2009年12月30日水曜日

旧ブログ記事:システム障害対応クリーム!?(2009年12月30日掲載)

「日経SYSTEMS」(2010年1月最新号)の「特集2」で「IT現場の困ったメール」が12種類扱われています。

「現場でこんな困ったメール」があって、「こういう悪影響を及ぼす」こともあるので、「事前にこんな風にするといいよ」と処方箋も載っています。

(たとえば、「詳細は添付メール」(添付ファイルを見落とす)、「単刀直入メール」(「できません」だけ書いてあってカチンときてしまう)、「狼少年メール」(何でも件名に「重要」と書くので、いざ本当に重要な時に用をなさない)などなど)

取材協力をしたので、一冊送っていただきました。約2時間のインタビューに答えて、掲載されたのは100文字くらいですが、それはそれ。こちらも勉強になるので、よいのです。

「誤字脱字メール」として、
「お客様からシステム障害についてのクリームが来ました」
というメールがマネージャからメンバに送られたという例が紹介されています。

本来は、気持ちを引き締めることを意図していたマネージャからのメールなのに「クリームが来た」では緊張感も何もあったもんじゃないよね、ということです。

この例があまりに面白かったので、オフィスで盛り上がってしまいました。当社のシステム管理部門の人とです。

「システム障害対応クリーム、ってドラえもんがポケットから出しそうだよね」
「ああ、そうだねー。”障害対応クリーーーーーーム”って叫んで、サーバとかに塗ると、たちどころにシステム障害が解決する」
「いいなあ、そのクリーム。売れるよ、きっと」
「システム管理部門には常備してある・・・なんて」

と年末に掃除しながら、そんな話題で大笑い。

購読している方には、「日経SYSTEMS」1月号、年末年始にお手元に届くと思います。

私が「日経ITプロフェッショナル」(現在「日経SYSTEMS」に統合)で連載していた時代からお世話になっている中山記者の記事です。ぜひ、ご覧くださいませ。

さて、グローバルナレッジネットワークは、昨日12/28が仕事納めでした。始業日は、2010年1月5日(火)です。

今年も一年ありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願いいたします。

・・・・・・・・・・

このブログは、年末年始も時々UPいたします。

2009年12月27日日曜日

旧ブログ記事:年賀状"宛名"編(2009年12月27日掲載)

女友達あての年賀状の宛名を書いていて、ふと思う。

彼女の夫も、彼女を通じて親しくなったなあ・・。じゃあ、連名で。

はて。

その場合、どう宛名を書くべきか。

昔からのお友達が「山田花子」さんで、その夫が「山田太郎」さんだとする。

「山田花子 様
太郎 様」

としたいところだ。なぜなら、花子さんが最初にお友達になったわけだから。

しかし、私はそれでいいが、受け取った相手はどう思うだろう?

結局悩んで、

「山田太郎 様
花子 様」

としてみた。

でも、なんとなくひっかかる。

というのは、自分が受け取った時にすんごく違和感をおぼえた経験があるからだ。

私とあなたが友達だよね、という人からの年賀状に

「●●次郎 様
淳子 様」

という年賀状を何通もいただいた。(かつて、オットがいたころの話)

なんか、自分が添え物になったような感じがしたのだ。

「●●次郎 様
奥 様」

なんてなったら、もう、個人として、名前なんかないわけだし。

ささいなことだけど、結構、重要なことのようにも思うのだった。

男女の宛名、皆、どうしているんだろう?迷ったら、2通出せばいいのかしらん?

2009年12月26日土曜日

旧ブログ記事:年賀状"お返事"編(2009年12月26日掲載)

今年いただいた年賀状を見ながら、年賀状の添え書きを書くわけです。

そこに質問とか提案があると、ついつい、それに対する返事を書いちゃうわけです。

さっき見つけたのは、
「今度、鍋しましょう!」という添え書きでした。(同僚からの年賀状)

年賀状に、「そうですねー、鍋しましょう」と書いてみました。

だが、しかし、

「2009年1月にいただいた年賀状」の「今度、鍋しましょう!」に「2010年1月」届く年賀状で「そうですね。やりましょー」と返事をするなんて、なんと壮大な「鍋計画」なんでありましょうか?
(第一、書いた本人は覚えちゃいまい。この1年、鍋に誘われなかったしなぁ・・・。ブツブツ。)

・・・・

というようなことをちゃんと小説にしている方がいらっしゃいます。

清水義範さんが何かの短篇で「年賀状だけのやり取り」という関係にある人同士の時差がありすぎるやり取りを書いてました。

さっき本棚を探したら処分しちゃったのか、見つからず、正確にお伝えできませんが・・・。ググってみたら「謹賀新年」というタイトルの短篇のようです。爆笑します。お奨めです。

ところで、ちょっと早いかも知れませんが、善は急げ!で、今日から大掃除を始めました。が、実質は小掃除になりました。

なぜか?

いちいち思い出に浸ってしまうからです。

書類一枚捨てるか判断するのに、一応読んでみる。・・・・思い出に浸る。

自分が書いた色んなメモ。捨てる前に一応読む。・・・・思い出に浸る。

ちーっとも先に進みません。

思い出に浸るな⇒自分。

明日はもうちょっとマジメに取り組みます。

2009年12月25日金曜日

旧ブログ記事:Happy Merry Christmas♪(2009年12月25日掲載)

クリスマスと言えばターキー(七面鳥)。 ターキーと言えば、水の江瀧子さんです。(若い方にはわからない!?)

つい先日訃報が届きましたが、ターキーさんは、生前葬をしたことでも有名で。 
で、そのことで思い出したのが、「色紙」です。

退職する人、異動する人に「寄せ書き色紙」(カードでもよい)を贈るってこと、しませんか?
その「寄せ書き」って、すんごくいいことが沢山書いてある。
先日、退職する予定の、とある人に同僚が書いたメッセージ数十人分を読んだのですけれど、「そんなに色々感謝していたなら、在職中に直接言ってあげようよ!」と思わず色紙に突っ込みを入れてしまいました。 
思うに。
「色紙」にあれだけいいことを書いてあげるのであれば、 在職中にその「色紙」をプレゼントしたらどうなるであろう?
その”すんごくいいこと”が沢山書いてある色紙を見たならば、退職を思いとどまる人も、モチベーションが再燃する人もいるんじゃないか。 
・・・・・・・ 
そう、試してみたいと思いつつまだ、勇気がなくて試してみていないのですが、「同僚からの寄せ書き色紙」を年末とか年度末など、何かの区切りい交換しあうってどうでしょう? 
その「色紙」には、絶対に悪いことは書かない。 
その人が頑張っていること、とか、その人に影響を受けたこと、とか、とにかく、いいことを書く。 
そういう言葉を手書きの文字で見た時、 誰だって「ああ、明日からももっと頑張ろう」と思うんじゃないかと思うわけです。 
「おれ(わたし)って、まだまだ行けるかも」と自信を取り戻す人だっているはず。 
生前葬って、ある面、そーゆうことだったんじゃないか、と思ったりして。 弔辞は、本人は聞けないから、生きているうちに、会いたい人に会い、言って欲しい言葉を聞く。生前葬は大げさだけれど、「退職時の色紙」は、「在職中」にもらいたい、プレゼントしたいもんであ、と、クリスマスの今日、ふと思ったのであります。 
今日、顧客先でその話をしてみたら、 「それ、いいなあ・・・。”3年後に異動するとして、その時、どんな色紙をもらいたいか”をそれぞれに想像して、語り合うなんてのもいいなあ」 という反応がありました。 
どなたか、勇気のある方、「在職中の色紙」って、試してみませんか? (私は去年から一度やってみたい、と思っているのですが、なんだか気恥ずかしくて、チーム・メンバに言い出せません。ココに書いたら、皆見ているわけですが。) 
というわけで、とにもかくにも、
       MerrChristmas! 
(多くのおうちにサンタさんがやってきたことでしょう。)

2009年12月24日木曜日

旧ブログ記事:日経BP朝イチメール:サンタクロース(12/16)(2009年12月24日掲載)

一応日経BPさんとの契約で、ブログでは紹介してもよい、ということになっているので、先日の「朝イチメール」を一部添付します。

この日は「感想」が多々寄せられました。お会いしたことがない全国の読者さんのXmasの思い出が綴られていて、執筆者としては、しみじみしてしまいました。ありがとうございました。

「朝イチメール」を見てみたいと言う方、こんな感じのコラムを配信しています。ケイタイのみで読める、という限定メディアです。よろしければご登録を。

★★★
Subject: [nikkeiBP]朝イチメール

12/16(水) コミュニケーションのびっくり箱
●サンタクロース
〔田中淳子:グローバルナレッジ〕

一般に人は何歳までサンタクロースを信じているものだろうか?

おそらく物凄く驚かれると思うのだが、私は13歳、中学2年の冬まで信じていた。

私は父の仕事の関係で2歳から5歳までアメリカに住んでいた。なので、クリスマスの原体験はアメリカにある。白髪のサンタクロースの膝に抱かれて撮った写真も残っている。子供の頃からクリスマスはとても身近なものだった。

帰国してからもクリスマス近くなると、「サンタさんにお手紙を書きなさい」と言われ、「今年1年の自分のことと来年の抱負&欲しいもの」を便箋にしたためた。

この手紙は、父が「投函しておくから」と預かってくれた。クリスマス12/25の朝、枕元には、「欲しい」と書いたものの一部もしくは全部(といっても、昭和40年代の小学生。贅沢なものなど皆無で、色鉛筆とか香り付き消しゴムとか中身はたかが知れている)が置いてあった。

「なぜ"高島屋の包み紙"なんだろう?」という疑問は持ったのだが、「だってサンタさんが自分の国から全ての子供のプレゼントを持ってくるのは大変でしょ? 日本に来たら、日本人になりすまして、デパートで調達するんじゃないかしら」と母に言われ、「なるほど、それもそうだ。ソリに大荷物を乗せて遠く外国からやってくるのは大変だもんな」と納得していた。

小学校高学年になると、さすがに周囲でもサンタクロースを信じている人は激減してきた。

私が「うちには必ず来る」と言い張っていると、「それは親がやっているんだよ」とクラスメイトに言われた。帰宅して、「お母さん、サンタクロースはいない、と皆が言うけど、私は毎年ちゃんと手紙を書いているから、プレゼントももらえるんだよね」と話したりもした。

しばらくすると、母が「これがあるわよ」と新聞記事の切り抜きをくれた。

それはフィンランドのサンタクロースへ手紙を書くと返事がもらえるというものだった。

「いつもここに手紙が届くのよ。だから、このサンタクロースがプレゼントを届けてくれるのよ」と言われたので、記事を学校に持って行き、皆に見せた。

「えー!? ここに手紙出したって、プレゼントは届かないんじゃない?」と疑うクラスメイトもいたのだが、結局はそれぞれが家で手紙を書き、エアメールで出すことになった。

その年のクリスマス。我が家にはちゃんとプレゼントが届いたが、友人の家には、サンタクロースから返事は届いたものの、プレゼントは届かなかった。(もちろん、各家庭で両親からはプレゼントをもらった)

「やっぱり、サンタクロースはいないよ。親がやっているんだよ」と強く言われてしまった。

父にそれを話すと、「同僚のうちにもサンタクロースが現れたらしいよ。息子が『今年こそ、サンタクロースを見る』といってずっと起きていたんだそうだ。

夜中にガタっと音がしたから行って見たけど、もう姿はなく、プレゼントだけが置いてあったんだって。やっぱり、子供に姿を見られないようにしているんだね」と、とても神秘的な話をしてくれたので、またまた私は深く信じるようになった。

・・・・続きは、「朝イチ アーカイブ」にて ・・・

*** 追記(2011年5月22日) ***

「続きは、朝イチアーカイブにて」と書いてありますが、このアーカイブがもう削除されています。これらは、既に電子書籍になっており、日経BPストアからiPad/iPhoneでダウンロードできます。が、とても探しにくいそうです。

電子書籍の「ライフスタイル」というタグ?をタップする、と聴きました。私もやってみたことがないので、それで出てくるかどうか、いまひとつ自信がありません。カテゴリは「ライフスタイル」だそうです。

というわけで、ここに「続き」も掲載するべきなんだろうなあ。ちょっと探してみよう。どこかにあるはず。


2009年12月23日水曜日

旧ブログ記事:久々かあさん:寝返り成功(2009年12月23日掲載)

甥っ子、生後197日目に「寝返り成功」。

それまでは、やたらと「エビ反り」を自慢げにやっていたのですが、とうとう、くるんと腹ばいになれた・・・。というメールが妹から届きました。

こりゃ、おばちゃん、見に行かねば!と訪問して来ました。

ぐるんぐるんと、何度も何度でも寝返りしては、「どーだ」顔をしていました。

「どーだ」という時の、満足そうな顔。(※ 「どーだ」は、東海林さだおさんの発案用語かな。)

人間って、生まれてすぐは、やる気なんて満々で、最初は、何でもこうやって挑戦してきたんだなあ。

誰にも「やれ」と言われなくても、挑戦してみたくて、やってみたくて、成功したらしたで、何度でもさらにやってみたくて。

「内発的動機づけ」の原点は、赤ちゃん時代にあるのかも、と思ったのでした。

「できなかったことができた!」「何度もできた!」が嬉しいのか、寝返りして腹ばいになると、にこにこっと満面の笑み。達成感は自然と「笑顔」を引き出すのだなあ、とは、甥っ子を観察して学んだことでした。

2009年12月21日月曜日

旧ブログ記事:「テキストを何度も見返しました」(涙)(2009年12月21日掲載)

あるクライアントの「リーダーシップ研修」が終了しました。8月から断続的に4ヶ月行ってきました。100人。

この研修。一人当たりの参加日数は、2.5日。

2日間連続で研修に参加し、自分のチームで実践したいことを決め、解散。約1ヵ月後に再集合。0.5日で「成果報告」と「今後の課題をさらに検討する」といったスタイルです。

先日、その「成果報告」を聞いている時、参加者の何人かがこんな話をしてくださいました。

「メンバと話をしようと思った時、このテキストを一旦見直して、”話をする時に大事なことが書いてあったな。あ、自分でメモまでしている”なんて振り返りをしてから行動を起しました」

「うん、私もテキストをすぐ手に取れる場所に置いておいて、何かあったら、まず読み直して、それから、行動を起してみました。自分で書き添えたことがまた役立つんだあ」

講師冥利に尽きる。というか、テキスト開発者冥利に尽きる、とはこのことです。(嬉しくて嬉しくて・・・)

心の支えや参考図書としてテキストを手の届くところに置いておいて、行動を起す前、行動した後に見ていた、とおっしゃるのです。

そんな風に長く参照していただけるテキストになってくれてよかった、と嬉しく思いました。 それと同時に、「自分でメモした内容」は、やはり、後々まで役立つのだなあ、とも。

自筆でノートを取ると、後で見返す際に、書いたときの気持ちとか情景などもよみがえり、それが自分の行動を後押ししてくれるんじゃないかと思うのです。

今は、「写真を撮る」とか「ファイルごとコピーしちゃう」とか、情報を手に入れる手段はいろいろありますが、面倒でも手書きでノートを取ることはやはり大切です。

自筆メモ。侮れません。心からおススメしますよ。


2009年12月19日土曜日

旧ブログ記事:コーチング。(2009年12月19日掲載)


左(コーチ):「今年も残り10日ばかりになったけれど、この1年、頑張ったことを教えてくれるかな」

右(クライアント):「ええと、今年も300人くらいの身体を支えてきました」

左:「どんな場面で?」
左:上司、右:部下


右:「会議が多かったですね」

左:「その時気づいたことは何かな?」

右:「椅子って、お尻を乗せるだけじゃなくて、座面に正座する人もいるんですよね」

左:「なるほど、正座する人もいるんだね。他に何か学んだことはある?」

右:「キャスターがついているので、ゆらゆら落ち着かない人もいますね」

左:「そうか、落ち着きのない人にも気づいたんだね」

右:「色々な使い方があるけど、座ればじっくり話し合えるという場面は何度も見ました。だから、役立っていると自信が持てました」

左:「そうか、自分の意義を感じられたんだね。それはよかった」

右:「はい」

左:「さて、2010年のことを話そうか。君のピジョンを教えてくれるかな」

部下、だいぶリラックスしてきた

右:「ピジョンってなんですか?」

左:「ジョンといえば、目指すもの、というか、それを考えるとわくわくするような、将来の姿というか」

右:「それって、ジョンじゃないんですか?」

左:「あ、そうとも言うか・・・な」

右:「そうですよ。ジョンって、うちの子供が赤ちゃんの時、哺乳瓶使ってましたけど」

左:「そ、そうか。じゃ、そ、そのビ、ビジョンを聞かせてもらおうか」

右:「考えるとわくわくする・・・そうですねぇ。ボク、ずーっと緑色だったんで、来年はぜひ、赤くなりたいです」


右の部下、頑張れ!
左:「来年は赤くなって、どうしたいの?」

右:「目立つので、真っ先に座ってもらえるかなあ、と思って。存在感のある椅子になりたいんです」

左:「存在感ね。いいね。それはできそうかな」

右:「張替えさえすれば」

左:「張替えかあ。自分の力でできるかな?」

右:「うーん、今まで自力で張替えをした椅子仲間はいませんが、私がその先駆者になれるよう頑張ります」

左:「いいねえ。応援するよ。じゃ、来年も一緒に頑張って皆を支えていこうね」

右:「はい」


*この写真はとある場所で、ブログUPも含め、許可を得て撮影しました。ありがとうございました。

2009年12月18日金曜日

旧ブログ記事:大学へ行こう!(再び)(2009年12月18日掲載)

研修先で「大学に通っているんです」と言ったら、一瞬、「教えている」のかと勘違いされました。

が、「受講です。それも1999年からすでに10年続けて・・・」と答えると、「10年!?」と驚かれてしまいました。

で、ですね、興味がある方も案外いらっしゃるようなので、いくつかリンクをはっておきます。

「生涯学習センター」とか「エクステンションカレッジ」などと言って、ほぼどの大学でも社会人向けの講座を開講しています。母校の上智大学は平日夜がほとんどですが、大学によっては、平日日中、土日など色々な時間帯に開講しています。通信教育もあるようです。

【上智大学公開学習センター”コミュニティカレッジ”】
*卒業生だと少し安くなります。(他大学でも同じじゃないかな?)

早稲田大学エクステンション
*同僚が通年科目として「心理学」をとっていたことがありました。一度代理で受講したことがありますが、キャンパスの広さに驚きました。

学習院大学
*結構変わった講座が多いといつも思います。(興味ある、というか、面白そうな、というか)

日本女子大学
*以前、アサーションの第一人者平木典子さんの講座(単発)に参加したことがあります。さすが女子大。女性の受講者が多かった-。

慶応大学丸の内キャンパス
*夕学五十講というのが面白そう。各方面で活躍している方を講師に招くもの。単発でも受けられるみたい・・・。(行ったことはないのですが。)

 「大学で勉強する、という方法があるんですねぇ」としみじみ言う方がいらっしゃいます。ぜひ、調べてみてください。学位にこだわらず「学びたい」なら、こういう「公開学習系」はお奨めです。


※ここだけの話。声を大にして言いたい!「民間教育会社」は同業者お断りが多く、私達講師業の人間は、学ぶチャンスを得にくいのです(当社は「同業者歓迎」。「トレイン・ザ・トレーナー」なんて1991年から開講してますから)。紺屋の白袴にならないようにするためにも、大学は最適です。

2009年12月16日水曜日

旧ブログ記事:今朝の「朝イチメール」-サンタクロース(補足)(2009年12月16日掲載)

今朝(12/16)の「日経BP朝イチメール」が田中担当分、今年最後の配信でした。

なぜこんなに早いか、というと、

● 12/23(水)天皇誕生日
● 12/30(水)もともと正月休みで配信停止

だからです。

さて、「サンタクロース」というタイトルの今朝のコラム。

校了した後で思い出したことがあったので、ここで補足をば。

「サンタクロースが欲しいものをちゃんとくれるのは、手紙に書いたから」・・・だとしたら、手紙に書かなければ、見当違いのものをくれるのでは?と実験したことがありました。

サンタクロース宛の手紙に「今年頑張ったこと」「来年挑戦しようと思うこと」などを書いただけで、ある年は手紙に封をしてしまいました。

それでも、その年のXmasは、やはり、「日ごろから欲しいなあ」と思っていたものがどんぴしゃもらえたので「サンタさんは、心が読めるのだー」と感動したことがあります。
(どういう仕組みで「どんぴしゃ」になったのか、は、後日真相が判明するのですが、それはまた別の話)

ところで、同僚(2児のパパ)が

「うちの息子は、欲しいものを書いて窓に貼っています」

と言ってました。うん、その方式も正しいと思う。

窓の外に向けて「欲しいもの」を書いておくと、サンタさんはちゃんと見てくれているよ。


旧ブログ記事:「自分がやったほうが早い」に打ち勝つには・・・(2009年12月16日掲載)

「自分でやったほうが早いし、上手にできる」と思って、部下や後輩に仕事を任せず、抱え込んでしまう上司、先輩は案外多いのではないだろうか?

