2010年2月28日日曜日

旧ブログ記事:190冊(2010年2月28日掲載)

2009年1年間で購入した本の冊数を計算しました。

190冊。

読んだのが140冊くらいなので、50冊が「積読」になったわけですね。(それでも、完読していないだけで、資料としては全部目を通していますが)

Ama●●nは危険だー。

何度も「お奨め」されると、「わかったよ、買うよ」とクリックしてしまいます。
何か気になるのですよねぇ、薦められると。

お客様や受講者の方が「これ、読んでいるんです」とクラスの中で見せてくださると、それを読んでいないのが悔しくて、また買ったり。あるいは、「読みました?」と問われると、より悔しくて、買ったり。

でも、それよりも危険なのは、私の場合、
●酔っ払って本屋に行く
です。

たとえば、お付き合いの会食などがあって、軽くワインなど飲み、早めに解散したので、ふらふらっとまだ営業中の本屋さん(駅ビル内など)にとても気分よく入る。

酔っているので、ちょっとハイテンションで、あちこちの棚を回遊し、「これも読みたい」「これもいい」などとどんどん手に持ち、レジに行って、山ほどの本を買う。

帰宅し、満足して寝る。

酔っていても、翌朝確認した「本の選択」は間違っていないのですが、それでも、気が大きくなっているのでとにかく沢山買う。

かくして、本がどんどん増えるのでした。

それにしても、「紙の本」は消えないで欲しいなぁ。

電子書籍化のことが盛んに喧伝されているけれども、紙の質感や凝った装丁など、全てを含めて「本」だと思うので、紙の「本」、消えないで欲しいなぁ。

装丁といえば、この本はお奨めです。

●和田誠 『装丁物語』 白水社
数多くの本の装丁に携わっている和田氏の、想定への思いがつづられています。「そうかあ・・・」と思ったのは、裏表紙の「バーコード」。あれが、全てを台無しにする!と憤っている点。考えたことはなかったのですが、あれ以来、和田さん装丁の本にバーコードがついているかどうか、確認する癖がつきました。

*** 追記(2011年5月26日) ***

この後、2010年12月末に、自分で電子書籍を出すことになるとは! でも、やはり、紙の本はいい。

2010年2月27日土曜日

旧ブログ記事:「理由」は大切だというお話。(2010年2月27日掲載)

以前、「奇病列伝」のひとつとして、”中心性漿液性脈絡網膜症”のことを書きました。

発症したのが2005年3月なので、もう5年が経とうとしています。

発症から治癒まで4ヶ月、ちょうど新入社員研修真っ只中だったので、新入社員の顔が全員ゆがんで見えるわ、毎晩チェックするレポートの文字もホワイトボードに書いた文字もなにもかも曲がって見えるわ、とにかく泣きそうな日々でした。

が、もう5年。なのに、いまだに3ヶ月に1回は眼科に行っています。すると、「眼底検査をしましょう」と言われます。

瞳孔を開く検査なので、3-4時間、これまた見づらくなり(まぶしくもなり)、土曜日の貴重な時間がもったいないので、先日、

「先生、もうこの検査したくないんです。発症した原因もわかっていますし、その原因となる生活(=2晩連続徹夜が引き金)はもはやしていないので、再発しないと自分では思っています」

と思い切って医師に伝えてみました。

すると・・。

「田中さん、中心性・・の再発じゃなくて、もっとすごいのの発症を懸念しているから、検査しているんです。」
「それって、なんですか?」
「加齢黄斑変性、です。中心性・・・をやった人は、加齢・・・のリスクが高まるので、早期発見のために検査はしておいたほうがいいんです」

と。

おいおい、それを早く言ってよ。

いつも、「じゃ、また、今日も眼底検査しましょか」と言うので、再発を疑っていると思ってましたさ。

というか、最初は、「再発しやすいので、たまに検査しましょう」と言われていたので、そういう理由だけかと思っていましたさ。

でも、「加齢黄斑変性」ですって?失明のリスクが高いですって?

はぁ~。

ホント、それを先に言ってよ。


今日の結論:
「何事にも”理由”は大切だ」
「”理由”をいうことで、人は動機付けられる」
「”理由”が伝わらなければ、行為の意味づけができないことがある」

【目の病気いろいろ】
●私が体験した「中心性漿液性脈絡網膜症」
http://www.nichigan.or.jp/public/disease/momaku_tyushin.jsp

●懸念されている「加齢黄斑変性」
http://www.nichigan.or.jp/public/disease/momaku_karei.jsp

★症状が似ているらしい・・・。そして、またしても「加齢」。キーワードは、加齢。ふぅ~。深いため息・・・。

やはり・・・。

華麗なる、加齢。

2010年2月25日木曜日

旧ブログ記事:新入社員のギモン(2010年2月25日掲載)

新入社員研修まであと1ヶ月ちょっと。

これまでに見聞きした「新入社員からされた質問や相談」をばらばらと紹介していきます。

● 「頭の中にあるものを、どうやってここに(手の平を前に突き出す)取り出せますか?」

これの意味するところは、「頭の中には、自分の言いたいこと、表現したいこと」が確実にある。しかし、それを文字にしたり、話したりしようとすると途端に表現できなくなる。講師が「こういうことを言いたいのですか?」と言い換えてくれると、「そうそう、まさに、そういうことが言いたいんです」と納得するのだが、講師に言い換えてもらう前に最初から自分でずばりと表現したい。どうすれば、頭にある概念を言語化できるのでしょうか?・・です。

この質問は、本当に多くの新入社員からされました。

「概念」を「言語化」するのは、本当に難しいのです。特に、新入社員には。

●「ノートを取る方法を教えてください。もちろん、自分でちゃんととっているつもりなんですが、後で見返すと、自分で書いたものなのに、なんだかぜんぜん分からないのです」

小学生の時から、すでに通算16年以上ノートを取っているでしょうに、新入社員研修で出る、この質問。黒板(ホワイトボード)を書き写すだけではノートを取るということにならないわけですが、人事の方や講師が黒板(ホワイトボード)に何も書かずに話す、その言葉をノートに拾うのが難しいらしい。

●「語彙力が不足しているから、説明が稚拙になるのだと気づきました。どうしたら日本語力が身につきますか?」

これは、「表現力」以前に「国語力」のことを嘆く声です。新入社員は、自分でも分かっているのですよね。「ボキャブラリーが少ないから、適切な表現で伝えられないこと」を。

