2010年2月9日火曜日

旧ブログ記事:トイレットペーパーの芯(2010年2月9日掲載)

「トイレに行くと、3回に1回くらい、トイレットペーパーを取り替えている気がする」というと、たいていの人が「私も!」「私も!」と言う。それが、自分の番でなくなったから替えるのではなく、入ってみたら芯だけなので、予備を取り替える作業から・・・という状態のことなのだが、それでも、「私も!」「私も!」と賛同者多数である。

・・・・・とするならば、

「トイレットペーパーがなくなって、芯だけになっているのにそれを放置してトイレを去る人物は誰か?」

ということになるのだけれども・・・。

いやあ、トイレットペーパーじゃなくてもいいです。なんでもいいです。

「私がいつもあの扉は閉めている」とか、「コピー用紙を足しているのはいつも私です」とか、そういうの、「それをしていない」いや、それ以前に「気づいていない」人がいるからなのであって、その気づかない人は、故意ではなく、本当に気づかないのだろうと思うと、じゃあ、その「気づかない」性質は、人生のどのあたりで培われたものであろう?と想像してしまうのであります。

親の教育が原点か?・・・いずれにしても、フシギ。

社員教育でどうにかなるものか。いやあ、会社でそんなことまで指導しなきゃいけないのか?

「よく気づく人」と「よく気づかない人」の境目、そして、それぞれの原点はどこにあるんだろう?とよく思う今日この頃。

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