「自分でやったほうが早い」
「自分がやったほうが上手」

は、

「相手に任せると遅くなる可能性がある」
「相手に任せるとうまくできない可能性がある」

だけでなく、

「説明する分だけ、手間が増える」

というのも懸念材料となる。

「自分でやったほうが早い」「上手にできる」の誘惑に打ち勝つにはどうすればいいんだろう?と悩むけれど、「思い切って任せる」がなかなかできない。

何でもかんでも任せるんじゃなくて、選択しながら任せていけばいいんだろうとは思う。

たとえば、
●今日(今週、今月)は、少しだけ時間的余裕がある
●今、自分は精神的にも余裕がある
という条件が揃っていて、

●この仕事は、私じゃなくてもできる人がいるべきである
●この仕事、私がいないとSTOPしちゃうからマズイなあ
と思えて、

●後輩も「挑戦してみたい」と言っている
なんてことから始めてみればいいんじゃないだろうか?

私は、以前、誰だったか(大先輩)に、
「自分しかできない、と思い込むのは、思い上がりだ」
みたいなことを言われたことがあって、
「多くの人ができるようにすることが、年長者や経験者の責任じゃないか」
ってなことをさらに添えられた経験がある。

「中年期以降の発達課題には”世代継承性”というテーマもある」といったことが、先日読んだ『リフレクティブ・マネージャー』にも書いてあって(金井さんの言葉)、より一層、「なるほど」と思うのである。

2009年12月15日火曜日

旧ブログ記事:ヘイ! (2009年12月15日掲載)

「粒度」=「りゅうど」という言葉がありますね。


同僚は、英語か何かだとずっと思っていたそうです。

「Hey!Rude!(ヘイ、リュード!)」みたいな。(って、それ、「ヘイ、ジュード」やろ。)


「りゅうど」って日本語だったんですねぇ、だって。

こういう勘違いってありますよね。

だーだーだーだだだっだー♪

2009年12月13日日曜日

旧ブログ記事:はじめの一歩(2009年12月13日掲載)

先日担当した研修で、受講者からこんなステキ話を聴きました。

彼女の高校・大学時代の話です。

「大学受験を目前にした時、交通事故に会いました。もう、浪人覚悟だなあ、と思ったのですが、いいお医者さんに出会い、その先生が『受験生だよね。手術する方が直りはいいけど、入院は長引くから、手術しない方法で、最大の効果が出て、最短で勉強に戻れる方法で治療しようと思うけど、どうかな?』と提案してくれました。

本来なら何時間も待たないといけない外来でも、私は常に一番に見てくれて、先生がそこまで考えてくれるなら、一旦諦めたけれど、猛勉強しようと思い、頑張りました。

でも結果的には第一志望は落ちてしまって、浪人も考えたけど、第二志望に入学しました。

大学に入ったら、やはり、第一志望が気になって、本腰入れて学生生活が送れないんです。浪人したほうがいいかなあ、と思って悶々としてました。

そんな時、サークルの先輩にそのことを話したら、『私も第一志望じゃないので、しばらく仮面浪人をしていたんだけど、この大学もよく見たら、とてもいいところが沢山あったから、今ではここに入ってよかったと思っているんだよ。あなたも、この大学のよいところにも目を向けてみたらどうかな?』と言われました。

それでだんだんと気持ちが変わっていって、前向きになりました。

さらに、受験の時の交通事故のことを思い出し、ハンディキャップがあると大変なことが多いと実感していたので、その後、ボランティア活動なども始めることになりました。」


彼女は、大切な節目節目で誰かに出会って、言葉を掛けられているんですよね。

その言葉をちゃんと受け止めて、自分で再度考え、次の行動に移っている。そして、すべて最初の働きかけは彼女からなのです。

整形外科で、「先生、私、受験生なんです。なんとか受験したいんです」と訴えたのでしょうし、
大学でも悶々として悩み続けるのではなく、先輩にちらっと気持ちを打ち明けてみたわけです。

自分が小さな一歩を前に出した時、誰かに言葉をかけられて、その言葉によって、さらに先へぐぐっと歩みを進める勇気と力を得られるのかも知れません。

「グリコの遊び」じゃないけれど、状況を変えようと思った時、「はじめのいーっぽ」は、自分が踏み出すべきものなんですね、きっと。

2009年12月12日土曜日

旧ブログ記事:風邪をひくときはひくもんです」と言われて・・・(2009年12月12日掲載)

体調を崩して、お客様にも同僚にも迷惑をかけてしまったのですが、そのことで思い出したことがありました。

時々、「日ごろの不摂生がたたっているんじゃないの」とか、「疲れを溜め込んでいるからじゃないの」とか、あるいは、下手すると、「気合が足りないからではないか」なんて非科学的なことまで言う人がいますよね。(今回言われた、という意味ではなく、たまに耳にする、という話)

先日も、ある企業で、「うちのグループは上長の命令で”新型インフルエンザになってはいけない”ということになっています。気合と根性で絶対に寄せ付けるなと言われているんです。だから絶対になっちゃいけないんです。」と、半分真顔で話してくださったSEがいました。

でですね、ある時(数年前のこと)、友人の医師に
「自分でも気をつけているつもりでも、風邪引いたり、何かに感染したりすることあるよねぇ。」 と言ったら、
彼曰く。
「風邪は、ひくときひくもんだから、気をつけていたって、何したってかかる時はかかる。そういうもんだ。」

そっかー。 そうだよなぁ・・・・。

そりゃ、うがいだの手洗いだのしていたって、完全無菌な状態で生活できるわけでもなく、大勢と出会い、大勢と話し、仕事だけじゃなくて、日常生活もしなきゃならない。

気をつけていたって、ひくときはひくもんです、と医師に言われると、すーっと気持ちが楽になりますね。

この友人は、高校時代のクラスメイトで、今や田中家揃ってお世話になっているんだけれど、30年来の友人にこういういいお医者さんがいて、はっぴー&らっきーだなあ、としみじみ思います。

2009年12月11日金曜日

新型インフルエンザの検査(2009年12月11日掲載)

最初にお断り] インフルエンザ検査結果は「陰性」でした。

インフルエンザの検査を初めて経験しましたが、驚きました。

1.綿棒の長ーいのを鼻腔奥まで「うぐっ」となるまで入れる⇒何かを採取
2.サランラップに鼻をかむ

この両者で検査するようです。

それはいいんです。いいんですけど、説明って順番が重要だなあ、と改めて思いました。

検査を受けた医院での手順は、こうです。

看護師さん(以下N):「インフルエンザの検査ですね?」
私:「はい」(と言いつつ、腕をまくる。なぜなら、採血用の台みたいなのが目の前にあったから)
N:「あ、腕じゃなくて、鼻で検査するんです」
私:「あ、そうなんですか」
N:「だから、マスクはずしてください」⇒念のため着用していった
私:「はい」
N:サランラップをぴっと破き、渡しつつ、「これ、両手で持ってください」
私:「はい、こうですか」
N:「そうです。じゃ、ちょっと痛いですけど、我慢してぇ~(と綿棒を突っ込まれる)」
私:途中まで我慢できたが、最後のほうで、「うぐっ」とうなる(この両手のサランラップななんのため?疑問・・・)
N:綿棒を抜きつつ、「はい、では、これで(とラップを指す)、鼻をかんでください」
私:「(これ?ラップに?)あ、はい・・・。あ、ラップが丸まってしまいました・・・」
N:「ちゃんとやってください、はい、もう一回」
私:「できました」

なんか全体的に説明が後手後手なんですね。ミステリーツアーのように。だから、こっちは、「次はなに?」と不安でしょうがない。

やはり、どんなことでも「ホール・パート・ホール(全体・部分・全体)」、 100歩譲って、「ホール・パート(全体・部分)」で話してほしい。

理想的な検査方法。

N:「インフルエンザの検査は、2段階で行います。まず、この長ーい綿棒で鼻腔の粘液?を取ります。これは少し痛いくらいまでやります。我慢してください。綿棒を抜いたら、次にサランラップに鼻を考えいただきます。では、前もってサランラップを手に持って待機してください。最初の綿棒検査から行きますね。ずぼっ」
私:「うぐっ」
N:「はい、次は鼻をかみます」
私:「ちーん」
N:「はい、これで終わりです」

・・・・・。

こういう仕儀になるかと思われるのですが、ダメですか?

プレゼンテーションでは、最初にアジェンダ(議題・目次)を伝えようと言いますわね。インフルエンザも最初にアジェンダがあったほうが、患者は安心できると多います。


最初に段取りを行っておいてくれたら、不安は少なく、途中で焦ってラップが丸まってしまうこともなく、もっとスムースに検査ができたのではと思うわけです。

ちなみに、同僚も同じ検査を受けた時、「本当に家庭で使うサランラップなんですよねぇ。あれで鼻をかめ、と言われた時、少しだけ屈辱的な気持ちになった・・・」 と言っていました。


ラップは、鼻をかむものではありませんから(フツウは)。 駅で、ポケットラップなんて、配ってませんから(絶対に)。

2009年12月6日日曜日

旧ブログ記事:Learning bar(12/4)参加報告“変えられるものと変えられないもの”

Learning bar @Todai(12/4)の報告です。

私の印象に残ったことを紹介します。

【メインスピーカー:三井物産 渡辺雅也さん】
2004年~行っている組織変革の事例紹介でした。

「よい仕事」とは何かを創業者のメッセージに立ち返り、全社員6000人(海外拠点も含む)で考えるワークショップを開き、だんだんと理念浸透をさせていった、というものです。

どこかで聴いたことがある話だなあ、とずーっと思っていたのですが、帰宅してから思い出しました。

ファミリーマートです。「ファミマらしさ」を全社員で追究し、浸透させていくワークショップを行って組織変革を行ったというもの。

「こんなことやってどういう意味があるんだ」「いいなあ、こういうワークショップをするだけで給料がもらえるんだから」というような抵抗も多々あった中で成し遂げた、というのは、すごいことだと思います

自分だったら途中でくじけてしまうような気がします。


【神戸大学 金井壽宏さん】

金井さんは、三井物産渡辺さんの話を受けて、「個人と組織」にとっての「変革」について解説してくださいました。

●企業理念の浸透というと、課題(P)直結なので、Pの影響力が大きいと思うかも知れないが、実際には、圧倒的に思いやり・配慮(M)が強く関係している。(PとMは、「PM理論」のそれです)
●主語が「企業」とか「組織」だという場合、その議論はすべてアヤシイと思ったほうがよい。「組織が変わる」「組織が元気だ」・・・。主語が「わたし」でない限り、何も変わらない。
●「変わらなければならない」時、普段、”よし”とされることがネックになることがある。たとえば、個人にとっての「慣れ」、集団にとっての「団結の強さ」、組織にとっての「強い文化」。これらは一見よいことのように思われるが、変革をする際に、邪魔になることもある。

さらに、「ラインホルト・ニーバーの祈り」を紹介されました。

「変えられるものを変える勇気と
変えられないものを受け入れる心の静けさと
両者を見分ける叡智を与えたまえ」

個人の「変えられないもの」がシャイン氏による「キャリア・アンカー」ですね、と。

【Q&A】

●「変えていいものと変えなくていいものの見分け方は?」

金井さんは、こう答えます。
全部変えるのです。ただし、「そこを変えたら、その組織や集団らしさがなくなる」というもの以外は全部変えたほうがよい。とはいえ、「そこを変えたら、その組織らしさがなくなるもの」といった時点でそこにまた言い訳が発生する可能性がある。だから、とにかく、「全部を変える」つもりでやればよい。「ここを変えたら”らしさ”がなくなる、と思うことでも、小さく変えてみて試してみる」価値はある。

たしかに、「これは変えちゃだめだ」という例外を沢山設けているうちに結局、どこも手をつけられなかった・・・という結果になるような気がします。

言い訳が入り込む余地を与えないようにするためにも、とにかく「全てを変えるのです」とは、ずしりと心に響きました。

●「企業理念の共有とか組織変革の遂行におけるミドル(マネージャ)の役割は?」
トップは、抽象的なメッセージを出す。それをミドルが具体化していく役目を負っている。 こういう変革とか理念浸透みたいな場面で、トップが心からコミットしているかどうかはとても大きいだからといって、トップダウンだけがそのやり方じゃない。たとえば、ミドルが中心になって変わっていく活動をし、それをトップがあとからオーソライズするという例も多々ある。 名君系のトップか、アドミ系のトップかで、ミドルは自分達の動きを考えればよい。

これは、つまり、社員が「トップが何も決めてくれないから」と文句を言うのでもなく、トップも「社員が考えればいいんだ」と突き放すのでもなく、それぞれが自分ができることを考え、動く、という意味だと思ったと同時に、傍観者・評論家ばかりでは組織変革や企業理念の浸透など絶対にできないんだろうな、と自戒を込めて心に刻みました。

【中原さんのラップアップ(まとめ)】
「導管モデル」を引き合いに出し、企業は、理念をあの手この手(例:カードを持たせる、額に入れて掲げる、唱和させる?)で社員に「注入」しようとするが、これはどれだけやっても「導管モデル」に支配されている状態である。 日本人は14000時間の被教育体験からこの「導管モデル」を自らの教育感として培ってしまった面がある。

組織変革とか理念浸透みたいなものを「注入」するのは、トップダウンによる「導管モデル」イメージ。

「対話」というと、ボトムアップのイメージ。 でも、対話だけに依存するのもよくない。トップが決める、トップが関与することも大事。 そこに「第三の道」があるのではないか。


●トップは、あいまいな言葉であっても基盤づくりをする。(三井物産の例では「よい仕事」)
●ボトムアップで、対話や学習によって腹落ちさせていく。(三井物産の例では、全社員によるワークショップで「よい仕事」を一人ひとりが定義していく)

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今年最後のLearningbar@東大。 200人くらいの参加者。

いつも以上に熱気むんむんで、「皆で話し合いましょう」の時間は、隣の方の声も聞こえないほどに。

そうそう、お隣が山形大学の酒井さんという研究者で、近くの5人で話し合いをした際、とても上手にファシリテーションしてくださいました。2月に中原さんとご一緒にイベントをなさるそうです。

「越境の学習」について、とおっしゃっていました。(「『リフレクティブ・マネージャー』でも社外の学びについて触れられていましたよね。それです。」だそうです。)

2009年12月4日金曜日

旧ブログ記事:Learning bar@東大に行ってきた!中原淳氏&金井壽宏氏&三井物産渡辺氏(2009年12月4日掲載)

今年最後のLearning bar@東大(2009年12月4日)に行ってきました。来場者、約200人。

中原さんの進行の元、三井物産の渡辺さんによる「企業理念」の浸透プロジェクトの報告、そして、金井壽宏さんの解説。基本的には、金井さんの師匠であるシャイン氏の理論に拠る解説をしてくださいました。

金井さんの講演は、昨年、市ヶ谷の私学会館で行われた産業カウンセラー協会の勉強会以来2度目。なんだかとても面白く、学びと気づきが多いものでした。

いくつか、整理して報告したいことがあります。後日、こちらにUPします。

とりあえず、よい週末を!

旧ブログ記事:『リフレクティブ・マネージャー』を読んだ(3/3)(2009年12月4日掲載)

3回に分かれてしまいましたが、最後です。

5章:企業「外」人材育成

社内だけでなく、社外でも学ぶことの意義を説いている章です。

中原さんは、組織外での学習について、以下のように述べています。

P.303より引用
「職場や家庭以外のさまざまな場へと自らの意志で「越境」することによって、「日常としての修羅場」から一時的にアンプラグド<田中注:つながっていない状態、オフの状態>し、新しいものを見聞きし、刺激を受け、知的に興奮し、その都度熟考できれば、よりよく生きることができるのではないだろうか」 (こういった学習を「越境することによる学習」というそうです。)

P.305より引用
「組織の中で奮闘しつつ、時に組織を「越境」しつつ、自らを「取り戻し」、新しい物事を「再創造」する大人に、私はなりたい。」

一方、金井さんは、紐帯(ちゅうたい)の話を使って、こう解説します。

(マーク・グラノヴェッダーは、家族などより、たまに会う程度の知り合いといった弱いつながりの方が役立つ情報を提供してくれるといったことを「弱い紐帯(ちゅうたい)」と名づけているそうです。)

P.297より引用
「強いネットワークの輪の中にいる人たち同士は、住んでいる世界もほぼ同じだから、それぞれが持っている情報や発想が似通っている場合が多い。それに対し、「弱い紐帯」で結ばれた人たち同士は、よりレパートリーの広い情報や意外な発想を持ち合うことができる。」

このことからも、社外で学ぶことの意味や意義を再考できるんじゃないか、ただし、社外でばかり学んでいるのもまたダメで、ちゃんと社内での学びとブレンドされていないとね、と付け加えています。

私の仕事上の経験で言えば、 1社向け研修は、それぞれ密度の濃い、社外秘も含めた議論ができて、それはそれで有意義ですが、公開コース(当社ですと、新宿、大阪のトレーニングセンターで開催)の場合、多種多様の企業、職種の方が集まるので、たとえば、「自分にとって当たり前なことが、全く通じない」体験をしたり、あるいは、「同年代なのに、私より数倍レベルの高い仕事をしている人がいるんだ」と刺激を受けたりして、とても有意義な空間になっている様子をよく見ています。

公開コースなんてのは、まさに「社外での学び」のチャンスだな、と思います。

プライベートな経験では、この10年、ずっと大学に通い続け、組織行動論などを勉強していますが、そこで知り合うクラスメイトは、まず、自分の仕事環境で出会うことのない方たちばかりです。

学問のマジメなお勉強というだけでなく、そういう場で「自らのあり方」を自問自答するのにも、大学といった学びの場は役立つものだと実感しています。

なお、この本は、お2人別々のあとがきがあり、本編とは違う読み応えがあります。

中原さんのあとがきは、「あとがきという名のリフレクション」と題して、ご自分のキャリアについて書いていらっしゃいます。

金井さんのあとがきは、「やや長めでおせっかいなあとがき」とあり、中年期以降の発達課題などについても再度触れています。

このお2人のちょうど間の年齢の私には、どちらのおっしゃることも過ぎ去った過去とこれからの未来の両方の観点から「うん、わかる」「想像できる」と共感するところ大でした。

この本で引用されていたいくつかの学説や理論、研究については、別途、それぞれの本で読んで学習したいと思っています。

★追記(2011年5月21日)
「弱い紐帯」・・・。もしかすると、Twitterでのつながりというのは、まさに「弱い紐帯」かも知れない。全てではなくても、少しだけリアルに知っている、知り合えた方たちというのは。


さて、長々と3回にわかって書いてきたのは、訳がありまして。 今宵12/4(金)、今年最後のLearningbar@東大、があります。

中原さんと金井さん両氏が登壇、というステキなイベントです。

後日、改めてレポートします。

旧ブログ記事:『リフレクティブ・マネージャー』を読んだ(2/3)(2009年12月4日掲載)

というわけで、3章から続けます。

3章:働く大人の学び -導管から対話へ
中原さんの前著『ダイアローグ 対話する組織』の中でも触れられている「導管メタファ」について改めて述べています。

学習は、有識者も知識や知恵を、講義などで注入すれば成り立つ的なとらわれ方が長くなされてきたけれど、今は、「学習者が互いに影響しあって学習を促進する”協調学習”」という考えが注目されている。

「導管メタファ」による学習形態といえば、「講義中心の一斉教授方式」がまさにこれに当たりますが、やはり、講師が「伝えたつもりのこと」≠学習者が「理解し、できるようになったこと」になるので、限界があります。これは、技術研修でも同じです。

中原さんも金井さんも共通して述べているのは、以下のようなことです。

マネージャーが部下の育成をすべて担わなければならないのか?たしかにマネージャには部下の育成の責任はある。しかし、それは、一身に背負って教え、育てるということではないはずだ。部下が育つような環境を作っていくことこそがマネージャの役割なんじゃないか、と。

では、職場を学びの場にするにはどうすればよいか?