・・・・・・・

どんなことでも、長年やっていれば徐々に身につくことはあるし、焦ることはないと思いますが、放っておいても状況が改善されるわけではありません。

どうすればいいの?は、一言で言えば、「勉強しましょう」なのですが、やはり、自分(新入社員)がどれだけ問題意識を持って、自主的に学ぼうとするかが鍵かなあとは思います。

本を読んだり、学校に行ったりしなくても、アンテナさえ立てていれば、人生の先輩達がどうやって話し、どう文章を書いているか、耳に、目に入ってくるはず。

先輩の役目は、まずは「アンテナを立てておくようにね」と動機づけ、意識づけすることかなあと思っております。

2010年2月24日水曜日

旧ブログ記事:職業病(2010年2月24日掲載)

「職業柄、世の中のいろんな人々の行動を「ヒューマンスキル」の観点で観察してしまう」ことがあります。

たとえば、こんな例。

●友人の結婚披露宴に出席。主賓の挨拶、友人知人の挨拶を聞きつつ、「この方は、話が論理的で分かりやすい」とか「主語がないので、何のことか分かりづらい」などと、どうしてもココロの中で突っ込んでしまう
●お店で買い物をしていて、「薦め上手」「説明上手」な店員さんと、そうではない人との違いを分析してしまう
●スーパーでも病院でもいろんな貼り紙を見ては、「ここの”てにをは”がちょっとおかしいんじゃないか」とか「誤字があるな」などとバーチャル校正をしてしまう
●食品の包装の裏面にある様々な注意事項を読みつつ、文体の不一致が気になる。「である」と「ですます」が混在しているといった例。
●同じく、「主語と述語の呼応=係り受け」が気になる。「この商品を開発した経緯は、○○の歴史から××を表現すべく、このたび新たに開発いたしました。」のようなもの。

などなど。

職業病ですね。

でも、いい職業病だと思っています。生活上で拾える様々な「例」が研修の挿話に役立つからです。聴いた方が、「あるある!」と思ってくださるような例は、日常から拾うのが一番ですから。

2010年2月23日火曜日

旧ブログ記事:同じやり方で異なる結果は生まれない。(2010年2月23日掲載)

「今までと同じやり方を繰り返していて、異なる結果を求めるのは、愚かなことである」というような表現を、同僚が何かの本で見かけたそうです。(*2010年5月26日追記:アインシュタインの言葉)

これ、すごく深いですよね。

たとえば、

●資格試験に向けて猛勉強した。結果、落ちた。再受験に向けて、また同じように勉強した。また、落ちた。「どうして落ちるんだろう?」と疑問に思う。だけれども、一度目に落ちた際、「この勉強方法、このかけた時間でOKだったのか?」という振り返りをせずに、同じ勉強方法を取っていただけかも知れない。

●「どうして痩せないのかなあ」と言いつつ、毎晩、誘惑に負けて唐揚げをつまみに、ビールがんがん飲んでいる

●「案件を失注した」と落ち込むけれど、自分の営業スタイルは一切崩さない

などなど。

「私、いつも○○になっちゃうのよ」「俺って、いつも××しちゃうんだよねぇ」と言いつつ、それまでのやり方を相変わらず踏襲している。それじゃあ、同じ結果しか生み出さないだろー、ということです。

「反省する⇒次につなげる」のだけれど、その際、「反省する⇒やり方を変えてみる⇒次につなげる」というステップを踏むべき時も多々あるのではないか、と思いました。

自戒を込めて。

2010年2月22日月曜日

旧ブログ記事:敬語の指針:「相互尊重」と「自己表現」(2010年2月22日掲載)

平成19年2月2日 文化審議会答申「敬語の指針」という資料を読んでいます。

大変ためになります。いや、ものすごく勉強になります。

現在、敬語は、「尊敬語」「謙譲語」「丁寧語」の3分類ではなく、5分類になっていることはご存知でしょうか?

●尊敬語
●謙譲語Ⅰ
●謙譲語Ⅱ (丁重語)
●丁寧語
●美化語

です。

それぞれの具体的な解説、どんな点に気をつければよいか、など、詳細に記載されています。日常見聞きする「敬語」に関する疑問についての回答(と解説)もあります。

中でも、敬語表現を「相互尊重」と「自己表現」の2つを大切にしていく姿勢を貫いていることがあちこちに書かれ、納得感があります。

「気持ちよく生活するためにお互いに尊重しあう」とは、「上下」の関係が常に意識されつつも、それでもなお、互いに尊重することまで指しています。つまり、「上」の立場の人間が「下」の立場の人間にも配慮することも必要なのです。

なるほど、です。「部下」が「上司」に敬語を使うだけでなく、「上司」も「部下」に配慮した表現をすることが大事ということですね。

敬語を使うのは「自己表現」の一つ。これは、「いつでもこうあるべき」と固定的に考えるのではなく、もっと緩やかに言葉について取り組んだ方がよい、ということのようです。とはいえ、誤った表現や敬語の過不足は避けることを心掛けることも大切ともあります。

あと、もうひとつ。そうだ、そうだなあ、と思ったこと。

「敬語」というのは、それを使うことで、相手に対する敬意を表現できるのだが、それだけではなく、それを使う(使わない)ことで、相手のことを自分が捉えているかまで表現することになることは忘れてはいけない、ってなことが書いてあります。

つまり、仮に私が「山田さんがそうおっしゃっていました」と述べた場合、山田さんを立てた表現になっているだけではなく、「私」が「山田さん」を「立てるべき存在」と認識していることまでをも表現する、という意味です。

言われてみれば当たり前なのですが、激しく首肯したのでした。

新年度の前に、ひとつ先輩になる、その前に、一度目を通してみても悪くないと思います。(↓)

【敬語の指針】
http://www.bunka.go.jp/bunkashingikai/soukai/pdf/keigo_tousin.pdf


2010年2月21日日曜日

旧ブログ記事:しっとり・かさかさ(2010年2月21日掲載)

スーパーの「自分で買ったものを袋詰めする台(=サッカー台)」で隣にいた親子の会話。(お母さん+小学生女児2人。4年生くらいと2年生くらい。)

お母さん : 「レジ袋、ちょっと開けて」
娘1    : 「お母さん、開けられないの?」
お母さん : 「あなたは、手がしっとりしているでしょ?すぐ開けられるでしょ?お母さんは開けにくいの」
娘1    : 「お母さんは、手がしっとりしてないの?」
お母さん : 「年取ると、手がかさかさになっちゃうの!指舐めて紙をめくる人がたまにいるでしょ?」
娘1    : 「うん」
お母さん : 「指を舐めている人は、オバサンなの」
娘2    : 「お母さんは、オバサン?」
お母さん : (無視して)「早く袋開けて、入れるの手伝って」

