2010年4月15日木曜日

旧ブログ記事:誰だってその時代を生きたのだ(2010年4月15日掲載)

うんと尊敬する先輩から以前こういう話を聴いたことがあります。

その方は、とある企業の執行役員を当時お勤めでした。その前が大きな部門の事業部長だったかしら。部下が1000人くらいいるようなことをおっしゃっていたので、相当大きな部署ですね。

事業部長よりも前の部長時代、部下たちが

「どうせ○○さん(彼のこと)には、僕たちの気持ちはわからない。」
「○○さんは偉いから何でも自由にできるだろうけど、私たち下々のものは自分の考えもなかなか通らないし、聞いてすらもらえないこともある。非力だ。」
なんてことを言ってきたそうです。

それに対して、この先輩は、

「僕も、キミたちと同じような時代を生きてきた。そして、非力だと思ったこともあった。話を聴いてもらえないことも、思った通りにできないこともあった。実際、今はポジションが上だけれど、だからと言って何でも思い通りになっているわけでもない。上にはさらに上がいて、いろいろな影響を受けている。僕とキミたちはなんら変わることがない。

もし、何か違うことがあるとしたら、僕は、そうやって”おれは非力だ、何もできない、どうせ力がないから”という言い訳をしなかったことだ。その時々で、上司や先輩の”力”を利用しようと思った。上司や先輩を動かすために、自分がどうすればよいかを考え抜いた。

誰だって、その立場や地位、年代に関わる制約はある。それをどう乗り越えるかを考えていくほうが健全ではないか?」

と答えたとのこと。

年齢が上の人、ポジションが上の人は、「なんでも自由に思い通りにできていいなあ」と思うかも知れませんが、実際、その立場になってみれば、若い時代とは全く種類の異なるプレッシャーがあるものです。

「上の人はいい」「上の人は下の気持ちは分かるわけがない」ということはないんですよね。

誰もが同じ時代を生きてきたのです。そして、今もそれぞれの立ち位置であらゆるものと戦っているのです。

・・・ということがわかるようになったのが、中年期のよさかも知れません。

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