そこで登場するのが、「正統的周辺参加」です。

以下、また引用。(P.183)
「新人(学習者)にとっての学習は、しごとの中の日常的行為に埋め込まれたものであり、「学習-仕事」という対立概念<田中注:「学習するのか」「お仕事するのか」を異なるものとして扱うこと>は存在しない。 (略) 学習者が意識しているのは、知識やスキルの習得などシステマティックに細分化された目的ではなく、トータルな意味での実践活動における行為の熟練だ。」

P.184
「新人は、ある組織の中で、組織にとって価値があるとされる事柄を周辺的に担いながら、ときに試行錯誤を繰り返し、さまざまな人々の助けを借りつつ、一人前になっていく。」

これで思い出したとあるベンチャー企業の社長の一言。

「田中さん、人はさあ、”アイツは俺が育てた”という記憶は持っていて、それを偉そうに言うことがあるけど、 ”俺はあの人に育てられた”という記憶、というより、自覚自体をさほど持っていないもんなんだよね」

ダイアローグしかり、正統的周辺参加しかり、人は、「1人で勝手に成長するわけ」ではないのですね。

4章:企業は「学び」をどう支えるのか

この章は、主に、企業における人材育成について語られていて、私のように人材育成を生業にしている人間には耳の痛い話がてんこ盛りです。

たとえば、
●人事部は「教育ベンダー」に丸投げ研修をしていませんか?
などと言う、企画段階の課題から、

●きれいに終わる研修がよいのか?
というデリバリ段階での問題まで。

特に、「きれいに終わる研修」の是非について、中原さんは、「世の中、正解なんてないのだ。研修を受けたらかえってもやもやする。だからそれにより内省が始めればよいのだ。」みたいなことをおっしゃってますが、これ、現場の講師としては、悩むところです。(理屈としては100%うなずくのですが)

「講師ははっきりとヒントを与えてくれなかった」 「研修に出ても私の問題は解決しなかった」 と怒ってお帰りになったりすると、本当に苦しい。(文字通り、心臓がバクバクします。)

「唯一無二の正解」など存在しないと言っても、ある程度の指針を示すなり、何か「すっきり感」を与えるなりしないと、 ”顧客満足度”という観点では、否と見なされることもあります。

だとすれば・・・・。

もともとの設計段階で「もやもや」するのがこの研修の意図です。 といった話し合いがきちんとされていることが重要なのかな、と改めて思いました。


※ ああ、まだ終わらない。後編に続く

旧ブログ記事:『リフレクティブ・マネージャー』を読んだ(1/3)(2009年12月4日掲載)

本題に入る前に、今朝手に取った「R25」の最終ページのコラムがとてもよかったので、お知らせ。帰り道、どこかにまだ残っているかも。

石田衣良さんの文章。「だから、どうした!」というタイトルで、景気悪いからどうした!不景気だ、と不機嫌になったり、誰かのせいにしたりせず、まずは、この1年のご褒美を自分に贈り、あとはこの国の再建のためにみんなもっと元気に働こう!というものでした。
(うまく要約できていないんだけれど、決して、自己責任論とかそんなことを言っているのではなく、とても前向きで元気が出るコラムでした。)

さて、本題。

中原淳・金井壽宏両氏共著『リフレクティブ・マネージャー』(光文社新書)を読みました。

中原さん・金井さんお2人の本はほぼ読んでいるので、共著となれば、ワクワク感倍増。

全部で5章立て、往復書簡風に書かれているものです。あとがきで中原さんも触れていますが、金井さんの知識量がハンパじゃない。

いや、学者さんなので当然なのかも知れないですが、何かの現象や事例が登場すると、「●●という学者は、××という理論をこういう風に展開している」と、理論的な背景も添えるのですが、まあ、その種類というか、カバレッジの広さが目が点になりそうなほど凄いのです。

凡人として、これだけの本や文献(中には英語のものも)を読むのは到底無理なので、「いろいろな学説や研究」をコンパクトに教えてくださってありがとう!と感謝の念を禁じえません。

ま、そんなことはさておき、章立てごとにフリーフィングを。

1章:「上司拒否。」と言う前に
マネージャになりたくないという人が増えている。20年くらい前までの会社員には「マネージャー」が上がりみたいな、目雑べきポジションみたいなところがあったけれど、今のマネージャー予備軍は必ずしもそうは思っていない。

中でも、以下のあたりは「ああ、なるほど」と思いました。

P.36から引用。
「かつて課長は部下に対して指示・命令を下す存在だった。組織への適応もモティベーションの喚起も、課長ではなく部下本人の責任だった。ところが、今のマネージャーには、部下に組織に適応してもらうこと、、部下を「その気」にさせることが求められ、カウンセラーとしての役割が重要性を増している。」

このことを、中原さんは、「・・・上司の役割の重要性を承知しつつ、私は上司の立場に思わず同情してしまう」とも書いています。

でも、「世代継承性」という、中年期以降のキャリアの新しい課題もあるよね、とは金井さん。

マネージャーとして、後進を育てていくことが、自分自身の学びや成長にも寄与するんじゃないか、と。

中原さんは、「30代のボクにはまだピンと来ない」ってなことを書いていらっしゃって、このあたりが、「30代と50代」の違いで、面白いなあ、と思いました。

★追記(2011年5月21日)
「世代継承性」を意識し始めるのって、何歳ぐらいだろう? 45以上という感じがするのだけれど、職種によるのかな? 男女でも違うかも知れないし。 「定年」が見え始めた時、体力に対する自信に影が差した時、世代継承性、ということを考えるような気もします。

2章:内省するマネージャー -持論をもつ・持論を棄てる
専門家には、内省(リフレクション)が非常に重要だというドナルド・ショーンの研究(内省的実践家)、アージリスの「二重ループ学習」についても述べています。

内省はなかなか1人でできないので、内省に他者が介在することが重要とも。(この他者を介しての内省の場になるのが、「対話」(ダイアローグ)。

これらを総合するに、

●人は内省することで、自らの行動をよりよいものにできる(内製的実践家)
●内省には他者の協力が必要(ダイアローグの重要性)
●内省していく中で、自分の学びや成長を振り返るだけでなく、その方法までをも振り返り見直していくとよい(二重ループ学習)

ということかと思います。

金井さんはいろんな本で「マネージャやリーダーは”持論を”もて、そのためにも理論を活用してほしい」と書いていらっしゃるのですが、この本にも以下のように述べてます。

P.133から引用。
「リフレクティブ・マネージャーをめざす人たちに言いたいのは、研究者の理論なんか関係ないと背を向けて自己流に留まるのではなく、経験からの内省によって自らつくり出した持論を、研究者によって検証された抽象度の高い理論とうまく突き合わせ、自分なりの裏づけを取ってほしいということだ。理論と両立するような持論こそパワフルなのであり、(略)」

ただし、「持論」に凝り固まって、時代に合わない、現状に合わない持論に執着するのはダメなので、何度もそれは見直し、時に棄論する、持論を組み立て直すことも必要だとあります。

深く納得。

★追記(2011年5月21日)
この「持論を作ろう!」については、とても共感するのだけれど、初めから持論ありき、で、それを「強固」に守り、変えようとしない、となると話は別だなあ。色々な人の考え、自分自身の試行錯誤、あるいは、アカデミックななんやかやを融合した後に持論は作りたいもの。では、「持論」を作るべき歳ってあるのだろうか? 役割次第なのかな? 30歳でも社長はいるわけだし。このあたりに興味ある。

※ 続きは別エントリーにいたします。

*** 追記(2011年5月21日) ***

今、芦屋広太さんとITproサイトで行っている「往復書簡」連載は、この本の手法が頭にあってものものでした。編集者と「こういう感じにしたい」と伝える時、この『リフレクティブ・マネージャー』が頭にありました。


2009年12月3日木曜日

旧ブログ記事:「彼・彼女の今日1日を思い出せますか?」(2009年12月3日掲載)

7月や8月に配属された新卒新入社員のOJTも佳境に入ってきている頃だと思います。

12月-1月は、OJT担当者のフォロー研修が続きます。「現場の人育ての成果報告」や「課題の議論」をする集まりです。

さて、それでふと思い出した話を。

OJT担当者になった方たちで「後輩指導において、自分自身が気をつけたいこと」を考え、リストアップをした時のこと。

これをセルフチェック風に作成しましょう、と提案し、「○○していますか?」という自問形式で表現していただきました。

通常、たとえば後輩とのコミュニケーションに関しては、

「まめに声を掛けていますか?」
「困っていることがないか気に掛けていますか?」
「仕事以外の会話も交わしていますか?」

といった表現になることが多いのですが、

ある方が、

「今日1日の彼・彼女のことが思い出せますか?」

と書いていたのに、感心しました。

そうだ、まめに声を掛ける、とか、困っていないか気に掛けるとか、こまごま挙げたらいくらでも自問できるけれど、夕方仕事を終えたそのタイミングで、「今日1日の彼・彼女を思い出せるか?」と自問し、それに対して、ちゃんと「Yes」と答えられたら、 後輩の育成という課題にきちんと取り組んでいることを確認できるんだな、と思ったのです。


旧ブログ記事:「あの子この子」をやめませんか?というお話(2009年12月3日掲載)

どうしても気になる!ので、ここに書いておきます。

研修の中でもできるだけやんわりと指摘してはいるのですが、なかなか浸透させられず、残念に思っています。

後輩を「あの子」「この子」などと「子」と呼ぶことです。

大人同士なのだから、「女性」「男性」「後輩」「部下」などと呼びたい。

自分が、「あの子さあ」と言われたら、やはり、イヤだと思うのです。
(いや、私は既にアラフィーなので、さすがに身近では呼ばれませんが、
そうは言っても、60代70代の先輩方には、「田中さんって子がいてね」などと言われたら、やはり、うぐっ!とお饅頭が喉につかえたサザエさんのようにむせると思います。)

研修内の会話では、たとえば、こんな風に使われます。

「私は、配属された新入社員の世話役になったのですが、今年の子は、去年の子と違ってちょっとおとなしい子が多く・・・」

「私のところにいる後輩は2人で、1人は男で、もう1人は女の子です」(これなどは、「男」と「女の子」と、別の意味でさらに違和感を感じます)

「○○さんのところにいる子ってなんていう名前だったっけ?あの子、ガンバっているよねぇ」

「うちの子たちは、皆優秀なので、育成が楽なんです」

・・・・・

「子」って、本当にやめたほうがいいと思います。 「社会人としての自覚を持ってください」と同じ新入社員や後輩に言っているはずです。

であれば、なおのこと、社会人として相手を尊重した呼び方をしたいと切に思う次第であります。

2009年12月2日水曜日

旧ブログ記事:仕事の背景を説明してみたら・・・(2009年12月2日掲載)

1ヶ月の実践期間後に再集合する「リーダーシップ研修」の成果報告を聞いていたら、こんな例が出てきました。

「メンバに仕事を指示する際に、背景とか全体像も伝えるようにしたら、質問が出やすくなって、結果的には疑問点を早期に解決、仕事の精度も上がったようです」。

これまでは、「この仕事をお願いね」と、指示を出す相手の担当範囲だけを伝えていたのをやめて、
「全体像や背景と相手の担当範囲」をセットで伝えるように、説明方法を変えてみたとのことです。

「どうして質問が出やすくなったんでしょうね?これまでは質問がなかったのですか?」と尋ねたら、しばらく考えてこのリーダーさんが答えるには・・・。

「これまでも質問は出ていたんですけど、何を聞いているかわからないので、もうちょっとポイントを絞って!とか、どこがわからないの?などとこちらも聞き返すことが多く、その結果、メンバもだんだん質問しづらくなっていたみたいです。

全体像とか背景を説明したら、メンバも全体像がつかめるので、質問の内容がちゃんとピントの合うものになって、こっちも自ずと答えやすくなり、会話がかみ合うようになったんだと思います。」

・・・・・・。

この話を聞いていて、私は、目からウロコが10枚ほど落ちました。

よく、「部下が何を質問しているかわからない」とか「メンバが何を聞いてきているかさっぱり要領を得ない」と、会話がかみ合わない原因を質問者に帰することがありますが、

この例は、

● 全体像を理解していない人の質問は要領を得ないものになりやすい、
● 全体像を理解している人の質問はピントが合いやすい

ということを示唆しています。

部下やメンバの言っていることがわからないとき、相手の問題だと思わずに、自分の説明に不足や不備がなかったかな?と立ち止まって自問自答する必要があるな、と学んだのでした。

2009年12月1日火曜日

旧ブログ記事:引き継ぎ資料の作成方法(2009年12月1日掲載)

有識者の知識・スキルを後進に早く引き継ぎたい!という声はよく聞きますし、そのために「マニュアル化」「文書化」をしている職場も多いことでしょう。

このとき、その引き継ぎ資料・マニュアルを誰がどう考えて作っているでしょうか?

有識者が作成すると、自分の知識レベルを基本として書いていくため、初心者・門外漢には、「さっぱり分からない」資料になることがあります。

そこで、お薦めなのが、「引き継がれる側=引き継ぐ相手」のリクエストを尋ねる方法です。

先日担当した「リーダー研修」でもそういう事例が出ました。

「引き継ぐ相手にヒアリングをして回り、『何を引き継いで欲しいか』『知りたいことは何か』を調べてから資料を作ったら、抜け漏れが激減した」
という話でした。

同じようなことは他社でも聞いたことがあります。

「引き継ぐ相手にアンケート用紙を配り調査した」とか「引き継ぐ相手に項目だし(見出し・目次レベル)だけはしてもらった」とか。

すべて似た試みですね。

分かっている人には「当然」だということすら分からないのが初心者・門外漢。 なので、分かっていない人、これから学ぶ人に「知りたいこと」「教えてほしいこと」を挙げてもらうというのは、どこでも使える方法かと思います。

2009年11月29日日曜日

旧ブログ記事:「理想のリーダー」とは?(2009年11月29日掲載)

各社のリーダー研修、あるいは、マネージャ研修に携わることが多くなりました。

その場で挙がる話題の一つに「理想のリーダーとは?」があります。

上司から
「頼りがいがあるリーダーを目指してほしい」
「安心できるリーダーになってね」
「信頼されるリーダーになってほしい」
「存在感のあるリーダーになってくれ」
と期待を伝えられても、

「それはわかった。自分だってそうありたい。でも、いったい何をどうすればそういうリーダーになれるんだろう?」

と考え込んでしまいます。

唯一無二の答えはないから難しい。
他人と話し合っても、自身で悶々と悩んでも、答えはなかなか出てこない。

たとえば、

「ビジョンを示すこと」も「メンバの話をよく聞き、それぞれの思いを知ること」は大切だけれど、それができれば、「理想のリーダーなのか?」」といえばそれだけじゃあない。
「利害関係者との利害調整をしていくこと」も大事だけれど、それだけが「理想のリーダーか?」と言われたら、それだけじゃあ、やはりない。

ただ、ひとつ言えるのは、
「頼りがいのあるリーダーってどんな人だろう?」
「存在感があるリーダーとは?」
「安心できるリーダーになるには?」
を考えることにこそ、たぶん、意味がある。

誰かと話し合ったり、自問自答を繰り返したりしながら、自分なりの「理想のリーダー像」が見えてくるんじゃないかと思ってます。少なくとも、そうやって考えていくと、「自分がどういう人を理想だと思っているか」は整理・分析できますよね。

2009年11月28日土曜日

旧ブログ記事:久々かあさん:小学生があこがれる15F(2009年11月28日掲載)

「久々かあさん」で千葉県の妹宅へ。

15F建てのマンションの15Fに住んでおります。
マンションに到着。エレベータに乗ったらば、先客・小学3年生くらいの男児お二人。

「何階ですか?」と丁寧に訊かれたので、
「15Fです」とお願いしたら、ちゃんと「15」のボタンを押してくれました。

二人ともランドセル姿。

私を無視して始まった会話。

「15階かあ。いいなあ。」
「15階ってどんなに高いんだろう?」
「15階だったら、きっとキゼツしちゃうよ。」
「キゼツはしないだろう。」
「15階、行って見たいなあ。」
「俺、行ったことあるよ。」
「高い?」
「うん、高い。」
「いいなあ、俺さあ、15階に住みたかったなあ。」

・・・・・

かわゆい。

二人は8階と12階で降りていきました。

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甥っ子は、生後6ヶ月(修正月齢では4ヶ月ですが)。

寝返りの猛練習中でした。あくまでも自主トレ。全身がCの字になるほどのけぞっておりました。何度も。

正月には寝返り姿を見られるかなあ。

オトナの「寝返った」はネガティブな言葉ですが、お子ちゃまの「寝返り」は成長の証ですね。

旧ブログ記事:電話の方が「シツレイ」!?(2009年11月28日掲載)

今日はちと面白い話を聴きました。

「以前は、メールを送る際に”メールにてシツレイします”と言ったものだけれど、最近は、逆に電話をかけた時に”電話でシツレイします”という感じになってきているらしい。メールで済むことはメールで。電話だと他人の時間に割り込むわけだし。電話のほうがシツレイだ、という風に捉える人が増えているらしい」

とのこと。(ある記者さんが多くの企業の現場でインタビューした結果、聞こえてきた声だそうです。)

あ、そういえば、私も

電話の数<メールの数

という状態がここ数年続いています。

本当に電話をかけなくなった。かかっても来ないけれど。

本当は顔を見て、アナログの会話をしたほうがいいのだけれど、ついつい、「割り込んでしまうかな。仕事の邪魔になるかな」などと考え、躊躇します。

「電話でスミマセン」
「電話でごめんなさい」

という、つまり、「電話をするのはマナー違反」と捉える時代になってきたのかな。

こういう話を聴くと、色々なことを(わが身を振り返りつつ)考えさせられますね。

2009年11月27日金曜日

旧ブログ:世間は狭く(2009年11月27日掲載)

昨日は大学の日(今季は、火曜・木曜の2科目とってます)だったんですが、木曜日クラスの方の飲み会がありました。

授業後なので20時半~。

自己紹介とか名刺交換をしていたら、
「あの、私、田中さんと以前会ったことありますよ」
と、ある女性から。

ん?

聴けば、フリーライター&編集者で、私は取材をされたことがあったそう。

取材をされたことがあった・・・。という言い方は変なのですが、とある媒体の取材を受けたことがあり(それは覚えている)、その席にいらしていたライターさんだったそう。(たいてい、取材者のお顔も覚えているんですが・・・。どうもスミマセン)

んなことより、ですよ。

どこで誰と再会するかわかりません。

当たり前だけど、当たり前のことではあるけれど、いつでも人間関係はきれいにしておかないといけないなと改めて思いました。

人間関係はきれいに・・・とは、いつでも丁寧に、きちんと応対しておかねば、という意味です。

それにしても、世間は狭い。2-3年前に取材してくださった方と今はクラスメイト。オドロキました。

2009年11月25日水曜日

旧ブログ記事:見知らぬアメリカ人たちが・・・(2009年11月25日掲載)

「コーチング」の研修で、「あなたが勇気づけられた体験を話してください」という演習があります。

そこで聴いたエピソード。

・・・・・

「アメリカで野球の試合を見ていた時のことです。

客席に飛び込んできたファールボールが、近くにいたアメリカ人のおでこに当たり、さらに私の方に飛んできました。

思わずキャッチして、「やった、ラッキー!ボクのもんだ」とポケットに入れてしばらくすると、最初にボールをおでこに受けたアメリカ人が救護室に運ばれていったんです。

しばらくしたらその人はまた客席にちゃんと戻ってはきたのですが、ただ「ラッキー」と思っている自分もよくないな、と気がとがめてきて、その「ボールがあたったアメリカ人」のところに行って、「はい、このボールはあなたのですよ」と渡しました。

そしたら、今度は周囲で何人かが話し合いを始めて、その内数人がスタッフを呼んで、何か言っているんです。 で、スタッフから投球練習に使うボールを1個もらってきてくれて、

「これ、キミの分だ」と渡してくれました。

自分は人がおでこに当てたボールを一瞬でも自分のものだともらおうとして、まあ、返しはしたけど、
それを見ていた、全然関係ない、他人同士のアメリカ人たちがボクのために話し合って、スタッフにかけあってくれて、あらためてボールをもらってきてくれたんです。

自分は、関係ない他人のためにこんな風に何かをしてあげたことってないなあ、と思いました。

この出来事から、赤の他人はともかく、身近な人にもう少し何かをしてあげるということも必要じゃないかと意識するようになりました。 」

・・・・・・・・

いい話です。

ボールを返した彼も。代わりのボールをもらいに行ってくれた赤の他人のアメリカ人も。
そのことを思い出としてずっと覚えていることも。 それを仕事場で生かそうと思うことも。

そして、ちょっとだけかっこ悪いかも知れない思い出を研修の場で、また他人に話す勇気も。

講師をしていると、こういう、身近な「とてもいい話」「すてきな思い出」を聴くチャンスが多く、それらエピソードから学ぶことも沢山あります。

ところで、この話を聴いたその日から読み始めたのがグーゼンにも以下の本でした。
●エドガー・H・シャイン『人を助けるとはどういうことか』英治出版

シャイン氏の弟子でもある金井壽宏さんが監訳をなさっています。

英語タイトルは、”HELPING - How to Offer,Give,and Receive Help” とあります。

支援するだけでなく、支援をどう受け取るかもテーマなのですね。(まだ読み途中なので、現時点では詳細不明ですが)

2009年11月24日火曜日

旧ブログ記事:パパと息子たちと絵本(2009年11月24日掲載)

飛び乗った地下鉄車両のドア付近、パパと息子2人。息子ちゃんたちは、推定7歳と4歳ってところか?