・・・・・

なんということのない会話なのだけれど、なんだかとてもおかしかった。

「あなたたちはしっとり」だけど「舐めている人はオバサン」と独白してしまう母。
「お母さんは、オバサンなの?」とストレートに真顔で聞いてしまう娘。

それを無視する母。

くすっと笑ってしまった。

私も台に置いてある「手拭き」で手を湿らせるクチです。(でも、指を舐めたりはしません。)

2010年2月20日土曜日

旧ブログ記事:リアル鳩カフェに・・・。(2010年2月20日掲載)

バレンタインデー(2/14)に催されたリアル鳩カフェ。たった10人しか参加できない民間人の一人に同僚がいたと、後日知って、もう会社中(大げさ?)大騒ぎでした。

今後何度か開催されるようですが、初回は「子育て」がテーマだったそう。この同僚も一児のママなのであります。

わたくし、今週は忙しくて、夕刊は全部土曜日である今日、まとめ読みしていたら、ちょっと前の夕刊に、その鳩カフェの模様+同僚が鳩山さんと並んで写っている写真に二度びっくり!

「リアル鳩カフェ」に知り合いが参加しているなんて思っていないので、TVで釘付けになったのは、鳩山さんの派手なシャツばかりでした。同僚がその場にいたのであれば、派手なシャツに目を奪われることなく、参加した方たちを真剣に見るべきでした。

さて、その同僚、鳩山さんとこういう会話があったそうです。

パパママ達: 「首相官邸で子供を放牧できるなんて思わなかったから嬉しい!」
鳩山首相:  「へぇ、放牧という言い方をするんですね」

物凄く真面目な表情でそう応じたとのこと。

この10人。物凄い倍率から選ばれたそうですが、応募の際に応募理由を書くという条件があったということです。

何かしたい、と思う人は、ちゃんとそれなりの行動を起すのだなあ、と、彼女の行動力に関心してしまいました。

【リアル鳩カフェについての鳩山首相”鳩カフェ”サイトの記事】
http://hatocafe.kantei.go.jp/2010/02/20100214.html

2010年2月19日金曜日

旧ブログ記事:「ちゃっきょ」「ガチ」(2010年2月19日掲載)

新入社員研修スタートまで1.5ヶ月を切り、身辺何かとあわただしくなってきました。

「新入社員が遣いがちだけれど、職場ではNGな若者言葉」を考えていたら、ふと、先日、OJT担当者研修でお聞きした現場の例を思い出しました。(「OJT担当者向けフォローアップ」という研修は冬場に行うことが多く、「新入社員を育成している中で遭遇したことを議論したり、今後の対応を考え、計画を立てたり」します。)

●ケース1:「ちゃっきょな新人」

受講者A:「この間、新入社員が”ちゃっきょ”って言ってて、何のことかわかんなくてさあ。皆、知ってる?」
受講者B:「え、ちゃっきょ?何それ?」
私: 「うふふ、私知ってますよ」
受講者A:「ボクも新入社員に聞いてわかったんだけど、驚いた」
受講者B: 「だから、何?なに?」
私: 「着信拒否のことですよねぇ」
受講者A:「ええ、そうなんだって。そんなの、知らないよなあ」
受講者B:「へぇ、そうなんだあ、知らなかった」

・・・・ええと、それより職場において、どういう文脈で「ちゃっきょ」が出てきたんでしょうか?のほうに興味があります。

●ケース2:「ヤバイ新人」

受講者C:「うちの新入社員って、凄い言葉を使うんだけど。”ガチでヤバイっす”と言われてびっくり」
受講者D:「ああ、ガチって言うよねぇ。DAIGOか(すでに古い?)。うちの後輩も、”先輩、これ、ヤバくないっすか?ヤバイっすよね”と言うよ。”まずい”と言っているのかと思ったら、そうじゃないんだってねぇ。凄いとか素晴らしいという意味でも使うんだねぇ」
私: 「ええ、そうらしいですね。おいしいも”ヤバイ”らしいですよね。で、その”ヤバくないっすか?”
にどう返事したんですか?叱ったのですか?」
受講者C:「”ヤバくないっすか”と言われたんで、そのまま、”ヤバいです”と言ってやりました。その上で、”そういう言葉遣いは、職場でやめなさい”って言いました」

・・・・ところで、「今年の新入社員はヤバイよ」という場合、どういう意味になるんでしょうか?ソボクな疑問。

そう言えば、私もこういう経験があります。

ある企業の新入社員研修で、「学習レポート」を見ていたら、「俺的には・・・思う」という表現が出て来ました。

翌朝、その点を指摘したところ、その日のレポートには、「私的には・・・」と書いてありました。

意図がうまく伝わらなかったことを反省し、再度、「俺」「的」両方がNGであることを伝え直しました。

今年はどのような例を体験することができるでしょうか?

=========

「若者が言葉を知らない」
「新入社員が敬語を使えない」

と嘆く声は多いのですが、それは、何も今に始まったことではないと思っています。

忘れているだけで、自分だって絶対にそういう新人時代をすごしたはずです。(今、40歳の人も50歳の人も60歳の人もかつてそうだったに違いありません。)

なので、嘆く必要はなく、教えていけばいいのです。知らない、使ったことない、から使えない。それだけなんだと思うから。

2010年2月18日木曜日

旧ブログ記事:女性誌の取材で気づいたこと(2010年2月18日掲載)

東京地方、本日も雪であります。
朝起きたら真っ白だったので驚きました。何度降るんだろうか?

ところで、昨日、とある女性誌の取材を受けました。読者から「後輩の育て方」で悩んでいることを募集し、集まった様々な事例に対して、私がヒントを出しましょう、というようなものです。

発行が4月なので、無事掲載されたら詳細をご案内しますが、インタビューを通じて思ったことを。

こういう取材の場合、記者や編集者は、基本的に「オープンな質問」をします。(オープンな質問とは、「はい/いいえ」で答えるクローズな質問とは異なり、「どのように?」「具体的に言うと?」と、回答者に詳細な説明を求めるタイプのものを指します)

そうすると、私に何が起こるか?

