」と、別の意味でさらに違和感を感じます)

「○○さんのところにいる子ってなんていう名前だったっけ?あの子、ガンバっているよねぇ」

「うちの子たちは、皆優秀なので、育成が楽なんです」

・・・・・

「子」って、本当にやめたほうがいいと思います。 「社会人としての自覚を持ってください」と同じ新入社員や後輩に言っているはずです。

であれば、なおのこと、社会人として相手を尊重した呼び方をしたいと切に思う次第であります。

2009年12月2日水曜日

旧ブログ記事:仕事の背景を説明してみたら・・・(2009年12月2日掲載)

1ヶ月の実践期間後に再集合する「リーダーシップ研修」の成果報告を聞いていたら、こんな例が出てきました。

「メンバに仕事を指示する際に、背景とか全体像も伝えるようにしたら、質問が出やすくなって、結果的には疑問点を早期に解決、仕事の精度も上がったようです」。

これまでは、「この仕事をお願いね」と、指示を出す相手の担当範囲だけを伝えていたのをやめて、
「全体像や背景と相手の担当範囲」をセットで伝えるように、説明方法を変えてみたとのことです。

「どうして質問が出やすくなったんでしょうね?これまでは質問がなかったのですか?」と尋ねたら、しばらく考えてこのリーダーさんが答えるには・・・。

「これまでも質問は出ていたんですけど、何を聞いているかわからないので、もうちょっとポイントを絞って!とか、どこがわからないの?などとこちらも聞き返すことが多く、その結果、メンバもだんだん質問しづらくなっていたみたいです。

全体像とか背景を説明したら、メンバも全体像がつかめるので、質問の内容がちゃんとピントの合うものになって、こっちも自ずと答えやすくなり、会話がかみ合うようになったんだと思います。」

・・・・・・。

この話を聞いていて、私は、目からウロコが10枚ほど落ちました。

よく、「部下が何を質問しているかわからない」とか「メンバが何を聞いてきているかさっぱり要領を得ない」と、会話がかみ合わない原因を質問者に帰することがありますが、

この例は、

● 全体像を理解していない人の質問は要領を得ないものになりやすい、
● 全体像を理解している人の質問はピントが合いやすい

ということを示唆しています。

部下やメンバの言っていることがわからないとき、相手の問題だと思わずに、自分の説明に不足や不備がなかったかな?と立ち止まって自問自答する必要があるな、と学んだのでした。

2009年12月1日火曜日

旧ブログ記事:引き継ぎ資料の作成方法(2009年12月1日掲載)

有識者の知識・スキルを後進に早く引き継ぎたい!という声はよく聞きますし、そのために「マニュアル化」「文書化」をしている職場も多いことでしょう。

このとき、その引き継ぎ資料・マニュアルを誰がどう考えて作っているでしょうか?

有識者が作成すると、自分の知識レベルを基本として書いていくため、初心者・門外漢には、「さっぱり分からない」資料になることがあります。

そこで、お薦めなのが、「引き継がれる側=引き継ぐ相手」のリクエストを尋ねる方法です。

先日担当した「リーダー研修」でもそういう事例が出ました。

「引き継ぐ相手にヒアリングをして回り、『何を引き継いで欲しいか』『知りたいことは何か』を調べてから資料を作ったら、抜け漏れが激減した」
という話でした。

同じようなことは他社でも聞いたことがあります。

「引き継ぐ相手にアンケート用紙を配り調査した」とか「引き継ぐ相手に項目だし(見出し・目次レベル)だけはしてもらった」とか。

すべて似た試みですね。

分かっている人には「当然」だということすら分からないのが初心者・門外漢。 なので、分かっていない人、これから学ぶ人に「知りたいこと」「教えてほしいこと」を挙げてもらうというのは、どこでも使える方法かと思います。