たぶん、フランス語。もしくは、フランス語に似ている言語。そう、3人は外国の方でありました。

パパは、スーツをお召しで、息子ちゃんたち2人はカジュアルな服装。推測するに、パパが息子ちゃん2人を学校に送りがてら、出勤なのでしょう。

さて、その息子ちゃんたち。

子供なので、じっとしているわけなく、おしゃべりしているし、もじもじ、そわそわしている。

その様子を見ていたパパは、それぞれに「絵本」を渡したのでしたよ。ちっちゃい弟君は、最初の絵本に飽きて、また何かフランス語(だと思う)で、ぐずぐず言い始めたのですが、パパは、リュックから別の絵本を取り出して渡しました。今度は、アニマル・・と書いてある、動物に関する手のひらサイズの絵本。

お兄ちゃんのほうには、図鑑みたいなのを渡していました。

20分ほどずっと近くで様子を見るともなく見ていたのですが、パパのリュックには沢山の「子ども向け」本が入っていて、お兄ちゃんには、「ほれ、これ」、弟ちゃんには「これ、読んでご覧」とばかりに次々出すのです。

お兄ちゃんの図鑑を覗き込みながら、お兄ちゃんがなにやら言っているのをパパがちゃんと受け答えしている。(なんせ、フランス語(だと思う)なので、全然ヒアリングできず。)

いいなあ・・・。いいなあ・・・。

あのですね、ふと思ったのです。

こういう場面で、子供に絵本を次々渡す日本人のパパってそんなにいないんじゃないかな、と。ステレオタイプな想像で申し訳ないんだけれども、日本人の子供は、ゲーム機ピコピコさせてそう。

お父さんもおにいちゃんもケイタイぴっぴっとやっていそう。

このフランス語(だと思う)を話す親子3人(全員男性)は、電車の中で絵本や図鑑を広げ、それについて親子の会話をしていたのでした。

いいなあ・・・。いいなあ・・・。

こういうの、とても好きだなあ・・・・・。 と思った今朝の出来事でした。

==============

今週は、日中社外に出て研修しているので、ブログの更新は、夜になります。たぶん。

で、今日、受講者さんからとてもすてきな話を聴いたのですが、朝の親子の話を書きたかったので、受講者さんのすてきな話はまた後日。


2009年11月23日月曜日

旧ブログ記事:「深夜食堂」がいい!(2009年11月23日掲載)

「深夜食堂」というTVドラマがなかなかよい。 TBS系で水曜日の真夜中(水曜夜中は”TBS”だけみたい)にやっています。

予約録画してあったのをこの連休にまとめて観てみたのだけれど、出てくる食べ物(ポテトサラダだの卵焼きだのあるいは、この店の看板メニューの豚汁だの)がどれもこれも全て美味しそう。

食べ物の監修に「飯島奈美」さんが入っていたので、なるほど、と思いました。(映画「かもめ食堂」と同じですね)

原作は漫画で、ドラマがよかったので漫画も買ってしまいました。

そしたら、まあ、あなた。
ドラマの登場人物の、漫画の雰囲気とぴったりなキャスティングったら。

「深夜食堂」の店主は小林薫さんがやっているんだけれど、とてもいい味出しているんです、これが。
グルメ番組ではないので、舞台の「深夜食堂」はホントに家庭で食べるようなものを出すんです。

食事に来る人もほんとに庶民、庶民。

それぞれに食べ物にまつわる思い出だったり、ドラマだったりがあって。 (お母さんの得意なポテトサラダ、とか、貧乏な時に食べたバターライス<暖かいご飯にバターをひとかけらのせて、しょうゆをちょこっとかけるだけ>だったり・・・)

TVの方は、最後にその日扱ったメニューの、作り方を伝授してくれます。

食堂のセットもいい味出してます。(TBS公式サイトにメイキングみたいな映像もある)

TBSの公式サイト

※「MOVIE」というメニューを開くと、デモ映像を見ることができます。

※ これまでに登場したメニューは写真入りで・・・。美味しそう。


「深夜食堂」(原作)のサイト

※ レシピ本も出版されたようです。

・・・・・

番組ではオープニングの映像で、豚汁を作る過程が映ります。 これを見て、私も豚汁を10人前ほど作ってしまいました。

番組を見ていると「ああ、これを作って食べてみたい」と思えてくるようなメニュー満載です。

そういえば、ふと・・・。母から習っておきたいレシピも沢山あります。

正月休みに教わってこようかな。

2009年11月22日日曜日

旧ブログ記事:「させていただきます」の嵐(2009年11月22日掲載)

芸能人(でなくてもいいんだけれど)の交際宣言というのは、たいていの場合、

「○○さんとお付き合いさせていただいております」

という表現を使うもんだな、と、日曜日のNEWSバラエティ番組を見ていて改めて思った。

以前から気にはなっていた。

「○○さんとお付き合いさせていただいております」 は、身内だけでつかえばいい表現ではないか?

たとえば、山田太郎さんと鈴木花子さんがお付き合いしている。
山田太郎さんが、鈴木花子さんちに挨拶にいく。
花子さんの両親に対して、
「花子さんとお付き合いさせていただいてもよろしいでしょうか」
とか

「花子さんとお付き合いさせていただいています」 なら、まだわかる。

花子さんが太郎さんの両親に対して、「太郎さんとお付き合いさせていただいております」 もわかる。

取材の相手(はたまた、TVのこっち側の視聴者)に対して、「お付き合いさせていただいています」って。 

変なの。

そもそも。

させていただく、とは、「許可を得て・・・」というニュアンスがあると思うのだ。

「山田太郎さんとお付き合いしています」 というほうが数百倍潔いと思うのだけれど。

あ、そういえば、「させていただく」は、色々な方面に進出していて、

こんなのも聞くことがある。

「当社のこの新製品には、”××”という名前をつけさせていただきました。」

え?別に「という名前をつけました」「という名称にいたしました」でいいんでないの?と思う。

こんなのも聞く。

「お客様、このコートにはアンゴラを入れさせていただいたのですよ。」

別に許可してないけどぉ~・・・とへそ曲がりの私は思う。

最初の話に戻るけれど、その内、「入籍させていただきました」と言うんだろうなあ。


「○○いたしました」
「○○しました」
「○○します」
「○○しています」

を強く推奨したい私です。

2009年11月20日金曜日

旧ブログ記事:「店長を呼べ!」って、ホント?(2009年11月20日掲載)

帰りに寄った「夜遅くまでやっている大型スーパーマーケット」にて。

レジを終えて、袋詰めをしていると、遠くのレジから聞こえる

「店長を呼べ。お前、俺はさっきから並んで%#$W4gv"9なんだよ$459aj2#!(途中、聞き取り不能)」と怒鳴っている男性(スーツ姿)の声。

う、コワっ、と思ったら、その声に反応して、今度は、隣で袋詰めしていたおじい様(70代?)が

「うぉーっ」とドでかい声で応戦というか咆哮。2回も。
(たぶん、「やめろ!」という威嚇だと思うのだけれど、これはこれで怖い)

くわばら、くわばら。

折角の金曜日。
折角の三連休前。

ココロがわさわさする場所からは早く逃げよう。

彼は何にイライラしていたんだろう。

アサーションという考え方とスキルを勉強すると、もっとお互い気持ちよく会話できると思うんだけど。

それにしても・・・・。

「店長を呼べ!」

本当に言うんだ。生で初めて聞いた。

こういう場面で思うこと。

言われたアルバイト君(学生風)。「今日はどんな週末の夜を過ごすだろう?怖かっただろうな」
怒鳴っていたビジネスパーソン風男性。「家で美味しいお酒、飲めるのかな?」

平和で穏やかな気持ちですごせる日々こそが一番幸せなのだと思う。

それぞれに、happyな3連休でありますように。

(あ、私は、「久々かあさん」予定です。)

旧ブログ記事:大人数の講演でも演習つきなんですよ(2009年11月20日掲載)

今日はあるクライアントの全社イベントに招かれ、90分の講演をします。

「チーム力を向上するためのコミュニケーション術」といったタイトルです。最大で300人くらいの方が集まるそうです。

普段、研修の仕事をしていますので、クラスの人数というのは、最少で3人くらい、最大で3-40人といったところです。

50人を超えると、研修というよりは、セミナー。100人を超えると、セミナーというよりは、講演、という感じになります。(あくまでも語感・イメージですが)

研修は、聴き手に問いかけたり、聴き手から発言をしてもらったり、質問を受けたりと、双方向に進めますが、「100人も200人もいたら、演習は無理でしょ?」と言われることがあります。

でも考えてみたら、もし自分が聴き手だったとして、90分もじーっと他人の話を聞き続けるのは、苦痛ですよね。「私にも考えがある」「私にもしゃべらせろ」という気持ちにもなるんじゃないかと思うわけです。

なので、60分100人、でも、 90分200人、でも、2時間400人・・でも、必ず、演習を入れるようにしています。

今まで体験した最大の参加者数は400人でしたが、これは、出版社主催の読者イベントでした。そして、この400人が人生初の「大人数」向け講演だったのです。

講演初体験だったこの時はさすがに演習を入れるのに勇気が要りました。

しかし、やってみよう!と思ったので、挑戦。

「今から、隣の方同士で○○について話し合ってみてください」 と壇上から言いました。

一か八かですね。誰も協力してくれなかったら、しーんとなるだけですから。

出版社の方は、「ア、田中さん、本当に演習入れちゃった」とあせったそうです。それまでに「3-400人規模」の講演で、会場中の人に同時に何かをしてもらうというのを見たことがなかったからだそうです。(私も見たことありませんでしたけど)

そこで、会場の四隅に立っていたスタッフは、もし誰も動かなかったら、会場を走り回り、参加者に「よければ、やってみてください」と声を掛けようとスタンバっていたそうです。

一方、壇上の私は、『400人に演習してもらう・・は初挑戦だけれど、”はい、やってみてください”と言ったあと、壇上でずっと黙って待っていたら、きっと皆さんは動き出すだろう』と覚悟を決め、ひたすら黙っていました。

数秒後。

あちこちでペアができ、わさわさ、ざわざわ・・・わーーーと会場中、誰も彼もがペアや3人組で話す光景が見えてきました。

一度これができたら、後は気持ちに余裕が生まれました。会場も和やかムードに。

結局、この時は3回くらいペアワークを入れて、60分の講演を終えたのでした。

後で編集長が、「田中さんさあー、何をするかと思ったよ。あせった。でも皆さん、案外やってくれるんだねー。楽しそうだったね」 とおっしゃっていて、「そーゆうもんです!」と胸を張って答えたものでした。(内心は、バクバクだったんですけど)

というわけで、それ以来、何人であっても演習つきで行うことにしています。

そういえば、最近の講演(どなたのものでも)は、たいてい演習つきですよね。(演習とは「隣同士、話し合ってもらう、とか、何か書いてもらって、それを見せ合うとか、ちょっとしたワークのことを言っています。)

今日も5回くらいは演習を入れます。クイズとか隣同士で情報交換など、です。楽しみ。

================

実は、最初の400人イベントは、私以外に2人が講演されました。

出版社の会議室に集まっての事前打ち合わせの時、他のお2人が、「あのぉ、全員で何か演習をしたいのですが、いいですか?」とか「会場を歩き回りたいので、ピンマイクで」なんておっしゃっていたので(私より10歳も20歳も年長の大先輩たちです)、

「あ、それなら、私も何かやらねば」と準備して当日に臨んだのです。

トップバッター。・・あれ?演習しないな。
2人め。・・・・あれ?話して終わっちゃった。

まじっすか?

真に受けた私は、沢山の演習を仕込んできちゃったし、配布資料にも入っているんですけどぉ・・・と舞台袖でド緊張モードに突入。

ええーい、やってしまえ!と決断した、というのが、裏話です。

でも、あの時”ダマされて”よかった、と今は思います。挑戦する機会が得られたのですから。

どんな時も人生は「偶然」に左右されます(笑。

2009年11月18日水曜日

旧ブログ記事:取材依頼(2009年11月18日掲載)

ある編集者さんとの思い出です。単発原稿の寄稿者として3-4回お世話になったことがありました。

毎度、原稿には、激しい突っ込みが入り、何度も何度も打ち合わせ、直しを繰り返す・・・。決して妥協しない。

「これは、なぜ、こういう風になるんですか?」
「理由は?」
「こういう考えもあるんじゃないですか?」

ある時は、こちらから編集部にお邪魔して、18時から23時くらいまでずーっと議論したこともあります。夕飯も食べずに。

何度も、「もう、二度と一緒に仕事しない!」と言いました。(と言えるくらいの信頼関係はあるわけですが)

そんな風にキレつつも、完成した記事はとてもよく読まれ、読者評価もそれなりに高かったようで、後日、「ほらね、いい仕事になったでしょ」と言われて、仲直りする。この繰り返し。

寄稿ではなく、取材を受けたこともあり、インタビューでもそのしつこさは変わらず、

「田中さん、さっき、こう回答したけど、今の答えと矛盾ありませんか?」
「こういう言い方をする人もいますが、それとどう違うんですか?」
「それってほんとに現場でよくあることですか?」
など。 (こう書くと、大したことないように思えるでしょうが、なんというか、実に細かいことを全て明確にしようと突っ込まれるのです。)

とにかく、しつこい。厳しい。

でも、記事になると、とてもステキにまとまっていて、「ほらね、いい仕事になったでしょ」とまた仲直り。

・・・

その伝説の厳しい記者(兼 編集者)さんから取材依頼がまた来ました。

ありがたや、ありがたや。

・・・うふふ、いいチャンス。

「活きのいい後輩が取材にお答えしますわ」 というわけで、近々、後輩達が取材対応をすることになりました。 

あのしつこさに喰らいついていくことで、とても鍛えられると思ったので。

こだわりのある人と仕事をするのは、とてもいい勉強になるんです。

ちなみに、私の周囲では、「原稿を厳しくしつこくチェックすること」をこの方の名前を取って「山本(仮名)チェック」と言います。
「あ、このテキストの原稿、山本(仮名)チェックしてもらえます?」
などと使います。

2009年11月17日火曜日

旧ブログ記事:学習性無力感:「無力感」を「学習」する(2009年11月17日掲載)

SI企業に勤める役員の方から聞いた話です。

彼が一部門の本部長をしていた時、ものすごく大きな(数百人規模)プロジェクトの「火消し」を任命され、途中からPM(Project Manager)になったことがありました。

まあいろいろあって、数ヵ月後にプロジェクトは終結させたのですが、その後、コアメンバ十数人だけで反省会をしたそうです。

その中で、こんな話が出たといいます。

「実は・・・私たちは、かなり早い段階から、まずい、やばいと思っていたんだけど」

・・・。

「それをリーダーや上司に何度か進言したものの、言っても何も変化しないことが多く、その内、言うのを止めてしまった」

・・・。

このPMは、「そうか。誰もが問題を認識していたのに、コミュニケーションが阻害されたことでメンバ全員の無力感を増幅させていたのか。だから、こんなに火を噴いても誰も何もしなかったのか」と驚いたのだそうです。

つまり、プロジェクトのマネージャやリーダー、サブチームのリーダー、サブリーダーといった立場の人間だけでなく、一人ひとりのメンバも問題を認識していたし、そのことは早くから意見もしていたのだけれど、誰に何を訴えても何も変化しない(していないように見えた)ため、だんだん言うのは止めて、プロジェクトがおかしくなることは肌で感じつつも、自分から動くのは止めてしまったのだというわけです。

セリグマンという心理学者が「自分ではこの状況をどうすることもできない、ということを”学んで”しまった状態」を「学習性無力感」と名づけました。

自分ではどうすることもできない、何をやっても無駄だと思う体験を何度も繰り返してしまうと、自分は無力なのだということを「学習する」だけでなく、、仮に「自分の力で打開できる、状況を変えられる」という状態になっても何もしなくなってしまうのです。

メンバの動機づけについて悩むマネージャやリーダーは多いことでしょうが、自分のチーム運営が「学習性無力感」をもたらしていないかどうか、時々振り返ってみることも大事なのでしょうね。

2009年11月16日月曜日

旧ブログ記事:言葉を定義する(2009年11月16日掲載)

どの研修コースでも冒頭で「用語」の定義をします。それなしに話を進めると「それは何か?」の認識がずれたまま学習することになるからです。

たとえば、「コミュニケーション・スキル」研修であれば、「コミュニケーションとは?」を定義する。

「プレゼンテーション・スキル」研修であれば、「プレゼンテーションとは?」を定義する、といった具合です。

テキストにちゃんと定義は書いてありますが、たいていの場合、まずは「皆さんは、”コミュニケーション”をどう定義しますか?」という問いかけから入ります。

小グループでディスカッションしていただき、まずは、自分たちの考える「定義」を模造紙に書き出していただくこともあります。

この時に気をつけなければならないことがあります。

それは
「それって本当に定義ですか?」
ということです。

「コミュニケーションとは何か?を定義してください」 というお題を出したとします。

挙がってくる「定義」にはこういったものがあります。

A.言葉やジェスチャーなどを使い、情報や考えや気持ちなどを交換すること
B.会話やメールで、互いの持っている知識を理解しあうこと
C.生きていくために欠かせないもの
D.自分と相手とで理解を深めるために会話すること

・・・

さて、この中でひとつだけ異質なものがあります。

C.生きていくために欠かせないもの(こと、でもよい)

です。

これ、定義ではないんですよね。

A.コミュニケーションとは、「言葉やジェスチャーなどを使い、情報や考えや気持ちなどを交換すること」
B.コミュニケーションとは、「会話やメールで、互いの持っている知識を理解しあうこと」
C.コミュニケーションとは、「生きていくために欠かせないもの」
D.コミュニケーションとは、「自分と相手とで理解を深めるために会話すること」

全部、文章は成り立ちますが、主語を変えてみたら、Cが定義でないことはわかります。

「コミュニケーション」を「ほげらまぴん」に変えてみましょう。

A.ほげらまぴんとは、「言葉やジェスチャーなどを使い、情報や考えや気持ちなどを交換すること」
B.ほげらまぴんとは、「会話やメールで、互いの持っている知識を理解しあうこと」
C.ほげらまぴんとは、「生きていくために欠かせないもの」
D.ほげらまぴんとは、「自分と相手とで理解を深めるために会話すること」

A、B、Dは、「ほげらまぴん」とは「何か」がわかりますが、

Cの場合、「生きていくために欠かせないのはわかった、だけど、じゃあ”ほげらまぴん”って、結局、なんなんだよ!?」と突っ込みたくなります。

「コミュニケーション」という行為を定義する場合、「それが何をどうすることか」という”行為”の説明がなされていないといけないわけです。

「○○について定義してください」と言われた時、主語を「ほげらまぴん」に変えても、それが何かが通じる説明になっているかどうか、 を一度チェックしてみるとよいと思います。

これは、講習を進める講師側、ファシリテーションをするファシリテータ側も意識しておかねばならないことです。

※ ちなみに、「ほげらまぴん」とは、今適当に作った言葉で、何の意味もありません。
※ さらに、「定義」はあくまでも「ここでの定義」でOKです。参加者間での認識合わせを行うものだからです。


2009年11月14日土曜日

旧ブログ記事:「よろしかったでしょうか?」(2009年11月14日掲載)

先日(2009年11月11日配信分)の「朝イチメール」で、「よろしかったでしょうか?」と尋ねられることのフシギを書いたところ、後で何人かから「あれは、私も最初、ビックリした」という声を頂戴しました。

それでですね、他にも奇妙だなぁと思う「ファミコン言葉」をちょこっと書いてみようと思います。

ここ1年くらいの記憶をたどって。

●1つ目。

「743円です」 と言われたので、743円ぴったり(端数まで)を出す。

すると、「743円でよろしかったでしょうか?」 と聞かれまして、これ、ビックリです。

「1000円」を出したなら、まだ「1000円でよろしかったでしょうか?(=小銭を出す気はありますか?)」と意訳できるのだけれど、ぴったり出して、さらに「よろしかったでしょうか?」の意味はなんだろう?