「深く内省」するんですね、これが。本当に、本当に深く内省するんです。

たとえば、昨日のインタビューで、こんな質問がありました。

「この雑誌の読者層はアラサー(30歳前後)の働く女性なのですが、中堅として仕事をしている女性が20代の後輩達との接し方や教え方・指導方法に悩む声は多いのです。そういう働く女性たちに田中さんが『こんな風に考えたらいいよ』とアドバイスするとしたら、なんとおっしゃいますか?」

うーーーーーーーーーん。考えますよねぇ。これ。

いろいろ頭には浮かぶけれども、簡潔に言うのも難しいし、そもそも、これって、これまでに自分が体験したことをベースにした仕事のスタンスだったり、価値観だったりを問われているわけで。

だから、「うーん、そうですねぇ、なんと言えばいいかなあ」と頭をフル回転し、考えをまとめ、言葉を選んで答えました。(それでも、帰宅してから、「こういう表現をすればよかった」と悔やんだりするんですけど)

「オープンな質問」というのは、ひとに内省を促します。”コーチング”というスキルが意図しているものもそれだと思います。

人は、頭の中でただ黙って思考するよりも、誰かに何かを問われ、それに対して考えを整理して答える過程で、自らの信念、考え、価値観、思い、意思などを明確にできるのですね。

だから、「自分で考えて行動せよ」と誰もが言うけれど、それをさせるのに「質問する」それも「オープンな質問をぶつける」というのは非常に効果的だと思うのです。

上司や先輩は、どうしても「クローズな質問」をしがちになるんじゃないでしょうか。忙しいから。

「あれ、済んだ?」
「これ、終わりそう?」
「来週中にできるよね?」  など。

でも、「この人に本気で考えてほしい」と思ったら、オープンな質問は有効です。時間がある時だけでもよいので、使ってみてはいかがでしょう?

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昨日の取材で最も頭を使ったのは、「ケース」ごとの対応方法です。

「こんな時、どうすればよいのですか?」

ではなく、

「こういう事象に対して、私はこう対応したら、こんな結果になったのだが、もっとよい方法はあったか?」

というケースが多々ありました。

「なんらかの結果が出ているケース」を聴かされてのアドバイスは、単に「どうすればいいですか?」より回答が難しいと言うことを昨日知りました。

なぜなら、その読者の対応についてのよしあしなりメリットデメリットなりを解説した上で、さらに「自分ならこうする」「こういう対処方法をとる人もいる」と”プラスアルファ”を伝える必要があるからです。

・・なので、とてもよい勉強になりました。

「一旦結論が出ている題材で議論する」というのは研修でも活用できそうなので、今度試してみます。

*** 追記(2011年5月26日) ***

この女性誌は、「BAILA」(バイラ)でした。無事、4月に発行されました。

で、この「結論が出ている題材で議論」という方法は、その後、OJTトレーナー研修で取り入れ、とても好評です。

取材を受けて編み出した「事例検討」法。感謝♪

2010年2月17日水曜日

旧ブログ記事:「国語辞典」の話(2010年2月17日掲載)

昨日(2010年2月16日)の日経新聞夕刊に掲載されたインタビューのきっかけになった「国語辞典を研修で使ったケース」については、わくわくコラム(35回)を見ていただくことにして、「国語辞典」の話。

最近、新入社員研修の打ち合わせで、人事の方に「国語辞典を持参するよう入社前にアナウンスしていただけますか?」と話すようにしています。

すると、「あ、それいいアイディアですね」と賛同してくださると共に、「そういえば、最近、デスクに辞書を置いている人って少ないですねぇ」としみじみおっしゃいます。

自分で「辞書を引く」という行為によってもたらされるメリットは「わくわくコラム」にもあるとおり、

●正しい漢字を調べて書くようになる(適当に書かない、ひらがなでごまかさない)
●言葉選びに工夫が生じる
●語彙が多少増える

などが挙げられます。

周囲の先輩たちにとっては

●書類の査読が楽になる

という利点があります。

「上司や先輩は、スペルチェッカーじゃない」というフレーズが、15年くらい前に受講したアメリカでのコミュニケーションスキル研修のテキストに書いてありました。

その通りです。(しかし、これ、アメリカ人でも、誤字脱字の多い書類を上司に回しているってことでしょう。ミシシッピとかシンシナッティって書ける?という会話がクラスで飛び交っていたなぁ、そういえば)

やはり、何か書く際はまず自分で精度を高めた状態まで持っていってから提出しなければ、と思います。

私は、入社以来、机の上には以下3冊を置いています。

●国語辞典
●英和辞典
●和英辞典

隣の席の男性は、以前もこのブログで紹介したように「広辞苑第6版」を置いています。(定額給付金で購入!)

気になる言葉があったら、ネットで調べる場合もないわけではないですが、なんといっても、やはり辞書。

電子辞書が流行していて、新入社員に辞書を持ってくるように言うと、すでにほぼ100%が電子辞書を持ってきます。

たしかに「文字を調べる」「意味を調べる」ならこれでいいのでしょうが、頭使うか、というとはなはだ疑問です。

東野圭吾さんの「さいえんす」というエッセイだったと思うのですが、「紙の辞書で文字を調べることは、言葉やスペルを短期記憶に置いて、アルファベットや五十音の順番を頭で考えながら目的地にたどり着かないといけないから、頭の訓練になるのだ」といったことが書いてありました。

ホント、そうですよねぇ。省エネするのもいいけれど、時間や手間をかけることで自分の脳が刺激されて、賢くなれる部分もあるとは思うのです。(なんでも近道ばかりを選んでいては、身につくものも身につきませんよねぇ。)

皆さんは、辞書を机の上に置いていますか?

*** 追記(2010年5月26日) ***

この投稿から1年、すでに電子辞書は本当に当たり前になりましたね。若手は紙の辞書をすばやく引くことができるのだろうか?