●2つ目。

夜遅くにふらっとコンビニに立ち寄ってしまい、欲しいものもなかったもののなんとなくそのままは出づらく、「ポテトチップ」一袋をカゴに。

レジで「温めますか?」 と聞かれました。

すんごくビックリした出来事です。

どんなことでも自動的に口から出ちゃうのでしょうね。
気持ちはわかる。

=============

「朝イチメール」、原稿を1ヶ月分以上先行して出しています。

先日、プロデューサー氏に褒められました!

「田中さんだけです。1ヶ月分も先行しているのは」と。(契約上は2週間でOKなんです。)


褒められて育つタイプです。

2009年11月13日金曜日

旧ブログ記事:宇宙に持って行きたい”うまい棒”(2009年11月13日掲載)

「宇宙にもっていきたい3つのモノ」続きがありましたー。

演習の一こまだったので、講師役の方は、「全員に考えてもらう」まではやったものの、「全員に聞いてみる」までには至りませんでした。

そこで、研修中毎日、朝イチや昼イチに「3人ずつくらい」に聞いてみよう!というルールが生まれまして・・・。

とある例がとてもステキだったので、ご本人の承諾を得て、掲載します。

「ボクも3つのものを考えてみました。真っ先に家族。でも2つ目以降が見つからないのです。モノに執着心がないものですから。で、それじゃあ娘に聞いてみようと思って、夕べ、娘に聞いてみました。」

この方は5歳の双子ちゃん(Lady)のパパです。

「Aちゃんは、ピアノをやっているんですけど、ピアノを持って行きたいといいました。理由は?と聞くと、お星様の歌をお星様の近くで弾きたいなんていうんです。わが娘ながら、”かわいぃぃ”なんておもっちゃって。 で、Bちゃんに聞いてみると、双子なのに、全然性格がちがうんですけど、”うまい棒”って言うんです。Bちゃんのマイブームがうまい棒なんで・・。なので、ボクが宇宙にもって行きたいものは、「家族」と「ピアノ」と「うまい棒」です」

・・・・・

拍手喝采の朝のアイスブレークとなりました。

その隣で聞いていた男性が「じゃ、ボクも娘に聞いてみようかなぁ。きっと山Pとか言うんだろうなあー」。 お嬢さんは15歳だそうです。
(で、後日判明した「15歳少女のもって行きたいもの」には、山Pは含まれず、その代わり、ケイタイが入っていたそうです。さもありなん、ですね。)

この「宇宙にもって行きたい3つのモノ」。家族との会話にも役立つみたいですよ。

私は、いまだに3つが決められません。

が、第一にやはり、
●家族
かな。
次が
●積読されている全ての本+今買いたいけど我慢している全ての本
3つ目が問題です。

もうしばらく考えてみます。

皆さんの「3つ」は何ですか?よければ、ぜひ教えてください。


2009年11月11日水曜日

旧ブログ記事:宇宙に持って行きたい3つのモノ(2009年11月11日掲載)

あるところで「トレイン・ザ・トレーナー」という講師養成講座を実施しました。

「研修の開始部分だけ体験してみましょう」というテーマで、一人ずつ前に出て、デモンストレーションをしていただきました。

それぞれ工夫を凝らした「開始(オープニング)」を実演してくださいます。

とても面白かったのか、コレ。

「地球が滅亡するとして、宇宙に行かなければならなくなったとします。
宇宙に行く時に3つだけ持って行っていい、と言われたら、何を持って行きますか?
運ぶ際のロケットのサイズだとか、宇宙での衣食住の心配はないものと思ってください。」

全員がポストイットに「自分が持って行きたい3つ」を書きます。

講師役の方が「では、一人ずつ聞いていきますが、まずは、私から。」 と言って紹介したのは、以下の3つでした。

「第一に、家族です。家族は大事なので家族を連れて行きます。
次に、家族で旅行するのに使っている大きな車を持っていきます。
最後は、野球道具です。下の息子が野球をやっていて、僕も野球が好きで、息子にはずっと続けてほしいと思っているので、野球道具一式です。」

他の方は、
「私が持って行きたいのは、ランニングシューズとトレッドミルです」
とか
「剣道の防具と稽古の相手もしてくれる大切な家族です」
などと挙げていきます。

この「アイスブレーク」の方法は、

●自分が何を大切だと思っているかを深く内省するのに役立つ
●他者の大切なものとそのストーリーを聞くことで「そういうものの見方があるのか」と新しい視点を得られる

といった効果もあります。

このデモンストレーション終了後、「今のはオリジナルですか?」とうかがったら、以前参加した何かのイベントでやったものを真似してみました、ということでしたが、面白いワークですね。

皆さんなら何を持っていきますか?

私はもう2日も考えているのに、3つが思いつきません。うーん、こまった。

2009年11月8日日曜日

シンデレラ?

あるお客様の大阪オフィスで研修を担当した時のことです。(東京会場・大阪会場で合計9クラス同じ内容で実施しました。

東京から人材育成担当の方も事務局として大阪にいらっしゃっていました。

講義が始まって30分もしない内に、悲劇が起こりました。

教卓の真下にあった、ケーブルなどを埋めるための穴に私のパンプスのかかと部分がすぽっとはまり、しゃべりながら足を抜いたら、ヒール部分がはがれてしまったのです。(カーペット敷きだったので穴が見えなかった)

このパンプスは、かかとと靴底全体が一体型という珍しい作りだったため、靴の裏面半分(土踏まず近辺)まで全体がはがれていました。(かかとだけがぽろっと取れるよりもタチが悪い)

歩こうにも歩けない。ぐらぐらして歩けない。昼休みまではまだ2時間以上ある。

うーん、こまった。とりあえず、何もなかったフリして講義を続け、演習に突入。

そこで、ゆるりゆるりと歩き、後ろに座っていらした担当者の方(男性お二人)に

「あのぉ~、アロンアルファみたいなもの、ないでしょうか?」
「どうしたんですか?」
「実は、これが・・・」と右足をひょいっと持ち上げて見せました。

「ありゃー、これ、どうなっちゃっているんですか?」
「私にもよくわかりませんが、そこの穴にはまって、靴底が半分以上はがれました。接着剤でむりやりつけちゃえばなんとかなるかと」

・・・

「とりあえず、靴のままだと危険なので、脱いではいかがですか?」

と提案され、

「はだしで研修してもよいでしょうか?」と間抜けな問いをし、両足とも靴を脱いで(スーツ着て、です)、はだしで研修を続けました。

この段階では、参加者15人くらいにも事情を話して。

その内、どなたかがスリッパ(自宅にあるような)を持ってきてくださって、一人、オフィスでぺたぺたと。

ランチタイム。

「靴屋さんに行って修理してもらおう」と思っていたのですが、昼休み中に解決しないと研修に影響するという理由で、担当者の男性二人が「僕達が行ってきます!」と私のパンプスを抱え、オフィスを出て行かれました。

普段東京勤務の担当者さんにとっても土地勘のない場所なわけです。 大阪オフィスの方に「あの地下街なら靴の修理があるんとちゃうか」とアドバイスされ、行ってくださいました。

昼前に戻ってこられ、一緒にお弁当を食べながら伺った話によると、

「中の釘が曲がっているので、応急措置しかできないけど、できることはやってみる。乾くまで時間がかかるので15時ごろまた取りに来て」 と言われたそうです。

研修は17時半まで。

私はスリッパで研修を続け、担当者さんは、16時ごろ再び私のパンプスを取りに地下街まで走ってくださいました。

研修終了後、応急措置だけされたパンプスをはいて、そっと梅田まで歩き、その足で大丸に入って「なんでもいいから靴を」と買って、新幹線で帰途に着きました。

それにしても。

靴の修理やさん。

「スーツ姿の男性二人が、パンプス一足を持って修理に来た様子」 をどう解釈したのでしょう?

お局様に命じられた・・・と思われたのかしら。

あの時の担当者のお二方、この場を借りて、再びお礼申し上げます。 助けてくださって、ありがとうございました。

人生、「何が起こるか」予測不能です。

2009年11月7日土曜日

旧ブログ記事:「食間」とは?(2009年11月7日掲載)

以前「奇病列伝」で紹介した「中心性網膜症」を患った時のこと。

レーザーで手術?する道は選ばなかったので、投薬治療でした。「これ!」という即効性のある薬がなかったようで、漢方薬と何かの2種類くらいを処方されました。

眼科医との会話。

「田中さん、たいていの薬は食後だけど、この薬は食間ですからね」

”食間”といえば、食事と食事の間、とは思ったもののの、念のため、確認をしてみました。

「食間ということは、食後2時間後とか、食事の前1時間は空けるとか、そんな感じでしょうか?」
「えっ!?何言ってるの?食間と言えば、食事の最中に決まっているでしょう。ご飯食べながら、この薬、飲んでください」

・・・・えっ!? ホント?

医師がそう言うのだから、私の「食間」の解釈が間違っているのだろう、と思ったものの、疑問も残ったので後日友人の医師にメールで尋ねてみました。

「眼科医に食間は”食事の最中”と言われたんだけど、食事と食事の間のことじゃないのかしらん?それとも、眼科領域の食間と通常の食間とは違うんだろか?」と。
「いやあ、淳子さんの思う食間で合っているよ。その医師は勘違いしたまま今に至っているのかもね」

医師の指導に背き、食事と食事の合間(2時間くらい空けて)に薬を服用し、無事、4ヵ月後に完治しました。

それにしても、プロの言うことに間違いが含まれるはずはない、と思うので、「自分が間違っている?」と不安になります。

今でも「食間とは食事の最中!」と指導しているのかしら?あの医師は。

2009年11月6日金曜日

旧ブログ記事:ビジネス・パートナーとの立ち話(2009年11月6日掲載)

ITプロジェクトなどでは、同じフロアにプロパー(正社員)のメンバとビジネスパートナー(協力会社、略してBP)のメンバが混在して座っているケースがあります。

プロジェクトを円滑に進めるためには、メンバ間の人間関係も重要だ、と誰もが頭ではわかっているのですが、こと仕事に関しては、情報のルートが決まっているので、なかなか会話するきっかけも見つからないケースもあるようです。

たとえば、あるメンバが、BPメンバに仕事の件で話すには、自社のリーダーに伝え、BP側のリーダー経由でBPメンバにオーダーが行くように、といったルールがあれば、メンバレベルでは直接会話をするチャンスがめったにない、ということになります。

とはいえ、やはり、働いているのは人間。

どうやってBPメンバも巻き込んで、一体感を出せばよいかを考えたリーダーが「仕事の話でなければ、誰と話そうといいじゃないか」と思いつき、オフィス内でたまたま出くわしたBPメンバと立ち話をしたそうです。

他愛もない話です。たとえば「松井がMVPを取りましたね」みたいな。

3-4分会話して、自席に戻ると、そこにいた自社の若手メンバが話しかけてきたといいます。

「今、BPの○○さんと立ち話してましたよねぇ。何を話していたんですか?」と。
「え?普通の雑談。松井のこととか」なんて答えると、「あー、そーゆう話をしてもいいんだあ」と目からウロコ的な反応が返ってきたそうです。

つ・ま・り。

誰もが互いに存在は気になっているんです。

どんな人なのかな、とか、話しかけてみたいな、とか。仕事上の情報ルートは決まっていても、ちょっとした雑談なら誰でもできるはず。

このリーダーは、雑談する姿を見たメンバから質問されたことで、「案外、皆興味しんしんなんだと知り、それが面白かった」と言っていました。

メンバ間がよく知り合うことは、チームの目標達成にも役立つことです。

組織の壁なんか関係なく、まずは、互いにちょっとした会話ができるようになるといいですね。

旧ブログ記事:お弁当男子(2009年11月6日掲載)

「草食系」だとか「植物系」だとか、いろんな言葉を聞くけれど、特に今年よく入って来たのが「お弁当男子」。

男子、という言い方がいいかどうかは置いといて。

たとえば、新入社員研修時。
お弁当を持参する割合は圧倒的に男性が多い。

親御さんに作ってもらっている人ももちろんいるけれど、一人暮らしで(しかも4月から人生初の一人暮らし体験中であっても)自分で作ってくる。

これが案外?、彩り美しく、栄養バランスも考えた”ちゃんとした”お弁当。

新入社員に技術職、事務職が混ざっていると、たいていの場合、事務職が一足先に配属されてしまう。

すると、配属された男性新入社員がお弁当を携えて、まだ研修を受講中の技術職男性がいる教室にやってきて一緒にハンカチ拡げて、机囲んでお弁当を食べる。

男性の中には、研修の事務局をなさっている人事・研修担当者(たとえば女性)の先輩がコンビニで買ってきたようなモノを食べているのを見かねて、

「それじゃあ栄養が偏りますよ。それに、自分で作ったら300円もしませんから節約にもなります」 と言い、翌日、「○○さんのためにサンドイッチ作ってきました」 と持ってきてくれたりもするらしい。

そのサンドイッチの切り口がとても芸術的に美しいのだそうだ。

一方で、女性新入社員はどうか?

「さー、ランチに行こう!」と数人で豪快に外食しに出かけていく。 「外に出て、ストレス解消しなきゃ」とか「外の空気も吸わなきゃ」などと言って。

数年前までと全く逆の光景が教室で、オフィスで見られるようになってきた。

こういう話は、1社の出来事ではなく、いくつも聞いた。 なので、巷で喧伝されるよう、お弁当男子、水筒男子は増えてきているのだろう。

ちょっと前までは、教室でお弁当を囲んでいるのはほぼ女性だった。

男性は社員食堂だったり外食だったり、お弁当は作ってくるものではなく、コンビニなどで買ってくるものだった。

みごとに逆転している。

こういう話を聞くと、「うん、いいなあ」と思ってしまう。

「女性もすなるお弁当作りと言ふものを男性もしてみんとてするなり」

というべきか

「男性もすなる外食と言ふものを女性もしてみんとてするなり」

といえばいいのか。

男だ女だなんて、こういう生活面では変わらなくなるのではないだろうか。

中高生の頃、「女子は”料理と編み物”、男子は”本棚作りやラジオ製作”」みたいにクラスを分けられていたことにいまだにうらみがある私は、こういう風潮にうふふと思ってしまう。

私も本棚作ってみたかった。

弁当男子、頑張っておくれ!

2009年11月4日水曜日

旧ブログ記事:チャンスは自分で作る(2009年11月4日掲載)

先日紹介した「偶発性理論」の事例、続きです。

もう10年くらい前の話。ある企業で新入社員向けのフォローアップ研修を担当しました。 2月だったと思います。

入社して数ヶ月は同期と一緒に新入社員研修で勉強。配属後は、それぞれに異なる仕事をして、半年ぶりくらいに同期と再会です。

新社会人としてまだ11ヶ月程度のこの時期ではあっても、「やる気」も「仕事ぶり」も「成長ぶり」もずいぶん差がついている感じがしました。

やはり、「成長しているなあ」と思う方というのは「自分で考え、自分で主体的に行動している」人なのですね。

主体的に行動・・とは、「どういう状況であっても、自分がその場面での主人公になるために、どうしたらいいかを考えて動く」と言えるかも知れません。

ある男性がこういう話をしてくれました。

「ボクは学生時代、マスターまで進み、”○○技術”というすごく特殊で地味な研究をしていて、その技術や知識をさらに学び、その分野で活躍したいと思って、この会社を選びました。

配属先は希望通りで”○○技術”を使う部署だったし、そういうプロジェクトが沢山あるところだったのでやったと思いました。

ところが、来る日も来る日も会議の議事録を書かされるばかりで、これじゃあまるで事務職と同じだ、とくさった気分になって来たんです。秋ごろの話。

しばらくやる気も低迷していたんですけど、よく考えてみたら、今自分に与えられた仕事は「議事録をきちんと作ることだ」と思い直して、とにかくこれを一生懸命取り組もうと考えました。

手直しの指示などされないような、完璧な議事録を作ることを考えたんです。

それで年明けて先月のこと。上司に呼ばれました。

”XXXプロジェクトのメンバにこの春から入らないか”。

晴天の霹靂というか、すごくびっくりしました。その”XXXプロジェクト”というのは、ボクが学生時代にやっていた”○○技術”を使うだけじゃなくて、うちの部署ですごく重要な、花形なプロジェクトで、新人がメンバに抜擢されるなんてことはないはずだからです。

”どうして私を?”と上司に尋ねると、”ここ数ヶ月のキミの仕事ぶりを見ていた。議事録なんて単純作業だと思って手を抜く人もいる。希望の仕事と違ってやる気なくして、ずっとふてくされちゃうのもいる。だけど、キミは、議事録ひとつでも決して手を抜かず、新人とは思えないできばえのものを出してきた。このXXXプロジェクトは、細かいことも緻密にやり続ける能力が必要だ。だから、キミの仕事ぶりを買って、僕が推薦したんだ。”と言われました。

どんなことでも見ている人がいるんだなあと怖くなったし、自分で気持ちや考え方を立て直して、ちゃんとやってきてよかった、と思いました。」

・・・・・・

配属先とか上司とか与えられた仕事とか、自分で選べない要素は多々ありますが、与えられた状況にどう対峙するか、は自分で決められるし、自分で選べるのですよね。

この新入社員さんには、すごく大切なことを教えてもらった気がしました。

彼は今30代半ばだと思うのですが、元気に活躍しているかな。

2009年11月3日火曜日

旧ブログ記事:ヘルシオ・コーチング?(2009年11月3日掲載)

「文化の日」なので、何か文化的なことをしようと思い、洋菓子<文化>に思いを馳せ、「レモンピール(レモンの皮)の砂糖煮が入ったケーキ」 と「ピーカンナッツとウォールナッツのクッキー」を作りました。

趣味なんです。作るのが。

しかし、自分ではほとんど食べません。(ちょっと味見したら満足) 魚釣りは好きだけど、魚はあまり食べない人、みたいですね。なので、明日会社に持って行きます。

うちの「餌付け(エヅケ)ーションセンター」に置かれる予定です。

ところで、これらを焼くのに使ったオーブンは「ヘルシオ」というものです。昨年7月に購入したのですが、従来使っていた単純なものと違って使い方が最初難しかったのです(私には)。

そんな時、自社の「コーチング実践」という公開コースをお客様に混ざって受講しました。

ペアでコーチングしあう演習で、パートナーとなってくださった福岡のYさんに「ヘルシオの使い方をマスターするにはどうしたらいいか」というテーマでコーチングしていただきました。

この演習では彼女の「承認スキル」にとても励まされました。

「どんな料理を作りたいですか?」

「オーブンで焼く料理を。ホームパーティをするので」

「ホームパーティで焼き料理。作りましょう、作りましょう」
「そのパーティ、いつやりますか?」
「10月には」
「パーティに先立って何ができそうですか?」
「メニューを先に作って来る人に告知しちゃうんです、いつも」
「メニューですか、ではそれをまず書きましょう、書きましょう。そのほか、ヘルシオ攻略に対しての田中さんの強みは何ですか?」
「取説を読むのは苦じゃないです」
「おお、それはいいですね。では、取説は読みましょう。読みましょう」

・・・こんな具合に会話は進み、難しく思えたヘルシオも使いこなす自信がわきました。

研修の中でのコーチング体験でしたが、この後、無事、10月のホームパーティにあわせて、ヘルシオをマスターしたのでした。

Yさんのコーチングは、とてもhelpfulでした!