2010年2月16日火曜日

旧ブログ記事:日経新聞(2月16日夕刊)に載りました!(2010年2月16日掲載)

お知らせです。

日経新聞の本日2/16付け夕刊の「生活・ひと」欄(東京だと11面)に、田中のインタビュー記事が載りました。(インタビューというか、名前が二箇所出てくる、という程度ですが・・・)

「若手の漢字 困った?」がタイトル。

記者さんが取材に来られたきっかけは、2年ほど前に私が書いた「わくわくヒューマンスキル」の”国語辞典を使っていますか?”を読んでくださったこと。


「国語辞典を使う研修は、増えているんですか?」
「若手の誤字にどんな例がありますか?」
「企業の”国語力”教育のニーズはかなりありますか?」

といった内容のインタビューでした。

私が研修で出会った「存在しない漢字」の例も沢山示し、興味深そうにメモしていかれたのですが、活字がないので、こちらは紙面に掲載できなかったようです。

日経新聞は、「朝刊はとっているけど、夕刊は・・・」という方も結構いらっしゃるようなので、お目に留まることもないかも知れませんけれど。一応お知らせでした。

*** 追記(2011年5月26日) ***

この記事、ネット上にないのかな、と検索してみましたが、「日経新聞」ではヒットしませんでした。残念。

旧ブログ記事:「ねえちゃん」と言われて(2010年2月16日掲載)

2010年2月15日付け「毎日新聞」の小林洋子さんコラム「あの頃わたしには名前がなかった」で、こんな体験が出てきます。

【毎日新聞:2010/2/15 『女・上司の本音』小林洋子さん】
http://mainichi.jp/life/job/honne/index.html

(URLを添付しますが、記事が移動しちゃったらごめんなさい。「毎日新聞 女・上司の本音」で検索してみてください。

かつて上司から「ちょっと、そこのカノジョ、お茶」とか、単に「お茶」と言われた、と。だから、名前でちゃんと呼んでくれた人にはとても丁寧に接した、なんてことが書いてある。

なんというか、懐かしい話です。

まず、今日びの上司は、部下に、それも女性部下に「お茶」なんて頼まないですね。(いや、今でもそういう会社はあるかも知れないけれども)

さらに「カノジョ」なんて呼ばない。セクハラになってしまうから。

しかし私もかつて経験しました。

「ねえちゃん達さあ、ちゃんと仕事してんの?」(課長から)
「ちょっと、おねえちゃん、何言ってんの?」(3歳くらい上の先輩から)

・・・・・

20年くらい前のことではありますが、一応、「男女雇用機会均等法」施行元年入社で、しかも、外資系だったのにも関わらず。

新入社員の頃は、「会社なんてそういうところかなあ」とあまり疑問に思いませんでしたが、「物心つく」とだんだん違和感を覚えるようになり、その内、「名前で読んでいただけませんか?」と主張するようになりました。

今「ねえちゃん」なんて呼んだら、張り倒されるでしょうが、「親しみを込めて言っているんだよ」なんて理由がまかり通っていたのですねぇ。(ありえない!笑)

こちらも「なんですか、にいちゃん」と言い返せばよかったのかしらん。

2010年2月15日月曜日

旧ブログ記事:受講者が多国籍に(2010年2月15日掲載)

定期開催コース(新宿または大阪)でも1社向けの研修でも最近は、多国籍になってきました。

「プレゼンテーションスキル」の1社向け研修では10人の受講者のうち、お一人イギリス人の方が混ざっていました。来日してまださほど経過していないので、日本語を学習中ということでしたが、「プレゼン演習は英語でなさいますか?それとも日本語でなさいますか?」とお尋ねすると、「日本で仕事をしていますから、日本語でトライします」とのこと。

ゆっくり、しかも、簡単な単語を使ってのプレゼンではありましたが、実は、この方のプレゼンがもっとも分かりやすかったという結果になりました。なぜか?

日本語がNativeに話せると、やたらと文章が長くなってしまいます。なので、文章の出だしと終わりの頃とでは話していることが3つくらい変化している場合もあります。日本語学習中の方が日本語でプレゼンをすると、どうしても、一文ずつ言い切ることになります。そこで「とても分かりやすい!」という評価になったのです。

これは、とても大きな発見でした。

これ以外にも、英語とドイツ語しかお話しにならないドイツ人10人への研修提供、とか、とある商社が研修で招いたインドネシア人(英語がなんとなく通じる)20人に研修提供、とか、インターナショナルなクラスも多く体験してきましたが、これらは例外で、たいていの受講者は「日本語」がちゃんと話せる方ばかりです。

来日数年でほぼぺらぺらに話せるのを見ると、中学1年から勉強したはずの自分の英語力ってのは一体なんなんだろう?と恥ずかしくなります。

そういえば、先日、「ボクは中国とのプロジェクトを推進する仕事をしているので、ぜひ、今年中に中国語で”挨拶”程度は交わせるようになりたい」とおっしゃる日本人の方もいらっしゃいました。

日本語だけでは勝負できない時代になってきたんだなあ。ITエンジニアも技術以外に勉強することが多々あって大変だなあ、と思ったのでした。(どの職種でもそうですけれど)

「たかが言語」「されど言語」です。ホント、なんとかしなくちゃ、です。(わが身に言い聞かせる)

2010年2月13日土曜日

旧ブログ記事:バンクーバーと言えば(2010年2月13日)

バンクーバーは、BC州(ブリティッシュコロンビア州)

その州都は、西側の島にあるビクトリアという街です。バンクーバーから飛行機でたしか30分程度。水上バス(?超高速の)でも小一時間のところにある、それはもう美しい街です。

20年近く前、元オットが1年間単身赴任していたので、よく通ったんです。

絵葉書のような景色。とても温暖で、平和な街なので、カナダ中のリタイアした人が集まるなんてその当時は言われていました。今はどうだろう?

世界中で「もう一度行って見たい街は?」と言われたら(って、そんなに多くの国に行ってないけれど)、間違いなく「カナダのビクトリア」と思うほど、とてもとても美しい街でした。

夏からの赴任だったので、赴任のために2週間。秋に1週間。冬休みに3週間。春にまた2週間。最後、迎えに行くのに夏に2週間。

なぜかうまく有休を使ってこれだけ通えました。

日本からはバンクーバー経由でビクトリア入りします。4回目か5回目のバンクーバー空港での出来事。

「あなたは、何のために何度もカナダに来ているのか?」とイミグレーションで問われ、「オットがビクトリアの●●学校で教鞭をとっていて」と説明したのですが、それでもアヤシイ!?!?となって、足止めを食いました。(1年に何度もカナダ入りするアジア人。アヤシイ!となったのでしょう。といっても、こっちは20代の小娘で、悪いことするわけないだろー、という感じですが)

カナダは、日本人観光客が多いこともあって、バンクーバーは特に日本食レストランが多かったですし、カナダの主要ホテルでは必ず朝食で「和食」が選べたりもしました。

ただし、こんなことがありました。

「和定食」をお願いすると、ご飯、味噌汁、焼き鮭、おしんこ、ときれいに揃っているのですが、そのご飯が「バターライス」。鮭も塩鮭ではなくて、普通のサーモンを焼いたもの。