我が家のヘルシオを見ると、いつもYさんのコーチングを思い出します。

2009年11月2日月曜日

旧ブログ:社長のドキドキ(2009年11月2日掲載)

講演を依頼されることがあります。

1日がかりのセミナーでの講演の場合、2-3人の登壇者がいて、講演者同士は控え室で歓談したり、講演会場でも「関係者席」なんかに座って、普段なかなかお話しできないような方と言葉を交わせたりするので、ちょっと得した気分になります。

数年前のこと。

ある企業の社長Sさんと共にセミナー講師になったことがありました。社長Sさんのお話の次に私が登壇という順番でした。

Sさんとは以前より面識があったので普段ほどは緊張せず、休み時間などに言葉を交わしていました。

150人くらいの会場で、だんだん緊張してきた私にSさんは、落ち着きはらっていらっしゃる。
さすが社長、慣れているのだろうなあ・・・と思い、ちょっとお尋ねしてみました。

「ああ、私、だんだん緊張してきてしまいました。心臓が口から出そうです。Sさんは大丈夫ですか?」

「いやあ、ボクはまあ慣れているんで、大丈夫ですよ。全然緊張しません」

「そうですか、それはうらやましい・・・」

「あ、でも、この間は緊張したなあ。すごくドキドキしたことがある」

「え?それは何の時ですか?」

「この間ね、入社式があったんですよ。そこで社長だから講話するでしょ。壇に上がったら、かーっと緊張してね」

「入社式で、ですか?それはそれは。今年の新入社員の方、何人ぐらいですか」

「24人です」

「今日の会場より少ないですけど、24人でドキドキだったのですね」

「だってねぇ、田中さん。皆、きらきらした目をして私を見るんですよ。真剣に。あの新人のまなざしを見た瞬間に『ああ、この若者達をちゃんと食わしていかないといけないんだな』とその責任の重さに震えました」

「・・・・いいお話ですねぇ。私だけがここで聞くのはもったいないようなお話です」

・・・・・

講師控え室やら講演関係者席では、時々、こういうとてもステキなお話をうかがうことができます。


2009年11月1日日曜日

旧ブログ記事:傷心かあさん:お嬢様に・・・?(2009年11月1日掲載)

数週間前のこと。妹に頼まれて、甥っ子の内祝の手配をしました。

紅茶・日本茶セット。「赤ちゃんが生まれました」という缶のラベルには甥っ子の名前と誕生日も入れてくれて。本来ならお手紙もつけたほうが礼儀にかなうとは思うのですが、赤ん坊の写真を1枚、裏に簡単なメッセージをつけて箱の1番上に入れていただくことにしました。

最近あらたにお祝いを頂戴したというので、今日、再び同じものを手配しに買い物へ。

前回の店員さんをご指名して説明。

「ママが赤ん坊から手を離せないので、また私が代理で来ました。前回、写真を入れたのが評判よかったようです。こちらで丁寧にビニール袋に入れて同梱してくださったようで、ホントにありがとうございました。」

なんてお礼を言いながら、伝票を書きました。

店員さんも2回目の来店客である私に「では、おのしなどは、前回と全部同じで”○○クン”のお名前をお入れすればよろしいですね。」と話も早く、あっという間に、そして、とても気分よく買い物を済ませられました。 店の出口まで見送りにきてくれた店員さん。私の背中に向って、こう言いました。

「ありがとうございました。お嬢様にもよろしくお伝えください。」

・・・ん? お嬢様にもよろしくお伝えください・・・?

・・・・反芻・・・・反芻・・・落ち着け、私・・・。

なんですと!? お嬢様ですと!?。





!!


!!!  

そうか、私は「出産したばかりの娘の代わりに内祝を贈りに来たおばあちゃん」と思われたのか。

なるほど。

・・・・・。

数歩歩いてからそのことに気づいた瞬間、道ばたでよろけてしまいました。

しかし、確かにおばあちゃんでもおかしくはない。
入院中、妹の隣のベッドには、「18歳のママ」がいて、お見舞いに来ていた「おばあちゃん」は38歳でした。 妹が、「私より若いおばあちゃんだ」と驚いていたくらいですから。

・・・

それにしても。

今頃、「おばあちゃまとしては若い方だったわね」なんてスタッフルームで言われているのかしらん?

傷心の日曜日。

2009年10月31日土曜日

旧ブログ記事:久々かあさん:”鳩居堂”攻撃(2009年10月31日掲載)

昨年のXmas、友人に初の甥っ子が生まれた。

私より10歳くらい若い彼女は、Baby誕生と同時に「おばバカ」になった。

最初に思いついたことと言えば、「お年玉上げなくちゃ!」で、鳩居堂(きゅうきょどう)にポチ袋を買いに行ったそうだ。 まだ生後1週間の甥っ子に、鳩居堂のポチ袋。

「なぜ、年末の忙しい時期に、鳩居堂まで?銀行の粗品かなにかでポチ袋くらい家にありそうだけど」と尋ねると、「物事、最初が肝心かと思って、格式とか」と。

わかるようなわからないような。

わが母、この話がえらく気に入ったらしい。

先日、久々に我が甥っ子の顔を母と共に見に行った。

3センチ角くらいの小さなポケットがついているBaby服を着ていた(まだ身長は60センチに満たない)ので、私が、「ポケットがついているのねぇ。何を入れて歩くの?定期入れ?」などと、まだ「うぅー」「あぅー」しか言わない甥っ子に語りかけていたら、脇から、「鳩居堂を入れるためよねぇ、○○ちゃん」 と甥っ子に向って言っている。

なぬ?

洗濯ものをたたむのを手伝っていると、別のBaby服にも腕や胸にポケットが。

母は、「ここにも鳩居堂が入るねぇ」「これも鳩居堂が入れられるね」「こっちはちっちゃい鳩居堂しか入らないねぇ」といちいち言っている。

最後に「○○ちゃん、ボクのお洋服には鳩居堂が入るポケットが沢山あるから、おばちゃんよろしくネ、って言っておきなさい」とまで言っていた。

この会話、何かに似ている。

何かに・・・。

あ、そうだ。

「おばあさまのお耳はどうして大きいの?」
「お前の声がよく聞こえるようにだよ」
「おばあさまのおめめはどうして大きいの?」
「お前の顔がよく見えるようにだよ」
「おばあさまのお口はどうして大きいの?」
「お前を食べられるようにだよ」

・・・・・・

「ベビー服なのにどうしてポッケがついているの?」
「おばちゃんからもらった鳩居堂を入れるためだよ」

似ている。似ている。似ている。


それにしても、耳が大きい段階で気づかないのか?赤ずきんちゃん。

おばちゃんはBaby服のポケットのこと、気づいても言及しないことにしました。


2009年10月30日金曜日

旧ブログ記事:あなたは「しなやか派?」それとも「こちこち派?」(2009年10月30日掲載)

●「こちこちマインドセット」・・・ 能力は生まれつき決まっていると考える
●「しなやかマインドセット」・・・能力は自分の努力次第で伸ばすことが可能だと考える


キャロル・S・ドゥエック 著 『「やればできる!」の研究』 草思社 を読みました。

人の能力、人生は、「自分に対する信念」にずいぶん左右されてしまう、という研究をまとめたものです。

人が「自分はこうなんだ」と思っているものは、大半が「マインドセット=心のあり方」の産物である、と言っています。可能性が発揮できないとしたら、マインドセットに起因しているかも、と。

「こちこちマインドセット」の人は、

●自分の能力は固定的で変わらないと考え
●自分の能力を繰り返し証明せずにはいられず
●時に、いかに賢く見えるだろうか、とか、認められるかとかびくびくもする
●だから、できると分かっていることにしか挑戦しないこともある
●つまずいたら失敗と考え、これまでの努力もすべて水泡に帰すとも思う
●結果的に「学習」から遠ざかってしまう

などなど。

「しなやかマインドセット」の人は、

●人間の能力は努力次第で伸ばすことができると考え
●他人からどう評価されるか、よりも、自分を向上させることに関心を向ける
●成長できなければ失敗と考える
●努力することで能力を伸ばし、より有能にしてくれると思う
●能力が開花するのには時間がかかることもわかっている
●結果を失敗しても、力を注いだこと自体にも意義を見出せる

などなど。

「マインドセット」は、自分の意思で変えられる、ともあります。

マインドセットは学習者自身だけでなく、親や教師など”指導”する立場の人間にも必要なものだそうです。

なので、たとえば、褒めるときに

●頭の良さなどを褒めるのではなく
●努力や成長に対して言葉をかける

とよい、とあります。

親や教師がまず、「知力や才能は伸ばせるもの」と信じ、学ぶプロセスを大切にする気持ちが重要とのこと。

なるほど、とうなずきつつ読みました。

ところで、ヒューマン・スキルの研修でも「しなやかマインド」と「こちこちマインド」の例に遭遇することがあります。

たとえば、「マネージャとしてどんな風に部下と接するとよいか」というテーマで議論したとします。そんな時に、こんな風におっしゃる方が議論に水を差してしまうことがあるのです。

「マネージャとして部下と接するというテーマで話すのに、もう片方の当事者である部下がこの場にいないのでは不十分だ。だから、この議論は意味をなさない」
と。ちょっと「こちこちマインドセット」なのかな。

でもたいていは、「いろいろな視点、観点から話しみよう」と前向きに取り組み、他社・他部署の方の意見に耳を傾けつつ、多くの「気づき」が得られた!とオープンマインドで取り組んでいらっしゃるようです。こういう場合は「しなやかマインド」ですね。

ドゥエックは、どんなことでも「努力すれば達成できる」とは言っていません。ただ、何もかもが「生まれつきの才能」だけで決まると思ってしまうのは、自分の伸びシロを信じていない姿勢になるからもったいない、と考えているのです。

ドゥエックさんは、スタンフォード大学の心理学教授だそうです。
読みやすい翻訳で、アメリカ人の本らしく事例も豊富です。

先日紹介したクランボルツさんの『その幸運は偶然ではないんです!』とセットで読むと、キャリアや成長に対して「しなやか」な考え方を持つヒントが得られるように思います。

2009年10月29日木曜日

旧ブログ記事:本:『小倉昌男の経営学』(2009年10月29日掲載)

昨日、「最近読んだ本」を紹介したので、ふと思い出して、他の本も紹介します。

何年か前に読み、以来、ずっとデスクに置いて、時々、参照している書籍です。

● 小倉昌男氏 『小倉昌男 経営学』 日経BP社

宅急便の創始者である小倉昌男氏が唯一記した「経営」の本、だとあります。

商用貨物のビジネスから、宅配を始めるという英断をなさって、国とも戦い、社内の軋轢も乗り越えて、大事業に発展させるのですが、始めたばかりの頃の話にこんな一場面が出てきます。

古参のドライバーがSD(セールスドライバー)に職種転換をしなければならなかったときの話です。

以下、部分抜粋で紹介します。(同著 P.178-179より)
「古くからいるドライバーたちから拒否された。-俺たちは車の運転が好きだからヤマト運輸に入社した。・・・集金などまっぴらだ。- 彼らにこう言われて、私も困ってしまった。・・・・」

「当初は文句を言っていたヤマト運輸の古株社員ドライバーたちも、宅急便の配達に行って、お客様からありがとうとお礼を言われるようになってから、様子が変わった。商業貨物を運んでいた彼らは、それまで貨物を配達に行ってお礼など言われた経験がなかった。そのため、びっくりするとともに感激してしまった。そして段々やる気が起こってきたのである。」

・・・

どうですか?

「やる気」に関するエピソードとして、「そうそう」「うんうん」と納得しちゃうような出来事だと思いました。

以下は、私自身の経験です。

ヤマト運輸のSDさんは、担当地域が決まっているので、荷物を持ってきてくださるのはだいたい決まっていて、顔なじみになることもあります。

とても感じのよいOさんという男性SDさんが我が家の担当になって、満面の笑み、元気な挨拶、ちょっとした一言の会話など、サービスマインド溢れる人だなあ、とずっと思っていました。

そのOさん、気づいたら我が家に来なくなり、別のSDさんが担当になった様子。


「Oさん、どうしたのかあ?」などとたまに思い出していました。


2年くらい経ったある日、ピンポーンというチャイムが鳴ってドアを開けると、目の前にOさんが。


「宅急便でーす!」と。


「おおぉぉ、お久しぶり」と言ったら、


「ボクのこと、覚えていますか?」


とOさんはとても驚いていました。


「ええ、覚えていますよ。Oさんでしょ。退職されたのかと思ってました」


「隣の地域の担当になって、2年くらいそっちに行ってたんですけど、また呼び戻されました」


「あ、そうですか。Oさんの顔が見られなくて気になってたんです。」


・・・などと言いながら、荷物にはんこついたりしてまして。

「ああ、感激だなあ。名前覚えてもらっているとは思わなかったなあ・・・。いなくなった、とかそんなことまで気にしてくれているお客さんがいるとは思わなかったなあ・・・。ああ、本当に感激だあ。この仕事しててホントによかったと今日あらためて思いました。ありがとうございました。ホント、よかったなぁ・・・。これからもよろしくお願いします」

と感激しきりな様子。

名前を覚えている、というだけでそんなに感激されると思わなかったので、姿が見えなくなるまで見送ってしまいました。

小倉さんの著には、P.192にこうもあります。

「お客様に接する機会が多ければ、やる気のある社員が育っていく。」

小倉さんは、お客様に接する機会が少ない職種・業種でも管理者の工夫次第でやる気醸成はいくらでもできるはず、とも述べています。

私などは、受講者の方から後日メールが来て、「実践結果、こうでした!」というエピソードを聞いたりすると感激してしまいます。

どういう仕事でも「フィードバック」って大切ですよね。

2009年10月28日水曜日

旧ブログ記事:読書の秋(2009年10月28日掲載)

読書の秋。

最近、電車の中で、本を読んでいる人の数が増えたように思います。

私はいつも本を1冊は持ち歩き、どこでも読んでいますが、車内で見かけるのはたいていケイタイメールかケイタイゲームに取り組む人々。

新聞を小さく折りたたんで読む人も以前と比べてぐんと減りました。でも、ここ数週間?、急に読書する人が増えたような気がしするのです。(ただの気のせいかも知れませんが)

先日「毎日新聞」が子どもたちの読書習慣が向上しているという調査結果を載せていました。

質的なものはともかく、子ども時代から本に親しむことはよいことだと思います。

私たちは研修時、教室には、参考図書と称して、その時々の研修テーマに関連する書籍を5~10冊程度並べて置きます。

全く見向きもされないこともあれば、通りすがりに多くの方が手に取り、場合によっては、「今晩借りていっていいですか?」「書名をメモしたので、帰りに本屋さんで探してみます」なんて言われるもともあります。

昨日まで新宿の研修センターで行っていた「リーダーシップ」研修では、多くの方が、参考図書を手にされ、休み時間のたびに自席で熟読されていました。

ところで、私が所属するチームと、興味ある人間10人程度で毎年「読書ラリー」をやっています。

Excelに一人1シート作成し、1/1~12/31までの
●読んだ本の名前、著者、出版社
●評価(◎、○、△、×など)
●コメント(ここが面白かった。こんな場面で役立つ。翻訳が間違っている・・など)
を書き込んでいきます。

ジャンルは問いません。仕事に関係なさそうな本でも何かの情報源になることが多々あるからです。

年初に「今年の目標冊数」を宣言し、月ごとに締めています。

参加者は10人程度ですが、ファイルル自体は全社員共有になっているので、誰でも中を覗くことはできます。

私は毎年100冊で宣言し、現時点(10/28)で、既に110冊を超えました。あと2ヶ月あるので、130はいけるかなと思っています。

そういえば、ある企業で出会ったサポートエンジニアの方。

「趣味は読書。しかも、大量のビジネス書を読むこと。なぜなら、そこには自分の知らないことや気づかなかったことが大量に載っているから」

とおっしゃり、さらに、

「他の人が本を読んでいないと、うっしっし、と思う。俺と段々知識や情報量に差がつくぜぇ、とほくそ笑む。」

とも。ちょっとオモシロイ。


今年読んだ本で、面白かったものをいくつか。

●穂村 弘 『本当は違うんだ日記』 集英社文庫
→エッセイなんですが、電車内で読むのは危険。ちょっとした気づき、疑問をフシギな文章でつづっています。ホムラさんは歌人ですが、エッセイストとしても素晴らしいと思う。


●水野敬也 『夢をかなえるゾウ』 飛鳥新社
→ 今頃なんですが、同僚が読んで面白かった!というので。関西弁でのビジネス書というのが受けたのかも。

●松田公太 『すべては一杯のコーヒーから』新潮文庫
→ タリーズコーヒーを日本に持ってきた青年起業家の物語。いろんなものとの戦いはワクワクします。 『R25の創り方』(R25創刊に関わった方の話)、『スープで行きます』(スープストックトーキョー創業者の話)も読みましたが、「裸一貫から」の感じが良かったのが『すべては・・』です。

●いかりや浩一 『いかりや長介という生き方』 幻冬舎文庫
→ ご長男の本です。いかりや長介が、ドリフ絶頂期を経て、一旦は一線を退いたかのように見えて、役者として再ブレークするあたりの努力が凄いのです。キャリア論として読んでも面白い。

●平本相武 『成功するのに目標はいらない 人生を劇的に変える「自分軸」の見つけ方』 こう書房
→ 「ビジョン型」と「価値観型」の人間がいるそうです。日本人の大半は、価値観型だと平本さんは言ってます。「10年後どうなりたい」というビジョンを問われると答えに窮する私に「じゃ、これを読んでみては」と同僚が勧めてくれました。平本さんは、朝イチメール仲間です(月曜日担当)

2009年10月27日火曜日

旧ブログ記事:OJT担当者のアサイン要件(2009年10月27日掲載)

すごく前の話。

ある企業で「OJT担当者向けマニュアル」を見せていただいたら、「OJT担当者のアサイン要件」が書いてありました。

たとえば、
「新人育成に思いがある社員」
「3年目から10年目の社員」
みたいなことが書いてあり、最後に

「同姓に限る」

とありました。

すんごく難しい気がする。

田中ならアサイン可能だけれど、万城目(まんじょうめ)さん、とか、九十九(つくも)さん、などが入社してきたら、大変だろう。

もう時効になるくらい前の話なので、紹介しました・・・。

*ちなみに、正しくは「同性」です。その場で「あー」と双方声を上げてしまいました。

2009年10月25日日曜日

旧ブログ記事:油性マーカーの悲劇を救ったのは・・・(2009年10月25日掲載)

グループディスカッションの際、机には「模造紙用のマーカーセット」(8色)があり、小さめのホワイトボードも置き、受講者はホワイトボードを使ったり、模造紙に書いたりしながら進めることがあります。

進行役が、手に取ったマーカーで発言内容などをホワイトボードに書き、整理しようと、一旦イレーザーで消そうとした、

その刹那。

「うわぁーーーーーーーーっっっ!」

という悲鳴?絶叫が聞こえてくることが。

油性マーカーで書いちゃったわけです。
ホワイトボードに書かれた文字も線も消せないわけです。

さて、こういう時どうするか。

1番身近なものなら、
●ホワイトボードマーカー
を使います。

油性マーカーで書いた上を「ホワイトボードマーカー」でなぞり、すばやくイレーザーでこすると、だいたい消えます。

が、書いた分量が多いほど、時間がかかる、かかる。

最近、こんな光景を見ました。
「おい、これをやるから、これでこすってみろよ」 とある方が渡したものは、「あぶらとりウェットシート(男性用)」です。

これでこすると、消える、消える、消える!