そういえば、ビクトリアは特にイギリスの空気が色濃く残っているので、「Afternoon Teaにいらっしゃい」と地元の老夫婦に誘われて行ったらば、本当に絵に描いたように、「サンドイッチ」「パウンドケーキ」「クッキー」といったものが3段のお皿(Afternoon Tea用の)に盛られ、ソーサーつきのカップで供されたことがありました。

日本に戻る最後の休みにカナダを横断しました。とにかく、どの土地もとてもいいところでした。ケベック州では英語が全く通じない経験もして、同じ国で言語が異なるなんていう、日本では味わえない異文化に接したりもしましたよ。

一度は行ってみて損はしない国だと思います。

・・・と、開会式を見ながら、遠く20年前の思い出に浸ってしまいました。


さて、オリンピック。皆さん、頑張って自分の持てる力を出し切って欲しいものです。悔いが残らない試合になりますよう。

*** 追記(2011年5月26日) ***

なんだろう?と思ったら、バンクーバーオリンピックをやっていたのですね、このとき。
ふむ。


2010年2月12日金曜日

旧ブログ記事:バレンタインデーと言えば(2010年2月12日掲載)

DECに勤務していた頃、2-3000人の企業だったので、メールルームもかなり大きな部屋を使っていました。

メールルームには「主(ぬし)」のようなおじさんが勤務していて、社員名を聞けば、「●●部で、××ビルの△階だね」などと瞬時に分かるほどでした。

そのおじさん(たぶん、契約社員だったのだと思う)が、

「バレンタインデーってさー、社内便が増えるんだよねぇー。
全部チョコレートだよぉ~。かさばるし、邪魔くさいよぉ。おじさん、大忙しだよ」

と言ってました。

古き良き時代(20年くらい前)のメールルームの思ひ出です。

2010年2月11日木曜日

旧ブログ記事:久々かあさん:介護と子育て(2010年2月11日掲載)

1ヶ月ぶりに甥っ子に会いに行ってきました。

変化してたこと。

●寝返りで何回転もする
●離乳食の種類が増えていた
●お座りもどき(不安定)ができる

などでした。

しみじみ思うのは、「子育て」と「介護」は本当に時計を反対に進めるような感じだなあということ。

祖母の介護(要介護5)を8年弱、手伝った経験があります。

おむつは当然でかく、今赤ちゃんのおむつを見ていると、「こんなにちっちゃいのかぁ」と驚いてしまうほど。

歩けたはずが徐々に歩けなくなり、体位も自主的に動かせなくなり、嚥下もあやしくなって、だんだんと表情も減り・・・・。

子育ては全く逆なのですね。当たり前だけど。

だんだんと表情は増え、嚥下も上手になり、体位も当然自主的に変えられるし、動きも活発になる。そのうち歩けるようにもなるでしょう。(甥っ子はまだ8ヶ月<修正6ヶ月>なので、やっと寝返りですが)

祖母を見送るまでの出来事は、10年近く経つ今でも記憶が鮮明にあって、その時々に思ったことを今、甥っ子の成長と共に反芻し直すことがあります。

人は生まれ、そして、いつかは死ぬ。

当たり前だけれど、その間にいる時は、死どころか生すら意識しない。

でも、生きていること、仕事をできることに感謝しなくては、と思います。

2010年2月10日水曜日

旧ブログ記事:声を荒げたらおしまい(2010年2月10日掲載)

「リーダーシップ研修」でこんな話が出ました。

昔気質のマネージャの中には、「怒鳴る」「バカヤロウと言う」といったタイプがまだまだ生息している。(※昔気質:現役世代で言うと40代後半以降。私など世代的にはどんぴしゃです)

たとえば、部下がちょっとしたミスをする。
上司の席で、立たされたまま、「バカヤロウ!」「何やってんだ、お前」などと怒鳴る。

たとえば、会議中、部下が何か意見を言う。
上司は、「俺が決めた通りにしろ!」と一言で打ち切る。

まあ、なんと言いましょう。今だったらパワハラ!というカテゴリーに分類される行為が今でも行われているケースがあるようです。

叱ることはいいことだ、叱ることができない上司も増えてきているから。

だけれど、叱る時に怒鳴ったり、汚い言葉を使ったりすると、部下は「叱られた内容」ではなく、「叱られ方」のほうに完全に関心が言ってしまい、「何もあんな言い方をしなくても」「あのやり方はひどい」と、「叱る方法」にばかり文句を言うようになる。

「ボクの上司がこのタイプで、部下は”言い方”に反応しちゃうんですよね」とお一人がしみじみおっしゃってました。「結局、中身に目が向かない。耳をふさいでしまうから」と。

上司が折角いいことと言っても、正しいことを訴えても、部下は「内容」(What)には全く目が向かず、
「そりゃ私も悪かったかも知れないけど、ああいう言い方されるとむっとする」などと「方法」(How)の評価だけに集中してしまう。

・・・・・・・・・・

これって、部下のためにならないだけではなく、上司のためにもなっていないような気がします。

怒鳴ってその瞬間、すっきりするかも知れないけれど、恐怖を呼び起こす言葉や行為は、その言葉を発している人の魂も汚してしまうし。

たぶん。 どんなにいいことを言っても言われた側は心が傷つくだけで、全く反省しなければ、改善もしないかも知れない。結局、言い方が間違っていたら効果がないんですねぇ。

「バカヤロー、と言って何が悪い?」と言われたことがありますが、やはり、部下は「ヤロー(野郎)」ではないし、普通に冷静に言ったほうがよっぽど効き目があると思うのです。

怒鳴ってはいけません。汚い言葉で罵倒してもいけません。

冷静に言われれば、言い方といった「How」へ関心は行かず、「What(叱られている内容)」に部下も100%向き合えるはずです。

「部下もか弱くなったもんだのぉ」と言う方もいらっしゃるかも知れませんけれど、昔の部下だって「バカヤロー」なんて言われたら、やはりそれなりに傷ついていたと思います。(その傷は癒えていない可能性も高いんじゃないでしょうか)