「すっげ」と言い、あっという間に消していらっしゃいました。

そして、数日前のこと。   最強の「消す」ものを発見。

今、新型インフルエンザ対策で、教室には、「手ぴ●ジェル」などの「アルコール系の消毒液(ジェルやスプレイ)」が置いてあることが多いのです。

ある研修施設でまた「油性マーカー」悲劇が起こり、その時、一人が教室にあった「アルコール消毒液」をティッシュに取り、ホワイトボードを拭くとこれがもう見事に消せたのです。

受講者の方が「おぉぉ」と感動してました。

本来の用途と異なるのでちょっと気が引けますが、ほんの少ししか使っていないので、怒られることもないと思います。

ところで、2番目の例で「男性用油取りウェットシート」(正式名称不明)をほとんどの方が持っていたのに驚きました。

「足りなかったら、俺も持ってるよ」
「あ、俺も」

今や、「男子のたしなみ」なのですね。

2009年10月24日土曜日

旧ブログ記事:ネタ元・・・朝イチメール裏話(2)(2009年10月24日掲載)

「朝イチメール」、開始から3ヶ月。

ネタにしていることは、研修の現場で見聞きしたこと、家族や同僚との会話、街中でふと耳に入ってきたこと・・・などなんだけれど、中でも「同僚」は格好のネタ元である。
(なんせ、一緒に過ごす時間が多いのと、キャラの立つメンバが揃っているから)

まずくない場合は、「同僚が」とちゃんと書き、まずそうな場合は、「こういう人がいた」「知り合いに」などと濁すことも多い。

同僚でも購読(無料でも”購読”と言うらしい)してくれている人がいるので、朝、突然、「見たよぉ」と言われることがあり、ドキッとする。

すごく有名な話であれば断りなくネタにしちゃうこともあるからだ。
(「これ、ネタで使っていい?」と断る場合もある)

・・・・・

だんだん、「夜道は一人で歩かないほうがいい」という状態になっているかも知れない。

くわばら、くわばら。

==============

ごくたまに、「これ、ネタになる?」「ネタにしていいよ」と提供してくれる人がいて、ホント、助かります。

2009年10月23日金曜日

旧ブログ記事:「同期が休むと言ってます」って、コラっ!(2009年10月23時日掲載)

先日ある企業の方からうかがった話。

新入社員研修中の出来事。

新入社員が体調不良で会社を休みたい、という場合、こういう方法を取るんだそうです。

【登場人物】
休みたい人(新人):Aさん
Aさんの同期(新人):Bさん
人事部の方:Cさん

●Aさんは、同期のBさんにメールで「今日は体調が悪いので、休むと人事の方に伝えておいて」と依頼する
●Bさんは、人事部Bさんに口頭で「Aが休むそうです。」と伝える。

・・・・

これが結構多いらしい。

もちろん、この方法がダメなら(ってダメでしょう、フツウ)、ダメだと指導すればいいだけなんだけれど、「直接」の会話を避ける傾向にある、というのがこの話のポイントでした。

なので、仮に、Bさんが休む時も

●Bさんは、Aさんにメールで「休む」と知らせ
●Aさんは、Bさんの代わりに「Bが休むそうです」と人事Cさんに伝える

という展開です。

他人のことであれば、直接言えるわけですね。
自分のことは、直接言いたくない。あるいは、言えない。

なぜだろう?

そういえば、自分の若手時代の経験ですが、体調不良で朝会社にTELして上司に「休みたい」と伝えると、上司は必ず、「了解。で、今日の予定はどうなっていたの?」「それはどうすればいい?」と確認したものでした。

「休むのはいいが、その時することになっていた仕事はどうなっているかまで考えよ」という教えだなぁ、と未熟ながらも学んだのですが、「同僚にメールし、上司に言ってもらう」方式では、こういうことすら学ぶチャンス、ないですね。

それがとてももったいない気がする。

ただ、世の先輩方も、「メールで間接的に言って来るんですよぉ。ビックリですよぉ。」じゃなくて、「直接電話しなさい!」とびしっと指導する、そういう毅然とした態度も大事だとは思います。


*** 追記(2011年5月21日) ***

今年2011年度の新卒新入社員は、しゃきっとしているので、こういう問題は起こらない気がします。どうかな?

2009年10月21日水曜日

旧ブログ記事:他人からいじられたい!(2009年10月21日投稿)

あるリーダーさんがこんな話をしてくださいました。

「チーム内のコミュニケーションを活性化したいなあ、いろいろな人と仕事も仕事以外の話も交わせるようになりたいなあ」 と考えた結果、「自分がいじられる」にはどうしたらいいか?と視点を変えた。

「机に妙なモノを置いて、いじられるようにする」というのはどうだろう?

・・・

「しかし、何を置いたら、周囲からいじられるだろう?」

アイディアが湧かぬまま数日。その時点で、彼はデスクに2台のディスプレイを置き、 Dual環境で作業をしていたのですが、他人に貸し出していた1台のディスプレイが戻ってきたことで、同時に3台をデスクに置くことにしたそうです。

さすがに1人のデスクに3台のディスプレイ。目をひく。

周囲は興味を持ち、「これ、何に使うの?」「どうやって3台を使い分けているの?」「なんで3台あるの?」などと、チーム内外から声を掛けられるようになったそうです。

これと似たようなことをやってみたい方がいて、「私の場合は、ちょっとしたキャラクタグッズ(置物)を机に置いてみた。すると、周りの人が『コレ上げる』『コレも上げる』と寄贈してくれるようになった」 そんなこんなで、置物コレクションが増え、それに「つっこみ」に来る人もでき、周囲と予想外の会話ができるようになったようです。

・・・電子メールだとか電子掲示板だとかWebだとかイントラだとか、放っておくと何でもデジタルに済んでしまいますが、やはり、仕事をしているのは、人間。

相手を知る前に、自分を知ってもらうかな、自分と関わってもらうにはどうしたらいいかな?と考えた結果の試みでした。

面白い発想だなあと感心しました。

ところで、こういうことをしたい!と思っても、「5S運動」とやらで、実現がままならぬオフィスもあるやに聞きます。

※5S:整理、整頓、清潔、掃除、しつけ(だったと思う)

それはそれで重要なことですし、「職場環境の<あるべき姿>」という定義は、難しいですね。

*** 追記(2010年5月21日) ***

個人情報とかクリーンデスクとか、そんな言葉がオフィスに進出してきて、上記のようなことがだんだん難しくなってきています。

職場の”コミュニケーション”を活性化する、というのと、様々な制約というのは、共存できるのかな?

2009年10月19日月曜日

旧ブログ記事:「自分で考え自分で行動する」の原体験(2009年10月19日掲載)

「自分で考える」「自分から行動を起こす」ことを学んだ原体験はいつだったか?という話が出ました。ちょっとした打ち合わせ中に。

ある同僚は、「小学校2年生の時、担任の先生に『君達は自分で考えて、行動していいんだよ』と言われたことがすごく斬新だった」と言いました。

別の同僚は、「小遣いをもらった後で、欲しいものがあって、『これを買ってもいいか?』と親に相談したら、『自分のお金だから自分の責任で計画的に使えばよい』と言われ、そうかあ・・と目からウロコが落ちた」と語りました。

私は、といえば、中3の時、担任の先生に励まされたことが原体験だったと思います。

2泊3日の修学旅行では、京都・奈良に行くことになっていました。「3日間、就寝時以外は制服で過ごすこと」というルールに反発を覚えた反抗期の中3生徒(私たち)。

「3日間も同じ服装なのは、汚れるし合理的ではないのでは?」と学年集会の時に意見しました。「自由行動の時間や宿では私服でもいいじゃないか」と。

その時、生徒が意見する、など想像していなかった先生たちは、一様に驚き、「前例が・・・」などとたしなめようとしていた記憶があります。

それでも、「納得いかない」と生意気盛りの私(たち)は、「一定のルールを決めればいいじゃないか」と反論。

その時、24歳(着任2年目)の担任の先生が、私に向かって「田中は、これが重要だ、検討してほしい、と言っているんだよな。動議だね」と確認してくれました。(「動議」という言葉を聞いたのもこの時が初めて)

その後、なんだかんだとあって、先生方で協議することとなり、「ルールを決めた上での私服OK」となった記憶があります。

ほぼ全ての先生が「反対」に回った時(なんせ30年以上前、保守的な学校で・・・)、担任の教師だけが、「キミは言いたいことがあるんだね」と聞く耳を持ってくれ、さらに「疑問に思うことを意見として言うことはいいことだ」 と背中を押してくれたことでその後の自分の考え方に影響を受けたのだと思います。

どんな人に出会って、どんな言葉を受けるかが、人生(大げさか?ものの見方や考え方でもいい)を変えることってありますね。

面白かったのは、上記の例以外にも誰もが「いつ誰に何を言われたことが原体験!」とかなり具体的に記憶を語れることでした。

こういうトーク、面白いので機会があったら、お試しあれ。

2009年10月18日日曜日

旧ブログ記事:「ボクのブログを見てください」(2009年10月18日掲載)

ちょっと前に聞いた話。

メンタルケア、ストレスマネジメントなどについてマネージャ教育を行い、マネージャも以前より意識的に部下との「直接」の会話時間を増やすようにした。

しかも、できるだけ「傾聴」と「共感」を中心にするように。

ある新入社員との面談時。
彼の悩みや困っていることなどを真摯に聞いていた上司が最後に言われた一言。

「ボクの悩み、ブログに詳しく書いたんで、こっちを見てもらえますか?」 

そういって、URLが書いてある紙を渡されたそうだ。

・・・・・

別の例。

日中、居眠りをしている若手社員がいる。ランチ直後の一時的なものであればお目こぼしもできようが、頻度が高い。仕事に影響するほどに。

上司は彼女に居眠りを注意するとともに、もし体調不良なのであれば、病院に行っては?と提案した。

数日後、彼女は上司に報告に来た。

「あたし、”眠り症”という病気らしいので、眠くなるのは仕方ないみたいです」
「お医者さんに言われたの?」
「いえ、ネットの質問サイトに投稿したら、どこかの方がそう返事してくれました。」
「その人、お医者さん?」
「いえ、たぶん、フツウの人」
「病院にちゃんと行って、必要なら診断書持ってきてくれないかな」

数日後、それが面倒だったのか、彼女は退職してしまったそうだ。

今の時代、上司稼業もラクじゃない。

============

「イマドキの若者」とか「最近の若いもんは」という表現は、どの世代でも言われることで、「今」に限らず、「若者」はいつも批判の対象になるんだけれど、「イマドキの上司」が困惑するのは、「メール」「ブログ」みたいな自分の世代になかったツールや情報ルートがあることじゃないだろうか。


*** 追記(2010年5月21日) ***

今だったら、FacebookやTwitterなどを紹介されてしまうのかな?

「部長、ボクのホンネはつぶやいていますから、フォローしてください」なんて(笑

2009年10月17日土曜日

旧ブログ記事:遅れている・・・。(2009年10月17日掲載)

少し前に、USBメモリが壊れたので、ビッ●カメラへ。

「これと似たようなのが欲しいんですけど」と見せると、店員さんが、「ちょっと貸してください・・・。」と言ったきり、しばらく絶句した。

「ええと、似たようなのとは、形・・ですよね。」
「形もだけど、容量もこれよりは大きいのがいいです」 と答えると、
「あのぉ、そもそももう、この容量は売ってませんよ。 1GBからですねぇ」
と言われた。

使っていた(そして、壊れた)のは、128MB。
結局買ったのは、8GB。

それでも4000円くらいだった。

遅れている・・・。

・・・・・・

そういえば、今通っている大学のクラスメイトが数年前、TVが壊れたので、新しいのを買いに行き、
「ブラウン管のTVが欲しいのですが」と言ったら、 やはり、店員さんに、ちょっと絶句されたらしい。

案内してくれた売り場の端に申し訳程度にしかブラウン管のTVは置いてなかったそう。「え、今ってブラウン管はもうないの!?」と驚いてしまったんだとか。

彼女もまた遅れている・・・。

・・・・・

つい先日、デジカメのSDカードを大きい容量に変えようと思い、同じく、ビッ●カメラで「このカメラに入れられる最大のSDカードを」 と言うと、「今、何が入ってます?・・・うーん、もう512MBのSDカード自体がここにはありませんねぇ。で、このカメラで入る最大は2GBです。」

「それ以上は入らない・・と。ということは、カメラ自体が古いわけですね」

「ええ、・・・そうとも言います。」
・・・・・

色々な方面で、「時代に取り残されて」います。

でも、だからといって特別困ることもないんだけれど。

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「128MBのUSBメモリが壊れちゃってー」と職場で言ったら、「USBメモリが壊れる、ということ自体が珍しいことだから驚くけど、それ以上に、イマドキ128MBを愛用していた淳子さんに驚く」と言われた。

ケイタイだって買ったのは3ヶ月前だしね。(今だに番号&アドレス登録数、家族含めて12人だしね。)


ま、しょうがない。

2009年10月16日金曜日

旧ブログ記事:「48点」(2009年10月16日掲載)

ある30代のエンジニア(SE)さんが教えてくださった話です。

SE: 「前の上司がやたらと点数をつける人でした。たとえば、会議が終わると”さっきの説明、50点”、提案書の素案を提出すると”これ70点”と成果物に対して言うだけじゃなくて、突然、”今日のキミは48点”などとも言うんです。」

田中:「ふむふむ。何でも点数化なさるんですね?で、それ、満点と採点基準は?」

SE: 「それが、教えてくれないんです。”どこがどう50点ですか”とか”そもそも満点は100ですか?”と聞いても、”50点は50点だー”と言うだけで。」

田中:「はぁ。・・それって、ちょっと・・・」

SE: 「そうなんです。ちょっと・・・どころか、かなり、というか、すごく、ウザイ!」

田中:「うーむ、ですよねぇ。」

SE: 「理由も根拠も満点も基準も示してくれないけど、なんでも点数化されるんです。いらっとします。」

田中:「わかります。フィードバックって、”次はどうしたらい いか”を考えるきっかけにならないと、役立たないですもんね。その上司とはどうなったのですか?」

SE: 「もう部署が離れたので、関係ないからいいんだけど。」

田中:「なんと言ったらいいか・・・。とりあえず、よかったですね。」

・・・・・・・・・・

「いいならいい!悪いなら悪い!と言ってほしい」・・・と「部下」の立場からはよく耳にします。とはいえ、「30点」だけでは、「いいのか、悪いのか」すらわからない。

フィードバックって、具体的に「何がどうよい」とか「どこをどうしたらよりよくなる」とか、部下が次の行動を起こす際のヒントとなってこそ意味があるんじゃないかと思ったエピソードでした。

2009年10月15日木曜日

旧ブログ記事:リアルならリアルなのか?(2009年10月15日掲載)

夕べ、藤原紀香主演の『ギネ』(日本TV系)を観て、号泣の嵐に見舞われました。産婦人科医療の現場を舞台にしたドラマです。

甥っ子(&ママ)が周産期医療センターですごくお世話になったのは今年のこと。その時々の、様々なことを思い出し、どのシーンを見ても、号泣。

そりゃそうと、こういう医療ドラマは、医療従事者が見ると、「そんなのないよ」「それは絶対にしない」と、笑っちゃうことが多いようですが、じゃあ、どこまでリアルならいいのかという問題もあるような気がします。

以前、日経BP社とのコラボでコミュニケーションに関するDVDを作成したことがあります。
(朝イチメールでは「マリオさんのOJT」というタイトルでその時のエピソードのひとつを紹介しました)

再現映像(OK例、NG例)のシナリオは全部私が書いたのですが、それを監督が「映像のプロ」として手直ししていくのです。

すると・・・・。

顧客側の部長役のセリフが「君・・・したまえ」「君・・・してくれないかね」などと直されてくることがありました。

あるいは、後輩男性を先輩女性が「●●クン」と呼ぶ、とか。

打ち合わせ時に、「あのぉ、今どき、”キミ”とか”クン”なんて、たぶん、ほとんどの人は言わなくて、どういう関係であったとしても”さん”が多いのではないかと思います」 「それと・・・、したまえ、とか、してくれないかね、という男性に出会ったことはありませんが・・・」 と言ってみると、監督は、こう教えてくださいました。 

「田中さん、そりゃ、ごもっともです。でも、映像というのは”わかりやすさ”も重要です。リアルにリアルを追究していくと、結局、分かりやすくなくなる。だから、かえってリアルじゃなくなる。

たとえば、50代部長(客)と30代SE(サービス提供側)が、共に敬語で話すとしますよね。

『滝澤さん(SEの役名)、この画面のエラーはどうして表示されるんですか?』
『山本さん(部長の役名)、このエラーの理由は・・・・なんですよ。』

ほらね、わかりにくくなるでしょ?

だから、”実際にはそんなしゃべり方しないよ””現実の世界では、そんな方法は取らないよ”というのを映像ではあえてやらねばならないこともあるんです。それが、かえって、リアルになるからです。」 

なるほどぉ~。
なるほどぉ~。

というわけで、私もこのブログで、「キミさあ」とか「●●クンは」とか「ボクが思うに」とか書いていますが、実際には、私は相手を名前で呼んでいるし、登場する男性は「ボク」「オレ」ではなく、「わたし」と言っているし、 そこは、”情景が浮かびやすい”ように、表現を変えているわけです。

2009年10月14日水曜日

旧ブログ記事:「計画された偶発性理論」事例をば(2009年10月14日掲載)

昨日(10/13)紹介した「計画された偶発性理論」というのは、

●いろんなことが偶然に左右される
けれど
●その偶然を引き起こしているのは、自分の行動だったりするんだよ

といったものなんですが、これで思い出すのは、母の友人のこと。

母の学生時代からのお友達(Fさん)に、「パッチワークのプロとして活躍」している方がいます。その道で有名な方らしい。

作品を見せていただいたことがありますが、かわいらしいパッチワークではなく、とてもデザイン性のある、かっこいいタイプの作品群でした。

この方がパッチワークを始めたきっかけというのがオモシロイ。

おそらく20代の頃の話だと思います(4-50年前のことです)。

何かのチラシを見ていたら、「洋裁教室の講師募集」と出ていたそうです。 ちょうど仕事でもしようかなぁ・・・と思っていたところで、「洋裁なら教えられるかな?」という気持ちもあり、早速、教室に出向き、「この”洋裁教室”の講師募集を見てきました」と言いました。

「あら、さっき、先生が決まっちゃったのよ」と言われたものの、「こちらの教室はまだ先生が決まらないんだけれど」と差し出されたチラシにあったのは、「パッチワーク教室の講師募集」。

この時点で、Fさんは、パッチワークを学んだこともなければ、自身で作ったこともありませんでした。

それなのに、「はい、できます。こちらの講師をやります」 と宣言し、その場で契約してしまったそうです。

それからどうしたか。

本屋さんに行き、初心者向けパッチワークの本を買って独学で1週間で勉強し、翌週の講座から無事講習を始めてしまったそうです。

それから数十年、今や、お弟子さんも数多く取る、さらに、展覧会でも作品がいい場所に飾られるような、かなりの有名な作家になったのです。

人間、何がどう転ぶか分かりませんが、 「計画された偶発性理論」で言えば、

●パッチワーク講師が募集されていたのは偶然かも知れない



●洋裁教室に応募しようとした
●「パッチワーク」未経験ながら、「できる」と宣言してしまった
●本屋でパッチワークの本を買い、1週間で独学した

などは、自らの意志で起こした「できごと」ですよね。

「パッチワークの大家」になりたい、という目標やビジョンがあったわけではないのだけれど、結果的にその道で極めたわけです。

クランボルツさんの本を読むと、このFさんの話をよく思い出します。

2009年10月13日火曜日

旧ブログ記事:キャリア…「計画された偶発性理論」(2009年10月13日掲載)

ここのところ気に入っている理論に”Planned Happenstance Theory(計画された偶発性理論)”があります。

スタンフォード大のクランボルツさんたちが提唱している理論です。

曰く・・・

”人生や仕事というのは、「偶然」に左右されることが多いが、その偶然を生み出すために、人は主体的に動くこともできる。偶然導かれたようなキャリアであっても、計画的にその偶然を引き起こすことができるのだ”

といった感じ。

まずは、おススメの一冊。

J.D.クランボルツ+A.S.レヴィン 著 (花田光世 他 訳)
『その幸運は偶然ではないんです! 夢の仕事をつかむ心の練習問題』 ダイヤモンド社

こんなことが書いてあります。 (以下、引用)

「人生には、予測不可能なことのほうが多いし、あなたは遭遇する人々や出来事の影響を受け続けるのです。結果がわからないときでも、行動を起こして新しいチャンスを切り開くこと、偶然の出来事を最大限に活用することが大事なのです。」

「たとえ失敗したとしても、そこから得られるものは大きいのです。また、やってみるまでは、自分が本当にそれが好きかどうかはわかりません。」

「会社が人材を募集する時、彼らは必要なスキルやキャリアをリストアップします。(略)彼らが本当に望んでいるのは、スキルやキャリアを身につけるための「学ぶ意欲」です。(略)変化の激しい時代には「学び続けること」が最も大切になるのです。

もう一冊。この「偶発性理論」に基づいて取材して書かれた本。

所由紀 著  『偶キャリ。「偶然」からキャリアをつくった10人』 経済界

「自己分析や自分のスキルの棚卸しばかりしていても、肝心のキャリアはスタートしない」
「現在のキャリアプランニングの考え方や既存のキャリア理論に対して疑問を感じた」
「「~しなければならない」という洪水の中で、多くの人たちが「キャリアについて考えなければならない症候群」に苦しんでいるように思われる」
「キャリアとは将来を見据えてきちんとプランニングしたりデザインしなければならないものなのか」

といったことを動機として、取材を進め、10人のキャリアを紹介しています。

全員が「偶然今の仕事についた」という方だそう。ここに「キャリアのあり方」のヒントがあるのでは?
と述べています。

登場人物はたとえば、

●松永真理さん(『iモード事件』でも有名な方。『iモード事件』もわくわくする本です。おススメ)
●榎本英剛さん(CTIジャパン創業者、コーチングが日本に普及するきっかけを作ったお一人)

など。

・・・・・・・・・・・ 

先日、田中ウルヴェ京さん、河合薫さんにお会いして、ふとこれを思い出しました。

シンクロ選手としてオリンピックで銅メダルを獲得したものの、ご自分の人生について悩み、渡米して、大学で「ストレス」の「コーピング」を学び、その道の専門家になった京さん。

ANAのCAさんから、気象予報士になって、「お天気と体調はどうして関係するんだろう?」と疑問に思い、勉強している内に、健康社会学者(博士)にまでなった河合さん。

やはり、お2人とも「計画された」「偶然」の出来事に左右されたのかな。

2009年10月12日月曜日

旧ブログ記事:アメ車(2009年10月12日掲載)

以前、45年くらい前のミニカーを掲載したら、社内外で反響があったので、 今度は、デカイ車を。

これも45年くらい前にアメリカで買ったものだと思います。

●全長22センチ
●車幅9.5センチ
●車高7.5センチ。

窓にはまっていたセルロイドは全て朽ちてしまっています。車体は、「ブリキ」です。


【アメ車】

いかにもアメ車





正面から:OLDMOBILEと書いてある

・・・・・・・・・

今日で夏休みもおしまい。10連休、堪能しました。日本酒講座、大学など勉強。

映画も観たし、本も沢山読んだし、ジムにも何度か通ったし。

きままにその日その日、異なることをするのも案外、のんびりした気分になれるものです。


明日から仕事だ!ガンバロー。

2009年10月10日土曜日

旧ブログ記事:シャネルの功績(2009年10月10日掲載)

3連休ですね。


「ココ・シャネル」の方も観てきました。Bunkamuraで。

女性客比率99%。平日の午前という上映時間だったからもありますが。

さて、前回観た「ココ・アヴァン・シャネル」では、いまひとつ時代背景や人間関係がわからなかったので、まずは、シャネル関係の本を読んで・・と、

● 山田登世子 著 『シャネル-最強ブランドの秘密』朝日新書

で予習をしてから、映画へ。

「ココ・シャネル」は、シャーリー・マクレーン(75歳)が第二次大戦後、70歳で現場復帰したシャネルを演じていて、これがすんごい存在感を出していました。

シャネル本人はきゃしゃな人だったようですが、大柄のシャーリー・マクレーンが威風堂々と「わが道を行く」シャネルを演じています。(唯一の難点が、「英語で会話している」こと。その点、「ココ・アヴァン・シャネル」はフランス映画なので、全編仏語で会話していて、雰囲気はバッチリ)

さて、細かいことは、観ていない方にはわからないので、映画2本と本を読んでわかったことを紹介します。

シャネルは1883年に生まれ、1871年87歳で亡くなっています。20世紀の女性のファッションを大きく変えた功労者だそうです。

シャネル登場以前の女性(特に、上流階級の)の服は、コルセットで腰を締める足首までのドレス。誰かに着せてもらわないとダメな大きなドレス。大きなド派手な帽子をかぶったり。

それを、働く女性、自立する女性のためにと、色々なものを考案していきます。現代のファッションにそのままつながるものをです。

根底のコンセプトは、

-「実用」でなければダメだ、
-「自分で着られる服でなければならない」

たとえば、
●ファッションにベージュや黒を取り入れた
→ 色とりどりに着飾る時代に「こんな色を!」と揶揄されてもベージュや黒、白を使う提案をした

●ジャージー素材を使った服
→ 下着に使われる安い素材を表着に使う。動きやすいから

●ツイードやニット
→ ジャージーと同様動きやすいことから女性服に応用

●ショルダーバッグ
→ 両手を自由にできるように

●リップスティック
→ 口紅を持ち運べるような形態にした

●スカート丈を短く
→ 歩きやすい
などなど。

シャネルは、服飾関係の勉強をしていないのです。全部、独学。

戦前56歳の時に一旦店をたたみ、隠遁。 14年のブランクの後、1954年71歳で復帰コレクションを発表。

これが「酷評され」るのですが、それでも勝気に打って出ると再度成功するのです。

そして、87歳で、現役のまま死去。コレクションの準備中だったとのこと。

とにかく凄い。

シャネルが提案したファッションが今の女性の服の基本形ですよねー。

孤児院育ちで、そこから「自立」を目指して頑張り、頑張り、最後は成功するシャネル。

映画でも本でも「勝気なセリフ」満載で、スカっとします。

旧ブログ記事:金曜かあさん:おあよ、のその後(2009年10月10日掲載)

夏休みも終盤になり、今日は、甥っ子のお引っ越しサポートに千葉県まで行ってきました。大した仕事もなかったのですが。

そこで聞いた衝撃の新事実。

「お姉ちゃん(私のこと)には黙っていたんだけど、この間”おあよ”と初めて言ったのがきっかけとなって、あれ以来朝晩1回や2回は「おあよ」と言っているよ。」

・・・・

にわかに信じがたい。

昨日、実家近くの病院での最後の検診があって、小児科医は、「2ヵ月半ですね」と修正月齢で扱うんだそうです。

つまり、2.5ヶ月の赤ん坊が、「おあよ」を連発する、ということがあるものなのか?

初めての日、確かに、かなりはっきりとした発音で言った。私が言ったのを真似たのだから、私もこの目で、この耳で確認した。

が、その後も毎日1-2回は言っていると!?。

「ギネスブックものか?」と思ったのだけれど、まあ、オウムやインコでも「真似を繰り返す」くらいはできるのだから、大したことないような気もします。

============

甥っ子にあげようと買ったCD。おばちゃんが気に入り、あげずに自分で使っています。

ぐっすり眠れるんだな、これが。

『ミッフィー0歳のクラシック』 (キングレコード)CD2枚組み。

知っているクラッシックが、大量に収録されています。

● Disc1:おはようあかちゃん
● Disc2:おやすみベイビー

寝る前にかける。タイトルは「おやすみベイビー」なのに、「おやすみ中年」になる。1曲目で熟睡モードへ。

何日経っても2曲目以降がなんだかわからないので、日中聞いてみたら、なかなか心地よい選曲でした。寝入るのに苦労しているオトナにもいいと思う。

2009年10月8日木曜日

旧ブログ記事:「日経コンピュータフォーラム2009秋」報告:田中ウルヴェ京さん・菊入みゆきさん・河合薫さん(2009年10月8日掲載)

昨日は、「日経コンピュータフォーラム2009秋」”こころトラック”を聴講しました。

3人の講師がそれぞれ90分ずつ。「こころトラック」のタイトルは、

「あなたと組織の「こころ」を鍛える  閉塞状況を打破! 人間力向上セミナー
~明日からできる「ストレス耐性」「士気」「組織力」を高めるためのポイント~」

でした。


【田中ウルヴェ京(みやこ)さん】

シンクロ選手から「ストレスに対するコーピング」の専門家になった方です。

コープ(Cope)=対応する、ということです。ストレスのコーピングとは、「ストレスに立ち向かう」「対処する」といった意味。

印象に残ったことを箇条書きで。

●ストレスに弱い(というか、コーピングが機能しづらい)人は、「間違った自己認識を変えない人」、
「悲劇のヒロインになりたがる人」、「他者との比較で自分を捉える癖がついている人」など4パタンあるそう。

●「感情日記」を書いてみましょう(毎日)
1.今日は何を感じたか
2.なぜ、そう感じたか

これを繰り返していると
1.自分がどういう状況でどう感じるかに気づく
2.特徴がわかってくる
3.自分のやる気に歯止めをかけているものは何かを知る

●どんなストレスも「自分の捉え方」次第でよくも悪くもなる。

出来事は変えられないが、出来事をどう捉えられるかは変えられる。これがコーピング。
→論理療法とか認知行動療法がベースにあるのですね。

●「がけっぷち」の時は、とにかく「ニコニコして」「姿勢を正して」みましょう!
背中丸めて、深刻な顔をするとどんどん悪い状況になるから、胸を張って、ニコニコして「参ったなあ、どうしようかなあ」と考える。こういうことが実は凄く大切なんです! 

→ なるほど、それは言えてる気がする。

【菊入みゆきさん】

先日、「PMシンポジウム2009」でもご一緒した菊入さんが、2人目の登壇者。

8-9月にJTBモチベーションズで「金融・IT・製薬の3業種の課長619人」に調査。「やる気が上がった時キーワード」「やる気が下がった時のキーワード」を分析したそうです。

業界ごとに特徴が出た、という話がとても面白かったので、紹介します。

IT業界:
やる気上がった時のキーワード:「顧客」
やる気下がった時のキーワード:「プロジェクト」

→ つまり、「顧客」との関係でやる気が上がる方向に刺激され、「プロジェクト」にまつわる困難でやる気が下がるということです。

金融:
上がった:「目標、達成」
下がった:「上司」

製薬:
上がった:「業績」
下がった:「会社」

業界によって、マネージャの「やる気」刺激要因がこんなに違うのですね。

会場からは質問が多く挙がりました。

「部下のやる気を上司として上げねばならぬ、という場合は?」に対して、「キーワードは”自律性”。自分で決めた、自分で考えた・・・が大切」という回答。

深く納得です。

【河合薫さん】

CA→気象予報士(ニュースステーションにお出になっていましたね)→健康社会学者 というキャリアをお持ちの方です。

「他人力」についての講演でした。

自分を支えてくれる「他人」の力をうまく活用できることが大事。それが、自分が元気になれるモトにもなる。

他人とどうつながればよいかがわからなくなりつつある現代ではあるけれど、人の力を借りるのは、非ではなく、是である。

●人と人とのつながりを作るために3つの無駄を見直してみよう!というお話も。

1.無駄な時間・・・雑談する時間、真剣に仕事をしているわけではないけれど、互いを知り合うための時間
2.無駄な話・・・雑談、対話・・・から知識が広がったり、互いを理解し合えたりする
3.無駄な空間・・・社員食堂だとか給湯室、喫煙所などで関係構築ができていることも多い

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「日経コンピュータ」には2007年1月から今年2009年3月まで連載していた関係で、知り合いが大勢います。会場では編集、販売などの懐かしい面々に久々にお会いすることができました。

セミナー前にご好意で「講師控え室」に入れていただき、田中ウルヴェ京さん、菊入さんと歓談の機会も得ました。(河合さんは、講演直前に到着されたので講演後に名刺交換するだけになりました。)

京さんは、明るく元気な方で、初対面なのに私はすぐすっと会話に馴染めてしまいました。

「ウルヴェ・・・ですからね。ウルヴェ。正しく紹介されたことがないんです。ウォルブとかウェルベとか、プロのアナウンサーでも間違えるんです。この間は、田中ウェルヴェ京子さんでーす、と言われて、”田中”しか合ってない、って思いました」 なんて話を面白おかしくなさってました。(雰囲気作りがお上手なんです)

年間の講演が200本だそうです。

本数がちょっと多くて大変なんだけれど、多くこなせば、成功も失敗も多くの体験が積めるので、自分のためにちゃんとなっていると思う、と仰っていました。

京さんの本、以前以下を読みました。よかったので、ぜひ。(新著も沢山出ています)

●田中ウルヴェ京 著 『ストレスに負けない技術・コーピングで仕事も人生もうまくいく!』日本実業出版社

2009年10月6日火曜日

旧ブログ記事:そ、そこかよ!?(2009年10月6日掲載)

大学の授業が20:15まであったので、クラス会は遅刻(お開きに近い時間に参加)。

もうすっかり出来上がって”ラ行”が怪しい「おじさん」(といっても同い年)に囲まれ、全くノリについていけぬままでしたが、さすが15歳からのクラスメイト。

すぐに10代の頃に戻っていた様子。

40代後半にもなると、色々な場で活躍していて、インターナショナルに活動している人もかなり多い一方で、ドメスティックな企業で頑張る人も同じようにいました。

で、ドメスティックな企業の男性がインターナショナルに活躍する男性に一言。

「お前、凄いなあ。え、出張はヨーロッパが多いの?あ、ほかの国もかあ。世界を股にかけているんだなあ・・・。」
「そうでもないぜ、大変なだけだよ」
「いや、凄いよぉ~。 だって、世界中の機内食を食ってるんだろ?すげぇよ。」

・・・・このよっぱらい二人に挟まれていた、しらふの私。

「そこかよっ」と突っ込むのは忘れませんでした。

来年は、卒業30周年なので、盛大にやろう!と解散したのでした。

明日は、「日経コンピュータフォーラム秋」を受講します。またレポートします。

旧ブログ記事:ウォーター♪(2009年10月6日掲載)

夏休み満喫中。といいつつ、今日は、火曜日のほうの大学授業、初回です。

火曜日は、コレ(↓)を取りました。
http://www.sophia.ac.jp/J/ext.nsf/Content/kyoujitsu2160

木曜のクラスと同じく小林教授です。10年来お世話になっています。

その後、高校時代のクラス会。なんでこんな時期、しかも、平日にクラス会か!?

デンマークで研究者をしている同級生が一時帰国するのに合わせて開くことになったものです。

クラス替えがない、という珍しい都立高校で、(学園紛争の名残だと聞きました)15歳の時からのトモダチ。

卒業後約30年。45人クラスの内、なんと20人が集まるそう。凄いなぁ。

同級生がデンマークで今研究しているものは何か知らないのですが、着任したのテーマ頃は、「プラズマを養豚業に生かす」だったはず。

豚の臭いをプラズマで消す、とか、そんな解説をしてくれたことがあります。

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夕べ、実家に一泊。

甥っ子がこの週末にいよいよ本来の住まいに戻る(というか、生まれて初めて行く)こととなり、最後の「週末かあさん」でした(「平日かあさん」か)。

誕生から4ヶ月(修正月齢で2ヶ月)。

4ヶ月らしことと2ヶ月らしいことと、間をとって3ヶ月風なことが混在しています。

たとえば、身長はまだ55センチ程度。体重も5100gくらい。でも顔つきは、しっかり「男の子」。(これは、シャバが長い分だけ人間度が先に上がるわけですね)

2つ感動的なことがありました。

1つ:最近、微笑は少しずつ増えていましたが、夕べは、「きゃっきゃっ」と声を上げて笑いました。初めて。

人間というのは、声を上げて笑うまでに数ヶ月かかるんですね。

2つ:これは、かなり衝撃的な今朝の出来事。

起きたばかりは1時間くらいご機嫌な状態が続くので、上から覗き込み、ずーっと「おはよー」「お、は、よ」と言い続けてみました。

まだ、「あう」とか「うー」とかそんな声を発するだけなのですが、一生懸命、口の形を真似ようとしている様子が見て取れます。

おばちゃん、しつこく、「おはよー」「おはよー」と続けていたら、最後に「おあよぉ」と言いました。2回も。

父も母も妹(ママ)も全員聞いていて、感動。そして、大騒動!

たまたま、「あう」と声が出たのと口の形真似が同期して「おあよぉ」となっただけでしょう。

2回限りではありますが、もう、私にとっては、ヘレンケラーが「ウォオーター」と言った瞬間の喜びはこれだったのでは、と思うほどの感動です。

なんせ、まだ4ヶ月ですからね、たまたまの偶然なのですが。

職場にいるパパにメールしたら、悔しがり、パパのママにメールしたら、「まゆつば」と思われたようです。 動画で撮らなかったことが悔やまれます。

「週末かあさん」お役御免に際して、最高のプレゼントでした。

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「奇跡の積み重ね」と医師に言われてこの世に生まれた甥っ子。(もちろん、どの子も、奇跡の積み重ねの命ですね)

キミに会えてホントによかった。

happyな人生が待っていますように!

2009年10月4日日曜日

旧ブログ記事:マンションの役員になってみた!(2009年10月4日掲載)

昨年入居した現マンション。管理組合の役員改選が9月初旬にありました。

一応、立候補を募り、「いなければくじ引き」ということに。いずれ全員が当たる・・・というルールです。

以前のマンションでは、修繕積立金の値上げを1-2回行い(→合意を得るのが凄く大変!)、12年目くらいに「大規模修繕」があって、この時は、結局、お金が足りず、各戸「15万円前後の一時金」を出すことになり(→これの合意はもっと大変!)、

さらに、「大規模修繕工事後の手抜き疑惑騒動」があり、もう、大変大変大変!な経験をしたので、今回は、「マンションが若い(築浅)時に担当するに限る」と手を挙げてみました。

蓋を開けてみたら、全戸中、手を挙げたのが私だけで、「ちょっと張り切りすぎ?」と恥ずかしかったのですが。

で、今日は、1回目の理事会。

30戸ちょっとという小規模マンションなので、役員は4人。それでも、細かい議案を話しているだけで3.5時間もかかりました。

終わった時点での全員の感想。
「2年目でこれだけかかるから、今後、どんどん「懸案事項」が増えて、大変になっていくのかなあ・・・」でした。

ファシリテーション・スキルの勉強機会になるよ、と大規模マンションで役員を昨年経験した同僚が
言っていたので、1年間、「勉強機会」だと思って取り組みます。

知り合いが少し増えるのも、心強いですし。

2009年10月2日金曜日

旧ブログ記事:ファシリテーションとファシリティ(2009年10月2日掲載)

「ファシリテーション・スキル基礎」を開発したのは、たしか2004年でした。初回は9月。

このときは私が開発者。日本ファシリテーション協会が前年2003年にNPOとなり、なんとなく「ファシリテーション」という言葉が聞かれ始めた頃です。

ある時、公開コースに参加されたお一人が自己紹介でこうおっしゃいました。

「ボクは施設管理部門に勤めているので、コースガイドを見たとき、コレだ!と思いました。そうかぁ、ファシリティを管理するスキルを教えてくれるのか・・・。」

ファシリティ=施設。

あ、もしや、大いなる勘違いをなさって・・・・!?!?と思い、続きを聞くと、「で、よく読んだら、そういう意味じゃなかったんですけど、会議進行って重要だから、そのまま申し込みました。」

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ホッ!

旧ブログ記事:リーダーの実践例(2)(2009年10月2日掲載)

リーダーの実践例。断続的に紹介していきます。

●メンバに「この仕事、やっておいて」とか「いつも通りだから」とか、「とりあえず、これ」という指示を出していた。特に、あいまいだとも思わずに。相手がベテランの場合は、「言わなくてもわかるだろうし、と。

ある時、「この仕事は、こういう全体像なんだ」「目的は・・・」「意図は・・・」「背景やいきさつは・・・」と説明してみた。若手のために。

ところが、若手だけでなく、ベテランですら、基本的なことがわかっていなかったということに気づいた。

→「わかるはず」「知っているだろう」は、キケンなんですねー。

●話を聞くだけで、自己解決する人って多いよな。「ふんふん、それで?」「で、どうなったの?」「へぇ、で、どうしたいの?」なんて相づち打ったりしているとその内、「あ、わかりました。やってみます」とか「そうか、そうか・・・」とか言って、去っていく人って多いと思う。 聞いてあげるだけでもいいんだよな。

→ 人に話すと考えを言語化でき、自身にフィードバックされるので問題が整理できるんですよね。なので、相談されたからといって何でも回答を与えればよい、というものでもないのでしょう。

●「俺、最近、やる気ねぇ」と言い続けていたら、気づいた時には、チーム全体の空気が低迷していた。後輩の前でネガティブなことは言うもんじゃないな、と反省した。以来、愚痴は、メンバに言わないように気をつけている。

→この方は、長年サポートしていた製品のサポート打ち切りをある日突然言い渡され、チームが解散することとなったのでした。すごく思い入れのある製品だったので、途端にやる気が低迷。それを、気心の知れたメンバについつい言ってしまった。 ところが、気心は知れていても、そこは、リーダーとメンバの関係が。上の人間が「やる気ない」というと、そのまま下の人間に伝わってしまうわけです。

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「成功した」「失敗した」というのはたいしたことじゃなくて、そこから何を気づき、学び、次に生かすかが大事なんですね。

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さらに、ところで、明日から夏(?)休みです。(毎年10月にとるのです。)ブログは、たまに更新します。たぶん。

ただし、「ゆるゆる気分」になっていると思われるので、いつも以上に「ゆるゆる」な内容と文章になると思います。先にお断りしておきます。