*** 追記(2011年5月26日) ***

この会話、よく覚えています。

受講者の方が「自社の上司なんだけど」とぽそぽそ紹介してくださった例。

パワハラなどという言葉も浸透している中で、こういう「昔ながら?」の上司が生息しているのだなあ、と驚きました。

なんでもパワハラ、というのもいただけないけれど、怒鳴って改善することって、やはりないような気がします。

久々に読んで、やはり、「言い方」って大事だと改めて思いましたです。


2010年2月9日火曜日

旧ブログ記事:トイレットペーパーの芯(2010年2月9日掲載)

「トイレに行くと、3回に1回くらい、トイレットペーパーを取り替えている気がする」というと、たいていの人が「私も!」「私も!」と言う。それが、自分の番でなくなったから替えるのではなく、入ってみたら芯だけなので、予備を取り替える作業から・・・という状態のことなのだが、それでも、「私も!」「私も!」と賛同者多数である。

・・・・・とするならば、

「トイレットペーパーがなくなって、芯だけになっているのにそれを放置してトイレを去る人物は誰か?」

ということになるのだけれども・・・。

いやあ、トイレットペーパーじゃなくてもいいです。なんでもいいです。

「私がいつもあの扉は閉めている」とか、「コピー用紙を足しているのはいつも私です」とか、そういうの、「それをしていない」いや、それ以前に「気づいていない」人がいるからなのであって、その気づかない人は、故意ではなく、本当に気づかないのだろうと思うと、じゃあ、その「気づかない」性質は、人生のどのあたりで培われたものであろう?と想像してしまうのであります。

親の教育が原点か?・・・いずれにしても、フシギ。

社員教育でどうにかなるものか。いやあ、会社でそんなことまで指導しなきゃいけないのか?

「よく気づく人」と「よく気づかない人」の境目、そして、それぞれの原点はどこにあるんだろう?とよく思う今日この頃。

2010年2月5日金曜日

旧ブログ記事:『近頃の若者はなぜダメなのか』を読んでいる(2009年2月5日掲載)

●原田曜平 著 『近頃の若者はなぜダメなのか 携帯世代と「新村社会」』 光文社新書

「・・・を読んだ」というタイトルでないのは、まだ半分までしか進んでいないからです。

が、「今どきの若者」のコミュニケーションについて知るのに面白い本なので、ご紹介します。

著者は全国の若者(10代20代)にインタビューをして、「若者のコミュニケーション」について、肌で感じたことをまとめています。

詳細は、本編を読む方もいらっしゃるかも、なので「うへぇ」と感じたことをいくつか。

●「友達」がどんどん増えていく

物心ついた時点でケイタイを持っていた世代は、それはそれで辛そうだなあ。昔なら、小学校を卒業し、異なる中学に行く、中学校を卒業し、異なる高校に行く、はたまた、転居する、などにより、適当に人間関係がリセットされたもんだけれども、今は、ケイタイに登録された関係は、どんどん増えていくばかり。そうなると、「たまには連絡をする」相手がものすごく多くて、付き合いをしないと”嫌なやつ”のレッテルを貼られたりするので、「気遣う」ということに異常なまでに神経を使っている。

⇒ 自分が中学や高校の多感なころにケイタイなんかあったら、私もハマっただろうと思うけれど、なんかフクザツでメンドクサそうな人間関係に翻弄されるのであれば、よしあしだなあ、と思いました。

●即レスは原則!?

うわっ!PCのメールで何日も返信しない/されないケースがあります(仕事は別として)。「ごめんねー。PCって週に1回しか見ないから」なんてのが中年男女の会話ですが、アルバイトなどで拘束されていない限り、即レス、なんですね。そりゃまた大変ですね、という感じ。(だから、研修中にしょっちゅう携帯チェックしたりしているんですね。新入社員の場合、仕事のはずはないのに)

・・・ケイタイ世代、それはそれで生きづらいのかも知れません。青春時代にケイタイがなくてよかった、と思ってしまいました。

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新入社員研修が迫ってきたので、「新入社員」「若者」に関する本をいくつか買って読んでいます。(そういうテーマの新刊が続々。そういう季節なんでしょうか?)

もう新卒者のダブルスコア以上の年齢になったので、ちょっと予習しておこう、と。

上記の本には、他にも「相手や場面に合わせて自分の”キャラ”を変える」若者が多く登場します。「そのほうが相手が喜ぶと思って」と。「読空術」(KYと言われないために、空気を読む)に長けているのが現代の若者だそうです。

*** 追記(2011年5月26日) ***

今年の新入社員は、各社大変優秀で、上記のようなことはあるのかも知れないけれど、ビジネスパーソンとして同等に話をした時、格別違和感は覚えませんでした。

2010年2月4日木曜日

旧ブログ記事:昨日の朝イチ、裏の話(2010年2月4日)

裏話ではなく、裏の話です。

といっても、単に「これを入れようと思ったけど、最終原稿からは抜いた」話のご紹介。

昨日の朝イチは主に「お魚」についてでしたが、他にも当初「野菜」のエピソードがありました。(・・・とご覧になっていない方にはわからないでしょうが)

・・・・・

我が家でBBQ(バーベキュー)をした時、仕込みの手伝いをしてくれた同僚がソラマメを剥きながら、一言。
「ソラマメって、こんなに素晴らしい住環境に育っているんだぁ」

厚い皮に包まれた状態でソラマメを見たのがその日初めてだったそう。 

厚い皮には、白いワタのクッションがあり、さらに薄皮。 「こんなに過保護に育っているのねぇ」としみじみ言ってました。

初めてみると感動するものってたまにありますよね。

・・・・・

ところで、「日経モバイル 朝イチメール」は週刊連載なんですけど、いつも3本くらい並行で書いています。8割完成、5割、2割なんて感じで進行中原稿ストックが常にある。最終的には「第20~30版」くらいで入稿しています。

「え、あんなんで2-30回も書き直しているの?」と突っ込まれそうですが。(どーもスミマセン)

*** 追記(2010年2月4日) ***

この頃は、まだ水曜日を担当していたのですね。月曜担当になるのは、4月から。


2010年2月3日水曜日

旧ブログ記事:走り込みの季節(2010年2月3日掲載)

両脚とも筋肉痛です。土曜日にジムでマシンがしがしやった結果が翌日曜から筋肉痛として現れて(2日後じゃない!ジマン)、しかし、それが既に水曜日の今日まだ続いているという・・・。(さらに言うなら、日に日にひどくなる、という・・・とほほ。)

実は、3ヶ月くらいジムをサボっておりました。いろいろあってですね。(主に「おば馬鹿業務」多忙につき、です)

「そういえば、走り込みの季節ですね」という後輩の一言で再開したわけです。

毎年4月から5月くらいに掛けては、「新入社員研修」を担当します。

通常の研修と異なり、新入社員研修は1日の拘束時間が長く、また一度に大勢を対象とすることが多いので、消耗するエネルギーもハンパではありません。(通常の研修は、たとえば、9:30~17:00、終了したら辞去する、となりますが、17:30くらいまでの研修後、日誌のチェック、採点、翌日のための打ち合わせなど、夜遅くまで作業が続きます。また朝も集合時間が早いのです。)

そこで、「走り込み」。

1月から3月に掛けては、普段以上に「体力づくり」に力を注ぎます。以前は、街中のウォーク&ジョグ2時間などやってましたが、数年前にジムに入会してからは、マシンを使って、有酸素、無酸素あれやこれやで3時間ほど。

これでなんとか4月に「乗り越えられる身体」になる(ような)気がするのです。

久々に再開したジムで、内腿を鍛えるマシンを使ったところ、冒頭の筋肉痛。歩き方がずっと変。

その内、身体も慣れてくるでしょう。

・・・

ところで、今週は、新入社員研修担当講師たち向けのの社内勉強会を催しております。(「ここはこう指導する」「こういう質問が出やすいので、その場合はこうする」「こういうことをする新入社員がいるので、こう対処する」といった技能?伝承会というか知恵共有会のようなものです。)

私が講師をしています。参加した同僚が「ああ、淳子さんが、いつも体力がいるから体力作り、走りこみ!と言っている理由が分かった。」と感想を述べておりました。

「身体が資本」です。

2010年2月2日火曜日

旧ブログ記事:服装と言えば。(2010年2月2日掲載)

以前、「新入社員の服装、身だしなみ指導で、どのような経験をしたか?」といった話題が「OJT担当者研修」でのぼりました。 (この話は以前も書いたかも知れません。ダブっていたらスミマセン!)

事例1:

「すごく、ずーっと前の前の話なんだけど、こんなことがありました。新入社員を客先に同行させようと駅で待ち合わせしたら、なんというか、黄緑色のスーツを着てきたんです。そいつが。その頃(バブルの頃か?)ってソフトスーツとか言って、テレンとした、いろんな色のスーツが少し流行ってましたよね。それを新人が着てきたんです。
どうしよう?と思ったんですが、もうアポ時間だったので、あきらめてお客様との打ち合わせに臨みました。 そして、会合が終わった時、”あなただけ残って”と言われたので新人を廊下にやり、自分が担当者と2人になると ”あの、バッタ色のスーツのヤツ、なんだ?二度と連れてくるな!”と叱責されまして・・・。」

打ち合わせ中、ずーっとイライラなさっていたのでしょうね。ご担当者さん。

それにしても、「バッタ色のスーツ」って!?
言い得て妙。(そのスーツがどんなものだったか、瞬間的に理解できます)

事例2:

「新入社員で女性の服装っていうのは、男性の先輩が注意しづらい領域です。 が、スカートは短い、シャツも短い、かがむと下着が見えることもある。 ある時、リーダーがたまりかねたのか、誰にというのでもなく、”腹を見せるな!下着も見せるな!”と会議中言ったことがありました。 あまりにキッパリと言ったので、しーんとして、以来、チーム内の服装が少しぴりっとしました。」

いろいろあります。セクハラにならないか躊躇する男性もいることでしょうが、ハラハラドキドキな服装をする女性も「セクハラ」に該当する、という教育はちゃんとしたほうがいいですよね。

ところで、「シャツはイン」について。

ある企業で、3ヶ月以上続く新入社員研修があり、途中で「クールビズ」の季節が始まりました。前年までは「研修中はスーツが原則」だったのですが、「クールビズ」の精神(省エネなど)を考えたら、新入社員も適用しては?となり、6/1 づけで「研修受講中の新入社員もクールビズOK」とお達しが出ました。

5月末に人事の方が終礼でその話をしたところ、就業後、長蛇の列。質問の嵐です。

いろいろ聴くと、最終的に一番の問題は、なんだったか。 

「シャツはインかアウトか」だったそうです。

人事の方(30代女性)は、「シャツはイン、と言ったら、ビジネス・カジュアルでそれはあり得ないと思っているらしいんですよねぇ。かっこ悪い、ダサい、と」とおっしゃってました。

「へぇ、そうなんですか。そりゃ面白いですねぇ」と答えたのですが、「シャツがイン」がそんなに嫌なら、明日以降もスーツ(夏用)を着てくれば、という話のような気もします。

「シャツがイン」でかっこいいビジネス・カジュアルの上司や先輩が周囲にいたら、「これならできる!やってみよう」とイメージも沸くのかも知れません。なので、先輩諸氏もセンス磨かねば、ですね。


2010年2月1日月曜日

旧ブログ記事:ビジネスマナー考(2010年2月1日掲載)

まもなく新入社員研修の季節です。

4月1-2週目くらいまでは、ビジネスマナーに関するお仕事が多く、そのために私たち講師も事前に勉強しなおします。

ビジネスマナーの教科書的な内容としてはもちろん押さえているものの、毎年、さまざまな例外事象が発生するので、その都度、講師陣でも議論しますし、先方の人事部の方などとも協議することになります。

ここ数年で見たり、聴いたりした例を挙げます。

【男性編】

●ウォレット・チェーン
男性のスラックスの後ろポケットにウォレット(長財布)を入れ、それをチェーンで留めている。若者ファッションかも知れないが、ビジネススーツにいいのか?

●くるぶしソックス
革靴にくるぶしソックス(テニスソックスみたいなもの?)を履いている人が増えているが、いいのか?

【女性編】

●ショート丈のストッキング
ハイソックス型、スカートの下に境目が見えているのだが、いいのか?

●ネイルアート(ジェルネイルやつけ爪など)
ネイルアートはどこまでOKか?

【男女編】

●キャラクタが派手についた筆記用具
●じゃらじゃらケイタイ・ストラップ

・・・時代と共にこういうのも変化しますねぇ。企業によってOK/NGが分かれるので、対応もさまざまです。

20年前に問題になったのは、たとえば、「柄のTシャツをYシャツの下に着ているのはダメ」とか「色つきYシャツはNG」とか「女性のパンツスーツはNG」なんてものでした。このうち、「色つきYシャツ」と「女性パンツスーツ」は、いまやOKですよね。

今年はどのようなNEWファッションが登場することでしょう?